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Eメール古事記と易学

発見!想像を絶する真実の古代日本

6−1 架空の天皇
6−2 隠された女帝達と『古事記』序文の態度
6−3 男帝と女帝の二王朝が並立する皇統譜
6−4 暗号が示す皇統譜の親子関係

☆ 暗号解読[2]

41ピースのジグソーパズル

6−1 架空の天皇

 

 暗号が示す持統天皇とその周辺の歴史は、表向きとは大分異なっていた。これまでどんな歴史家もこのようなことは言ったことがない。そんなのは妄想だ、史実であるわけがない、と、自分でも解読した歴史をなかなか信じる気にはなれなかった。しかしこの解読の結果、これまで意味不明とされていた干支や数字の矛盾が綺麗に繋がったではないか。単なる誤記や錯誤ではなく、『記』『紀』編者が仕掛けた暗号だったからこそ、こうして表向きとは全く異なる歴史が浮上したのだ。
 と、自分に言い聞かせ、それが本当ならば、さらに解読を進めれば表向きとは全く違うこといろいろと姿を現すはずだ。そう考えて解読を進めた。
 しかし、初代の神武天皇から順番に少しずつ解読しようとしてもダメだった。
 どこから手をつけてよいのかわからなかったのだ。
 何やらジグソーパズルの最初の1ピースをどこに置けばよいか迷っているのと同じ気分がした。と、ハタと気付いた。これはジグソーパズルに似た仕組みの暗号なのだと。

 各天皇は表向きとは即位の順番が全く違うのではないか?その上、架空の天皇も中に混ざっている。
 たまに、2綏靖天皇から9開化天皇までは皇統譜に関すること以外は何も記述がないことから歴史を長く見せかけるために作った架空の天皇だ、などとする仮説を唱える歴史家がいるが、そんな簡単なことではない。
 表面上の皇位継承順や物語の進行に捉われず、持統までの全天皇の属性を分類して判断することで、実在と架空の違いがわかる仕組みなのではないだろうか?
 ジグソーパズルを組み上げるとき、私はどこに何を置くべきか、完成した絵柄を参考に各ピースを色によって分類する。
 そうすると、だいぶ置く場所がわかりやすくなるのだ。
 それと同じように各天皇名に使われている文字や崩御時の年齢などの数字を易の卦に置き換えて解釈しながらその属性を分類することが大事なのではないか、と考えた。ただしどんな絵柄が完成するのかはわからないが。

 ともあれ結果から言うと、それでアタリだった。この手法で『記・紀』全体を探って行くと、さらに驚くべき歴史が姿を現したのである。
 思ったとおり、言うなれば、『記・紀』に登場する古代天皇は、「41ピースのジグソーパズル」だったのである。
 神武天皇から持統天皇までが41人だから、41ピース、である。
 ただし中にはダミーもあるので、組み立てるにはこれを除外しなければいけない。表向きの皇統譜は、完成された絵柄を切り分け、各片をその色彩に従って並べ替え、さらにはその配列を秩序立てるために余計な片を加えて、一揃い41ピースとしたものだったのである。
 まずはそのダミーすなわち『古事記』序文に「日浮(ひう)かびて(ひかり)を重ね」と表現された架空の天皇を捜し出すことから始める。

 糸口は持統天皇や天武天皇に関する真実を教えるための暗号だった7孝霊、14仲哀、21安康の三天皇と15神功皇后についての捉え方である。
 このような暗号を組み込むのは、架空の人物であってこそ出来ることではないだろうか。実在の人物の事跡に、暗号を組み込むと、解読者は混乱する。とすれば、そんな無謀なことはしないはずである。
 そこで、この4人を架空の人物と断定し、これを手掛かりに探って行くのだが、すると、さらなる除外すべき架空の天皇を選別できたのである。
 その選別方法は、『古事記』序文の「名は文命よりも高く」の裏の意味に従い、本文の物語は無視し、国風諡号を主体に検証するのだが、これに加えて年齢等の数字を含めたA列B列との関係も、ジグソーパズル組み立ての鍵だったのである。

 なおこれから書くことはかなり整理している。実際の解読作業では、あっちこっち少しずつ暗号が解け、最後にその暗号がひとつに繋がったのである。まさにジクソーパズルと同様だった。それをその解読作業の順で書くと、とんでもなく煩雑で分かりにくいものになる恐れがある。したがってここでは、実際の解読作業の順とは異なっても、暗号大系をより分かりやすくと、整理して書くことにした。

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 まずは4人の架空の人物のうちのひとりである7孝霊天皇の国風諡号、大倭根子日子賦斗邇(おほやまとねこひこふとに)と倭根子の部分が共通の8孝元、9開化、23清寧の三天皇である。
 同じ文字を使うということは、同じ要素を備えていると考えられる。
 その共通する倭根子の根の字は、易の卦に置き換えれば、偏の木は(そん)(風)、旁の艮は(ごん)(山)だから、合わせて序次53風山漸(ふうざんぜん)となるので、根子で「53風山漸の子」という意味に取れる。
 その53風山漸は8孝元天皇の『記』57歳が示す卦でもある。
 とすると、根子は、8孝元天皇の子に当たる9開化天皇と同じ要素を共有しているのだと告げているのでなければ、暗号としての辻褄が合わない。
 そこで9開化天皇だが、『記』63歳は63水火既済(すいかきせい)を示す。
 この卦は陰がそれぞれ正しい位置にあることから、「理想の形→無闇に動かしてはいけない」という意味を持つ。
 これに従い、位置を動かさずにその性質を探ろうとすれば、いやでもA列の序次12天地否(てんちひ)が目に止まる。
 これを素直に受け取れば、否は否定だから実在否定としか考えられない。
 したって、根子を共有する天皇は、全て架空の人物となるのである。
 なお、8孝元天皇の『記』57歳と9開化天皇の『記』63歳は、共に対応関係が複雑だったが、それはこのように、架空の人物であることを教える役割を合わせ持っていたからだったのである。

 これで7孝霊、8孝元、9開化、14仲哀、15神功、21安康、23清寧の計7人の実在が否定されたわけだが、架空の人物はもうひとりいた。29宣化天皇である。
 29宣化天皇は、2−1で話したように、国風諡号の建小広国押楯(たけをひろくにおしたて)からA列と対応する部分を除くと小広楯の3文字が残る。
 この小広楯の三文字は、「歴史を少し広げるために立てた」と示すものと考えられるからである。
 それは安易だろう。
 当初はそう思い、他の解読法もあれこれ試行錯誤した。しかし、難しく考えれば考えるほど、解読に行き詰まった。
 その結果、「暗号を組み込み、それを解読させるためには、極力わかりやすくしないと、伝わらないのだ」、というとこに気づいた。そして、なるべく安易な読み方をしたところ、ついに完全解読にこぎつけたのである。

 世間では、2綏靖(すいぜい)天皇から9開化天皇までを、皇統譜に属すること以外の記事がないことから、欠史8代と呼び、この8代は歴史を古く見せかけるために無理やり皇統譜に組み込んだ架空の人物だ、といった説もあるので、今更架空の人物が居たとしても、それほど驚くことではないだろう。暗号も、このうちの7孝霊、8孝元、9開化の実在は否定している。
 しかし、記事がないとしても、2綏靖、3安寧、4懿徳、5孝昭、6孝安の5人の実在は否定していない。
 とすると、当面は通説に培われた先入観を捨て、『古事記』『日本書紀』だけを検証して行かないといけない。
 それが暗号解読に際し、最も大事だったのである。

6−2 隠された女帝達と『古事記』序文の態度

 

 架空の天皇を除外したら、次は何をすればよいのか。それを教えるのが、A列B列と対応しなかった1神武、12景行、14仲哀、17仁徳、21安康の5人の天皇の『記』年齢のうちの、残る17仁徳天皇の83歳だった。

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 83を易の卦に置き換えると36地火明夷(ちかめいい)となる。
 この卦は(こん)(地)を大地、C()(火)を女性とすれば、「大地の下(墓の中)に女性が眠る」と解釈出来る。
 仁徳天皇と言えば、大阪の堺にあるあの大きな仁徳天皇陵を思い出すところだが、暗号は「墓に女性が眠る」と読める……とすると……、
 そうか!「仁徳天皇は、実は女性だった」と暗号は示しているに違いない!
 そして、仁徳溢れる最も男らしい天皇の一人として描かれている仁徳天皇が女性ならば、他の男性として登場する多くの天皇も、実は女性であると示唆していることにもなる。
 これは、とんでもないことだ!そんなことがあってよいのだろうか!

 一瞬そんな衝撃に襲われもしたが、とにかくジグソーパズル組み立ての第二段階は、架空の人物とする暗号が見当たらない残る33人の天皇の、男女を識別することだった。
 しかし、このままつらつらと文章だけで話しては、混乱も起きそうである。そこで、この辺でそのジグソーパズルの組み立てを図で示すことにする。それが、
 図26 41ピースのジグソーパズル(別窓で開きます)
 である。
 ここからは、この図26や、組み立ての基本情報がある最初の「表T 古代天皇と易六十四卦の序次」を見ながら話を進めることにするが、その男女の識別は、次のように判断するものだった。

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 4懿徳天皇・6孝安天皇・12景行天皇・13成務天皇

 まずは、容易に識別出来る4懿徳(いとく)天皇である。
 元年の皇紀151年を易の卦に置き換えると、1は(けん)(天)・五は(そん)(風)だから、百位の1と十位の5で44天風姤(てんぷうこう)を示し、残る下一位の1は、この卦の一番下を指していることになる。
 この卦は41持統天皇のA列であると共に、最下の陰の記号の位置は、誰もその勢いを止められない程の力を持っている陰(女性)を意味するので、「4懿徳天皇は絶大なる力を持った女帝である」と教えているのに他ならないのである。
 そして懿徳という漢風諡号は、6孝安天皇のA列9風天小畜(ふうてんしょうちく)の意義を説明する『易経』の文章中の「君子もって文徳を()くす(君子以懿文徳 )」にある文字だから、4懿徳天皇と6孝安天皇は同じ性質を共有していることになる。
 したがって、4懿徳天皇が女帝ならば、6孝安天皇も女帝となる。

 その6孝安天皇の国風諡号は大倭帯日子国押人(おほやまとたらしひこくにおしひと)だが、根子を共有する7孝霊、8孝元、9開化、23清寧の4人の天皇が架空の人物という要素を共有しているのだから、6孝安天皇が女帝ならば、帯日子を共有する12景行天皇=大帯日子淤斯呂和気(おほたらしひこおしろわけ)と13成務天皇=若帯日子(わかたらしひこ)も女帝でなければならないことになる。
 なお、若と大の違いは、若は一人、大は複数を示すと考えるのが最も素直だから、大倭帯日子(6孝安)と大帯日子(12景行)の位置には、本来複数の女帝がいたのを、国之常立神(くにのとこたちのかみ)から持統天皇に至る円周を成立させるために、それぞれ一人にまとめたのだ、と考えるのが順当である。
 これで4人が女帝だと判明したわけだが、さらに検証して行くと、約2/3が女帝だった上に、22雄略天皇と26武烈天皇(男性)、34推古天皇と35舒明天皇(女性)は、それぞれ同一人物だとも暗号は示していた。
 実際の解読作業では、まさにジグソーパズルのように、あっちこっち飛び飛びに少しずつ判明していったのだが、それをそのまま書いたのでは、あらぬ混乱を引き起こし兼ねない。そこで、整理しつつ、なるべく皇統譜の順に沿って話すことにする。

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 1神武天皇・2綏靖天皇

 この二人には女帝だとする暗号は見当たらないので、表向きと同じく男性となる。

 3安寧天皇

 国風諡号の師木津日(しきつひ)(日継師)の部分が4懿徳天皇との繋がりを見せるので、3安寧天皇と4懿徳天皇は共通の要素を備えていなければならず、4懿徳天皇はすでに話したように女帝なのだから、この3安寧天皇も女帝となる。

 5孝昭天皇・10崇神天皇

 5孝昭天皇の『記』93歳を易の卦に置き換えると、9は(天)・3は(火)だから、10崇神天皇のA列の序次13天火同人(てんかどうじん)を示すので、5孝昭天皇は10崇神天皇と同じ要素を備えていることになる。
 10崇神天皇は、1−2で、国風諡号の御真木入日子印恵(みまきいりひこいにゑ)を「13天火同人の裏卦7地水師(ちすいし)を見よ」と解釈したが、その7地水師は4懿徳天皇のA列だから、4懿徳天皇ともこの卦で結ばれていることになる。
 とすると、この二人は共通の要素を備えていなければいけないので、4懿徳天皇が女帝である以上、10崇神天皇も女帝となる。
 したがって、10崇神天皇と同じ要素を備えている5孝昭天皇も女帝となる。

 11垂仁天皇

 A列の序次14火天大有(かてんたいゆう)は、下から五番目の君位の一陰の女性が、他の五本の陽の男性を従え所有している形であるとともに、八卦単位で見ると、(天)の男性の上に(火)の女性が君臨している形でもある。したがってこの卦は女帝を意味する。  しかし、1−2で話したように、国風諡号の伊久米伊理毘古(いくめいりびこ)は、この卦を直接的に表現するのを避けていた。とすると、この国風諡号の態度は、女帝であることの打ち消しと受け取れる。したがってこの天皇は、表向きと同じく男性だと判断できる。

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 16応神天皇

 元年の930年と『記』130歳が、共に10崇神天皇のA列13天火同人を示すので、崇神天皇が女帝である以上、この天皇も女帝となる(1と9は(天)、3は(火))。

 18履中天皇・19反正天皇

18履中天皇は、国風諡号の頭の大江(おほえ)と元年の1060年を易の卦に置き換えると、大と1は(天)・江と6は(かん)(水)だから、共に3安寧天皇のA列である序次6天水訟(てんすいしょう)となる。
 一方の19反正天皇は、『記』60歳を易の卦に置き換えると、6は(水)・0(十)は(地)だから、5孝昭天皇のA列8水地比(すいちひ)となる。
 したがって、3安寧天皇と5孝昭天皇が共に女帝である以上、この二人も女帝となる。

 20允恭天皇

 この天皇には女帝だとする暗号は見当たらないので、表向きと同じく男性となる。

 22雄略天皇・26武烈天皇

 この二人も允恭天皇同様に、女帝だとする暗号は見当たらないので男性だと言えるのだが、両者の国風諡号の共通しない部分の大建(大長谷若建(おほはつせのわかたけ)=雄略)と小雀(小長谷若雀(をはつせのわかさざき)=武烈)を易の卦に置き換えてみよう。
 すると、大建は序次25天雷无妄(てんらいむぼう)2−1、雄略天皇のA列との対応関係参照)、小雀は序次46地風升(ちふうしょう)(小は陰だからその極みの(地)、雀は風に乗って空を行くことから(風))だから、表裏の関係となる。
 表裏の関係だけならば親子ということも考えられるが、長谷若という共通要素もあるので、親子より深い関係すなわち同じ人物を裏側から捉えているのだとしたほうがシックリ来る。
 したがって、この二人は同一人物ということになる。

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 24顕宗天皇・25仁賢天皇・27継体天皇・32用明天皇

 24顕宗天皇と25仁賢天皇は、国風諡号とA列との関係で深く繋がっている。
 24顕宗天皇の国風諡号の袁祁之石巣別(をけのいはすわけ)と27継体天皇の国風諡号の袁本杼(おほど)は袁の字を共有する。
 24顕宗天皇の『記』38歳は32用明天皇のA列35火地晋(かちしん)(3は(火)・8は(地))を示す。
 したがって、この4人は同じ要素を備えていることになる。
 そこで32用明天皇だが、国風諡号の橘之豊日(たちばなのとよひ)の豊日は、以下のように解釈出来る。
 豊は序次55雷火豊(らいかほう)のこととすれば、この卦は(雷)の男性が(火)の女性の上で振動している形だから、性交とその結果としての妊娠を暗示し(妊婦の腹は大きく豊かになる)、日は(火)を通じて女性を示すので、豊日と合わせれば「妊娠する女性」という意味になる。
 とすると、32用明天皇は女性なのであって、この人物が女性なら、あとの三人も女性でなければいけない。

 28安閑天皇

 国風諡号の広国押建金日(ひろくにおしたてかなひ)のうち、A列と対応しない金日の二文字は、易の卦に置き換えれば、金は(天)・日は(火)だから、合わせて10崇神天皇のA列の13天火同人となる。したがって、10崇神天皇が女帝である以上、この天皇も女帝となる。

 30欽明天皇

 A列との対応関係確認作業では、国風諡号の天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろには)のうちの国押を(風)としたが(2−1参照)、これを踏まえて、冒頭三文字の天国押で易の卦に置き換えれば、41持統天皇のA列であるとともに女帝を意味する44天風姤だから、この天皇も女帝となる。学校の日本史の授業でも出て来る天皇を、このように簡単に女帝だと言ってしまうと甚だしく違和感を覚えるかもしれないが、女帝なのだから仕方ない。

 31敏達天皇・33崇峻天皇

 この二人には女帝だとする暗号は見当たらないので、表向きと同じく男性となる。

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 34推古天皇・35舒明天皇

 34推古天皇の『紀』36年崩を易の卦に置き換えると、3は(火)・6は(水)だから、35舒明(じょめい)天皇のB列64火水未済(かすいびせい)になる。
 その35舒明天皇の国風諡号の息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)は、頭の息長の二文字は、神功皇后の息長帯比売(おきながたらしひめ)のときと同様に(1−1参照)、共に(風)の示す事象だから、この部分で57巽為風(そんいふう)となる。この卦は風が繰り返し吹く様子のイメージであることから「同じことの繰り返し」という意味を持つ。
 そこで、続く足日広額を合わせて言葉を補いつつ解釈すると、
 「額という字が付く人物を別人として繰り返し即位させることで、歴史を広げ、皇統譜の円周を成立させるために天皇の数を加え足した姫」
 と解釈出来る。
 推古天皇の幼名は額田部(ぬかたべ)皇女だったと『紀』に記載されている。
 したがって、35舒明天皇は34推古天皇と同一人物なのであって、推古天皇は女帝である。
 また、推古天皇の国風諡号は豊御食炊屋姫(とよみけかしぎやひめ)だから、二人の名前を合わせると、32用明天皇を女帝だとする暗号の豊日の二文字を備えることになる。
 これも二人が同一人物の女帝であることを告げているのである。

 36皇極天皇・38斉明天皇

 表向きの物語では、36皇極天皇は大化改新に際し一旦退位し、十年後に38斉明天皇として重祚(ちょうそ)したことになっているが、国風諡号の天豊財重日足姫(あめとよたからかさねしひたらしひめ)
 「皇位を重ねることで皇統譜の円周が成立するように数を足した、妊娠する女性である姫」
 という意味に読める。
 したがって、表向き同様女帝には違いないものの、38斉明天皇としての重祚はなかったことになる。

 37孝徳天皇

 この天皇の国風諡号の天萬豊日(あめよろづとよひ)には豊日の二文字があるから、用明天皇同様女帝だ、と言いたいとこだが、上の天萬を易の卦に置き換えると、天は(天)・萬は(地)だから、序次12天地否で「女帝であることを否定する」という意味になる。
 したがって、表向き同様、男性である。

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 39天智天皇・40天武天皇・41持統天皇

 この三人については、性別変更の暗号はないので、表向き同様に、39天智天皇と40天武天皇は男性、41持統天皇は女帝のままとなる。

 これで全天皇の男女の識別は完了したことになるのだが、ここで架空の人物、男性、女性をそれぞれまとめておこう。

 架空の天皇 7孝霊。8孝元。9開化。14仲哀。15神功。21安康。23清寧。29宣化。

 男  性  1神武。2綏靖。11垂仁。20允恭。22雄略(26武烈)。31敏達。33崇峻。
       37孝徳。39天智。40天武。

 女  性  3安寧。4懿徳。5孝昭。6孝安。10崇神。12景行。13成務。16応神。
       17仁徳。18履中。19反正。24顕宗。25仁賢。27継体。28安閑。30欽明。
       31用明。34推古(35舒明)。36皇極(38斉明)。41持統。

 表向きの物語と親しんで来た身には、何やら信じ難い面もあるが、ともあれこの男女の別は、『古事記』序文の言葉の使い分けとも一致しているのである。

 『古事記』序文には、撰進までの経緯や内容の概略が記されているのだが、その中に6人の天皇が登場する。しかし彼等全員に対して、天皇という称号で呼んでいるわけではない。 

 漢風諡号 『古事記』序文での呼び方

 神武天皇 神倭伊波礼毘古(かむやまといはれびこ)天皇
 応神天皇 品陀御世(ほむだのみよ)
 仁徳天皇 大雀(おほさざき)皇帝
 推古天皇 小治田大宮(おはりだのおほみや)

 天武天皇 飛鳥清原大宮御大八州(あすかのきよみはらのおほみやにおほやしましらしめしし)天皇
 元明天皇 皇帝陛下(暗号では、女帝の持統天皇を指す)

 このように神武天皇と天武天皇以外には、「天皇」を用いていないのである。
 応神天皇と仁徳天皇は暗号が女帝だとし、推古天皇と元明天皇は表向きにも女帝である。その上、『古事記』本文でも、推古天皇に対しては一度も天皇という呼称を使っていないのである。他の天皇に対しては必ず一度は天皇と呼んでいるのにである。

 余談だがまだ完全に解読していなかった頃、ある古代史の専門家の方に、
 「『古事記』本文では推古天皇に対して一度も天皇という呼称を使っていないのはなぜでしょうか?」
 と質問したことがある。その専門家の方は怪訝な顔をして、本棚の『古事記』を取り出してページをめくり、
 「おお、確かにそうだね、今まで気づかなかったから考えもしなかったが、なぜだろうねぇ、君はどう思う?」
 と返答された。
 私は暗号のことは伏せておきつつ
 「そもそも天皇というのは男性に対しての敬称であって、『古事記』編纂者は女性の天皇を認めたくないと考えていた、ということはありませんかねぇ」
といったように、差し障りのない範囲で答えておいた。
 実は私にしてもこの件は暗号解読をするまで全く気付かなかったのである。しかし私はシロウト、専門家がどう考えているのか知りたかったのだが、私と大差ない認識だったようで、ちょっと悲しかった。

 ともあれ話しを戻そう。この序文のこのような言葉の使い分けは、応神天皇と仁徳天皇が女帝であることを示し、本文の態度は、推古天皇は表向き唯一の女帝なのだから、天皇は本来、男性の王に対する称号だったと教えるとともに、この暗号解読法が正しいことを、解読を試みる者に確認させていたのだと言えよう。

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6−3 男帝と女帝の二王朝が並立する皇統譜

 

○ 179万2470余歳も暗号だった!

 暗号が示すのは、架空の天皇がいることや、約2/3の天皇が女帝だということだけではなかった。
 さらに名前や年齢等の数字を辿って行くと、表向きとは全く異なる系図が浮上して来るのである。それがジグソーパズル組み立ての第三段階であって、糸口は『日本書紀』、神武天皇が東征に出発する年(即位前7年甲寅(きのえとら)歳)にあった。

 「東征出発までには、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨より、今年で一百七十九万二千四百七十余歳が経過した」とする記事である。
 179万2470余歳。
 何を根拠にこのような数字を掲げたのか。普通に読んだのでは皆目見当がつかない。
 とするとこれが暗号に違いない。

 そこで、易の卦に置き換えて意味を探るのだが、今回は六桁だから、そのまますぐに六十四卦に変換というわけにはいかない。まずは各数字を八卦に置き換え、それぞれを陰陽によって一本の記号に変換し、計六本で六十四卦とするのである。
 1と9は(天)で老陽、7は(山)で少陽、2は(沢)で少陰、4は(雷)で少陽だから、図27のように、序次10天沢履(てんたくり)と序次60水沢節(すいたくせつ)を示す。易占いの場合は、正式には「遇履之節と書いて、()(せつ)()くに()う、と読む。
 これが暗号ならば、節は節目と考えて、
 「10天沢履が節目である」
 と解釈するのが最も自然である。

 なぜこのように二つの卦を示すのかというと、次のような陰陽の法則があるのである。
 明るい陽の昼もやがては夜になり、暗い陰の夜もやがては朝になるように、陰陽は常に一定ではない。陰は、陰気が少ないうちは陰のままだが、限界まで増えると次には陽に反転する。同様に陽も、陽気が少ないうちは陽のままだが、限界まで増えると次には陰に反転するのである。
 したがって、陽だけで構成された卦は陽が限界までに極まった形だから、次には陰に変わり、陰だけで構成された卦は陰が限界までに極まった形だから、次には陽に変わる、と想定して、老陰老陽の位置の陰陽を逆にした卦も合わせて示すのである。
 ちなみに占いの場合は、最初に得た卦を遇卦(ぐうか)、陰陽が極まって変化した卦を之卦(しか)と言うのだが、古来、占い得た結果はこのように「遇履之節」と書き、「履の節に()くに()う」といったように読むからである。そもそもは「五経」のひとつ『春秋左氏伝』などに、当時の占い得た卦についてこのように書かれているから、それを踏襲しているといったところだろう。

 さて、「10天沢履が節目」とは、どういうことだろうか。
 この卦は7孝霊天皇のA列である。しかしこの人物は持統天皇の墓所についての暗号であって実在はしない。とすると、ここで示すのは、漢風諡号に履の字が付く人物すなわち履中天皇ではないだろうか。いや、そうに違いない。他に、結びつく人物はいない。
 とすると、「歴史上の重要な節目は履中天皇である」と教えているのに他ならない。

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 一方、『古事記』には、神武天皇東征について、次のような記述がある。
 神武天皇は九州高千穂(たかちほ)を出発すると、筑紫(つくし)岡田(おかだ)宮というところに1年、阿岐(あき)多祁理(たけり)宮に7年、吉備(きび)高島(たかしま)宮に8年滞在してから倭に入った。
 この記述は、『日本書紀』がこの間を4年(即位前7年甲寅歳に出発し、前3年戊午(つちのえうま)歳に畿内に至る)としているのに矛盾し、矛盾は暗号と受け取れるので、各滞在年数を順に並べて1・7・8として易の卦に置き換える。
 すると、1は(天)・7は(山)だから、1と7を合わせて序次33の天山遯(てんざんとん)となり、残る8は、その卦の下から8番目の位置を指していることになる。ただし、記号は全部で6本だから、普通に考えれば8番目はない。
 そんなときは、8を6で割り、下から二番目の記号を指しているものとするか、六十四卦の序次で次の卦となる34雷天大壮(らいてんたいそう)の下から二番目を指すものとする。
 なお、ある位置を指すというのは、その位置の記号の陰陽を変化せよ、と示しているか、その位置の意義を示しているかの、どちらかであるのだが、検証の結果、ここでは陰陽の変化をもって暗号としているのだった。

 その陰陽の変化は、前者の場合は33天山遯の下から二番目が変化することを意味するので、最終的に44天風姤を示していることになる。
 後者の場合は34雷天大壮の下から二番目が変化することを意味するので、最終的に55雷火豊を示していることになる。
 図28は、この関係を示したものである。

 遯は「逃げる」、姤は女帝だから、「女帝から逃げた」あるいは「女帝のところへ逃げた」という意味になる。
 そして先ほどの節目となる18履中天皇は、すでに話したように女帝であるとともに、「履中記」には、後者の55雷火豊(らいかほう)の豊という字と関連する興味深い記事がある。

 この時代は、宴会のことを豊明(とよのあかり)と言った。今でも宮中に豊明殿(ほうめいでん)という宴会場があるのはその名残である。
 問題の記事の内容は、
 とある豊明の夜、履中天皇が泥酔したのをよいことに、墨江中(すみのえのなかつ)王が屋敷に火を放ち、履中天皇を殺そうとしたのだが、天皇は運良く助け出された、
 ということである。
 何やらこの事件はクサイではないか。
 暗号が示すキーワードは、履中が節目、女帝、逃げる、豊、である。
 とすると暗号は、
 神武天皇は、豊明(宴会)後に泥酔した履中天皇(女帝)を殺そうと、屋敷に火をつけて逃げた、
 と言っているようである。
 また、18履中天皇は、『記』に64歳で崩御とあるのだが、この数字を素直に易の卦に置き換えると、6は(水)・4はD(雷)だから、A列では1神武天皇(4山水蒙(さんすいもう))の直前の3水雷屯(すいらいちゅん)となる。

 表向きの物語では、1神武天皇から18履中天皇まで約千年という厖大な年月の隔たりがあるが、この暗号群に従えば、「神武天皇は、履中天皇から逃げた人物」ということになる。
 なお、豊明(宴会)後に泥酔して寝込んだ履中天皇を殺そうとして屋敷に火を放った、ということと神武天皇がどう関係するのかは、もう少し解読を進めて行かないと確定できないので、ここではこれ以上触れず、後で明らかにする。
 今は、各天皇の時代を確定することが先決であり、これまでの暗号だけで、神武天皇は履中天皇の次の位置になることは間違いない。
 そこで、神武天皇を履中天皇の次の位置に移動させるのだが、するとこれに連れて、他の天皇の位置も必然的に移動することになり、その結果として、なんと!あろうことか、二王朝並立の皇統譜が姿を現したのである。
 と、ここで感嘆を込めて言っても、すでに示している「図26 41ピースのジグソーパズル」でネタバレしているわけだが・・・。

 とにかく、ジグソーパズルというものは、まずところどころに断片的な絵柄が出来、次いでその絵柄と絵柄の間が少しずつ埋まりながら各片の位置が確定し、やがて完成に至るわけだ。この二王朝並立の皇統譜も、正に同じようなプロセスで浮上したのである。暫くは、その絵柄が出来て行く様子を話そう。
 なお、今後は男女の別が重要になるので、表向きの記述を引き合いに出す場合を除き、原則的として男帝、女帝と表記する。

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○ 神武男帝・允恭男帝・雄略男帝・履中女帝・反正女帝

 神武男帝は、「履中女帝から逃げ出した」ということと、履中女帝の『記』64歳が3水雷屯(A列で神武天皇の前の位置)を示すことから、履中女帝の次の位置に、反正女帝と対峙する形で置く。

 一方、履中女帝と反正女帝の方には動かす暗号が見当たらないので、この二人はそのまま動かない。

 允恭男帝と雄略男帝にも動かす暗号は見当たらないので、この二人の位置もそのままとなるのだが、こちらは男帝であることから、神武側に並べる。ただし、すでに話したように雄略男帝は武烈男帝と同一人物となっている。

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○ 綏靖男帝・安寧女帝・懿徳女帝

 表向き二代目の綏靖男帝は、『紀』84歳が24地雷復(ちらいふく)となるから、A列がこの卦に当たる21安康天皇の位置となる。

 表向き三代目の安寧女帝と、続く四代目の懿徳女帝は、A列と国風諡号の関係が二人を深く結び付けているので(師木津日)二人一緒に動かし、その動く先は懿徳女帝の『記』45歳崩から、次のように割り出される。
 45を易の卦に置き換えると、4は(雷)・5は(風)だから、前帝である安寧女帝のB列32雷風恒(らいふうこう)となる。
 この卦は同時に29宣化天皇のA列でもあるので、「宣化天皇を見よ」との指示となる。
 そこで、宣化天皇を見ると、『紀』73歳崩とあるが、この天皇は架空の人物である。とすると、この73は懿徳女帝に対する暗号に他ならない。
 73を易の卦に置き換えると、7は(山)・3は(火)だから、22山火賁(さんかひ)になる。
 したがって、懿徳女帝の前帝は73すなわち22山火賁の位置だと告げていることになり、それはA列では反正女帝に当たる。
 以上のことから、懿徳女帝は、反正女帝の次の位置に動く。そして、懿徳女帝の国風諡号の下の方の鉏友(すきとも)は、「友である安寧女帝と位置を逆にせよ」(鉏は土をひっくり返す道具)という指示と受け取れるので、安寧女帝は懿徳女帝の前から後へと、順序が逆転して続くことになる。

 ここまでで、男帝側は神武、允恭、綏靖、雄略(武烈)、女帝側は履中、反正、懿徳、安寧と、それぞれ四人ずつの順が確定したわけだが、これを踏まえて見て行くと、さらに先が、次のように判明した。

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○ 崇峻と敏達の男帝、継体・安閑・欽明・用明・推古・皇極の各女帝

 雄略(大長谷若建)と武烈(小長谷若雀)の国風諡号の共通部分「長谷若」を易の卦に置き換えると、長は(風)・谷は(沢)だから長谷で61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)となる。
 この卦は二本で一本とすれば(火)となる。
 残る若は、老を陽とした時の陰だからその極みの(地)となるので、長谷と合わせて35火地晋(かちしん)となる。  この卦は、A列では崇峻天皇の前の位置である。
 また、武烈天皇は、『記』に在位8年とあるので、この8という数字にちなみ、ここから数えて行くと 崇峻男帝が丁度8番目となる。
 これは、武烈の次は崇峻だと教えているのに他ならない。
 したがって雄略(武烈)男帝の次は崇峻男帝となる。

 対する女帝側は、安寧女帝の次は雄略男帝と同じ位置になるわけだが、雄略天皇のA列25天雷无妄(てんらいむぼう)は、安閑天皇の元年となる皇紀1194年下二桁が示す卦でもあるので(9は(天)、4は(雷))、そこは安閑女帝の位置となる。

 安閑女帝以降は、位置を動かす暗号は見当たらないので、そのまま継体、欽明、用明、推古(舒明)、皇極(斉明)の順に詰めて並べる。
 ただし、用明は、元年の皇紀1246年下二桁が、4は(雷)・6は(水)だから、40雷水解(らいすいかい)を示し、この卦は解消を意味する。
 したがって、実在はするが即位は解消すなわち皇女のまま即位することなく薨去した、ということになる。
 また、すでに話したように、推古と舒明は同一人物、皇極は斉明としての重祚はなかったと暗号は示している。
 どうやら女帝側は皇極まで到達したが、これによって男帝側も崇峻、敏達、孝徳という順番が決まって来る。

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○ 孝徳男帝と聖徳太子〜天智・天武男帝

 敏達男帝の元年、皇紀1232年下二桁の32は、欽明女帝の『紀』32年崩と同じ数字であると共に、3は(火)・2は(沢)だから、38火沢睽(かたくけい)という卦を示し、睽は「背く」という意味である。
 したがってこの数字は、「敏達男帝と欽明女帝は背き合う位置である」という暗号と受け取れるので、欽明女帝と対峙する位置が敏達男帝の位置となり、それは丁度崇峻男帝の次に当たる。

 残る孝徳男帝は、位置を動かす暗号が見当たらないので、そのまま敏達男帝の次に詰めて並べる。
 なお、孝徳男帝のA列40雷水解は解消という意味を持つので、用明皇女がそうであるように、この人物も実在はするが即位は解消となる。
 表向きのこの付近の時代で即位に至らなかった重要人物と言えば、孝徳という漢風諡号と徳の字が共通する聖徳太子である。
 すなわち、聖徳太子とは、孝徳男帝の真実の姿を伝えるための暗号だったのである。
 聖徳太子と言えば「十七条の憲法」が有名だが、その十二条には「国に二の君非ず。民に両の主無し。」という文章がある。表向きには蘇我氏の勢力を睨んでのことと理解すべきところだが、これも暗号であり、並立していた二王朝の統一への動きを示唆するものだったのである。
 暗号が示す歴史でも、孝徳男帝の後は、天智、天武と続く一王朝だけだからである。この二人には、位置を動かす暗号は見当たらないのである。

 以上が履中女帝から表向きの大化改新付近までの様子だが、これにより履中女帝以前も次のように動く。

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○ 崇神・景行・成務・仁徳・顕宗・仁賢の各女帝と垂仁男帝

 表向きの皇統譜の履中女帝以降には、まだ24顕宗、25仁賢の二人が残っているが、この二人は国風諡号とA列との関係から、安寧、懿徳両女帝と同様に二人一組で動かした上で、その順序を逆にする。
 動く先は、顕宗女帝に『記』在位8年とあることから、この8という数にちなみ、ここから遡って数えて8番目の仁徳女帝の次の位置となる。
 したがって、仁徳、仁賢、顕宗の順になり、その仁徳女帝の位置は、残る崇神女帝、垂仁男帝、景行女帝、成務女帝、応神女帝と共に、『記』年齢や『紀』崩年の数字を並べてみると、次のように判明する。

 崇神、垂仁、景行、成務の『記』年齢は、百の位と十の位で、推古女帝からの女帝系の順序を示していたのである。
 崇神は168歳だから16番目、垂仁は153歳だから15番目、景行は137歳だから13番目、成務は95歳だから9番目である。
 さらに、応神は、『紀』に41年崩とあるが、この数字を逆にすると14となるので、14番目に置き、仁賢は『紀』に11年崩とあるので、11番目に置けば、綺麗にまとまる。
 これを図示すれば、次の図29のようになる。

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○ 孝昭女帝・孝安女帝

 最後に残った5孝昭女帝と6孝安女帝は、動かす暗号が見当たらないのでそのまま詰めて並べる。そうすることで、A列B列と対応しなかった開化天皇の『紀』115歳と、推古女帝の『紀』75歳も(共に分注として記載されたもの)、その意味が見えて来るのである。
 開化天皇の115歳は、1は(天)だから、上二桁の11で序次1の乾為天(けんいてん)を示し、残る5は、そこから5番目の位置、と読めるので、
 表向きの皇統譜の、開化天皇が5番目となる位置が、真実の皇統譜の出発点である、
 と示していることになり、そこは丁度、孝昭女帝の位置となる。
 したがって暗号は、皇祖は孝昭女帝だと示しているのである。
 一方、推古女帝の75歳は、7は(山)・5は(風)だから、18山風蠱(さんぷうこ)となるが、この卦は序次の18番目、孝昭女帝から数えると推古女帝も18代目となる(用明皇女を除く)。

 さて、皇位継承順がこのように表向きとは全く異なっているからには、本当は歴史がどのように動いたのか、ということを早く解明したいところだが、急いては事を仕損じる、暗号は少しずつ順を踏まえて解読して行かないといけない。
 そこで、次の手順として、各人の親子関係を明らかにすることに進む。

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6−4 暗号が示す皇統譜の親子兄弟関係

@ 男帝の系統
A 履中以降の女帝の系統
B 履中女帝以前の系図

 親子兄弟関係は、その人物の名前および本文の中の特徴的な名称に使われている文字や数字などを、適宜、易の卦に置き換え、その意味を考えることで判明する。
 実際には、それこそ目に付くものすべてを易の卦に置き換え、その卦の示すところをひとつずつ検証するのだが、すると最終的に、すべてが矛盾なく繋がる解釈がひとつだけある。
 ここにその試行錯誤の過程を羅列すると話が煩雑になり過ぎるので、最終的に矛盾なく繋がった解釈のみを話す。
 なお、各男帝の名前の左の( )数字は、図26に示した神武男帝を初代としての男帝側の皇位継承順、各女帝の名前の左の○数字は、同図に示した推古女帝を@として皇位継承順を逆に辿ったものである。

@ 男帝の系統

(1)神武男帝

 まずは神武に始まる男帝側から見て行こう。
 神武男帝の表向きの父親は天津日高日子(あまつひこひこ)波限建鵜葺草葺不合命(なぎさたけうかやふきあへずのみこと)だが、この(みこと)穂穂手見命(ほほでみのみこと)邇邇藝命(ににぎのみこと)の三代に共通する天津日高日子の部分を易の卦に置き換える。
 すると、天は(天)、津は港で水にちなむ文字だから(水)、日は(火)、高は(風)、子は十二支では北だから(水)となるので、合わせて図30のように、42風雷益(ふうらいえき)と3水雷屯(すいらいちゅん)を示していることになる。

 これは、「42風雷益から3水雷屯に変化した」ということで、3水雷屯は鵜葺草葺不合命のA列、42風雷益は成務女帝のB列だから、「神武男帝の本当の親は成務女帝である」と示していることになる。
 なお、42風雷益は天智天皇のA列でもあるが、これをもって神武と天智を結び付けようとすると却って他の暗号と矛盾を生じるとともに、成務、神武という熟語は『易経』の「繋辞上伝(けいじじょうでん)」というところのひとつの文節の中に、その間90字という至近距離で登場するものである。
 表向きの歴史では時代の隔たりもあるので無関係の二人だが、『易経』の読者であれば、この神武と成務という漢風諡号を与えられたことに、ただならぬ関係を感じるのが普通である。
 したがって、B列で当たる成務女帝を指すものと考るのである。

 ちなみに、「繋辞上伝」の該当箇所は次のとおり。
子曰、夫易何為者也、夫易開物成務、冒天下之道、如斯而已者也、是故、聖人以通天下之志、以定天下之業、以断天下之疑、是故、蓍之徳、円而神、卦之徳、方以知、六爻之義、易以貢、聖人以此洗心、退蔵於密、吉凶与民同患、神以知来、知以蔵往、其孰能与此哉、古之聰明叡知、神武而不殺者夫、

(2)允恭男帝

 続く允恭男帝は、『記』に「子供は9人で、内訳は男王5人、女王4人である」とする記述がある。各男子女子の名前はちゃんと記載されているので、普通に数えればそれで済むところだが、ここで敢えて子の男女別の人数を記載しているのはいささか怪しい。その数に暗号か隠されている気配である。そこでその男女王の人数の5と4をもって易の卦に置き換えると、5は(風)・4は(雷)だから、これも成務天皇のB列42風雷益だから、この人物も成務女帝の子すなわち神武男帝の弟となる(弟とするのは、兄とする暗号がなく、兄は弟に先立つのが通常だからである)。

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(3)綏靖男帝

 次の綏靖男帝は、表向き神武男帝の子とされているが、これを否定する暗号は見当たらないので、そのまま神武男帝の子となる。なお、表向きの物語では、綏靖天皇の兄に当たる神八井耳命(かむやいみみのみこと)を太安萬侶の祖先としているが、これは、次のように、太安萬侶の祖先が綏靖男帝だったことを教える暗号だった。

 綏靖天皇の国風諡号は神沼河耳(かむぬなかはみみ)だが、またの名は建沼河耳(たけぬなかはみみ)とある。
 まずは、この別名を易の卦に置き換える。
 建は(雷)・沼と河と耳は何れも(水)だから、建沼河耳と合わせて、(雷)(水)F(水)F(水)となる。
 易は八卦ふたつでひとつの六十四卦だから、この四つの八卦を前半と後半の二つに分けて、計ふたつの六十四卦とする。
 すると、「40雷水解・29坎為水(かんいすい)」となる。
 この意味を最も単純に読み取ろうとすれば、解は解消の解なので、「29坎為水を解消せよ」という指示になる。
 したがって、神沼河耳の「神F(水)F(水)F(水)」から29坎為水すなわちF(水)を二つ取り除く。
 すると、残るは、神の字と(水)がひとつ、ということになる。

 一方、綏靖天皇の兄の神八井耳命は、さらにその兄とされる日子八井(ひこやい)命が、日は(火)・子は十二支の子とすれば(水)だから、「64火水未済・八井」となる。
 未済は「未だ済ず」ということである。
 したがって、「八井は未済」=「八井は未だ存在しない」という意味になる。
 そこで、神八井耳という名から八井を取り除く。
 すると、こちらも神沼河耳と同じく、神の字と(水)がひとつ、ということになる。

 すなわち、この二人の名は同じ形に収束するのであって、とするとそれは、同一人物だと教えていることになり、同一人物であるのなら、綏靖男帝こそが太安萬侶の祖先ということになる。
 としても、太安萬侶の祖先が誰であろうと、当面どうでもよさそうなことではある。
 しかし、これが雄略男帝の母親を知るための重要な手掛かりなのである。

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(4)雄略男帝

 表向き雄略天皇は、允恭天皇と意富本杼(おほほど)王という人物の妹との間に生まれたことになっていて、これを否定する暗号は見当たらない。ただし意富本杼という名は、意富は多で太安萬侶、杼は機織りの時に糸を巻き付ける道具のことだから、合わせて「太安萬侶の家系の根本に巻き付く人物」と読める。すなわち意富本杼王とは綏靖男帝のことなのであって、雄略男帝の母親は綏靖男帝の妹だったのである。

(5)崇峻男帝・(6)敏達男帝

 雄略男帝の後は崇峻、敏達と続くわけだが、この二人がそれぞれ前帝の子であることを否定する暗号は見当たらないので、崇峻男帝は雄略男帝の、敏達男帝は崇峻男帝の子となり、従ってここまでの様子をまとめれば、図31のようになる。

 なお、男帝側では、まだ孝徳男帝が残っているが、これについては履中以降の女帝側の親子関係を把握しておく必要があるので、先にその話をしておこう。

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A 履中以後の女帝の系統

G履中女帝・F反正女帝

 表向き履中天皇と反正天皇は兄弟とされているが、この暗号体系は男帝側がそうであるように、原則として前帝を親とすることで成立している。
 履中女帝と反正女帝を兄弟(姉妹)だとする暗号はなく、反正女帝が履中女帝の子であることを否定する暗号は見当たらない。
 したがって、この二人は親子=母子となる。

E懿徳女帝・D安寧女帝・C安閑女帝

 続く懿徳女帝は、『紀』34年崩が履中女帝のA列21火雷噬嗑(からいぜいこう)を示すことから、履中女帝と結び付くので、反正女帝の妹すなわち履中女帝の娘となる。

 懿徳女帝の国風諡号とA列で繋がる安寧女帝は、前帝の子であることを否定する暗号が見当たらないので、その繋がりと共に懿徳女帝の娘となる。

 次の安閑女帝は、国風諡号の広国押建金日(ひろくにおしたけかなひ)の国押建が42風雷益となる。
 この卦は懿徳女帝の『記』45歳が示す32雷風恒(安寧女帝のB列でもある)の裏卦である。
 下の金日は13天火同人である。
 この卦は、懿徳女帝のA列7地水師の裏卦である。
 このように、易を通じての懿徳女帝との結び付きが、とても強い。
 したがって、この人物も懿徳女帝の娘となり、皇位継承順が安寧女帝より後なので、安寧女帝の妹ということになる。

B継体女帝・A欽明女帝・用明皇女・@推古(舒明)女帝・皇極女帝

 安閑女帝の次は継体女帝だが、この二人が親子ではないとする暗号は見当たらないので、継体女帝は安閑女帝の娘となる。仮に姉妹であるのなら、別の人物が親として示されるはずだが、そういう暗号はない。
 なお、表向き安閑天皇は継体天皇の子だとされているのだから、暗号では、親子関係が全く逆転することになる。

 継体女帝に続く欽明女帝、用明皇女、推古(舒明)女帝、皇極女帝の四人は、次のことから何れも継体女帝の娘となる。
 欽明女帝には前帝の子であることを否定する暗号がない。
 用明、推古、皇極の三人は、国風諡号の中に必ずある豊の字で、継体女帝の『記』43歳崩(55雷火豊=4は(雷)・3は(火))と繋がっている。

 これで履中女帝以降の女帝側も、皇極まで辿り着いたので、残る孝徳男帝すなわち聖徳太子の両親に関する暗号を解読しよう。

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(7)聖徳太子

 表向き聖徳太子は、用明天皇と穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇女との間に生まれたことになっているが、暗号では、用明は継体女帝の皇女であって、聖徳太子は男帝側の人間だから、この親子関係は虚構である。とすると実際は誰の子なのか。それを知る手掛かりは「用明紀」に記された聖徳太子の別名、豊耳聰聖徳(とよみみとしゃうとく)だった。

 何故この名前に注目したのか。
 それは、『記』の廐戸豊聰耳命(うまやとのとよとみみのみこと)という表記と、文字の順が入れ替わっているからである。
 豊聰耳と豊耳聰である。  このような一見誤記とも思える記述こそ、暗号解読者に対して、より重要な暗号であることをアピールしているのだと言えるのである。
 そこで、この豊耳聰の部分を易の卦に置き換える。
 すると、豊は序次55雷火豊、耳は(水)、聰は聡明なことだから陽の極みすなわち純陽の(天)となるので、合わせて、

(雷)
(火)
(水)
(天)

となる。
 しばらく眺めていたら、この四つの卦の見方は自然にわかった。
 わかるとなるほどと思うとともに、その示す意味に、ちょっと笑ってしまった。
 説明しよう。
 この四つの卦は、次のように見るのである。

(雷)──────────┐
(火)─→       └
(水)─→64火水未済  ┌34雷天大壮
(天)──────────┘

 この形は、最上最下で31敏達天皇のA列34雷天大壮、中間の二卦で35舒明天皇(推古女帝と同一人物)のB列64火水未済となるから、(6)敏達男帝(34雷天大壮)が@推古女帝(64火水未済)を抱き包んでいる様子である。

 抱き包んでいるというのは、要するにセックスをしていることである。
 したがって、これを素直に解釈すれば、「聖徳太子は敏達男帝と推古女帝の間に生まれた皇子である」ということになる。

 なお、推古・舒明のように、表向きの歴史が、一人の天皇を、名前を変えて複数の天皇であるかのように装ったのは、すでに話した「皇統譜の円周を成立さるために数を揃えた」ということもあるが、もうひとつ、このように暗号を分散させるため、という要素もあったのである。

 以上が履中女帝から聖徳太子(孝徳男帝)までの親子関係だが、これをまとめれば、図32のようになる。

図32 履中女帝から聖徳太子までの系図

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B 履中女帝以前の系図

 さて、履中女帝以前に目を転じよう。
 暗号が示す皇統譜は、Q孝昭女帝、P孝安女帝、O崇神女帝、N垂仁男帝、M応神女帝、L景行女帝、K仁徳女帝、J仁賢女帝、I顕宗女帝、H成務女帝、G履中女帝と続き、N垂仁以外は皆女帝となるわけだが、まずは履中女帝から見て行く。

G履中・H成務・I顕宗の各女帝

 履中の履の字は序次10天沢履の履でもあるが、顕宗(けんぞう)女帝の国風諡号の袁祁之(をけの)石巣別(いはすわけ)の石巣も、石は「堅い」ということから(天)、巣(鳥の巣)はその形状から(沢)とすれば、これまた10天沢履だから、このG履中女帝とI顕宗女帝の二人には、繋がりがあることになる。
 皇位継承順は、I顕宗・H成務・G履中である。
 繋がりがなければ、G履中はH成務の子となるところだが、このようにH成務を飛び越えてI顕宗と繋がりがあるということは、順が飛んでいても、I顕宗とG履中は親子だ、と示していることになる。
 また、H成務女帝は前帝の子であることを否定する暗号は見当たらないので、H成務女帝もI顕宗女帝の子となる。
 したがって、G履中女帝はH成務女帝の妹で、二人はI顕宗女帝の娘となる。
 そのI顕宗女帝は、前帝の子であることを否定する暗号は見当たらないので、J仁賢女帝の子となる。
 仁賢女帝の前帝は仁徳女帝だが、この二人の関係については、景行女帝に暗号があるので、その話の中で触れることにする。

L景行女帝、そしてJ仁賢女帝・K仁徳女帝

 L景行女帝の国風諡号の大帯日子(おほたらしひこ)の部分は、成務女帝の若帯日子(わかたらしひこ)との比較から、この位置には複数の女帝が代々皇位継承していたと判断したわけだが、その仔細は次のような手続きで明らかになった。

 皇位継承と言ってまず思い浮かぶのは、「継体」という漢風諡号である。
 「継体紀」によると、武烈天皇で皇統が断絶し、(こし)の国(今の北陸地方)から、皇統を受け継ぐ人物を連れて来て、27継体天皇としたとある。
 その中で、継体天皇は、16応神天皇の五世の孫、母の振媛(ふるひめ)は11垂仁天皇の七世の孫とされている。
 しかし、暗号では、継体女帝は安閑女帝の娘だったので、これは記紀編纂時に創作された架空の物語である。
 しかし、16応神天皇の五世の孫、母の振媛は11垂仁天皇の七世の孫だった、とする記述は、何やらクサいではないか。
 複数の皇位継承者がいて、その順番が判然としないのは、L景行女帝である。
 L景行女帝はM応神女帝の次であり、J垂仁男帝の次の次に即位したのだから、実は、応神や垂仁から、時間的にはそんなに遠くない時代である。
 すなわち、この「応神天皇の五世の孫、母の振媛は11垂仁天皇の七世の孫だった」という記述こそ、景行という名で括られた女帝の人数と皇位継承を教えるものだったのである。
 「景行記」には妃や妾、合わせて7人と、それぞれの子の名前が記載されている。
 列挙すると次のとおり。

 妃1 若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)(むすめ)針間之(はりまの)伊那毘能(いなびの)大郎女(おほいらつめ)
子供の名=櫛角別(くしつぬわけの)王、大碓命(おほうすのみこと)小碓(をうすの)命(別名を倭男具那(やまとおぐな)命、後の名を倭建(やまとたけるの)命)、倭根子(やまとねこの)命、神櫛(かむくしの)王。

 妃2 八尺入日子(やさかのいりひこの)命の女の八坂之入日売(やさかのいりひめの)命。
子供の名=若帯日子(わかたらしひこの)命(成務天皇)、五百木之入日子(いほきのいりひこの)命、押別(おしわけの)命、五百木之入日売(いほきのいりひめの)命。

 妃3 (みめ)(名の記載なし)。
子供の名=豊戸別(とよとわけの)王、沼代郎女(ぬのしろのいらつめ)

 妃4 妾(名の記載なし)。
子供の名=沼名木(ぬなきの)郎女、香余理比売(かごよりひめの)命、若木之入日子(わかきのいりひこの)王、吉備之兄日子(きびのえひこの)王、高木比売(たかきひめの)命、弟比売(おとひめの)命。

 妃5 日向(ひむか)美波迦斯毘売(みはかしびめ)
子供の名=豊国別(とよくにわけの)王。

 妃6 伊那毘能大郎女の(おと)(=妹のこと)の伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)
子供の名=真若(まわかの)王、日子人之大兄(ひこひとのおほえの)王。

 妃7 須売伊呂大中日子(すめいろおほなかつひこの)王の女で、倭建命の曾孫となる訶具漏比売(かぐろひめ)
子供の名=大枝(おほえの)王。

 「景行記」には、12景行天皇の子供は、ここに挙げた21人の他に、名の知れない者が59人いて、この計80人のうちの、若帯日子命と倭建命と五百木之入日子命の3人は、太子となった、とある。
 このうちの若帯日子命は後の13成務天皇だから、これは問題ない。
 倭建命は太子として遠征の途中、今の三重県で病死したとあり、結局天皇にはなれず、その子が14仲哀天皇となったとあるので、これも問題ない。
 ところが、五百木之入日子命については、ここに太子となったとだけあり、その後、天皇になったとも、太子のまま死んだとも、とにかく一切何も書かれていないので、研究者を悩ませている。
 また、7の訶具漏比売は、景行天皇の子の倭建命の曾孫だが、自分の子の曾孫を娶るというのは、普通ならば年齢的に有り得ない話である。
 まあ、137歳まで生きたとすれば、全く不可能ということではないだろうが・・・。

 とにかく、この不可思議な記述こそが暗号だったのであって、易と文字との関係に従って、妃や子の名を検証すると、この有り得ないことも大きなヒントになって、次の図33のような系図に組み上がるのである。
 これによると、景行女帝のところは都合7人で、前帝から次帝までで5世となるのである。
 なお、7人は仮に景行A〜Gと表記しておく。
 図33を見ながら話そう。

○ 景行A

 まず、若建吉備津日子という名の頭の若建を見る。若は老を陽とした時の陰だからその極みの(地)、建は建御雷神という神名があることにちなみ(雷)とすれば、若建で序次24地雷復となる。
 この卦は一陽来復で始まりを意味する。
 したがって、この人物が景行という名で括られたうちの、初代の女帝だと示していることになる。

 続く吉の字は19地沢臨(5−2−Dにある吉野の解釈参照)となり、津はサンズイだから水にちなみ(水)、日は(火)だから、津日で63水火既済となるので、吉備津日子で「19地沢臨を備える63水火既済の子」となる。
 19地沢臨は、16応神天皇のA列である。
 63水火既済は、以下のように、11垂仁天皇の『日本書紀』の国風諡号の活目入彦五十狹茅の活目を易の卦に置き換えた形である。
 活は水が勢いよく流れる様子を意味する文字だから(水)、目は(火)だから、活目と合わせて、63水火既済となる。
 したがって、吉備津日子というのは、「応神天皇の要素を備える垂仁天皇の子」と解釈できるので、この人物の両親は垂仁男帝と応神女帝となる。

○ 景行B

 倭建命の曾孫とあるが、表向きの皇統では、倭建命ー仲哀天皇ー応神天皇ー応神天皇の子に当たり、暗号では応神女帝の子の代が景行である。
 したがって、この人物も景行Aと同様に応神女帝の子となり、表向きの登場順「A(妃1)・G(妃2)・F(妃3)・D(妃4)・E(妃5)・C(妃6)・B(妃7)」が、景行Aより後なので、妹となる。
 また、御子に大枝王という名があり、大きな枝はさらに枝別れして発展するものだから、これは、この人物の子が次の皇位継承者だと示していることになる。

○ 景行C・景行D

 子に日子人之大兄王という名があるが、景行Dの子には弟比売命という名があり、他の妃の子には、兄または弟という字が付く名はないので、この二人は姉妹(兄弟)となる。その上、大兄は大枝と音が共通し、景行Bとの繋がりを窺わせるので、この人物は景行Bの子でもあることになる。

○ 景行E・景行F

 景行Eの子の豊国別王と、景行Fの子の豊戸別王という名は、共に豊の字を共有するが、豊が名前に付く易の卦は序次55雷火豊である。
 一方、景行Dの子の香余理比売命の香は、禾と日に分けて易の卦に置き換えると、禾は稲科の植物を指す文字だから稲を示す(雷)・日は(火)だから、合わせてこれも55雷火豊となる。
 また、景行Dの沼名木郎女と、景行Fの沼代郎女では、沼の字が共通するが、同じ卦を示したり、同じ文字を共有するからには、景行Eと景行Fは、景行Dと何らかの関係があるはずである。ここで言う関係は、親子しかない。
 とすると、この景行E、景行Fの二人は景行Dの娘となる。
 このように、景行Eと景行Fは姉妹ということになるが、豊国別と豊戸別に共通しない国と戸の字をこの順に重ねて易の卦に置き換えると、国は(地)・戸は(山)だから、序次15地山謙で、12景行天皇のA列となる。
 景行Fの沼代郎女の沼を易の卦に置き換えると、沼は水があるところだから(水)となり、その(水)が示す数字は6である。
 したがって、沼代で「この人物は6代目である」と教えていることになり、景行Eが姉で5代目、景行Fが妹で6代目となる。

○ 景行G・K仁徳女帝・J仁賢女帝

 景行Fが沼代郎女で6代目であることを主張しているのは、こちらが本流だと示唆しているのであって、景行Gは景行Fの娘となる。
 景行Gから皇位を継承する人物は、八尺入日子命という名が教える。頭の八尺は、八は(地)・尺は計量単位だから「計る」という意味を持つ(沢)になるので、合わせて序次19地沢臨となる。
 この卦は17仁徳天皇の親に当たる16応神天皇のA列である。
 したがって、この八尺で、景行Gは仁徳女帝の親だと示しているのである。

 また、押別命という名は、「押という字を別けろ」という意味にも取れるので、押という字を扌(手偏)と甲(十干の(きのえ))に別けて考える。
 手は人を制し止めるものだから(山)(きのえ)は方位では東だから(雷)となるので、合わせて序次27山雷頤すなわち25仁賢天皇の国風諡号の袁祁が示す卦となる。
 したがって、K仁徳女帝に続くJ仁賢女帝も、この景行Gの娘となる。

 以上が景行という名で括られた七人とK仁徳、J仁賢両女帝の関係だが、これにより、いわゆる五百木之入日子命の謎も明らかになった。

 表向きの物語では、12景行天皇には倭建命、若帯日子命、五百木之入日子命という三人の皇太子がいて、このうち倭建命は若くして薨去、若帯日子命は次の13成務天皇として即位と、その消息がはっきりしているのに対し、残る五百木之入日子命については、ただ皇太子だったとするだけで、その後については即位がなかった経緯を含め全く触れていないことから、謎の人物とされている。
 しかし、この景行7人の仔細がわかってみると、景行G女帝から皇位を継承したのは仁徳女帝なのだから、この五百木之入日子命というのは仁徳女帝のことを指していたのであり、そのことを教えるために、太子だと記載されていたのである。
 五百木の五百は、五は(風)・百は(地)だから、合わせて序次20風地観すなわち17仁徳天皇のA列を示していることになる。
 また、木は(風)を通じて5という数の暗示にもなるから、五百木の三文字で「仁徳・5」=「仁徳女帝は景行Aから5世代目に当たる」と教えるための暗号でもあったのである。

 ともあれ、表向きとは大分様子が異なるので、ここまでのところを、図34に系図としてまとめておく。
 なお景行A、Bの両親となる応神女帝と垂仁男帝以前については、その前に触れておかなければならないことがあるので、もう少し後で話す。

 この系図を見ると、表向きの神武天皇から持統天皇に至る皇統譜とは違い、漢風諡号に法則性を感じられるではないか。
 K仁徳女帝とJ仁賢女帝の二人、D安寧女帝とC安閑女帝の二人、A欽明女帝と@推古(舒明)女帝、用明皇女、皇極(斉明)女帝の四人である。このように、同じ文字を共有する人物は姉妹だったのである。
 とすると、この解読法が間違っていないことを解読者に確認させるため、この法則も用意したのだろう。
 事実、この系図でこの法則に接し、これまでの解読法で誤りはないのだ、と、私自身も確信が持て、さらに先を解読しようという好奇心が沸々と涌いて来たのである。

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次のページ 7−1 女帝たちの忌わしい宗教 7−2 母権制社会脱却の失敗
7−3 応神女帝〜推古女帝までの各女帝の崩年

古事記と易学

発見!想像を絶する真実の古代日本

もくじ

☆ プロローグ

☆ 謎めく数字137と皇統譜の円周
1−1 暗号発見までの経緯

1−2 古代天皇と易六十四卦の序次 @

2−1 古代天皇と易六十四卦の序次 A

2−2 謎めく数字137

3−1 神世と易六十四卦の序次

3−2 円を描く皇統譜とその不合

☆ 『古事記』序文に隠されたメッセージ
4    歴史を腐敗させた女帝とは?

☆ 暗号解読[1]
持統天皇暗殺!
5−1 神武天皇と辛酉革命

5−2 持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代

☆ 暗号解読[2]
41ピースのジグソーパズル

6−1 架空の天皇

6−2 隠された女帝達と『古事記』序文の態度

6−3 男帝と女帝の二王朝が並立する皇統譜

6−4 暗号が示す皇統譜の親子関係

☆ 暗号解読[3]
母権制社会の忌わしい歴史
7−1 女帝たちの忌わしい宗教

7−2 母権制社会脱却の失敗

7−3 応神女帝〜推古女帝までの、各女帝の年代

☆ 暗号解読[4]
母権制社会から父権制社会へ
8−1 神武男帝のクーデター・イザ!オウ!

8−2 雄略男帝〜聖徳太子までの歴史

8−3 大化の改新=父権制社会としての出発

☆ 隠された古代史の全容
9−1 暗号が示す歴史の全容

9−2 卑弥呼は崇神女帝のことだった!

9−3 解明!雅楽器「笙」に伝わる「亡国の音」

 

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5−2 持統天皇暗殺と不倫が不倫でない時代

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6−4 暗号が示す皇統譜の親子関係

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母権制社会の忌わしい歴史
7−1 女帝たちの忌わしい宗教

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7−3 応神女帝〜推古女帝までの、各女帝の年代

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母権制社会から父権制社会へ
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最終更新日:平成29年09月09日 学易有丘会
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