10 崇神天皇 ミマキイリヒコイニヱ
A列=13 天火同人 B列=39 水山蹇 御真木入日子印恵 『記』168歳 『紀』120歳・68年崩
国風諡号の上の方の御真木入日子は、御は5孝昭天皇の時と同様に数の3、真木は「天に向かって真直に伸びる木」のことだから陽 を指すものとすれば、御真木で都合三本の陽である 乾(天)となる。
続く入日子は、日は 離(火)が示す事象であり、日子は日の子であって、蛙の子は蛙というように、親が日なら子も日であるはずなので、入日子で「 離(火)が入る」という意味になる。
そこで、御真木入日子と合わせれば、「 乾(御真木)の下に 離(火)(日子)が入る」で、A列13 天火同人を示していることになる。
下の印恵は、印は印鑑のこととすれば、印鑑は文字を裏返しに彫るから、「裏返しに恵みあり」で「裏卦を見よ」という指示と解釈出来る。
13 天火同人の裏卦は7 地水師である。
この7 地水師は、 坤(地)の8と 坎(水)の6、そして全体の形が陰 ばかりの中に陽 が一本であることから、1という数を示す。
『記』168歳はこの三つの数字の組み合わせ、『紀』68年崩は構成する八卦が示す二つの数字の組み合わせとなっている。
『紀』120歳は対応しない。
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11 垂仁天皇 イクメイリビコイサチ
A列=14 火天大有 B列=40 雷水解 伊久米伊理毘古伊佐知 『記』153歳 『紀』140歳・99年崩
まずは国風諡号の伊久米伊理毘古の部分である。
伊久米の伊は「い」で、この「い」は口を横一文字に開いて発音することから1本の陽 、久は数字の9の借用とすれば(大字では玖と書く)極陽の数だからこれも1本の陽 、米(コメ)もその形状が細長いのでこれまた1本の陽 の表現となる。
とすると、伊久米の三文字は、都合三本の陽である 乾(天)となるから、続く伊理毘古に入日子と文字を当て、10崇神天皇の時と同様に「 離(火)が入る」と読む。すると、伊久米伊理毘古で13 天火同人を示していることになる。
あれ?これは前帝10崇神天皇のA列ではないか。11垂仁天皇のA列は、この10崇神天皇のA列の上下を入れ替えた14 火天大有である。とすると、どこかに上下を入れ替えることを指示する暗号がなければ、対応しているとは言えない。どういうことだろう・・・?と、ちょっと戸惑った。しかしその意味はすぐわかった。
ここまで対応関係を調べて来たことにより、暗号作者の考え方が少しずつ読めるようになって来たようだ。
一方では入日子としていて、もう一方では伊理毘古としている、ここにヒントはあるはずであり、そうであるのなら、答えは「10崇神天皇の国風諡号は漢字の訓読だが、この11垂仁天皇の国風諡号は万葉仮名だ」、ということに違いない。
万葉仮名は漢字の音を用い、漢文を書き下したり、字が持つ意味を考えずに言葉を表現するのに使われていて、言うなれば現代の平仮名や片仮名に相当するものである。これに対して漢文は、英語等と同様に主語・動詞・目的語といった順に並ぶので、返り点を付して文字の順を入れ替えて読まなければ、日本語として通じない。例えば「温故而知新」を「故きを温めて新しきを知る」というように。
すなわち伊久米伊理毘古は漢文を万葉仮名で書き下したものであると想定させることで、順序の入れ替えを示唆しているのであって、想定される本来の漢文は「離入乾」で、離を毘古、入を伊理、乾を伊久米と訓み、「離入乾」という漢文を、日本語の語順に従って書き下したのが伊久米伊理毘古なのである。これなら本来の離入乾で、 離(火)の下に 乾(天)が入った形であるA列14 火天大有を示していることになる。
残る伊佐知は、五去知という漢字三文字を万葉仮名で書いたものとして、「五が去れば知れる」と解釈すれば、『記』153歳との関係を示していることになる。153から5を取り去り、国風諡号の上の部分のように上下を入れ替えれば、31でA列14 火天大有の示す数となる。
『紀』140歳・99年崩は対応しない。
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12 景行天皇 オホタラシヒコオシロワケ
A列15 地山謙 B列41 山沢損 大帯日子淤斯呂和気 『記』137歳 『紀』106歳・60年崩
この天皇は国風諡号、年齢等の数字、何れも対応しない。ところが面白いことに、『記』137歳は1神武天皇と同じである上に、元年の皇紀731年を逆さにした数字でもあり、何やら作為的なものを感じる。
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13 成務天皇 ワカタラシヒコ
A列16 雷地予 B列42 風雷益 若帯日子 『記』95歳 『紀』107歳・60年崩
A列16 雷地予の裏卦9 風天小畜が示す数字は、 巽(風)の5と 乾(天)の9(または1)だが、『記』95歳はこの5と9の組み合わせである。
国風諡号と『紀』の年齢や崩年は対応しない。
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14 仲哀天皇 タラシナカツヒコ
A列17 沢雷随 B列43 沢天夬 帯中津日子 『記』52歳 『紀』52歳・9年崩
この天皇も、12景行天皇と同様に、国風諡号・年齢等の数字、何れも対応しない。ただし、年齢の52歳は元年の皇紀852年下二桁と同じであり、何やら作為を感じる。
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15 神功皇后 オキナガタラシヒメ
A列18 山風蠱 B列44 天風姤 息長帯比売 『記』(100歳) 『紀』(100歳)・69年崩
この人物は、すでに話したように、国風諡号の息長帯比売が、B列発見の手掛かりとして44 天風姤を示すわけだが、年齢等の数字は対応しない。しかし、『紀』本文中にはA列18 山風蠱を連想させる箇所がある。
この卦は、 艮(山)を「止める」、 巽(風)を「臭い」とし、皿の上の食物が腐って臭いを放つのを、蓋をして覆い止めているイメージであって、蠱の字は皿の上に多数の虫が群がっている様子を表現している。このことから、例えば、汚職の横行や正義が通用しない状況を暗示する。と同時に、蠱の字の皿を女性の腹(子宮)、虫を男性の精液として、多数の男性と関係があり、父親が判然としない子を妊娠する女性、という意味も持つ。
余談だが、奥さんや彼女の様子がおかしいということで占ってこの山風蠱が出たら、まず不倫を疑う、という卦なのだ。
15神功皇后は、夫の14仲哀天皇が崩御した日から数えて304日目に16応神天皇を生んだことになっているが、通常ヒトの妊娠期間は約290日であることから、その父親を14仲哀天皇とすることには、いささかの疑念も生じる。
これはまさに、18 山風蠱の「父親が判然としない妊娠」と、意味が合うではないか。
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16 応神天皇 ホムダワケ
A列19 地沢臨 B列45 沢地萃 品陀和気 『記』130歳 『紀』110歳・41年崩
国風諡号の品陀和気は、品はA列19 地沢臨の臨の字のツクリを連想させ、陀和気は「田分け」とすれば(『紀』では品陀を誉田と表記)、田は食料を生産する大地だから 坤(地)、「分け」は分割のことだから 兌(沢)(沢は山々を分割するように流れる)となるので、合わせてこれも19 地沢臨となる。
この卦は、図8のように、構成する 坤(地)の8(または0)と 兌(沢)の2とは別に、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本ずつ合わせて一本と見なせば、 震(雷)となり、その 震(雷)が示す数は4なので、4という数をも示している。

『記』130歳は、実際には大字で壹佰參拾歳と表記されているのだが、通常の漢数字で一百三十歳として見れば、百位と十位に横棒が計四本あるので、これも4という数の暗示となる。
『紀』110歳は、B列45 沢地萃を連想させる。下卦の 坤(地)は一位に数字がないこと(端数がないこと)を、その上の四番目と五番目の計二本の陽 は、十位と百位に一という数字があることを示しているようにも見なせるのである。
『紀』41年崩は対応しない。
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17 仁徳天皇 オホサザキ
A列20 風地観 B列46 地風升 大雀 『記』83歳 『紀』87年崩
A列の20 風地観は、「 坤(地)の地上を観ながら、 巽(風)の風に乗って空を行く鳥」を連想させもする卦だが、国風諡号の大雀(『紀』では大鷦鷯と表記)はミソサザイという鳥の古名に大の字を冠したものである。
また20 風地観は、図8で示したように、16応神天皇のA列19 地沢臨の時と同様、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本とすれば、山を意味する 艮(山)になるが、大阪府堺市にある有名な仁徳天皇陵は、山のように大きいことから、俗に大山陵とも呼よばれている。
ちなみに、『論語』雍也篇には「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」という言葉があるが、この山と仁の関係は、仁徳という漢風諡号とA列20 風地観の「大きな山」との関係を連想させる。もちろん諡号だけではなく、本文にも仁徳篤い様子が描かれている。
年齢等の数字は対応しない。
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18 履中天皇 オホエノイザホワケ
A列21 火雷噬嗑 B列47 沢水困 大江之伊邪本和気 『記』64歳 『紀』(70歳)・6年崩
A列の21 火雷噬嗑は、7孝霊天皇のところでも触れたように最上最下の陽 を「上の歯・下の歯」あるいは「上顎・下顎」と見なすので、下から二番目から五番目までを口の中とイメージする。しかし易は、三本または六本の記号により意味をなすものだから、この二番目から五番目までの四本の記号を塩梅して口の中の様子とする。
図9を見ながら話そう。

易の卦には、卦の中に内在する卦がある。易占いでは、本来の卦の状況が生じる原因を、その内在する卦だと考えたりする。そしてその内在する卦の捉え方はいくつかあるが、基本的には次のようになる。下から二番目から四番目までを内卦、三番目から五番目までを外卦とする。したがってこの卦の場合は、その内在する卦は39 水山蹇となる。
さて、噬嗑には「噛み砕く」という意味がある。
口の中の食物は、噛み砕いて咀嚼しているうちには上下が逆転したり、あっちに行ったり、こっちに行ったりする。そこで、その食物を噛み砕いて上下が逆転する様子に擬えて、この卦の上下を逆転させる。すると、40 雷水解になるが、この卦は4と6という数字の組み合わせを示す。『記』64歳は、この4と6の組み合わせである。
また、内在する卦の捉え方としては、内在するのを六十四卦として考えるのではなく、八卦として考える場合もある。この卦の場合は、陰 には無という意味もあるので、この卦の五番目を無視して二番目から四番目までの 艮(山)で考えることができるが、『紀』(70歳)の7は、その 艮(山)が示す数である。と同様に、二番目を無視して三番目から五番目までを見れば、6を示す 坎(水)が浮上し、『紀』6年崩に一致する。
なお、国風諡号の大江之伊邪本和気は対応しない。しかし上二文字の大江は、大は陽(小が陰)だからその極みの 乾(天)、江は水があるところだから 坎(水)とすれば、合わせて序次6 天水訟で、 乾(天)は1・ 坎(水)は6だから、1と6という数の組み合わせが示されていることになる。
18履中天皇の元年は、皇紀1060年で1と6が目立っている。
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19 反正天皇 タヂヒノミヅハワケ
A列22 山火賁 B列48 水風井 蝮之水歯別 『記』60歳 『紀』5年崩
国風諡号の水歯別は『日本書紀』では瑞歯別と表記され、歯並びがよかったからそういう名前になったと説明されている。
また古代史研究者の中には、18履中天皇とともに国風諡号の最後に和気・別=ワケとあることから、国風諡号に共通する部分がある天皇を分別して、6孝安天皇他のネコ族、この18履中天皇と19反正天皇のワケ族などと括り、かつてはネコとかワケと称した部族があって、その部族との何らかの関係によってつけられた名前ではないか、と考える場合もある。
確かに、歴代天皇の国風諡号には何人かに共通する部分があったりして、そんなふうに思わせる雰囲気がある。しかし六十四卦の序次とともにこの反正天皇の国風諡号を見た途端、思わず、なんだバカバカしい、と笑ってしまった。
国風諡号の下の部分の水歯別は、A列の27 山火賁の見た目の形が水と歯に別れることを示したものでしかない(前掲の図9参照)。
この卦は前帝18履中天皇のA列21 火雷噬嗑と同様に、最上最下の陽 を上下の歯と見なすことが出来、上下の歯の間には 坎(水)の水があるのである。そして、上の図9のように、歯を別にすると 坎(水)が示す6という数が浮上するが、『記』60歳とある。
国風諡号の上の部分の蝮之と『紀』5年崩は対応しない。
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20 允恭天皇 ヲアサヅマワクゴノスクネ
A列23 山地剥 B列49 沢火革 男浅津間若子宿禰 『記』78歳 『紀』42年崩
『記』78歳は、7は 艮(山)・8は 坤(地)だから、A列の23 山地剥を示していることになるが、『紀』42年崩と国風諡号は対応しない。
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21 安康天皇 アナホ
A列24 地雷復 B列50 火風鼎 穴穂 『記』56歳 『紀』3年崩
国風諡号の穴穂は、穴は宀(ウ冠)を外すと八=8だから 坤(地)、穂は稲の恵みだから稲を意味する 震(雷)とすれば、合わせてA列の24 地雷復を示していることになる。
また、B列の50 火風鼎は、鼎(かなえ)という三本足の鍋を意味する卦なので、構成する八卦による数の3と5の組み合わせ( 離(火)は3・ 巽(風)は5)とは別に、全体で3という数をも意味するのだが、『紀』3年崩とある。
『記』56歳は対応しない。
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22 雄略天皇 オホハツセノワカタケ
A列25 天雷无妄 B列51 震為雷 大長谷若建 『記』124歳 『紀』23年崩
国風諡号の大長谷若建は、大は小を陰とした時の陽だからその極みの 乾(天)、建は『記』に建御雷神という神名があることから 震(雷)とすれば、大と建でA列25 天雷无妄となるが、中間の長谷若は対応しない。
『記』124歳は、普通の漢数字で書けば一百二拾四となり、このうちの百位の1(一)と十位の2(二)を合わせて三本の横棒の表現とすれば 乾(天)となるから、その 乾(天)の下に一位の4を示す 震(雷)を置けば、A列の25 天雷无妄となる。
『紀』23年崩は対応しない。
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23 清寧天皇 シラガノオホヤマトネコ
A列26 山天大畜 B列52 艮為山 白髪大倭根子 『記』年齢等の記載なし 『紀』5年崩
A列26 山天大畜は「大きく畜える」という意味を持ち、年齢を大きく畜えれば老人になるが、国風諡号の上二文字の白髪は、その老人を連想させる。しかし、残る下四文字と、『紀』5年崩は対応しない。
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24 顕宗天皇 ヲケノイハスワケ
A列27 山雷頤 B列53 風山漸 袁祁之石巣別 『記』在位8年・38歳 『紀』3年崩
25仁賢天皇 オケ
A列28 沢風大過 B列54 雷沢帰妹 意祁 『記』年齢等の記載なし 『紀』11年崩
この二人は物語上ではとても仲がよい。行動的な弟とおとなしい兄。おとなしい兄は皇位継承を弟に譲り、まず弟の顕宗天皇が即位し、次いで兄の仁賢天皇が即位したとある。皇太子が天皇の兄という前代未聞の状況となるなど、稀に見る仲のよさだが、国風諡号もよく似ている。顕宗天皇はカタカナで書くとヲケノイハスワケ、仁賢天皇がオケである。ヲケとオケ、アルファベットで書けばwokeとoke、現代人なら区別せずに両者共にokeと発音することも普通にありそうだ。
これにはきっと何かがある。そう考え打て、この二人はまとめて六十四卦の序次との対応を検証することにした。と言っても特に難しいわけではなく、すぐ、ああ、なるほどね、と感心するとても面白い対応関係だった。
24顕宗天皇のA列27 山雷頤は、21 火雷噬嗑(18履中天皇のA列)や22 山火賁(19反正天皇のA列)と同様に、最上最下の陽 を上下の歯(あるいは顎)と見なして口の形とする卦である。頤とは「おとがい」すなわち下顎のことである。ただし今回の口の中は全て陰 だから、空っぽの状態(陰は無を意味する)すなわちアイウエオのオを発音する時の形となる。
そこで、「オを発音する時の口の形を示す卦(卦はその昔は専ら「け」と発音されていた)ということから「オ卦」と呼ぼう。
するとこれは、27 山雷頤ではなく、その裏卦の28 沢風大過をA列とする仁賢天皇の国風諡号の意祁と対応していることになる。顕宗天皇の袁祁は「オ卦」とは呼べない。
いささかややこしいが、言うなれば意(オ=O)と袁(を=WO)の発音は表裏の関係であって、24顕宗天皇の袁祁はヲ卦で、オの裏に相当するということである。とすると、逆に24顕宗天皇が意祁、25仁賢天皇が袁祁の方が、相応しい。なぜ、両者は逆になっているのか。
この疑問の答えは、24顕宗天皇の国風諡号の下の部分の石巣別にあった。
石巣別を「在す理由」の意味とすれば、「27 山雷頤の位置に意祁ではなく袁祁がいるのには、それなりの理由がある」という意味になり、その理由が『記』38歳に見出されるからである。
念のために付け加えておくが、27 山雷頤からは 艮(山)の7と 震(雷)の4という数も得られる。しかし、それはここに出てこない数なので、今は関係ない。そこで、卦の形を見る。
27 山雷頤の口の中は空っぽだから、無を意味する 坤(地)の8という数は得られるが、3は得られない。3を示すのは 離(火)であり、 離(火)は言うなれば口を窄めた形である。袁(WO)を発音する時は、図10のように、まず口を窄め( 離(火))、続いて下顎を下げて開く(27 山雷頤)。
しかし意(O)を発音する時には、最初から口を開いている。
したがって、『記』38歳と27 山雷頤を対応させるには、3と8の両方を示す袁の発音で補足しなければならず、それが「在す理由」すなわち石巣別だったのである。
これには痺れた。作者はとても易に深い人物のはずだ。私なんかの比ではない。是非、弟子入りして、いろいろ教わりたい!
しかし、約1300年前の人物だ。弟子入りはおろか、会うことすらできるわけがない。としても、この石巣別の意味がわかったときには、何やらそんな昔の人物と気持ちが通じたような、お互いにふと微笑みを交わしたような、そんな爽快感を覚えた。
残る数字のうち、24顕宗天皇の『記』在位8年は、口の中が空っぽ(無= 坤(地)=8)ということから得られるが、『紀』3年崩と、25仁賢天皇の『紀』11年崩は対応しない。
なお、27 山雷頤や 離(火)が示すのは正面から見た口の形であって、通常は 兌(沢)を口とする。
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26 武烈天皇 ヲハツセノワカサザキ
A列29 坎為水 B列55 雷火豊 小長谷若雀 『記』在位8年 『紀』8年崩
この天皇は、国風諡号も在位年数も対応しない。しかし、ここで一旦皇統が断絶することや、『紀』に記述された残忍な行為の、妊婦の腹を切り開いて胎児を見たり、人の指甲を解いて暑預を掘らせたり、女性を裸にして馬と交接させ、陰部が潤う者は殺し、潤わない者は官婢と呼ばれる奴隷とする等々が、A列29 坎為水を連想させる。この卦は険難や心病(残忍性は心病と言える)を示す 坎(水)が二つ重なっていることから、易六十四卦中の最も悪い形のひとつとされているのだが、皇統の断絶や残忍な遊びに興じるよりも悪いことはない。
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27 継体天皇 ヲホド
A列30 離為火 B列56 火山旅 袁本杼 『記』43歳 『紀』82歳・25年崩
A列30 離為火は、日を意味する 離(火)を二つ重ねた形であることから、日継すなわち皇位継承を意味するのだが、漢風諡号の継体は皇位継承者であることを、ことさらに強調した熟語である。
『記』43歳は、八卦と数の関係をもって置き換えれば、4は 震(雷)、3は 離(火)だから、合わせて55 雷火豊となるが、この卦はB列56 火山旅を逆方向から見た形である。
なお、国風諡号と『紀』82歳・25年崩は対応しない。
ただし82歳は、8は 坤(地)・2は 兌(沢)だから、合わせて16応神天皇のA列19 地沢臨を示す。何やら継体天皇が応神天皇の五世の孫とされていることと関係がありそうである。
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28 安閑天皇 ヒロクニオシタケカナヒ
A列31 沢山咸 B列57 巽為風 広国押建金日 『記』年齢等の記載なし 『紀』70歳・2年崩
国風諡号の上四文字の広国押建は、「国押建が示すところを広義に解釈せよ」との暗号とすれば、図11のように、国押は 巽(風)(6孝安天皇参照)、建は 震(雷)(22雄略天皇参照)だから、国押建でA列31 沢山咸の裏卦の41 山沢損を逆方向から見た42 風雷益を示していることになる。
この「裏返した後、さらに逆方向から見る」という手続きが、広義な解釈となるのだが、要するに「返して捩じる」の5孝昭天皇と同じ手間である。

しかし、残る金日の二文字は対応しない。
『紀』70歳・2年崩は、本文では「2年に70歳で崩御」とあることから、この順に従って「2・7」として見れば、2は 兌(沢)・7は 艮(山)だから、合わせてA列の31 沢山咸を示していることになる。
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29 宣化天皇 タケヲヒロクニオシタテ
A列32 雷風恒 B列58 兌為沢 建小広国押楯 『記』年齢などの記載なし 『紀』73歳・4年崩
国風諡号の建小広国押楯は、前帝28安閑天皇のときと同様に建は 震(雷)、国押は 巽(風)とすれば、建国押の三文字でA列32 雷風恒となるが、残る小広楯の三文字と年齢等の数字は対応しない。
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30 欽明天皇 アメクニオシハルキヒロニハ
A列33 天山遯 B列59 風水渙 天国押波流岐広庭 『記』年齢等の記載なし 『紀』32年崩
A列33 天山遯は、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本と見なせば 巽(風)となるが、国風諡号の上から二番目と三番目の文字の国押は、この 巽(風)を示している(6孝安天皇、28安閑天皇、29宣化天皇と同様)。
また、この国押の二文字に、四番目と五番目の文字を合わせて国押波流とすれば、流は「水の流れ」を意味する文字だから 坎(水)の表現と取れるので、「 巽(風)の風と 坎(水)の水の間に波がある」と解釈出来るが、B列59 風水渙は、水の上を風が行き、水面が波立っている様子を示す卦である。
したがって、この国押の二文字は、A列との対応と同時にB列との対応の一部にもなっているのであるが、A列との対応を優先するので、基本的には赤字で国押と示すことにした。
残る最上の天と下三文字の岐広庭、および『紀』32年崩は対応しない。
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31 敏達天皇 ヌナクラノフトタマシキ
A列34 雷天大壮 B列60 水沢節 沼名倉太玉敷 『記』在位14年 『紀』14年崩
ここは面白いがちょっとややこしいので、次の図12を見ながら話そう。

国風諡号の上三文字の沼名倉は、沼名は名前に沼の字が付く天皇のA列を指すものとすれば、それは2綏靖天皇(神沼河耳)だから5 水天需となる(B列としないのは、対応関係はA列が主でB列は従のような印象を受けるからである)。
倉は「大きく畜わえる所」だから26 山天大畜を示すものと考えられる。
続く太の字は、この5 水天需と26 山天大畜の両卦を構成する四つの八卦「 坎(水)、 乾(天)、 艮(山)、 乾(天)」のそれぞれを「太くせよ」すなわち「各卦を一本ずつに置き換えよ」という指示とし、これに従う。
この四つの卦は、何れも陽卦だから( 坎(水)と 艮(山)は少陽、 乾(天)は老陽)、都合四本の陽 となり、新たなる4という数の暗示と受け取れるので、この4を八卦に置き換えて 震(雷)とする。
これは回りくどい手続きだ。こんな暗号を作るからには、作者はかなりひねくれた性格だったのだろう。現代ならオタク系の人だったのかな?などと思い、つい笑いが零れてしまった。
が、ともあれ沼名倉太はこのように 震(雷)を表現しているのであって、残る玉敷は、玉は 乾(天)が示す事象だから(3安寧天皇と同様)、「下に 乾(天)を敷け」との指示と読む。
震(雷)(沼名倉太)の下に 乾(天)(玉)を敷いた形と言えば、A列34 雷天大壮に他ならない。そしてこの卦は、 震(雷)と 乾(天)で4と1の組み合わせを示すわけだが、『記』在位年数、『紀』崩年、共に14年とある。
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32 用明天皇 タチバナノトヨヒ
A列35 火地晋 B列61 風沢中孚 橘之豊日 『記』在位3年 『紀』2年崩
B列61 風沢中孚は、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本と見なせば、3を示す 離(火)となるが、『記』には在位3年とある。しかし国風諡号と『紀』2年崩は対応しない。
33 崇峻天皇 ハツセベノワカサザキ
A列36 地火明夷 B列62 雷山小過 長谷部若雀 『記』在位4年 『紀』5年崩
ここに挙げた国風諡号や数字は対応しないが、A列36 地火明夷には傷夷殺害という意味があり、『紀』では崇峻天皇は蘇我馬子の命により殺害されたことになっている。ただし『記』では、単に「在位は4年だった」とあるだけで、この事件には全く触れていない。
34 推古天皇 トヨミケカシギヤヒメ
A列37 風火家人 B列63 水火既済 豊御食炊屋比売 『記』在位37歳 『紀』(75歳)・36年崩
『紀』の国風諡号の豊御食炊屋姫と元年の皇紀1253年下二桁が、A列37 風火家人を示すことはすでに話した。
『記』の国風諡号も、姫が比売となっているだけで、後は『紀』と同じ文字を使っているので、やはり同じことである。
『記』在位37年という数字は、37 風火家人が六十四卦の序次の37番目であることと一致する。
『紀』36年崩は、3は 離(火)、6は 坎(水)だから、B列 水火既済と対応しているが、分注として記載されている崩年齢の75歳は対応しない。
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35 舒明天皇 オキナガタラシヒヒロヌカ
A列38 火沢睽 B列64 火水未済 息長足日広額
36 皇極天皇 アメトヨタカライカシヒタラシヒメ
A列39 水山蹇 B列1 乾為天 天豊財重日足姫
37 孝徳天皇 アメヨロヅトヨヒ
A列40 雷水解 B列2 坤為地 天萬豊日
38 斉明天皇
A列41 山沢損 B列3 水雷屯 (皇極の重祚)
39 天智天皇 アメノミコトヒラカスワケ
A列42 風雷益 B列4 山水蒙 天命開別
40天武天皇 アメノヌナハラオキノマヒト
A列43 沢天夬 B列5 水天需 天渟中原瀛真人
41 持統天皇 タカマノハラヒロノヒメ
A列44 天風姤 B列6 天水訟 高天原広野姫
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35舒明天皇から41持統天皇までの7代については、国風諡号が対応しない上に、崩御時の年齢記載もない。ただ、40天武天皇のA列43 沢天夬は、下五陽が力を結集して最上の一陰 (悪人を象徴)を決去することを意味するので、総力を挙げて大友皇子を決去した「壬申の乱」を連想させ、41持統天皇のA列44 天風姤は力の強い女性すなわち女帝をも意味する卦だから、この天皇が女帝であることと一致する。
これはどういうことだろう?易六十四卦の序次の進行に合わせて意図的に天皇の数を揃えたからこそ、このような対応関係があるとしか言えない。
私はたまたま易占いが好きで日常的に易と接していたので、六十四卦の序次は当然のこととして暗記していたし、各卦の意義や数字との関係もアタマに入っていた。したがって各天皇を一人ひとり検証するにしても、例えば英語が堪能な人が辞書を開かずに英文をスラスラ読んで理解するのと同様に、いちいち易の本を開いて確認することなく、表Tを作りながら自然に対応関係が読み取れた。おかげで神武天皇の「今運屯蒙」と76年崩の関係に気づいて2日目にはここまで辿り着いた。
そして対応関係を色分けして表Tを完成させたところで、改めて眺めてみると、なんだか不思議な数字の組み合わせがあることを見つけ、本来であれば眠いはずなのに目は爛々と輝き好奇心は一層強くなった。
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