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[ 「過ぎ越しの祭り」も「出エジプト」も易学的に構成されている
〜十字架はイエスの処刑を意味していない〜

@「出エジプト記」は易学で加工されている A海が二つに分かれる卦 B十字架は宗教支配の理想的な姿を象徴

@「出エジプト記」は易学で加工されている

☆ユダヤの三大祭の一つ

 ユダヤでは古くから、春分後の最初の満月の頃、「種なしパンの祭り」(除酵祭)が行われている。イースト菌を入れずに焼いた固いパンを七日間食べる祭りで、別名を「()()しの祭り」(過越祭)ともいう。『聖書』では、イエスはその「過ぎ越しの祭り」の初日に捕縛・処刑されたとしている。ただし、これは日没を一日の始まりとする当時のユダヤの日付にしたがった言い方で、現代流に言えば、初日の夜に捕縛され、翌日に処刑された、ということになる。
 学説にしたがえば、「種なしパンの祭り」は元々は農耕民の大麦収穫祭であった。一方、「過ぎ越しの祭り」は元々は牧畜民の魔除けの儀礼であったものが、一日だけ行われる一種の犠牲祭に転化したものだった。羊や山羊を殺してその血を戸口に塗り、肉はその日のうちに食べた。
 この二つが結び付けられ、ユダヤ教の教義を裏付けにしてひとつの祭礼として祝われるようになったのが、「過ぎ越しの祭り」であった。前者の祭りは七日間、後者は厳密には、その初日だけを指すのだが、七日間全体を通じて「過ぎ越しの祭り」と呼ぶようにもなった。ユダヤの三大祭りのひとつになっている。

☆『出エジプト記』

 「過ぎ越しの祭り」という名称は「(しゅつ)エジプト記」に由来している。それを要約して述べておこう。

 エジプトで奴隷生活を送っていたイスラエルの民(ユダヤ人)の中に、モーセという人物が生まれた。モーセは成長すると人々のリーダー格になった。
 ある日、神はモーセにお告げを下した。
 「私は、お前たちを奴隷生活から解放しよう。そのためにはエジプトを征伐しなければならないが、町を無差別に攻撃すれば、お前たちにも被害がおよぶ。そこでお前たちが住む家の戸口に羊か山羊の血を塗って目印にしておけ。そうすればその目印のある家は過ぎ越して、目印のないエジプト人の家だけを攻撃する」
 モーセに引率されたイスラエルの民は、このお告げにしたがったので、エジプト人が神の攻撃に右往左往するのを横目に見ながら、まんまとエジプトを脱出することができた。それは彼らが奴隷となって丁度430年目が終わろうとする時だった。
 しかし、エジプト人もただ黙って引き下がったわけではなく、彼らを捕まえようとして追いかけ、ついには海の前に追い詰めた。そこで神は、海を二つに分けて道をつくり、イスラエルの民を通し、通し終えたところで分かれていた海を、再び元に戻して道をふさいだ。そのために、追手のエジプト人は海にのまれて全滅し、イスラエルの民は逃げることに成功した。そこから、自分たちが安心して住める土地を求める旅が始まった。
 このとき神が言った。
 「私が、イスラエルの民の家の前を過ぎ越して、エジプト人だけを攻撃したからこそ逃げられたのだ」と。また、このことを未来永劫忘れないようにと、神が彼らに命じて命名したのが「過ぎ越しの祭り」であった。さらに、エジプト脱出の際には、イスラエルの民に命じて「逃げるためには急いで種なしパンを食べよ」と指示し、イスラエルの民はまだイースト菌(酵母菌)を入れていないパンの練り粉を持って逃げた。これにちなんで「種なしパンの祭り」とも名付けられた。

☆「過」の字がヒントに

 この「過ぎ越し」という名称には、どなたも違和感を覚えるであろう。
 動詞が名詞に熟さないまま名称に使われている。この名称が誕生して長い歳月を経ないうちに文書化されたために、それが固定してしまったことをうかがわせる。「川の流れの上手の太郎」→「川上の太郎」→「川上太郎」のような、安定した名詞として熟すための歳月の経過がなかった証拠である。
 この熟さない名称のおかげで、易学をどう適用すれば良いかが、スッと見えるきっかけになった。
 「過」の字が使用されているのは、序次28沢風大過(たくふうたいか)と序次62雷山小過(らいざんしょうか)、中心的な意義はそれぞれ「背負った大きな荷物」「限度を少し過ぎる」。
 ここまで辿れば、易学を知る者には全部わかる。結論から言うと、「出エジプト記」は創作の際に易学で加工されたものだった。もちろん例のアドバイザー氏によってである。

A海が二つに分かれる卦

☆雷山小過を変化させてみる

 仕掛けを明かそう。
 まず、"奴隷生活の430年の終わりに「過ぎ越し」があり、それによりイスラエルの民は旅に出た"というストーリーの骨格を、しっかり念頭に置いてほしい。さらに、430年という数字は、前後のストーリーとは何の脈絡もなく唐突に挙げられたもので、神学でも意味不明としていることも念頭に置いてほしい。
 次に、説明を省くが、これは序次62雷山小過を中心にした時間の経過による卦の変化に照応しているのである。過去・現在・未来に分けて卦を展開していくのである。
 どういうことか。
 図12を見ていただきたい。
イ まず、序次62雷山小過を、過去・現在・未来の「現在」に位置付ける。
ロ 序次62の卦の図形の底の陰を、陽に変化させると序次55雷火豊(らいかほう)となり、これを「過去」に位置付ける。中心的な意義は「昼過ぎて傾く太陽」。
ハ 序次62雷山小過の卦の図形の上辺の陰を陽に変化させると序次56火山旅(かざんりょ)となり、これを「未来」に位置づける。中心的な意義は「歓迎される謙虚な旅人」。

☆430年のでどころ

 すると、次の事が明らかになる。
1 「過ぎ越し」の過去である55雷火豊を、八卦と数の関係によって数字に置き換えると、4と3の組み合わせになる。これで430年の出どころがハッキリした。
2 「過ぎ越し」の未来は、安住の地を求める旅であった。62雷山小過の上辺を変じて未来に位置づけた56火山旅も文字どおり「旅」を意味している。
3 62雷山小過は、構成する記号を二本で一本と見なして坎の意味も含むとされ、その坎には身体の中を流れる液体として「血」の意味があるから、物語にある"神はイスラエルの民の家の戸口にある血の目印を過ぎ越した"に照応する。図13A。なお、二本で一本であることから、俗に大坎(だいかん)とも呼ばれ、同様に、19地沢臨(ちたくりん)大震(だいしん)、20風地観(ふうちかん)大艮(だいごん)、33天山遯(てんざんとん)大巽(だいそん)、34雷天大壮(らいてんたいそう)大兌(だいだ)、61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)大離(だいり)と呼ばれてもいる。

☆「海を二つに分ける」卦

 さらにXーBの辛酉革命を示す卦の説明で披露した裏卦(りか)を使う。文字どおりオモテの卦の六本の陰陽をすべて逆にした卦である。本来に位置づけられた序次50火山旅の裏卦は序次60水沢節(すいたくせつ)となり、中心的な意義は「節度をわきまえて」となる。これが、有名な「海が二つに分かれる」物語の下地なのだ。
 説明しよう。物語では、「過ぎ越し」でエジプトを脱したイスラエルの民が、安住の地を求めて旅する途中で海辺に追い詰められたのであるが、神は海の水を分けて道を通し救っている。60水沢節の形を見ると、上は坎で水、下は兌で「分ける」という意味があるから、中心的な意義の「節度をわきまえて」を拡大発展させた「水を分ける」に到達する。すなわち、海が分けられたのである。図13B。
 映画のあの大スペクタクル、『聖書』に初めて触れた頃に抱いた神の奇跡のイメージが、実はこんな仕掛けから生まれていたのだ。私は今、なんだかヘナヘナと脱力する感じで書いている。キリスト教を批判的に見ていたとしても、それは教義に対してであって、物語としてはそれなりに評価していたのだが、そんな『聖書』に寄せていた想い、それもここまで進んできても、なおかつ残っていた夢が、木っ端みじんに吹っ飛んでしまった。
 もしかすると、ユダヤ民族それぞれにキリスト教徒の共同幻想の源が、この『聖書』解読作業によって蒸発してしまうかもしれない。

☆史実であったとしても

 それはともかく、この物語は、潮の干満によって海底が現れたり沈んだりする自然現象を、古代人が神業だと恐れて作り上げた伝説ではないかとも言われてきた。しかし、仮にそういう伝説をヒントにして作られたとしても、火山旅→水沢節によって、易学的な意味の連続性が、明確に担保されているのは確かである。
 また、「過ぎ越しの祭り」という祭事は、「出エジプト記」以降、旧約・新約のいずれにも頻繁に出て来る。そうなると、アドバイザー氏らが『聖書』を編集・執筆した時点よりずっと昔から「過ぎ越しの祭り」はあったはずであり、アドバイザー氏の創作への関与はあり得ない……こういう指摘もあるであろう。また、歴史学では西暦紀元前1230年にモーセらの出エジプトがあったとしている。ただし、海が二つに分かれたとまではしていない。
 これらについての答えは、「出エジプト記」を創作する際に、歴史上の実際にあった事実や既に成立していた祭事神話を敷衍・応用・展開し、やはり易学的に意味の連続性を確保した……となる。

☆イエスの立場を示唆している

 裏卦は、オモテの卦が示す事象に付随するエピソードというニュアンスを持つ。海の水を分けて通したというのは、確かにモーセたちの旅の途中のエピソードだった。
 だがしかし、「ほ〜ら、易学で解読すると、出エジプトも、こんなことだったと分かるでしょ。以上でオシマイ、シャンシャン」で済む問題ではない。いったい何のためにこんな手の込んだことを、アドバイザー氏は仕掛けたのであろうか?これが最大のナゾである。
 今のこの時点で視野にチラついているのは、序次28沢風大過=「背負った大きな荷物」がイエスの立場を示唆していることである。
 「過ぎ越し」の「過」、沢風大過の「過」、雷山小過の「過」とあるように、「過」の字に意識がどうしても行く。おそらくアドバイザー氏はイエスの「背負った大きな荷物」を展開するに先立って、「出エジプト」の物語を創作して「過」の字に徹底的に注目させようとしたのであろう。

B十字架は宗教支配の理想的な姿を象徴

☆卦の図形記号からの連想

 そこでいよいよ、序次28沢風大過「背負った大きな荷物」の解読に踏み込んでいくのであるが、その前にZーA(前のページ)で触れた十字架について、重ねて説明しておきたい。
 漢字の原型は象形文字である。字の形から実物を推定できる。実物が文字に投影されている。この伝統があるために、卦の図形記号を手掛かりにして実物を連想することは、易学では初歩的な定石になっている。
 そればかりか、卦の図形記号から連想させるモノが、実際に発明されたことすらしばしばあった。これについては『易経』の「繋辞伝(けいじでん)」というところに豊富な実例紹介がある。例えば、序次42風雷益(ふうらいえき)=「利益を得るチャンス」からは、農具の(すき)が発明されたとある。
 日本の神社に建てられている鳥居は、序次20風地観(ふうちかん)=「よく観察して慎重に」からヒントを得て作られている。図14Aを見てほしい。加えて神道という言葉の語源そのものも、『易経』のこの風地観を説明する文章中の「天の神道を()る」に由来している。これは『記・紀』研究家の津田左右吉も指摘していた。
 このように卦の図形と実物の関係を念頭に置くと、ZーA(前のページ)で述べた"メトシェラに配された序次8水地比(すいちひ)=「王と親しむ民衆」は、十字架を連想させる"は、易学上の正統な手続きにしたがっていることを知っていただきたい。改めて図14Bを見てほしい。

☆水地比の様々な意味

 メトシェラとイエスが「あまり1」を介して重なると述べた。重なるのは十字架だけではない。他の意味・意義も重なってくる。

1 水地比では水を意味する(かん)が、大地を意味する(こん)の上を覆っている。これは天地創造三日目に照応する卦でもあった。そこではこれを海とした。
 イ 大地の上に水があれば、大地はその水と親しみ、従順に受け入れ、浸み込ませる。ここから「親しむ」という意味が発生する。
 ロ 坎は険難な敵や悪人、坤は「順う」という意味を持つから、『聖書』の中でも有名な「マタイ」の山上の説法「敵や悪人と親しみ、彼らに従順であれ」というイエスの教えを、読み取ることもできる。
2 易学の基本では、六本の陰陽の記号で表現される卦の図形のうち、最下を庶民、下から二、三、四番目を臣下、五番目を君主、最上の位置を学者とする。このルールを水地比に当てはめると、下から五番目の君主だけが陽なので、次の内容を形として表現していることになる。
 イ ただ一人の権力者にすべての人々が親しみを持って、ひたすら従っている様子、手短に言えば独裁者と彼に従う民衆。
 ロ 権力者が一人だけなので、彼の言葉こそ唯一絶対の真理だと信じ、人々が仰いでいる。
 ハ 上のイとロから転じて、『聖書』が描くイエスと信徒との関係、教えと信徒の関係を指し示している。つまり教祖・教義・信徒の理想的関係を表現していることになる。

☆水地比は宗教支配の理想

 これで水地比は読み解き終えた。
 今度はキョトンとしてしまった。なんとまあ、死刑の「死」の字はどこにも出てこないではないか。十字架は、むしろキリスト教のような宗教の理想的な姿をシンボル化した図像であったのだ。
 そうだとすると、元々のスタート時のキリスト教は、イエスが十字架にかけられて処刑されたから十字架をシンボルにしたのではなく、「水地比の形に合わせることこそ宗教支配の理想だ」と確信して、十字架を考案したことになる。
 「この十字架シンボルを前面に押し出し、この卦の意義から教えを導き出して展開すれば、人々は感動して従い、理想の教義・教団が育っていくはず」という発想から、山上の説法などが次々と創られ、イエス処刑物語が制作されたことになる。
 したがって、易学的に言えば、どの話も人々の感動を期待して創作されたとしか、言いようがないのである。
 いよいよ最後の詰めとして、処刑そのものの検証に進もう。

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\ イエス処刑に至る『聖書』の記述は、『易経』の丸写しであった〜『聖書』は西暦300年代に書かれた〜

も く じ

〇ごあいさつ

T イエスの誕生年=西暦元年は、 易学の論理で「革命の年」に設定された
@『古事記』『日本書紀』のトリックと西暦元年
 Aまるで説明がつかないローマの見解 B史上初の西暦元年成立論となるか C旧約と新約の要点

U 「東方の三博士」の話には、易学に根ざした九星の論理が貫徹していた!
@九星という年回りを確定する技術
 A方位を限定明記する怪しさ B易学のストーリー構成力を借りて

V 聖母マリアの処女懐胎物語は、司馬遷『史記』のコピーである〜中国文化の影響は易学以外にも見いだせる〜
@多くの人から疑われていた
 A『史記』解釈上の新発見か B墨子の思想はキリスト教と似ている

W 「ユダヤ暦元年」算出根拠は、まさに易学そのものに依っている〜易学の卦を絶妙に展開して文章化している〜
@ユダヤ暦元年を算出する糸口
 A中国人編集アドバイザーを想定すると B徹底的に易学で組み立てられている C序次24地雷復を絶妙に展開して D易学とは何か

X 天地創造の六日間は、序次1〜14と完全に合致している〜『聖書』全体を易学で読み解くべきことを示唆〜
@読み解いて拍子抜けする
 Aアダム930歳の出どころ B一度に三つのメッセージ

Y ノアの箱舟神話は、「新しい時代の始まり」を告げていた〜洪水神話の易学的構成〜
@ノアの家族構成が示すもの
 A絶妙な連動性

Z 太祖たちからイエスにつながる系譜は、十字架そのものを暗示している〜アダムたちの法外な長寿の秘密〜
@太祖たちの法外な長寿
 A重大な秘密が仕掛けられていた

[ 「過ぎ越しの祭」も「出エジプト」も易学的に構成されている〜十字架はイエスの処刑を意味していない〜
@「出エジプト記」は易学で加工されている
 A海が二つに分かれる卦 B十字架は宗教支配の理想的な姿を象徴

\ イエス処刑に至る『聖書』の記述は、『易経』の丸写しであった〜『聖書』は西暦300年代に書かれた〜
@「ペトロが三度拒むと鶏が鳴いた」の卦
 Aすべてがフィクションであった B『聖書』は西暦300年代に書かれた

エピローグ
@なぜ『聖書』を偽作したのか
 Aみなさまからいただいたメッセージ

蛇足〜なぜ私は『聖書』に興味を持ったのか
@母と共益商社とGHQ
 Aキリスト教会に通ってみたら…… B「イマジン」が教えてくれた反キリスト教精神 C男尊女卑は神が決めた! Dオー・マイ・ゴッドの意味〜人間は神の奴隷? E「プリズナーNO.6」〜キリスト教信者は囚人と同じだ! F私の曾祖父は易者だった G人を救うのは真理ではなく、真実だ!

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最終更新日:令和02年08月27日 学易有丘会
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