B『聖書』は西暦300年代に書かれた
☆なぜ、こんなストーリーに広げたのか
以上は、文献的あるいは文章論的結論であるが、易学的な決着をしっかりつけておかねばなるまい。
アドバイザー氏は、処刑神話を作ろうとして、
1 まず、イエスについて序次28沢風大過=「背負った大きな荷物」を配してみた。
2 その「過」に着目し、「過ぎ越し」という名称を考案した。
3 具体的な処刑の流れは、この卦の変化・バリエーションの中から、最もドラマチックに展開できそうな序次43沢天夬を見つけだして展開した。
4 さらには補足として裏卦の序次23山地剥を利用した。
……のであろう。
しかしそれならば、なぜ28沢風大過を選んだのであろう。確かに「背負った大きな荷物」という意義は、処刑神話に相応しいものであるが、それだけの目的であるならば「過ぎ越し」という名称やその起源神話である「出エジプト」を創作するという、入り組んだ仕掛けにまで、手を広げることはなかったはずである。
☆やはり「過」に注目していた
理由は二つ考えられる。
第一の理由は、「過ぎ越し」という名称で、28沢風大過の「過」という文字の意義を強調し、印象づけたかった。それは易学を知る者へのサインである。このような暗号めいたサインは、単純でなければキャッチされない。
第二の理由は、ユダヤ民族の間には、「出エジプト」とは別の意義づけで、「過ぎ越し」という名称の祭事が既にあって、アドバイザー氏はその名称に触発されて、処刑神話を思いついたのではないか。
その場合は前記1と2の順番が逆になる。そして、やはり「過」に着目して卦を展開していったことになる。
☆「事実」は何なのか
アドバイザー氏が「過」を見つめてほしいとしきりに言っているのだから、重ねて62雷山小過=「限度を少し過ぎる」、28沢風大過=「背負った大きな重荷」を見つめてみよう。
小過は「少し過ぎる」であるから近い過去である。大過は「大きく過ぎる」であるから遠い過去である。それらを過ぎて越えてきてしまったという。アドバイザー氏はしきりに時代が過ぎ行くことを、伝えたがっている。
「イエスの処刑は昔のことだ」と言いたいのだろうか。「出エジプトは近過去でした」と言いたいのであろうか。
そんなことではあるまい。彼はすでに、これらはフィクションだと言い切っている。フィクションであれば、過去だの現在だのは関係がない。するとノン・フィクションつまり、時間や時代の経過に密接に関連して問題にすべき「事実」とは、何なのか。
☆『聖書』成立年代を述べている
答えは「我々が『聖書』を書いた」である。「フィクションを書いた」のは「事実」なのである。すると、「その事実は遠い過去であった」というのか。それはおかしい。これだけ膨大なものを書いておいて、「大昔に書きました」は変である。
残る答えは、「我々は『聖書』を書いた。その執筆対象となった舞台と時代は、大きく過ぎた。遠過去であった」なのである。つまり『聖書』成立年代を述べているのである。
学説にしたがうと、『聖書』の各文書は、西暦50〜100年までに書かれたことになるのだが、それは間違いなのである。これでは小過去になってしまう。では、いつ頃書かれたのか。それを知る手がかりは、イエスが死後三日目に復活したという神話に隠してあった。
☆処刑から復活にかけての記述
すべてフィクションと知って、本当に気が抜けてしまったが、著者としの責任上、以下にイエスの復活と『聖書』成立年代について、易学の立場から述べておく。
まず復活から。
『聖書』には、イエスは週の六日目すなわち金曜日に処刑され、翌週の初日すなわち日曜に復活したとある。この奇跡を記念してキリスト教会で行われているのが、日曜日のミサ(カトリック)や礼拝(プロテスタント)である。特に春分後の最初の満月の次の日曜のそれは、イースターすなわち復活祭と呼ばれる大祭で、ミサ/礼拝の後にはお祭り気分でバザーなどが開かれる。カラフリルな茹でタマゴが売られ、古着・不用品が青空市に積み上げられる。
復活したイエスは十二人の使徒のうちユダを除く十一人の使徒や信徒たちの前に姿を見せるが、復活40日目に昇天して姿を消す。その10日後に、今度は聖霊が使徒たちに啓示を下し、これより各地への布教活動が始まる。
刑死した人間が復活するのかどうかは、もはや論外だから本稿としては取り合わない。問答無用である。注目したいのは、処刑から復活にかけての部分だけが、週の何日目と限定して書かれている点である。イエス誕生や各地での説法物語には、そういうことがなかった。
☆二つのミスマッチな卦
アドバイザー氏がわざわざ週の何日目という表現を押し出してきたのだから、それにしたがってみよう。
なお、この時代は一週間の各曜日名はなかったのだが、便宜上、現行の曜日名を使用した。また、この時代の一日の始まりは日没なので、金曜日とあるのは、現在の木曜日の日没から金曜日の日没直前までを指している。以下はそれらの点を念頭において読み進めていただきたい。
さて、金曜日の処刑を目印にして、イエスの挙動を配置してみる。現在の我々が過ごす1年52週のうちの一週間を念頭に置くのではなく、天地創造に表現された最初の一週間だけを念頭に置いて配置してみる。すると、図18のようになる。
イエスは祭典初日すなわち金曜の夜に「最後の晩餐」を行い、その後、捕縛→審問と進み、夕方直前に処刑されたのだから、43沢天夬=「裁かれ決去(処刑)される邪魔者」であることはすでに述べた。
金曜日は序次1乾為天が来る。中心的な教義は「満ち溢れた生気」。あれ?あれ?読者の中には気づいていた方もおられよう。Aで処刑の話をする際には、私は触れずに通り越してきた。処刑日が「満ち溢れた生気」ではミスマッチもはなはだしいではないか。
あれ?あれ?はさらにつづく。日曜日は復活なのに、配されるのは、序次33天山遯。その中心的な意義は「逃げるが勝ち」。復活が逃亡とイコール関係ではまずい。やはりミスマッチである。ミスマッチな卦が二つもつづいた。
ここに、「ペトロの三度否定→鶏のコケコッコー」をわざわざ挿入した理由が出て来るのである。
☆#五日間飛ばし#
ペトロの鶏のエピソードでは、序次12天地否と序次33天山遯が示されているが、これは「天山遯の否定」すなわち「復活の日は序次33天山遯ではないゾ」を示していたのである。もっと言えば、「天地創造に依存した一週間十二消長卦の配置を動かして、復活の日を天山遯ではなく、復活に最もふさわしい序次24地雷復とせよ」、ということである。こうすると処刑日は、序次23山地剥=「山崩れの危険」で、最後の晩餐の座席配置の卦となるとともに、その裏卦は処刑そのものの沢天夬だから、ストーリー展開とピッタリになる。図18下段のように、五日分移動させるのである。言ってみれば、"五日間飛ばし"である。この解読手法は、定石化されたものでも、解読技術として明記されているものでもない。強いて言えば、易学を知悉する者同士の暗黙の習慣・作法のようなものである。アドバイザー氏はその習慣に依存して、ペトロの鶏のエピソードを挿入したことになる。
漢字文化圏の言語伝達には、こういう伝達のあり方があったために、論理学はあまり必要とされなかった。そして発達しなかった。ただし、発達しなかったことが悪いことなのかどうかは、別の問題である。
☆西暦300年代
こういう序次の展開になると、文書の書き手と読み手が、協調・共感・共鳴しながら想像力をはたらかせ、書き手が直接的に述べないことを、読み手側の想像次元で解釈していくほかないのである。表意文字・象形文字の漢字文化圏であるからこそ可能であった。
したがって、以下は私の想像で展開した帰結である。
アドバイザー氏は、「過ぎ越し」を「時代が大きく過ぎる」と解釈しなおして"五日間飛ばし"を打ったのである。そうは言っても、たった五日間が「時代が大きく過ぎる」とイコール関係にはならない。しかし、1日を1元つまり60年としてみると、飛ばした五日間は300年を指していることになる。西暦元年+300年なのであるから、『聖書』が書かれたのは西暦301〜360年の間であった、ということになる。
奇しくも、小説『ダ・ヴィンチ・コード』(角川書店)では、中世に発足した秘密結社シオン修道会などの伝承として、現在の新約聖書は西暦300年代に、ローマのコンスタンチヌス大帝により編纂されたものだとする説が、実際にあることを紹介している。そこではイエスの実在や旧約についてまでは否定していないが、どうやら西暦300年代がキリスト教の真実を探るポイントであることは、確かなようである。、
☆炭素年代測定法との食い違い
年代と言えば、炭素年代測定法にもとづく『聖書』成立年代の問題を取り上げなければならない。本稿に展開した『聖書』成立論は、あらゆる学説を向こうに回すことになる。特に、科学的な年代測定法を踏まえた反論があるとすれば、易学説と科学的年代日測定法説は、対立平行線のままになる。
科学的な年代測定法については、通俗的な本に書かれている以上のことを知らないが、資料採取の方法などによっては、ある程度の測定誤差が出る場合もあるのだと理解している。
本稿が展開してみせた『聖書』構成上の主張は、長い歳月を経て受け入れられるでろうから、その頃には科学的年代測定法の側が、本稿の主張を追認することになると思う。
科学も"合理的な誤魔化し"を、しばしば行うようであるから、現時点で科学側の誤魔化しがあるとすれば、時代の流れに応じて訂正してくることになる。それが早いことを期待している。
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