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Eメール古事記と易学 発見!想像を絶する真実の古代日本
1.暗号発見までの経緯

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〇 古代史と易

 『日本書紀(にほんしょき)』には、西暦紀元前660年に初代天皇として神武(じんむ)天皇が即位した、とある。しかし普通はこの記事を歴史的事実だとは考えない。
 そもそもが古代天皇の百歳を超える非常識な長寿や、寓話のような物語に彩られている本である上に、すでに明治時代の那珂(なか)通世(みちよ)によって、神武天皇即位年は机上で算出された架空の年代だ、と指摘されてもいるからである。
 その指摘は次のようなものである。

  1.  神武天皇の即位年は辛酉歳(かのととり )聖徳太子(しょうとくたいし)斑鳩(いかるが)宮を建立したのはそれから丁度1260年後の辛酉歳なっている。

  2.  中国古典のひとつ『易緯(えきい)』には、その辛酉歳に革命(変革)が起き、さらには1260年後の辛酉歳には大きな革命が起きる、とする予言が書かれている。

  3.  平安時代中期から江戸幕末まで、多くの辛酉歳には、その予言による変革の災いを回避するために改元が行われていた。

 以上のことから神武天皇の即位年はこの辛酉歳の予言を応用し、聖徳太子が斑鳩宮を建立した年から1260年を逆算して設定された架空の年代だと考えるのが妥当である。
 この予言のことは辛酉を音読みして、辛酉(しんゆう)革命思想あるいは讖緯(しんい)説などと呼ばれている。
 讖緯説とは難解な言葉だが、『易緯』という書物に書かれた(しん)(予言)だからそう呼ばれるのである。その『易緯』というのは、易と五行の関係に基づいた未来予測などを書いたもので、漢の時代にこの世の中を布に例えて、横糸(緯)となる書物として作られたものである。
 ちなみに縦糸となる書物は経(「きょう」または「けい」)と呼ばれ、『易経』を始めとする五経などである。
ときどき仏教のお経と混同されることもあるが、中国古典の五経すなわち『詩経』『書経』『春秋経』『礼経』『易経』は、言わば学問の書であって、仏教のお経とはまったく異なる性質の書物なのである。

 さて、その讖緯説の辛酉革命思想だが、これは易六十四卦(えきろくじゅうしか)の中の49沢火革(たくかかく)と50火風鼎(かふうてい)という二つの()から導き出されたもので、このことは室町時代の一条兼良(いちじょうかねら)も指摘している。
 とすると、この「易」を基にした予言を使って神武天皇即位年を算出したわけだから、当然『日本書紀』の編者は「易」に深かったはずである。
 事実、ほんのちょっと『日本書紀』のページをめくっただけでも、「易」の匂いがプンプンして来る。
 初代天皇の神武、13代天皇の成務(せいむ)という諡号(しごう)は『経』(えききょう)繋辞上伝(けいじじょうでん)(易の概論的なことを述べた文章)の
 「それ(えき)(もの)(ひら)(つと)めを()し、天下(てんか)(みち)(おお)う(夫易開物成務(○○)、冒天下之道)……〈中略〉……(いにしえ)聡明叡智(そうめいえいち)神武(じんむ)にして(ころ)さざる(もの)か(古之聡明叡智、神武(○○)而不殺者夫)」
に出てくる言葉だし、4代天皇の懿徳(いとく)という諡号も『易経』の9風天小畜(ふうてんしょうちく)という卦の意義を説明する象伝(しょうでん)という文章
 「君子(くんし)もって文徳(ぶんとく)()くす(君子以()())」
から取り出して作ったものに違いない。

 ところが多くの古代史研究者は易のことは棚上げにし、こういった事実をまったく顧みようとしない。易者としては実に悲しい。
 が、実をいうと私自身も、これまではこれ以上深く追及しようとは思わなかった。私もだが多くの古代史研究者にしても、これ以上深く追求する手がかりがなかったのだ。それがプロローグでも触れたように、普段は見過ごしがちな記事の中に、易占いがそこそこできる程度の易の知識があれば知り得るとんでもない秘密が埋め込まれていることを偶然見つけたのだった。そしてこれこそが古代史解明の手がかりだと確信した。
 しかし易をまともに取り上げた古代史の本が一冊もないことで明らかなように、多くの古代史研究者は易のことをほとんど知らない。逆に、易に詳しい人は占いが当たるか否かといったことにしか興味がなく、古代史は蚊帳の外の場合がほとんどだ。だとすると、誰かに協力を頼むことは不可能だ。
 仕方がないので、自分の力で易を念頭に丁寧に読んでみることにした。すると、とんでもない事実が浮かび上がって来たのだ。 
 『古事記(こじき)』と『日本書紀』は、易の卦を乱数表のように利用した暗号文書であって、両書を合わせて始めて解読できる仕組みになっていたのである。
 暗号?乱数表?
 多くの方々にとっては、想定外の展開だろう。
 私自身、これまで比喩として暗号という言葉が使われることはあっても、本物の暗号文書だなんてことは、まったく思ってもみなかった。
 そこで、まずはその暗号体系発見に至る経緯から話を始めたい。

○ 蒙76で暗号発見!

 最初に気付いたのは、プロローグでもちょっと触れた『日本書紀』の神武天皇即位前2年己未(つちのとひつじ)歳3月辛酉朔丁卯(かのととりのつきたちひのとう)(7日)条である。
 ここには東征に成功した神武天皇が、橿原(かしはら)(現・奈良県橿原市)に都を造ろうと決意する(のりごと)が書かれているのだが、その中の「今運屯蒙(ちゅんもう)(わかくくらき)に()ひて」という言葉である。
 屯蒙とは、易六十四卦の序次3番目の水雷屯(すいらいちゅん)と4番目の山水蒙(さんすいもう)のことである。
 普通は前後の文脈から、「東征はしたものの未だ国家としての体裁は整わず、今の世の中を易の卦に例えれば、若稚(わか)く暗いことを象徴する3水雷屯と4山水蒙に当たる」という意味に解釈されると共に、『日本書紀』編者が文章を飾るための単なる漢籍からの引用の一つに過ぎないと考えられている。確かに各種漢籍からの引用は数多く、わざわざこんな言葉を取り上げる意義は見出せないとしても不思議ではない。
 しかし、次のような易の基本である八卦と数の関係、
  (けん)(天)1or9、()(沢)2、()(火)3、(しん)(雷)4、
  (そん)(風)5、(かん)(水)6、(ごん)(山)7、(こん)(地)8or0、
を、思い出してみると、この屯蒙の蒙には、何か特別なメッセージが込められている!という感触を得る。
 4山水蒙は、(山)の下に(水)がある形で、それぞれが示す数字は(山)が7、(水)が6だから、二桁の数で表現すれば76となる。
 一方、神武天皇は即位から76年目に崩御した、と書かれている。
 おやおや、蒙と神武天皇崩御年は、76という数字で結ばれているではないか。

 『日本書紀』に書かれていることの全てが、誰しも認めざるを得ない歴史的事実であるのなら、この数字の一致は単なる偶然かも知れない。しかし数多くの天皇の百歳を越える不自然な長寿や、寓話と言わざるを得ないような記述も随所に見受けられ、とても史実をありのままに書いたとは言えない。
 まして普通は、古い時代より新しい時代のほうが詳しくわかるはずなのに、『古事記』『日本書紀』の各天皇の崩御時の年齢は、両書で異なる場合がほとんどであるとともに、時代が新しくなるほど記載が少ない、という不思議な構造をしてもいる。
 とすると、これは作為であって、「神武天皇の時代を4山水蒙とし、崩御(ほうぎょ)の年はこの卦の示す数字に基づいて設定したものである」ということを、「易」を知る読者には教えようとしているのではないだろうか。

 とは言っても、これだけではその意図が判然としない。
 もしそうなら、他にも「易」と関連する注目すべき記述があるはずである。
 そう考えて探そうとした。
 しかし、どこをどう探せばよいのか判然としない。
 仕方ないから、取り敢えず『日本書紀』の目次を開き、各天皇の名前を眺めていた。
 と、「あっ!」と叫んでしまうような名前があった。
 推古(すいこ)天皇である。
 これが第二の手掛かりに違いない。

〇 推古天皇は風火家人だった!

 現代の一般的な古代史研究は、年代を考えるとき西暦を使う。戦後のGHQによる教育への干渉により、皇紀を使うことを否定されたからだと聞く。アメリカを崇拝し、決してアメリカに反抗しない国にするためには独自の暦法ではなくアメリカと同じ西暦を使わせることが大事なのであって、全世界の人々に西暦を使わせれば白人優位の世界秩序が揺るぎないものになると考えてのことだ、と、かつて教わったことがある。その話を聞いたせいもあるが、私は日本の特に『古事記』『日本書紀』を読むためには西暦は却って邪魔になると常々思っていた。中途半端なところから紀元後、紀元前となり、歴史を計る物差しとして不都合だからだ。まして皇紀元年に神武天皇が即位したということが歴史的事実であろうとなかろうと、この本を書いた人の頭の中に西暦という物差しはなかったはずである。とすれば、唯一の物差しとなり得るのは皇紀しかない。もちろん皇紀という呼称は明治になってから西暦に対抗して作られたものであり、江戸時代までは単に神武天皇即位より〇〇〇〇年といった表現をしていたのだが、とにかくその皇紀で歴史を計ったほうが年代の距離感を掴みやすい、と考えたのである。そこでこの暗号解読でも年代は皇紀を使って把握することにした。追々明らかにするが、偶然にもそれがとても大事なことだったのだ。皇紀元年すなわち神武天皇即位年は西暦紀元前660年である。

さて、推古天皇の話に進もう。

  1. 推古天皇の『日本書紀』での国風諡号(こくふうしごう)豊御食炊屋姫(とよみけかしぎやひめ)、元年は、西暦593年だから660を加算して皇紀に直せば1253年となる。

  2. 豊御食炊屋姫を訳せば、「豊かな食事を作る家に居る女性」という意味になる。
    この意味を持つ易の卦は37風火家人(ふうかかじん)である。
    この卦は(風)の女性が(火)の火を守っているイメージであって、「外で働く男性のために、家の中で火を守りながら食事を作って待っている貞淑な女性」という意味を持つ。
    だから、「家の中にいる人」という意味で、家人という卦名になったのである。

  3. 神武天皇の4山水蒙が76という数字の組み合わせを示すのと同様に、この37風火家人は53を示すが、推古天皇の元年は皇紀1253年であり、その下二桁は53である。

 これはまるで、「推古天皇の時代は37風火家人である」と教える暗号のようではないか。
 そして推古天皇は、神武天皇から数えて34代目(『日本書紀』では神功(じんぐう)皇后も天皇と同格として扱っているので、数に入れる)、易六十四卦の序次では、37風火家人は4山水蒙から数えてこれまた34番目となる。
 したがって神武天皇と推古天皇は「六十四卦の序次」で結ばれているのだ。

 暗号?結ばれている?そんなの偶然かこじつけだ!という声も聞こえてきそうだ。確かに易を知らなければ、この事実を鵜呑みにはできないかもしれない。しかし易を知れば知るほど、こんなことは偶然にはあり得ないと言わざるを得ないのだ。そして偶然ではなく故意でこうなっているのならば、我々が知らない何かとんでもないことが、その裏に隠されている気配が漂っている感触である。 要するに古代天皇の系譜と「六十四卦の序次」との間には、何やらただならぬ関係がありそうなのである。

 そこで、他の天皇についても、一人ずつチェックしてみたのだが、その結果『日本書紀』最後の持統天皇まで、その多くが「六十四卦の序次」でそれぞれの位置にある卦と対応関係を持っていることが判明した。
 と同時に、これとは位置をずらしたもう一つの配列の存在も見つかった。

 何なんだこれは!一般に継体天皇以降の歴史は多少の潤色はあるにしても概ね事実だとされているわけだが、この対応関係がある以上、持統天皇までのすべてが事実だとは言えないことにもなる。そんなことがあってよいのだろうか?しかし現実にはそう考えるほうが自然である。が、ここで先走ってだらだら感想を述べていても仕方ないので話しを戻そう。

〇 持統天皇と神功皇后の位置

 神武天皇を4山水蒙、推古天皇を37風火家人とする配列を、仮にA列と呼び、もう一つの配列をB列と呼ぼう。
 B列は『日本書紀』最後の持統(じとう)天皇に当たるA列の44天風姤(てんぷうこう)を、神功皇后(A列では山風蠱(さんぷうこ))の位置に移動し、そこから前後に「六十四卦の序次」を並べたもので、以下の要素が、「神功皇后の位置は44天風姤でもある」と示唆しているようだったから、そうしたのである。

 持統天皇のA列は44天風姤であり、この卦は「力の強い女性」すなわち女帝を暗示するので、この天皇が女帝であることと一致する。

 姤とは遇うという意で、上五陽の男性ばかりの最下に一陰の女性がやって来て出会った形。だから姤と名付けられた。そして男性ばかりの中に入り込んで平然としているのだから、この一陰の女性はとても強い力を持っているわけで、女傑、女帝と形容してもよい人物である。だから「力の強い女性」という意を持つ。
 「力の強い女性」と言って見逃せないのは、何を置いても天皇と同格だが天皇ではない人物、神功皇后である。
 『日本書紀』全30巻のうち、数人まとめて1巻とされている天皇もいる中、神功皇后だけで1巻を費やしているのだ。
 物語では、神功皇后は朝鮮征伐を行うなど日本古代史上で最大の功績を挙げた女性である。
 明治14年には初めての肖像入り紙幣に採用され、その後も高額切手の肖像になった人物である。無論、肖像と言っても当時のお抱え西洋人が想像で描いたもので、容姿は西洋の女王であった。wikipediaの紙幣の写真
 しかし、冷静に古代史を検証すれば、その存在自体が極めて疑わしいので戦後の学校教育ではまず教えなくなった。

 が、それはそれとして『日本書紀』では、その神功皇后は夫の14代仲哀(ちゅうあい)天皇が崩御すると、代わって政権の座に就き、息子(15代応神(おうじん)天皇)が成人してもなお譲らず、天寿を全うする百歳までの約69年間、国を治めたとある。

 44天風姤の姤の字から女偏を取れば后となるが、神功皇后は天皇ではなく皇后である。

 神功皇后の国風諡号は、『古事記』では息長帯比売(おきながたらしひめ)とある(『日本書紀』では気長足姫と表記)。

 息長の二文字を易の卦に置き換えるとするなら、共に(風)の示す事象となる(息は鼻から出入りする風、長は(風)の上二陽の上昇と下一陰の下降が、上下伸長を意味することによる)。
 したがって息長で57巽為風(そんいふう)という卦を示していることになる。

 息長に続く(たらし)の字は、腹に絞める(おび)のことだとすれば、腹の位置となる下から4番目の爻を陰から陽に変じよとの指示になる(卦を人体に擬えるときは最下を足、二番目を脛、三番目を股、四番目を腹、五番目を胸、最上を頭とすると共に、帯を締めない状態が陰、締めた状態が陽となる)。
 これをまとめると図1のように、「57巽為風の下から四番目の変」すなわち44天風姤を示していることになる。

 そこで、これらの関係を表にまとめてみた。それが表T 古代天皇と易六十四卦の序次(別ウィンドウで開きます)である。ただしスマホだと画面が小さく見づらいので、可能であればパソコンで閲覧されることをお勧めします。

 この表は、A列・B列と各天皇との位置関係をまとめたもので、左から漢風諡号、『日本書紀』による各天皇の元年を皇紀で算出したものとその年の干支、A列、国風諡号、『古事記』に記載された崩御時の年齢、『日本書紀』に記載された崩御時の年齢、各天皇の元年より数えた崩年、B列の順に並び、赤字部分がそれぞれの位置にあるA列の卦と対応する箇所であって、緑字部分B列との対応を示す箇所である。
 ただし、各天皇の国風諡号で対応関係が見られるのは、大多数が『古事記』のそれであって、『日本書紀』のは推古天皇他一部に過ぎないことから、原則として国風諡号は『古事記』のものを用いる。暗号解読を進めて行くと、経験的に明らかになるのだが、『日本書紀』の国風諡号の多くは、対応関係攪乱を目的に文字を替えているのだった。

 ※ 天皇の名前には国風諡号と漢風諡号の二種がある。漢風諡号は『日本書紀』の国風諡号に添える形で小さく表示されているもので、『古事記』では国風諡号のみで表記されている。ただし多くの国風諡号は『古事記』『日本書紀』で使用される文字が異なり、例えば神武天皇(漢風諡号)の国風諡号は神倭伊波礼毘古(『古事記』)・神日本磐余彦(『日本書紀』)、安寧天皇は師木津日子玉手見(『記』)・磯城津彦玉手看(『紀』)といった具合である。なお『日本書紀』の注釈書『釈日本紀』によると、漢風諡号は奈良時代後期に淡海三船なる人物が制定したとされているが、暗号解読の結果、当初より『日本書紀』にあったことが確認された。『釈日本紀』の注釈のその部分は暗号攪乱の目的で作られたものだろう。そもそも『釈日本紀』は鎌倉時代の本であってその注釈が無条件で正しいとは言えないものである。
 ※※ 『日本書紀』で言う元年とは、その天皇の御世が始まる年のことで、多くは前帝崩の翌年に即位とし、その即位年を指すのだが、例外もあり、例えば推古天皇の場合は前帝崇峻天皇崩御の年の暮れに即位、その翌年を元年としている。

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もくじ

☆ プロローグ  1.暗号発見までの経緯 2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137 3.神世と易六十四卦の序次〜円を描く皇統譜とその不合 4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝 5.暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命 6.暗号解読[2]持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代 7.暗号解読[3]41ピースのジグソー・パズル 8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係 10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは 11.暗号解読[7]母権制社会脱却の失敗 12.暗号解読[8]応神女帝から推古女帝までの正しい年代 13.暗号解読[9]神武男帝のクーデター、イザ!・オウ! 14.暗号解読[10]雄略男帝から聖徳太子までの真実 15.暗号解読[11]大化の改新〜父権制社会としての出発! 16.暗号が示す歴史の全容! 17.卑弥呼の正体は崇神女帝だった! 18.解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」の秘密


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最終更新日:平成30年03月28日 学易有丘会
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