プロローグ
○ 76は蒙だ!
日本古代史の謎は易学で解ける!
そう確信したのは、『日本書紀』の神武天皇即位前二年条に「屯蒙」という言葉を見つけたときだった。
ハッ!とした。
これがすべての謎を解く鍵だ!
という思いが、瞬時に脳裏を過ぎった。
屯蒙とは、一般には耳慣れない言葉だが、易の本をちょっとでも開いたことがあれば、すぐに思い当たる言葉である。
易の卦の名前であって、易六十四卦の序次3番目の 水雷屯と序次4番目の 山水蒙のことである。
おおよその意味は、屯は若く幼いこと、蒙は暗く愚かなことである。
この屯蒙という言葉は、「今運属屯蒙」という文節の中にあって、「今運屯く蒙きに属いて」と訓み、「今の世の中は、まだ国家としての体制はなく、言わば幼く暗く愚かである」といった意味になる。
もっとも、このように、易の卦名が文節の中に入っている、ということだけで「日本古代史の謎は易学で解ける」と確信したわけではない。
この点については、『日本書紀』研究で著名な津田左右吉(明治6〜昭和36)も、すでに指摘しているのであって、今更取り立てて言うほどのことではないのだ。
それでもハッ!としたのは、神武天皇の歴史の最後のほうに、神武天皇は即位から76年目に崩御した、とあることを思い出したからだ。
屯蒙の蒙すなわち序次4 山水蒙という卦を数字の組み合わせで表現すると、その76なのだ。
したがって、この屯蒙という言葉は神武天皇の崩御年の数字と、とても深く繋がっていることになる。
これが、ハッとしないでいられるだろうか?
神武天皇の時代は、易六十四卦の序次に当て嵌めると序次3 水雷屯と序次4 山水蒙の時代であって、その後者の序次4 山水蒙が意味する数字の組み合わせを以って、崩御年が決められた可能性がある・・・。
とすると、古代の天皇には、百歳を超える不自然な長寿の天皇が多数存在しているが、その不自然な長寿も、易と何か繋がりがあるのではないだろうか?
易については概略的なことしか知らないのであれば、例え津田左右吉のような学者であっても、気付かなくて当然だろう。だから、これまでの歴史学では、そこまで言及した例がなかった。
しかし、そこそこ易を嗜んでいて、『古事記』『日本書紀』を何度となく読み返したことがある者なら、津田左右吉が世間を騒がした「天皇機関説」どころではない、とんでもない古代日本の秘密が潜んでいるかのような衝撃を受けるところだろう。
実は、私にしても、それまでに何度となくこの文言と接していたが、特に重要なことではないと思い込んでいたからだろうか、全く気にも留めず、その日、初めて気付いたのだった。
気付いたのは、とある年の3月の終わり頃、時間はもうすぐ夜11時になるところだった。
その年の2月11日から、夜寝る前に『古事記』を少しずつ読み始め、『古事記』を読み終わったのに続いて、『日本書紀』を読んでいたのだ。
それが丁度その日、神武天皇のところに読み進んだのだった。
気付いたときには、一瞬目を疑った、まさか!そんことがあるわけがない!
しかし、何度読み返しても、そう書いてある。
眠気が一気に吹き飛んだ。
居ても立ってもいられず、とにかくそれから易との関係を念頭に『古事記』『日本書紀』を調べ続けた。
すると、どんどん頷けることが出てきた。
ただ出てきただけではなく、それらは次第にある一定の法則にしたがっていることが明らかになって来た。
結局、好奇心はつのるばかりで、翌日と翌々日は仕事を休み、二晩寝ずに調べ続け、ついにダウンした(笑)
ともあれ、以来この意味を探ることに、暫らくとりつかれたかのようであった。
○ 137の意味?
そもそも『古事記』の篇者太安萬侶や『日本書紀』の篇者舎人親王等に、深い易の知識があったであろうことは、両書に易の本である『易経』からの引用も多いことから容易に理解できる。
とすると、この両書は易の理論を紐解きながら読むべきものだとも言えよう。
しかし、多くの歴史研究の場合、そのようなことは一切なされない。
易のような低俗な占いなど知らなくても、文献をそのまま読めばそれで事は足りる、と考えているのだろうか・・・。
それでも私は、蒙と76の関係を見せ付けられたこともあり、敢えて、易を紐解きながら読んだ。
その結果、とんでもないことがわかったのだ。
『古事記』『日本書紀』の表面上から読み取れる歴史は、おぞましい真実の日本古代史を封印するために書かれたものだったのである。
しかし、単にそういう歴史物語を書いたわけではなく、真実の歴史を教えるための暗号がところどころに仕込まれていた。
その暗号とは、数字の矛盾や天皇や人の名前に使われている文字などであって、これらを易の理論にしたがって解釈することにより、浮上する仕組みになっていたのである。
例えば、普通に読んだのでは見逃してしまうことだが、歴代天皇の名前、崩御時の年齢、即位年などを、易の理論と対比しながら見て行くと、次のような、奇妙な数字の繋がりが、浮上してくるのである。
なお、その際に大事なことは、決して西暦は用いず、すべて皇紀=『日本書紀』による神武天皇即位年を元年とする暦法で考えることである。
神武天皇、皇紀元年即位(日本書紀)、137歳で崩御(古事記)。
景行天皇、皇紀731年即位(日本書紀)、137歳で崩御(古事記)。
仲哀天皇、皇紀852年即位(日本書紀)、52歳で崩御(古事記・日本書紀)。
『古事記』序文末にある撰進の日付、和銅5年(皇紀1372年=西暦712年)正月28日
神武天皇と景行天皇は、共に137歳で崩御したとあり、景行天皇の即位年は、この137を逆に並べた皇紀731年となっている。
仲哀天皇の崩御時の年齢の52歳は、即位年の下二桁と同じ数字である。
『古事記』撰進の日付から、数字だけ取り出すと、528で、順序が違うが仲哀天皇の即位年と同じ数字の組み合わせになる。と同時に、この年は皇紀1372年だから「137が2」という暗号とすれば、137歳で崩御したとする天皇が二人いて、そのうちの一人は初代の神武、もう一人は即位年が731年の景行天皇である、ということと数字の上で一致する。
『古事記』が崩御時の年齢を137歳とするのは、この二人だけである。
これは偶然だろうか?
それまで私が持っていた歴史認識では、まず、デモ版として『古事記』が作られ、その後、そのデモ版を踏まえつつも、もっと大掛かりな『日本書紀』が国の正史として編纂された、といったところだった。
しかし、この『古事記』序文と『日本書紀』の神武即位年や崩御年齢との間には、『古事記』『日本書紀』篇者が互いに示し合わせた何らかの作為を感じないではいられない。
が、いきなりこんなことを言っても、ご都合主義で、そう読めるところを並べただけだという批判も聞こえてきそうだ。
まして、これまでの古代史関連の研究とは全く手法が異なる話である。
易と日本はどう関わってきたのか、といったことも前提として確認しておきたい。
そこで、具体的な話に入る前に、私が古代史に興味を持ったきっかけなども含め、その辺について、少し触れておこう。
○ 高校の頃の古代史観
日本古代史のキーワードと言えば、邪馬台国、卑弥呼、倭の五王、聖徳太子、十七条の憲法、蘇我氏、大化の改新、壬申の乱……、といったところだろうか。
しかし、『古事記』『日本書紀』には、邪馬台国も卑弥呼も倭の五王も書いていない。
『魏志倭人伝』『宋書倭国伝』などの中国の文献にあるだけだ。
なぜ、日本側の文献にはないのだろうか。
『古事記』『日本書紀』が描く古代史は、やはり信憑性のないものだろうか。
高校生の頃、そんなことを考えながら、遊び半分で、初めて『古事記』『日本書紀』を読んでみた。
確かに神武天皇が137歳まで生きて、崇神天皇が168歳まで生きて……なんていうことは有り得そうになく、さらには、仁徳天皇のまさに仁徳溢れる様子や、武烈天皇の猟奇的な行動なども、おとぎ話としては面白いが、歴史的事実だとするには、いささか不満が残った。
これに対して、継体天皇以降になると、記事も豊富で現実的な内容になっていて、歴史書らしい。
とすると、継体天皇以降は事実を書いたもので、武烈天皇以前は神話伝承みたいなものなのかな?
と思ったものだ。
古代史研究者の多くがそう捉えるから、学校の教科書でも、継体天皇以降は『日本書紀』の内容に即して教え、それ以前は中国の文献に書かれた日本の姿を中心に古代史を教えているのだろう。
が、そうこうしているうちに、いつしか私の興味は古代史から音楽に移っていた。
○ 古代史→洋楽→雅楽
最初は普通の音楽を普通に楽しんでいた。
歌を歌ったりギターを弾いたり。
しかし、音楽を楽しむようになると、日本人が作詞作曲をして日本人が歌ったとしても、西洋音楽の手法で作られた音楽で、どこまで日本的な美や心を織り込めるのだろうか?という疑問が湧くようになった。
そこで、日本の伝統的な音楽に興味を持ち、縁あってとある雅楽団体に通うようになった。
その雅楽と接するようになって一年が過ぎた頃、再び『古事記』『日本書紀』を開くチャンスが訪れた。
私が習ったのは篳篥という楽器である。
この篳篥という楽器は、洋楽のオーボエと同系統の楽器で、竹の筒に葦で作ったリードを挿して吹く楽器であって、主旋律を担当する。
音色は赤ちゃんの鳴き声というか、悲鳴のような感じで、洋楽にはない味わいだ。
譜面はカタカナで「チーラーロ、ヲルロ、ターアルラ、アアー」といったふうに表記されていて、このカタカナを歌いながらメロディーを覚える。
西洋音楽とは全く異なる世界である。
今の日本人は、私も含めて日本の伝統的なことはほとんど知らない。学校でも教わらないし、むしろ、そんなもの必要ない、と敬遠されているようでもある。
実は、私にしても、ギターで遊んでいた頃に、イギリスのバンド、ザ・ルベッツの「シュガー・ベイビー・ラヴ」という曲に接し、たまたま悲鳴のような裏声で歌うことに興味を覚えたからこそ、どこか悲鳴にも似ている篳篥の音色に魅力を感じ、習ってみようとしたのだった。
実際に習ってみると、雅楽は西洋音楽とはリズムの取り方、間の取り方、音の高低など、基本的な部分からして、いろいろと違っている。
それがまた面白く、西洋音楽だけが音楽ではないのだ、ということを、肌身を以って知ることができるとても楽しい日々だった。
レッスンの合間には、雅楽の歴史にも話は及んだ。
雅楽を伝えて来たのは、楽家と呼ばれる人たちだ。
東儀、多、薗、豊、上、芝、安倍・・・。
昨今は、東儀秀樹氏の活躍で東儀家が特に有名だが、とにかくこのように、珍しい苗字の人たちが楽家なのだ。
中でも格式の高いのが、多家と豊家だという。
多家のルーツは太安萬侶、豊家のルーツは大津皇子である。
太安萬侶と言えば『古事記』を編纂した人物であり、大津皇子は天武天皇の子で、天武天皇が崩御したときにクーデターを起こそうとして失敗し、謀反者として処刑された人物ではないか。
高校時代に読んだ古代史が頭を過ぎり、再び暇を見つけては、『古事記』『日本書紀』を読んでいた。
念のために言っておくが、私はまったく雅楽の家系とは関係ない。
ある日、たまたまテレビで雅楽の演奏を観て、あの悲鳴のような篳篥の音色に興味を持ち、始めただけである。
独特の音色、メロディー、リズムは、実際に演奏してみると、洋楽にはない心地よさに溢れていた。
どうして、こんなに心地よいのだろうか・・・。
そんな思いから、雅楽の楽理にも興味が湧いてきた。
調べてみると、雅楽は陰陽五行=易学とも密接な関係があることがわかった。
そこで、易学に興味を持ち、とある易者の元に通い、易を勉強した。
元々が占い好きだったので、いつしかのめり込んでいた。
筮竹の捌き方、算木の並べ方、卦の見方、『易経』原文の読み方など、未知の世界に分け入ることがとても面白く、楽しい日々だった。
考えてみると、今の日本人は、江戸時代まで培って来た文化と接する機会はほとんどない。それが、易や雅楽について、いろいろな誤解を生じてもいるようだ。
易と日本人がどう接していたかも、ほとんど知られていない。
世俗の占いだけではなく、天下国家を占うのが易の一番の役目であるとともに、かつては易の理論に従って国の制度も作られていたのだ。
○ 易と日本文化
中学の頃だったか、日本史の時間に、奈良時代の「班田収受の法」というのを習った。
田を「男には2反、女にはその3分の2を与える」というものだ。
なぜ、女は男の3分の2なのか?
男女差別は当然の時代だったから、そうなのか?
しかし、2分の1ではなく、4分の3でもなく、3分の2としたのは、なぜなのか?
先生に質問しても、答えは「わからない」ということだった。
まぁ、試験にも出ないどうでもよい疑問なので、結局は3分の2の理由はわからず、そのときはそのままになってしまった。
それが、易の勉強を始めると、この疑問がすっきり解決してしまったのだ。
易の基本は物事を陰と陽に弁別して観察することであって、陽の基数は3、陰の基数は2、とされている。
陽は男、陰は女、したがって、男女の比率は、女は男の3分の2、となるのだ。
雅楽の場合も、陽の属となる唐楽では、使用する管楽器は、篳篥・竜笛・笙の計3種類、陰の属となる高麗楽では、使用する管楽器は、篳篥と高麗笛の計2種類、唐楽で使用する大太鼓の文様は三つ巴、高麗楽で使用する大太鼓の文様は二つ巴、といったように、陽は3、陰は2、という陰陽の基数によって整理されているのだ。
なぜ、陽が3、陰が2、なのかについては、易学入門で書いているので、そちらを参照いただきたい。
易と日本文化との関係は、このほかにもいろいろと覗われるが、それをいちいち取り上げてもきりがないので、あとひとつ、元号についてだけ触れておく。
平成や昭和は『書経』を典拠としているが、これまでの元号で一番典拠とされた回数が多いのが、何を隠そう易の本である『易経』なのだ。
列挙すると、大宝、霊亀、天平、天応、貞観、天徳、治暦、承徳、貞応、安貞、乾元、元亨、正中、正慶、貞治、嘉吉、文明、明応、天文、元和、慶安、貞享、元文、文化、元治、明治、大正がそうである。時代や典拠箇所についてはココをクリック。
神武天皇即位年を算出した辛酉革命理論も、讖緯説という言葉で片付けられたりもするが、要するに易六十四卦中の序次49 沢火革と序次50 火風鼎の二卦から導き出されたものであるとともに、この両卦は序次3 水雷屯や序次4 山水蒙と密接な関係を持っているのである。
○ 易と歴史改竄と乱数表
ともあれ、易についてそこそこ知識を得たところで、たまたまある年の建国記念の日=2月11日に、仲間内で古代史のことが話題になり、再び『古事記』『日本書紀』を手に取ったのである。
そうしたら、冒頭で話したように、ハッ!と気付くことがあり、その真偽を検証せずにはいられなくなったのであって、その結果、次のようなことがわかったのだ。
1 『古事記』『日本書紀』は、両書を合わせて初めて解読できるように作成された暗号文書である。
2 その暗号解読のための乱数表として、易の理論が利用された。
3 解読を試みると、その歴史改竄の理由と、改竄せざるを得ないおぞましい真実の古代史が浮かび上がった。
4 この暗号解読を進めていると、キリスト教を想起させる箇所がいくつかあり、念のためにと、キリスト教を調べたら、キリスト教の『聖書』も易の理論を利用して作成されたものだということがわかった。
これについては、「聖書は易学」のページでも紹介しているように、すでに聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く(五月書房刊) に書いたので、そちらをご参照ください。一般書店にない場合はアマゾンが便利です。
追って『古事記』『日本書紀』の暗号解読についても本として出版したいと考えているが、どこの出版社にお願いするかも含め、まだ白紙状態である。
まずは、荒削りな文章ではあるが、原稿を公開することにした。
それがこのコンテンツである。
そもそも『聖書と易学』も、最初はウェブで公開し、その反響があって出版の話を戴いたのであって、今回もまずはウェブで公開して様子をみようということになったのだ。
ところで、易の理論の中から、暗号解読のための乱数表として使われる部分だけを抽出したのが、ココをクリックするとポップアップ表示される表である。
この表は、必要に応じて呼び出せるように、随所にリンクを張ってあるので、今の段階では、チラッと眺めるだけで十分である。
なお、横書きで読みやすくするために、特に問題がない場合は、漢数字は算用数字に直し、漢字も新字体を積極的に使っている。
また、簡略化のため、『古事記』は『記』、『日本書紀』は『紀』、『古事記』の神武天皇に関する記述であれば「神武記」、『日本書紀』ならば「神武紀」と略して表記することがある。
さて、そろそろ本題に入ることにするが、そこそこ易のことを知っていて、特に説明がなくても「76は蒙だ」ということの意味がわかるのであれば、この先を読む前に、自身で『古事記』『日本書紀』の暗号解読を試みるのも面白いと思う。
あるいは、頭の固い私よりも深いところまで解読できるかもしれない。
このページのトップへ |