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Eメール古事記と易学

発見!想像を絶する真実の古代日本

☆ 謎めく数字137と皇統譜の円周

 

1−1 暗号発見までの経緯

 

 『日本書紀(にほんしょき)』には、西暦紀元前660年に初代天皇として神武(じんむ)天皇が即位した、とある。しかし、普通はこの記事を歴史的事実だとは考えない。
 そもそもが、古代天皇の百歳を超える非常識な長寿や、寓話のような物語に彩られている本である上に、すでに明治時代の那珂(なか)通世(みちよ)によって、神武天皇即位年は机上で算出された架空の年代だ、と指摘されてもいるからである。
 その指摘は次のようなものである。

  1.  神武天皇の即位年は辛酉歳(かのととり )聖徳太子(しょうとくたいし)斑鳩(いかるが)宮を建立したのはそれから丁度1260年後の辛酉歳なっている。

  2.  中国古典のひとつ『易緯(えきい)』には、その辛酉歳に革命(変革)が起き、さらには1260年後の辛酉歳には大きな革命が起きる、とする予言が書かれている。

  3.  平安時代中期から江戸幕末まで、多くの辛酉歳には、その予言による変革の災いを回避するために改元が行われていた。

 以上のことから、神武天皇の即位年はこの辛酉歳の予言を応用し、聖徳太子が斑鳩宮を建立した年から1260年を逆算して設定された架空の年代だと考えるのが妥当である。
 この予言のことは、辛酉を音読みして、辛酉(しんゆう)革命思想あるいは讖緯(しんい)説などと呼ばれている。
 讖緯説とは難解な言葉だが、『易緯』という書物に書かれた(しん)(予言)だからそう呼ばれるのであって、その『易緯』というのは、易と五行の関係に基づいた未来予測などを書いたもので、漢の時代にこの世の中を布に例えて、横糸(緯)となる書物として作られたものである。
 ちなみに縦糸となる書物は経(「きょう」または「けい」)と呼ばれ、『易経』を始めとする五経などである。

 さて、その讖緯説の辛酉革命思想だが、これは易六十四卦(えきろくじゅうしか)の中の49沢火革(たくかかく)と50火風鼎(かふうてい)という二つの()から導き出されたもので、このことは室町時代の一条兼良(いちじょうかねら)も指摘している。
 とすると、この「易」を基にした予言を使って神武天皇即位年を算出したわけだから、当然『日本書紀』の編者は「易」に深かったはずである。
 事実、ほんのちょっと『日本書紀』のページをめくっただけでも、「易」の匂いがプンプンして来る。
 初代天皇の神武、13代天皇の成務(せいむ)という諡号(しごう)は『易経』(えききょう )繋辞上伝(けいじじょうでん)(易の概論的なことを述べた文章)の
 「それ(えき)(もの)(ひら)(つと)めを()し、天下(てんか)(みち)(おお)う(夫易開物成務(○○)、冒天下之道)……〈中略〉……(いにしえ)聡明叡智(そうめいえいち)神武(じんむ)にして(ころ)さざる(もの)か(古之聡明叡智、神武(○○)而不殺者夫)」
 に出てくる言葉だし、4代天皇の懿徳(いとく)という諡号も『易経』の9風天小畜と(ふうてんしょうちく )いう卦の意義を説明する象伝と(しょうでん )いう文章
 「君子(くんし)もって文徳(ぶんとく)()くす(君子以()())」
 から取り出して作ったものに違いない。

 ところが、多くの古代史研究者は、易のことは棚上げにし、こういった事実をまったく顧みようとしない。易者としては、実に悲しい。
 が、悲しんでばかりいても仕方ない。それならと、自分の力で、易を念頭に、丁寧に読んでみることにした。すると、とんでもない事実が浮かび上がって来たのだ。
 『古事記(こじき)』と『日本書紀』は、易の卦を乱数表のように利用した暗号文書であって、両書を合わせて始めて解読できる仕組みになっていたのである。
 暗号?乱数表?
 多くの方々にとっては、想定外の展開だろう。
 私自身、これまで、比喩として暗号という言葉が使われることはあっても、本物の暗号文書だなんてことは、まったく思ってもみなかった。
 そこで、まずはその暗号体系発見に至る経緯から話を始めたい。

○ 蒙76で暗号発見!

 最初に気付いたのは、プロローグでもちょっと触れた『日本書紀』の神武天皇即位前2年己未(つちのとひつじ)歳3月辛酉朔丁卯(かのととりのつきたちひのとう)(7日)条である。
 ここには東征に成功した神武天皇が、橿原(かしはら)(現・奈良県橿原市)に都を造ろうと決意する(のりごと)が書かれているのだが、その中の「今運屯蒙(ちゅんもう)(わかくくらき)に()ひて」という言葉である。
 屯蒙とは、易六十四卦の序次3番目の水雷屯(すいらいちゅん)と4番目の山水蒙(さんすいもう)のことである。
 普通は前後の文脈から、「東征はしたものの未だ国家としての体裁は整わず、今の世の中を易の卦に例えれば、若稚(わか)く暗いことを象徴する3水雷屯と4山水蒙に当たる」という意味に解釈されると共に、『日本書紀』編者が文章を飾るための単なる漢籍からの引用の一つに過ぎないと考えられている。確かに各種漢籍からの引用は数多く、わざわざこんな言葉を取り上げる意義は見出せないとしても不思議ではない。
 しかし、次のような易の基本である八卦と数の関係、
  (けん)(天)1or9、()(沢)2、()(火)3、(しん)(雷)4、
  (そん)(風)5、(かん)(水)6、(ごん)(山)7、(こん)(地)8or0、
を、思い出してみると、この屯蒙の蒙には、何か特別なメッセージが込められている!という感触を得る。
 4山水蒙は、(山)の下に(水)がある形で、それぞれが示す数字は(山)が7、(水)が6だから、二桁の数で表現すれば76となる。
 一方、神武天皇は即位から76年目に崩御した、と書かれている。
 おやおや、蒙と神武天皇崩御年は、76という数字で結ばれているではないか。

 『日本書紀』に書かれていることの全てが、誰しも認めざるを得ない歴史的事実であるのなら、この数字の一致は単なる偶然かも知れない。しかし数多くの天皇の百歳を越える不自然な長寿や、寓話と言わざるを得ないような記述も随所に見受けられ、とても史実をありのままに書いたとは言えない。
 まして普通は、古い時代より新しい時代のほうが詳しくわかるはずなのに、『古事記』『日本書紀』の各天皇の崩御時の年齢は、両書で異なる場合がほとんどであるとともに、時代が新しくなるほど記載が少ない、という不思議な構造をしてもいる。
 とすると、これは作為であって、「神武天皇の時代を4山水蒙とし、崩御(ほうぎょ)の年はこの卦の示す数字に基づいて設定したものである」ということを、「易」を知る読者には教えようとしているのではないだろうか。

 とは言っても、これだけではその意図が判然としない。
 もしそうなら、他にも「易」と関連する注目すべき記述があるはずである。
 そう考えて探そうとした。
 しかし、どこをどう探せばよいのか判然としない。
 仕方ないから、取り敢えず『日本書紀』の目次を開き、各天皇の名前を眺めていた。
 と、「あっ!」と叫んでしまうような名前があった。
 推古(すいこ)天皇である。
 これが第二の手掛かりに違いない。

  1.  推古天皇の『日本書紀』での国風諡号(こくふうしごう)豊御食炊屋姫(とよみ け かしぎやひめ)、元年は、西暦593年だから660を加算して皇紀に直せば1253年となる。

  2.  豊御食炊屋姫を訳せば、「豊かな食事を作る家に居る女性」という意味になる。
     この意味を持つ易の卦は37風火家人(ふうかかじん)である。
     この卦は(風)の女性が(火)の火を守っているイメージであって、「外で働く男性のために、家の中で火を守りながら食事を作って待っている貞淑な女性」という意味を持つ。
     だから、「家の中にいる人」という意味で、家人という卦名になったのである。

  3.  神武天皇の4山水蒙が76という数字の組み合わせを示すのと同様に、この37風火家人は53を示すが、推古天皇の元年は皇紀1253年であり、その下二桁は53である。

 これは、「推古天皇の時代は37風火家人である」と教える暗号以外の何者でもない。
 そして、推古天皇は神武天皇から数えて34代目(『日本書紀』では神功(じんぐう)皇后も天皇と同格として扱っているので、数に入れる)、易六十四卦の序次では、37風火家人は4山水蒙から数えてこれまた34番目となる。
 とすると、神武天皇と推古天皇は「六十四卦の序次」で結ばれていることになる・・・。

 どうやら、古代天皇の系譜と「六十四卦の序次」との間には、何やらただならぬ関係がありそうである。
 そこで、他の天皇についても、一人ずつチェックしてみたのだが、その結果『日本書紀』最後の持統天皇まで、その多くが「序次」でそれぞれの位置にある卦と対応関係を持っていることが判明した。
 と同時に、これとは位置をずらしたもう一つの配列の存在も見つかった。

 神武天皇を4山水蒙、推古天皇を37風火家人とする配列を、仮にA列と呼び、もう一つの配列をB列と呼ぼう。
 B列は『日本書紀』最後の持統(じとう)天皇に当たるA列の44天風姤(てんぷうこう)を、神功皇后(A列では山風蠱(さんぷうこ))の位置に移動し、そこから前後に序次を並べたもので、以下の要素が、「神功皇后の位置は44天風姤でもある」と示唆しているようだったから、そうしたのである。

 持統天皇のA列は44天風姤である。

 44天風姤は「力の強い女性」すなわち女帝を暗示するので、この天皇が女帝であることと一致する。
 「力の強い女性」と言って見逃せないのは、何を置いても天皇と同格だが天皇ではない人物、神功皇后である。
 『日本書紀』全30巻のうち、数人まとめて1巻とされている天皇もいる中、神功皇后だけで1巻を費やしているのだ。
 物語では、神功皇后は朝鮮征伐を行うなど日本古代史上で最大の功績を挙げた女性である。
 明治14年には初めての肖像入り紙幣に採用され、その後も高額切手の肖像になった人物である。無論、肖像と言っても想像で当時のお抱え西洋人が描いたもので、容姿は西洋の女王であった。wikipediaの紙幣の写真
 しかし、冷静に古代史を検証すれば、その存在自体が極めて疑わしいので、戦後の学校教育ではまず教えなくなった。

 ともあれ『日本書紀』では、その神功皇后は夫の14代仲哀(ちゅうあい)天皇が崩御すると、代わって政権の座に就き、息子(15代応神(おうじん)天皇)が成人してもなお譲らず、天寿を全うする百歳までの約69年間、国を治めたとある。

 44天風姤の姤の字から女偏を取れば后となるが、神功皇后は天皇ではなく皇后である。

 神功皇后の国風諡号は、『古事記』では息長帯比売(おきながたらしひめ)とある(『日本書紀』では気長足姫と表記)。

 息長の二文字を易の卦に置き換えるとするなら、共に(風)の示す事象となる(息は鼻から出入りする風、長は(風)の上二陽の上昇と下一陰の下降が、上下伸長を意味することによる)。
 したがって息長で57巽為風(そんいふう)という卦を示していることになる。

 息長に続く(たらし)の字は、腹に絞める(おび)のことだとすれば、腹の位置となる下から4番目の爻を陰から陽に変じよとの指示になる(卦を人体に擬えるときは最下を足、二番目を脛、三番目を股、四番目を腹、五番目を胸、最上を頭とすると共に、帯を締めない状態が陰、締めた状態が陽となる)。
 これをまとめると図1のように、「57巽為風の下から四番目の変」すなわち44天風姤を示していることになる。

 そこで、これらの関係を表にまとめてみた。それが表T 古代天皇と易六十四卦の序次(別ウィンドウで開きます)である。
 この表は、A列・B列と各天皇との位置関係をまとめたもので、左から漢風諡号、『日本書紀』による各天皇の元年を皇紀で算出したものとその年の干支、A列、国風諡号、『古事記』に記載された崩御時の年齢、『日本書紀』に記載された崩御時の年齢、各天皇の元年より数えた崩年、B列の順に並び、赤字部分がそれぞれの位置にあるA列の卦と対応する箇所であって、緑字部分B列との対応を示す箇所である。
 ただし、各天皇の国風諡号で対応関係が見られるのは、大多数が『古事記』のそれであって、『日本書紀』のは推古天皇他一部に過ぎないことから、原則として国風諡号は『古事記』のものを用いる。暗号解読を進めて行くと、経験的に明らかになるのだが、『日本書紀』の国風諡号の多くは、対応関係攪乱を目的に文字を替えているのだった。

 ※ 天皇の名前には国風諡号と漢風諡号の二種がある。漢風諡号は『日本書紀』の国風諡号に添える形で小さく表示されているもので、『古事記』では国風諡号のみで表記されている。ただし多くの国風諡号は『古事記』『日本書紀』で使用される文字が異なり、例えば神武天皇(漢風諡号)の国風諡号は神倭伊波礼毘古(『古事記』)・神日本磐余彦(『日本書紀』)、安寧天皇は師木津日子玉手見(『記』)・磯城津彦玉手看(『紀』)といった具合である。なお、『日本書紀』の注釈書『釈日本紀』によると、漢風諡号は奈良時代後期に淡海三船なる人物が制定したとされているが、暗号解読の結果、当初より『日本書紀』にあったことが確認された。『釈日本紀』の注釈のその部分は暗号攪乱の目的で作られたのだろう。
 ※※ 『日本書紀』で言う元年とは、その天皇の御世が始まる年のことで、多くは前帝崩の翌年に即位とし、その即位年を指すのだが、例外もあり、例えば推古天皇の場合は前帝崇峻天皇崩御の年の暮れに即位、その翌年を元年としている。

 

1−2 古代天皇と易六十四卦の序次 @

 しばらくはこの表T 古代天皇と易六十四卦の序次(別窓)に従って対応関係を見て行くことにする。
 面倒な手続きだが暗号解読には必要不可欠であると共に、一人ずれただけでも対応関係は成立しないということを確認しておくためである。

 「一人ずれただけでも不成立」ということから言えば、3安寧天皇と4懿徳天皇、10崇神天皇、11垂仁天皇、14反正天皇、24顕宗天皇と25仁賢天皇、そして31敏達天皇には、特に興味深いものがある。なお、中には国風諡号の一部を下から読んだり、その音からイメージされる別の文字に置き換えたりと、いささか強引さが目立つ箇所もあるが、この時点では多少強引であっても、対応しているということが重要なのであって、追々明らかにするが、その強引さは暗号としての役割が二重三重に課せられているからなのである。

 なお、必要に応じて表T乱数表をご覧いただけるよう、ところどころにそのリンクを貼っておく。

 

1 神武天皇 

A列=4山水蒙 B列=30離為火 神倭伊波礼毘古 『記』137歳 『紀』127歳・76年崩

 すでに話したように、「今運屯蒙に属ひて」の蒙=山水蒙76年崩が、A列の存在を知る手掛かりだったわけだが、他の数字と国風諡号は対応しない。
 しかし『紀』に、「(いみな)(実名)は(ひこ)火火出見(ほほでみ)」という記述があり、この火火出見を「火を重ねた形で見よ」と教える暗号であるかのようにも思えるが、とすれば火は(火)だから、この(火)を二つ重ねたB列30離為火を示していることになる。

乱数表はコチラ 表Tはコチラ

2 綏靖天皇

A列=5水天需 B列=31沢山咸 神沼河耳 記』45歳 『紀』84歳・33年崩

 国風諡号の沼河耳の三文字は、はともに水のあるところだから(水)は人体各部に八卦を配すときの約束でこれも(水)となるので、何れも(水)に置き換えられる。
 その(水)は少陽だから、さらに一本の陽に置き換えられる。
 すると三文字で、都合三本の陽である(天)になる。

 図2は、この様子を示したもので、要するに沼河耳と並ぶ三文字は、外見は(水)でありながら、その中に(天)を内包しているのである。
 易学の約束では、六十四卦を構成する八卦は、上の卦を外卦または上卦、下の卦を内卦または下卦という。
 したがって、この沼河耳は、(水)を外卦として上に、(天)を内卦として下に置いたA列水天需を表現したものに他ならない。

 逆に言うと、A列は水天需である。
 この卦は上に(水)があって下に(天)がある。上は外、下は内でもある。とすると(天)を内に含む(水)という意味を読み取れる。
 (水)は小陽だから、一本の陽に置き替えられる。
 (水)が三つあれば都合三本の陽で(天)を含んでいることになる。
 よし、(水)が示す事象の文字を三つ揃えて名前にしよう。
 水、海、沼、河、川、冬、耳、血・・・と、いろいろあるが、適当なところで沼河耳と揃えておこう。
 といった経緯で神沼河耳という名前が決められた、と考えられるのである。

 『記』45歳は八卦と数の関係により、32雷風恒となるが、この卦は図3のように、B列31沢山咸を逆方向から見た形である。
 易六十四卦は、陰陽の記号六本の組み合わせである。その組み合わせが上下対称となるもの以外は、逆方向から見ると違う卦になる。この逆方向から見た卦のことを顛倒卦と言い、序次では隣り合うように配置されていて、持つ意義も関連している。
 『紀』年齢と崩年は対応しない。

乱数表はコチラ 表Tはコチラ

3 安寧天皇

A列=6天水訟 B列=32雷風恒 師木津日子玉手見 『記』49歳 『紀』57歳・38年崩

4 懿徳天皇

A列=7地水師 B列=33天山遯 大倭日子鉏友 『記』45歳 『紀』34年崩

 この二人は合わせて見ることによって対応関係が明らかになる。

 まずは3安寧天皇の国風諡号、師木津日子玉手見である。
 この名前は漢字の音読みだけを使って表示したいわゆる万葉仮名ではなく、漢字の意味とは無関係に訓読みをして「しきつひこたまてみ」と読む。
 『日本書紀』では磯城津彦玉手看と書いて同じように読む。
 普通に考えれば、磯城あるいは磯城津という地名があって、その土地に縁がある人物ということで磯城津彦と付けたものと解釈するのが妥当だろう。
 しかし、A列を眺めながら『古事記』の表記である師木津日子玉手見を見ると状況は一変する。

 頭のの字は、続く4懿徳天皇のA列7地水師の字を指しているようではないか。
 そうなると、師木津日ではなく、逆さに日津木師と読んでみたくなる。
 日津木師と読んでと文字を当てれば、継すなわち嗣(皇位継承者)が地水師の位置である、と示していることになる。
 下の玉手見は、(ギョク)は丸くて剛いものだから(天)手見は「手相を見る」の意とすれば、それは悩んでいる時だから「悩む」という意味を持つ(水)にと、それぞれ置き換えることができる。すると玉手見で、A列6天水訟を示していることになる。

 したがってこの名前は、
「皇位継承者が地水師の位置となる(師木津日子)、天水訟の位置(玉手見)の天皇」
 と示しているものと解釈出来るので、3安寧天皇のA列天水訟、その皇位継承者である次の4懿徳天皇のA列地水師であることと一致する。

 4懿徳天皇の国風諡号、大倭日子鉏友は、上の大倭日子の部分は対応しないが、下の鉏友は二人の『記』年齢と関係がある。
 八卦と数の関係にしたがって数字を置き換えると、4は(雷)・5は(風)・9は(天)だから、3安寧天皇の49歳は34雷天大壮となる。
 この卦は4懿徳天皇のB列33天山遯を逆方向から見た形である。
 一方の4懿徳天皇の45歳は、反対に3安寧天皇のB列32雷風恒となっている。
 しかし、これでは両者の位置が逆であり、両者の順番をひっくり返さなければ、対応しているとは言えない。
 そこで登場するのが、鉏友であって、この二文字がひっくり返すことを指示しているのではないだろうか?
 は土を耕す道具だが、耕すとは土をひっくり返すこと、ここで言うは国風諡号で両者を結び付けている3安寧天皇以外にはいない。
 要するに鉏友で、「友である3安寧天皇と、その位置の順番をひっくり返せ」と告げていたのである。
 この他の数字は、3安寧天皇の『紀』38年崩がA列6天水訟の裏卦(=全六本の記号の陰陽を逆にした形)36地火明夷の示す数を逆に並べたものであること以外は、対応しない。

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5 孝昭天皇

A列=8水地比 B列=34雷天大壮 御真津日子訶恵志泥 『記』93歳 『紀』83年崩

 この天皇の国風諡号は、『記』93歳とA列8水地比との関係を示している。
 まず、頭の御真津日だが、『記』に御諸山とある地名が『紀』では三諸山と、文字を替えて表示していることに倣い、は数の3の音の表現と考える。
 続くは、陰陽を考えると、と偽で対比すれば偽を陰としたときの陽だから、一本の陽となる。
 したがって、御真で「3本の陽」である(天)となる。
 続くは港すなわち出会いの場所、(火)が示す事象だから、上の御真と合わせて、「(天)御真(火)が出会う()」となり、13天火同人を示していることになる。
 この卦は『記』93歳を八卦と数の関係に従って置き換えた形だが(9は(天)、3は(火))、この天皇のA列は8水地比なのだから、これでは対応しているとは言えない。

 なぜ、対応しないのだろう・・・、対応している、と言うためには、すべての陰をひっくり返し、次いで全体を180度捩じる必要がある。
 4安寧天皇や5懿徳天皇のときのように、何か名前に仕掛けがあるのだろうか?
 名前の残る下の部分には訶恵志泥とある。
 かえしね、カエシネ、かえしね、カエシネ・・・。

 そうか!これは「返し捩」と字を当てれば「裏返して捩じれ」という指示と読めるではないか!
 御真津日の13天火同人を裏返して7地水師とし、その上で180度捩じる(逆方向から見る)。するとA列水地比となる。

 ただし、歴史的仮名遣いがそうであるように、本来の音は、恵は「ゑ」、返は「かへ」である。恐らく、素直に「へ」とすると、六十四卦の序次との関係が露骨になり過ぎるので、あえて「へ」を避け、「ゑ」に相当する恵の字を使ったのだろう。
 そもそも「へ」と「え」と「ゑ」の誤用は昔からあるように、間違っていても通じる程度の微妙な差なのである。

 『紀』83年崩は対応しない。

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6 孝安天皇

A列=9風天小畜 B列=35火地晋 大倭帯日子国押人 『記』123歳 『紀』102年崩

 国風諡号の上の部分は対応しないが、下の国押人は、次のように読める。
 国押には大地という意味があるから、国押で大地をすものを示している。大地を押すものと言えば風である。風は大地を押すように吹くわけだが、風は(風)である。
 続くは、これは天皇の名前だから、天皇を指し、易では天皇すなわち天子は(天)で表現される。
 したがって、国押人(風)(天)すなわちA列9風天小畜を示していることになる。

 この卦は、構成する八卦が示す数の他に、下から四番目の一陰が、上二陽と下三陽の進むのを制し止めている形なので、1・2・3という数字の組み合わせが浮上するのだが、『記』では崩年齢を123歳としている。

 『紀』102年崩は、1と2を八卦と数の関係に従って置き換えれば、このA列9風天小畜を逆方向から見た10天沢履となる。
 ところで、プロローグでも触れたが、『易経』の風天小畜の意義を説明する文章の「象伝」というところには、「君子以懿文徳」という言葉がある。
 とすると、4懿徳天皇と何らかの関係がありそうな気配だが、これについてはこの対応関係を検証する時点ではいささか話しが逸れるので、追って暗号解読のときに明らかにする。

乱数表はコチラ 表Tはコチラ

7 孝霊天皇

A列=10天沢履 B列=36地火明夷 大倭根子日子賦斗邇 『記』106歳 『紀』76年崩

 国風諡号の上の部分は対応しないが、下の賦斗邇は次のように関係する。
 賦斗邇斗邇は、(=柄杓)は水を量り分ける道具だから(沢)(最上の一陰を窪みとし、水を入れるイメージ)、は『紀』に瓊とあり(賦斗邇=太瓊)、瓊は美しく陽気が満ち溢れた玉を意味する文字だから(天)となる。したがって斗邇と合わせて43沢天夬となる。しかしこれでは対応しない。
 そこで残るだが、この字は貝と武に分ければ、貝は(火)(上下を陽の剛い殻で覆い、中の陰の柔弱な身を守っているイメージ)、武は(雷)(武は猛々しさを表現する文字だが、猛々しさの極みこそ雷である)だから、合わせて21火雷噬嗑となる。
 噬嗑とは「噛み合わせる、噛み砕く」といった意味である。
 この21火雷噬嗑という卦は、最下と最上の二陽を「上の歯、下の歯」あるいは「上顎、下顎」とし、「口の中に入って来たものは何でも噛み砕いて食べてしまう」という意味を示すのだが、口の中の食物は、咀嚼しているうちには上下が入れ替わったり、あっちに行ったりこっちに行ったりするので、これは「上下を入れ替えよ」との指示になる。したがって、斗邇の43沢天夬の上下を入れ替える。するとA列10天沢履になる。

 数字については、『記』106歳は1と6で見ると、B列36地火明夷の裏卦の6天水訟となるが、『紀』76年崩は対応しない。

乱数表はコチラ 表Tはコチラ

8 孝元天皇

A列=11地天泰 B列=37風火家人 大倭根子日子国玖琉 『記』106歳 『紀』76年崩

 国風諡号の上の部分は対応しないが、下の国玖琉は、は大地だから(地)は九の大字だから9を示す(天)は「流れる」という意味だから、国玖琉と合わせて「11地天泰A列)が流れる」と読める。

 なお、大字とは、重要なことを書くとき、似た字と間違えないようにするための漢数字で、壹=壱(一)、貳=弐(二)、參=参(三)、肆(四)、伍(五)、陸(六)、漆(七)、捌(八)、玖(九)、拾(十)、佰(百)、阡(千)、萬(万)‥‥のことである。
 今でも壱弐参くらいは、たまに目にすることがあるが、かつてはこのようにすべての漢数字に対して大字が揃っていたのであって、例えば『記』では、各天皇の崩年齢の表記に用いられていて、孝元天皇なら伍拾漆(57)歳、崇神天皇なら壹佰陸拾捌(168)歳といった具合に使われている。

 さて、その11地天泰だが、この卦は本来上にあるべき(天)の天が下に、下にあるべき(地)の地が上にある形である。
 そもそも上にあるべき者は下から上に昇ろうとし、下にあるべき者は上から下に降りようとするものである。
 そこで、下から上に昇ろうとする者と上から下に降りようとする者が程よく混ざりあって万物が生成され安泰となる、ということを意味するのである。

 これに従えば、11地天泰が流れるとは、本来の位置すなわち上にあるべき(天)が上に、下にあるべき(地)が下にある12天地否に向かうことと解釈できる。

 ちなみに占いでは、地天泰はよい卦、天地否は悪い卦であるが、地天泰が出たからと言って安心してはいけない、このように陽と陰は本来あるべき位置に流れ、いつかは天地否になる可能性があるのであって、今のうちにやるべきことはきちんとやっておくように、という判断になる。
 そこで図6のような、11地天泰から12天地否へと、陰が流れて行く過程が想定できるのだが、すると12天地否(次の9開化天皇のA列)の直前すなわち8孝元天皇の時代の最後に相当するところで、53風山漸となる。
 この53風山漸を二桁の数で表現すれば57(風)は5、(山)は7)すなわち『記』の崩年齢および『紀』の崩年の数字である。

 乱数表はコチラ 表Tはコチラ

9 開化天皇

A列=12天地否 B列=38火沢睽 若倭根子日子大毘毘 『記』63歳 『紀』(115歳)・60年崩

 国風諡号の下の部分の大毘は、は陽だからその極みの(天)(小が陰)、は田と比に分ければ、田は食料を生産する大地だから(地)、比は同音の否の借用と見なせるので、大毘A列12天地否となる。
 残るもう一つのの字は、次のように『記』63歳、『紀』60年崩とB列38火沢睽を繋いでいる。

 『記』63歳は9開化天皇の崩年の皇紀563年下二桁の数であることから(504年を元年とした60年崩)、この563という数字を示唆するものと受け取れる。
 の字を今度は、比を8水地比のこととして田の(地)と合わせ、(地)(水)(地)とすれば、(地)は老陰だから一本の陰坎は少陽だから一本の陽にそれぞれ置き換わるので、下の図7のように、この場合は(水)の表現となり、数では6を示す。そして、A列との対応に毘の字は二ついらないので、この毘は余りものということになる。とすとると、その示す数の6も余分だと言っていることになる。
 そこで563から6を取り除き、残る5と3で易に卦に置き換える。すると、5は(風)・3は(火)だから、B列38火沢睽を逆さに見た37風火家人になる。

 国風諡号の上の方と『紀』に分注として記載されている崩年齢の115歳は対応しない。

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10 崇神天皇

A列=13天火同人 B列=39水山蹇 御真木入日子印恵 『記』168歳 『紀』120歳・68年崩

 国風諡号の上の方の御真木入日子は、は5孝昭天皇の時と同様に数の3、真木は「天に向かって真直に伸びる木」のことだから陽を指すものとすれば、御真木で都合三本の陽である(天)となる。
 続く入日子は、(火)が示す事象であり、日子は日の子であって、蛙の子は蛙というように、親が日なら子も日であるはずなので、入日子で「(火)が入る」という意味になる。
 そこで、御真木入日子と合わせれば、「乾(御真木)の下に(火)日子)がる」で、A列13天火同人を示していることになる。

 下の印恵は、は印鑑のこととすれば、印鑑は文字を裏返しに彫るから、「裏返しに恵みあり」で「裏卦を見よ」という指示と解釈出来る。
 13天火同人の裏卦は7地水師である。
 この7地水師は、(地)の8と(水)の6、そして全体の形が陰ばかりの中に陽が一本であることから、1という数を示す。
 『記』168歳はこの三つの数字の組み合わせ、『紀』68年崩は構成する八卦が示す二つの数字の組み合わせとなっている。

『紀』120歳は対応しない。

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11 垂仁天皇

A列=14火天大有 B列=40雷水解 伊久米伊理毘古伊佐知 『記』153歳 『紀』140歳・99年崩

 まずは国風諡号の伊久米伊理毘古の部分である。
 伊久米は「い」で、この「い」は口を横一文字に開いて発音することから1本の陽は数字の9の借用とすれば(大字では玖と書く)極陽の数だからこれも1本の陽(コメ)もその形状が細長いのでこれまた1本の陽の表現となる。
 とすると、伊久米の三文字は、都合三本の陽である(天)となるから、続く伊理毘古入日子と文字を当て、10崇神天皇の時と同様に「(火)が入る」と読む。すると、伊久米伊理毘古で13天火同人を示していることになる。

 あれ?これは前帝10崇神天皇のA列ではないか。11垂仁天皇のA列は、この10崇神天皇のA列の上下を入れ替えた14火天大有である。とすると、どこかに上下を入れ替えることを指示する暗号がなければ、対応しているとは言えない。どういうことだろう・・・?と、ちょっと戸惑った。しかしその意味はすぐわかった。

 ここまで対応関係を調べて来たことにより、暗号作者の考え方が少しずつ読めるようになって来たようだ。
 一方では入日子としていて、もう一方では伊理毘古としている、ここにヒントはあるはずであり、そうであるのなら、答えは「10崇神天皇の国風諡号は漢字の訓読だが、この11垂仁天皇の国風諡号は万葉仮名だ」、ということに違いない。

 万葉仮名は漢字の音を用い、漢文を書き下したり、字が持つ意味を考えずに言葉を表現するのに使われていて、言うなれば現代の平仮名や片仮名に相当するものである。これに対して漢文は、英語等と同様に主語・動詞・目的語といった順に並ぶので、返り点を付して文字の順を入れ替えて読まなければ、日本語として通じない。例えば「温故而知新」を「故きを温めて新しきを知る」というように。
 すなわち伊久米伊理毘古は漢文を万葉仮名で書き下したものであると想定させることで、順序の入れ替えを示唆しているのであって、想定される本来の漢文は「離入乾」で、離を毘古、入を伊理、乾を伊久米と訓み、「離入乾」という漢文を、日本語の語順に従って書き下したのが伊久米伊理毘古なのである。これなら本来の離入乾で、(火)の下に(天)が入った形であるA列14火天大有を示していることになる。

 残る伊佐知は、五去知という漢字三文字を万葉仮名で書いたものとして、「五が去れば知れる」と解釈すれば、『記』153歳との関係を示していることになる。153から5を取り去り、国風諡号の上の部分のように上下を入れ替えれば、31でA列14火天大有の示す数となる。

 『紀』140歳・99年崩は対応しない。

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12 景行天皇

A列15地山謙 B列41山沢損 大帯日子淤斯呂和気 『記』137歳 『紀』106歳・60年崩

 この天皇は国風諡号、年齢等の数字、何れも対応しない。ところが面白いことに、『記』137歳は1神武天皇と同じである上に、元年の皇紀731年を逆さにした数字でもあり、何やら作為的なものを感じる。

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13 成務天皇

A列16雷地予 B列42風雷益 若帯日子 『記』95歳 『紀』107歳・60年崩

 A列16雷地予の裏卦9風天小畜が示す数字は、(風)の5と(天)の9(または1)だが、『記』95歳はこの5と9の組み合わせである。
 国風諡号と『紀』の年齢や崩年は対応しない。

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14 仲哀天皇

A列17沢雷随 B列43沢天夬 帯中津日子 『記』52歳 『紀』52歳・9年崩

  この天皇も、12景行天皇と同様に、国風諡号・年齢等の数字、何れも対応しない。ただし、年齢の52歳は元年の皇紀852年下二桁と同じであり、何やら作為を感じる。

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古事記と易学

発見!想像を絶する真実の古代日本

もくじ

☆ プロローグ

☆ 謎めく数字137と皇統譜の円周
1−1 暗号発見までの経緯

1−2 古代天皇と易六十四卦の序次 @

2−1 古代天皇と易六十四卦の序次 A

2−2 謎めく数字137

3−1 神世と易六十四卦の序次

3−2 円を描く皇統譜とその不合

☆ 『古事記』序文に隠されたメッセージ
4    歴史を腐敗させた女帝とは?

☆ 暗号解読[1]
持統天皇暗殺!
5−1 神武天皇と辛酉革命

5−2 持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代

☆ 暗号解読[2]
41ピースのジグソーパズル

6−1 架空の天皇

6−2 隠された女帝達と『古事記』序文の態度

6−3 男帝と女帝の二王朝が並立する皇統譜

6−4 暗号が示す皇統譜の親子関係

☆ 暗号解読[3]
母権制社会の忌わしい歴史
7−1 女帝たちの忌わしい宗教

7−2 母権制社会脱却の失敗

7−3 応神女帝〜推古女帝までの、各女帝の年代

☆ 暗号解読[4]
母権制社会から父権制社会へ
8−1 神武男帝のクーデター・イザ!オウ!

8−2 雄略男帝〜聖徳太子までの歴史

8−3 大化の改新=父権制社会としての出発

☆ 隠された古代史の全容
9−1 暗号が示す歴史の全容

9−2 卑弥呼は崇神女帝のことだった!

9−3 解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」

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☆ 謎めく数字137と皇統譜の円周
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2−1 古代天皇と易六十四卦の序次 A

2−2 謎めく数字137

3−1 神世と易六十四卦の序次

3−2 円を描く皇統譜とその不合

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4    歴史を腐敗させた女帝とは?

☆ 暗号解読[1]
持統天皇暗殺!
5−1 神武天皇と辛酉革命

5−2 持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代

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6−4 暗号が示す皇統譜の親子関係

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母権制社会の忌わしい歴史
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母権制社会から父権制社会へ
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最終更新日:平成29年09月09日 学易有丘会
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