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2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137

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@古代天皇と易六十四卦の序次 A謎めく数字137

@古代天皇と易六十四卦の序次

 しばらくはこの表T 古代天皇と易六十四卦の序次(別窓)に従って対応関係を見て行くことにする。
 面倒な手続きだが暗号解読には必要不可欠であると共に、一人ずれただけでも対応関係は成立しないということを確認しておくためである。

 「一人ずれただけでも不成立」ということから言えば、3安寧天皇と4懿徳天皇、10崇神天皇、11垂仁天皇、14反正天皇、24顕宗天皇と25仁賢天皇、そして31敏達天皇には、特に興味深いものがある。なお、中には国風諡号の一部を下から読んだり、その音からイメージされる別の文字に置き換えたりと、いささか強引さが目立つ箇所もあるが、この時点では多少強引であっても、対応しているということが重要なのであって、追々明らかにするが、その強引さは暗号としての役割が二重三重に課せられているからだったのである。

 なお、必要に応じて表T乱数表をご覧いただけるよう、ところどころにそのリンクを貼っておく。

 

1 神武天皇 カムヤマトイハレビコ

A列=4山水蒙 B列=30離為火 神倭伊波礼毘古 『記』137歳 『紀』127歳・76年崩

 すでに話したように、「今運屯蒙に属ひて」の蒙=山水蒙76年崩が、A列の存在を知る手掛かりだったわけだが、他の数字と国風諡号は対応しない。
 しかし『紀』に、「(いみな)(実名)は(ひこ)火火出見(ほほでみ)」という記述があり、この火火出見を「火を重ねた形で見よ」と教える暗号であるかのようにも思えるが、とすれば火は(火)だから、この(火)を二つ重ねたB列30離為火を示していることになる。

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2 綏靖天皇 カムヌナカハミミ

A列=5水天需 B列=31沢山咸 神沼河耳 記』45歳 『紀』84歳・33年崩

 国風諡号の沼河耳の三文字は、はともに水のあるところだから(水)は人体各部に八卦を配すときの約束でこれも(水)となるので、何れも(水)に置き換えられる。
 その(水)は少陽だから、さらに一本の陽に置き換えられる。
 すると三文字で、都合三本の陽である(天)になる。

 図2はこの様子を示したもので、要するに沼河耳と並ぶ三文字は、外見は(水)でありながら、その中に(天)を内包しているのである。

 易学の約束では、六十四卦を構成する八卦は、上の卦を外卦または上卦、下の卦を内卦または下卦という。
 したがってこの沼河耳は、(水)を外卦として上に、(天)を内卦として下に置いたA列水天需を表現したものに他ならない。

 逆に言うと、A列は水天需である。
 この卦は上に(水)があって下に(天)がある。上は外、下は内でもある。とすると(天)を内に含む(水)という意味を読み取れる。
 (水)は小陽だから、一本の陽に置き替えられる。
 (水)が三つあれば都合三本の陽で(天)を含んでいることになる。
 よし、(水)が示す事象の文字を三つ揃えて名前にしよう。
 水、海、沼、河、川、冬、耳、血・・・と、いろいろあるが、適当なところで沼河耳と揃えておこう。
 といった経緯で神沼河耳という名前が決められた、と考えられるのである。
 ちなみに需は「待つ」という意である。下卦(天)を「進む」とし、上卦坎(水)を川や沼など水がある場所とし、進もうとしても行く手を川や沼などに阻められている様子とする。こんな場合、無理に泳いで渡ろうとすれば危険であり、渡し舟を待つゆとりが必要である。だから「待つ」という意で卦名を需とされれたのである。占ってこの卦を得たときは、少し待って様子を見たほうがよい、という判断になる(詳細は「究極の易経解説・水天需」参照、他卦の詳細についても必要に応じてご覧ください)

 『記』45歳は八卦と数の関係により、32雷風恒となるが、この卦は図3のように、B列31沢山咸を逆方向から見た形である。

 易六十四卦は、陰陽の記号六本の組み合わせである。その組み合わせが上下対称となるもの以外は、逆方向から見ると違う卦になる。この逆方向から見た卦のことを顛倒卦と言い、序次では隣り合うように配置されていて、持つ意義も関連している。
 『紀』年齢と崩年は対応しない。

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3 安寧天皇 シキツヒコタマテミ

A列=6天水訟 B列=32雷風恒 師木津日子玉手見 『記』49歳 『紀』57歳・38年崩

4 懿徳天皇 オホヤマトヒコスキトモ

A列=7地水師 B列=33天山遯 大倭日子鉏友 『記』45歳 『紀』34年崩

 この二人は合わせて見ることによって対応関係が明らかになる。

 まずは3安寧天皇の国風諡号、師木津日子玉手見である。
 この名前は漢字の音読みだけを使って表示したいわゆる万葉仮名ではなく、漢字の意味とは無関係に訓読みをして「しきつひこたまてみ」と読む。
 『日本書紀』では磯城津彦玉手看と書いて同じように読む。
 普通に考えれば、磯城あるいは磯城津という地名があって、その土地に縁がある人物ということで磯城津彦と付けたものと解釈するのが妥当だろう。
 しかし、A列を眺めながら『古事記』の表記である師木津日子玉手見を見ると状況は一変する。

 頭のの字は、続く4懿徳天皇のA列7地水師の字を指しているようではないか。
 そうなると、師木津日ではなく、逆さに日津木師と読んでみたくなる。
 日津木師と読んでと文字を当てれば、継すなわち嗣(皇位継承者)が地水師の位置である、と示していることになる。
 下の玉手見は、(ギョク)は丸くて剛いものだから(天)手見は「手相を見る」の意とすれば、それは悩んでいる時だから「悩む」という意味を持つ(水)にと、それぞれ置き換えることができる。すると玉手見で、A列6天水訟を示していることになる。

 したがってこの名前は、
 「皇位継承者が地水師の位置となる(師木津日子天水訟の位置(玉手見)の天皇」
 と示していることになり、3安寧天皇のA列天水訟、その皇位継承者である次の4懿徳天皇のA列地水師であることと一致する。

 4懿徳天皇の国風諡号、大倭日子鉏友は、上の大倭日子の部分は対応しないが、下の鉏友は二人の『記』年齢と関係がある。
 八卦と数の関係にしたがって数字を置き換えると、4は(雷)・5は(風)・9は(天)だから、3安寧天皇の49歳は34雷天大壮となる。
 この卦は4懿徳天皇のB列33天山遯を逆方向から見た形である。
 一方の4懿徳天皇の45歳は、反対に3安寧天皇のB列32雷風恒となっている。
 しかし、これでは両者の位置が逆であり、両者の順番をひっくり返さなければ、対応しているとは言えない。
 そこで登場するのが、鉏友であって、この二文字がひっくり返すことを指示しているのではないだろうか?
 は土を耕す道具だが、耕すとは土をひっくり返すこと、ここで言うは国風諡号で両者を結び付けている3安寧天皇以外にはいない。
 要するに鉏友で、「友である3安寧天皇と、その位置の順番をひっくり返せ」と告げていたのである。
 この他の数字は、3安寧天皇の『紀』38年崩がA列6天水訟の裏卦(=全六本の記号の陰陽を逆にした形)36地火明夷の示す数を逆に並べたものであること以外は、対応しない。

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5 孝昭天皇 ミマツヒコカヱシネ

A列=8水地比 B列=34雷天大壮 御真津日子訶恵志泥 『記』93歳 『紀』83年崩

 この天皇の国風諡号は、『記』93歳とA列8水地比との関係を示している。
 まず、頭の御真津日だが、『記』に御諸山とある地名が『紀』では三諸山と、文字を替えて表示していることに倣い、は数の3の音の表現と考える。
 続くは、陰陽を考えると、と偽で対比すれば偽を陰としたときの陽だから、一本の陽となる。
 したがって、御真で「3本の陽」である(天)となる。
 続くは港すなわち出会いの場所、(火)が示す事象だから、上の御真と合わせて、「(天)御真(火)が出会う()」となり、13天火同人を示していることになる。
 この卦は『記』93歳を八卦と数の関係に従って置き換えた形だが(9は(天)、3は(火))、この天皇のA列は8水地比なのだから、これでは対応しているとは言えない。

 なぜ、対応しないのだろう・・・、対応している、と言うためには、すべての陰をひっくり返し、次いで全体を180度捩じる必要がある。
 4安寧天皇や5懿徳天皇のときのように、何か名前に仕掛けがあるのだろうか?
 名前の残る下の部分には訶恵志泥とある。
 かえしね、カエシネ、かえしね、カエシネ・・・。

 そうか!これは「返し捩」と字を当てれば「裏返して捩じれ」という指示と読めるではないか!
 御真津日の13天火同人を裏返して7地水師とし、その上で180度捩じる(逆方向から見る)。するとA列水地比となる。

 ただし、歴史的仮名遣いがそうであるように、本来の音は、恵は「ゑ」、返は「かへ」である。恐らく、素直に「へ」とすると、六十四卦の序次との関係が露骨になり過ぎるので、あえて「へ」を避け、「ゑ」に相当する恵の字を使ったのだろう。
 そもそも「へ」と「え」と「ゑ」の誤用は昔からあるように、間違っていても通じる程度の微妙な差なのである。

 『紀』83年崩は対応しない。

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6 孝安天皇 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト

A列=9風天小畜 B列=35火地晋 大倭帯日子国押人 『記』123歳 『紀』102年崩

 国風諡号の上の部分は対応しないが、下の国押人は、次のように読める。
 国押には大地という意味があるから、国押で大地をすものを示している。大地を押すものと言えば風である。風は大地を押すように吹くわけだが、風は(風)である。
 続くは、これは天皇の名前だから、天皇を指し、易では天皇すなわち天子は(天)で表現される。
 したがって、国押人(風)(天)すなわちA列9風天小畜を示していることになる。

 この卦は、構成する八卦が示す数の他に、下から四番目の一陰が、上二陽と下三陽の進むのを制し止めている形なので、1・2・3という数字の組み合わせが浮上するのだが、『記』では崩年齢を123歳としている。

 『紀』102年崩は、1と2を八卦と数の関係に従って置き換えれば、このA列9風天小畜を逆方向から見た10天沢履となる。
 ところで、プロローグでも触れたが、『易経』の風天小畜の意義を説明する文章の「象伝」というところには、「君子以懿文徳」という言葉がある。
 とすると、4懿徳天皇と何らかの関係がありそうな気配だが、これについてはこの対応関係を検証する時点ではいささか話しが逸れるので、追って暗号解読のときに明らかにする。

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7 孝霊天皇 オホヤマトネコヒコフトニ

A列=10天沢履 B列=36地火明夷 大倭根子日子賦斗邇 『記』106歳 『紀』76年崩

 国風諡号の上の部分は対応しないが、下の賦斗邇は次のように関係する。
 賦斗邇斗邇は、(=柄杓)は水を量り分ける道具だから(沢)(最上の一陰を窪みとし、水を入れるイメージ)、は『紀』に瓊とあり(賦斗邇=太瓊)、瓊は美しく陽気が満ち溢れた玉を意味する文字だから(天)となる。したがって斗邇と合わせて43沢天夬となる。しかしこれでは対応しない。
 そこで残るだが、この字は貝と武に分ければ、貝は(火)(上下を陽の剛い殻で覆い、中の陰の柔弱な身を守っているイメージ)、武は(雷)(武は猛々しさを表現する文字だが、猛々しさの極みこそ雷である)だから、合わせて21火雷噬嗑となる。
 噬嗑とは「噛み合わせる、噛み砕く」といった意味である。
 この21火雷噬嗑という卦は、最下と最上の二陽を「上の歯、下の歯」あるいは「上顎、下顎」とし、「口の中に入って来たものは何でも噛み砕いて食べてしまう」という意味を示すのだが、口の中の食物は、咀嚼しているうちには上下が入れ替わったり、あっちに行ったりこっちに行ったりするので、これは「上下を入れ替えよ」との指示になる。したがって、斗邇の43沢天夬の上下を入れ替える。するとA列10天沢履になる。

 数字については、『記』106歳は1と6で見ると、B列36地火明夷の裏卦の6天水訟となるが、『紀』76年崩は対応しない。

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8 孝元天皇 オホヤマトネコヒコクニクル

A列=11地天泰 B列=37風火家人 大倭根子日子国玖琉 『記』106歳 『紀』76年崩

 国風諡号の上の部分は対応しないが、下の国玖琉は、は大地だから(地)は九の大字だから9を示す(天)は「流れる」という意味だから、国玖琉と合わせて「11地天泰A列)が流れる」と読める。

 なお、大字とは、重要なことを書くとき、似た字と間違えないようにするための漢数字で、壹=壱(一)、貳=弐(二)、參=参(三)、肆(四)、伍(五)、陸(六)、漆(七)、捌(八)、玖(九)、拾(十)、佰(百)、阡(千)、萬(万)‥‥のことである。
 今でも壱弐参くらいは、たまに目にすることがあるが、かつてはこのようにすべての漢数字に対して大字が揃っていたのであって、例えば『記』では、各天皇の崩年齢の表記に用いられていて、孝元天皇なら伍拾漆(57)歳、崇神天皇なら壹佰陸拾捌(168)歳といった具合に使われている。

 さて、その11地天泰だが、この卦は本来上にあるべき(天)の天が下に、下にあるべき(地)の地が上にある形である。
 そもそも上にあるべき者は下から上に昇ろうとし、下にあるべき者は上から下に降りようとするものである。
 そこで、下から上に昇ろうとする者と上から下に降りようとする者が程よく混ざりあって万物が生成され安泰となる、ということを意味するのである。

 これに従えば、11地天泰が流れるとは、本来の位置すなわち上にあるべき(天)が上に、下にあるべき(地)が下にある12天地否に向かうことと解釈できる。

 ちなみに占いでは、地天泰はよい卦、天地否は悪い卦であるが、地天泰が出たからと言って安心してはいけない、このように陽と陰は本来あるべき位置に流れ、いつかは天地否になる可能性があるのであって、今のうちにやるべきことはきちんとやっておくように、という判断になる。
 そこで図6のような、11地天泰から12天地否へと、陰が流れて行く過程が想定できるのだが、すると12天地否(次の9開化天皇のA列)の直前すなわち8孝元天皇の時代の最後に相当するところで、53風山漸となる。
 この53風山漸を二桁の数で表現すれば57(風)は5、(山)は7)すなわち『記』の崩年齢および『紀』の崩年の数字である。

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9 開化天皇 ワカヤマトネコヒコオホビ

A列=12天地否 B列=38火沢睽 若倭根子日子大毘毘 『記』63歳 『紀』(115歳)・60年崩

 国風諡号の下の部分の大毘は、は陽だからその極みの(天)(小が陰)、は田と比に分ければ、田は食料を生産する大地だから(地)、比は同音の否の借用と見なせるので、大毘A列12天地否となる。
 残るもう一つのの字は、次のように『記』63歳、『紀』60年崩とB列38火沢睽を繋いでいる。

 『記』63歳は9開化天皇の崩年の皇紀563年下二桁の数であることから(504年を元年とした60年崩)、この563という数字を示唆するものとも受け取れる。
 の字を今度は、比を8水地比のこととして田の(地)と合わせ、(地)(水)(地)とすれば、(地)は老陰だから一本の陰坎は少陽だから一本の陽にそれぞれ置き換わるので、下の図7のように、この場合は(水)の表現となり、数では6を示す。そして、A列との対応に毘の字は二ついらないので、この毘は余りものということになる。とすとると、その示す数の6も余分だと言っていることになる。
 そこで563から6を取り除き、残る5と3で易に卦に置き換える。すると、5は(風)・3は(火)だから、B列38火沢睽を逆さに見た37風火家人になる。

 国風諡号の上の方と『紀』に分注として記載されている崩年齢の115歳は対応しない。

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10 崇神天皇 ミマキイリヒコイニヱ

A列=13天火同人 B列=39水山蹇 御真木入日子印恵 『記』168歳 『紀』120歳・68年崩

 国風諡号の上の方の御真木入日子は、は5孝昭天皇の時と同様に数の3、真木は「天に向かって真直に伸びる木」のことだから陽を指すものとすれば、御真木で都合三本の陽である(天)となる。
 続く入日子は、(火)が示す事象であり、日子は日の子であって、蛙の子は蛙というように、親が日なら子も日であるはずなので、入日子で「(火)が入る」という意味になる。
 そこで、御真木入日子と合わせれば、「乾(御真木)の下に(火)日子)がる」で、A列13天火同人を示していることになる。

 下の印恵は、は印鑑のこととすれば、印鑑は文字を裏返しに彫るから、「裏返しに恵みあり」で「裏卦を見よ」という指示と解釈出来る。
 13天火同人の裏卦は7地水師である。
 この7地水師は、(地)の8と(水)の6、そして全体の形が陰ばかりの中に陽が一本であることから、1という数を示す。
 『記』168歳はこの三つの数字の組み合わせ、『紀』68年崩は構成する八卦が示す二つの数字の組み合わせとなっている。

『紀』120歳は対応しない。

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11 垂仁天皇 イクメイリビコイサチ

A列=14火天大有 B列=40雷水解 伊久米伊理毘古伊佐知 『記』153歳 『紀』140歳・99年崩

 まずは国風諡号の伊久米伊理毘古の部分である。
 伊久米は「い」で、この「い」は口を横一文字に開いて発音することから1本の陽は数字の9の借用とすれば(大字では玖と書く)極陽の数だからこれも1本の陽(コメ)もその形状が細長いのでこれまた1本の陽の表現となる。
 とすると、伊久米の三文字は、都合三本の陽である(天)となるから、続く伊理毘古入日子と文字を当て、10崇神天皇の時と同様に「(火)が入る」と読む。すると、伊久米伊理毘古で13天火同人を示していることになる。

 あれ?これは前帝10崇神天皇のA列ではないか。11垂仁天皇のA列は、この10崇神天皇のA列の上下を入れ替えた14火天大有である。とすると、どこかに上下を入れ替えることを指示する暗号がなければ、対応しているとは言えない。どういうことだろう・・・?と、ちょっと戸惑った。しかしその意味はすぐわかった。

 ここまで対応関係を調べて来たことにより、暗号作者の考え方が少しずつ読めるようになって来たようだ。
 一方では入日子としていて、もう一方では伊理毘古としている、ここにヒントはあるはずであり、そうであるのなら、答えは「10崇神天皇の国風諡号は漢字の訓読だが、この11垂仁天皇の国風諡号は万葉仮名だ」、ということに違いない。

 万葉仮名は漢字の音を用い、漢文を書き下したり、字が持つ意味を考えずに言葉を表現するのに使われていて、言うなれば現代の平仮名や片仮名に相当するものである。これに対して漢文は、英語等と同様に主語・動詞・目的語といった順に並ぶので、返り点を付して文字の順を入れ替えて読まなければ、日本語として通じない。例えば「温故而知新」を「故きを温めて新しきを知る」というように。
 すなわち伊久米伊理毘古は漢文を万葉仮名で書き下したものであると想定させることで、順序の入れ替えを示唆しているのであって、想定される本来の漢文は「離入乾」で、離を毘古、入を伊理、乾を伊久米と訓み、「離入乾」という漢文を、日本語の語順に従って書き下したのが伊久米伊理毘古なのである。これなら本来の離入乾で、(火)の下に(天)が入った形であるA列14火天大有を示していることになる。

 残る伊佐知は、五去知という漢字三文字を万葉仮名で書いたものとして、「五が去れば知れる」と解釈すれば、『記』153歳との関係を示していることになる。153から5を取り去り、国風諡号の上の部分のように上下を入れ替えれば、31でA列14火天大有の示す数となる。

 『紀』140歳・99年崩は対応しない。

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12 景行天皇 オホタラシヒコオシロワケ

A列15地山謙 B列41山沢損 大帯日子淤斯呂和気 『記』137歳 『紀』106歳・60年崩

 この天皇は国風諡号、年齢等の数字、何れも対応しない。ところが面白いことに、『記』137歳は1神武天皇と同じである上に、元年の皇紀731年を逆さにした数字でもあり、何やら作為的なものを感じる。

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13 成務天皇 ワカタラシヒコ

A列16雷地予 B列42風雷益 若帯日子 『記』95歳 『紀』107歳・60年崩

 A列16雷地予の裏卦9風天小畜が示す数字は、(風)の5と(天)の9(または1)だが、『記』95歳はこの5と9の組み合わせである。
 国風諡号と『紀』の年齢や崩年は対応しない。

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14 仲哀天皇 タラシナカツヒコ

A列17沢雷随 B列43沢天夬 帯中津日子 『記』52歳 『紀』52歳・9年崩

  この天皇も、12景行天皇と同様に、国風諡号・年齢等の数字、何れも対応しない。ただし、年齢の52歳は元年の皇紀852年下二桁と同じであり、何やら作為を感じる。

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15 神功皇后 オキナガタラシヒメ

A列18山風蠱 B列44天風姤 息長帯比売 『記』(100歳) 『紀』(100歳)・69年崩

 この人物は、すでに話したように、国風諡号の息長帯比売が、B列発見の手掛かりとして44天風姤を示すわけだが、年齢等の数字は対応しない。しかし、『紀』本文中にはA列18山風蠱を連想させる箇所がある。

 この卦は、(山)を「止める」、(風)を「臭い」とし、皿の上の食物が腐って臭いを放つのを、蓋をして覆い止めているイメージであって、蠱の字は皿の上に多数の虫が群がっている様子を表現している。このことから、例えば、汚職の横行や正義が通用しない状況を暗示する。と同時に、蠱の字の皿を女性の腹(子宮)、虫を男性の精液として、多数の男性と関係があり、父親が判然としない子を妊娠する女性、という意味も持つ。
 15神功皇后は、夫の14仲哀天皇が崩御した日から数えて304日目に16応神天皇を生んだことになっているが、通常ヒトの妊娠期間は約290日であることから、その父親を14仲哀天皇とすることには、いささかの疑念も生じる。
 これはまさに、18山風蠱の「父親が判然としない妊娠」と、意味が合うではないか。

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16 応神天皇 ホムダワケ

A列19地沢臨 B列45沢地萃 品陀和気 『記』130歳 『紀』110歳・41年崩

 国風諡号の品陀和気は、A列19地沢臨の臨の字のツクリを連想させ、陀和気は「田分け」とすれば(『紀』では品陀を誉田と表記)、田は食料を生産する大地だから(地)、「分け」は分割のことだから(沢)(沢は山々を分割するように流れる)となるので、合わせてこれも19地沢臨となる。
 この卦は、図8のように、構成する(地)の8(または0)と(沢)の2とは別に、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本ずつ合わせて一本と見なせば、(雷)となり、その(雷)が示す数は4なので、4という数をも示している。

 『記』130歳は、実際には大字で壹佰參拾歳と表記されているのだが、通常の漢数字で一百三十歳として見れば、百位と十位に横棒が計四本あるので、これも4という数の暗示となる。
 『紀』110歳は、B列45沢地萃を連想させる。下卦の(地)は一位に数字がないこと(端数がないこと)を、その上の四番目と五番目の計二本の陽は、十位と百位に一という数字があることを示しているようにも見なせるのである。
 『紀』41年崩は対応しない。

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17 仁徳天皇 オホサザキ

A列20風地観 B列46地風升 大雀 『記』83歳 『紀』87年崩

 A列20風地観は、「(地)の地上を観ながら、(風)の風に乗って空を行く鳥」を連想させもする卦だが、国風諡号の大雀(『紀』では大鷦鷯と表記)はミソサザイという鳥の古名に大の字を冠したものである。
 また20風地観は、図8で示したように、16応神天皇のA列19地沢臨の時と同様、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本とすれば、山を意味する(山)になるが、大阪府堺市にある有名な仁徳天皇陵は、山のように大きいことから、俗に大山陵とも呼よばれている。
 
 ちなみに、『論語』雍也篇には「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」という言葉があるが、この山と仁の関係は、仁徳という漢風諡号とA列20風地観の「大きな山」との関係を連想させる。もちろん諡号だけではなく、本文にも仁徳篤い様子が描かれている。
 年齢等の数字は対応しない。

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18 履中天皇 オホエノイザホワケ

A列21火雷噬嗑 B列47沢水困 大江之伊邪本和気 『記』64歳 『紀』(70歳)・年崩

 A列21火雷噬嗑は、7孝霊天皇のところでも触れたように最上最下の陽を「上の歯・下の歯」あるいは「上顎・下顎」と見なすので、下から二番目から五番目までを口の中とイメージする。しかし易は、三本または六本の記号により意味をなすものだから、この二番目から五番目までの四本の記号を塩梅して口の中の様子とする。

 図9を見ながら話そう。 

易の卦には、卦の中に内在する卦がある。易占いでは、本来の卦の状況が生じる原因を、その内在する卦だと考えたりする。そしてその内在する卦の捉え方はいくつかあるが、基本的には次のようになる。下から二番目から四番目までを内卦、三番目から五番目までを外卦とする。したがってこの卦の場合は、その内在する卦は39水山蹇となる。

 さて、噬嗑には「噛み砕く」という意味がある。
 口の中の食物は、噛み砕いて咀嚼しているうちには上下が逆転したり、あっちに行ったり、こっちに行ったりする。そこで、その食物を噛み砕いて上下が逆転する様子に擬えて、この卦の上下を逆転させる。すると、40雷水解になるが、この卦は4と6という数字の組み合わせを示す。『記』64歳は、この4と6の組み合わせである。

 また、内在する卦の捉え方としては、内在するのを六十四卦として考えるのではなく、八卦として考える場合もある。この卦の場合は、陰には無という意味もあるので、この卦の五番目を無視して二番目から四番目までの(山)で考えることができるが、『紀』(70歳)の7は、その(山)が示す数である。と同様に、二番目を無視して三番目から五番目までを見れば、6を示す(水)が浮上し、『紀』年崩に一致する。

 なお、国風諡号の大江之伊邪本和気は対応しない。しかし上二文字の大江は、大は陽(小が陰)だからその極みの(天)、江は水があるところだから(水)とすれば、合わせて序次6天水訟で、(天)は1・(水)は6だから、1と6という数の組み合わせが示されていることになる。
 18履中天皇の元年は、皇紀1060年で1と6が目立っている。

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19 反正天皇 タヂヒノミヅハワケ

A列22山火賁 B列48水風井 蝮之水歯別 『記』60歳 『紀』5年崩

 国風諡号の水歯別は『日本書紀』では瑞歯別と表記され、歯並びがよかったからそういう名前になったと説明されている。
 また古代史研究者の中には、18履中天皇とともに国風諡号の最後に和気・別=ワケとあることから、国風諡号に共通する部分がある天皇を分別して、6孝安天皇他のネコ族、この18履中天皇と19反正天皇のワケ族などと括り、かつてはネコとかワケと称した部族があって、その部族との何らかの関係によってつけられた名前ではないか、と考える場合もある。
 確かに、歴代天皇の国風諡号には何人かに共通する部分があったりして、そんなふうに思わせる雰囲気がある。しかし六十四卦の序次とともにこの反正天皇の国風諡号を見た途端、思わず、なんだバカバカしい、と笑ってしまった。
 国風諡号の下の部分の水歯別は、A列27山火賁の見た目の形がに別れることを示したものでしかない(前掲の図9参照)。
 この卦は前帝18履中天皇のA列21火雷噬嗑と同様に、最上最下の陽を上下の歯と見なすことが出来、上下の歯の間には(水)の水があるのである。そして、上の図9のように、を別にすると(水)が示す6という数が浮上するが、『記』60歳とある。
 国風諡号の上の部分の蝮之と『紀』5年崩は対応しない。

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20 允恭天皇 ヲアサヅマワクゴノスクネ

A列23山地剥 B列49沢火革 男浅津間若子宿禰 『記』78歳 『紀』42年崩

 『記』78歳は、7は(山)・8は(地)だから、A列23山地剥を示していることになるが、『紀』42年崩と国風諡号は対応しない。

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21 安康天皇 アナホ

A列24地雷復 B列50火風鼎 穴穂 『記』56歳 『紀』年崩

 国風諡号の穴穂は、は宀(ウ冠)を外すと八=8だから(地)は稲の恵みだから稲を意味する(雷)とすれば、合わせてA列24地雷復を示していることになる。
 また、B列50火風鼎は、鼎(かなえ)という三本足の鍋を意味する卦なので、構成する八卦による数の3と5の組み合わせ((火)は3・(風)は5)とは別に、全体で3という数をも意味するのだが、『紀』年崩とある。
 『記』56歳は対応しない。

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22 雄略天皇 オホハツセノワカタケ

A列25天雷无妄 B列51震為雷 長谷若 『記』124歳 『紀』23年崩

 国風諡号の長谷若は、は小を陰とした時の陽だからその極みの(天)は『記』に建御雷神という神名があることから(雷)とすれば、大と建でA列25天雷无妄となるが、中間の長谷若は対応しない。
 『記』124歳は、普通の漢数字で書けば一百二拾四となり、このうちの百位の1(一)と十位の2(二)を合わせて三本の横棒の表現とすれば(天)となるから、その(天)の下に一位の4を示す(雷)を置けば、A列25天雷无妄となる。
 『紀』23年崩は対応しない。

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23 清寧天皇 シラガノオホヤマトネコ

A列26山天大畜 B列52艮為山 白髪大倭根子 『記』年齢等の記載なし 『紀』5年崩

 A列26山天大畜は「大きく畜える」という意味を持ち、年齢を大きく畜えれば老人になるが、国風諡号の上二文字の白髪は、その老人を連想させる。しかし、残る下四文字と、『紀』5年崩は対応しない。

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24 顕宗天皇 ヲケノイハスワケ

A列27山雷頤 B列53風山漸 袁祁之石巣別 『記』在位年・38歳 『紀』3年崩

25仁賢天皇 オケ

A列28沢風大過 B列54雷沢帰妹 意祁 『記』年齢等の記載なし 『紀』11年崩

 この二人は物語上ではとても仲がよい。行動的な弟とおとなしい兄。おとなしい兄は皇位継承を弟に譲り、まず弟の顕宗天皇が即位し、次いで兄の仁賢天皇が即位したとある。皇太子が天皇の兄という前代未聞の状況となるなど、稀に見る仲のよさだが、国風諡号もよく似ている。顕宗天皇はカタカナで書くとヲケノイハスワケ、仁賢天皇がオケである。ヲケとオケ、アルファベットで書けばwokeとoke、現代人なら区別せずに両者共にokeと発音することも普通にありそうだ。
 これにはきっと何かがある。そう考え打て、この二人はまとめて六十四卦の序次との対応を検証することにした。と言っても特に難しいわけではなく、すぐ、ああ、なるほどね、と感心するとても面白い対応関係だった。

 24顕宗天皇のA列27山雷頤は、21火雷噬嗑(18履中天皇のA列)や22山火賁(19反正天皇のA列)と同様に、最上最下の陽を上下の歯(あるいは顎)と見なして口の形とする卦である。頤とは「おとがい」すなわち下顎のことである。ただし今回の口の中は全て陰だから、空っぽの状態(陰は無を意味する)すなわちアイウエオのオを発音する時の形となる。
 そこで、「オを発音する時の口の形を示す()(卦はその昔は専ら「け」と発音されていた)ということから「オ()」と呼ぼう。
 するとこれは、27山雷頤ではなく、その裏卦の28沢風大過をA列とする仁賢天皇の国風諡号の意祁と対応していることになる。顕宗天皇の袁祁は「オ卦」とは呼べない。
 いささかややこしいが、言うなれば(オ=O)と(を=WO)の発音は表裏の関係であって、24顕宗天皇の袁祁はヲ卦で、オの裏に相当するということである。とすると、逆に24顕宗天皇が意祁、25仁賢天皇が袁祁の方が、相応しい。なぜ、両者は逆になっているのか。
 この疑問の答えは、24顕宗天皇の国風諡号の下の部分の石巣別にあった。

 石巣別を「(いは)理由(わけ)」の意味とすれば、「27山雷頤の位置に意祁ではなく袁祁がいるのには、それなりの理由がある」という意味になり、その理由が『記』38歳に見出されるからである。
 念のために付け加えておくが、27山雷頤からは(山)の7と(雷)の4という数も得られる。しかし、それはここに出てこない数なので、今は関係ない。そこで、卦の形を見る。
 27山雷頤の口の中は空っぽだから、無を意味する(地)の8という数は得られるが、3は得られない。3を示すのは(火)であり、(火)は言うなれば口を窄めた形である。(WO)を発音する時は、図10のように、まず口を窄め((火))、続いて下顎を下げて開く(27山雷頤)。

 しかし(O)を発音する時には、最初から口を開いている。

 したがって、『記』38歳と27山雷頤を対応させるには、3と8の両方を示すの発音で補足しなければならず、それが「在す理由」すなわち石巣別だったのである。

 これには痺れた。作者はとても易に深い人物のはずだ。私なんかの比ではない。是非、弟子入りして、いろいろ教わりたい!
 しかし、約1300年前の人物だ。弟子入りはおろか、会うことすらできるわけがない。としても、この石巣別の意味がわかったときには、何やらそんな昔の人物と気持ちが通じたような、お互いにふと微笑みを交わしたような、そんな爽快感を覚えた。

 残る数字のうち、24顕宗天皇の『記』在位年は、口の中が空っぽ(無=(地)=8)ということから得られるが、『紀』3年崩と、25仁賢天皇の『紀』11年崩は対応しない。

 なお、27山雷頤(火)が示すのは正面から見た口の形であって、通常は(沢)を口とする。

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26 武烈天皇 ヲハツセノワカサザキ

A列29坎為水 B列55雷火豊 小長谷若雀 『記』在位8年 『紀』8年崩

 この天皇は、国風諡号も在位年数も対応しない。しかし、ここで一旦皇統が断絶することや、『紀』に記述された残忍な行為の、妊婦の腹を切り開いて胎児を見たり、人の指甲を解いて暑預を掘らせたり、女性を裸にして馬と交接させ、陰部が潤う者は殺し、潤わない者は官婢と呼ばれる奴隷とする等々が、A列29坎為水を連想させる。この卦は険難や心病(残忍性は心病と言える)を示す(水)が二つ重なっていることから、易六十四卦中の最も悪い形のひとつとされているのだが、皇統の断絶や残忍な遊びに興じるよりも悪いことはない。

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27 継体天皇 ヲホド

A列30離為火 B列56火山旅 袁本杼 『記』43歳 『紀』82歳・25年崩

 A列30離為火は、日を意味する(火)を二つ重ねた形であることから、日継すなわち皇位継承を意味するのだが、漢風諡号の継体は皇位継承者であることを、ことさらに強調した熟語である。
 『記』43歳は、八卦と数の関係をもって置き換えれば、4は(雷)、3は(火)だから、合わせて55雷火豊となるが、この卦はB列56火山旅を逆方向から見た形である。

 なお、国風諡号と『紀』82歳・25年崩は対応しない。
 ただし82歳は、8は(地)・2は(沢)だから、合わせて16応神天皇のA列19地沢臨を示す。何やら継体天皇が応神天皇の五世の孫とされていることと関係がありそうである。

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28 安閑天皇 ヒロクニオシタケカナヒ

A列31沢山咸 B列57巽為風 広国押建金日 『記』年齢等の記載なし 『紀』70歳・年崩

 国風諡号の上四文字の広国押建は、「国押建が示すところを義に解釈せよ」との暗号とすれば、図11のように、国押(風)(6孝安天皇参照)、(雷)(22雄略天皇参照)だから、国押建A列31沢山咸の裏卦の41山沢損を逆方向から見た42風雷益を示していることになる。
 この「裏返した後、さらに逆方向から見る」という手続きが、広義な解釈となるのだが、要するに「返して捩じる」の5孝昭天皇と同じ手間である。

 しかし、残る金日の二文字は対応しない。
 『紀』70歳・年崩は、本文では「年に70歳で崩御」とあることから、この順に従って「2・7」として見れば、2は(沢)・7は(山)だから、合わせてA列31沢山咸を示していることになる。

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29 宣化天皇 タケヲヒロクニオシタテ

A列32雷風恒 B列58兌為沢 小広国押楯 『記』年齢などの記載なし 『紀』73歳・4年崩

 国風諡号の小広国押楯は、前帝28安閑天皇のときと同様に(雷)国押(風)とすれば、建国押の三文字でA列32雷風恒となるが、残る小広楯の三文字と年齢等の数字は対応しない。

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30 欽明天皇 アメクニオシハルキヒロニハ

A列33天山遯 B列59風水渙 天国押波流岐広庭 『記』年齢等の記載なし 『紀』32年崩

 A列33天山遯は、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本と見なせば(風)となるが、国風諡号の上から二番目と三番目の文字の国押は、この(風)を示している(6孝安天皇、28安閑天皇、29宣化天皇と同様)。
 また、この国押の二文字に、四番目と五番目の文字を合わせて国押波流とすれば、は「水の流れ」を意味する文字だから(水)の表現と取れるので、「(風)の風と(水)の水の間にがある」と解釈出来るが、B列59風水渙は、水の上を風が行き、水面が波立っている様子を示す卦である。
 したがって、この国押の二文字は、A列との対応と同時にB列との対応の一部にもなっているのであるが、A列との対応を優先するので、基本的には赤字で国押と示すことにした。
 残る最上の天と下三文字の岐広庭、および『紀』32年崩は対応しない。

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31 敏達天皇 ヌナクラノフトタマシキ

A列34雷天大壮 B列60水沢節 沼名倉太玉敷 『記』在位14年 『紀』14年崩

 ここは面白いがちょっとややこしいので、次の図12を見ながら話そう。

 国風諡号の上三文字の沼名倉は、沼名は名前に沼の字が付く天皇のA列を指すものとすれば、それは2綏靖天皇(神沼河耳)だから5水天需となる(B列としないのは、対応関係はA列が主でB列は従のような印象を受けるからである)。
 は「大きく畜わえる所」だから26山天大畜を示すものと考えられる。
 続くの字は、この5水天需と26山天大畜の両卦を構成する四つの八卦「(水)(天)(山)(天)」のそれぞれを「太くせよ」すなわち「各卦を一本ずつに置き換えよ」という指示とし、これに従う。
 この四つの卦は、何れも陽卦だから((水)(山)は少陽、(天)は老陽)、都合四本の陽となり、新たなる4という数の暗示と受け取れるので、この4を八卦に置き換えて(雷)とする。
 これは回りくどい手続きだ。こんな暗号を作るからには、作者はかなりひねくれた性格だったのだろう。現代ならオタク系の人だったのかな?などと思い、つい笑いが零れてしまった。
 が、ともあれ沼名倉太はこのように(雷)を表現しているのであって、残る玉敷は、(天)が示す事象だから(3安寧天皇と同様)、「下に(天)を敷け」との指示と読む。
 (雷)沼名倉太)の下に(天))を敷いた形と言えば、A列34雷天大壮に他ならない。そしてこの卦は、(雷)(天)で4と1の組み合わせを示すわけだが、『記』在位年数、『紀』崩年、共に14年とある。

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32 用明天皇 タチバナノトヨヒ

A列35火地晋 B列61風沢中孚 橘之豊日 『記』在位年 『紀』2年崩

 B列61風沢中孚は、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本と見なせば、3を示す(火)となるが、『記』には在位年とある。しかし国風諡号と『紀』2年崩は対応しない。

33 崇峻天皇 ハツセベノワカサザキ

A列36地火明夷 B列62雷山小過 長谷部若雀 『記』在位4年 『紀』5年崩

 ここに挙げた国風諡号や数字は対応しないが、A列36地火明夷には傷夷殺害という意味があり、『紀』では崇峻天皇は蘇我馬子の命により殺害されたことになっている。ただし『記』では、単に「在位は4年だった」とあるだけで、この事件には全く触れていない。

34 推古天皇 トヨミケカシギヤヒメ

A列37風火家人 B列63水火既済 豊御食炊屋比売 『記』在位37歳 『紀』(75歳)・36年崩

 『紀』の国風諡号の豊御食炊屋姫と元年の皇紀1253年下二桁が、A列37風火家人を示すことはすでに話した。
 『記』の国風諡号も、姫が比売となっているだけで、後は『紀』と同じ文字を使っているので、やはり同じことである。
 『記』在位37年という数字は、37風火家人が六十四卦の序次の37番目であることと一致する。
 『紀』36年崩は、3は(火)、6は(水)だから、B列水火既済と対応しているが、分注として記載されている崩年齢の75歳は対応しない。

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35 舒明天皇 オキナガタラシヒヒロヌカ

A列38火沢睽 B列64火水未済 息長足日広額

36 皇極天皇 アメトヨタカライカシヒタラシヒメ

A列39水山蹇 B列1乾為天 天豊財重日足姫

37 孝徳天皇 アメヨロヅトヨヒ

A列40雷水解 B列2坤為地 天萬豊日

38 斉明天皇 

A列41山沢損 B列3水雷屯 (皇極の重祚)

39 天智天皇 アメノミコトヒラカスワケ

A列42風雷益 B列4山水蒙 天命開別

40天武天皇 アメノヌナハラオキノマヒト

A列43沢天夬 B列5水天需 天渟中原瀛真人

41 持統天皇 タカマノハラヒロノヒメ

A列44天風姤 B列6天水訟 高天原広野姫

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 35舒明天皇から41持統天皇までの7代については、国風諡号が対応しない上に、崩御時の年齢記載もない。ただ、40天武天皇のA列43沢天夬は、下五陽が力を結集して最上の一陰(悪人を象徴)を決去することを意味するので、総力を挙げて大友皇子を決去した「壬申の乱」を連想させ、41持統天皇のA列44天風姤は力の強い女性すなわち女帝をも意味する卦だから、この天皇が女帝であることと一致する。
 これはどういうことだろう?易六十四卦の序次の進行に合わせて意図的に天皇の数を揃えたからこそ、このような対応関係があるとしか言えない。
 私はたまたま易占いが好きで日常的に易と接していたので、六十四卦の序次は当然のこととして暗記していたし、各卦の意義や数字との関係もアタマに入っていた。したがって各天皇を一人ひとり検証するにしても、例えば英語が堪能な人が辞書を開かずに英文をスラスラ読んで理解するのと同様に、いちいち易の本を開いて確認することなく、表Tを作りながら自然に対応関係が読み取れた。おかげで神武天皇の「今運屯蒙」と76年崩の関係に気づいて2日目にはここまで辿り着いた。
 そして対応関係を色分けして表Tを完成させたところで、改めて眺めてみると、なんだか不思議な数字の組み合わせがあることを見つけ、本来であれば眠いはずなのに目は爛々と輝き好奇心は一層強くなった。

A謎めく数字137

 1神武天皇から41持統天皇までの対応関係確認作業を一通り終えてみると、その様子から次のことが言える。
 『紀』年齢や崩年は、対応したりしなかったりと、中途半端な印象を受けるので、中には偶然の一致もあるだろう。しかし『記』の国風諡号と崩御時の年齢については、そうは言えない。偶然ならもっと曖昧な関係がいくつか見られる程度でなければおかしい。
 このような対応関係を見せるからには、それらの文字や数字は、その位置にある易の卦の序次に合わせて設けられたのでなければ辻褄が合わない。
 したがって1神武天皇から41持統天皇に至る系譜は、易六十四卦の序次という法則に基づいて組み立てられた創作だったのである。

 歴史の教科書に出てこない時代の天皇が創作だとしても、「ああ、そうか」と納得できないことはないが、34推古天皇や40天武天皇までも、教科書で教わったとおり実在したというのは怪しい、ということである。
 しかも、そうであるならば、聖徳太子、大化の改新、壬申の乱も、疑問符がつくのである。
 「ん〜・・・」
 何やらとんでもないことを知ろうとしているのかもしれない。
 これ以上探るのはよくないことなのではないだろうか?
 そんな思いも脳裏を過ぎった。
 しかし、好奇心には勝てなかった。
 比較的新しい時代も創作だったとしても、単なる創作ではなく、裏に何かを隠しているようなのである。そして、何かを隠したのなら、見つけてほしい、と、『紀』『記』篇者たちも願っていたに違いない。
 だからこそ対応関係も複雑になっているのだ。
 そう確信するのは、この対応関係確認作業を行ったことで、何やら謎めいた数字が浮上したからである。

 多くの『記』年齢(分注のを除く)は、A列またはB列と対応していたが、次の五人に限ってはどちらにも対応していなかった。しかし、このうちの三人については、単に対応していないというのではなく、『古事記』序文の最後に記された撰進の日付と不思議な繋がりを持っていたのである。

  『記』年齢 『紀』元年
 1神武天皇   137歳  皇紀元年
 12景行天皇   137歳  731年
 14仲哀天皇    52歳  852年
 17仁徳天皇    83歳  973年
 21安康天皇    56歳 1114年
 『古事記』撰進  和銅5年正月28日‥‥和銅五年は皇紀1372年に当たる。

 問題なのは、1神武、12景行、14仲哀の三人である。
 1神武天皇と12景行天皇は同じ137歳で、他に崩年齢を137歳とする人物はいないばかりか、この数字は12景行天皇の元年、皇紀731年を逆さにしたもの。
 14仲哀天皇の52歳は元年の852年下二桁である。
『古事記』撰進の和銅5年は皇紀1372年(西暦712年)だから、これを「137が2」と読めば、137歳の天皇が二人居ることと数字の上で一致し、日付の「和銅5年正月28日」から数字だけを抜き出し「5正28」として、「正しい(必要な)数字は5と2で、8は捨てよ(5と2は正の字に隣接するが、8は離れていることによる)」と示しているものとすれば、14仲哀天皇の元年と崩年齢の関係になる。

 これが何を意味するのか、この段階では確定的なことは言えないが、『記』『紀』双方からデータを集めることで浮上したのだから、この両書は二冊合わせて初めて解読可能となるように作成された暗号文書であって、表面上の物語とは別の何かをそこに隠している、という感触だけは容易に持ち得る。
 その解読の鍵となるのが、この謎めく数字なのであって、残る17仁徳天皇の83歳や21安康天皇の56歳も合わせて探ることにより、隠された秘密がその姿を現すに違いない。

このような状況が『記』『紀』にある以上、この両書はある一人の人物の指導の下に編纂されたのであって、『記』撰進の日付も暗号であり、実際は両書同時に完成したものと言えよう。
 さて、その暗号解読作業だが、これだけではまだデータ不足である。とすれば、差し当たり神世にも目を向けるべきだろう。

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もくじ

☆ プロローグ  1.暗号発見までの経緯 2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137 3.神世と易六十四卦の序次〜円を描く皇統譜とその不合 4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝 5.暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命 6.暗号解読[2]持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代 7.暗号解読[3]41ピースのジグソー・パズル 8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係 10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは 11.暗号解読[7]母権制社会脱却の失敗 12.暗号解読[8]応神女帝から推古女帝までの正しい年代 13.暗号解読[9]神武男帝のクーデター、イザ!・オウ! 14.暗号解読[10]雄略男帝から聖徳太子までの真実 15.暗号解読[11]大化の改新〜父権制社会としての出発! 16.暗号が示す歴史の全容! 17.卑弥呼の正体は崇神女帝だった! 18.解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」の秘密


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最終更新日:平成30年09月14日 学易有丘会
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