Tweet |
|
A方位を限定明記する怪しさ☆他の箇所は地名と人名だけなのに いよいよ「東方の三博士」の易学的構造を、九星で検証してみよう。 ☆学者たちの動き=九星の星の動き そこで、「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」の一文にある学者たちの「東→西」の動きだが、これは基本形で東にある「三」の「東→西」への移動を暗示している、と読み取ればどうなるのか。基本形で東にあった「三」が西に移動している年は、「一」が中央の年である。参考までに、「一」が中央の方位盤は上に提示した図1-Cに示してある。基本形の図1-Aとくらべてみていただきたい。 ☆易学のわかる人に伝わるような仕掛け つまり「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」の一文は、間違いなく、 ☆九星上のベツレヘムの位置 物語に織り込まれた九星の星の動きは、これだけではない。 ☆『ルカ』のベツレヘム このように物語の仕掛けがわかってしまうと、「イエスはベツレヘムで生まれた」は、事実かどうか怪しくなる。仮に事実であるとしても、物語にベツレヘムという地名をわざわざ挿入したねらいは、何としても、イエス誕生年=方位盤の中央が「一」の年、であることを強調するためであったと言える。イエスの誕生地をベツレヘムにしたのは、あくまでも方位盤に合致させたいからであったと理解できる。 ☆聖書神話の二面性 易学を心得ているか、易学を心得た人物の影響を受け入れた『聖書』編集・執筆者たちが、「イエス誕生は辛酉歳の出来事だったのだ」と、未来のいつの日にか易学的に読み解いてもらえることを願っていたからこそ、いっそう確実に読み解いてもらうために、イエス誕生物語を「マタイ」に見るように加工した……私はそう考えている。 ☆二重安全装置 易学的に物語りを展開していくと、どうしても暗喩・比喩が多くなる。そのように創られた物語であると、解読段階で頻繁な類推作業が必要になる。すると、ちょっとした手違いで読み解かれるべき事項が、読み解かれずに終わってしまう。読み間違えられてしまうこともある。 ☆歴史学の"正しい誤り" 三博士が去ったあとの話に出て来るヘロデ王の死も、"イエス誕生年=方位盤の中央が「一」の年"を補完している。つまり、ヘロデ王の死亡事実は『聖書』に明記されていて、それを他の史料で確認すると、死亡年が西暦前四年以前だとわかる。西暦前四年の方位盤は「五」が中央の基本形の年である。その基本形では、「三」は東にあり、イヤでも東方の三博士を連想させる。すなわちここで基本形を呈示し、"三博士は方位盤の「三」ですよ"と示唆するために、ヘロデ王を登場させ、そこに注目がいくように仕組んだのである。 ☆ユダヤ民族気質にもマッチ 九星の方位盤の中央が「一」は九年に一回巡ってくる。十干十二支の辛酉歳は六十年に一回巡ってくる。両者が重なり合う"方位盤の中央が「一」の辛酉歳"は、180年に一回しかない。つまり九と六十の最小公倍数である。180分の1の確率は偶然では片付かない。180年に一回の年を、なんとしてでもイエスの誕生年にしておきたいという執念によって、事実とは関係なしにイエスの誕生年は決定されている。 |
B易学のストーリー構成力を借りて☆学者たちが帰ってからいったん易学を離れよう。そして、一般的に語られているイエスの歩みの一端を見ておきたい。まず、先の引用文につづく箇所をここで引用する。 「占星術の学者たちが帰っていくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」 ☆以前からの指摘 引用文の表向きのストーリー展開に関連して、六つの指摘が以前からあった。旧約聖書の内容にピッタリ照応するように、新約聖書においてイエスの歩みが説明されている……とする指摘である。 ☆イエスの歩みに投影された「創世記」と「出エジプト記」 この「創世記」と「出エジプト記」の中身が、新約聖書においてイエスの歩みにそっくり投影されている。簡単に紹介しておこう。 ☆異質な「ルカ」 こう見てくると、アブラハム以降の要所要所は、イエスの短い生涯の中で全て体現・再現されたものとして、新約聖書においてイエスの生涯が描かれている。『聖書』編集・執筆者たちは、そう描くことによって、イエスの神秘性とユダヤ民族の頂点に立つ者(王)であることの二点を、クローズアップしたかったのであろう。 ☆「ルカ」はユダヤ暦元年を計算するための標識 本書には、西暦紀元やローマ建国紀元が出てくる他に、易学上の四種類の表記記号が出てくる。それによる読者の混乱を恐れて、これまで一切触れないようにしてきたが、実は「ルカ」の「飼い葉桶に寝かされた救い主」の物語は、ユダヤ暦元年を計算する上での、決定的な標識を成しているのである。 ☆びっくり仰天のはず それによって「ユダヤ史との連続性を主張しつつ、ユダヤの歴史を革新する」というキリスト教側の意図を具体化している。なかなか歴史意識にたけた編集・執筆者であったらしい。だから、私としては、触れないようにしてきたユダヤ暦も、俎上にのせなければならなくなった。 ☆僧院長ディオニシウスとの関係 本章の最後に、本章冒頭で問題提起した僧院長ディオニシウスと「マタイ」との関係について答えよう。以上の九星の論理の展開をご覧になってわかるように、非漢字文化圏の人々にてっては、九星の把握は困難である。 このページのトップへ |
最終更新日:令和02年08月27日 学易有丘会
Copyright Heisei12th〜Reiwa2nd(2660〜2680) (C)2000〜2020 GakuEki-UQkai
当サイトの内容はすべて無断転載を禁止します