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危険な古代史=古事記と易学〜発見!想像を絶する真実の古代日本
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10 崇神天皇 ミマキイリヒコイニヱ A列=13天火同人 B列=39水山蹇 御真木入日子印恵 『記』168歳 『紀』120歳・68年崩
国風諡号の上の方の御真木入日子は、御は5孝昭天皇の時と同様に数の3、真木は「天に向かって真直に伸びる木」のことだから陽を指すものとすれば、御真木で都合三本の陽である乾(天)となる。 下の印恵は、印は印鑑のこととすれば、印鑑は文字を裏返しに彫るから、「裏返しに恵みあり」で「裏卦を見よ」という指示と解釈出来る。 『紀』120歳は対応しない。 11 垂仁天皇 イクメイリビコイサチ A列=14火天大有 B列=40雷水解 伊久米伊理毘古伊佐知 『記』153歳 『紀』140歳・99年崩
まずは国風諡号の伊久米伊理毘古の部分である。 あれ?これは前帝10崇神天皇のA列ではないか。11垂仁天皇のA列は、この10崇神天皇のA列の上下を入れ替えた14火天大有である。とすると、どこかに上下を入れ替えることを指示する暗号がなければ、対応しているとは言えない。どういうことだろう・・・?と、ちょっと戸惑った。しかしその意味はすぐわかった。 ここまで対応関係を調べて来たことにより、暗号作者の考え方が少しずつ読めるようになって来たようだ。 万葉仮名は漢字の音を用い、漢文を書き下したり、字が持つ意味を考えずに言葉を表現するのに使われていて、言うなれば現代の平仮名や片仮名に相当するものである。これに対して漢文は、英語等と同様に主語・動詞・目的語といった順に並ぶので、返り点を付して文字の順を入れ替えて読まなければ、日本語として通じない。例えば「温故而知新」を「故きを温めて新しきを知る」というように。 残る伊佐知は、五去知という漢字三文字を万葉仮名で書いたものとして、「五が去れば知れる」と解釈すれば、『記』153歳との関係を示していることになる。153から5を取り去り、国風諡号の上の部分のように上下を入れ替えれば、31でA列14火天大有の示す数となる。 『紀』140歳・99年崩は対応しない。 12 景行天皇 オホタラシヒコオシロワケ A列15地山謙 B列41山沢損 大帯日子淤斯呂和気 『記』137歳 『紀』106歳・60年崩 この天皇は国風諡号、年齢等の数字、何れも対応しない。ところが面白いことに、『記』137歳は1神武天皇と同じである上に、元年の皇紀731年を逆さにした数字でもあり、何やら作為的なものを感じる。 13 成務天皇 ワカタラシヒコ A列16雷地予 B列42風雷益 若帯日子 『記』95歳 『紀』107歳・60年崩 A列16雷地予の裏卦9風天小畜が示す数字は、巽(風)の5と乾(天)の9(または1)だが、『記』95歳はこの5と9の組み合わせである。 14 仲哀天皇 タラシナカツヒコ A列17沢雷随 B列43沢天夬 帯中津日子 『記』52歳 『紀』52歳・9年崩 この天皇も、12景行天皇と同様に、国風諡号・年齢等の数字、何れも対応しない。ただし、年齢の52歳は元年の皇紀852年下二桁と同じであり、何やら作為を感じる。 15 神功皇后 オキナガタラシヒメ A列18山風蠱 B列44天風姤 息長帯比売 『記』(100歳) 『紀』(100歳)・69年崩 この人物は、すでに話したように、国風諡号の息長帯比売が、B列発見の手掛かりとして44天風姤を示すわけだが、年齢等の数字は対応しない。しかし、『紀』本文中にはA列18山風蠱を連想させる箇所がある。 この卦は、艮(山)を「止める」、巽(風)を「臭い」とし、皿の上の食物が腐って臭いを放つのを、蓋をして覆い止めているイメージであって、蠱の字は皿の上に多数の虫が群がっている様子を表現している。このことから、例えば、汚職の横行や正義が通用しない状況を暗示する。と同時に、蠱の字の皿を女性の腹(子宮)、虫を男性の精液として、多数の男性と関係があり、父親が判然としない子を妊娠する女性、という意味も持つ。 16 応神天皇 ホムダワケ A列19地沢臨 B列45沢地萃 品陀和気 『記』130歳 『紀』110歳・41年崩 国風諡号の品陀和気は、品はA列19地沢臨の臨の字のツクリを連想させ、陀和気は「田分け」とすれば(『紀』では品陀を誉田と表記)、田は食料を生産する大地だから坤(地)、「分け」は分割のことだから兌(沢)(沢は山々を分割するように流れる)となるので、合わせてこれも19地沢臨となる。
『記』130歳は、実際には大字で壹佰參拾歳と表記されているのだが、通常の漢数字で一百三十歳として見れば、百位と十位に横棒が計四本あるので、これも4という数の暗示となる。 17 仁徳天皇 オホサザキ A列20風地観 B列46地風升 大雀 『記』83歳 『紀』87年崩 A列の20風地観は、「坤(地)の地上を観ながら、巽(風)の風に乗って空を行く鳥」を連想させもする卦だが、国風諡号の大雀(『紀』では大鷦鷯と表記)はミソサザイという鳥の古名に大の字を冠したものである。 18 履中天皇 オホエノイザホワケ A列21火雷噬嗑 B列47沢水困 大江之伊邪本和気 『記』64歳 『紀』(70歳)・6年崩 A列の21火雷噬嗑は、7孝霊天皇のところでも触れたように最上最下の陽を「上の歯・下の歯」あるいは「上顎・下顎」と見なすので、下から二番目から五番目までを口の中とイメージする。しかし易は、三本または六本の記号により意味をなすものだから、この二番目から五番目までの四本の記号を塩梅して口の中の様子とする。 図9を見ながら話そう。 易の卦には、卦の中に内在する卦がある。易占いでは、本来の卦の状況が生じる原因を、その内在する卦だと考えたりする。そしてその内在する卦の捉え方はいくつかあるが、基本的には次のようになる。下から二番目から四番目までを内卦、三番目から五番目までを外卦とする。したがってこの卦の場合は、その内在する卦は39水山蹇となる。 さて、噬嗑には「噛み砕く」という意味がある。 また、内在する卦の捉え方としては、内在するのを六十四卦として考えるのではなく、八卦として考える場合もある。この卦の場合は、陰には無という意味もあるので、この卦の五番目を無視して二番目から四番目までの艮(山)で考えることができるが、『紀』(70歳)の7は、その艮(山)が示す数である。と同様に、二番目を無視して三番目から五番目までを見れば、6を示す坎(水)が浮上し、『紀』6年崩に一致する。 なお、国風諡号の大江之伊邪本和気は対応しない。しかし上二文字の大江は、大は陽(小が陰)だからその極みの乾(天)、江は水があるところだから坎(水)とすれば、合わせて序次6天水訟で、乾(天)は1・坎(水)は6だから、1と6という数の組み合わせが示されていることになる。 19 反正天皇 タヂヒノミヅハワケ A列22山火賁 B列48水風井 蝮之水歯別 『記』60歳 『紀』5年崩 国風諡号の水歯別は『日本書紀』では瑞歯別と表記され、歯並びがよかったからそういう名前になったと説明されている。 20 允恭天皇 ヲアサヅマワクゴノスクネ A列23山地剥 B列49沢火革 男浅津間若子宿禰 『記』78歳 『紀』42年崩 『記』78歳は、7は艮(山)・8は坤(地)だから、A列の23山地剥を示していることになるが、『紀』42年崩と国風諡号は対応しない。 21 安康天皇 アナホ A列24地雷復 B列50火風鼎 穴穂 『記』56歳 『紀』3年崩 国風諡号の穴穂は、穴は宀(ウ冠)を外すと八=8だから坤(地)、穂は稲の恵みだから稲を意味する震(雷)とすれば、合わせてA列の24地雷復を示していることになる。 22 雄略天皇 オホハツセノワカタケ A列25天雷无妄 B列51震為雷 大長谷若建 『記』124歳 『紀』23年崩 国風諡号の大長谷若建は、大は小を陰とした時の陽だからその極みの乾(天)、建は『記』に建御雷神という神名があることから震(雷)とすれば、大と建でA列25天雷无妄となるが、中間の長谷若は対応しない。 23 清寧天皇 シラガノオホヤマトネコ A列26山天大畜 B列52艮為山 白髪大倭根子 『記』年齢等の記載なし 『紀』5年崩 A列26山天大畜は「大きく畜える」という意味を持ち、年齢を大きく畜えれば老人になるが、国風諡号の上二文字の白髪は、その老人を連想させる。しかし、残る下四文字と、『紀』5年崩は対応しない。 24 顕宗天皇 ヲケノイハスワケ A列27山雷頤 B列53風山漸 袁祁之石巣別 『記』在位8年・38歳 『紀』3年崩 25仁賢天皇 オケ A列28沢風大過 B列54雷沢帰妹 意祁 『記』年齢等の記載なし 『紀』11年崩 この二人は物語上ではとても仲がよい。行動的な弟とおとなしい兄。おとなしい兄は皇位継承を弟に譲り、まず弟の顕宗天皇が即位し、次いで兄の仁賢天皇が即位したとある。皇太子が天皇の兄という前代未聞の状況となるなど、稀に見る仲のよさだが、国風諡号もよく似ている。顕宗天皇はカタカナで書くとヲケノイハスワケ、仁賢天皇がオケである。ヲケとオケ、アルファベットで書けばwokeとoke、現代人なら区別せずに両者共にokeと発音することも普通にありそうだ。 24顕宗天皇のA列27山雷頤は、21火雷噬嗑(18履中天皇のA列)や22山火賁(19反正天皇のA列)と同様に、最上最下の陽を上下の歯(あるいは顎)と見なして口の形とする卦である。頤とは「おとがい」すなわち下顎のことである。ただし今回の口の中は全て陰だから、空っぽの状態(陰は無を意味する)すなわちアイウエオのオを発音する時の形となる。 石巣別を「 しかし意(O)を発音する時には、最初から口を開いている。 したがって、『記』38歳と27山雷頤を対応させるには、3と8の両方を示す袁の発音で補足しなければならず、それが「在す理由」すなわち石巣別だったのである。 これには痺れた。作者はとても易に深い人物のはずだ。私なんかの比ではない。是非、弟子入りして、いろいろ教わりたい! 残る数字のうち、24顕宗天皇の『記』在位8年は、口の中が空っぽ(無=坤(地)=8)ということから得られるが、『紀』3年崩と、25仁賢天皇の『紀』11年崩は対応しない。 なお、27山雷頤や離(火)が示すのは正面から見た口の形であって、通常は兌(沢)を口とする。 26 武烈天皇 ヲハツセノワカサザキ A列29坎為水 B列55雷火豊 小長谷若雀 『記』在位8年 『紀』8年崩 この天皇は、国風諡号も在位年数も対応しない。しかし、ここで一旦皇統が断絶することや、『紀』に記述された残忍な行為の、妊婦の腹を切り開いて胎児を見たり、人の指甲を解いて暑預を掘らせたり、女性を裸にして馬と交接させ、陰部が潤う者は殺し、潤わない者は官婢と呼ばれる奴隷とする等々が、A列29坎為水を連想させる。この卦は険難や心病(残忍性は心病と言える)を示す坎(水)が二つ重なっていることから、易六十四卦中の最も悪い形のひとつとされているのだが、皇統の断絶や残忍な遊びに興じるよりも悪いことはない。 27 継体天皇 ヲホド A列30離為火 B列56火山旅 袁本杼 『記』43歳 『紀』82歳・25年崩 A列30離為火は、日を意味する離(火)を二つ重ねた形であることから、日継すなわち皇位継承を意味するのだが、漢風諡号の継体は皇位継承者であることを、ことさらに強調した熟語である。 なお、国風諡号と『紀』82歳・25年崩は対応しない。 28 安閑天皇 ヒロクニオシタケカナヒ A列31沢山咸 B列57巽為風 広国押建金日 『記』年齢等の記載なし 『紀』70歳・2年崩 国風諡号の上四文字の広国押建は、「国押建が示すところを広義に解釈せよ」との暗号とすれば、図11のように、国押は巽(風)(6孝安天皇参照)、建は震(雷)(22雄略天皇参照)だから、国押建でA列31沢山咸の裏卦の41山沢損を逆方向から見た42風雷益を示していることになる。 しかし、残る金日の二文字は対応しない。 29 宣化天皇 タケヲヒロクニオシタテ A列32雷風恒 B列58兌為沢 建小広国押楯 『記』年齢などの記載なし 『紀』73歳・4年崩 国風諡号の建小広国押楯は、前帝28安閑天皇のときと同様に建は震(雷)、国押は巽(風)とすれば、建国押の三文字でA列32雷風恒となるが、残る小広楯の三文字と年齢等の数字は対応しない。 30 欽明天皇 アメクニオシハルキヒロニハ A列33天山遯 B列59風水渙 天国押波流岐広庭 『記』年齢等の記載なし 『紀』32年崩 A列33天山遯は、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本と見なせば巽(風)となるが、国風諡号の上から二番目と三番目の文字の国押は、この巽(風)を示している(6孝安天皇、28安閑天皇、29宣化天皇と同様)。 31 敏達天皇 ヌナクラノフトタマシキ A列34雷天大壮 B列60水沢節 沼名倉太玉敷 『記』在位14年 『紀』14年崩 ここは面白いがちょっとややこしいので、次の図12を見ながら話そう。 国風諡号の上三文字の沼名倉は、沼名は名前に沼の字が付く天皇のA列を指すものとすれば、それは2綏靖天皇(神沼河耳)だから5水天需となる(B列としないのは、対応関係はA列が主でB列は従のような印象を受けるからである)。
32 用明天皇 タチバナノトヨヒ A列35火地晋 B列61風沢中孚 橘之豊日 『記』在位3年 『紀』2年崩 B列61風沢中孚は、最下と二番目、三番目と四番目、五番目と最上をそれぞれ二本で一本と見なせば、3を示す離(火)となるが、『記』には在位3年とある。しかし国風諡号と『紀』2年崩は対応しない。 33 崇峻天皇 ハツセベノワカサザキ A列36地火明夷 B列62雷山小過 長谷部若雀 『記』在位4年 『紀』5年崩 ここに挙げた国風諡号や数字は対応しないが、A列36地火明夷には傷夷殺害という意味があり、『紀』では崇峻天皇は蘇我馬子の命により殺害されたことになっている。ただし『記』では、単に「在位は4年だった」とあるだけで、この事件には全く触れていない。 34 推古天皇 トヨミケカシギヤヒメ A列37風火家人 B列63水火既済 豊御食炊屋比売 『記』在位37歳 『紀』(75歳)・36年崩 『紀』の国風諡号の豊御食炊屋姫と元年の皇紀1253年下二桁が、A列37風火家人を示すことはすでに話した。 35 舒明天皇 オキナガタラシヒヒロヌカ A列38火沢睽 B列64火水未済 息長足日広額 36 皇極天皇 アメトヨタカライカシヒタラシヒメ A列39水山蹇 B列1乾為天 天豊財重日足姫 37 孝徳天皇 アメヨロヅトヨヒ A列40雷水解 B列2坤為地 天萬豊日 38 斉明天皇 A列41山沢損 B列3水雷屯 (皇極の重祚) 39 天智天皇 アメノミコトヒラカスワケ A列42風雷益 B列4山水蒙 天命開別 40天武天皇 アメノヌナハラオキノマヒト A列43沢天夬 B列5水天需 天渟中原瀛真人 41 持統天皇 タカマノハラヒロノヒメ A列44天風姤 B列6天水訟 高天原広野姫 35舒明天皇から41持統天皇までの7代については、国風諡号が対応しない上に、崩御時の年齢記載もない。ただ、40天武天皇のA列43沢天夬は、下五陽が力を結集して最上の一陰(悪人を象徴)を決去することを意味するので、総力を挙げて大友皇子を決去した「壬申の乱」を連想させ、41持統天皇のA列44天風姤は力の強い女性すなわち女帝をも意味する卦だから、この天皇が女帝であることと一致する。 |
A謎めく数字137 1神武天皇から41持統天皇までの対応関係確認作業を一通り終えてみると、その様子から次のことが言える。 歴史の教科書に出てこない時代の天皇が創作だとしても、「ああ、そうか」と納得できないことはないが、34推古天皇や40天武天皇までも、教科書で教わったとおり実在したというのは怪しい、ということである。 多くの『記』年齢(分注のを除く)は、A列またはB列と対応していたが、次の五人に限ってはどちらにも対応していなかった。しかし、このうちの三人については、単に対応していないというのではなく、『古事記』序文の最後に記された撰進の日付と不思議な繋がりを持っていたのである。 これが何を意味するのか、この段階では確定的なことは言えないが、『記』『紀』双方からデータを集めることで浮上したのだから、この両書は二冊合わせて初めて解読可能となるように作成された暗号文書であって、表面上の物語とは別の何かをそこに隠している、という感触だけは容易に持ち得た。 このような状況が『記』『紀』にある以上、この両書はある一人の人物の指導の下に編纂されたのであって、『記』撰進の日付も暗号であり、実際は両書同時に完成したものと言えよう。 なお、この数字の一致についてをメインに、
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最終更新日:令和05年01月24日 学易有丘会
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