和暦 | 西暦 | 関 係 事 項 |
欽明天皇即位2年 | 540年 | 旧暦9月15日、氷川神社が創建 |
天長7年 | 830年 | 慈覚大師円仁が淳和天皇の命で無量寿寺(後の喜多院)を開山 |
仁平2年 | 1153年 | 平重隆が河越に館を築き、河越氏祖となる |
長禄元年 | 1457年 | 関東管領・扇谷上杉持朝の命で太田道真・道灌が河越城を築く
道灌は江戸城も築き、城内に河越山王権現社を分霊 後に徳川家の産土神かつ天下祭りで有名な赤坂日枝神社となる |
元和元年 | 1615年 | 赤坂山王神社で天下祭りが開始 |
寛永年間 | 酒井忠勝の時代、常蓮寺境内に時の鐘が建つ | |
寛永15年 | 1638年 | 川越の大火。翌年、河越城主に松平伊豆守信綱
城下整備として十カ町四門前、舟運開削 |
慶安元年 | 1648年 | 松平伊豆守信綱が氷川神社に対し
神輿2基・獅子頭2体・太鼓・神輿藏などを寄進。神幸祭を奨励 |
慶安4年 | 1651年 | 9月25日、神幸祭を開催。川越氷川神社祭礼「川越祭り」のはじまり
榎本弥左衛門(1625〜86)が、『万の覚』を残す。祭礼開始年の記述あり |
天和年間 | 江戸の山王祭り・神田祭りが隔年で天下祭りを開催 | |
元禄11年 | 1698年 | この年に高沢町(現・元町二丁目)から初めて踊り屋台が出たと
『武蔵三芳野名勝図絵』に記述あり |
享保元年 | 1716年 | 氷川神社の祭神、氷川大明神が正一位を受ける |
享保3年 | 1718年 | 『氷川祭礼絵巻』製作 |
享保6年 | 1721年 | 江戸で屋台の曳きまわし禁止令が発布 |
寛延2年 | 1749年 | この年以前に川越初の地誌『川越索麺』が成立 |
宝暦4年 | 1754年 | 町年寄が祭礼執行の申し合わせをするようになる |
享和元年 | 1801年 | 『武蔵三芳野名勝図絵』(1801、1803、1804年)三部作 |
享和・文化年間 | 評判を呼び「江戸の祭りに勝る」と評される。祭礼番附には東の最上段にランクイン | |
文化11年 | 1814年 | 『祭礼諸色控』に囃子を儀礼で叩き合うことが掲載。後の「曳っかわせ」前身 |
文政9年 | 1826年 | 『川越氷川祭礼絵巻』『川越氷川大明神祭礼絵巻』製作
喜多町の俵藤太秀郷の人形製作はこの年以前。作者は鼠屋五兵衛 |
天保6年 | 1835年 | 鍛冶町(現・幸町)が三条小鍛冶の人形を修理。作者は原舟月 |
天保13年 | 1842年 | 氷川神社本殿の着工。現在の入母屋造りに(嘉永3年竣工)
腰周りに十カ町神像が彫刻。彫物師は嶋村俊表、飯田岩次郎 江戸の神田祭りで、初めて二層式の鉾台型山車が曳き出される |
天保15年 | 1844年 | 鳶職一同『川越氷川祭礼絵馬』を奉納。山車が一本柱に統一 |
安政3年 | 1856年 | 志多町が現在の弁慶の人形を製作。作者は鼠屋五兵衛 |
文久2年 | 1862年 | 『祭礼番附絵』製作。江戸ではこの年を最後に天下祭りを終焉させる
志義町(現・仲町)が現在の二重鉾型山車を羅陵王の人形を製作 作者は仲秀英。面は有吉長門正。下勾欄の彫刻は嶋村俊豊 上松江町(現・松江町二丁目)が現在の浦島太郎の人形を製作。作者は仲秀英 |
明治3年 | 1870年 | 南町(現・幸町)が翁の人形を製作。作者は仲秀英
江戸で山王祭りと神田祭りが復活 南町(現・幸町)が現在の山車を製作 |
明治4年 | 1871年 | 高沢町(現・元町二丁目)が現在の山車と山王の人形を製作。作者は仲秀英 |
明治5年 | 1872年 | 江戸町(現・大手町)が現在の山車と天鈿女命の人形を製作。作者は仲秀英 |
明治6年 | 1873年 | 新暦施行。以降、祭礼開催日も新暦10月15日と改められる |
明治初年 | ?年 | 六軒町が現在の黒三番叟の人形を製作。作者は仲秀英 |
明治初年 | ?年 | 鍛冶町(現・幸町)が現在の小鍛冶の山車を製作 |
明治初年 | ?年 | 口伝では今成町が鍛冶町(現・幸町)から山車(当時は笠鉾型)を譲渡 |
明治21年 | 1888年 | 六軒町が現在の黒三番叟の山車の原型を新調。棟梁は印藤吉五郎 |
明治22年 | 1889年 | 今成町が天鈿女命の人形を製作
東京ではこの年を最後に大規模な山車連行の姿は消える |
明治26年 | 1893年 | 3
月17日、川越大火。養寿院門前の民家から出火、町の三分の一を超える1303戸を焼失
この大火で本町(現・元町一丁目)、多賀町(現・幸町〜大手町)の山車は全焼 上松江町(現・松江町二丁目)は人形と幕類以外を焼失 |
明治28年 | 1895年 | 川越鉄道が川越駅(現・本川越駅)まで開通 |
明治30年 | 1897年 | 喜多町が現在の俵藤太秀郷の山車に新調。作者は小倉作兵衛父子 |
明治30年頃 | 鍛冶町(現・幸町)が小鍛冶の山車を改修。三久保町の囃子方、石田地区が山車を製作 | |
明治34年 | 1901年 | 志義町(現・仲町)の羅陵王の山車が他に先がけ回り舞台に改造
この年、明治期一番と評判の賑わい。旧十カ町以外で六軒町が山車を完成させ、初参加 |
明治35年 | 1902年 | 『風俗画報』258号に「武州川越の大祭」が絵入りで報道 |
明治37年 | 1904年 | 日露戦争奉祝祭。川越に電灯が灯る。山車に提灯をつけ夜間曳行開始 |
大正4年 | 1915年 | 大正天皇御大典。上松江町(現・松江町二丁目)が浦島太郎の山車を復活。小倉秀太郎作 |
大正8年 | 1919年 | 南町(現・幸町)の翁の山車が唐破風つき回り舞台に改造 |
大正11年 | 1922年 | 川越が県で初の市制を施行。12月、市制施行記念奉祝祭 |
明治・大正期 | 発展した新流儀の囃子連と結びつき、現在の「曳っかわせ」誕生 | |
昭和2年 | 1927年 | 東京都世田谷で山車を製作。のちに川島町と通町に譲渡 |
昭和3年 | 1928年 | 昭和天皇即位の御大典。鍛冶町(現・幸町)の小鍛冶の山車が回り舞台に改造 |
昭和7年 | 1932年 | 市制施行10周年記念祭 |
昭和13年 | 1938年 | 喜多町の俵藤太秀郷の山車が回り舞台に改造 |
昭和15年 | 1940年 | 皇紀2600年奉祝祭 |
昭和20年代 | 志多町の弁慶の山車が二重鉾、回り舞台に改造 | |
昭和21年 | 1946年 | 新憲法発布記念祭礼 |
昭和22年 | 1947年 | 憲法記念日奉祝祭 |
昭和23年 | 1948年 | 全国茶業大会。中原町が月鉾の山車を製作。棟梁は関根平蔵 |
昭和24年 | 1949年 | 三久保町の囃子を担当する石田地区が源ョ光の人形を製作 |
昭和25年 | 1950年 | 商工会議所50周年記念祭 |
昭和26年 | 1951年 | 松江町一丁目が龍神の屋台を製作。棟梁は奥山竹三郎 |
昭和27年 | 1952年 | 市制施行30周年記念祭。末広町が高砂の山車を製作。棟梁は浦田文治
連雀町が太田道灌の山車を製作。棟梁は印藤順造 宮下町が日本武尊の山車を製作。棟梁は高柳一。岸町二丁目は屋台を製作 |
昭和30年 | 1955年 | 市町村合併記念祭。西小仙波町が素戔鳴尊の山車を製作。棟梁は吉川為五郎 |
昭和34年 | 1959年 | 皇太子御成婚記念祭。末広町が高砂の山車を唐破風つき回り舞台にして完成
川越大火で焼失していた本町(現・元町一丁目)が山車を新調。作者は浦田文吉 |
昭和35年 | 1960年 | 六軒町の三番叟の山車が三つ車のまま、回り舞台に改造 |
昭和37年 | 1962年 | 市制施行40周年記念祭。同年より新町名が採用される |
昭和43年 | 1968年 | 10台の山車が埼玉県有形民俗文化財に指定 |
昭和44年 | 1969年 | 末広町が現在の高砂の人形を製作。作者は井筒雅風 |
昭和46年 | 1971年 | 通町と囃子を担当する川島町角泉が東京都世田谷から山車を譲受 |
昭和47年 | 1972年 | 市制施行50周年記念祭
鶴ヶ島市上広谷地区で屋台を製作。作者は大久保弟次 |
昭和50年 | 1975年 | 旭町三丁目が屋台を製作 |
昭和57年 | 1982年 | 本川越駅前から札の辻までの路上に山車を飾り置く「宵山」が開始
中原町が現在の山車に改造し、河越太郎重頼の人形を新調 脇田町が白木の山車と徳川家康の人形を製作。棟梁は横溝長寿 |
昭和61年 | 1986年 | 本川越駅前から札の辻までの「山車行列」が開始 |
昭和62年 | 1987年 | 氷川祭礼における山車行事として、埼玉県より無形民俗文化財を指定 |
昭和63年 | 1988年 | 松江町一丁目の龍神の屋台を回り舞台つきの山車に改造 |
平成2年 | 1990年 | 仙波町が幕末期に使用された底抜け屋台を屋台に改造
丸広百貨店が山車を製作。太田道灌の人形を完成 |
平成5年 | 1993年 | 野田五町が昭和63年に着工した八幡太郎の山車を完成。棟梁は高山栄次 |
平成6年 | 1994年 | 岸町二丁目が木花咲耶姫の山車を白木造りに新調
棟梁は角張工務店と鈴木一、人形師は福田東久 南通町の囃子を担当する三芳町北永井地区の屋台が改修、この年に初参加 |
平成9年 | 1997年 | 「川越祭り」が土日開催に変更(氷川神社例大祭と神幸祭は従来どおり)
新富町二丁目が屋台を製作。棟梁は高橋邑吉 |
平成11年 | 1999年 | 川越が町並みとして初のグッドデザイン賞を受賞。国の重要伝統的建造物群保護地区に選定 |
平成12年 | 2000年 | 新富町二丁目が現在の鏡獅子の人形を新調
脇田町が白木の山車を彩色し完成。菅原町が製作中の屋台で祭りに参加 |
平成13年 | 2001年 | 幸町の翁の山車が全面改修 |
平成14年 | 2002年 | 市制施行80周年記念祭。それまでにない29台の山車が参加、80万人を集客
新富町一丁目が山車を製作し、金幣を奉載 仙波町が屋台を二重鉾型山車に改造、仙波二郎安家の人形を製作 菅原町が山車に改造、金幣を奉載 旭町三丁目が松平伊豆守信綱の人形を製作し山車を新調、初参加 市制記念に丸広百貨店の山車が川越市に寄贈 これを機に人形を太田道灌から猩々に変更 |