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Eメール危険な古代史=古事記と易学〜発見!想像を絶する真実の古代日本
4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝

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このページのもくじ
@大事なのは皇紀で考えることだ!
 A元明天皇と持統天皇 B天武天皇の無念 C暗号メッセージの全容

この章の内容は太安萬侶が易者に託した危険な作戦!古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け3として、約20分の動画にまとめてあります。

 

@大事なのは皇紀で考えること!

 前ページの5.円を描く皇統譜とその不合で話したように、国之常立神から41持統天皇に至る皇統譜の円周からは、「歴史を腐敗させた女帝を訟える」というメッセージが浮かび上がった。

 また、3.謎めく数字137で話したように、1神武、12景行、14仲哀の三天皇の『記』年齢と『古事記』序文の最後に記載されている撰進の日付との間には、謎めいた関係があった。

 これは、何やらただならぬ気配ではないか。
 そこで、『古事記』とはどういう本なのかを書いた序文を改めて読んでみることにした。
 もちろん通常の読み方ではなく、易の卦に置き換えられる文字があれば適宜置き換え、何か意味がとおるメッセージが読み取れるか、という検証である。
 すると案の定、その『古事記』序文の中から重大なメッセージが浮上したのである。
 それは、40天武天皇の徳を称える文章と、『古事記』撰進当時の43元明天皇の徳を称える文章の中にあった。

 なお、ここでは『古事記』序文の全文を紹介することは割愛させていただく。手元に『古事記』がない場合は、「古事記序文」といった言葉で検索するとよいだろう。いくつかのサイトで序文は全文がアップされている。

 それでは、解読の手順から話そう。


 『古事記』序文というのは、編者の太安萬侶(おほのやすまろ)が、元明(げんめい)天皇に『古事記』を献上するに当り、編纂した経緯などを書いたもので、この序文の後、本文の物語が始まる。
 序文は、その内容から、大きくわけて三つのブロックに分けることができ、これまでの研究では、それぞれを第一段、第二段、第三段と呼んでいる。

 さて、暗号が隠されている、という視点で読んで・・・というか、どんな字や表現が使われているのかを細かく確認する作業と言ったほうが適切だろうが、そうしてみるとやはりそれっぽい部分が何ヶ所も見つかった。見つかるとメモに書き出した。書き出してみるとかなり量が多く、どこを突破口にしてよいやら思案してしまった。
 しかしちょっと視点を変えればどこかに暗号の入口が見つかるはずだ、という思いもあった。
 そうこうしているうちに、天皇や神々と六十四卦の序次の関係を見つけたきっかけは、「神武紀」の物語を普通に読んでいると見逃しがちな「屯蒙」と七六年崩という記述だったなぁ・・・などと思いを巡らせていた。
 が、そのときハタと気付いたことがあった。
 神武天皇の崩は神武76年=皇紀76年だが、これをわざわざ西暦に直して紀元前585年と認識してこの暗号を解読するのは不可能なのだ、ということである。
 この序文も皇紀で考えることが大事なのだ。
 『古事記』撰進は序文の最後に和銅5年だと書いてある。
 和銅5年は西暦712年だから、660を足して皇紀1372年である。
 そのことに気付くと、いささか気になる文章があった。
 第三段の元明天皇の徳を称える文章である。

A元明天皇と持統天皇

 元明天皇の徳を称える文章は次のようなものである。
 原文は漢文なので、岩波古典文学大系『古事記』を参考に書き下しておく。以下、書き下し文の引用はすべて同書と同大系『日本書紀』上・下による。

 A ()して(おも)ふに皇帝(こうてい)陛下(へいか)
 B (いち)()光宅(こうたく)し、
 C (さん)(つう)じて亭育(ていいく)したまふ。
 D 紫宸(ししん)(ぎょ)して(とく)(うま)(ひづめ)(きわ)まる(ところ)(およ)び、
 E 玄扈(げんこ)()して()(ふね)()(およ)ぶ所を()らしたまふ。
 F ()()かびて(ひかり)(かさ)ね、
 G (くも)()りて(けぶり)(あら)ず。
 H (えだ)(つら)()(あは)(しるし)
 I ()(しる)すことを()たず、
 J (とぶひ)(つら)(をさ)を重ぬる(みつぎ)()(むな)しき(つき)()し。
 K ()文命(ぶんめい)よりも(たか)く、
 L (とく)天乙(てんいつ)にも(まさ)りたまへりと()ひつ()し。

 なぜ、この文章が気になったのか。
 それはまず、冒頭のA「伏して惟ふに皇帝陛下」である。
「伏して惟ふに」は、臣下が君上に対する畏敬の念を表す言葉で、「平れ伏して思いを旋らせるに」といった意味になるのだが、暗号ならば「裏に伏せた事柄がある」と示すものとも受け取れるではないか。

 そう思ってみると、続くBとCの文節が、何やら言いたけである。
 「一を得て」は「即位して」という意、
 「光宅」はその徳が天下に満ち溢れること、
 「三に通じて」は「天地人の三才を熟知して」といった意、
 「亭育」は民衆をよい方向に導き化育することだから、合わせて、
 「皇帝陛下は即位するとその徳が天下に満ち溢れ、天地人の三才も熟知する博識により、民衆をよい方向に導き化育されました」
といった意味になる。
 しかし、そういう意味を考えずに、ただ文字列を眺めると、一と三という数字が際立って来るではないか。
 しかも『古事記』撰進は皇紀1372年である。
 とすると、この一と三は皇紀1300年代を指すのであって、続くDとEの文節に下二桁となる数字が隠されているのではないだろうか?
 これがわからなければ、暗号なんて妄想に過ぎず、普通に読み取れる文面どおりのことしか書かれていないと考えたほうがよいだろう。しかし何かを読み取れれば、その先に暗号で何かとんでもないことが示されているに違いない。そう考えて解読に取り組んだ。

 D 紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被び
 E 玄扈に坐して化は船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ

 とは言ってみたものの、この文章のどこに、その下二桁となる数字が隠されているのだろうか。どこに数字を見つける手がかりがあるのだろうか…。
 素直に考えれば、AとBの文節ではそれぞれ前半に一と三という数字があったのだから、このDとEも、もし数字が隠されているのであればやはりそれぞれの前半の部分だろう。
 まずは、その線で探ってみよう。

 Dの「紫宸に御して」は、「皇帝(天皇)陛下が紫宸殿に出て来て、政治を行えば」という意味である。
 紫宸殿というのは政治を行う場所であり、「宮中のプライベートな場所から、公式な場所である紫宸殿に出てきて」といった意で「紫宸に御して」と言っているのである。
「御して」とは「出でまして」といった意である。
 Eの「玄扈に坐して」の玄扈も、紫宸と同様に陛下が政治を行う御殿を指す言葉である。玄は天の色とされているとともに、扈は「従う」という意味があるので、天に従う場所といった意になる。天子は天に従って政治を行うものとされていて、天に従う場所に坐るとは、天に対して孝を尽くすことが座っているかのように不動である、ということである。ただし玄扈殿という名称の場所はないので、天皇の徳を称えるために、紫宸殿に居ることをそう形容したのだろう。
 Dの後半「徳は馬の蹄の極まる所に被び」は、馬でなければ行けない遠いところにまで徳が被ぶということであって、Eの後半は、海の一番遠くまでも徳に感化される、といった意である。

 なぜ最初は紫宸と言い、次には玄扈と、別の表現を用いているのだろうか。
 まして「玄扈に坐して」という部分は、省略しても文章として特に問題はないように思える。
 単なる修辞を羅列したかった、というならばそれまでのことだが、もしこれが暗号ならば、何かそこに理由があるからこそ、わざわざ言い換えているはずである。
 そう考えて、紫宸に御して、玄扈に坐して、紫宸に御して、玄扈に坐して・・・、と、しばらくブツブツ口の中で唱えていた。と、ハタと閃くことがあった。
「御と坐だ」

 「御して」は「出る」、「坐して」は「止まる」、ということだ。
 出るということを八卦に置き換えると(しん)(雷)であり、さらに数に置き換えると4になる。
 一方の止まるは、(ごん)(山)だから、数では7になる。

とすると、前半の一と三と合わせて、1347年ということになる。

乱数表はコチラ

 皇紀1347年(西暦687年)は、なんと、持統天皇の元年ではないか!
 元年を示すからには、続く文章はその持統天皇についての何かを教えている、と考えるのが最も合理的である。
 なるほど、ここで言う皇帝陛下は、表向きには元明天皇だが、裏では持統天皇を指していたのだ。
 とすると続くFからMまでの文節には、持統天皇に関する秘密が隠してある、と予告しているのに違いない。
 どうやら、「歴史を腐敗させた女帝を訴える」の女帝は、持統天皇のことのようである。

 そこで、F〜Lの文節を、表面上の意味ではなく、暗号だと考えて、探ることにした。

乱数表はコチラ

 F 日浮かびて暉を重ね
 日継が皇位継承を意味するところから(序次30離為火(りいか)の意象による)、「日浮かびて」で「天皇を浮かべて」、「暉を重ね」で「天皇を並べ」と読めるので、「架空の天皇を創作し、それを並べて皇位継承の歴史とした」と解釈出来る。

 G 雲散りて烟に非ず
 雲と烟は共に日を遮る(邪魔をする)ものだから、「邪魔になる真実は全て切り捨てた」という意味になる。

 H 柯を連ね穂を并す瑞
 柯は算木、穂は筮竹の形状を連想させるから、Iの「史書すことを絶たず」と合わせて、「この書物は、易に基づいて史官が書いたものである」と婉曲に示しているものと受け取れる。

 J 烽を列ね訳を重ぬる貢、府空しき月無し
 都の情報を伝えるためには数多くの烽(狼煙)が必要だったり、翻訳を何回も重ねなければ言葉が通じないような遠い国々からの朝貢で朝廷の倉庫が空っぽの月はない、といった意味だが、これを反語とすれば、言葉が違う遠い国々すなわち中国や朝鮮の物語(貢)を翻案して取り入れた箇所が数多くあるとも、全国津々浦々の豪族達からの家柄を格調高くしてもらいたいがための賄賂で朝廷の倉庫は溢れていたとも言っていることになる。

 K 名は文命よりも高く
 文命は古代中国の夏の禹王のことだが、「本文の物語」の意とすれば、「登場人物の名前の方が本文の物語よりも重要である」と読める。

 L 徳は天乙にも冠りたまへり
 天乙は殷の湯王のことだが、周易は天乙が生きた殷の次の周の時代に完成したものだから天乙は周易を知り得ないので、天乙に冠る徳は周易を修めることに通じる。したがって、「真実は周易の理論によって、知ることが出来る」と読める。

 ここまでのところをまとめておこう。

 持統天皇は架空の天皇を次から次へと創作し、それらを並べて皇位継承の歴史とした。
 その光り輝く皇統の歴史に邪魔になる真実は全て切り捨てた。
 そういう事情から、この書物に書かれた歴史は易に基づいて史官が創作したものである。
 そのため、中国や朝鮮の物語を翻案して取り入れた箇所が数多くあり、また、全国津々浦々の豪族達からの、家柄を格調高くしてもらいたいがための賄賂で、朝廷の倉庫は溢れていた。
 本当の歴史を知りたいのなら、本文の物語ではなく、登場人物の名前に注目することである。
 そうすれば周易の理論によって、本当のことを知ることができる。

B天武天皇の無念

 元明天皇を称える文章から読み取れるのはこれで全てだが、確かに『記・紀』本文の物語ではなく、各天皇や神々の名前に注目し、これを易で解釈することによって、皇統譜の円周を発見できた。とすれば、この解読に誤りはないものと断言出来る。そこで、さらに『古事記』序文を探って行ったのだが、次なる暗号は序文第二段の、天武天皇の徳を称える文章の中に組み込まれていた。

 ア (みち)軒后(けんこう)()ぎ、
 イ 徳は周王(しゅうわう)()えたまひき。
 ウ 乾符(けんぷ)()りて六合(りくがふ)()べ、天統(てんとう)を得て八荒(はっくわう)()ねたまひき。
 エ 二気(にき)(ただ)しきに()り、五行(ごぎょう)(ついで)(ととの)へ、神理(しんり)()けて(ならわし)(すす)め、英風(えいふう)()きて(くに)(ひろ)めたまひき。
 オ 重加(しかのみにあらず)智海(ちかい)浩汗(かうかん)として、(ふか)上古(じょうこ)(さぐ)り、心鏡(しんきゃう)煒煌(ゐくわう)として、(あき)らかに先代(せんだい)()たまひき。

 の部分である。

 ア 道は軒后に軼ぎ
 軒后は古代中国の伝説上の帝王・黄帝の別称だから、表面上は「天武天皇の御政道は軒后よりも優れていた」という意味になる。しかし、軒后の后の字は皇后の后で、天武天皇の皇后は持統天皇だったのだから、「天武天皇は持統天皇よりも優れていた」と読める。

 イ 徳は周王に跨えたまひき
 周王は周の文王のことで、文王は易六十四卦の卦辞を作ると共に六十四卦の序次を演べたとされる人物だから、易の理論に基づいた虚構の歴史を作るようでは、とても「跨える」とは言えない。したがって、「天武天皇は真実の歴史を残そうとした」と告げていることになる。

 ウ 乾符を握りて六合をハべ、天統を得て八荒を包ねたまひき
 文意を無視して、乾六と天八のそれぞれ二文字ずつの組み合わせで易の卦に置き換える。すると、乾と天はともに(けん)(天)・六は(かん)(水)、八は(こん)(地)だから、乾六で6天水訟(てんすいしょう)、天八は12天地否(てんちひ)となり、この訟と否とを合わせて「(うった)えたが否定された」という意味になる。

乱数表はコチラ

 エ 二気の正しきに乗り、五行の序を斉へ、神理を設けて俗を奨め、英風を敷きて国を弘めたまひき
 前半はウに引き続き文意を無視し、二と五の二文字で易の卦に置き換える。すると、二は()(沢)・五は(そん)(風)だから、序次28の沢風大過(たくふうたいか)で「大きく過ぎる」という意味になり、後半を「神道を設けて善良な風俗を奨めることを大義名分に、綺麗事ばかりの虚構の歴史を国の正史として弘めようとした」と解釈すれば、合わせて、
 「朝廷内の大多数の意志により、虚構の歴史を国の正史とすることに決定してしまった」
と示していることになる。

 オ 重加、智海は浩汗として、潭く上古を探り、心鏡は煒煌として、明らかに先代を覩たまひき
 浩汗は広大という意味だが、共に氵(サンズイ)で水にちなむ文字だから水を重ねた序次29坎為水(かんいすい)、煒煌は「明らかに輝く」という意味だが、共に火をヘンとするので火を重ねた30離為火(りいか)の表現とすれば、29坎為水には「険難の水」ということから「毒」の意味があり、30離為火は火が燃え盛っている形なので、合わせて「毒が身体中を駆け巡り、火が燃え盛っているような高熱に苦しんでいる状態」すなわち「毒殺」の暗示と考えられる。
 要するに、「天武天皇は独自に古代史を探り、その真実を知っていたので毒殺された」ということである。表向きには、天武天皇は単なる病死とされているのだが……。

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C暗号メッセージの全容

 以上が読み取れる裏の意味だが、これではいささか断片的なので、言葉を補って筋が通るようにまとめよう。

 『古事記』『日本書紀』の表面上から読み取れる歴史は真実ではない。
 持統天皇により架空の天皇とその系譜が作られ、それに都合の悪いことは全て切り捨てられたからである。
 創作に当たっては易の理論が利用され、さらには外国の物語を翻案し、それを恰も日本の出来事であるかのように偽装して挿入したところが随所にある。
 その上、編纂が始まると、家柄を格調高くしようと願う豪族達からの朝貢(賄賂)で、朝廷の倉庫は溢れ返っていた程だった。
 そこで、表面上はこの虚構の歴史を記したが、裏に暗号で真実の歴史を忍ばせておいた。
 真実を知るには本文ではなく、登場人物の名前を易の理論に従って考えて欲しい。

 このような書物となった遠因は天武天皇と持統天皇の力関係にある。
 天武天皇は持統天皇より優れていた。
 創作ではなく真実の歴史を記録した書物を作ろうとしていたのである。
 しかしこれを豪族達に訟えても彼らは呆気なく否定し、相手にしなかった。
 大多数の豪族達と彼らからの賄賂に染まった持統天皇(当時皇后)が、綺麗事ばかりで飾った虚構の歴史書を作ろうとしていたのである。
 そんな朝廷内の動きを嘆き悲しんだ天武天皇は、独自に古代史を探り、知り得た真実の歴史を何とか後世に伝え残そうとした。
 ところが、あろうことか毒殺されてしまった。

 これが『古事記』序文に隠されたメッセージのおおよそだが、この解読により『記・紀』研究上の謎の一つと言われている稗田阿礼(ひえだのあれ)の役割が、少し見えて来たようである。
 稗田阿礼は『古事記』序文の第三段にのみ登場する人物で、そこには28歳の時に天武天皇の命により、その当時の古代史に関する資料を誦習し、歴史書作成に参加したとある。しかし『日本書紀』ではこれに全く触れず、天武10年3月に皇族以下十二人を召して(無論、稗田阿礼は含まれない)歴史書作成事業に着手したと記録している。
 この二つの出来事は同じことを別の角度から見たのか、はたまた全く別のことなのか、研究者の間でも議論が尽きないようだが、この暗号メッセージを踏まえてみると、次のような経緯だったと推測される。

 天武10年3月の記事は、当時皇后だった後の持統天皇を中心とする勢力が、虚構の歴史書編纂に着手したことを示しているのであって、これに対抗する手段として、天武天皇が独自に調査して知り得た真実の歴史を誦習したのが、稗田阿礼だったのである。誦習という方法を用いたのは、文書で残せば発覚した時に大多数の反対派によって焼き捨てられる可能性があったからだろう。そして反対派に悟られずに、真実を後世に伝え残す手段として考え出されたのが、この暗号作戦だったのである。
 なお『古事記』序文では稗田阿礼が誦む歴史をそのまま収録したことになっているが、言うまでもなくそれは表面上の体裁を整えるためのことである。
 また、これに従って天武天皇の国風諡号、天渟中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと)を眺めてみると、その意味が見えて来た。

乱数表はコチラ

 天渟は、天は(けん)(天)、渟は水の様子を示す文字だから水を意味する(かん)(水)だから、合わせて6天水訟(てんすいしょう)で「(うった)える」という意、
 中原瀛は、原は大地だから(こん)(地)を通じて人体の腹、瀛は海のことだから(水)を通じて毒の暗示ともなるので、「腹の中に毒がある」という意味に取れる。
 したがって、全体を合わせると、
 「真実の古代史を伝え残そうと訟えた真面目な人物だったがために、毒殺された」
 と読めるではないか。

 そうか!
 この天武天皇の国風諡号は六十四卦の序次A列やB列と対応しなかったが、このように別の暗号としての役割があったのだ。
 とすると他の天皇の名前の対応しない部分も同様に別の暗号としての役割があるに違いない。

 追々明らかにするが、このときの感触のとおり、この暗号はこのように対応しない名前の部分や数字の意味を考えて行くことにより、真実を掘り起こせる仕組みになっていたのである。

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もくじ

☆ プロローグ  1.暗号発見までの経緯 2.古代天皇と易六十四卦の序次〜謎めく数字137 3.神世と易六十四卦の序次〜円を描く皇統譜とその不合 4.『古事記』序文に隠されたメッセージ〜歴史を腐敗させた女帝 5.暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命 6.暗号解読[2]持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代 7.暗号解読[3]41ピースのジグソー・パズル 8.暗号解読[4]男帝と女帝の二王朝に分裂していた時代 9.暗号解読[5]暗号が示す皇統譜の親子兄弟姉妹関係 10.暗号解読[6]女帝たちの壮絶な実態と母権制社会とは 11.暗号解読[7]母権制社会脱却の失敗 12.暗号解読[8]応神女帝から推古女帝までの正しい年代 13.暗号解読[9]神武男帝のクーデター、イザ!・オウ! 14.暗号解読[10]雄略男帝から聖徳太子までの真実 15.暗号解読[11]大化の改新〜父権制社会としての出発! 16.暗号が示す歴史の全容! 17.卑弥呼の正体は崇神女帝だった! 18.解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」の秘密

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最終更新日:令和05年01月24日 学易有丘会
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