海風通信 after season...

route32 「樫の実のこと」



 昔よく登った裏山で、大量の樫の実を見つけたすーちゃん。思わず集めずにはいられない衝動に駆られていると、樫の守り人(!?)なる女性が現れ、樫の実をカツアゲされてしまうお話。あれ?これじゃ話の内容を歪曲化してる?でも、大体こんなカンジですよね?
 このエピソードは、一見するといつもよりもフシギ要素が薄い感じを受けるのですが、読み返してみると、やはり様々な謎が浮かび上がってくるのが印象的です。最も気に掛かるのは、すーちゃんが樫の実を返却したお礼に貰った《竹のナイフ》。あれには何か深い意味合いが含まれているのでしょうか?習俗儀礼的なもの?それとも今後のストーリー展開に関わる?(三話後に終わっちゃうけれども!)これらのことを考え出すと話が進まないので、このあたりにしておきましょう。メインとなるのは、ずばりタイトル通り『樫の実』のことです。
▲クネクネ坂道。バイクなら楽々……でもない。 ▲文献の図説でも「樫・モチ・榊に覆われている」とある。
 ここでちょっと植物知識に疎い私には、ある疑問が浮かびました。それは作中での『登ればそこは樫の森 ほんとは「マテバシイ」って木らしいけど』という件。これって一体どういうことなんだろう。マテバシイって今まで椎の木だと思ってたんだけど、樫の木とも呼ばれるのかな?
 そこでいろいろと調べてみると、実に厄介な定義になっていることが分かりました。メンドくさいので詳しく書きませんが、気になる人はwikiとかで調べてみて下さい。超乱暴にまとめると、マテバシイはブナ科の常緑高木で、分類上マテバシイ属になり、シイノキが属するシイ属とは別属であるということ。そしてブナ科の常緑高木の一群を総称して「カシ」と言うので、マテバシイ属もカシのひとつと呼ばれるのです。つまり、マテバシイを樫の木と呼んでもいいけど、椎の木とは呼べないのですね。作中で「らしいけど」と曖昧な呼ばれ方をされているのは、あれはまさに適切な表現でもあったわけです。
 ややこしい展開になってきましたが、要は『大量のドングリの見つかるマテバシイの山』を見つけ出せれば、今回の舞台設定に近い場所を見つけられる手掛かりとなるわけです。とは言え、三浦半島はかつてマテバシイを薪炭材とするために植樹しまくったので、「マテバシイ半島」とでも呼べるほど、あっちこっちにマテバシイ山が広がっているのですね。そんな中でも「子供でも登れる裏山レベル・バイクでも行ける場所に大量ドングリ」となると、これはもうかつて第20話『キイチゴのこと』で訪れた三峰神社以外、思いつく場所がありませんでした。当該レポートではちょっとしか触れませんでしたが、あそこ物凄い数のドングリが落ちているのですよ。前回では三峰神社の由緒や由来も結局判明できませんでしたし、ここは再検証を兼ねて訪れてみましょう。
▲この道路上に散在するツブツブって、まさしく→ ▲樫の実(どんぐり)なのですよ!
 高円坊の農協付近に六基ある庚申塔を目印に小道に入ると、そこはもう三峰神社の神域内。集落近辺にありながら静寂に包まれ、明らかに漂う空気感が違います。斜面にへばり付くように根を張るマテバシイの木々が覆いつくさんばかりに迫り、真昼でかつ晴天でもなお暗さが目立つその雰囲気は、まさにコトノバ世界のよう。すーちゃんの感じるようなフシギ気分を味わうことが出来るかもしれません。(※感じ方には個人差があります。)
 秋口に訪れると、ホントにドングリでいっぱいです。バイクが停められる道路上でももちろん拾えるのですが、三峰神社の本殿へと続く石段がさらにスゴイ!斜面から転がり落ちてきたドングリが集まり、ゴロゴロと降り積もっているのです。この石段、滑らかに擦り減っている上に苔むしていて、さらにはこのドングリのコーティングですから、地味にかなり危険です。くれぐれも足を踏み外さないよう、細心の注意で上がっていきましょう。
 本殿の前の平地も、見事なまでにドングリが敷き詰められています。今回は晩秋に訪れたので、残念ながら相当数が動物や虫に食べられてしまい、綺麗な状態のものが少なかったのですが、それでも帽子付きや色ツヤの良いドングリは容易に見つけられます。果たしてこうした基準が「一等級」のものなのかは解りませんが、十粒程度を頂くなら守り人さんにも文句は言われないでしょう。
▲独特な空気感が漂う。でも不気味とかではない。 ▲一等級の樫の実、見つけられるかな?
 ところでこの三峰神社の詳細ですが、初声分館の図書室で、ようやくその資料の断片を見つけることが出来ました。 『初声の歴史探訪記』という書籍で、著者は浜田勘太氏。なんと旧サイトで『雨崎神社』の詳細を調査した際にも、別書物にて大変参考にさせていただいた人物ですよ。あらためてこの方の郷土史料研究の詳細さに感服しました。ここにその一部を引用させていただきます。

【日枝神社(高円坊)】 左項目内の三峰神社該当部分より抜粋。 ※青地は私が補記した部分です。
 日枝神社の宮の外には、皇太神宮(伊勢の太神宮)が一社と、稲荷社が一社ある。太神宮は、不明であるが、もし強いてこれを求めるなら、西の宮といって、現在三峯神社と称しているお宮がある。
 これとても記録がないので、はっきりいえないが、この三峯神社の名は、以上の文献(※相模風土記稿・三浦古尋録・初声村誌・三浦郡神社由緒記のこと)には、載っていない神社名である。少なくとも昭和十年の「神社由緒記」の刊行する以前には、なかったことである。だが神明社は載っている。これは他の神社と同じように、明治三十九年の「神社統合合併」の勅令によるもので、ここでは、明治四十二年となっている。その時点で、この日枝神社に統合されたもので、その後、三峯神社を新たに、神明社の跡に祀ったものと解釈したい。(中略)
 この日枝神社に(三峯神社に関する)祭祀の記録はない。(中略)
 鳥居もなく境内にもそれを意義づけるものはない。ただ、手洗鉢の右横に「甚三良」と読める文字があり、それ以外何も見ることができなかった。(中略)階段は下が五十段、上が十段の一間巾の上り坂は古く、相当減っている。
 とにかく人跡まれな社寺と社殿である。調査不十分で、正確なことを書くことのできないことをわびる。
 いずれにしても、ここの三峯神社の所は「西の宮」といわれていた。古老の話によれば、三峯神社のことではないかという。東の宮が日枝神社で、西の宮は太神宮ということになるであろう。
『初声の歴史探訪記』/浜田勘太・著



2016/11/29