海風通信 after season...



▲お馴染み、北の町の高台にある『中央公園』からの眺め。ベンチが無くなり、より「らしく」なりました。

 私にとっては非常に印象深い風景描写で、今も心に残る一コマではあったものの、実は私自身も含め、意外とどこのヨコハマ・ファンサイトでも採り上げることのなかった場所というものがあります。それが第120話『声』で、北の町の高台公園に辿り着く直前に描かれた、「切り通しの坂道」です。
 これ、すごく良い雰囲気を出していて、いかにもモデルとなった実在地がありそうな感じではあるのですが、不思議と話題に上ることがあまり無かったのですね。中央公園自体が位置的にはバッチリであったものの、園内施設のディティールがそれほど合致しなかったことから、この坂もそれほどのこだわりを持って考えられることがなかったのかも知れません。おそらくは、「これっきり坂」(*1)として有名な中央公園手前すぐの坂、あるいはそのさらに手前、県道26号線から『文化会館前』の交差点標識より文化会館に向かって上る坂道がソレなのでは?という意見は少数ながら聞き、私も「まぁ、順当に考えればそうなんでしょうねぇ…」くらいには思っておりました。
(*1)山口百恵『横須賀ストーリー』の歌詞に出てくる坂道の舞台地と推定され命名された呼称。諸説あり。
▲「これっきり坂」。ここを上ればスグに中央公園が見えるけど…。 ▲文化会館へと続く坂道。それなりに雰囲気はある。

 …ただし、ただしですよ!これだとあまりにも雰囲気に欠けるのですよ。もっとこう、細っそくて昼なお暗い古道的な坂道…まさに切り通し道のような場所は、探せば他にあるのではないでしょうか?そんな想いから、坂道細道路地迷宮のような上町・深田台を徹底的に歩いてみることにしました。
 万歩計アプリによる総歩数は38000歩!これにアップダウンが加わるから、そりゃぁもう大変な行程です。ヨコハマ・ファンの誰もが調べようとしなかった理由が、今さらながらに分かりました。(←遅いよ!)地元に住む人々の苦労を痛いほど体感しつつ、いざ、北の町高台を徘徊します。
▲小ざっぱりとした印象を受ける新・中央公園。 ▲新たなモニュメントは円形基調。あっ!?ココを円形にしましたか…。

 まずは、早10年ぶりの再訪ともなる横須賀中央公園から。2021年4月に「平和中央公園」としてリニューアルされたということで、どのような変貌を遂げたのかを比較検証するために訪れてみました。
 小ざっぱりとして、以前よりは洗練された印象を受けるものの、園内の大まかな雰囲気は変わりません。展望広場やそこに至る階段は、出来ればヨコハマ世界のような設定に再構築なんてされていたりしたら嬉しかったのですが、実際は工事の手は入ったものの大きな変化なし。ただ、展望広場を取り巻く石垣のすぐそばにあったベンチが無くなり、丸く囲われた石垣枠がより映えるようになって、「北の町の公園」らしさは増したように思います。けれどやっぱり私としては、あの展望台はいまだに第二海堡の中央砲台をイメージしてしまうのですけどね…。
 あと目立った所といえば、平和モニュメントが全く新しいものに変わっていました。以前のは趣旨が良く解らなかったし、うすら高くもあったから、ちょっと怖かったのですよね。今回のはコンパクトにまとまって未来的でもあるし、まぁ良いのではないでしょうか。実際、公園内のコッチ方面はヨコハマ・ファンにとっては特に注目や拘りを持って見ていたわけではありませんしね。かく言う私も、モニュメント以外の過去の記憶がまるで無いことに驚きました。
 ともあれ、もっさりとした樹木の植生が一新され、眺望の爽快感は格段に上がりました。あまりの気分の良さに、ここで早目のお昼ご飯を食べてしまったくらいです。平日の昼前は、訪れる人もほとんどいなくてさらに快適。ノンビリと腹ごしらえをして、坂道探しへと向かいましょう。
▲モニュメントの先にある広場。こんなのあったんですねー。 ▲第二海堡にある中央砲台台座。ここからの夜景も格別です。

 ロケーション的に最も有力と言える場所は、やはり「これっきり坂」が存在する深田台エリア。そこで、この付近一体の全ての小道をくまなく歩いてみることにしました。と、ここで何故いつも通りバイクを使わないのか?と言うと、この辺りとんでもなく道が細かったり、急だったり、行き止まりだったり、また突然に階段状になったりと、スゴく運転に気を遣うのですよ。加えてロケーション検証や写真撮影なんかで注意を分散させちゃうと、思わぬ事故を起こしかねません。そこで今回は安全性を考慮して、徒歩でじっくり・綿密に調査することにしたのです。
 この深田台エリアに至っては、本当に道の一本一本を歩いて回りました。ただし、結果は……あまり芳しい収穫を得られませんでした。先述の「文化会館へと続く道」が、どちらかというとやはり一番それらしいでしょうか。この文化会館への坂と南東に並行する住宅街の道も、それっぽい雰囲気はあるのですが、写真で紹介するほどのものでもありません。そもそもが、イイ感じに極細でバイク(車輛)が通れるような道って無いんですよ。ある程度道幅が細くなった坂道だったりすると、それは歩道となり、斜面である必要性も無くなることから、「階段」へと姿を変えてしまうのです。いくら雰囲気が良い場所を見つけたからと言って、そこが階段道路となっていたら、「バイクで通る」という作品上の設定を完全無視してしまうことになります。
 そんなわけで、このエリアでの洗い出しは一先ず終了させました。そしてなんとなく苦し紛れに、龍本寺手前から中央公園の外周を縫うように下りて行く坂道を見つけ、「とりあえず中央公園を大きく周回してみるか」と向かった先で、意外にもそれらしい坂を見つけることができました。
▲裏坂。写真で見る印象よりも長くて急です。 ▲只事ではないぐにゃぐにゃワッフル壁面の先にあるのものは…?

 この坂は「裏坂」と呼ばれており、かつては「観念寺坂」とも呼ばれていました。「観念寺」とは米が浜を埋め立てた当初に付けられた地名でしたが、現在には無く、龍本寺の裏手にある坂ということから、俗に裏坂と呼ばれるようになったのでしょうか?米が浜から急激に上る細い切り通し坂は、裏道のようでありながら確かな存在感を持つ、なかなかに良い雰囲気を醸し出していました。作中での、右側壁面手前が少し崩壊し、補修されている感じや、左側壁面の構造が二段階になっている様子も強引ながら似ています。
 これはひょっとして早々にビンゴなのでは?と思いつつも、惜しくも道幅がちょっと太すぎるんですよね。また、このルートを通って中央公園に向かったとすると、アルファさんは確実に水没している米が浜エリアからサブマリンのように浮上してきたことになり、大きな矛盾を含んでしまいます。おそらくこの場所をモデルとして作品世界にアレンジをした、という仮説も立てられますが、何しろ横須賀近辺にはこのような坂道が無数に存在しているのですから、あくまでも可能性の一端として考えるくらいが良いのかも知れません。
 ところで、「裏坂」と標記された支柱に、もう一つ気になる「お穴さま」という標記が目に留まります。そのネーミングにそそられ矢印に従って進んでいくと、前方にまるでワッフル(!?)のようなコンクリート保護壁面で覆われた異様な光景の山肌が現れました。もはやヨコハマや切り通し坂道とは全く関係のない探索となっていますが、とても興味深い場所なので、ここに紹介しておきます。
▲3DCGの処理落ちのような光景に、平衡感覚がおかしくなる。 ▲祠の中には、日蓮上人像が大切に祀られていました。

 波打つようなコンクリート・ワッフル(法枠工:「のりわくこう」と言うらしい。)のうねりに翻弄され、まるで空間まで歪んだような錯覚を受けるその場所には、一部分だけ保護・保存されるように開いた穴がありました。そしてその内部には、岩壁に穿かれた不思議な洞窟が……。まさにRPG的観点で言うところの、何かフラグが立ちそうな『聖なるほこら』が!ここには一体、何が待っているのでしょうか!?(←相変わらずのテンプレ表現だ…。)
 冗談はさておき、「お穴さま」とは、日蓮上人が房総から海を渡って三浦半島に上陸した際、この岩窟に籠って里人に妙法の教えを説いた最初の地だということです。洞窟内部は奥行がそれほどなく、最奥の壇上に日蓮上人像が祀られていました。非常に管理が行き届いているように見受けられ、この場所における信仰の深さが窺い知れます。紛れもなく、ここは『聖なるほこら』だったのですね。(フラグは立たなかったが。)
 一礼合掌し、お賽銭を上げようと思いましたが、なんとここには賽銭箱がありません。金かねカネの昨今、なんて謙虚なのでしょう!こうなると、意地でも何かしてあげたくなるのが私の性。辺りを見渡すと長箒が吊るされてあったので、せめてもの気持ちと堂内の床を掃き清めておきました。
 清々しい思いで「お穴さま」をあとにして、再びベルギーワッフルのような山肌をさらに上部へと続く階段を上っていくと、やがて龍本寺の境内へと辿り着きました。あぁこれ、参拝ルートが逆だったんですね。あれ?でも「お穴さま」のほうが発祥は古いのだから、この順番で良いのかな?ともあれ、いい加減に本題の切り通し坂検証へと話を戻していきましょう。

 続いて向かったのは、県道26号線・「横須賀三崎線」を挟んでお隣の上町(うわまち)地区。横須賀を象徴する昔ながらの町並みが今も広がっている、ノスタルジー溢れる坂の町です。
 こちらもいろいろと巡っては見たものの、「これだ!」と思えるものは見つかりません。坂道細道は多いものの、両サイドが切り立った崖状となっている切り通し道というのは、なかなか無いのですよ。「切り通し」と言うのはやはり鎌倉方面のほうが有名で、横須賀方面では、以前に船越峠をレポートした際に訪れた「がらめき」くらいのものなんですよね。
 そんな中、辻井善彌氏の『ときめき探訪 三浦半島』著書内において、「横須賀の切り通し」について記された一文があることを、現地で歩くうちにたまたま思い出しました。幸い、上町には横須賀中央図書館があるので、記憶の確認がてら立ち寄ることに。以下が、その該当部分です。
 横須賀の上町に「切通し」とよばれる旧道があります。この道は上町四丁目と一丁目とを連絡するわずか二、三百メートルの
坂道ですが、現在でも生活路として利用されています。

 この道は南北に通じているためか、夏は風の涼しい道で、昔は銭湯帰りの人たちがこの道でしばし夕涼みをしてから家に帰った
といわれています。

『ときめき探訪 三浦半島』・「切通し/暮らしの中の切通し」より。
 この坂道というのは、どこを指すのでしょう?郷土資料室の職員の方に訊いても、残念ながら確たる答えは得られませんでした。しかし、あちらこちらと歩いてみた結果、意外にも図書館を出てすぐ西側にある、南北へと延びる細道がそれなのでは?と推測するに至りました。この細道のピーク部分は、まさに切り通し道となっているのです。一丁目側には、現在は廃業してしまっているものの銭湯があり、辻褄もあっています。
▲上町切通坂の南方面から上っていく風景。 ▲同北方面から。側溝部分が無ければ道幅は良い感じかと。

 ここの坂道には特段に名前がついていないようですが、便宜上、「上町切通坂」と呼ぶことにします。まぁ肝心のヨコハマ・ロケーション的には設定要件からしていま一つという感が拭えないものの、雰囲気は古道の趣きを残していて良い感じでした。何より、両側が切り立っている細道車道という点では、数少ない存在例であるといえます。(※片側が崖斜面という道は、それこそ無数にあるのですが。)でもやっぱり、中央公園に向かうために、わざわざここを経由する必要性が無いんですよね。図書館好きなココネだったら、立ち寄る可能性は大いにあるのかも知れませんけど。

 その他、探索範囲を拡げてみると、汐入町と坂本町とを結ぶ通称「ちこく坂」も、切り通し的な構造をしています。ただしこちらは例のワッフル壁が少し主張が強すぎるんですよね。細道車道という点では、以前訪れた追浜町の南あたりがもう坂道細道のオンパレードで、私が今回の作品世界の一コマを想起させるきっかけともなった様相を呈していたのですが、サスガに場所が離れ過ぎ。というワケで「YKKたぶんココだったんじゃないか検証」、立地的な面からも、たぶん「裏坂」がモデルとなった有力な候補地(の一つ)と言えるのではないでしょうか。たぶん、たぶんね……。
 ちなみにこの「裏坂」からも海がわずかに見えることから、『横須賀ストーリー』の「これっきり坂」は、あるいはここなのではないか?とする説もあるようです。横須賀の坂たちは、ことほど左様にロマンを掻き立てる悩ましい存在なのであります。
▲ワッフル崖に挟まれた「ちこく坂」の道。 ▲追浜二丁目付近の坂。道幅的には、これくらいが理想かも。
2023/03/17(初稿):2023/02/21(撮影)