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聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!〜☆☆☆エピローグ☆☆☆@なぜ『聖書』を偽作したのか A皆さまからいただいたメッセージ @なぜ『聖書』を偽作したのか☆アドバイザー氏の旅立ち 以下は『聖書』が西暦300年代にアドバイザー氏によって偽作された経緯を、推測したものである。もちろん現在のローマやギリシャの歴史の定説とは異なる。証拠もない。無責任な推測に過ぎないことを、予めお断りしておく。 ☆当時のローマの事情 アドバイザー氏たちは、大乗仏教全盛のインドで数年過ごした後、仏教に飽き足らず、さらに西へと旅をした。西からの旅人が話していたギリシャ哲学や美術品をこの目で確かめたいと思ったのだろう。中国とローマはすでに後漢の時代から交流があったことも、西への憧れを強めたに違いない。もっともインドで現地の女性と恋に落ち、その地に止まった者も何人かいたかもしれない。が、やがてアドバイザー氏たちはギリシャにたどり着いた。 ☆革命の予感 アドバイザー氏はそんな様子を見て、直観的に「天命が革まる時なのかな?」という思いが頭を過った。としてもその反政府宗教に際立った指導者、例えば周の文王や武王のような人物がいるわけでもなく、教義はとても貧弱だった。仮に政府を転覆させたとしても、新たに実力のある政権を樹立するのは困難で、中国のように小国が乱立して大混乱に陥るだけだろうなあ……とも感じていた。 ☆『聖書』偽作に着手 ところが数日後、宿泊先に使者がやって来て、正式に決まったと伝えられた。まさか本当になるとは……啞然としたことだろう。こんなふざけたことが決まるのだから、反政府運動が起きても当然だと思いつつも、どうも断れる雰囲気でもないので、仕方なく腹を括って参加することにした。 ☆偽作『聖書』が完成すると 中国語、ギリシャ語、ラテン語が飛び交う中、翻訳も大変だったが、そうこうしながら数年かけて、ようやく『聖書』の偽作は完成した。司馬遷の『史記』と比べても決して見劣りしない膨大な書物群に仕上がった。いかにも古くからあるかのように見せかけるため、倉庫の奥から古い紙を探し出して書いたものだ。旧約部分についてはヘブライ語に翻訳した書物も作成した。ただ、完成した『聖書』の内容は、易学者としてアドバイザー氏が描いた構想からは、いささか離れてしまったようだ。言葉の違いから意志の疎通が上手く行かず、誤解や勘違いも多かったことだろう。その結果、意に反して、ローマやギリシャの学者たち、あるいはローマ政府の意向か、必要以上にユダヤ人を貶める結果になってしまった。 ☆アドバイザー氏の誤算 墨子の思想を信奉した墨家集団は一時的に大きな勢力となったが、秦の始皇帝が中国を統一する頃には姿を消している。アドバイザー氏は、それと同様に、この偽作『聖書』を信奉する集団も、一時的には大きくなったとしても、やがては消滅するだろうと考えていたに違いない。信仰することは教会の奴隷になることであり、その教会をローマ政府が管理すれば、結局今までと変わらないことになるからだ。愛や平等は絵に描いた餅に過ぎない。そのうち中国とローマとの交流がもっと活発になれば、『論語』や『易経』などの漢籍がローマで翻訳されることだろう。そうなればローマも「仁」に基づく社会が模索されるに違いない。キリスト教は、上手く行っても、それまでの繋ぎの宗教といったところだ……。 ☆最も得をするローマ人、最も損をするユダヤ人 \ーAで例示したように、イエス処刑物語は次のような流れになっている。 ついでにもうひとつ、マタイ24章には、「この福音が全世界に伝わるとき、終わりが来る」といった終末論があるが、これは中国に『聖書』が伝われば易学者によって偽書だということが白日の下に晒され、キリスト教は終わる、と暗示しているようにも思う。 ☆易とは何か 客観的な話に進む。 ☆易を駆使できれば 本稿では、占うという行為については触れないようにしてきた。論証の体系という意味で、あえて「易学」という言葉を使ってきた。本当は「易」あるいは専門的に「周易」でよいのである。明治以来、多くの日本人が易から遠ざかってしまったことによる誤解と偏見に、どう対処すべきかに迷った末の表現である。 |
A皆さまからいただいたメッセージ『聖書と易学』発売直後から、SNSやアマゾンのレビュー、愛読者カード、当サイトへの直接のメールなどさまざまな形でメッセージを頂きました。その一部をここでご紹介します。 聖書と易学、一見ミスマッチとも思える組み合わせニャ。 ところがこれが、あまりにも説明がうまくできるというのでびっくりニャ。 易学は陰陽思想に、基づくニャ。 そして、吉野裕子氏の研究によると、 陰陽思想はかなりアジア各地に広がっているようニャ。 問題は、これがどこまで広がりを見せるか、どこまで遡れるかニャ。 本書は、中東まで陰陽思想が展開されるばかりか、 聖書の時代にはこの地域に定着していたと言っているに等しく、 今後のアジア思想史研究に一石を投じた形になったといえるニャ。 東京 男性 C様 タイトルを訊いた時は、「え?聖書と易?どう繋がるの??」なんて不思議に思っていましたが、読んでみると、「がーん!なるほど!」「ひえ〜!こんなことも??」などと、易の卦と照らし合わせて感心したり驚いたり。(一応アタシも易者の端くれですので・・・)とても興味深く楽しめました。^^ 中京 女性・易者M様 キリスト教では世界平和ということをよく言うが、この本を読んで、その白々しさを改めて感じた。 九州 男性 K様 最初、どういう内容なのか皆目見当がつかず、また易の記号にも戸惑いを覚えたのですが、読み進むうちに、引き込まれてしまいました。 中京 男性 M様 ”聖書と易学”の本を読んで易について興味があります。 関東 女性 J様 聖書と易学を読ましていただきました。今までの、易経関係にない展開の仕方に驚きました。今までは、立卦してその卦をどのように生かすかが分からないままに、卦意だけにとらわれて来ました。この聖書解読の手法を駆使してゆけば、生活に蜜着した問題の解決方法・手段などが見つけられないか?と、期待しております。 東北 男性 S様 一日で読了しました。大変感銘いたしました。何れ歴史の教科書も書き換えられるといいですね。 東京 男性 易者A様 中・高とミッション・スクールだったので聖書の時間がありました。いつも退屈でした。でも、もしあの頃にこの本が出ていれば、きっと授業も楽しかっただろうなあと思いました。 関東 女性 Y様 最初は、読み切れるかと、少し不安がありました。なにせ、聖書もしらなければ、易の事も、ぜんぜん知らないのですから、難しくて何言ってんだか、理解するのが、精一杯で、本に、入り込めないんだもの。 本に入り込めないと、まず、読みきれないから、どうしようかと、思いました。 ところが、ある程度読み進むと、難しい事は、流れに任せて、あるリズムで、読めるようになりました。 後は、筆者の、思いを、汲み取る事に、集中でき、最後の方は、一気に読む事ができました。易や、聖書に関係がなくても、充分楽しんで読めると思います。 東京 女性 H様 古代中国の占いの理論が、キリスト教の聖書にも応用されていたとは…。中国の奥の深さを思い知らされた。易学に多少なりとも興味があるのなら、絶対おススメの一冊。 大阪 N様 久々の感動。凄い本が出たものだ。ダビンチコードで聖書が偽書だという考察に触れ、驚いたばかりだったが、今回この本で、さらに目から鱗が落ちた。実はこれまで、聖書も易もよく知らなかったのだが、勢いで読めてしまった。 東京 B様 このほか、「読んでて腹が立った」とか、「デタラメだ、易も聖書もわかってない」といった信仰を持たれている方からの感情的な批判メッセージも、少数だけどいただいたことを、付け加えておきます。 |
最終更新日:令和02年08月27日 学易有丘会
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