聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!〜                                                                                                                          
   ごあいさつ もくじ 次のページ                                               
                                      
  ☆☆☆ごあいさつ☆☆☆                                   
  ☆『聖書と易学〜キリスト教二千年の封印を解く』という本                                   
   平成17年、私は(株)五月書房から『聖書と易学〜キリスト教二千年の封印を解く』という本を出版した。名義はコアラン/koalanではなく、本名の水上薫とした。発売の頃は、週刊文春などいくつかの雑誌で紹介され、いくつかの書店では、写真(隣接する書籍はボカしています)のように、平積みで置いていただいた。 
   大雑把な内容は次のとおり。 
   東方の三博士、処女懐胎、ユダヤ暦元年と天地創造、ノアの箱舟、出エジプト、「過ぎ越し」、十字架刑…というイエスの神聖性を高揚させる数々の物語は易学の論理で組み立てられた神話であった。しかもそれらが西暦元年を含めて中国の辛酉革命理論を介して構造的につながっていた…。 
    
                         
   ところが発売元の(株)五月書房が平成27年12月に倒産してしまいまい、この本も廃刊となった。五月書房は戦後まもなく創業の歴史ある出版社だったのだが、インターネットの普及とともに本がなかなか売れない時代となり、ついに力尽きたのだ。そこで、タイトルを『聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!」と変えるとともに、本には書かかったことも加え、構成も手直しして、ここに掲載することにした。 
  ☆ イエスは実在か架空か?
   学校の教科書では、イエス・キリストは実在の人物として扱われているし、マスコミも敢えてそれを否定するような報道は控えている。占領政策で日本をキリスト教国にしようと画策したアメリカに忖度してのことだろうか。しかし約百年前から、イエスの実在を否定的に考える人はいた。ドイツのアルトゥール・ドレウス(リンクはwiki)だ。信教の自由を憲法で保障するのならば、こういう説があることも教育やメディアで取り上げてほしいものである。そうでなければ欧米の反キリスト教の人たちと接するときに恥をかく。が、それはともかく、架空の人物だとしたら、聖書に書かれた物語や教義は誰がどうやって創作したのだろうか。ギリシャの哲学と神話の融合?それに遊牧民独特の考え方を織り交ぜて作ったのか? 
  ☆ キリスト教は遊牧民の宗教だ!
   確かにキリスト教の世界観は、遊牧民すなわち羊飼いの生活を元に形成されている。 
   キリスト教では、人間は神の仔羊だとされている。したがって神とは、羊飼いのことなのだ。 
   羊飼いは自分が管理する羊に対して絶対的な権力を以って支配する。家畜だから当然のことだ。 
   その羊飼いが管理する最も大切なものが仔羊だ。だから仔羊を人間に擬え、神の仔羊と言ったのだ。飼われている羊にとっては、羊飼いは絶対唯一の存在である。だから一神教となったのだ。 
   その羊は、普通は群れで行動するが、臆病なので、ちょっとしたことに怯え、突然暴走することがある。が、やがてはその暴走は収まり、再び飼い主に従順で穏やかな群に戻る。聖書神話のよくあるパターン、人間はしばしば神に反抗するが、やがては神の元に戻る、という構図がこれだ。 
   そんな羊を羊飼いがひとりで管理するのは大変だから、放牧のときには犬を使う。犬は羊飼いの指示どおりに群が動くよう、吠えて巡って羊たちを促す。そんな犬の様子から、神の使いとして人間に指示を出す天使という存在が考案された。新約ヨハネの黙示録には、天使がラッパを吹くという場面が何ヶ所かあるが、犬が吠えて羊の群を誘導することがヒントなのだろう。 
   しかし、羊飼いがどんなに頑張って羊を管理しても、野生の肉食動物、狼が常に羊を狙っている。特に仔羊は狙われやすい。 
   昼間は狼も人間を警戒しているから、放牧地で群からはぐれた仔羊あたりを狙うだけだが、夜になれば、牧場の柵を越えて群に近づいてくる狼もいる。 
   したがって、羊飼い(神)から仔羊(人間)を奪い取ろうとする狼は、羊飼いからすれば最高に憎い存在だ。だからその狼への憎しみを以って、悪魔というものを作り出したのだ。悪魔というと夜のイメージがあるのも、このためだ。 
   そして、神と悪魔の対立構造を作り上げた。 
   聖書では、神はこの世界と人間を創ったとしているが、その神が創り上げた世界に、なぜか神が創っていない悪魔というものが登場する。 
   悪魔とは何なのか、神が創ったものではない悪魔がなぜ存在するのか、宗教学的には永遠の疑問ともされている。 
   しかし神と悪魔は、そもそも羊飼いと狼の関係から考案されたに過ぎないのだ……。 
   日本人は遊牧民ではないので、なかなか気付かないのだろうが、元々が遊牧民だった欧米人は百も承知なのだ。 
   だから、羊飼い=神、人間=仔羊、狼=悪魔の構図をモチーフにした、赤ずきんちゃんの童話なんかが作られたのだ。 
  ☆ イエス生誕や教義は、中国古典の『史記』や『墨子』に似ている!
   とにかくこの世界観に沿って、聖書やその周辺でいろいろな物語が創作されたのだ。 
   そんな中で、キリスト教の一番話題になる物語と言えば処女懐胎がある。 
   処女のマリアが神のお告げで妊娠し、神の子としてイエスが生まれた、とある。 
   西洋では極めて特異な話だが、似たようなことは、『聖書』よりも前の時代に書かれた中国の司馬遷の『史記』にいくつかある。 
   追々紹介するが、漢の高祖(劉邦)の母が、夢の中に神が出て来て、妊娠するときの様子などだ。 
   また、教義の「博愛」といったことも、キリストよりも約四百年古い『墨子(リンクはwiki)』が既に述べていることだ。 
   ちなみに墨子は大工だったという説があるが、イエスの名義上の父親ヨセフも大工である。 
   とすると、中国古典がいつしか西洋に伝わり、キリスト教としてリメイクされた、という可能性を考えてもおかしくはないだろう。 
   墨子がキリスト教と似ているという指摘は欧米でも行われているが、キリスト教の不利益になりそうだからか、それ以上に突っ込んだ研究は、これまでなされていないようだ。 
   ちなみに明治から戦前まで、早稲田大学が出版していた漢籍國字解全書の墨子・上では、解説の中で、清朝末の学者黄遵憲は、墨子が西洋に伝わってキリスト教や科学を開いたのではないか、と考えたことを紹介している。国会図書館のサイトで閲覧できるのでリンクしておくが、黄遵憲の説の紹介はコマ番号22の右上段7行目付近である。 
  ☆ 西暦元年は皇紀元年と同じ辛酉の歳だ!
   このように、学校教育やメディアは敢えて取り上げないようだが、調べてみると中国古典とキリスト教との共通項は他にもいろいろあった。それをこれから書くわけだが、一番注目したことは、西暦元年が皇紀元年と同様に辛酉歳だということである。 
   干支と日常的に接しないと気付かないのだろうが、易や九星などの占いをやっていると、とても気になるのが干支なのだ。だから西暦元年の干支も当然のごとくに気になるのだ。干支は60年で一巡するので、皇紀元年すなわち西暦紀元前660年が辛酉歳ならば、皇紀661年すなわち西暦元年も辛酉歳なのだ。皇紀元年は辛酉に天命が改まるとする辛酉革命理論に基づいて机上で算出された架空の年代だとされているが、西暦元年も辛酉歳であり、その設定が曖昧である以上、皇紀元年と同様に辛酉革命理論に基づいて机上で算出した可能性が十分にある。 
   そして辛酉革命理論は易から派生したものである。とすると易の理論の応用でいろいろな設定がなされている可能性もある。 
   易の理論と突き合わせても何も出て来なければ、易は関係ない、ということだ。しかし、調べてみる価値はある、と考えた。 
   それがこれから述べることである。 
   長文だが、よろしければご笑覧くださいませ。 
                    
  このページのトップへ 
   次のページ 
  T イエスの誕生年=西暦元年は、                                                                    
  易学の論理で「革命の年」に設定された                        
                          
 |