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聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!〜W 「ユダヤ暦元年」算出根拠は、まさに易学そのものに依っている
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表1 中心的な意義を添えた六十四卦 | ||||||||
序 次 |
卦 | 卦名 | 中心的な意義 | 序 次 |
卦 | 卦名 | 中心的な意義 | |
1 | けんいてん 乾為天 |
満ち溢れた生気 | 31 | たくざんかん 沢山咸 |
新婚の甘い夜 | |||
2 | こんいち 坤為地 |
従順な牝馬 | 32 | らいふうこう 雷風恒 |
変化を求めず淡々と | |||
3 | すいらいちゅん 水雷屯 |
試練に悩む新人 | 33 | てんざんとん 天山遯 |
逃げるが勝ち | |||
4 | さんすいもう 山水蒙 |
暗く愚かな子供 | 34 | らいてんたいそう 雷天大壮 |
走り出した羊の群れ | |||
5 | すいてんじゅ 水天需 |
渡し船を待つゆとり | 35 | かちしん 火地晋 |
希望の朝の元気な力 | |||
6 | てんすいしょう 天水訟 |
不満を訴える人々 | 36 | ちかめいい 地火明夷 |
暗い夜道の危険 | |||
7 | ちすいし 地水師 |
軍隊の指揮官 | 37 | ふうかかじん 風火家人 |
家庭を守る女性 | |||
8 | すいちひ 水地比 |
王様と親しむ民衆 | 38 | かたくけい 火沢睽 |
背き合うふたり | |||
9 | ふうてんしょうちく 風天小畜 |
近づく雨雲外出中止 | 39 | すいざんけん 水山蹇 |
松葉杖での山登り | |||
10 | てんたくり 天沢履 |
礼節を履み外した危険 | 40 | らいすいかい 雷水解 |
春到来で悩み解消 | |||
11 | ちてんたい 地天泰 |
天下安泰、万物生成 | 41 | さんたくそん 山沢損 |
贈り物で通う心 | |||
12 | てんちひ 天地否 |
溶け合わない水と油 | 42 | ふうらいえき 風雷益 |
利益を得るチャンス | |||
13 | てんかどうじん 天火同人 |
志を同じくする友 | 43 | たくてんかい 沢天夬 |
裁かれ決去される邪魔者 | |||
14 | かてんたいゆう 火天大有 |
中天に輝く太陽 | 44 | てんぷうこう 天風姤 |
偶然の出会い | |||
15 | ちざんけん 地山謙 |
お辞儀は深く丁寧に | 45 | たくちすい 沢地萃 |
お祭りに集まる人々 | |||
16 | らいちよ 雷地予 |
大地に響く歓喜の音楽 | 46 | ちふうしょう 地風升 |
蒔かれた大木の種子 | |||
17 | たくらいずい 沢雷随 |
人に従い道に従う時 | 47 | たくすいこん 沢水困 |
ひび割れたコップ | |||
18 | さんぷうこ 山風蠱 |
うじ虫がわいた食物 | 48 | すいふうせい 水風井 |
湧き続ける井戸 | |||
19 | ちたくりん 地沢臨 |
悦び望んで迎える人々 | 49 | たくかかく 沢火革 |
古きを捨てて変革する時 | |||
20 | ふうちかん 風地観 |
よく観察して慎重に | 50 | かふうてい 火風鼎 |
新体制を支える3人の力 | |||
21 | からいぜいこう 火雷噬嗑 |
食物を噛み砕く力 | 51 | しんいらい 震為雷 |
響き渡る雷鳴 | |||
22 | さんかひ 山火賁 |
夕映えの美しさ | 52 | ごんいさん 艮為山 |
何事にも動じない山 | |||
23 | さんちはく 山地剥 |
山崩れの危険 | 53 | ふうざんぜん 風山漸 |
手順どおりに抜かりなく | |||
24 | ちらいふく 地雷復 |
一陽来復、活動開始 | 54 | らいたくきまい 雷沢帰妹 |
愛よりお金の愛人生活 | |||
25 | てんらいむぼう 天雷无妄 |
作為のない天の運行 | 55 | らいかほう 雷火豊 |
昼過ぎて傾く太陽 | |||
26 | さんてんたいちく 山天大畜 |
渡れば危険な赤信号 | 56 | かざんりょ 火山旅 |
歓迎される謙虚な旅人 | |||
27 | さんらいい 山雷頤 |
空腹で卑しい口 | 57 | そんいふう 巽為風 |
行く先は風まかせ | |||
28 | たくふうたいか 沢風大過 |
背負った大きな荷物 | 58 | だいたく 兌為沢 |
転げた箸に笑う少女 | |||
29 | かんいすい 坎為水 |
大洪水で右往左往 | 59 | ふうすいかん 風水渙 |
悩みを吹き飛ばす風 | |||
30 | りいか 離為火 |
火を扱う時の心がけ | 60 | すいたくせつ 水沢節 |
節度をわきまえて | |||
61 | ふうたくちゅうふ 風沢中孚 |
卵を暖める親鳥の愛情 | ||||||
62 | らいざんしょうか 雷山小過 |
限度を少し過ぎる | ||||||
63 | すいかきせい 水火既済 |
完成された事業 | ||||||
64 | かすいびせい 火水未済 |
新たなる展開 |
〔第二の準備作業……各卦名と『聖書』骨格との重なりを見つける〕 ☆中心的な意義との重なり ところで、多くの読者は、例えば、63(卦)が、水火既済(卦名)とどういう理由でセットになるのかが現時点で分からないでいても、易学入門ページや易経解説ページでも読めば理解できるであろうとお考えになり、一応受け入れておくことまではなされると思う。それで結構である。 ☆六十年=一元 さて、万物は時の経過と共に変化する。その変化の様相を、仏教では
〔第三の準備……「一元」という時の単位に注目する〕 ☆中国研究家ニーダムの批判 ユダヤ暦元年の根拠を探る糸口は、「ルカ」だけに三度も出てくる「飼い葉桶」と「ルカ」に高頻度で出てくる「救い」「救う」「救い主」であると、私はたびたび述べ、読者諸氏の注意がここに向かって下さるようにした。 ☆ユダヤ人には難解だったはずだが このニーダムの批判は、「占うという行為」の批判であるならば正しい面もあるのだが、易学で使用する記号や文言の定義の仕方についての批判であるならば、その指摘は間違っている。 ☆「飼い葉桶」は厩の字を連想させる〔第四の準備作業……使用漢字の意味を拡大、融通して考察する〕 ☆「救い」は済の字を連想させる 次に、「救い・救う・救い主」という単語についてであるが、いくつかの宗教を見直してみて、「救い主」と表現される人物はイエスだけである。仏教、イスラム教、道教、中国思想など他の宗教・思想では、そういう言葉づかいをしない。他の例がないのに、『聖書』編集・執筆者たちだけが、こういう言葉づかいにこだわった理由は何だろう。そこを考えてみる必要がある。 ☆未来を確信して ここでもアドバイザー氏は「未来のいずれかの時節に、易学と漢字知識をもつ者が『聖書』に接するとすれば、"済"の字を連想してくれる」と確信して、編集・執筆者たちにアドバイスしたに違いない。「ルカ」に出てくる二つの句の使われ方は淡白・簡潔でなく、かなりくどいと感じられるのは、右に述べた中国人編集アドバイザー氏の期待や思いが、編集・執筆者たちに作用したからである。 いつの間にか、私は"中国人アドバイザー"なる呼称を、平気で使いだしている。読者諸氏は先を読むに連れて、それが自然であることをご理解なさるであろう。 |
B徹底的に易学で組み立てられている☆厩済→既済が連想される では、ユダヤ暦元年=西暦紀元前3761年説の解説に入ろう。 ☆「完成された事業」という意義を帯びる「ルカ」の記述 つまり、前述の〔第三の準備作業〕にしたがうことによって、イエス誕生年=西暦元年からの六十年間(一元)、つまり西暦60年までは、序次63の「完成された事業」が該当する……ことになる。 ☆ユダヤ人の歴史の始まり=序次1 大きな計算から入る。ユダヤ暦元年は西暦紀元前3761年だから、まず、この3761年を一元の年数60で割る。すると、62元あまり41年になる。そのあまり41年をよけておいて、西暦元年から62元分の時代を遡ってみる。すると、西暦紀元前3720年となる。 ☆時代を遡って計算する残る端数の41年は、本格的に歴史が始まる前の、いわば助走期ということになり、時代を遡ると天地創造の西暦紀元前3761年にたどりつく。ただ、六十年間よりも19年少ないので一元という単位に置き換えていいのかどうか迷うが、その決着は後回しにするとして、19年間が欠落したこの41年間も一元と見立てれば、序次64の「火水未済」が巡ってくる。これには「新たなる展開」という中心的な意義がある。天地創造という大イベントにまさにピッタリではないか!次の図2を見てほしい。 ※違う暦法に換算する場合の計算方法 私は、ここまで計算してきて、ウーンとうなってしまった。中国人アドバイザー氏は抜きんでて緻密な頭脳の持ち主である。そして、よほど当時の『聖書』編集・執筆者たちに入れ込んだのであろう。相当の熱意がなければ、なじみの薄いそしてたぶん耳から聞かされただけのユダヤ史を、過去に向けて遡って把握できるはずがない。 ☆エレガントな方法、スマートな方法 上の計算で逆算のゴール部分を、1元という単位から見て半端な41年に、なぜ抑えてしまったのだろう。普通なら、もう19年遡らせて一元六十年ポッキリにすればよいと思うはずである。この場合のユダヤ暦元年は西暦紀元前3780年となる。これは切りがいい。エレガントである。中国人アドバイザー氏は、なぜそうしなかったのだろう。 ☆ハタッとひざを打った この疑問を解くために、細かい見直しをしてみた。 ☆天地創造神話 天地創造神話は、科学的宇宙論が確立する以前にはなかなか魅力的な世界生成論であった。巨大なカメ、ヘビ、ゾウなどの背中の上に陸地や海が乗っていることになっているインドの宇宙論、何種類もの超能力的キャラクターがよってたかって世界を造る各地の土俗的な世界論、これらにくらべて『聖書』の天地創造は、いかにも一神教らしいすっきりしたドラマチックな世界生成論であった。 |
C序次24地雷復を絶妙に展開して☆地雷復の卦の形の読み解き方 第8章に先だって、天地創造と序次との関係を、ほんのサワリだけ述べておく。とりあげる序次は、序次64 ☆言葉とコミュニケーション かつての日本人と違って現代の日本人は、こういう説明に出会うと困惑してしまう。欧米の言語と論理で教育されると、火はファイアであり光はライトでなければならないと思ってしまう。まして「水の上の火」という図形記号に出会えば「やがて火は消える」と解釈したくなる。だが、こういうセンスでは、易学の展開ストーリーと論理を、まったく理解できなくなる。 ☆陰陽記号の二面性 易学には陰と陽の二種の記号しかない。この意味で区分・区分け・限定という言葉の機能を保つことができるのであるが、他方で六十四卦に展開してイメージを自在に押し広げるという機能も合わせ持つようにしてある。 ☆天神相関 この場合、勝手に八つの記号を組み合わせたのでは混乱してしまう。そこで、いくつかの約束事が設定され、さらに変化の意義や意味をしっかり説明できるようにするために、時の推移を示す十干十二支などを併用した。 ☆地雷復の意義 話は易学論になってしまったので、天地創造神話の卦に話を戻そう。 ☆「十二消長卦」 まず、天地創造神話といったん離れて、図3を見ていただきたい。これは、六十四卦の序次=順番を無視して、・という記号の増減の図形上の推移を、秩序だてて配列したものである。六十四卦から十二卦をピックアップして配列してある。
☆天地創造神話の下敷き そこで旧約の天創造神話にもどる。 ☆バビロニアの六十進法との混同を免れた 天地創造のユダヤ暦元年は、すでに話したように「元単位の序次64火水未済」に「年単位の序次24地雷復」が重なる年に決められている。そう決めることによって、この年が「十二消長卦単位の地雷復」に重なるようにした。次に、それを目印にして、七日間という日にち単位の天地創造神話に連続させた……となる。 ☆偶然は考えられない 「天地創造の年は、二つの卦に着目して決定された」とするのは、易学に肩入れし過ぎる人の言い分であって、別の理由で決められた年が、易学的見解と偶然一致することになったのではないか……こういう指摘があるかもしれない。 ☆なぜ西暦紀元前2281年としなかったのか 「アドバイザー氏は、なぜ西暦紀元前2281年を採用せず、西暦紀元前3761年の方を採用したのか」という問いも生まれてくる。これほど緻密な計算をやる人物なのだから、安直に「ユダヤの諸君にスペシャルサービスをしよう。よし、古い方にする」程度のセンスで決めるはずはない。 ☆辛酉歳からいうと 答えのヒントは「創世記」にあった。 ☆アドバイザー氏は芸が細かい1 西暦紀元前2281年をユダヤ暦元年にしなかったのは、辛酉歳の巡りでなかったからである。 ☆イエス誕生の辛酉歳=大々々革命 辛酉革命説にもとづけば、ユダヤ紀元1242年と2482年の二回の辛酉歳に、大きな革命が起きるはずである。しかし、起きなかった。そして、ユダヤ暦3762年=西暦元年に、イエス誕生をきっかけとした辛酉革命が、やっと起きたのである。 ☆過去の辛酉革命歳をなぜボカしたのか 私の直観では、ユダヤ民族の祖のアブラハムの挙動、モーゼの出エジプト、ユダヤ王国建国の祖ダビデ王の挙動を、易六十四卦に配することも可能であったと思う。そして、どれか二つを辛酉歳に配することを、アドバイザー氏も考えたであろう。 ☆諸学との整合性 私が現時点で気にしているのは、神学、聖書学、歴史学、考古学など諸学の研究成果と整合しない点が出てくることである。 |
D易学とは何か☆易学の今昔本稿の主題はあくまでも『聖書』であるが、易学的な知見にもとづいて取り組んでいるので、この辺で、より楽しく読んでいただくために、易学とは何かについて少し解説しておきたい。本格的な理解は易学入門のページ、易経解説のページ、あるいは成書にゆずるとして、易学入門者のためのほんのサワリ程度の案内のつもりで、読んでいただきたい。 明治維新までの日本は、四書五経が学問の中心であった。その四書五経の中心には『易経』がすえられていた。明治維新とともに西洋の学問が流入し、四書五経にとって代わるようになると、やがて国家も社会も家庭も、さらには各個人の生き方も、西洋の学問が示す答えにしたがって、営まれるようになっていった。 ☆天・地・人、陰と陽 易学が数千年にわたって諸学の中心であり続けることができたのは、人が天と地の間に位置づけられ、しかも天・地・人が相互に影響を与え合いながら、常に変化していく存在であることを体系づけたからである。具体的には、国家の運営も、戦争の遂行も、都市の建設整備も、人事も、商売も、文物の良否も、病気の診断治療も、家庭の姿も、個人の生き方も、未来についての予測も、天候気象の予測についても、とにかくすべてが易学的体系を踏まえて扱われていた。 ☆陰陽→八卦へ 二つの記号つまり陰陽二気は相互に影響を与えながら生成変化するが、変化するといっても陰→陽、陽→陰の二つのパターンしかあり得ない。これだけでは、人間にとって不充分である。 ☆八卦が象徴する自然界の姿 「けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん」については、それを象徴する自然界の姿を添えて理解が深まるようにした。「天・沢・火・雷・風・水・山・地」がそれである。 ☆八卦→六十四卦 もしも、閉ざされた少数民族であれば、季節の移行以外、同じ日常がつづくだけだから、八卦がわかれば充分幸福な毎日が送れることだろう。しかし、社会が複雑になってくると、他の部族との取引、衝突、和睦など、日常のいろいろな場面で難問が出てきて、八卦だけでは対策を考えようとしても、おいそれとは解決できない。そこで八卦を組み合わせて六十四卦に展開した。六十四卦のひとつひとつには「卦名」をつけた。六十四卦まで展開すると、時間の経過にともなう卦の変化も把握することができる。 ☆易学はいかなる学なのか 本稿と易学との関連で、二つの点を述べておきたい。 ☆どういうテクニックに依っているのか ふたつ目に述べたいのは、序次の展開の仕方についてである。 ☆易学の予知・予測について まず、1易学とは予知・予測の学なのか、2「過去の整理・加工→未来展開」を可能とする学なのか……について述べよう。 ☆過去を加工・整理することはできるのか 次に、2についてであるが、過去を整理・加工するといっても、個人史、家系史、企業史、社会史、民族史、国家史、世界史、地球史、宇宙史、学説史、技術史……と、整理・加工の対象となる過去は多様多彩である。こうした過去を易学が勝手に書き換えることは、倫理的にできないし、しない。易学は虚偽・虚妄を押し通すための学ではないからである。 ☆いくつかの例から六十四卦の展開を知る@ 六十四卦の展開方法について簡単に述べておきたい。 ☆いくつかの例から六十四卦の展開を知るA 株式市場全体についてはどうであろう。 ☆いくつかの例から六十四卦の展開を知る➂ 運勢も取り上げてみよう。 ☆立場、解釈、技術 以上@〜➂のすべての例に通じていることは、「誰が、何に向かって、どう問いかけ、その卦を求めたのか」で、卦の解釈も異なってくる、ということである。 ☆科学と易学 易学は非科学的だという批判を受けることがある。これに関連して述べておきたい。科学上の見解というものは、厳密な論理と実証を積み重ねた上で表明される。この点から言えば、易学上の見解表明には大雑把な点が多い。しかし、今から数千年前に数千年前の知識・言葉・考えを前提にして、これだけの体系を作り得たことは驚嘆に値する。ヨーロッパ全土より広い地域の人々が納得し、その考えの共通した基礎となり、近年までの数千年にわたって中国および周辺諸国の指導的思想にもなっていた。易学には、それほどの説得力があったのである。 このページのトップへ |
最終更新日:令和02年08月27日 学易有丘会
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