海風通信 after season...

route16 「左右の海のこと」



 突然の雨、はるかちゃんにクルマで家まで送ってもらうすーちゃん。左右に海が見える農道の高台にたどり着くと、いつもの不思議タイム。
 小さいほうのはるかちゃんは、左右の海から違う匂いがすると言います。詩的な表現ですねー。漫画に独特の『空気感』を生み出す、アシナノ的発想の妙であるとも言えます。今回は、この「左右に海が見える農道」の検証を進めていきましょう。
 左右に海が見える農道、と聞いて、すぐに思い浮かぶのは三浦のどの辺りでしょう?いろいろ候補は挙げられるとは思いますが、意外にもクルマを運転している目線で、左右同時に海が見えるという農道は多くはありません。理想は『相模湾』と『東京湾』を明確に分断して見られるであろう、大楠山〜武山〜引橋までの農道高地だったのですが、残念ながら片方だけは海が見えても、両方同時というわけにはいきませんでした。京急の三崎口駅に降り立って見ると分かると思いますが、あそこ結構な高台にあるのに海とか見えませんよね?あんなカンジです。
 ここでふと、北原白秋が「海が両側に見える」というような描写をした作品を残していたことを思い出したので、かつてこの三浦の地を舞台にした文芸作品で、「左右に海が見える」というような表現を使用したものはあるのかな?というコトで調べてみたところ、以下の作品が見つかりました。
『畑の祭』 北原白秋 ※抜粋引用
大正二年九月某日、相州三崎は諸磯神明宮祭礼当日の事、上層に人形、下段にお囃子の一座を乗せた一台の山車は
漁師と百姓とを兼ねた素朴な村人の手に曳かれてゆく。先づその山車は鎌倉街道から横にそれて、一小岬の突鼻の神明
宮まで、黍畑や粟畑の高い丘道をうねつてゆく。而も日中、日は天心にかかつてゐる。径は緩い傾斜を登つたり下りたりし
てゆく。崖の高みを行くのでその両方に真碧な海が見える。(中略) 山車が進んでゆくと、そこから神明宮と相対した油壺
の入江が見え、向ふの丘の上に破れかかつた和蘭風の風車が見えてくる。その下に大学の臨海実験所の白い雅致のあ
る洋館がある。芝生が見えキミガヨランが見え、短艇が二三艘浮いて見える。まるで南伊太利あたりの風景にでも接する
やうである。愈丘の畑をすべり下りると平たい、かつと明るい渚に出る。右も左も渚である。ここに神明宮の鳥居がある。
そこから円い穏かな丘の登り道になつて、その向ふが愈海になつてゐる。

『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』 古川 薫:著 (文芸春秋:刊) ※抜粋引用
そこは第三紀凝灰岩が浸食された隆起海岸で、眼下に岩場が広がる眺望絶佳の地点である。百八十度の視野で空と
海を仕切る水平線の真ん中に夕陽が溺れていく情景に、絹代は目がうるむほどに感動した。(中略)
諸磯の家に行くには、車なら鎌倉から約一時間、京浜急行に乗れば終着駅「三崎口駅」で降りる。まばらに商店が並ぶ
狭い道路を十五分ばかり車で走ると、左右に海が見えてくる。
車を捨て、右側にひろがる大根畑、左に入り江を望む農地の坂を数メートル下ると、突然、相模湾の海面が盛り上がるよ
うに視界をふさぎ、左手の崖の上に、聳え立つ白壁の二階建てが、建築中の田中邸だった。
 この両作品、偶然にもほぼ同じ地点である諸磯の「浜ノ原」近辺の情景を描いているのですね。(『花も嵐も』に関しては、絹代自身の自叙伝と言うわけではないので、実際に本人が本当にそう感じて記したのかは定かではありませんが。)
 そう言えば、あの辺りにも少しばかりの農道高地があり、海も見えたということを記憶しています。さっそく現地を見ていきましょう。

▲左手に黒鯛込の小さな入り江、右手に諸磯湾の海が見えるパノラマ風景。匂いの違いは……わかりません。
 「浜ノ原」のバス停付近から枝道に入って行くと、途端に上の写真のような光景が広がりを見せます。規模は小さいながらも、本当に左右に海が確認できるのですね。白秋の時代には、それこそ眺望を遮る建物も少なかったことでしょうから、このようなロケーションは諸磯のあちこちで見られたことでしょう。平成の世ではこうしたポイントは2、3箇所程度になってしまいました。ここはその中でも、そこそこ作中の条件に見合っているでしょうか。
 ところで、海の匂いに違いは感じられたの?と聞かれてしまうと、私の感受性の低さでは、残念ながらその違いはおろか、畑の土の匂いくらいしか感じ取ることは出来ませんでした。小はるかちゃんに言わせれば、地面の匂いでも違いが分かるのですよ?と突っ込まれそうですが、こちらも全くピンと来ません。横須賀市が発行している『三浦半島の地質と活断層分布図』を見てみると、特に衣笠から武山にかけての地層の重なり具合がものスゴく、確かにそれはまるで色モザイク図に見えます。とすると、舞台的に左右の海とは、「小田和湾」と「金田湾」を指すのが妥当なのではとも思えます。あの描写は、武山頂上から俯瞰した、津久井や高円坊の畑作地帯の農道をイメージして描かれた架空風景なのかも知れません。
▲緑の木々の起伏の向こうに見える白い突起物は……? ▲浜諸磯の漁港風景。白秋の時代とそう変わらないのでは。
 農道をウロウロしている途中、左上写真のような風景も見つけました。ちょっと判りにくいですが、中央の森と空との境界部分に、ちょこんと白い円塔型の突起物件が見えます。作中で、「あ、ここ好きなんですよ 左右に海が見えて」と言ったコマ場面に描かれた、地平線上の突起物に似ているような気もしたのですが、気のせいでしょうか?気のせいですね。ちなみにこの白い円塔は、油壺マリンパークの大回遊水槽の一部分です。
 のんびり農道を下っていくと、そこはもう浜諸磯の長閑な漁港地区。ここは私が通い始めてからホントに変わることのない雰囲気を保ち続けている場所で、来るたびに癒されます。観光開発とは真逆に、いつまでも変わらぬスタンスが、却ってその土地の魅力をより惹き上げる、ということも確かにあるはずです。手前勝手な都合の良いお願いですが、どうかこの場所はこれから先もコンビニや小洒落た食い物屋なんかに侵食されず、このままの状況を維持していってもらいたいものです。
 地元の日用雑貨店でちょっとしたお菓子と飲み物を買って、漁港の突堤でひと休み。これだけで充分なのですよ。
▲静かで侘びしげなのに、明るく開放的な一面も見せる突堤。 ▲年々崩壊が進む場所もあるが、これでいいとも思う。


2015/11/24