B墨子の思想はキリスト教と似ている
☆墨子とは
キリスト教の教義については、すでに多くの研究者によって墨子の思想と似ていると言われているが、ここでその墨子についても触れておく。
『墨子』は墨子という人物の思想を書いた本である。諱を翟と言い、生没年は不詳だが、孔子より後、孟子より前の時代に活躍したと推定される思想家で、諸子百家=現代風に言えば政治コンサルタントだろうか=のひとりとして、孔子の学問を引き継ぐ儒家と対峙した人物である。
生まれは孔子と同じ魯国で、墨子と呼ばれたのは顔が墨のように黒かったからだとか、入れ墨があったからだとか、後世に言われているが、定かなところは不明。初め孔子の教えを学ぶが、混乱したこの時代には新しい思想が必要だと考え、その中心的教義として孔子の「仁」とはやや趣きが異なる「兼愛」という考えを提唱した。
☆「仁」と「兼愛」で儒家と対立
「仁」と「兼愛」、どこがどう違うのか。
両者とも他人に対する「思いやり」を持つという点では一致する。異なるのは、「仁」は自分や身内と他人、あるいは善人と悪人に対するのであれば、その思いやりのかけ方、愛し方に違いがあってしかるべきだとするのに対して、「兼愛」は自他親疎の別なく平等に愛せよと求めるとともに、その根拠を天帝と呼ばれる神の意志に委ねていることである。
儒家は孔子の説にしたがって、天帝を天の運行を司る神秘な力として位置付けてはいるが、人間にその意志を知ることはできない、あるいは意志を持っているか否かは人知では計り得ない、という立場を取っている。
対する墨子は、天帝は絶対唯一の人格神だとした上で、意志を持って人間誰しもを平等に愛しているとし、「天(天帝)の天下の百姓(すべての職業の人々)を愛するを知る」(『墨子』天志上篇)と言い、天帝のように人間同士も互いに憎しみ合わずに分け隔てなく、誰しもを平等に愛せよ、と教えているのだが、さらにこんなふうにも言っている。
「天の欲する所を為さば、天も亦我が欲する所を為す、然らば則ち我何をか欲し何をか悪むや、我福禄を欲して禍祟を悪む」(天志上篇)=要約すると、天帝の意志に従順であれば、自分は利益を得て災難を免れる、といった意。
「天は疾病禍祟を下す」(天志下篇)=病気や災難も天意によって起きるのだ、といった意。
「天は林谷幽間に人無しとは為す可からず、明らかに必ず之を見る」(天志上篇)=山間の誰もいない場所でも、必ず天には見られている、といった意。
「義を為さんと欲すれば天意に順わざる可からず」(天志上篇)=正義は天帝の意志に順うことだ、といった意。
このほかにもいろいろなことを言っているが、墨子がこの学説を諸国に説くと、憎しみと戦乱にまみれていたからか、当時の中国では喜んで迎える人々も多かったようで、やがて墨家という一大勢力となり、主要な弟子も180人を数えるようになったという。
☆キリスト教と似ている
キリスト教と関わったことがあれば、このように天帝の意志と愛、正義、善悪、幸不幸、病気を結び付けていることが、キリスト教の考え方と似ていると感じて不思議ではないだろう。欧米の中国思想研究者も墨子とキリスト教の類似性を指摘するとともに、中国でも清朝末の外交官であり学者でもあった黄遵憲は、墨子がキリスト教より約400年古いことに注目し、墨子の思想が西洋に伝わり、やがてキリスト教になったのではないか、要するに墨子こそキリスト教の源流だったのではないか、とも考えたようだ。残念ながら彼が書いたものはないので、どう論証していたのかは判然としない。漢籍國字解全書の『墨子』の解説の中で、当時の早稲田大学の牧野藻洲(健次郎)が墨子研究の状況を説明する中でそう書いているだけなのだ。
ともあれ、キリスト教が西洋社会を支配したのに対し、墨子の思想を信奉する墨家集団は、秦の始皇帝が乱世を統一する頃には、消滅してしまった。
孟子などの儒家が、愛といってもそこに平等という価値観が入り込むと、結局は親子も他人もない犬猫同然の人間関係しか成立し得なくなるといった反論をしたり(『孟子』滕文公章句下)、必要以上の倹約や(『荘子』天下篇に「墨子の信奉者は乞食同然の粗末な身なりと献身的労働を美徳としていた」とある)、音楽では民衆の空腹は満たせないからと、音楽規制を求めたこともあろうが、要するに愛の根本を神秘な力に委ねず、夫婦や父子といった家族の絆と、先祖を大切にする心に求め、日常生活も適度に楽しむ儒家の考えの方が、当時の中国人には合っていたのだろう。
☆墨子と大工道具と大工の息子イエス
黄遵憲が、墨子がキリスト教の源流だったという真意は判然としないが、さらに『墨子』を検証してみると、墨子とキリスト教が似ている点は、このような教義内容に関することだけではなかった。
『墨子』の中には、大工仕事で用いる道具の差し金(方形を測る定規)、コンパス(円形を測る)、墨縄(まっすぐな線を引く)、懸縄(垂直を測る)、水(水平を測る)などの重要性を比喩として用いている個所があったり(法儀篇)、戦時下に守り防げる城門の構造を指示するといった建築関連の話しがあったりと(備城門篇)、墨子の大工仕事に詳しい様子が窺える上に、『韓非子』外儲説左上というところには、墨子自身も木製の鳶(=トンビ)を造ったことがあると書かれている。これらのことなどから、墨子は大工の出身であるかのような印象を読者に与えているのだが(実際の出身は不明)、一方の『聖書』では、イエス・キリストの名義上の父親ヨセフの職業を、その大工だとしている。
墨子の墨という字は「真っ黒」という意味を持つが、キリスト教カトリックの神父が普段着用している衣服は黒の上下、シスターと呼ばれる修道女の衣装も、近年はグレーが主流のようだが、本来は黒とされている。
すなわちキリストと墨子は、大工そして黒色という点でも結ばれているのである。
☆大工道具を使って真理を語る墨子
折角だから、『墨子』の大工道具を用いたたとえ話をひとつ、口語に意訳して紹介しておこう。
私(墨子)の思想に天の意志が存在するのは、たとえれば車輪作りの職人にコンパスがあり、大工に差し金があるようなものである。車輪職人や大工は、それぞれコンパスや差し金を天下のあらゆる円形や方形に合わせ、そのカタチが正しいとか歪んでいるとか言う。現在、数え切れないくらい多くの人々によって、いろいろな主義主張が唱えられているが、それらはすべて仁義から外れている。なぜ、そう言えるのか。私にはコンパスや差し金のような明確な判断基準すなわち天の意志が備わっているから、その善し悪しが測れるのである(天志上篇)。
この論法、何やら乱暴で呆気に取られもするが、キリストの「自分は神の子だから、すべて正しい」と言うのにも、どこか似ているようにも思う。
☆墨子とキリスト教との異なる部分
もっともそんな墨子とキリスト教でも、共通しない点もある。
例えばキリスト教では、天の主なる神以外の神を認めないが、墨子は天帝を天下全体の所有者としながらも、個人に対する神秘的影響力としては、他の鬼神への信仰も奨励している。また、墨子は天帝や鬼神の意志に従順であれば充実した人生が送れ、逆らえば不幸になると、飽くまで現世を論じている。
対するキリスト教では、神(天帝)の意志に従順であれば、死後に神の国(いわゆる天国)で永遠の命を得て幸福になり、逆らえば死後の裁きの結果として地獄に落ちる、と、来世の救済に信仰生活の目的を求め、現世ではむしろ不幸であってもそれは神が与えた試練であって、喜んでその不幸を受け入れなければいけないと教えていることなどもそうだろう。
しかしこのような違いは、社会改革のための思想と宗教との立場の相違がもたらしたに過ぎないのかもしれない。まして400年以上の時代の隔たりや、中国と西洋という地理的民族的相違も考慮に入れる必要もあるだろう。
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W 「ユダヤ暦元年」算出根拠は、まさに易学そのものに依っている〜易学の卦を絶妙に展開して文章化している〜
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