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聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!〜T イエスの誕生年=西暦元年は、易学の論理で「革命の年」に設定された@『古事記』『日本書紀』のトリックと西暦元年 Aまるで説明がつかないローマの見解 B史上初の西暦元年成立論となるか C旧約と新約の要点 @『古事記』『日本書紀』のトリックと西暦元年☆易学の強い影響下で『聖書』は成立している 歴史の教科書では、初代天皇である神武天皇の実在は疑わしいとしている。神武天皇をご祭神とする橿原神宮や神道関係者の意義申し立ては受け付けない。一方、イエス・キリストについては実在の人物であるかのように教え、その誕生日=クリスマスを祝うことも奨励する。しかし非信者の立場で『聖書』を隅から隅まできちんと読めば、『古事記』『日本書紀』を読んで神武天皇の実在を疑うように、当然のごとくイエス・キリストの実在も疑わしく感じるものである。だからキリスト教会では、キリスト教に多少興味がある程度の人々には、敢えて『聖書』をきちんと読むことを勧めない。信仰心を持たせるために都合のよい箇所だけを読むように教える。そもそもクリスマスが12月25日だということも、十字架で刑死した年月日も、裏付ける史跡や文献はまったくない。『聖書』と周辺の史料を元にして、キリスト教会が認定した年月日が語られているだけであるが、それをそのまま信じるだけである。 ☆予想される二つの疑い ただし、『聖書』が易学で加工されたとすると、二つの点から疑いが生まれる。 ☆易学西暦元年は皇紀元年と同じ辛酉歳だ 『聖書』を疑うようになったそもそものきっかけは、次のようなことだった。 ☆イエスの誕生日=クリスマスの日付はデタラメだ 12月24日をクリスマス・イブ、25日をクリスマスと言う。現代は午前0時に日付が変わるから、イブはクリスマスの前日となっている。しかし古代ローマ時代はイブもクリスマスも同じ25日だった。その頃の日付は日没で変わったのだ。夕方から夕方までが一日なのだ。夜から始まって朝〜昼を経て夕方になって一日が終わる。イブというのはイブニングすなわち夜の略で、クリスマスの夜を指した言葉なのだ。 |
Aまるで説明がつかないローマの見解☆西暦元年の決定事情『聖書』にあるイエスの誕生年を元にして西暦元年を決定した事情から、私は検証することにした。「時間の経過にともなう変化の意味を特定する」という易学の特徴を念頭に置くと、「イエスの誕生年を西暦元年とすべし」と決定する経過の中に、易学的に意味づけした痕跡が見いだせるならば、易学の影響があったと推定できるからだ。そして、こういう書き出し方をする以上、私には「ある」という勘がひらめいていた。 ☆年月日の表記法 検証に入るに先立って、年月日の表記法について触れておきたい。 ☆「辛酉」という言葉は十干十二支に由来する十干十二支のこの漢字群は、漢字という表意文字であることから、一文字一文字には何らかの意味がある。しかし、ある時期から、その意味を棚上げにして組み合わせ、六十までの数を表現する記号として用いるようになり、時の刻みを記録する記号としても使うようになった。その結果、六十で一巡する暦や時の刻みの記号として定着した。参考までに十干十二支の計六十の組み合わせすべてを列挙すると、次のようになる。 |
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先に触れた ☆六十四卦で変化の規則性を整理 さて、花が咲きやがてまた散るように、時が経過すれば事象には変化が起きる。その変化に何か規則性・法則性はないだろうか?その規則性・法則性にもとづいて変化を予測できれば、例えば災いを避けることができる。 |
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☆『ルカによる福音書』によって決めた イエスの誕生年は、史実の裏づけを欠いたままキリスト教会が決定したものであることは既に話したが、具体的には以下のようなことだった。 ☆僧院長ディオニシウスの判断 僧院長ディオニシウスは、「ルカによる福音書」を根拠にして、次のように考えたと思われる。 ☆説得力のあった反論 西暦年号が普及すると「それは間違いだ」とする反論が出た。「マタイによる福音書」によると、イエスはユダヤのヘロデ王の時に生まれたとあり、そのヘロデ王は当時の歴史文書によると、西暦紀元前4年に死んでいる。すると、イエスの誕生年は西暦紀元前4年より前でなければならないことになる。 ☆紀元を改めたい理由はわかるが 旧紀元を廃して、西暦紀元をなぜ新たに決定する必要があったのかについては、前記の永田著に記されている。 ☆なぜ「マタイによる福音書」を無視したのか 第一に、西暦元年を決定した西暦532年頃はキリスト教は普及しており、聖職者であれば『聖書』を手元に置いてしっかり読んでいたはずである。ラテン語訳『聖書』は120年以上前の西暦405年頃にできあがっている。するとイエスの誕生年を推測する根拠が『聖書』中のどこにあるのかは、すぐにわかって当然である。 ☆決定の背景にどんな事情があったのか 第二に、当時ローマ帝国は四分五裂して消滅し、フランク王国、東西ゴート王国などが成立していたが、ローマ教会はそれら諸国からは独立的な立場を保持していた。そういう立場で公式の暦を決定しようとすれば、各国、各種勢力からの働きかけが錯綜するはずだから、たとえ博識で信頼厚い僧院長の案だとしても、そのまますんなり通るとは考えにくい。 ☆法王の命令で設定できるのに 第三に、後年になってイエス誕生年の決定に誤りのあったことに気づいたら、その時点で新しい元年を制定することができたはずだ。ローマ法王の権威をもってすれば押し通せたはずである。ITネットワークが浸透した今日でも、ソフトをほんのちょっといじればどんな暦法にでも直せるので、世界的合意が成立すれば、やってやれないことではない。 ☆揺れ動いていた人心 私は、当時のヨーロッパ事情も関係しているとみて、西暦300年から600年にかけての地中海周辺のヨーロッパを検討してみた。すると、西暦元年をどうしてもイエスの誕生年と重ねたくなる事情がほの見えてきた。 ☆浸透するキリスト教信仰 これらが背景となって、キリスト教徒にたいする大弾圧がたびたびあったのだが、西暦313年になると、コンスタンチヌス大帝によってキリスト教は公認されるようになった。コンスタンチヌス大帝は、事実上大衆的に浸透してしまったキリスト教を受け入れ、改めて帝国を統一・安定した状態に導こうとしたのであった。 ☆ローマ教会のもくろみ 古くから、洋の東西を問わず、突出した力と権威を持つようになった支配者は、「時」についても支配するようになる。「時」は天の運行を基準にするから、支配者が「時」を支配することは、支配者が天と同格または天の代弁者に位置づけられることを意味する。具体的には、それまでとは異なる新しい暦を制定し、人々に受け入れさせる。 ☆共有された封印X 以上のように当時のヨーロッパ事情を通覧してみれば、僧院長ディオニシウスたちがイエスの誕生年と合致させる形で、急いで新たな西暦元年を決定した事情は推察できるのだが、そのように推察できても、「マタイによる福音書」のような重要文書を視野からスッポリ外してしまった理由については、まるで説明がつかない。 |
B史上初の西暦元年成立論となるか☆西暦元年は辛酉歳に当たる そこで私は、この西暦元年が辛酉歳だということに着目し、『記・紀』解読の手法が生きるのではないかと直感して、易学的に検証してみることにしたのである。すると、驚くべき結果がいとも簡単に立ち現れることになった。 ☆辛酉歳は神話と構造的につながる もちろん、こういう推測が成立するためには、『聖書』成立当時の編集・執筆者たちが、易学を理解しているか、理解していなくても易学の指摘を受け入れるような経過があったことが前提になる。 ☆封印Xの一項目 では、元年という時代開始に関する易学の考え方を、僧院長ディオニシウスたちは理解していたのであろうか。私は理解していなかったと思う。だが、 ☆単なる偶然ではない 「イエスの誕生年=辛酉歳」を、単なる偶然の一致であるとして、否定することもできる。60分の1の確率だから、この程度の偶然はあっても不思議ではない。 ☆大胆な仮説 私は、大それた問題提起してしまった。あまりにも大幅な仮説を提出してしまった。易学に長年親しむと、西暦年数と十干十二支の時の刻みの関係は、スムーズに思い浮かぶので、西暦元年が辛酉歳となるに違いないという見当は、最初からついていたのは確かだ。しかし、こうして正式に結果を出してみると、改めて感動がこみ上げてくる。 ☆1260年ごとの辛酉歳 辛酉歳というものをさらに説明しておきたい。 ☆その通りになったのかどうかは重要でない 例えば近年では、西暦1981年が辛酉歳であった。この年、アメリカではレーガンが、フランスではミッテランが、エジプトではサダト大統領暗殺後にムバラクが、それぞれ大統領に就任している。日本は鈴木善幸内閣下での公務員二法の成立程度である。そして、何よりも同年五月に、ローマ法王ヨハネ・パウロU世が狙撃され重傷を負うという事件があった。死亡していたら「辛酉革命成立」といえるところであった。 ☆旧約時代〜新約時代への転換を正当化するために 似たような姿は現代にもある。例えば、不況があれば事態をケインズ流に解釈し、予測を立て、対策を実施することがあるし、少し前までは社会的騒動が起きるとマルクス流解釈が、どれほど妥当であるかの検証はそこそこであっても、エリートたちは正しいと確信して、しきりにケインズ流やマルクス流のスジ書きを使っていた。 |
C旧約と新約の要点☆『聖書』は二部構成 ここから先を展開するためには、読者と私とが、『聖書』について最小限の知識を共有しておく必要がある。 ☆『聖書』編集・執筆者たち旧約は39の文書から成り、新約は27の文書から成っている。各文書名とその配列は次のとおり。 旧約聖書 新約聖書 これらの文書名は以下でたびたび取り上げるので、読者の便のために略式で書くようにした。例えば、「マタイによる福音書」では……とすべきところを、略式の「マタイ」では……、とした。混乱を感じられた方はここに列記した正式な文書名を確認していただきたい。 ☆旧約の内容 まず、旧約の内容から。 [中心的ないくつかの主題] [その他] ☆旧約はユダヤ民族史 旧約全体は、ひとことで言えば、古代ユダヤ人の民族史である。各文書の原型は古代ユダヤ人ばかりでなく他の中東地域の人々のあいだで語り継がれた伝承もある。例えば、ノアの大洪水の話やエデンの園の話は、古代バビロニアつまり現在のイラクのチグリス・ユーフラテス川下流域で生まれた『ギリガメシュ叙事詩』に由来している。 ☆新約の内容次に新約の内容に移る。 [日本でよく知られている新約聖書中の物語] [中心的ないくつかの主題] [その他] |
最終更新日:令和02年08月27日 学易有丘会
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