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Eメール古事記と易学 発見!想像を絶する真実の古代日本
9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係

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@男帝の系統 A履中以降の女帝の系統 B履中女帝以前の系図

@男帝の系統

 親子兄弟関係は、その人物の名前および本文の中の特徴的な名称に使われている文字や数字などを、適宜、易の卦に置き換え、その意味を考えることで判明する。
 実際には、それこそ目に付くものすべてを易の卦に置き換え、その卦の示すところをひとつずつ検証する。これはかなり面倒な作業なのだが、最終的にすべてが矛盾なく繋がる解釈がひとつだけあることがわかる。
 ここにその試行錯誤の過程を羅列すると話が煩雑になり過ぎるので、最終的に矛盾なく繋がった解釈のみを話す。
 なお、各男帝の名前の左の( )数字は、図26 41ピースのジグソーパズルに示した神武男帝を初代としての男帝側の皇位継承順、各女帝の名前の左の○数字は、同図に示した推古女帝を@として皇位継承順を逆に辿ったものである。

(1)神武男帝

 まずは神武に始まる男帝側から見て行こう。
 神武男帝の表向きの父親は天津日高日子(あまつひこひこ)波限建鵜葺草葺不合命(なぎさたけうかやふきあへずのみこと)だが、この(みこと)穂穂手見命(ほほでみのみこと)邇邇藝命(ににぎのみこと)の三代に共通する天津日高日子の部分を易の卦に置き換える。
 すると、天は(天)、津は港で水にちなむ文字だから(水)、日は(火)、高は(風)、子は十二支では北だから(水)となるので、合わせて図30のように、42風雷益(ふうらいえき)と3水雷屯(すいらいちゅん)を示していることになる。

 これは、「42風雷益から3水雷屯に変化した」ということで、3水雷屯は鵜葺草葺不合命のA列、42風雷益は成務女帝のB列だから、「神武男帝の本当の親は成務女帝である」と示していることになる。
 なお、42風雷益は天智天皇のA列でもあるが、これをもって神武と天智を結び付けようとすると却って他の暗号と矛盾を生じるとともに、成務、神武という熟語は『易経』の「繋辞上伝(けいじじょうでん)」というところのひとつの文節の中に、その間90字という至近距離で登場するものである。
 表向きの歴史では時代の隔たりもあるので無関係の二人だが、『易経』の読者であれば、この神武と成務という漢風諡号を与えられたことに、ただならぬ関係を感じるのが普通である。
 したがって、B列で当たる成務女帝を指すものと考るのである。

 ちなみに、「繋辞上伝」の該当箇所は次のとおり。
子曰、夫易何為者也、夫易開物成務、冒天下之道、如斯而已者也、是故、聖人以通天下之志、以定天下之業、以断天下之疑、是故、蓍之徳、円而神、卦之徳、方以知、六爻之義、易以貢、聖人以此洗心、退蔵於密、吉凶与民同患、神以知来、知以蔵往、其孰能与此哉、古之聰明叡知、神武而不殺者夫、

(2)允恭男帝

 続く允恭男帝は『記』に「子供は9人で、内訳は男王5人、女王4人である」とする記述がある。各男子女子の名前はちゃんと記載されているので、普通に数えればそれで済むところだが、ここで敢えて子の男女別の人数を記載しているのはいささか怪しい。その数に暗号か隠されている気配である。そこでその男女王の人数の5と4をもって易の卦に置き換えると、5は(風)・4は(雷)だから、これも成務天皇のB列42風雷益だから、この人物も成務女帝の子すなわち神武男帝の弟となる(弟とするのは、兄とする暗号がなく、兄は弟に先立つのが通常だからである)。

表Tはコチラ  図26ジグソーパズルはコチラ  乱数表はコチラ

(3)綏靖男帝

 次の綏靖男帝は、表向き神武男帝の子とされているが、これを否定する暗号は見当たらないので、そのまま神武男帝の子となる。なお表向きの物語では、綏靖天皇の兄に当たる神八井耳命(かむやいみみのみこと)を太安萬侶の祖先としているが、これは次のように、太安萬侶の祖先が綏靖男帝だったことを教える暗号だった。

 綏靖天皇の国風諡号は神沼河耳(かむぬなかはみみ)だが、またの名は建沼河耳(たけぬなかはみみ)とある。
 まずは、この別名を易の卦に置き換える。
 建は(雷)・沼と河と耳は何れも(水)だから、建沼河耳と合わせて、(雷)(水)F(水)F(水)となる。
 易は八卦ふたつでひとつの六十四卦だから、この四つの八卦を前半と後半の二つに分けて、計ふたつの六十四卦とする。
 すると、「40雷水解・29坎為水(かんいすい)」となる。
 この意味を最も単純に読み取ろうとすれば、解は解消の解なので、「29坎為水を解消せよ」という指示になる。
 したがって、神沼河耳の「神F(水)F(水)F(水)」から29坎為水すなわちF(水)を二つ取り除く。
 すると、残るは、神の字と(水)がひとつ、ということになる。

 一方、綏靖天皇の兄の神八井耳命は、さらにその兄とされる日子八井(ひこやい)命が、日は(火)・子は十二支の子とすれば(水)だから、「64火水未済・八井」となる。
 未済は「未だ済ず」ということである。
 したがって、「八井は未済」=「八井は未だ存在しない」という意味になる。
 そこで、神八井耳という名から八井を取り除く。
 すると、こちらも神沼河耳と同じく、神の字と(水)がひとつ、ということになる。

 すなわち、この二人の名は同じ形に収束するのであって、とするとそれは、同一人物だと教えていることになり、同一人物であるのなら、綏靖男帝こそが太安萬侶の祖先ということになる。
 としても太安萬侶の祖先が誰であろうと、当面どうでもよさそうなことではある。
 しかしこれが雄略男帝の母親を知るための重要な手掛かりなのである。

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(4)雄略男帝

 表向き雄略天皇は、允恭天皇と意富本杼(おほほど)王という人物の妹との間に生まれたことになっていて、これを否定する暗号は見当たらない。ただし意富本杼という名は、意富は多で太安萬侶、杼は機織りの時に糸を巻き付ける道具のことだから、合わせて「太安萬侶の家系の根本に巻き付く人物」と読める。すなわち意富本杼王とは綏靖男帝のことなのであって、雄略男帝の母親は綏靖男帝の妹だったのである。

(5)崇峻男帝・(6)敏達男帝

 雄略男帝の後は崇峻、敏達と続くわけだが、この二人がそれぞれ前帝の子であることを否定する暗号は見当たらないので、崇峻男帝は雄略男帝の、敏達男帝は崇峻男帝の子となり、従ってここまでの様子をまとめれば図31のようになる。

 なお、男帝側では、まだ孝徳男帝が残っているが、これについては履中以降の女帝側の親子関係を把握しておく必要があるので、先にその話をしておこう。

A 履中以後の女帝の系統

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G履中女帝・F反正女帝

 表向き履中天皇と反正天皇は兄弟とされているが、この暗号体系は男帝側がそうであるように、原則として前帝を親とすることで成立している。
 履中女帝と反正女帝を兄弟(姉妹)だとする暗号はなく、反正女帝が履中女帝の子であることを否定する暗号は見当たらない。
 したがって、この二人は親子=母子となる。

E懿徳女帝・D安寧女帝・C安閑女帝

 続く懿徳女帝は、『紀』34年崩が履中女帝のA列21火雷噬嗑(からいぜいこう)を示すことから、履中女帝と結び付くので、反正女帝の妹すなわち履中女帝の娘となる。

 懿徳女帝の国風諡号とA列で繋がる安寧女帝は、前帝の子であることを否定する暗号が見当たらないので、その繋がりと共に懿徳女帝の娘となる。

 次の安閑女帝は、国風諡号の広国押建金日(ひろくにおしたけかなひ)の国押建が42風雷益となる。
 この卦は懿徳女帝の『記』45歳が示す32雷風恒(安寧女帝のB列でもある)の裏卦である。
 下の金日は13天火同人である。
 この卦は、懿徳女帝のA列7地水師の裏卦である。
 このように、易を通じての懿徳女帝との結び付きが、とても強い。
 したがって、この人物も懿徳女帝の娘となり、皇位継承順が安寧女帝より後なので、安寧女帝の妹ということになる。

B継体女帝・A欽明女帝・用明皇女・@推古(舒明)女帝・皇極女帝

 安閑女帝の次は継体女帝だが、この二人が親子ではないとする暗号は見当たらないので、継体女帝は安閑女帝の娘となる。仮に姉妹であるのなら、別の人物が親として示されるはずだが、そういう暗号はない。
 なお、表向き安閑天皇は継体天皇の子だとされているのだから、暗号では親子関係が全く逆転することになる。

 継体女帝に続く欽明女帝、用明皇女、推古(舒明)女帝、皇極女帝の四人は、次のことから何れも継体女帝の娘となる。
 欽明女帝には前帝の子であることを否定する暗号がない。
 用明、推古、皇極の三人は、国風諡号の中に必ずある豊の字で、継体女帝の『記』43歳崩(55雷火豊=4は(雷)・3は(火))と繋がっている。

 これで履中女帝以降の女帝側も、皇極まで辿り着いたので、残る孝徳男帝すなわち聖徳太子の両親に関する暗号を解読しよう。

表Tはコチラ  図26ジグソーパズルはコチラ  乱数表はコチラ

(7)聖徳太子

 かつて高額紙幣の肖像にもなった聖徳太子だが、『古事記』『日本書紀』ではこの人物を聖徳太子とは呼んでいない。『古事記』『日本書紀』ではいくつかの呼び名があったことを書いていて、その中に聖徳の文字が入っている名前もあった。聖徳太子と呼ばれるようになったのは『記』『紀』編纂よりも後の時代なのだ。最近の学校教育で厩戸皇子と呼ばれることがあるのはそのためである。が、ここでは無用な混乱を避けるために、取り敢えず一般的な聖徳太子という名前で呼んでおく。
 ちなみに『古事記』では名前を厩戸豊聰耳命とし、『日本書紀』では「用明紀」で用明天皇の子として厩戸皇子、またの名を豊耳聰聖徳、またの名を豊聰耳法大王、また法主王とも呼ばれていた、とするとともに、「推古紀」では厩戸豊聰耳皇子と表記している。

 さて、表向き聖徳太子は、用明天皇と穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇女との間に生まれたことになっているが、暗号では、用明は継体女帝の皇女であって、聖徳太子は男帝側の人間だから、この親子関係は虚構となる。とすると実際は誰の子なのか。それを知る手掛かりは「用明紀」に記された聖徳太子のまたの名のひとつ、豊耳聰聖徳(とよみみとしゃうとく)だった。

 何故この名前に注目したのか。
 それは、『記』の廐戸豊聰耳命(うまやとのとよとみみのみこと)という表記と、文字の順が入れ替わっているからである。
 豊聰耳と豊耳聰である。
  このような一見誤記とも思える記述こそ、暗号解読者に対して、より重要な暗号であることをアピールしているのだと言えるのだ。
 そこで、この豊耳聰の部分を易の卦に置き換える。
 すると、豊は序次55雷火豊、耳は(水)、聰は聡明なことだから陽の極みすなわち純陽の(天)となるので、合わせて、

(雷)
(火)
(水)
(天)

となる。
 しばらく眺めていたら、この四つの卦の見方は自然にわかった。
 わかるとなるほどと思うとともに、その示す意味にちょっと笑ってしまった。
 説明しよう。
 この四つの卦は次のように見るのである。

(雷)───────┐
(火)     └
(水)64火水未済┌34雷天大壮
(天)───────┘

 この形は最上最下で31敏達天皇のA列34雷天大壮、
中間の二卦で35舒明天皇(推古女帝と同一人物)のB列64火水未済となるから、
(6)敏達男帝(34雷天大壮)が@推古女帝(64火水未済)を抱き包んでいる様子である。

 抱き包んでいるというのは、要するにセックスをしていることである。
 したがって素直に解釈すれば、「聖徳太子は敏達男帝と推古女帝の間に生まれた皇子である」ということになる。

 なお推古・舒明のように、表向きの歴史が一人の天皇を名前を変えて複数の天皇であるかのように装ったのは、すでに話した「皇統譜の円周を成立さるために数を揃えた」ということもあるが、もうひとつ、このように暗号を分散させるため、という要素もあったのである。

 以上が履中女帝から聖徳太子(孝徳男帝)までの親子関係だが、これをまとめれば、図32のようになる。

図32 履中女帝から聖徳太子までの系図

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B 履中女帝以前の系図

 さて、履中女帝以前に目を転じよう。
 暗号が示す皇統譜は、Q孝昭女帝、P孝安女帝、O崇神女帝、N垂仁男帝、M応神女帝、L景行女帝、K仁徳女帝、J仁賢女帝、I顕宗女帝、H成務女帝、G履中女帝と続き、N垂仁以外は皆女帝となるわけだが、まずは履中女帝から見て行く。

G履中・H成務・I顕宗の各女帝

 履中の履の字は序次10天沢履の履でもあるが、顕宗(けんぞう)女帝の国風諡号の袁祁之(をけの)石巣別(いはすわけ)の石巣も、石は「堅い」ということから(天)、巣(鳥の巣)はその形状から(沢)とすれば、これまた10天沢履だから、このG履中女帝とI顕宗女帝の二人には、繋がりがあることになる。
 皇位継承順は、I顕宗・H成務・G履中である。
 繋がりがなければ、G履中はH成務の子となるところだが、このようにH成務を飛び越えてI顕宗と繋がりがあるということは、順が飛んでいても、I顕宗とG履中は親子だ、と示していることになる。
 また、H成務女帝は前帝の子であることを否定する暗号は見当たらないので、H成務女帝もI顕宗女帝の子となる。
 したがって、G履中女帝はH成務女帝の妹で、二人はI顕宗女帝の娘となる。
 そのI顕宗女帝は、前帝の子であることを否定する暗号は見当たらないので、J仁賢女帝の子となる。
 仁賢女帝の前帝は仁徳女帝だが、この二人の関係については、景行女帝に暗号があるので、その話の中で触れることにする。

L景行女帝、そしてJ仁賢女帝・K仁徳女帝

 L景行女帝の国風諡号の大帯日子(おほたらしひこ)の部分は、成務女帝の若帯日子(わかたらしひこ)との比較から、この位置には複数の女帝が代々皇位継承していたと判断したわけだが、その仔細は次のような手続きで明らかになった。

 皇位継承と言ってまず思い浮かぶのは、「継体」という漢風諡号である。
 「継体紀」によると、武烈天皇で皇統が断絶し、(こし)の国(今の北陸地方)から、皇統を受け継ぐ人物を連れて来て、27継体天皇としたとある。
 その中で、継体天皇は、16応神天皇の五世の孫、母の振媛(ふるひめ)は11垂仁天皇の七世の孫とされている。
 しかし、暗号では、継体女帝は安閑女帝の娘だったので、これは記紀編纂時に創作された架空の物語である。
 しかし、16応神天皇の五世の孫、母の振媛は11垂仁天皇の七世の孫だった、とする記述は、何やらクサいではないか。
 複数の皇位継承者がいて、その順番が判然としないのは、L景行女帝である。
 L景行女帝はM応神女帝の次であり、J垂仁男帝の次の次に即位したのだから、実は、応神や垂仁から、時間的にはそんなに遠くない時代である。
 すなわち、この「応神天皇の五世の孫、母の振媛は11垂仁天皇の七世の孫だった」という記述こそ、景行という名で括られた女帝の人数と皇位継承を教えるものだったのである。
 「景行記」には妃や妾、合わせて7人と、それぞれの子の名前が記載されている。
 列挙すると次のとおり。

 妃1 若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)(むすめ)針間之(はりまの)伊那毘能(いなびの)大郎女(おほいらつめ)
子供の名=櫛角別(くしつぬわけの)王、大碓命(おほうすのみこと)小碓(をうすの)命(別名を倭男具那(やまとおぐな)命、後の名を倭建(やまとたけるの)命)、倭根子(やまとねこの)命、神櫛(かむくしの)王。

 妃2 八尺入日子(やさかのいりひこの)命の女の八坂之入日売(やさかのいりひめの)命。
子供の名=若帯日子(わかたらしひこの)命(成務天皇)、五百木之入日子(いほきのいりひこの)命、押別(おしわけの)命、五百木之入日売(いほきのいりひめの)命。

 妃3 (みめ)(名の記載なし)。
子供の名=豊戸別(とよとわけの)王、沼代郎女(ぬのしろのいらつめ)

 妃4 妾(名の記載なし)。
子供の名=沼名木(ぬなきの)郎女、香余理比売(かごよりひめの)命、若木之入日子(わかきのいりひこの)王、吉備之兄日子(きびのえひこの)王、高木比売(たかきひめの)命、弟比売(おとひめの)命。

 妃5 日向(ひむか)美波迦斯毘売(みはかしびめ)
子供の名=豊国別(とよくにわけの)王。

 妃6 伊那毘能大郎女の(おと)(=妹のこと)の伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)
子供の名=真若(まわかの)王、日子人之大兄(ひこひとのおほえの)王。

 妃7 須売伊呂大中日子(すめいろおほなかつひこの)王の女で、倭建命の曾孫となる訶具漏比売(かぐろひめ)
子供の名=大枝(おほえの)王。

 「景行記」には、12景行天皇の子供は、ここに挙げた21人の他に、名の知れない者が59人いて、この計80人のうちの、若帯日子命と倭建命と五百木之入日子命の3人は、太子となった、とある。
 このうちの若帯日子命は後の13成務天皇だから、これは問題ない。
 倭建命は太子として遠征の途中、今の三重県で病死したとあり、結局天皇にはなれず、その子が14仲哀天皇となったとあるので、これも問題ない。
 ところが、五百木之入日子命については、ここに太子となったとだけあり、その後、天皇になったとも、太子のまま死んだとも、とにかく一切何も書かれていないので、研究者を悩ませている。
 また、7の訶具漏比売は、景行天皇の子の倭建命の曾孫だが、自分の子の曾孫を娶るというのは、普通ならば年齢的に有り得ない話である。
 まあ、137歳まで生きたとすれば、全く不可能ということではないだろうが・・・。

 とにかく、この不可思議な記述こそが暗号だったのであって、易と文字との関係に従って、妃や子の名を検証すると、この有り得ないことも大きなヒントになって、次の図33のような系図に組み上がるのである。
 これによると、景行女帝のところは都合7人で、前帝から次帝までで5世となるのである。
 なお、7人は仮に景行A〜Gと表記しておく。
 図33を見ながら話そう。

○ 景行A

 まず、若建吉備津日子という名の頭の若建を見る。若は老を陽とした時の陰だからその極みの(地)、建は建御雷神という神名があることにちなみ(雷)とすれば、若建で序次24地雷復となる。
 この卦は一陽来復で始まりを意味する。
 したがって、この人物が景行という名で括られたうちの、初代の女帝だと示していることになる。

 続く吉の字は19地沢臨(6.暗号解読[2]のDにある吉野の解釈参照)となり、津はサンズイだから水にちなみ(水)、日は(火)だから、津日で63水火既済となるので、吉備津日子で「19地沢臨を備える63水火既済の子」となる。
 19地沢臨は、16応神天皇のA列である。
 63水火既済は、以下のように、11垂仁天皇の『日本書紀』の国風諡号の活目入彦五十狹茅の活目を易の卦に置き換えた形である。
 活は水が勢いよく流れる様子を意味する文字だから(水)、目は(火)だから、活目と合わせて、63水火既済となる。
 したがって、吉備津日子というのは、「応神天皇の要素を備える垂仁天皇の子」と解釈できるので、この人物の両親は垂仁男帝と応神女帝となる。

○ 景行B

 倭建命の曾孫とあるが、表向きの皇統では、倭建命ー仲哀天皇ー応神天皇ー応神天皇の子に当たり、暗号では応神女帝の子の代が景行である。
 したがって、この人物も景行Aと同様に応神女帝の子となり、表向きの登場順「A(妃1)・G(妃2)・F(妃3)・D(妃4)・E(妃5)・C(妃6)・B(妃7)」が、景行Aより後なので、妹となる。
 また、御子に大枝王という名があり、大きな枝はさらに枝別れして発展するものだから、これは、この人物の子が次の皇位継承者だと示していることになる。

○ 景行C・景行D

 子に日子人之大兄王という名があるが、景行Dの子には弟比売命という名があり、他の妃の子には、兄または弟という字が付く名はないので、この二人は姉妹(兄弟)となる。その上、大兄は大枝と音が共通し、景行Bとの繋がりを窺わせるので、この人物は景行Bの子でもあることになる。

○ 景行E・景行F

 景行Eの子の豊国別王と、景行Fの子の豊戸別王という名は、共に豊の字を共有するが、豊が名前に付く易の卦は序次55雷火豊である。
 一方、景行Dの子の香余理比売命の香は、禾と日に分けて易の卦に置き換えると、禾は稲科の植物を指す文字だから稲を示す(雷)・日は(火)だから、合わせてこれも55雷火豊となる。
 また、景行Dの沼名木郎女と、景行Fの沼代郎女では、沼の字が共通するが、同じ卦を示したり、同じ文字を共有するからには、景行Eと景行Fは、景行Dと何らかの関係があるはずである。ここで言う関係は、親子しかない。
 とすると、この景行E、景行Fの二人は景行Dの娘となる。
 このように、景行Eと景行Fは姉妹ということになるが、豊国別と豊戸別に共通しない国と戸の字をこの順に重ねて易の卦に置き換えると、国は(地)・戸は(山)だから、序次15地山謙で、12景行天皇のA列となる。
 景行Fの沼代郎女の沼を易の卦に置き換えると、沼は水があるところだから(水)となり、その(水)が示す数字は6である。
 したがって、沼代で「この人物は6代目である」と教えていることになり、景行Eが姉で5代目、景行Fが妹で6代目となる。

○ 景行G・K仁徳女帝・J仁賢女帝

 景行Fが沼代郎女で6代目であることを主張しているのは、こちらが本流だと示唆しているのであって、景行Gは景行Fの娘となる。
 景行Gから皇位を継承する人物は、八尺入日子命という名が教える。頭の八尺は、八は(地)・尺は計量単位だから「計る」という意味を持つ(沢)になるので、合わせて序次19地沢臨となる。
 この卦は17仁徳天皇の親に当たる16応神天皇のA列である。
 したがって、この八尺で、景行Gは仁徳女帝の親だと示しているのである。

 また、押別命という名は、「押という字を別けろ」という意味にも取れるので、押という字を扌(手偏)と甲(十干の(きのえ))に別けて考える。
 手は人を制し止めるものだから(山)(きのえ)は方位では東だから(雷)となるので、合わせて序次27山雷頤すなわち25仁賢天皇の国風諡号の袁祁が示す卦となる。
 したがって、K仁徳女帝に続くJ仁賢女帝も、この景行Gの娘となる。

 以上が景行という名で括られた七人とK仁徳、J仁賢両女帝の関係だが、これにより、いわゆる五百木之入日子命の謎も明らかになった。

 表向きの物語では、12景行天皇には倭建命、若帯日子命、五百木之入日子命という三人の皇太子がいて、このうち倭建命は若くして薨去、若帯日子命は次の13成務天皇として即位と、その消息がはっきりしているのに対し、残る五百木之入日子命については、ただ皇太子だったとするだけで、その後については即位がなかった経緯を含め全く触れていないことから、謎の人物とされている。
 しかし、この景行7人の仔細がわかってみると、景行G女帝から皇位を継承したのは仁徳女帝なのだから、この五百木之入日子命というのは仁徳女帝のことを指していたのであり、そのことを教えるために、太子だと記載されていたのである。
 五百木の五百は、五は(風)・百は(地)だから、合わせて序次20風地観すなわち17仁徳天皇のA列を示していることになる。
 また、木は(風)を通じて5という数の暗示にもなるから、五百木の三文字で「仁徳・5」=「仁徳女帝は景行Aから5世代目に当たる」と教えるための暗号でもあったのである。

 ともあれ、表向きとは大分様子が異なるので、ここまでのところを、図34に系図としてまとめておく。
 なお景行A、Bの両親となる応神女帝と垂仁男帝以前については、その前に触れておかなければならないことがあるので、もう少し後で話す。

 この系図を見ると、表向きの神武天皇から持統天皇に至る皇統譜とは違い、漢風諡号に法則性を感じられるではないか。
 K仁徳女帝とJ仁賢女帝の二人、D安寧女帝とC安閑女帝の二人、A欽明女帝と@推古(舒明)女帝、用明皇女、皇極(斉明)女帝の四人である。このように、同じ文字を共有する人物は姉妹だったのである。
 とすると、この解読法が間違っていないことを解読者に確認させるため、この法則も用意しに違いない。
 事実、この系図でこの法則に接し、これまでの解読法に誤りはない、と、私自身も確信が持て、さらに先を解読しようという好奇心が沸々と涌いて来たものだった。

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もくじ

☆ プロローグ  1.暗号発見までの経緯 2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137 3.神世と易六十四卦の序次〜円を描く皇統譜とその不合 4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝 5.暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命 6.暗号解読[2]持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代 7.暗号解読[3]41ピースのジグソー・パズル 8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係 10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは 11.暗号解読[7]母権制社会脱却の失敗 12.暗号解読[8]応神女帝から推古女帝までの正しい年代 13.暗号解読[9]神武男帝のクーデター、イザ!・オウ! 14.暗号解読[10]雄略男帝から聖徳太子までの真実 15.暗号解読[11]大化の改新〜父権制社会としての出発! 16.暗号が示す歴史の全容! 17.卑弥呼の正体は崇神女帝だった! 18.解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」の秘密


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最終更新日:平成30年09月14日 学易有丘会
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