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E 大化の改新とその後○ 皇紀1305年(西暦645年)乙巳歳6月12日 この日、鎌足と中大兄皇子ら革命軍は、皇極女帝を殺害し、さらに9月12日には、中大兄皇子が、母を蘇生させるための儀式に臨む皇極女帝の末娘も殺害。 ○ 皇紀1321年(西暦661年)辛酉歳6月A欽明女帝の蘇りとなる孫娘が、もう一度母権制社会を復活させようと、倭(畿内)を捨てて、九州に逃げる。しかし、不穏な動きに、天智天皇はすぐさま後を追い、この日、その孫娘を殺害し、クーデターを未然に防ぎ、事なきを得る。 ○ 皇紀1322年(西暦662年)壬戌歳持統天皇(当時天武妃)が、百済から朝貢に来た使者と深い仲になり、その結果として草壁皇子を生む。(6.暗号解読2−Fより) ○ 皇紀1325年(西暦665年)乙丑歳天智天皇崩。弟の天武天皇が皇位継承。 ○ 皇紀1326年(西暦666年)丙寅歳@推古女帝の蘇りとなる孫娘の大友皇女(表向きの大友皇子)が、母権制社会復活を賭けて、近江大津に兵力を結集する。 ○ 皇紀1332年(西暦672年)壬申歳6月 天武天皇は、しばらく近江の様子を静観し、できることなら武力を行使せずに、母権制社会復活を諦めさせようと考えていたが、いつまで経っても服従する様子がないので、仕方なく一戦交える。 これで、B継体女帝の娘のA欽明女帝、@推古女帝、皇極女帝の血を引く者のうち、男帝革命軍に服従しなかった女性はすべていなくなったことになり、日本は父権制社会として、新たに出発する。 以下は6.暗号解読2−Fの再掲。 ○ 皇紀1337年(西暦667年)丁丑歳壬申の乱が平定されて6年になるが、朝廷内ではこの頃から、平然と汚職をする持統皇后の発言力が強くなって来る。 ○ 皇紀1341年(西暦681年)辛巳歳2月庚子朔甲子(25日)汚職で得た勢力を後ろ盾にした持統皇后は、予てより天武天皇の子だと偽り続けて来た草壁皇子を、この日、皇太子とすることに成功する。 ○ 同年3月持統皇后と賄賂で結ばれた朝廷内の大多数勢力が、綺麗事ばかりで飾り、それに都合の悪い真実は全て切り捨てた虚構の歴史物語編纂事業に着手する。これに対して天武天皇は、真実の歴史を後世に伝え残そうと独自に調査し、知り得た全てを愛娘で数少ない味方の一人、稗田阿礼(母は持統皇后)に誦習させる。誦習という手段を用いたのは、文書で残せば焼き捨てられる危険があったからだろう。 ○ 皇紀1346年(西暦686年)丙戌歳持統皇后が天武天皇に毒を盛り始める。用いられたのは長期間与え続けることで死に至る毒物で、これにより天武天皇は病床に着く。草壁皇子を皇太子としたことで、最早用済みとなったばかりか、汚職や虚構の歴史書編纂に批判的な天武天皇である。生きていては何かと都合が悪かったのだろう。 ○ 同年9月戊戌朔丙午(9日) 天武天皇崩御。よって毒殺計画は成功。しかし、必ずしも持統皇后の思い通りには行かなかった。草壁皇子が天武天皇の後継として即位しようとすると、その出生疑惑を理由に大津皇子(父は天武天皇、母は大田皇女=持統皇后の姉)が実力阻止に出たからである。 ○ 皇紀1349年(西暦689年)戊子歳持統皇后を中心とする勢力が稗田阿礼の暗殺を仄めかし譲位を迫ったので、稗田阿礼側は止むを得ずこれに従う。天武天皇の信頼厚かった人物が皇位にあることを不愉快に思ったのだろう。 ○ 皇紀1350年(西暦690年)己丑歳正月戊寅朔(1日)持統天皇即位。 ○ 皇紀1353年(西暦693年)癸巳歳9月丁亥朔乙未(9日)高市皇子(天武天皇の庶子)が草壁皇子の側近の一人に、「草壁皇子を殺してくれたら、私が皇太子となった暁には御前を大臣にしよう」と言って唆し、天武天皇の命日であるこの日に草壁皇子を暗殺させる。そして意気揚々と事の次第を報告に来ると、「自分の主人を裏切るような奴は信用出来ない」として、今度はこの人物を殺す。大津皇子の無念を晴らしたかったのだろう。 ○ 皇紀1354年(西暦694年)甲午歳4月甲寅朔庚辰(27日)高市皇子が太政大臣(皇太子格)になる。 ○ 皇紀1356年(西暦696年)丙申歳7月辛丑朔癸卯(3日) 天武天皇の死因が持統天皇による毒殺だったことを、とある偶然から知った高市皇子が、この日に「父の仇」として持統天皇を暗殺する。しかし、いくら「父の仇」であったとしても天皇暗殺は大罪であり、またこれを放置すれば国中が大混乱となる恐れもある。そこで同月10日、高市皇子には死が命じられ、この事は多臣品治によって内密に処理されると共に、持統天皇の遺体も人里離れた山中(現・奈良市東部の奥山地区)に埋葬された。 以上が暗号が示す歴史の全容だが、果たしてこれが真実なのだろうか。次にその辺を探ってみたい。 |
最終更新日:令和05年01月24日
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