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Eメール危険な古代史=古事記と易学〜発見!想像を絶する真実の古代日本
10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは

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このページのもくじ

@不老不死・妊娠する女性・自殺・蝮(マムシ) A永遠の生命・妊娠する女性 B母権制社会とは C別天神五柱の暗号〜母を出産する娘? D高天原と天照大御神 Eなぜ倭国と呼ばれたのか F太古の日本国名はヤマトイだった! G代々の女帝たちはタラシヒコという名を継承していた H遣隋使とタリシヒコと蘇我氏 I母権制社会の忌まわしい実態

このページの内容は古代女帝たちの不老不死の秘術!古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け6〜暗号解読!として、約55分の動画にまとめてあります。

 

 これまでの暗号解読の結果によると、
 古代日本は垂仁男帝の時を除き、代々女帝が支配していた。
 それが、履中女帝のとき、神武男帝が逃げ出すことで、女帝男帝の二王朝並立となった。
 その後、推古女帝と敏達男帝の間に聖徳太子が生まれ、再び一王朝にまとまる。
 といった経過を辿ったようだ。だとしたら何故、神武男帝が履中女帝から逃げ出したのかが、気になるところである。
 探ってみると、その最大の理由が、これから話す女帝達の宗教だったのである。
 それは、現代人の想像を絶する忌わしいもので、次のような手順で解読に至った。

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@不老不死・妊娠する女性・自殺・蝮(マムシ)

 解読に至るきっかけは、暗号が即位を否定する32用明天皇の国風諡号橘之豊日(たちばなのとよひ)だった。
 橘はいわゆる「みかんの木」の類のことである。
 と同時に『日本書紀』では11垂仁天皇が田道間守(たぢまもり)なる人物に命じて、常世国(とこよのくに)(不老不死の国)に採取に行かせた「非時(ときじく)香菓(かくのみ)」という植物の別称だとある。
 したがって橘は、不老不死すなわち永遠の生命を象徴していることになるのである。
 柑橘系の果物は、特に冬場に食べるとその酸味と甘さでなんだか生き返ったような気分になるものだが、やはり古代からそんなことを感じながら食べていたのだろう。だからこそ、きっとどこかに食べると不老不死や永遠の生命を手に入れることができるみかんもあるはずだ、と、古代人たちは想像したのかもしれない。
 が、それはともかく物語では、
 田道間守が常世国からこの「非時の香菓」を持ち帰った時には、すでに垂仁天皇は崩御していた、
とある。

 続く豊日は、豊は55雷火豊(らいかほう)のこととすれば、この卦は「日中を過ぎて傾く太陽」という中心的な意味のほかに、(しん)(雷)の男性が()(火)の女性の上で震動している形だから、性交およびその結果としての妊娠を意味し、続く日は(火)を通じて女性を指すから、豊日で「妊娠する女性」という意味になる。

 「永遠の生命」と「妊娠する女性」
 何とも不思議な組み合わせだが、これが橘之豊日が示すキーワードである。
 なお、すでに7.暗号解読[3]Aの中で話したように、この豊日の二文字は、36皇極天皇の国風諡号天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)と、37孝徳天皇の国風諡号天萬豊日(あめよろずとよひ)の中にもある。
 ただし36皇極天皇は表向きにも女帝だが、37孝徳天皇のは以下のことから男性であると暗号は示していた。
 国風諡号の天萬豊日の上の天萬は、天は(けん)(天)、萬は衆多すなわち小さいものが集合したことを意味する文字だから(こん)(地)の示す事象となるので、合わせて12天地否となる。したがって豊日を否定していることになり、37孝徳天皇は「豊日すなわち妊娠する女性であることを否定する」と示していることになるので、表向きと同様、男性となるのである。

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A永遠の生命・妊娠する女性

 「永遠の生命・妊娠する女性」とは、一体何のことだろうか?
 当面の手掛かりは橘の別称とされる「非時の香菓」と、これを採取に行った田道間守という人名である。
 「非時の香菓」は、表向きには「時を選ばずいつでもある香りのよい食物」といった意味だが、時という字を易の卦に置き換えると、次のように序次21火雷噬嗑(からいぜいこう)となるのである。

 時は日土寸に分割すれば、日は離(火)、土は坤(地)、寸は「測る」という意だから()(沢)となるので、合わせて次のようになり、下の(地)(沢)の部分は、二本で一本と見なせば震(雷)だから、最終的に右の21火雷噬嗑に落ち着く。

日=(火)──→(火)
土=(地)─┬→(雷)
寸=(沢)─┘21火雷噬嗑

 この21火雷噬嗑という卦は「噛み合わせて食べる」という意味を持つので、「非時」と合わせれば「食べるに非ず」すなわち「食物ではない」と示していることになる。
 食物でないのなら一体なんなのだろう?
 とにかくこれを念頭に、下二文字の香菓も易の卦に置き換えたらどういう意味になるのか、探ってみるしかない。

 香は、禾と日に分ければ、禾は稲科を示す文字だから(雷)、日は(火)で、合わせて序次55雷火豊になる。
 おやおや、また出てきた!「性交と妊娠」の卦である。

 続く菓は、艸と果に分ければ、艸は草冠だから草を意味する(そん)(風)、果は生気が充実した木の実のことだから(天)となり、合わせて序次9風天小畜(ふうてんしょうちく)となる。
 この卦は6孝安天皇のA列である。
 6孝安天皇は国風諡号大倭帯日子(おほやまとたらしひこ)の解釈から、代々の女帝たちを一人にまとめた暗号だった。
 したがって、香菓で「古代の女帝たちの性交と妊娠」という意味になる。

 どうやら孝安女帝に何かありそうな感触だが、とすると『記』123歳崩という数字が気になる。
 この数字は、A列9風天小畜の卦の形の表現とも受け取れるが、同時に、1は(天)、2は(沢)として、序次10天沢履(てんたくり)の下から3番目の位置を指す暗号とも解釈出来る。
 その10天沢履の下から3番目の記号の位置の意義を『易経』は、次のように書いている。
 「(すがめ)にして()()るとし、(あしなえ)にして能く()むとす。(とら)()を履めば(ひと)(くら)う」
現代語に訳すと、
「目が悪いのによく見えると思い込み、足が悪いのによく歩けると思い込んでいるようなもの。従ってこのまま行けば、例えば虎の尾を踏み、それと気付かずに逃げ遅れ、虎に咬み殺され食われてしまう」
という意味である。
 これが暗号ならば、「孝安女帝としてまとめられた古代の女帝たちは、無知蒙昧だったがために、進んで虎に咥われるようなことを行っていた」と示していることになる。しかし古代日本に虎がいたとは考えられない。とするとここは、進んで死んだ、という意味に考えるべきだ。すなわち「古代の女帝達は、代々最後には自ら命を絶っていた」と示していることになる。
 永遠の生命と自殺は、何やら矛盾するかのようでもあるが、それは後で考えることにして、次に「非時の香菓」を採取に行った人物の名前、田道間守を探ってみよう。
 頭の田は(地)の示す事象で、(地)には母という意味があるから、田道で母道と置き換えられる。この母道を現代の言葉で表現すれば、母権制社会に相当しよう。

B母権制社会とは

 母権制社会とは、家督が母から娘へと相続されると共に、女性が絶対的な権力を握る社会のことである。
 母権制社会では現代とはまったく異なり、女性たちに恋愛という感覚がなく、誰彼かまわずセックスをする。
 したがって生まれてくる子の父親は判然としない。
 父と子の関係というものが存在しないのだから、男性には子の親としての地位がない。あるのは母と子の関係だけであり、必然的に家督は母から娘へと継承される。親となれない男性は、生涯母もしくは母から家督を継いだ姉妹の下で与えられた仕事をこなし、夜な夜ないろんな女性の求めに応じ、一夜を共にする。要するにフリーセックスの社会である。

 昭和の頃までは中国雲南省の奥地に、その母権制社会が存在したという。
 彼……ではなく彼女たちは、モソ族と呼ばれる少数民族で、険しい山々に閉ざされた湖の辺で、昔ながらの母権制社会を営んでいた。
 その頃は険しい山の道なき道を徒歩で何日もかけて辿り着くような場所だったので、中国政府も介入できなかったのだ。
 しかしそんな場所があることを中国政府は快く思わず、やがて自動車が通れる道を開通させた。開通すると早速中国政府は介入に乗り出し、平成に入ってしばらくした頃から徐々に近代化され、今は昔の風習も大分薄れてきたらしいが・・・。
 モソ族については易学入門\男尊女卑と女尊男卑でも触れているので、併せて御覧ください。

 一方、我々の住む社会は父権制社会と呼ばれている。
 『易経』の「序卦伝(じょかでん)」というところには、この父権制社会と男女の関係を次のように書いている。
 天地ありて然る後に男女あり、男女ありて然る後に夫婦あり、夫婦ありて然る後に父子あり、父子ありて然る後に君臣あり、君臣ありて然る後に上下あり、上下ありて然る後に礼義()くところあり。
 言葉を補って訳すと、
 男女が夫婦となり、女性が性交相手を特定することで、生まれて来る子の父親が確定し、初めて父子という関係が生じ、父子という関係があって、初めて男同士の君臣(命令する者とされる者)という関係が生じ、君臣という関係があって初めて男性の社会集団に上下関係ができ、それぞれに応じた礼義秩序が形成される。
ということである。

 キリスト教の『旧約聖書』「創世記」でも、アダムとイブが楽園から追放されるところに、
 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
とある。
 禁断の木の実を食べて羞恥心を知ったアダムとイブに対しての言葉なのだが、女性が羞恥心を持たず、誰彼かまわずセックスするのが母権制社会である。女性が羞恥心を持ち、特定の男性を求め、その人とだけセックスすることを最善だとするのが父権制社会であり、父権制社会は必然的に男尊女卑になり、女性は男性に支配されることになる。

 現代日本では、母権制社会は遥か彼方の幻影でしかないが、「序卦伝」や「創世記」が書かれた時代には、かなり身近だったからこそ、こんな示唆があるのだろう。
 さらに、司馬遷の『史記』「商君列伝第八」には、「始め秦という国は、戎翟(じゅうてき)の野蛮な教えに従い、父と子の区別もなく、同じ女性を性交相手として暮らしていた」(原文「始秦、戎翟之教、父子無別、同家而居」とあるが、これも母権制社会を描写したものと言える。
 『日本書紀』の場合も、12景行天皇の40年秋7月条に、「蝦夷(えみし)(これ)(はなは)だ強し、男女交じり居りて、父子の別無し……」とあり、蝦夷がその母権制社会であるかのような印象を与えるとともに、彼らの社会は天皇を中心とする日本社会とは異質なモノだといった風に描いている。

 さて、田道間守という名前に戻ろう。
 田道はすでにはなしたように母権制社会を指すわけだが、続く間の字は、門と日に分ければ、門は(ごん)(山)、日は(火)だから、序次22山火賁(さんかひ)に置き換わる。
 この卦は19反正天皇のA列であると共に、その国風諡号蝮之水歯別(たぢひのみずはわけ)の水歯別が示す形だから、残る蝮という文字を強調していることになる。
 蝮とはマムシのことである。
 そこでこれらの要素を合わせて解釈する。すると、
 「母権制社会は蝮(たぢひ=マムシ)が守っていた」となる。
 永遠の生命、性交と妊娠、自殺、母権制社会、蝮。
 何か見えて来そうな気配もするが、これだけではまだ判然としないので、さらに探って行くと、皇統譜の円周から外れる別天神五柱の神名に、新たなる暗号があることがわかった。

皇統譜の円周図はコチラ  乱数表はコチラ

C別天神五柱の暗号〜母を出産する娘?

 別天神五柱とは次の五柱の神であって、『古事記』ではこの五柱を別天神五柱と呼び、他の神々と区別している。名前を列挙すれば、次のとおり。

 1天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、2高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、3神産巣日神(かみむすひのかみ)、4宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、5天之常立神(あめのとこたちのかみ)

 まず取り上げたいのは、このうちの二番目に登場する高御産巣日神である。
 この神名は、高は(風)の示す事象、御は5孝昭天皇とA列との対応関係(2参照)のときと同様に数の3のこととすれば(火)、巣は(沢)(鳥の巣は、上部が窪んでいる)、日は(火)と置き換わる。
 したがって「高御=37風火家人(ふうかかじん)・産・巣日=49沢火革(たくかかく)」となり、これは次のように解釈出来る。

 37風火家人は34推古天皇のA列であり、「貞淑な女性」という意味を持つのだが、(風)の女性が(火)の火を守っているのだから、「拝火宗教の巫女(シャーマン)」のことにもなる。

 49沢火革は、『易経』のこの卦を説明する文章に、「己日(きじつ)にすなわち(まこと)とせらる(己日乃孚)」とある。この文章の意味は、「(あらた)めるには、(しん)(かのと)の二つ前の()(つちのと)に決意すれば、人々の信頼を得られる」といったことであるが、これでは暗号としての意味をなさないので、文字の意味の取り方を少し変えてみる。
 己は「土弟(つちのと)」だから(地)()土兄(つちのえ)(山))を通じて母。
 日は(火)を通じて女性。
 孚は、そもそも親鳥が爪で卵を転がしながら温め養育している様子の象形文字であって、親が子供に対する気持ちということから、信頼という意味が派生したのだとされている。この字を卦名に使ったのが61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)であり、この卦の中心的意味は「卵を暖める親鳥の愛情」といったものである。したがって、その「子供を養育する」という意味を取れば、「母なる女性を養育する」と示していることにもなる。なお、朱子学以降では、己は()(「すでに」という意)の誤りだとして、「革めることがすでに成就したときにこそ人々の信頼を得られる」と解釈するが、朱子は『記』『紀』よりはるか後の時代なので、己だとして解釈する。

 このように解釈して、残る産の字を加えてみると、
 「拝火宗教の巫女は、自分の母親となる女性を出産、養育する」と読める。
 これに準じて解釈すれば、高御産巣日神の次に登場する神産巣日神という神名も、
 「神は自分の母親となる女性を出産、養育する」と読める。
 自分の母親を出産、養育するとはどういうことだろうか。実に奇妙な話である。しかし暗号は、そんなことお構いなしに、さらに信じられないようなことを示していた。

 4番目に登場する宇摩志阿斯訶備比古遅神である。
 この神名は、万葉仮名風に文字の音を借りて書かれているので、その音から当てるべき漢字を推測しながら解釈する。
 宇摩は馬のこととすれば(天)(八卦と動物の関係による)だから、宇摩志である馬志は「(天)の志」となり、志(こころざし)は内に秘めるものだから「表に現れないもの(裏卦)を見よ」との指示と受け取れるので、宇摩志で(天)裏卦(りか)(地)を表現していることになる。
 続く阿斯訶備は、『紀』で葦牙と表記されているので、これを用いて易の卦に置き換えれば、葦はイネ科の植物であって、そのイネ科の植物を易では(雷)とし、牙は堅い物だから陽の極みとして(天)とすれば、合わせて34雷天大壮(らいてんたいそう)となり、この卦は二本で一本と見なせば(沢)となる。
 すなわち宇摩志の(地)は母、阿斯訶備の(沢)は口を意味するのであって、宇摩志阿斯訶備で母に口を向けていることの表現になり、また宇摩志はその音から「旨し」という食物を味わう時の言葉を連想させもする。とするとこの部分は、「母を食べる」と示していると言ってよいだろう。
 残る比古遅は、次のように解釈できる。
 比古は日子とすれば、国風諡号に日子とあるのは、全て女帝だったことから、女帝のこととなる。
 遅は、『紀』の田道間守を『記』では多遅摩毛理と表記していることから、道のことと考えられる。
 すると、比古遅は日子道となり、「女帝たちの風習」という意味になる。

 したがって上の部分と合わせれば、なんと!
 「女帝たちには、自分の母親を食べる風習があった」と示していることになる……。

 ん〜これにはしばし絶句した。
 カニバリズム……人食い人種ということか……。確かに自分たちの先祖が人食い人種だったとしたら、隠したくなっても当然だろう。そう言えばかれこれ30年ほど前、平成になったばかりの頃に、奄美地方出身の古代史研究家の配山実氏が、民俗学者の折口信夫の説と奄美や沖縄に伝わる風習を検証し、昔は死者を食べて供養することが行われていた、といったことを『縄文の巫女の道』(かのう書房)という本に書いていた。その後、奄美や沖縄では死者の代わりに豚肉を食べるのようになったとのこと、太古には日本全体がそうだったこと、娘が死んだ母を食べて体内に母を宿し、妊娠して出産するとそれを母の生まれ変わりだと信じていたということなど、通常の歴史学では受け入れがたい話だが、当たらずとも遠からずな予感がして興味深く読んだ記憶がある。
 古代史研究者のほとんどは配山氏の説とは真剣に向き合わなかったようだ。綺麗事の古代史に浪漫を求めるのが古代史ファンのようだから、それを打ち消されて不愉快だったのだろう。
 その配山氏が論じた世界がどうやら本当にあったということだ。いや、配山氏の説に接していなければ、この部分の解読はもっと大変だったかもしれない。食人があったかもしれないという認識がすで頭の中にあったから、この暗号を解けたという面もあると思う。
 ともあれ先に進もう。 

 その宇摩志の摩は、麻の下に手だから、34雷山小過(らいざんしょうか)(麻は(雷)、手は(山))となる。
 この卦は二本で一本と見なせば(かん)(水)になる。
 その(水)には「血」という意味がある。
 残る宇志は牛のこととすれば、牛は(地)(母)になる。
 とすると、宇摩志の三文字を合わせて「母の血」とも受け取れるので、「母の血を飲む」と示していることにもなる。

 ところで、別天神五柱のところには、「久羅下那州多陀用弊流(くらげなすただよへる)」という言葉がある。
 普通は「全てのものがクラゲのように漂っている時」といった意味に解釈されている。
 しかし久羅に倉の字を当てれば、倉は大きく畜えるところだから26山天大畜(さんてんたいちく)となるので、倉下で大畜の下の文字、すなわち「畜」を指していることになる。畜は「たくわえる」という意味もあるが同時に畜生の畜でもある。
 とすると久羅下那州多陀用弊流で「畜生同然の生活をしていた時代だった」と示す暗号と受け取れる。
 易や儒学が畜生同然と蔑む最も大きな要素は、父親が判然としないことすなわち女性が不特定多数の男性と性交をすることである。

 どうやら少し見えて来たような感触だが、続いて別天神五柱がいるとされる高天原(たかまのはら)という天上界の地名を解釈してみよう。
 高は(風)、天は(天)だから、高天で古代の女帝達をひとまとめにした6孝安天皇のA列の9風天小畜となり、原は坤(地)を通じて腹の意と受け取れるので、高天原で「代々の女帝達の腹すなわち子宮」となる。
 そしてこれに従えば、別天神五柱の最初に登場する天之御中主神は、天は高天原すなわち子宮を指すのだから、「子宮の中の主」ということで、胎児のこととなる。 

 さて、ここまでの暗号を整理しておこう。

 永遠の生命と妊娠する女性(用明天皇の国風諡号の橘之豊日)。
 古代の女帝達は、代々最後には自ら命を絶っていた(非時の香菓)。
 母権制社会は蝮が守っていた(田道間守)。
 拝火宗教の巫女は、自分の母親となる女性を出産、養育する(高御産巣日神)。
 神は自分の母親となる女性を出産、養育する(神産巣日神)。
 女帝達には、自分の母親の血を飲み、その肉を食べるという風習があった(宇摩志阿斯訶備比古遅神)。
 女性達が不特定多数の男性と性交する畜生同然の時代(久羅下那州多陀用弊流)。
 神がいる場所は女帝達の腹すなわち子宮の中(高天原)。
 神は胎児として、その子宮の中にいる(天之御中主神)。

 これらの様子からは現代とは異なる死生観が窺われるといった感触だが、ともあれこの他にも暗号は『記・紀』各所に用心深く分散して隠されていた。次にその辺を補足しよう。

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D高天原と天照大御神

 高天原という地名が暗号として創作されたものだったことから、持統天皇の国風諡号高天原広野姫(たかまのはらひろのひめ)の意味が見えた。「高天原を広い野原のように描いた姫」であって、すなわち高天原神話は持統天皇によって創作された物語だと示していたのである。
 高天原が創作なら、伊勢神宮に祭られている皇祖、天照大御神(あまてらすおほみかみ)とは何者なのか。
 それは次のようなことだった。

 天照大御神のD列13天火同人(てんかどうじん)は(天照が示す卦)、天之御中主神のB列でもあると同時に、天は(天)・御は数の3として(火)とすれば、天之御中主神の天御が示す形でもある。
 また、『紀』では天照大御神の別名として、大日孁貴(おほひるめのむち)という名を記載しているが、この中の孁という文字は、ここだけにたった一度使用されている文字である。とすると、これも暗号の可能性が高いので、上の大日と合わせて分解し、易に置き換えてみる。

 大日は、大は(天)・日は(火)だから、合わせて13天火同人となる。
 孁は、上の霝の部分は、雨と口3つである。
 雨は(水)となる。
 口は(沢)で少陰だから、口が3つで都合3本の陰すなわちH坤(地)となる。
 とすると、この両者を合わせれば、8水地比(すいちひ)になる。
 残るは、孁の下の部分の女と貴である。
 したがって、大日孁貴という名は、「13天火同人と8水地比とに深く繋がる貴い女性」という意味になる。

 13天火同人と8水地比とに深く繋がる貴い女性と言えば、暗号が皇祖だと教える孝昭女帝を連想させる。5孝昭天皇はA列が8水地比であると共に、国風諡号御真津日子訶恵志泥(みまつひこかゑしね)を「13天火同人を裏返して捩じると8水地比になる」と読めたではないか(「2.古代天皇と易六十四卦の序次」参照)。
 とすると天照大御神と天之御中主神、そして孝昭女帝の三人は同一人物であって、その実態は古代の女帝達の腹の中の胎児の象徴だったのである。
 なお表向きの天照大御神は太陽神とされているわけだが、同一人物となる5孝昭天皇の『記』83歳崩を素直に易の卦に置き換えると、36地火明夷(ちかめいい)で「明るさを(やぶ)る」だから、太陽神であることの否定になる。
 そう言えば三種の神器の一つ勾玉は胎児を象ったものだとも言われているが、このように皇祖は胎児を神格化したものだったのである。そして、これにより神武天皇の国風諡号の神倭伊波礼毘古と、日本が倭と呼ばれた意味も見えて来た。

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Eなぜ倭国と呼ばれたのか

 1神武天皇には神倭伊波礼毘古(かむやまといはれびこ)の他に、別名がいくつかある。
 その中に、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)豊御毛沼(とよみけぬの)命という名前がある(「神世記」神武生誕神話)。
 この二つの名前に使われている文字のうち、若は、草冠=艸と右に分ければ、艸は草を意味する(風)、右は陰方だからその極みの(坤)と置き換えられるので、合わせて20風地観(ふうちかん)となり、豊は55雷火豊を示すものと言える。

 なお若は、その若いという意味で易の卦に置き換えれば(地)となるが、それでは暗号としての意味が読み取れないので、ここではこの字を分解して置き換えた。
 そもそも漢字を易の卦に置き換えるときには、その意味を取るか、分解するかで違う卦になることが往々にしてある。どちらで置き換えるかは、他の暗号との兼ね合いによる。

 さて、ここに出て来た20風地観は、『易経』に「天の神道(しんとう)()る」とあることから、神道という言葉の典拠とされるとともに、右の図35のように神社の鳥居の形でもある。

 したがって若は神を意味する暗号と言える。

 そしてこの二つの名前に共通する御毛沼の部分は、文字の順を入れ替えて御沼毛とすれば、「見抜け」の意と解釈出来る。
 以上のことから、若御毛沼と豊御毛沼を合わせると、「神と55雷火豊を見抜け」と示しているものと考えられる。

 神と55雷火豊にはどういう関係があるのだろうか・・・。
 と思いつつ、1神武天皇の国風諡号、神倭伊波礼毘古を眺めていると、何やら見えて来たではないか。
 ()という字はイ(ニンベン)に委である。
 委は、禾は(雷)・女は(火)とすれば、これも合わせて55雷火豊になる。
 この卦は、もう何度も出てきたのでまたかと思うかもしれないが、とにかく本来の意味とは別に、妊娠をも意味する。
 そして、イ(ニンベン)は二画だから、この55雷火豊の下から二番目の記号に当っていることを意味する。
 当っているとは、陰陽が変化する、ということである。
 55雷火豊の下から二番目は、現在は陰だが、それが陽に変化する、ということである。
 また、下から二番目は下の(火)の真ん中すなわち女性の体の中であり、陰=無・陽=有とすれば、無から有に変化することを意味する。
 妊娠で女性の体内に無から有が生じるのなら、それは胎児である。
 要するに、倭とは胎児のことだったのである。
 したがって、万葉仮名風に書かれた伊波礼毘古を、「伊波礼」は「謂れ」、「毘古」は「日子」とすれば、神倭伊波礼毘古は、「倭の謂れは日子の神」という意味だったのである。
 昔の日本が、中国から倭という字で表現されたのは、女帝たちが胎児を神としていたからだ、ということである。

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F太古の日本国名はヤマトイだった!

 このように神武天皇の国風諡号は倭と呼ばれた理由を明かしていたのだが、「神武紀」では31年条で、日本の国の様子や呼称について触れている。浦安国(うらやすのくに)秀真国(ほつまくに)・・・。
 しかし31を易の卦に置き換えると、3は(火)・1は(天)だから、14火天大有(かてんたいゆう)になる。
 この卦は11垂仁天皇のA列である。しかし11垂仁天皇に関する記述を調べても、思い当たるものは何もなかった。とすると、別のことを示す暗号に違いない。
 考えられるのは、この卦は序次14番目だから、『日本書紀』第14巻を見よ、という指示である。
 『日本書紀』は全30巻で、第1巻は「神代・上」、第2巻は「神代・下」、第3巻は「神武天皇」・・・と続き、第30巻が「持統天皇」となっている。途中、複数の天皇を合わせて一巻としている場合もあるので、巻数は天皇の数より少ない。
 が、とにかくその第14巻を開くと、そこは22雄略天皇の巻であって、その元年条に次のような記述があった。

 あるとき雄略天皇は、一晩だけとある女性と寝た。
 しばらくするとその女性に女の子が生まれた。
 しかし、たった一晩寝ただけで妊娠したということに、自分の子ではないのではないか?と疑問を持っていた。
 数年後、その女の子も無事に成長し、ある日、歩いて庭を通り過ぎた。
 そのとき、物部目大連(もののべのめのおほむらじ)が「綺麗な女の子だ。昔の人なら、娜毘騰耶皤麼珥(なひとやはばに)(此古語未詳也)と言うところだろう。誰の子だ?」と他の群臣に問いかけた。
 すると天皇は、「なんでそんなことを問うのか?」と質問した。
 大連は「この女の子の容姿は天皇に似ている」と答えた。
 天皇は、「みな同じようなことを言うが、私はこの子の母と一晩しか寝ていない。それで妊娠するとは、信じがたい」と答えた。
 そこで大連は、「一晩に何回やったのですか?」と質問した。
 天皇は「7回やった」と答えた。
 それを聞いて大連は、「そんなにやれば妊娠しますよ」と答え、それで天皇も納得し、晴れて皇女として認められた。

 俗っぽく訳すとこんなカンジになるが、一晩に7回やった、などという露骨な話は、国の正史として相応しいのであろうか。
 明治以降の皇室なら、仮に侍従長とそんな話をしたとしても、それを記録に残すとは考えられない。しかし『日本書紀』には平然と書かれている。
 当時の性を取り巻く環境が、現代とは比較にならないくらい大らかだった証拠だろう。
 が、それはともかく重要なのはこの内容ではない。
 原文をそのまま書いた娜毘騰耶皤麼珥の7文字である。
 原文はさらに注として、此古語未詳也と、この言葉の意味はわからない、としている。
 このような注釈があるのはクサイ。
 暗号だから解読してください、と言っているようだ。
 それなら、解読してみましょう、という目でもう一度、娜毘騰耶皤麼珥を見た。

 するとまず、最後の文字は王と耳に分ければ、王(=玉)は(天)・耳は(水)だから、合わせて6天水訟(てんすいしょう)を示していることがわかった。
 訟とは「訴える」ということである。
 とすると、上六文字の娜毘騰耶皤麼までが暗号だと訴えていることになる。
 ただ、これらの文字を易の卦に置き換えても何も出てこないので、ここは易ではなく、もっと簡単に、文字の順をちょっと入れ替えることで、何か出てくるような気配である。
 娜毘騰耶皤麼のままではわかりにくいから、カタカナで書いてみよう。
 『日本書紀』の特に万葉仮名風に使われる漢字は、意味がよくわからない場合、漢音と呉音を適当に混ぜて読むのが慣例である。
 この六文字も娜(呉音=ナ・漢音=ダ)、毘(呉音=ビ・漢音=ヒ)、騰(呉音=ド・漢音=ト)、耶(呉音漢音共にヤ)、皤(呉音漢音共にハ)、麼(呉音=マ・漢音=バ)という具合であって、すべて呉音ならナビドヤハマ、すべて漢音ならダヒトヤハバとなる。しかしこれだと意味がわからないから、普通は適当に呉音漢音チャンポンにしてナヒトヤハバと読んでいる
 慣例ではナヒトヤハバだが……そうか、なるほど、麼も呉音で「マ」と読むことにして、文字の順を入れ替えれば……娜皤耶麼騰毘=ナハヤマトヒだ!
 現代仮名遣いにすれば、ナハヤマトイ=名はヤマトイ、ということになる。

 ということは、国の呼称というテーマからたどりついたのだから、このヤマトイこそが、かつての日本の国名だったのだ!
 そしてこのヤマトイは、いわゆる女王卑弥呼の邪馬台国と、音が似ているではないか。
 邪馬台国の読み方は、一般的にはヤマタイコクだが、これはあくまでも仮にそう呼んでいるだけで、実際には、ヤマタイ、ジャバトイ、ヤバタイなど諸説あって、本当のところは判然としないのだが、とにかくヤマトイという音が中国に伝わり、邪馬台という字を宛てられるようになったのではないだろうか。
 それならば、暗号解読をさらに進めて行くと女王卑弥呼のことも明らかになりそうである。
 が、それは後回しにして、もう少し女帝たちについて探って行こう。

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G代々の女帝たちはタラシヒコという名を継承していた

 ここまでの解読から、神武や履中といった漢風諡号は『紀』『記』編纂時に暗号としての役割も合わせて付けられたのだと断定せざるを得ない。もちろん国風諡号も、である。とすると、本当の名前は何だったのだろうか。それは、帯日子(たらしひこ)と付く女帝たちから導かれる。

 帯日子と付くのは、孝安女帝の大倭帯日子(おほやまとたらしひこ)、景行女帝の大帯日子(おほたらしひこ)、成務女帝の若帯日子(わかたらしひこ)である。大と若の違いは、大は複数、若は単数を意味すると考えるのが最も適切である。大が複数ということから解読した結果、景行女帝は7人をひとりにまとめたものだった。
 そこで今度は若帯日子の成務女帝について、少し探りを入れてみよう。
 「成務記」によると、13成務天皇には和訶奴気(わかぬけの)王という子が一人いるのだが、この人物はただ「生まれた」ということだけが記されているに過ぎない。子供がいるのに皇太子にもなっていない。しかも、13成務天皇の次は甥の14仲哀天皇が即位している。あれ?この和訶奴気王は、どうしたのだろう。幼少の頃に死んだのなら、そう書いてあってしかるべきであるが、そのことを含め即位しなかった経緯については一切触れていない。とするとこれも暗号に違いない。
 和訶奴気王という名前をワカヌケ、ワカヌケ・・・と、何度も読んでいると、「若を抜け」と言っている風ではないか。
 13成務天皇の国風諡号の若帯日子から若を抜くと、帯日子となる。そして、成務天皇の御陵(みささぎ)沙紀之多他那美(さきのたたなみ)とある。これの文字の順をちょっと入れ替えると、沙紀之多他美那で、先のただの御名の意味になるではないか。
 したがって帯日子というのが、代々継承していた女帝たちの名前だったのである。

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H遣隋使とタリシヒコと蘇我氏

 帯日子が女帝たちの継承していた名前だとすると、「隋書倭国伝」の記述が気になる。
 「隋書倭国伝」では、倭王の名前を多利思比孤としている。音は帯日子と似ているタリシヒコである。
 とすると、このとき隋に行ったのは女帝たちの使者だったということか。
 さらに同伝は、倭の制度の名称として「伊尼翼」「一軍尼」などがあるとしているが、尼は女性を指す文字である。
 また『日本書紀』では、このときの遣隋使の長を小野妹子(おののいもこ)だったとしているが、この名前も気になる。こんな名前だが表向きは男性ということになっていて、推古十六年条には、小野妹子が中国では蘇因高(そいんこう)と呼ばれた、とある。ただし中国側資料には小野妹子や蘇因高といった名を記載したものはない。『日本書紀』にだけある記述である。
 その小野妹子だが、ショウノイモコと読み、字音で当てれば蘇因高と似てはいるが、それならなぜ小野は訓でオノと読まず小だけ音で読んだのか、という疑問が残る。とするとこれも暗号である。そして蘇という文字が使われていることも気になる。この時代、表向きには蘇我氏が台頭している。
 蘇我氏の始まりは、蘇我稲目(そがのいなめ)である。
 稲は(雷)・目は(火)だから、稲目で55雷火豊になる。
 また、お馴染みの妊娠の卦が出てきた。
 とすると、蘇我稲目は蘇我妊娠というこで、「我、妊娠で蘇る」という意味になる。
 こう読めるからには、無論この蘇我氏も暗号すなわち架空の人物に違いない。

 そこで小野妹子と蘇因高だが、この二つの名前を易の卦に置き換えてみる。
 小と野は共に(地)だから、小野で2坤為地となり、この卦は母を意味するので、小野妹子で「母は妹の子」という意味に取れる。
 一方の蘇因高は、高という字は、易では(風)で長女を意味するから、こちらは「蘇りを長女に因む」となる。
 両者を合わせると、「蘇りを長女に因んで言えば、母は妹の子となる」と読める。
 んー、まだちょっと意味がわかりづらいが、9.暗号解読[5]の最後に示した図34の女帝側の系図を見ると、まず長女、次いで妹、次いで妹の子と、血筋的には、妹の血統で皇位が継承されているではないか。
 何やら少し見えてきた。
 これまでの解読結果を整理してみよう。

 1 永遠の生命と妊娠する女性(用明天皇の国風諡号・橘之豊日)。
 2 古代の女帝達は、代々最後には自ら命を絶っていた(非時の香菓)。
 3 母権制社会は蝮が守っていた(田道間守)。
 4 拝火宗教の巫女は、自分の母親となる女性を出産、養育する(高御産巣日神)。
 5 神は自分の母親となる女性を出産、養育する(神産巣日神)。
 6 女帝達には、自分の母親の血を飲み、その肉を食べるという風習があった(宇摩志阿斯訶備比古遅神)。
 7 女性達が不特定多数の男性と性交する畜生同然の時代(久羅下那州多陀用弊流)。
 8 神がいる場所は女帝達の腹すなわち子宮の中(高天原)。
 9 神はその子宮の中にいる胎児である(天之御中主神)。
 10 高天原を天上界の野原であるかのようにしたのは持統天皇の発案だった(持統天皇の国風諡号)。
 11 中国から倭と呼ばれたのは、胎児を神としていたからだった(神武天皇の国風諡号)。
 12 その頃の日本の名はヤマトイ国だった(雄略紀の娜毘騰耶皤麼珥という言葉)。
 13 代々の女帝たちは帯日子という名前を継承していた(成務天皇の国風諡号と子御陵の名)。
 14 私は妊娠で蘇る(蘇我稲目)
 15 蘇りを長女に因んで言えば、母は妹の子となる(小野妹子と蘇因高)

 多少重複する内容もあるが、とにかくこれだけのキーワードが出てきた。
 そこで、これらすべての意味が通るように、言葉を補いつつまとめてみることにした。
 その結果、次のような古代日本の姿が浮かび上がった。

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I母権制社会の忌まわしい実態

 古代日本は母と娘の結びつきが極めて強固な女尊男卑の母権制社会で、代々の女帝たちは拝火宗教の巫女として生き、タラシヒコ(帯日子)という名を継承し、あろうことか、食人による蘇生という儀式を行い、それで永遠の生命を得られるものと信じていた。
 彼女たちは年老いて自然死を迎えるのを恐れ、まだ元気なうちに自分の肉体を新しく作り替える儀式を行っていた。
 その儀式は、まず蝮に咬ませて自殺する。
 するとその末娘が母の屍を食べ、その血を飲む。そうすることで、末娘は自分の腹の中に母の魂が宿ったものと考えた。
 後はその宿った魂に新しい肉体を与えるために性交して胎児に作り上げ、自分の娘として出産する。
 こうして母は、蘇生したことになる。
 その際、父親を特定しようなどとは考えず、ひたすら数多くの男性と関係を持ち、妊娠の確立を高めたようだ。
 なお、生まれたのが男の子だったら、母の魂がその肉体を嫌って乗り移らなかったものとして、改めて胎児から作り直した。
 おそらく、このサイクルを永遠に繰り返すことで、永遠に生き続けられると信じ、死の恐怖から逃避していたのだろう。
 これに対し、自ら妊娠出産することが不可能な男性は、女性を妊娠させる触媒程度にしか考えられていなかったので、父親という地位は無論あるはずもなく、使い捨ての道具に過ぎなかったものと思われる。
 この時代のことを太安萬侶は畜生同然の世の中だったと評価し、中国からは、易の卦に置き換えると胎児を意味することにもなる倭という字で呼ばれ、胎児が神である以上、その胎児から生まれた女帝もやはり神であって、神のお告げが絶対的権威を持つ社会システムを形成していた。
 この時代の日本はヤマトイ国と称し、本拠地は奈良県飛鳥地方を中心とした地帯だった。

 なお、当時の男性の役割についての暗号はなかったので、中国雲南省の奥地で今も母権制社会を営む少数民族のモーソ族を参考に推測した。

 食人による蘇生なんて信じたくない気分になるが、だからこそ多くの人々が隠そうと画策したのだろう。食人の風習を持つ民族は、近代まで東南アジアでもかなりあったと聞く。しかしそれを自国の歴史として忌み嫌わず、きちんと歴史書に残した民族はどれくらいいるのだろうか・・・。

 要するに皇祖となるQ孝昭女帝はその食人の風習のあった女帝たちの蘇りの象徴でもあった胎児のことで、次のP孝安女帝はその風習が代々延々と続いていたことを示していたのである。
 とすると、その年代はいつ頃のことなのだろうか。
 それは、O崇神女帝、N垂仁男帝、M応神女帝についての暗号が教えていた。

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もくじ

☆ プロローグ  1.暗号発見までの経緯 2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137 3.神世と易六十四卦の序次〜円を描く皇統譜とその不合 4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝 5.暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命 6.暗号解読[2]持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代 7.暗号解読[3]41ピースのジグソー・パズル 8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係 10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは 11.暗号解読[7]母権制社会脱却の失敗 12.暗号解読[8]応神女帝から推古女帝までの正しい年代 13.暗号解読[9]神武男帝のクーデター、イザ!・オウ! 14.暗号解読[10]雄略男帝から聖徳太子までの真実 15.暗号解読[11]大化の改新〜父権制社会としての出発! 16.暗号が示す歴史の全容! 17.卑弥呼の正体は崇神女帝だった! 18.解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」の秘密

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最終更新日:令和05年01月24日 学易有丘会
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