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8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代

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@「179万2470余歳」も暗号だった! A男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 B分裂以前の一王朝時代

このページの内容は、前の7.次の9.と合わせて古代天皇の多くは、実は女性だった!古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け5〜暗号解読として、約40分の動画にまとめてあります。

 

@「179万2470余歳」も暗号だった!

 暗号が示すのは、架空の天皇がいることや、約2/3の天皇が女帝だということだけではなかった。
 さらに名前や年齢等の数字を辿って行くと、表向きとは全く異なる系図が浮上して来るのである。それがジグソーパズル組み立ての第三段階であって、糸口は『日本書紀』、神武天皇が東征に出発する年(即位前7年甲寅(きのえとら)歳)にあった。

 「東征出発までには、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨より、今年で一百七十九万二千四百七十余歳が経過した」とする記事である。
 179万2470余歳。
 何を根拠にこのような数字を掲げたのか。普通に読んだのでは皆目見当がつかない。
 とするとこれが暗号に違いない。

 そこで、易の卦に置き換えて意味を探るのだが、今回は六桁だから、そのまますぐに六十四卦に変換というわけにはいかない。
としても易占いにそこそこ詳しければ、だったらこれを使おう、と、すぐに思いつく方法がある。中筮法で使う法則だ。
 易占いの方法は『易経』の繋辞伝というところに書いてある。これは本筮法と呼ばれる。ただしその本筮法はとても煩雑なので、簡略化した中筮法、さらに簡略化した略筮法というのがある。中筮法や略筮法は江戸時代にはすでにあったことがわかっているが、それ以前のいつ頃考案されたのかは不明である。しかし本筮法は、初めて易に接するような人たちにしてみれば、易を敬遠したくなるような煩雑さなのだ。プロの易者の中にも本筮法なんか理屈は知っているが実際には使ったことがない、という人もよくいる。私も本筮法しかなかったら易に興味を持たなかったと思う。これは『記』『紀』が編纂された奈良時代でも同様だったのではないだろうか。とすれば、名称は違うかもしれないが、当時も中筮法や略筮法があった可能性は高い。取り敢えず中筮法の法則を使って何か読み取れるか調べてみよう。読み取れればそれでよいし、ダメなら違う方法を考えればよい。と言っても易と日常的に関わっている者としては、この数字を見ながら頭の中でパパッと変換するだけだから大したことはない。なお中筮法については易学入門]占い方でこの数字を例に出して説明しているので、よろしければご覧ください。ともあれ調べた結果、このやり方で正解だった。ちゃんと暗号を読み取れたのである。
 まずは各数字を八卦に置き換え、それぞれを陰陽によって一本の記号に変換し、計六本で六十四卦とするのである。
 1と9は(天)で老陽、7は(山)で少陽、2は(沢)で少陰、4は(雷)で少陽だから、図27のように、序次10天沢履(てんたくり)と序次60水沢節(すいたくせつ)を示す。易占いの場合は、正式には「遇履之節と書いて、()(せつ)()くに()う、と読む。
 これが暗号ならば、節は節目と考えて、
 「10天沢履が節目である」
 と解釈するのが最も自然である。

 なぜこのように二つの卦を示すのかというと、次のような陰陽の法則があるのだ。
 明るい陽の昼もやがては夜になり、暗い陰の夜もやがては朝になるように、陰陽は常に一定ではない。陰は、陰気が少ないうちは陰のままだが、限界まで増えると次には陽に反転する。同様に陽も、陽気が少ないうちは陽のままだが、限界まで増えると次には陰に反転するのである。
 したがって、陽だけで構成された卦は陽が限界までに極まった形だから、次には陰に変わり、陰だけで構成された卦は陰が限界までに極まった形だから、次には陽に変わる、と想定して、老陰老陽の位置の陰陽を逆にした卦も合わせて示すのである。
 ちなみに占いの場合は、最初に得た卦を遇卦(ぐうか)、陰陽が極まって変化した卦を之卦(しか)と言うのだが、それは古来、占い得た結果はこのように「遇履之節」と書き、「履の節に()くに()う」といったように読む。そもそもは「五経」のひとつ『春秋左氏伝』などに、当時の占い得た卦についてこのように書かれているから、それを踏襲しているのだ。

 さて、「10天沢履が節目」とは、どういうことだろうか。
 この卦は7孝霊天皇のA列である。しかしこの人物は持統天皇の墓所についての暗号であって実在はしない。とすると、ここで示すのは、漢風諡号に履の字が付く人物すなわち履中天皇ではないだろうか。いや、そうに違いない。他に、結びつく人物はいない。
 とすると、「歴史上の重要な節目は履中天皇である」と教えているのに他ならない。

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 一方『古事記』には、神武天皇東征について次のような記述がある。
 神武天皇は九州高千穂(たかちほ)を出発すると、筑紫(つくし)岡田(おかだ)宮というところに1年、阿岐(あき)多祁理(たけり)宮に7年、吉備(きび)高島(たかしま)宮に8年滞在してから倭に入った。
 この記述は、『日本書紀』がこの間を4年(即位前7年甲寅歳に出発し、前3年戊午(つちのえうま)歳に畿内に至る)としているのに矛盾し、矛盾は暗号と受け取れるので、各滞在年数を順に並べて1・7・8として易の卦に置き換える。
 すると、1は(天)・7は(山)だから、1と7を合わせて序次33の天山遯(てんざんとん)となり、残る8は、その卦の下から8番目の位置を指していることになる。ただし、記号は全部で6本だから、普通に考えれば8番目はない。
 そんなときは、8を6で割り、下から二番目の記号を指しているものとするか、六十四卦の序次で次の卦となる34雷天大壮(らいてんたいそう)の下から二番目を指すものとする。
 なお、ある位置を指すというのは、その位置の記号の陰陽を変化せよ、と示しているか、その位置の意義を示しているかの、どちらかであるのだが、検証の結果、ここでは陰陽の変化をもって暗号としているのだった。

 その陰陽の変化は、前者の場合は33天山遯の下から二番目が変化することを意味するので、最終的に44天風姤を示していることになる。
 後者の場合は34雷天大壮の下から二番目が変化することを意味するので、最終的に55雷火豊を示していることになる。
 図28は、この関係を示したものである。

 遯は「逃げる」、姤は女帝だから、「女帝から逃げた」あるいは「女帝のところへ逃げた」という意味になる。
 そして先ほどの節目となる18履中天皇は、すでに話したように女帝であるとともに、「履中記」には、後者の55雷火豊(らいかほう)の豊という字と関連する興味深い記事がある。

 この時代は、宴会のことを豊明(とよのあかり)と言った。今でも宮中に豊明殿(ほうめいでん)という宴会場があるのはその名残である。
 問題の記事の内容は、
 とある豊明の夜、履中天皇が泥酔したのをよいことに、墨江中(すみのえのなかつ)王が屋敷に火を放ち、履中天皇を殺そうとしたのだが、天皇は運良く助け出された、
 ということである。
 何やらこの事件はクサイではないか。
 暗号が示すキーワードは、履中が節目、女帝、逃げる、豊、である。
 とすると暗号は、
 神武天皇は、豊明(宴会)後に泥酔した履中天皇(女帝)を殺そうと、屋敷に火をつけて逃げた、
 と言っているようである。
 また、18履中天皇は、『記』に64歳で崩御とあるのだが、この数字を素直に易の卦に置き換えると、6は(水)・4はD(雷)だから、A列では1神武天皇(4山水蒙(さんすいもう))の直前の3水雷屯(すいらいちゅん)となる。

 表向きの物語では、1神武天皇から18履中天皇まで約千年という厖大な年月の隔たりがあるが、この暗号群に従えば、「神武天皇は、履中天皇から逃げた人物」ということになる。
 なお、豊明(宴会)後に泥酔して寝込んだ履中天皇を殺そうとして屋敷に火を放った、ということと神武天皇がどう関係するのかは、もう少し解読を進めて行かないと確定できないので、ここではこれ以上触れず、後で明らかにする。
 今は、各天皇の時代を確定することが先決であり、これまでの暗号だけで、神武天皇は履中天皇の次の位置になることは間違いない。
 そこで、神武天皇を履中天皇の次の位置に移動させるのだが、するとこれに連れて、他の天皇の位置も必然的に移動することになり、その結果として、なんと!あろうことか、二王朝並立の皇統譜が姿を現したのである。
 と、ここで感嘆を込めて言っても、すでに示している「図26 41ピースのジグソーパズル」でネタバレしているわけだが・・・。

A男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代

 とにかくジグソーパズルというものは、まずところどころに断片的な絵柄が出来、次いでその絵柄と絵柄の間が少しずつ埋まりながら各片の位置が確定し、やがて完成に至るわけだ。この二王朝並立の皇統譜も、正に同じようなプロセスで浮上したのである。暫くはその絵柄が出来て行く様子を話そう。
 なお、今後は男女の別が重要になるので、表向きの記述を引き合いに出す場合を除き、原則的として男帝、女帝と表記する。

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○ 神武男帝・允恭男帝・雄略男帝・履中女帝・反正女帝

 神武男帝は、「履中女帝から逃げ出した」ということと、履中女帝の『記』64歳が3水雷屯(A列で神武天皇の前の位置)を示すことから、履中女帝の次の位置に、反正女帝と対峙する形で置く。

 一方、履中女帝と反正女帝の方には動かす暗号が見当たらないので、この二人はそのまま動かない。

 允恭男帝と雄略男帝にも動かす暗号は見当たらないので、この二人の位置もそのままとなるのだが、こちらは男帝であることから、神武側に並べる。ただし、すでに話したように雄略男帝は武烈男帝と同一人物となっている。

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○ 綏靖男帝・安寧女帝・懿徳女帝

 表向き二代目の綏靖男帝は、『紀』84歳が24地雷復(ちらいふく)となるから、A列がこの卦に当たる21安康天皇の位置となる。

 表向き三代目の安寧女帝と、続く四代目の懿徳女帝は、A列と国風諡号の関係が二人を深く結び付けているので(師木津日)二人一緒に動かし、その動く先は懿徳女帝の『記』45歳崩から、次のように割り出される。
 45を易の卦に置き換えると、4は(雷)・5は(風)だから、前帝である安寧女帝のB列32雷風恒(らいふうこう)となる。
 この卦は同時に29宣化天皇のA列でもあるので、「宣化天皇を見よ」との指示となる。
 そこで、宣化天皇を見ると、『紀』73歳崩とあるが、この天皇は架空の人物である。とすると、この73は懿徳女帝に対する暗号に他ならない。
 73を易の卦に置き換えると、7は(山)・3は(火)だから、22山火賁(さんかひ)になる。
 したがって、懿徳女帝の前帝は73すなわち22山火賁の位置だと告げていることになり、それはA列では反正女帝に当たる。
 以上のことから、懿徳女帝は、反正女帝の次の位置に動く。そして、懿徳女帝の国風諡号の下の方の鉏友(すきとも)は、「友である安寧女帝と位置を逆にせよ」(鉏は土をひっくり返す道具)という指示と受け取れるので、安寧女帝は懿徳女帝の前から後へと、順序が逆転して続くことになる。

 ここまでで、男帝側は神武、允恭、綏靖、雄略(武烈)、女帝側は履中、反正、懿徳、安寧と、それぞれ四人ずつの順が確定したわけだが、これを踏まえて見て行くと、さらに先が、次のように判明した。

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○ 崇峻と敏達の男帝、継体・安閑・欽明・用明・推古・皇極の各女帝

 雄略(大長谷若建)と武烈(小長谷若雀)の国風諡号の共通部分「長谷若」を易の卦に置き換えると、長は(風)・谷は(沢)だから長谷で61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)となる。
 この卦は二本で一本とすれば(火)となる。
 残る若は、老を陽とした時の陰だからその極みの(地)となるので、長谷と合わせて35火地晋(かちしん)となる。  この卦は、A列では崇峻天皇の前の位置である。
 また武烈天皇は、『記』に在位8年とある。編年体ではない『古事記』で、一部の天皇だけ在位年数を書くのはどういう意味があるのか?これも古代史研究者が謎とする部分でもあるが、だったらこれも暗号の可能性が高い。そこでこの8という数字にちなみ、表向きの皇位継承順をここから数えてみる。すると崇峻男帝が丁度8番目となる。
 武烈1、継体2、安閑3、宣化4、欽明5、敏達6、用明7、崇峻8である。
 これは、武烈の次は崇峻だと教えているのに他ならない。
 したがって雄略(武烈)男帝の次は崇峻男帝となる。

 対する女帝側は、安寧女帝の次は雄略男帝と同じ位置になるわけだが、雄略天皇のA列25天雷无妄(てんらいむぼう)は、安閑天皇の元年となる皇紀1194年下二桁が示す卦でもあるので(9は(天)、4は(雷))、そこは安閑女帝の位置となる。

 安閑女帝以降は、位置を動かす暗号は見当たらないので、そのまま継体、欽明、用明、推古(舒明)、皇極(斉明)の順に詰めて並べる。
 ただし用明は、元年の皇紀1246年下二桁が、4は(雷)・6は(水)だから、40雷水解(らいすいかい)を示し、この卦は解消を意味する。
 したがって、実在はするが即位は解消すなわち皇女のまま即位することなく薨去した、ということになる。
 また、すでに話したように、推古と舒明は同一人物、皇極は斉明としての重祚はなかったと暗号は示している。
 どうやら女帝側は皇極まで到達したが、これによって男帝側も崇峻、敏達、孝徳という順番が決まって来る。

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○ 孝徳男帝と聖徳太子〜天智・天武男帝

 敏達男帝の元年、皇紀1232年下二桁の32は、欽明女帝の『紀』32年崩と同じ数字であると共に、3は(火)・2は(沢)だから、38火沢睽(かたくけい)という卦を示し、睽は「背く」という意味である。
 したがってこの数字は、「敏達男帝と欽明女帝は背き合う位置である」という暗号と受け取れるので、欽明女帝と対峙する位置が敏達男帝の位置となり、それは丁度崇峻男帝の次に当たる。

 残る孝徳男帝は、位置を動かす暗号が見当たらないので、そのまま敏達男帝の次に詰めて並べる。
 なお、孝徳男帝のA列40雷水解は解消という意味を持つので、用明皇女がそうであるように、この人物も実在はするが即位は解消となる。
 表向きのこの付近の時代で即位に至らなかった重要人物と言えば、孝徳という漢風諡号と徳の字が共通する聖徳太子である。
 すなわち、聖徳太子とは、孝徳男帝の真実の姿を伝えるための暗号だったのである。
 聖徳太子と言えば「十七条の憲法」が有名だが、その十二条には「国に二の君非ず。民に両の主無し。」という文章がある。表向きには蘇我氏の勢力を睨んでのことと理解すべきところだが、これも暗号であり、並立していた二王朝の統一への動きを示唆するものだったのである。
 暗号が示す歴史でも、孝徳男帝の後は、天智、天武と続く一王朝だけだからである。この二人には、位置を動かす暗号は見当たらないのである。

 以上が履中女帝から表向きの大化改新付近までの様子だが、これにより履中女帝以前も次のように動く。

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B分裂以前の一王朝時代

○ 崇神・景行・成務・仁徳・顕宗・仁賢の各女帝と垂仁男帝

 表向きの皇統譜の履中女帝以降には、まだ24顕宗、25仁賢の二人が残っているが、この二人は国風諡号とA列との関係から、安寧、懿徳両女帝と同様に二人一組で動かした上で、その順序を逆にする。
 動く先は、顕宗女帝に『記』在位8年とあることから、この8という数にちなみ、ここから遡って数えて8番目の仁徳女帝の次の位置となる。
 仁徳、履中8、反正7、允恭6、安康5、雄略4、清寧3、顕宗2、仁賢1、である。
 したがって仁徳、仁賢、顕宗の順になり、その仁徳女帝の位置は、残る崇神女帝、垂仁男帝、景行女帝、成務女帝、応神女帝と共に、『記』年齢や『紀』崩年の数字を並べてみることで、次のように判明する。

 崇神、垂仁、景行、成務の『記』年齢は、百の位と十の位で、推古女帝からの女帝系の順序を示していたのである。
 崇神は168歳だから16番目、垂仁は153歳だから15番目、景行は137歳だから13番目、成務は95歳だから9番目である。
 さらに、応神は、『紀』に41年崩とあるが、この数字を逆にすると14となるので、14番目に置き、仁賢は『紀』に11年崩とあるので、11番目に置けば、綺麗にまとまる。
 これを図示すれば、次の図29のようになる。

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○ 孝昭女帝・孝安女帝

 最後に残った5孝昭女帝と6孝安女帝は、動かす暗号が見当たらないのでそのまま詰めて並べる。そうすることで、A列B列と対応しなかった開化天皇の『紀』115歳と、推古女帝の『紀』75歳も(共に分注として記載されたもの)、その意味が見えて来るのである。
 開化天皇の115歳は、1は(天)だから、上二桁の11で序次1の乾為天(けんいてん)を示し、残る5は、そこから5番目の位置、と読めるので、
 表向きの皇統譜の、開化天皇が5番目となる位置が、真実の皇統譜の出発点である、
 と示していることになり、そこは丁度、孝昭女帝の位置となる。
 したがって暗号は、皇祖は孝昭女帝だと示しているのである。
 一方、推古女帝の75歳は、7は(山)・5は(風)だから、18山風蠱(さんぷうこ)となるが、この卦は序次の18番目、孝昭女帝から数えると推古女帝も18代目となる(用明皇女を除く)。

 さて、皇位継承順がこのように表向きとは全く異なっているからには、本当は歴史がどのように動いたのか、ということを早く解明したいところだが、急いては事を仕損じる、暗号は少しずつ順を踏まえて解読して行かないといけない。
 そこで、次の手順として、各人の親子関係を明らかにすることに進む。

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もくじ

☆ プロローグ  1.暗号発見までの経緯 2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137 3.神世と易六十四卦の序次〜円を描く皇統譜とその不合 4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝 5.暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命 6.暗号解読[2]持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代 7.暗号解読[3]41ピースのジグソー・パズル 8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係 10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは 11.暗号解読[7]母権制社会脱却の失敗 12.暗号解読[8]応神女帝から推古女帝までの正しい年代 13.暗号解読[9]神武男帝のクーデター、イザ!・オウ! 14.暗号解読[10]雄略男帝から聖徳太子までの真実 15.暗号解読[11]大化の改新〜父権制社会としての出発! 16.暗号が示す歴史の全容! 17.卑弥呼の正体は崇神女帝だった! 18.解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」の秘密

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最終更新日:令和05年01月24日 学易有丘会
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