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V 聖母マリアの処女懐胎物語は、司馬遷『史記』のコピーである
〜中国文化の影響は易学以外にも見いだせる〜

@多くの人たちから疑われていた A『史記』解釈上の新発見か B墨子の思想はキリスト教と似ている

@多くの人たちから疑われていた

☆『聖書』の記述では

 易学の影響をこのように見いだしてみると、古代中国の影響は紀元問題以外の分野にも現れていなければならないと不自然である。私は、その一例として、ここでは聖母マリアの処女懐胎を挙げたい。結論から言えば、前漢時代の司馬遷(しばせん)史記(しき)』中の記述が、聖母マリアの処女懐胎とそっくりなのである。
 『聖書』の処女懐胎を述べた部分の要点を引用してみよう。
 「マタイ」では、「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。(中略)マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。(中略)〔ヨセフは〕男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった」としている。
 「ルカ」の方は、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、うまれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」と、天使ガブリエルがマリアに告げたことになっている。

☆「ニケア信条」で解釈が確定

 処女懐胎は、多くの人から疑われたはずである。また、これ以外に『聖書』中の様々なストーリーは、いくつもの解釈が生まれやすい。そこで、キリスト教教義の統一解釈のために、西暦325年に各地の教会トップたちがニケアの地に集まり、さらに西暦381年にはコンスタンチノーブルに集まって、会議を開いた。そして、統一された教義解釈が発表された。それを「ニケア信条」という。あるいは「ニケア・コンスタンチノーブル信条」ともいう。
 その中には「全ての主権は神にあり、その神は聖霊によって処女マリアから受肉し、人間となって現れた」という内容もあった。これが処女懐胎についての教義解釈である。
 当時の会議の情景を想像してみて、私は思わずニヤッとしてしまった。教会組織のトップたちは、性行為抜きの妊娠はあり得ないことを百も承知していながら、誰一人、"処女懐胎なんて変ですよ"と本音を言わず、神妙な表情を押し通したのであろう。
 "聖霊の受肉"という言葉のアヤだけの観念的なアイディアを、出席した誰かが提案すれば、そこから先は、神=全知全能を前提にして、"聖霊の受肉"という観念を、論理のスジ道にのせて決着をつけたと推測できる。理路整然とウソをついている。
 出席者たちは、その場をしのいでホッとしたことであろう。後になって常識的・合理的な立場から否定する論が続出したのは、当たり前である。昭和45年にイザヤ・ベンダサン名義で『日本人とユダヤ人』という本を書いて脚光を浴びたキリスト教徒の山本七平は、後に『禁忌の聖書学』という本の中で、牧師にたいして"科学的に言って処女懐胎はあり得ますか"と聞けば、牧師は"一般論としてはあり得ない"と答えざるを得ない……としている。

☆農耕文化すら

 ユダヤ民族は遊牧生活が基盤であるから、動物の交尾・出産は日常茶飯事であろう。そういう民族には処女懐胎という物語は、非常に通用しにくいはずである。
 それにくらべると、農耕民族は交尾・出産を日常的に目撃することが少ない。処女懐胎物語はやや通用しやすいはずである。それにも関わらず、農耕民族の処女懐胎物語はあまり聞かない。例えば弘法大師や伝教大師が処女たる母から生まれた……というような物語はない。
 むしろ農耕民族にとっては、交尾、性交、出産は豊穣のしるしであり、性行為は神秘なエネルギーの現れと受け止められていた。ケースによっては神すら性交を行っている。言い換えると、妊娠、出産を神聖化しやすい条件下にある農耕民族にとってすら、処女懐胎物語はナンセンスなのである。
 文化においては、性交為を露骨に述べることを控えようとする節度がある場合は、竹の節に置かれていた、岩から生まれてくる……といったシンボルを使った表現にする。性交・妊娠・出産の神聖化は、こうした表現で良いと思うのだが、『聖書』の作成時に、なぜそうしなかったのであろう。

☆「聖霊があなたに降り……」という強引さ

 『聖書』編集・執筆者たちも、『聖書』を受容する人々も、いずれも遊牧文化圏に暮らしているのだから、処女懐胎の結果イエス誕生があったと述べることに、強い違和感があったはずである。そうでありながら「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む……」と書くことによって、処女懐胎で神の子イエスの誕生があったことにした。ずいぶん強引である。
 「ヨセフは生まれるまでマリアと関係することはなかった」と、どちらかといえば、男性側に立った説明をわざわざ加え、処女懐胎を補強している。ここでも無理しているではないか。農耕民族流に、果実や木の中から生まれる、鳥が運んできた……といったシンボルによる表現を、なぜ使わなかったのだろうか。

A『史記』解釈上の新発見か

☆処女懐胎のヒント

 古代人の創り出す神話や物語では、人物が空、地下、山、川と自在に動き回る、瞬時に遥か遠くに飛んで行く。何百年もかけて事業をなし遂げる、この世のものとは思えないような美しさをたたえていたり、恐るべき形相・怪力であったりする、要するに日常性を飛び越えた姿になって活躍する。
 しかし、どれほど奇想天外な人物であっても、注意してみると、現実に目にしている鳥・野獣・植物・雲・滝・火山などを必ずヒントにして、人物像は作られている。
 すると、処女懐胎という奇想天外なストーリーもまた、何かをヒントにしているに違いない。しかし、交尾が日常的に観られる遊牧文化圏には、処女懐胎につながるヒントはないはずである。

☆漢の高祖誕生の物語

 そこまで類推を煮詰めたとき、私の頭にふっと浮かんだのは、司馬遷『史記』に出て来る物語であった。古代中国の漢王朝の祖である高祖の誕生物語である。

 ある日、高祖の母親が大きな川の堤で休んでいると、夢の中で神と出会う。と、そのとき、雷鳴が轟き、稲妻が走り、辺りは真っ暗になったので、その夫が見に行くと、妻の上には蛟竜(こうりゅう)(天帝すなわち神の化身)が覆いかぶさっていた。それからしばらくして妻は高祖を産む。

 そうか、彼ら編集・執筆者たちは、シンボルによる表現をいったんは考えたのかもしれないが、イエスの神秘性を高めるにはこの物語が良いと思って、飛びついたのだ。

☆『史記』に多い神の力による妊娠

 「ルカ」の記述と『史記』の記述をくらべてみるとそっくりである。両母とも、神が覆って妊娠している。また、マリアの夫ヨセフとイエスの関係は、漢の高祖の父と高祖の関係と同様に、名義上の父子関係にしてある。二つの物語は、イエスおよび高祖を神レベルに権威づけようとしている。高祖の母親が非処女らしい点だけはマリアと違うが、大きな問題ではない。
 『史記』には、この類の神の力による妊娠物語は数多く語られていて、書かれたのはイエスの時代より100年も前になる。そうなると、『聖書』の処女懐胎物語は、『史記』の漢の高祖誕生物語をヒントにして作られた可能性がある、と言わざるを得ない。聖なる力による妊娠は、『聖書』の専売特許ではない。
 イエスの十字架刑後の『聖書』成立期に、易学および漢籍に相当通じた古代中国人が、何らかのルートでギリシャ〜ローマ付近にたどりつき、『聖書』成立時の覆面アドバイザーとして深く関わったと考えれば、符節が合うではないか。ついでに触れると、易学は『史記』の書かれた漢の時代にはすでに興隆している。

☆水棲動物の交尾・放精の情景

 ところで、この部分を書いていて、私はひょっとしたら『史記』解釈上でも大きな発見をしたのではないかと気づいた。
 それは、漢の高祖の母親の解任経過についての新解釈である。@高祖の母親は川の堤にいたA蛟竜が覆いかぶさった……は、大河の或る情景をヒントにして作られたはずである。私は、そう気づいたのである。
 或る情景とは、鮭などの魚の生殖する姿である。メスの群が川床に産卵するとオスの群が放精する。あの情景を上から観れば、黒雲が覆いかぶさっているようにも見えるではないか。黒雲のような魚群は、竜のイメージにすぐ転換できる。あるいは、古代中国の大河を前提にすれば、シャケの他には巨大魚のイトウも考えられる。
 また、別の可能性として、水棲哺乳類である川イルカ、ジュゴン、小型のクジラなど、あるいは巨大なサンショウウオやワニが水中で交尾すれば、それを上から目撃する人間は、竜が覆いかぶさる光景としたくなるであろう。
 古代中国人は、こうした情景をヒントにして高祖の母親の妊娠経過を神聖化したに違いない。二千年余の歴史を通じて、『史記』のこの部分を、このように具体的な情景として読み解いた学説があったのかどうか。浅学非才の私は、そういう学説にまだ出合っていない。そうだとすれば、私が初めて……。

☆『史記』のコピーである

 同じようなイメージが、古代ユダヤ地域で生じ得るであろうか。
 『聖書』には漁労・漁獲の話が出てくる。しかし、いずれも湖の小魚が対象のようである。
 ユダヤの西は地中海であるが、そこでの漁労の話はない。すると『聖書』編集・執筆者たちには、古代中国人と同じように水棲動物から独自にヒントを得て、懐胎を説明する感覚かなかったと思われる。強いて言えば、エジプトのナイル河のワニの交尾が、霊的な妊娠神話に反映する可能性はあるが、もしあれば、聖母マリアが川岸か海辺に居るように、話のスジを設定したであろう。
 遊牧文化圏ではとうてい思いつきそうにない処女懐胎というストーリーを、『聖書』に持ち込めたのは、『史記』の内容を心得ている人物が、神次元の妊娠を表現したがっている『聖書』編集・執筆者たちに、教えたのではなかろうか。
 改めて言う。聖母マリアの処女懐胎物語は、司馬遷『史記』のコピーである。
 さて、生誕が司馬遷『史記』のコピーなら、イエスが語った教義はどこから思いついたのだろうか。
神が教えたという非科学的な考えを排除すれば、何かヒントになるものがあったはずだ。
イエスより古い時代のギリシャ哲学には、恋愛に相当するエロス、友愛に相当するフィリア、家族愛に相当するストルゲーといった考えはあった。しかしこれらを勉強したからと言って、ここからキリスト教で言う神の普遍的な愛を思いつくのは至難の業ではないだろうか。容易ならば、すでにギリシャの哲学者が思いついていてよいはずだが……。
そう考えてみると、キリスト教と似た思想が古代中国にあることが、どうしても引っかかった。墨子である。

B墨子の思想はキリスト教と似ている

☆墨子とは

 キリスト教の教義については、すでに多くの研究者によって墨子(ぼくし)の思想と似ていると言われているが、ここでその墨子についても触れておく。
  『墨子(ぼくし)』は墨子という人物の思想を書いた本である。(いみな)(てき)と言い、生没年は不詳だが、孔子より後、孟子より前の時代に活躍したと推定される思想家で、諸子百家=現代風に言えば政治コンサルタントだろうか=のひとりとして、孔子の学問を引き継ぐ儒家と対峙した人物である。
 生まれは孔子(こうし)と同じ()国で、墨子と呼ばれたのは顔が墨のように黒かったからだとか、入れ墨があったからだとか、後世に言われているが、定かなところは不明。初め孔子の教えを学ぶが、混乱したこの時代には新しい思想が必要だと考え、その中心的教義として孔子の「(じん)」とはやや趣きが異なる「兼愛(けんあい)」という考えを提唱した。

☆「仁」と「兼愛」で儒家と対立

 「仁」と「兼愛」、どこがどう違うのか。
 両者とも他人に対する「思いやり」を持つという点では一致する。異なるのは、「仁」は自分や身内と他人、あるいは善人と悪人に対するのであれば、その思いやりのかけ方、愛し方に違いがあってしかるべきだとするのに対して、「兼愛」は自他親疎の別なく平等に愛せよと求めるとともに、その根拠を天帝(てんてい)と呼ばれる神の意志に委ねていることである。
 儒家は孔子の説にしたがって、天帝を天の運行を司る神秘な力として位置付けてはいるが、人間にその意志を知ることはできない、あるいは意志を持っているか否かは人知では計り得ない、という立場を取っている。
 対する墨子は、天帝は絶対唯一の人格神だとした上で、意志を持って人間誰しもを平等に愛しているとし、「天(天帝)の天下の百姓(ひゃくせい)(すべての職業の人々)を愛するを知る」(『墨子』天志上篇)と言い、天帝のように人間同士も互いに憎しみ合わずに分け隔てなく、誰しもを平等に愛せよ、と教えているのだが、さらにこんなふうにも言っている。
 「天の欲する所を()さば、天も(また)我が欲する所を為す、(しか)らば(すなわ)ち我何をか欲し何をか(にく)むや、我福禄(ふくろく)を欲して禍祟(かすい)を悪む」(天志上篇)=要約すると、天帝の意志に従順であれば、自分は利益を得て災難を免れる、といった意。
 「天は疾病禍祟を下す」(天志下篇)=病気や災難も天意によって起きるのだ、といった意。
 「天は林谷幽間(りんこくゆうかん)に人無しとは為す可からず、明らかに必ず(これ)を見る」(天志上篇)=山間の誰もいない場所でも、必ず天には見られている、といった意。
 「義を為さんと欲すれば天意に(したが)わざる()からず」(天志上篇)=正義は天帝の意志に順うことだ、といった意。
 このほかにもいろいろなことを言っているが、墨子がこの学説を諸国に説くと、憎しみと戦乱にまみれていたからか、当時の中国では喜んで迎える人々も多かったようで、やがて墨家という一大勢力となり、主要な弟子も180人を数えるようになったという。

☆キリスト教と似ている

 キリスト教と関わったことがあれば、このように天帝の意志と愛、正義、善悪、幸不幸、病気を結び付けていることが、キリスト教の考え方と似ていると感じて不思議ではないだろう。欧米の中国思想研究者も墨子とキリスト教の類似性を指摘するとともに、中国でも清朝末の外交官であり学者でもあった黄遵憲(こうじゅんけん)は、墨子がキリスト教より約400年古いことに注目し、墨子の思想が西洋に伝わり、やがてキリスト教になったのではないか、要するに墨子こそキリスト教の源流だったのではないか、とも考えたようだ。残念ながら彼が書いたものはないので、どう論証していたのかは判然としない。漢籍國字解全書の『墨子』の解説の中で、当時の早稲田大学の牧野藻洲(健次郎)が墨子研究の状況を説明する中でそう書いているだけなのだ。
 ともあれ、キリスト教が西洋社会を支配したのに対し、墨子の思想を信奉する墨家集団は、秦の始皇帝が乱世を統一する頃には、消滅してしまった。
 孟子(もうし)などの儒家が、愛といってもそこに平等という価値観が入り込むと、結局は親子も他人もない犬猫同然の人間関係しか成立し得なくなるといった反論をしたり(『孟子』滕文公章句下)、必要以上の倹約や(『荘子』天下篇に「墨子の信奉者は乞食同然の粗末な身なりと献身的労働を美徳としていた」とある)、音楽では民衆の空腹は満たせないからと、音楽規制を求めたこともあろうが、要するに愛の根本を神秘な力に委ねず、夫婦や父子といった家族の絆と、先祖を大切にする心に求め、日常生活も適度に楽しむ儒家の考えの方が、当時の中国人には合っていたのだろう。

☆墨子と大工道具と大工の息子イエス

 黄遵憲が、墨子がキリスト教の源流だったという真意は判然としないが、さらに『墨子』を検証してみると、墨子とキリスト教が似ている点は、このような教義内容に関することだけではなかった。
 『墨子』の中には、大工仕事で用いる道具の差し金(方形を測る定規)、コンパス(円形を測る)、墨縄(すみなわ)(まっすぐな線を引く)、懸縄(かけなわ)(垂直を測る)、水(水平を測る)などの重要性を比喩として用いている個所があったり(法儀篇)、戦時下に守り防げる城門の構造を指示するといった建築関連の話しがあったりと(備城門篇)、墨子の大工仕事に詳しい様子が窺える上に、『韓非子』外儲説左上というところには、墨子自身も木製の(とび)(=トンビ)を造ったことがあると書かれている。これらのことなどから、墨子は大工の出身であるかのような印象を読者に与えているのだが(実際の出身は不明)、一方の『聖書』では、イエス・キリストの名義上の父親ヨセフの職業を、その大工だとしている。
 墨子の墨という字は「真っ黒」という意味を持つが、キリスト教カトリックの神父が普段着用している衣服は黒の上下、シスターと呼ばれる修道女の衣装も、近年はグレーが主流のようだが、本来は黒とされている。
 すなわちキリストと墨子は、大工そして黒色という点でも結ばれているのである。

☆大工道具を使って真理を語る墨子

 折角だから、『墨子』の大工道具を用いたたとえ話をひとつ、口語に意訳して紹介しておこう。
 私(墨子)の思想に天の意志が存在するのは、たとえれば車輪作りの職人にコンパスがあり、大工に差し金があるようなものである。車輪職人や大工は、それぞれコンパスや差し金を天下のあらゆる円形や方形に合わせ、そのカタチが正しいとか歪んでいるとか言う。現在、数え切れないくらい多くの人々によって、いろいろな主義主張が唱えられているが、それらはすべて仁義から外れている。なぜ、そう言えるのか。私にはコンパスや差し金のような明確な判断基準すなわち天の意志が備わっているから、その善し悪しが測れるのである(天志上篇)。
 この論法、何やら乱暴で呆気に取られもするが、キリストの「自分は神の子だから、すべて正しい」と言うのにも、どこか似ているようにも思う。

☆墨子とキリスト教との異なる部分

 もっともそんな墨子とキリスト教でも、共通しない点もある。
 例えばキリスト教では、天の主なる神以外の神を認めないが、墨子は天帝を天下全体の所有者としながらも、個人に対する神秘的影響力としては、他の鬼神への信仰も奨励している。また、墨子は天帝や鬼神の意志に従順であれば充実した人生が送れ、逆らえば不幸になると、飽くまで現世を論じている。
 対するキリスト教では、神(天帝)の意志に従順であれば、死後に神の国(いわゆる天国)で永遠の命を得て幸福になり、逆らえば死後の裁きの結果として地獄に落ちる、と、来世の救済に信仰生活の目的を求め、現世ではむしろ不幸であってもそれは神が与えた試練であって、喜んでその不幸を受け入れなければいけないと教えていることなどもそうだろう。
 しかしこのような違いは、社会改革のための思想と宗教との立場の相違がもたらしたに過ぎないのかもしれない。まして400年以上の時代の隔たりや、中国と西洋という地理的民族的相違も考慮に入れる必要もあるだろう。

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W 「ユダヤ暦元年」算出根拠は、まさに易学そのものに依っている〜易学の卦を絶妙に展開して文章化している〜

も く じ

〇ごあいさつ

T イエスの誕生年=西暦元年は、 易学の論理で「革命の年」に設定された
@『古事記』『日本書紀』のトリックと西暦元年
 Aまるで説明がつかないローマの見解 B史上初の西暦元年成立論となるか C旧約と新約の要点

U 「東方の三博士」の話には、易学に根ざした九星の論理が貫徹していた!
@九星という年回りを確定する技術
 A方位を限定明記する怪しさ B易学のストーリー構成力を借りて

V 聖母マリアの処女懐胎物語は、司馬遷『史記』のコピーである〜中国文化の影響は易学以外にも見いだせる〜
@多くの人から疑われていた
 A『史記』解釈上の新発見か B墨子の思想はキリスト教と似ている

W 「ユダヤ暦元年」算出根拠は、まさに易学そのものに依っている〜易学の卦を絶妙に展開して文章化している〜
@ユダヤ暦元年を算出する糸口
 A中国人編集アドバイザーを想定すると B徹底的に易学で組み立てられている C序次24地雷復を絶妙に展開して D易学とは何か

X 天地創造の六日間は、序次1〜14と完全に合致している〜『聖書』全体を易学で読み解くべきことを示唆〜
@読み解いて拍子抜けする
 Aアダム930歳の出どころ B一度に三つのメッセージ

Y ノアの箱舟神話は、「新しい時代の始まり」を告げていた〜洪水神話の易学的構成〜
@ノアの家族構成が示すもの
 A絶妙な連動性

Z 太祖たちからイエスにつながる系譜は、十字架そのものを暗示している〜アダムたちの法外な長寿の秘密〜
@太祖たちの法外な長寿
 A重大な秘密が仕掛けられていた

[ 「過ぎ越しの祭」も「出エジプト」も易学的に構成されている〜十字架はイエスの処刑を意味していない〜
@「出エジプト記」は易学で加工されている
 A海が二つに分かれる卦 B十字架は宗教支配の理想的な姿を象徴

\ イエス処刑に至る『聖書』の記述は、『易経』の丸写しであった〜『聖書』は西暦300年代に書かれた〜
@「ペトロが三度拒むと鶏が鳴いた」の卦
 Aすべてがフィクションであった B『聖書』は西暦300年代に書かれた

エピローグ
@なぜ『聖書』を偽作したのか
 Aみなさまからいただいたメッセージ

蛇足〜なぜ私は『聖書』に興味を持ったのか
@母と共益商社とGHQ
 Aキリスト教会に通ってみたら…… B「イマジン」が教えてくれた反キリスト教精神 C男尊女卑は神が決めた! Dオー・マイ・ゴッドの意味〜人間は神の奴隷? E「プリズナーNO.6」〜キリスト教信者は囚人と同じだ! F私の曾祖父は易者だった G人を救うのは真理ではなく、真実だ!

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最終更新日:令和02年08月27日 学易有丘会
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