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A男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 とにかくジグソーパズルというものは、まずところどころに断片的な絵柄が出来、次いでその絵柄と絵柄の間が少しずつ埋まりながら各片の位置が確定し、やがて完成に至るわけだ。この二王朝並立の皇統譜も、正に同じようなプロセスで浮上したのである。暫くはその絵柄が出来て行く様子を話そう。 ○ 神武男帝・允恭男帝・雄略男帝・履中女帝・反正女帝 神武男帝は、「履中女帝から逃げ出した」ということと、履中女帝の『記』64歳が3 一方、履中女帝と反正女帝の方には動かす暗号が見当たらないので、この二人はそのまま動かない。 允恭男帝と雄略男帝にも動かす暗号は見当たらないので、この二人の位置もそのままとなるのだが、こちらは男帝であることから、神武側に並べる。ただし、すでに話したように雄略男帝は武烈男帝と同一人物となっている。 ○ 綏靖男帝・安寧女帝・懿徳女帝 表向き二代目の綏靖男帝は、『紀』84歳が24 表向き三代目の安寧女帝と、続く四代目の懿徳女帝は、A列と国風諡号の関係が二人を深く結び付けているので(師木津日)二人一緒に動かし、その動く先は懿徳女帝の『記』45歳崩から、次のように割り出される。 ここまでで、男帝側は神武、允恭、綏靖、雄略(武烈)、女帝側は履中、反正、懿徳、安寧と、それぞれ四人ずつの順が確定したわけだが、これを踏まえて見て行くと、さらに先が、次のように判明した。 ○ 崇峻と敏達の男帝、継体・安閑・欽明・用明・推古・皇極の各女帝 雄略(大長谷若建)と武烈(小長谷若雀)の国風諡号の共通部分「長谷若」を易の卦に置き換えると、長は 対する女帝側は、安寧女帝の次は雄略男帝と同じ位置になるわけだが、雄略天皇のA列25 安閑女帝以降は、位置を動かす暗号は見当たらないので、そのまま継体、欽明、用明、推古(舒明)、皇極(斉明)の順に詰めて並べる。 ○ 孝徳男帝と聖徳太子〜天智・天武男帝 敏達男帝の元年、皇紀1232年下二桁の32は、欽明女帝の『紀』32年崩と同じ数字であると共に、3は 残る孝徳男帝は、位置を動かす暗号が見当たらないので、そのまま敏達男帝の次に詰めて並べる。 以上が履中女帝から表向きの大化改新付近までの様子だが、これにより履中女帝以前も次のように動く。 |
B分裂以前の一王朝時代○ 崇神・景行・成務・仁徳・顕宗・仁賢の各女帝と垂仁男帝 表向きの皇統譜の履中女帝以降には、まだ24顕宗、25仁賢の二人が残っているが、この二人は国風諡号とA列との関係から、安寧、懿徳両女帝と同様に二人一組で動かした上で、その順序を逆にする。 崇神、垂仁、景行、成務の『記』年齢は、百の位と十の位で、推古女帝からの女帝系の順序を示していたのである。
○ 孝昭女帝・孝安女帝 最後に残った5孝昭女帝と6孝安女帝は、動かす暗号が見当たらないのでそのまま詰めて並べる。そうすることで、A列B列と対応しなかった開化天皇の『紀』115歳と、推古女帝の『紀』75歳も(共に分注として記載されたもの)、その意味が見えて来るのである。 さて、皇位継承順がこのように表向きとは全く異なっているからには、本当は歴史がどのように動いたのか、ということを早く解明したいところだが、急いては事を仕損じる、暗号は少しずつ順を踏まえて解読して行かないといけない。 |
最終更新日:令和05年01月24日 学易有丘会
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