海風通信 after season...

route04 「旧道の先のこと」



 麺『ランプ』のお店は不定休なのかな?突然頂いたお休みの日に、撮影小旅行へと出かけるすーちゃん。
 向かった先は、かつて父親の車で通ったことのある、海沿いの寂れた旧道。「廃道マニア」じゃないけど、なんか好き。うんうん、解りますよ。
 この舞台地モデルは、おそらく房総南部の海岸線のどこかなんじゃないかな?とも思いますが、そこまで調べ上げる時間も労力もなかったので、今回は三浦半島内で見つけられる「それらしい?」ような場所を、強引にピックアップしてみました。
 まずは最も大きな手掛かりになるであろう、バス停の標示板。東バスの『明日崎』とありますが、これはいったい何処なのでしょう?なんとなく実際にある地名を少し捻って改変したようにも思いますが、残念ながらしっくりと来る地名はありません。ならば、『明日崎』の下に表示された『次は漁○』に注目してみます…って、これ、ホントに何て書いてあるのでしょう。『漁連』?『漁速』?とりあえず『漁速』は地名としても単語としても適当なものが見つからなかったので、ここはひとまず『漁連』ということで考えて見ましょう。
 『漁連』というのは、『漁業協同組合連合会』の略で、いわゆる『漁協』をさらにひとまとめにした上部団体なのですね。だから、各港に漁協の施設は数あれど、漁連の施設というものはそうそうないのです。三浦半島に限って言えば、どうやら「三崎支所」ただ1ヶ所のみのよう。そしてその建物の前には、しっかりとバス停が設けられていました。バス停の名は『海外(かいと)』。このバス停の前後1つ手前のバス停が、すなわち『明日崎』に相当するのではないかとの推測を立て、さっそく現地へと赴きました。
▲丸印部分に「神奈川県漁連」という文字が微かに見える。 ▲唯一確定的に漁連と認識できるのは、この看板のみ。
 『海外』バス停の前後にある停留所名は、それぞれ『屋志倉』と『二町谷』。そのうち『屋志倉』は坂道の途中の高台にあり、あまりにもロケーションが違うため、あっさりと除外。残る『二町谷』は、少し寂しいながらも長閑な海沿いにポツリと立つバス停で、立地環境的にはまぁまぁです。ただしここ、ひたすら真っ直ぐな道だし、廃道でもなんでもないんですよね。(むしろ三崎の西海岸のメインルートですよ!)
 それでも私がここに何となく惹かれたのは、バス停そばにある和菓子屋さんのたたずまいが、非常に良い雰囲気を醸し出しているからです。お店の造りや看板の掲げ方も、ちょっと作品中の設定に似ていたりもしますよね。
 すーちゃんは「中の下」なんて失礼な言い方(コーヒーに対してだけど)をしていますが、この和菓子屋さんの名誉のためにハッキリとさせておくと、ここのお菓子はどれを食べてもまんべんなく美味しいです。実は私は『三浦七福神巡り』の途中でかれこれ5回(5年)ほど立ち寄り、そのたびにいろんな種類の和菓子を3〜4ヶずつ買い求め、小網代入江のイギリス海岸でおやつにするのを例年の楽しみの一つにしているのですが、どれもハズしたことがないのですね。地元の人以外は来ないんじゃないかという立地にあるのも大きな魅力で、なるべくならあまり知られたくない、それでもずぅーっと残り続けて欲しいお店のひとつでもあります。目の前の漁港のロケーションも素敵なので、ここで食べてもきっと良い感じに味わえるでしょうね。
▲『二町谷』バス停付近。右手奥の建物が……。 ▲味わい深いたたずまいの和菓子屋さん。看板も良いです。
 さてさて、とは言え、気になるのはやはり廃道です。これはもう、私には小浜から雨崎へと続く海岸道路しか考えられませんでした。潮風に侵食され錆び付きまくったガードレールと、良い感じに劣化したコンクリート、ひび割れから抉じ開けるように繁茂する雑草と水たまりだらけの舗装路……という状況は、ちょっとここ以外になかなか見つけられないと思います。ちなみにここももちろん廃道ではなく、三浦市の東部浄化センターへと続く管理道路。一般車両および人の通行さえも規制されているので、ご承知おきの上、立ち入りは自粛して下さい。(写真は06年当時、浄化センターへ訪れる機会があったときに許可を得て通行し、撮影したものです。)
▲海岸線に沿ったウネウネ具合が最高。波飛沫をかぶる場所も。 ▲ガードレールの錆びつき具合もなかなかのもの。
  この道路、昭和55年頃までは三浦市・京急主導のもとにハイキングコースが設定され、一般の人も車も堂々と通行できていました。その当時には、今の浄化センター手前の位置に、「海の家として開いていた長屋風の建物」があったといいます(浜田勘太著『南下浦の歴史探訪記』より)。
 「長屋」というのがちょっと違うのかなとも思いますが、三浦半島東海岸の小浜バス停→『東バスの停留所』から小道にそれ、『旧道』であった海岸廃道の行き着く先に『お店』がある(あった)というこの設定を想像すると、何だかスゴく作中風景に近い感じがして来ませんか。(強引過ぎ…?)
 芦奈野センセイの世代から逆算すると、小学生時代に雨崎を訪れていたとするなら、きっとこの光景を目にしたと思うのですが…。
 あ!今またゴーインな考えが浮かびましたが、『明日崎』バス停って…【明日崎→アス崎→アメ崎→雨崎】ではあるまいか!?
 以上、今回はかなり暴走気味なレポートでした。(いつもですね。)

 ※「長屋風の建物」は、かつて『大和海苑』とか『大和食堂』と呼ばれていたらしいです。昭和50年代の古い道路地図にはその表記が確認できたのですが、詳細な様子や写真データなどは見つかりませんでした。これらの件について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、情報をお寄せいただけると幸いです。浄化センターの建っている場所はかつてキレイな砂浜だったようで、「アリカビーチ」とも呼ばれていたそう。雨崎の戦車や神社、弾薬処理場など、この辺りはホントにいろいろとディープな歴史が眠っている場所ですね。


2016/08/16(海外・二町谷)2006/09/05(小浜)