A元明天皇と持統天皇
元明天皇の徳を称える文章は次のようなものである。
原文は漢文なので、岩波古典文学大系『古事記』を参考に書き下しておく。以下、書き下し文の引用はすべて同書と同大系『日本書紀』上・下による。
A 伏して惟ふに皇帝陛下、
B 一を得て光宅し、
C 三に通じて亭育したまふ。
D 紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被び、
E 玄扈に坐して化は船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ。
F 日浮かびて暉を重ね、
G 雲散りて烟に非ず。
H 柯を連ね穂を并す瑞、
I 史書すことを絶たず、
J 烽を列ね訳を重ぬる貢、府空しき月無し。
K 名は文命よりも高く、
L 徳は天乙にも冠りたまへりと謂ひつ可し。
なぜ、この文章が気になったのか。
それはまず、冒頭のA「伏して惟ふに皇帝陛下」である。
「伏して惟ふに」は、臣下が君上に対する畏敬の念を表す言葉で、「平れ伏して思いを旋らせるに」といった意味になるのだが、暗号ならば「裏に伏せた事柄がある」と示すものとも受け取れるではないか。
そう思ってみると、続くBとCの文節が、何やら言いたけである。
「一を得て」は「即位して」という意、
「光宅」はその徳が天下に満ち溢れること、
「三に通じて」は「天地人の三才を熟知して」といった意、
「亭育」は民衆をよい方向に導き化育することだから、合わせて、
「皇帝陛下は即位するとその徳が天下に満ち溢れ、天地人の三才も熟知する博識により、民衆をよい方向に導き化育されました」
といった意味になる。
しかし、そういう意味を考えずに、ただ文字列を眺めると、一と三という数字が際立って来るではないか。
しかも『古事記』撰進は皇紀1372年である。
とすると、この一と三は皇紀1300年代を指すのであって、続くDとEの文節に下二桁となる数字が隠されているのではないだろうか?
これがわからなければ、暗号なんて妄想に過ぎず、普通に読み取れる文面どおりのことしか書かれていないと考えたほうがよいだろう。しかし何かを読み取れれば、その先に暗号で何かとんでもないことが示されているに違いない。そう考えて解読に取り組んだ。
D 紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被び
E 玄扈に坐して化は船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ
とは言ってみたものの、この文章のどこに、その下二桁となる数字が隠されているのだろうか。どこに数字を見つける手がかりがあるのだろうか…。
素直に考えれば、AとBの文節ではそれぞれ前半に一と三という数字があったのだから、このDとEも、もし数字が隠されているのであればやはりそれぞれの前半の部分だろう。
まずは、その線で探ってみよう。
Dの「紫宸に御して」は、「皇帝(天皇)陛下が紫宸殿に出て来て、政治を行えば」という意味である。
紫宸殿というのは政治を行う場所であり、「宮中のプライベートな場所から、公式な場所である紫宸殿に出てきて」といった意で「紫宸に御して」と言っているのである。
「御して」とは「出でまして」といった意である。
Eの「玄扈に坐して」の玄扈も、紫宸と同様に陛下が政治を行う御殿を指す言葉である。玄は天の色とされているとともに、扈は「従う」という意味があるので、天に従う場所といった意になる。天子は天に従って政治を行うものとされていて、天に従う場所に坐るとは、天に対して孝を尽くすことが座っているかのように不動である、ということである。ただし玄扈殿という名称の場所はないので、天皇の徳を称えるために、紫宸殿に居ることをそう形容したのだろう。
Dの後半「徳は馬の蹄の極まる所に被び」は、馬でなければ行けない遠いところにまで徳が被ぶということであって、Eの後半は、海の一番遠くまでも徳に感化される、といった意である。
なぜ最初は紫宸と言い、次には玄扈と、別の表現を用いているのだろうか。
まして「玄扈に坐して」という部分は、省略しても文章として特に問題はないように思える。
単なる修辞を羅列したかった、というならばそれまでのことだが、もしこれが暗号ならば、何かそこに理由があるからこそ、わざわざ言い換えているはずである。
そう考えて、紫宸に御して、玄扈に坐して、紫宸に御して、玄扈に坐して・・・、と、しばらくブツブツ口の中で唱えていた。と、ハタと閃くことがあった。
「御と坐だ」
「御して」は「出る」、「坐して」は「止まる」、ということだ。
出るということを八卦に置き換えると 震(雷)であり、さらに数に置き換えると4になる。
一方の止まるは、 艮(山)だから、数では7になる。
とすると、前半の一と三と合わせて、1347年ということになる。
乱数表はコチラ
皇紀1347年(西暦687年)は、なんと、持統天皇の元年ではないか!
元年を示すからには、続く文章はその持統天皇についての何かを教えている、と考えるのが最も合理的である。
なるほど、ここで言う皇帝陛下は、表向きには元明天皇だが、裏では持統天皇を指していたのだ。
とすると続くFからMまでの文節には、持統天皇に関する秘密が隠してある、と予告しているのに違いない。
どうやら、「歴史を腐敗させた女帝を訴える」の女帝は、持統天皇のことのようである。
そこで、F〜Lの文節を、表面上の意味ではなく、暗号だと考えて、探ることにした。
乱数表はコチラ
F 日浮かびて暉を重ね
日継が皇位継承を意味するところから(序次30 離為火の意象による)、「日浮かびて」で「天皇を浮かべて」、「暉を重ね」で「天皇を並べ」と読めるので、「架空の天皇を創作し、それを並べて皇位継承の歴史とした」と解釈出来る。
G 雲散りて烟に非ず
雲と烟は共に日を遮る(邪魔をする)ものだから、「邪魔になる真実は全て切り捨てた」という意味になる。
H 柯を連ね穂を并す瑞
柯は算木、穂は筮竹の形状を連想させるから、Iの「史書すことを絶たず」と合わせて、「この書物は、易に基づいて史官が書いたものである」と婉曲に示しているものと受け取れる。
J 烽を列ね訳を重ぬる貢、府空しき月無し
都の情報を伝えるためには数多くの烽(狼煙)が必要だったり、翻訳を何回も重ねなければ言葉が通じないような遠い国々からの朝貢で朝廷の倉庫が空っぽの月はない、といった意味だが、これを反語とすれば、言葉が違う遠い国々すなわち中国や朝鮮の物語(貢)を翻案して取り入れた箇所が数多くあるとも、全国津々浦々の豪族達からの家柄を格調高くしてもらいたいがための賄賂で朝廷の倉庫は溢れていたとも言っていることになる。
K 名は文命よりも高く
文命は古代中国の夏の禹王のことだが、「本文の物語」の意とすれば、「登場人物の名前の方が本文の物語よりも重要である」と読める。
L 徳は天乙にも冠りたまへり
天乙は殷の湯王のことだが、周易は天乙が生きた殷の次の周の時代に完成したものだから天乙は周易を知り得ないので、天乙に冠る徳は周易を修めることに通じる。したがって、「真実は周易の理論によって、知ることが出来る」と読める。
ここまでのところをまとめておこう。
持統天皇は架空の天皇を次から次へと創作し、それらを並べて皇位継承の歴史とした。
その光り輝く皇統の歴史に邪魔になる真実は全て切り捨てた。
そういう事情から、この書物に書かれた歴史は易に基づいて史官が創作したものである。
そのため、中国や朝鮮の物語を翻案して取り入れた箇所が数多くあり、また、全国津々浦々の豪族達からの、家柄を格調高くしてもらいたいがための賄賂で、朝廷の倉庫は溢れていた。
本当の歴史を知りたいのなら、本文の物語ではなく、登場人物の名前に注目することである。
そうすれば周易の理論によって、本当のことを知ることができる。
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