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戦後の主な毒殺事件

毒物の「致死量」に関しては、参考文献によって異なっている場合があるため、私が調べた範囲で、「(最小値)〜(最大値)グラム(あるいはCC)」という表記にした。

小サイズの文字(この文自体の大きさの文字)で書かれた事件は毒殺未遂事件。

国内における青酸による殺人事件第1号は、1935年(昭和10年)11月21日、東京市浅草区(現・東京都台東区/浅草区と下谷区が統合して台東区となる)で発生した「小学校校長殺人事件」である。この日は学校職員の給料日だったが、浅草柳北小学校校長の増子菊善(46歳)は、浅草区役所で、職員49人分の給料3353円33銭を受け取り、風呂敷包みに包んで内ポケットにしまった。区役所にいるとき、足袋屋の若主人の鵜野洲武義(うのすたけよし/当時27歳)という男から電話で呼び出され、雷門向かい東角の明治製菓喫茶部へと向かった。その中で、鵜野洲と会った増子校長は紅茶を一口飲んで具合が悪くなった。紅茶の中に青酸カリが混入されていた。鵜野洲は、増子校長を介抱するふりをし、店員が医者を呼びに行っているすきに、給料入りの袋を奪って逃走した。使用した青酸カリ2グラムは、町工場から10銭で譲り受けていた。犯行から12時間後、鵜野洲は千束町の待合で遊興中に逮捕され、死刑の判決となった。

東京・・・1868年(明治元年=慶応4年)、江戸を「東京」と改称。1878年(明治11年)、東京府15区6郡成立。1889年(明治22年)、東京府15区に市制、東京市とする。1893年(明治26年)三多摩(北、南、西多摩)郡を神奈川県より移管。1932年(昭和7年)、府下5郡82町村を東京市に編入、20区を新設し、合わせて35区となる。この時点で、現在の東京23区とほぼ同じ範囲となる。1943年(昭和18年)、東京府は東京都となり、同時に東京市を廃して区を東京都の直下に置くこととなった。1947年(昭和22年)、22区に統合。その後、板橋区から練馬区を分離し、23区となる。

青酸カリ・・・シアン化カリウムのことで、これは無色の結晶からできており、高濃度の場合はアルカリ性に保っておかないと、シアン化水素を発生する。この水溶液を俗に青酸と呼ぶ。金属精錬やメッキ、殺虫剤などに使われる。毒殺に用いられてきたものは、このシアン化カリウム塩あるいは、ナトリウム塩であり、どちらも水溶性で飲料にもよく溶ける。シアン化水素の溶液を吸うだけで、皮膚がただれたり、癌になることがある。また、シアン化水素の蒸気を吸うと、ほぼ瞬間的に麻痺が起き、けいれんが始まり、呼吸が止まり死亡する。致死量は0.15〜0.3グラム。

[ 闇市で買ったメリケン粉に青酸カリが混入 ] 1946年(昭和21年)3月30日、東京都南多摩郡の荒井正夫宅で、団子を食べた母親と息子が激しい下痢をし、死亡。4月7日、てんぷらを食べた妻と同居人が死亡。闇市で買ってきたメリケン粉に青酸カリが含まれていた。

[ 連続毒殺強盗事件 ] 1946年(昭和21年)11月22日、原田千里(当時29歳)ら3人が、東京都本郷区(現・文京区/本郷区と小石川区が統合して文京区となる)の旅館で洋裁業の角田亀太郎(48歳)を毒殺し、9000円を奪った。12月18日、鈴鹿市の煮干し販売業の大久保たけの(68歳)の口に青酸カリを押し込み、米と5000円強奪。翌1947年(昭和22年)1月3日、名古屋市で西村辰雄を毒殺。

[ 帝銀事件 ] 1948年(昭和23年)1月26日午後3時過ぎ、東京都豊島区池袋の帝国銀行(後の第一勧業銀行、現・みずほ銀行)椎名町支店に、東京都防疫課厚生省技官を名乗る男が現れ、近くで集団赤痢が発生したので「予防薬」を飲むように要請し、それに従った行員やその家族16人が次々と倒れ、うち12人が死亡。「予防薬」は青酸化合物とされているが、ハッキリしていない。現金約16万4000円と額面約1万7000円の小切手が奪われた。捜査当局は、約7ヶ月後の8月21日、画家の平沢貞通(当時56歳)を犯人として逮捕。平沢は、拷問に近い取り調べに犯行を「自白」するが、起訴後は一貫して無罪を主張していた。警察の捜査にも疑わしい点が多くあったが、1955年(昭和30年)5月7日、最高裁で死刑判決が下った。1987年(昭和62年)5月10日、平沢が八王子医療刑務所で肺炎を悪化させ死亡した。95歳だった。現在、第20次再審請求中。

関連書籍・・・
『帝銀事件の全貌と平沢貞通』(現代書館/遠藤誠/2000)

『疑惑α 帝銀事件』(講談社出版サービスセンター/佐伯省/1996)
『ドキュメント 帝銀事件』(晩聲社/和多田進/1994)
『犯罪の昭和史 2』(作品社/1984)
『毒 社会を騒がせた謎に迫る』(講談社/常石敬一/1999)
『謎の毒薬 推究帝銀事件』(講談社/吉永春子/1996)
『権力の犯罪』(講談社文庫/高杉晋吾/1985)
『科学捜査マニュアル』(同文書院/事件・犯罪研究会編/1995)
『日本の黒い霧 全』(文芸春秋/松本清張/1975)
『刑事一代 平塚八兵衛聞き書き』(日新報道出版部/佐々木嘉信/1975)
『八兵衛捕物帖』(毎日新聞社/比留間英一/1975)
『昭和史の謎を追う 下』(文藝春秋/秦郁彦/1999)

[ 新潟毒殺保険金殺人事件 ] 1949年(昭和24年)6月14日、新潟県新発田(しばた)市で、2月に子供が病死して保険金10万円を受け取った市役所職員の武藤和市(42歳)が、妻の政枝(35歳)に保険金50万円をかけ、砒素を飲ませ、さらに入院先で昇汞(しょうこう)水を飲ませ殺した。6日後、被疑者が自殺した。

砒素・・・三酸化ニ砒素のことで、通称・亜ヒ酸。ギリシャ時代から広く暗殺に使われてきた薬品。毒物として用いられるのは三酸化砒素、無水亜砒酸などで、無味無臭。砒素化合物を飲むと消化器系が犯される。胃に激痛を感じ、圧迫感に襲われ、緑色の塊を吐く。のどが渇いて、胸が苦しくなり、心臓の鼓動が速まり、動脈圧が低下する。致死量は0.1〜0.2グラムで、致死量を飲んだ場合は、呼吸中枢、運動中枢、神経中枢が麻痺して、意識を失い、やがて死亡する。

昇汞水・・・病院の消毒剤としてトイレの洗面器の殺菌用に使用されている。これは致死量が0.2〜0.4グラムで、誤って1滴でも飲んでしまったら死亡する。

[ 東大助教授毒殺事件 ] 1950年(昭和25年)1月8日、東大医学部助教授の渡辺巌(39歳)が北陸線の車内で、歳暮にもらったウィスキーを飲んで急死。犯人は東大助手(当時25歳)。愛人の看護婦との交際を諌められたことを恨んでの犯行。毒物は青酸ナトリウム。その後、犯人は懲役15年の刑が確定し、7年半の刑期で出所した。

看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

青酸ナトリウム・・・シアン化ナトリウム、青酸ソーダともいう。青酸化合物で代表的なものとして、青酸カリや青酸ナトリウムがある。これらは、毒物としてのその本体は青酸基という、窒素と炭素がひとつずつ結びついたもの。青酸基にカリウムが結びついたものが青酸カリで、ナトリウムが結びついたものが青酸ナトリウム。致死量は0.2〜0.3グラム。

[ 毒まんじゅう心中事件 ] 1950年(昭和25年)10月14日、茨城県麻生町の警部補の妻が、夫の不在中にネコイラズ入りの毒まんじゅうを5人の子どもに無理に食べさせ、「食べ方が遅い」と言って包丁で切りつけたりし、自分も体を切って自殺した。

ネコイラズ・・・有害成分は黄リンで激烈な嘔吐、腹痛、呼吸困難、痙攣、昏睡などの症状が現れる。致死量は0.05〜0.2グラム。

[ 埼玉青酸サイダー殺人事件 ] 1951年(昭和26年)5月3日、埼玉県三郷村(現・三郷市)の中川堤防で、無職の小野隆(当時58歳)が質屋の小泉政三郎(49歳)に青酸入りサイダーを飲ませ、3000円と自転車を強奪した。

[ 女医が愛人の妻を毒殺 ] 1951年(昭和26年)11月9日、東京都八王子市の女医の倉持桃子(当時27歳)が三角関係のもつれから、愛人の妻に研究のために採血すると偽り、塩酸コカイン(「塩酸モルヒネ」という説もある)0.4グラムを左腕静脈に注射し殺害した。

コカイン・・・局所麻酔に用いられる「薬」でもあるが、本質的にはコカの葉から抽出される「毒」である。水には溶けにくいが、アルコール、エーテル、ニ硫化炭素にはよく溶ける無色の結晶である。コカインが体内に吸収されると、心臓の鼓動や呼吸、脈が速くなり、中枢神経は麻痺し、顔面蒼白、頭痛、めまい、目先ちらちら、あげくの果ては興奮状態になって、痙攣を起こして死亡する。

モルヒネ・・・鎮痛麻酔剤。致死量は0.2〜0.5グラムであるといわれる。体内に吸収されると興奮期ののちに麻酔期に入る。吐き気、頭痛、めまいなどがあり、やがて深い眠りに陥り脈拍が遅くなって5〜12時間くらいで死亡する。

[ 茨城一家9人殺し事件 ] 1954年(昭和29年)10月11日、茨城県鹿島郡徳宿(とくしゅく)村(現・鉾田町)の精米業者の大沼豊房(42歳)宅で一家9人が焼死体で発見された。解剖の結果、全員の遺体に青酸反応が認められ、毒殺後に放火されたものと判明した。さらに、大沼家の自転車が乗り捨てられていた場所に、犯人と思われる名前入りのワイシャツが脱ぎ捨てられていたことや被害者宅から盗まれたと思われるオーバーなどを友人に売っていた男がいることが判明した。捜査本部は11月6日、横須賀市生まれの緑志保(当時43歳)を割り出し全国に指名手配した。緑は窃盗や横領を繰り返して前科8犯であり、人生の半分以上の24年間を刑務所で暮らしてきた男であった。11月7日、緑志保が逮捕されるが、取調室で男が青酸カリ自殺したため、事件は充分に解明されないままになってしまった。

[ 大西克己事件(特別手配1号) ] 1955年(昭和30年)6月1日、山口県下関市で、大西克己(当時27歳)が養父母の福松(66歳)夫婦を青酸入りジュースで毒殺して九州に逃亡。別府に住み、偽名で食料品の販売などをしていたが、ケンカをして警察の取調べを受け、別府地区検察に送検された。大西はこのままでは養父母殺しがバレると東京へ高飛びし、追われる身から逃れるため、他人になりすます計画を立てる。カモを探し、知り合った函館生まれの三浦和夫(26歳)を騙して戸籍妙本、転出証明書を取り寄せさせ、1956年(昭和31年)2月、岡山県倉敷市まで連れ出して、青酸カリを飲ませて殺害し、死体はガソリンをかけて焼き、身元の確認もできないように偽装した。こうして、他人になりすまして結婚し真面目に運転手として働いていた。1957年(昭和32年)12月、大西は酒に酔って住居侵入で現行犯逮捕された。警察で写真、指紋を取られ即日釈放された。バレるのをおそれた大西は第3の殺人を計画する。ひとまず北海道に行くと言って妻をあざむき蒸発、その足で山谷へ行き、なりすます相手を物色、佐藤忠(30歳)に目をつけ、再び同じ手口で戸籍謄本、転出証明書を取り寄せさせ、1958年(昭和33年)1月、水戸市の千波(せんば)湖畔に誘い出して手ぬぐいで絞殺した。身元の分かりそうな手がかりを一切消すため、全裸にしてナイフで鼻頭、左指、ペニスを切断、顔面、両手指に線状のキズを多数つけ、死体をバラバラにした。さらに、念を入れて、翌日、濃硫酸(500グラム)を持って現れ、死体の頭部、顔面にふりかけて判別を不能にした。警察庁は千波湖畔事件を凶悪犯全国公開捜査第1号に指定。同年7月15日、大西が逮捕される。1959年(昭和34年)12月、水戸地裁で死刑判決。その後、控訴審、上告ともに棄却され、1961年(36年)3月、死刑が確定した。2審担当の国選弁護人は「あまりに残酷な犯行なので死刑になるのは当然」として弁護を拒否したが、これについては1963年(昭和38年)11月、東京地裁民事部は弁護を拒否した弁護士に対し、「弁護放棄は義務を怠った不法行為として、3万円の賠償を命じる判決を下した。1965年(昭和40年)、大西の死刑執行。

[ 母子心中を偽装 ] 1956年(昭和31年)3月9日、東京都江戸川区で、理髪店経営の山崎ゆう子(48歳)と息子3人が青酸入りジュースを飲んで死亡。犯人の長女(当時19歳)は婚約者に一家5人が一間に住んでいることを嫌われて、母子心中を偽装したと自供した。

[ 青酸寿司による毒殺事件 ] 1956年(昭和31年)7月17日、東京都杉並区の新築の家に不審なトランクを運んだという通報があり、調べたところトランクの中から会社会計係の小松左惣治(61歳)の遺体が出てきた。犯人の西谷郁太郎(当時31歳)と愛人の大橋喜美は逃走したが、10月3日、大阪で逮捕される。自供によると、6月28日、会社の同僚の小松に近づき、隙をみて81万5000円を盗み、青酸入り寿司で毒殺したもの。1959年(昭和34年)9月、最高裁で死刑が確定した。

[ 小学校教諭毒殺事件 ] 1956年(昭和31年)11月30日、兵庫県加古川市で、小学校教諭の大西良相(27歳)が親しくしていた小学校の養護教諭の畝沖まさえ(当時34歳)に、風邪薬に見せかけた毒薬を飲まされて死亡。大西に結婚話が持ち上がったのを妬んでの犯行だった。

[ 青果商娘青酸ソーダ殺人事件 ] 1959年(昭和34年)2月9日、東京都品川区で、遊びから帰ってきた青果商(当時42歳)の4女(7歳)が突然、苦しみ出し死亡。犯人は妻(当時37歳)と店員(当時17歳)で、夫を殺そうと帳場に青酸入りサイダーを置いていたところ子どもが飲んでしまった。

[ ホテル日本閣殺人事件 ] 1960年(昭和35年)2月6日、栃木県塩原温泉のホテル日本閣の管理人の小林カウ(当時52歳)が、ホテルの乗っ取りを計画。経営者の生方(うぶかた)鎌助(53歳)の愛人になり、色仕掛けで仲間に引き込んだ従業員の大貫光吉(当時37歳)と共謀して、経営者の妻の生方ウメ(49歳)を殺害。同年12月31日には経営者本人も殺した。1961年(昭和36年)2月20日に逮捕されたカウは、9年前に当時同棲していた元巡査の中村又一郎(当時34歳)と共謀して夫の小林秀之助(49歳)を青酸カリで毒殺したことも自白。1966年(昭和41年)7月14日、最高裁でカウと大貫が死刑、中村に懲役10年の刑が確定した。1970年(昭和45年)6月11日、カウと大貫が揃って死刑が執行された。戦後における女性の死刑執行は小林カウが第1号である。(死刑の確定では3人目。1人目は兵庫県菅野村(現・姫路市)で老婆を殺害した山本宏子(菅野村強盗殺人放火事件)で、1951年7月に死刑確定、1969年に精神異常のため特別恩赦を受け、無期懲役に減刑。2人目は熊本市で姑、行商人、近所の主婦など3人を毒殺した杉村サダメで、1963年3月に死刑確定。

関連書籍・・・
『誘う女 ドキュメント日本閣殺人事件』(三一書房/吉田和正/1994)

『殺人百科(2)』(文春文庫/佐木隆三/1987)

『悪女たちの昭和史』(ライブ出版/松村喜彦/1992)

この事件を元に製作された映画に 『天国の駅』(DVD/監督・出目昌伸/主演・吉永小百合/2005)がある。吉永にとっては95作目にして初めてのよごれ役である。この映画と同年に公開された同じく吉永主演の『おはん』(VHS/監督・市川崑/1985)の2本で、報知映画賞・主演女優賞、キネマ旬報女優主演賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ゴールデンアロー賞・大賞、横浜映画祭特別大賞、熊本映画祭大賞、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞した。

他には、『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(DVD/監督&脚本・石井輝男/小林カウ役・藤江リカ/2005) がある。この作品では「東洋閣事件」となっている。また、この作品はオムニバス形式になっており、高橋お伝、阿部定、小平義雄などの事件も収録されている。

[ 埼玉毒入り牛乳事件 ] 1960年(昭和35年)8月11日、埼玉県白岡町で、国鉄(現・JR)職員の妻(当時25歳)が、近所に住む国鉄職員(31歳)が裕福なのを妬み、牛乳に農薬を混入、職員と子ども2人が死亡した。
女性連続毒殺魔事件
[ 女性連続毒殺魔事件 ] 1960年(昭和35年)12月29日、熊本市内で杉村サダメ(当時49歳)が出入りの行商人の女性や隣家の主婦ら3人を次々に毒殺した他、女性1人を廃人同様にした容疑で逮捕された。毒薬は農薬ポリドールで、乳酸飲料や馬肉、鯛味噌、納豆に混入させて殺害していた。介抱するように見せかけて金を盗んでいた。1963年(昭和38年)3月28日、最高裁で死刑が確定。1970年(昭和45年)9月19日、死刑執行。

[ 名張毒ぶどう酒事件 ] 1961年(昭和36年)3月28日、三重県名張(なばり)市の公民館で行われた生活改善クラブの総会後、何者かがぶどう酒に有機リン系の農薬(商品名「ニッカリンT」)を入れ、それを飲んで5人が死亡、12人が中毒を起こした。警察はぶどう酒の購入、運搬に関与した3人を重要参考人としたが、この3人の中の1人であるクラブの会員の奥西勝(当時34歳)は、死亡した5人の中に妻(34歳)と愛人(36歳)がいたため、三角関係で悩んだ末に、犯行に及んだものとして逮捕された。1964年(昭和39年)12月23日、津地裁では証拠不充分で無罪判決となるが、1969年(昭和44年)9月10日、名古屋高裁では逆転有罪で死刑判決。1972年(昭和47年)6月15日、最高裁は2審を支持して上告を棄却し、死刑が確定した。2005年(平成17年)4月5日、名古屋高裁は再審を開始する決定を下す。2006年(平成18年)12月26日、名古屋高裁は検察側からの異議申し立てを認めて再審開始決定を取り消す。第9次再審請求中だった2015年(平成27年)10月4日、八王子医療刑務所で奥西勝が死亡。89歳だった。10月15日、名古屋高裁が第9次再審請求の審理を終了する決定をした。11月6日、奥西の妹・岡美代子(当時85歳)が名古屋高裁に第10次再審請求を行った。

関連書籍・・・
『名張毒ブドウ酒殺人事件 曙光』(鳥影社/田中良彦/1998)

『犯罪の昭和史 3』(作品社/1984)
『毒 社会を騒がせた謎に迫る』(講談社/常石敬一/1999)

[ 郵便毒薬殺害事件 ] 1961年(昭和36年)8月31日、愛知県一宮市で、紡績会社社長の伴金真(38歳)が郵送されてきた薬を飲んで死亡。硝酸ストリキニーネが入っていた。包み紙の指紋から叔父の同社取締役の伴利雄(当時68歳)が逮捕された。1億7000万円の遺産の分配を決める親族会議からのけ者にされたのを恨んでの犯行。他の親戚の家にも毒薬を送っていたが、そちらは無事だった。

硝酸ストリキニーネ・・・動物の安楽死薬。筋弛緩剤の一種で心停止を引き起こす。致死量は0.12〜0.36グラム。

[ 宇都宮毒入りジュース事件 ] 1962年(昭和37年)4月6日、宇都宮市の農家の長男(9歳)、次男(7歳)、長女(4歳)の3人が、自宅近くのたんぼに落ちていたジュースを飲んで死亡。ジュースからは農薬が検出された。被害者の父親に恨みを持つ近所の青年の犯行だった。

[ 大阪青酸牛乳殺人事件 ] 1963年(昭和38年)1月8日、大阪府布施市で、男(当時26歳)が自宅の牛乳箱の上に青酸カリを入れたコーヒー牛乳を置いたところ、近所の中学2年生(14歳)が飲んで死亡。男は親の反対を押し切って借金して工場を経営しようとして失敗し、辛くあたる父親を恨み毒殺しようとしたと自供した。
波崎事件
[ 波崎事件 ] 1963年(昭和38年)8月26日、茨城県鹿島郡波崎(はさき)町で、不動産ブローカーの富山常喜(つねき/当時47歳)が保険金を奪取する目的でいとこの内妻を青酸化合物入りカプセルで毒殺した疑いで逮捕された。1971年(昭和46年)12月24日、水戸地裁土浦支部で死刑判決。1973年(昭和48年)7月6日、東京高裁で控訴棄却。1976年(昭和51年)4月1日、最高裁で上告棄却で死刑確定。物証、自白なしの状況証拠のみで死刑確定となった冤罪事件と言われている。第1、2次再審請求が棄却され、2003年(平成15年)9月3日、第3次再審の準備中に慢性腎不全によって死亡した。86歳だった。

関連書籍・・・
『状況証拠 「波崎事件」無罪の証明』(朝日新聞社/足立東/1990)
『司法殺人 「波崎事件」と冤罪を生む構造』(影書房/根本行雄/2009)

[ 福岡ボーナス狙い毒殺事件 ] 1964年(昭和39年)12月15日、福岡県筑後市役所のボーナスを狙って、津留静生(当時32歳)が現金輸送中の職員2人に、青酸カリ入りの栄養剤を飲ませて毒殺。家を新築して、別居中の妻の関心を呼び戻そうと考えての犯行だった。1975年(昭和50年)10月、死刑執行の前日に福岡拘置所で剃刀を使って自殺した。

[ 元千葉準ミスによる千葉大生殺人事件 ] 1967年(昭和42年)4月29日、16年前のミス千葉コンテストの準ミスの古川昭代(当時37歳)が千葉大4年の安藤義弘(23歳)に青酸カリ入りの紅茶を飲ませて毒殺。結婚を迫り断られての犯行。最高裁で懲役8年の刑が確定した。

[ 青酸コーラ無差別殺人事件 ] 1977年(昭和52年)1月4日、東京・品川区で、青酸ナトリウムを入れたコーラによる毒殺事件が発生。電話ボックスの中に置いてあったコーラを飲んだ京都府立洛東高校1年の檜垣明(16歳)と、その近くにあったコーラを飲んだ無職の菅原博(46歳)が死亡。迷宮入りになり1992年(平成4年)1月4日、時効成立。

関連書籍・・・
『迷宮入り事件』(同朋舎出版/古瀬俊和/1996)

『迷宮入り事件と戦後犯罪』(王国社/鎌田忠良/1989)
『戦後欲望史 転換の七、八〇年代篇』(講談社/赤塚行雄/1985)

[ 青酸チョコレート事件 ] 1977年(昭和52年)2月14日(バレンタインデー)、東京駅の地下にある八重洲地下街の南端の階段通路にグリコのアーモンド・チョコレート40箱が入ったショッピング袋を会社社長が発見し交番に届けた。このチョコレートは10日間保管されたが、落とし主が現れなかった。食品の落し物の場合はメーカーで換金して6ヵ月後に拾い主に渡すのが慣例になっているため、24日に江崎グリコ東京支店に引き渡された。同支店で調べたところ、どの箱もセロハンを切って貼り直したあとがあり、箱のフタにあるロット番号(製造番号)がすべて切り取られていた。不審に思った同支店では、25日、大阪の江崎グリコ本社・中央研究所に送って検査を依頼した結果、40箱すべてから1箱につき1粒ずつ、致死量にほぼ達する青酸ナトリウムを検出した。そのうちの1箱の中箱の裏にはカタカナのゴム印を使って、「オコレル ミニクイ ニホンシンニ テンチュウヲ クタス」という文字が記されていた。・・・「おごれる醜い日本人に天誅を下す」を意味する濁点のない「犯行声明文」であった。この事件は未遂に終わったが、青酸コーラ事件との関連性も判らないまま迷宮入りになってしまった。

[ グリコ・森永事件(警察庁広域重要指定事件「114号事件」) ] 「1984年(昭和59年)3月18日、江崎勝久・グリコ社長誘拐〜1985年(昭和60年)8月12日、終結宣言を出すまでの一連の企業脅迫事件」のうち、 「青酸入り菓子ばらまき事件」・・・1984年(昭和59年)5月10日、在阪の新聞社4社に青酸混入通告の挑戦状が届き、ダイエー、イトーヨーカ堂などスーパー、百貨店がグリコ製品の引き揚げを決定。同年10月7日、「どくいり きけん」のタイプ打ちのシール付き森永製品5個が大阪、兵庫、京都3府県の5つのスーパーから発見された。翌8日、在阪の新聞社5社に「(毒入りの)表示がある毒入り製品20個を東京-博多間に置いた。10日後には(毒入りの)表示なしの毒入り30個を全国の店にばらまく・・・」という挑戦状が届く。翌9日、NHK大阪放送局にも同じ挑戦状が届いた。結局、7日〜13日までに、大阪、兵庫、京都、愛知4府県の12店で、7日に発見された5個を含め計13個発見された。翌1985年(昭和60年)2月12日〜13日、東京と名古屋で青酸入りチョコレートが8個発見された。実際に青酸の入った「どくいり きけん」8個と、青酸の入っていない「どくなし あんしん」5個の2種類があった。グリコ、森永、不二家だけでなく、これまで脅迫のターゲットにされていない明治製菓、ロッテのチョコレートも含まれていた。この一連の「青酸入り菓子ばらまき事件」では犯人側に殺意はなく、青酸菓子を口にした被害者もゼロだった。これらの事件は企業脅迫のひとつの手段としての犯行と見られた。2000年(平成12年)2月13日、すべての事件に対して時効が成立した。グリコ・森永事件で犯人が終結宣言を出した1985年(昭和60年)8月12日は日航123便が御巣鷹山に墜落(搭乗員524人中520人死亡/生存者は女性4人)した日でもあった。一連のグリコ・森永事件ではハウス食品も脅迫の標的にされたが、そのハウス食品の浦上郁夫社長はこの日航機に乗り合わせており、事故の犠牲となった。浦上社長は犯人が脅迫の終結宣言したことを前社長の墓前に報告しに大阪に行くために日航機に乗ったらしい。

関連書籍・・・
『グリコ・森永事件「最終報告」真犯人』(朝日新聞社/森下香枝/2007)
『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』(新潮文庫/一橋文哉/2000)
『グリコ・森永事件 最重要参考人M』(幻冬舎アウトロー文庫/宮崎学&大谷昭宏/2000)
『キツネ目 グリコ森永事件全真相』(講談社/岩瀬達哉/2021)

グリコ・森永事件をモチーフとした小説に 『レディ・ジョーカー 上』(毎日新聞社/高村薫/1997) / 『レディ・ジョーカー 下』(毎日新聞社/高村薫/1997)がある。

この事件から数年後、警察庁は「Nシステム」という自動車ナンバー読み取り装置を全国の高速道路など400ヶ所以上に設置した。通過する車を自動的に撮影し、コンピューターで管理。これで手配ナンバーが瞬時に照会できるようになったが、このシステムで犯人逮捕の決め手のひとつになった事件に、1995年の富士フィルム専務殺人事件(東名高速)、埼玉愛犬家殺人事件(関越道)、1996年(平成8年)のつくば母子殺人事件(茨城〜横浜)、一連のオウム事件があると言われている。

[ パラコート事件 ] 1985年(昭和60年)4月30日、広島県福山市の国道2号線を走っていた岡山市のトラック運転手のT(45歳)が岡山県境まで約300メートルのところでトラックを停め、自動販売機で「オロナミンC」を買って飲んだ。そのとき、自販機の上に「オロナミンC」が1本置かれているのを発見。その後、倉敷市と岡山市の間を走行中に拾った「オロナミンC」を飲むと急に気分が悪くなり、近くのパーキングエリアまでなんとかトラックを走らせたが、そこで意識を失った。その後、Tは通りかかった人に発見されて病院に運ばれたが、5月2日、死亡した。Tの吐瀉物から農薬「パラコート」が検出された。

この事件を始めとして、各地で次のような「パラコート」による無差別殺人事件が起きているが、いずれも未解決に終わっている。

9月10日、大阪府富田林(とんだばやし)市の経理事務所手伝いのO(52歳)が和歌山県に釣りに行く途中、大阪府泉佐野市内の国道26号線沿いの自販機で、牛乳、缶コーヒー、「オロナミンC」を買い、自販機に置かれていた1本の「オロナミンC」も持っていった。牛乳と缶コーヒーは釣りをしながら飲んだが、「オロナミンC」はそのまま自宅に持ち帰った。翌11日、「オロナミンC」を自宅で1本飲み干し、2本目を飲みかけたところで苦しみ出した。帰宅したOの妻に発見されてOは病院に運ばれたが、呼吸困難に陥って14日に腎不全で死亡した。2本目のびんの残りから「パラコート」が検出されている。

9月11日、三重県松阪市の愛知学院大学4年のY(22歳)が、自宅近くの自販機で「リアルゴールド」を買おうと100円玉を入れると、取り出し口には2本の「リアルゴールド」があった。自宅に持ち帰り、1本を飲み、続けて2本目を飲んだところで吐き気がして激痛が襲った。Yは14日に死亡した。2本目のびんから「パラコート」ではないが同種の「ジクワット」が検出されている。

9月19日、福井県今立郡今立町に住む農業を営むK(30歳)が、国道8号線沿いの自販機でコーラを飲んで気分が悪くなり、病院に駆け込んだが、22日、呼吸困難に陥り死亡した。胃洗浄で青色の液体が検出され「パラコート」であることが判った。

9月20日、宮崎県都城市に住むセールスマンのT(45歳)が車に乗って仕事中だったが、国道269号線沿いの自販機で「リアルゴールド」を2本買った。車の中で1本を飲み、2本目を飲んでいるところで気分が悪くなったため、家族に連絡。病院に入院したが、呼吸困難に陥り、22日に死亡した。飲み残した2本目から「パラコート」が検出された。

9月23日、大阪府羽曳野市のゴム加工業のT(50歳)が、彼岸の墓参りで実家に行く途中、道沿いの自販機で「オロナミンC」を買うと、取り出し口に2本あった。Tはその場で1本を飲み、実家から帰宅途中の車中でもう1本飲んだが、腐ったような味がしたため吐き出し、残りはびんごと川へ捨てた。その直後から体がだるくなり下痢症状となったため、病院で治療を受けていたが、2週間後の10月7日、呼吸困難に陥り、死亡した。「パラコート」が検出されている。

10月6日、埼玉県鴻巣(こうのす)市の会社役員の男性(44歳)が前日に市内のドライブインの自販機で「オロナミンC」を買ったところ、取り出し口に2本あったため、1本をその場で飲み、もう1本を自宅に持ち帰っていた。そして焼酎を「オロナミンC」で割って飲んだところ、急に苦しみ出し約2週間後に死亡した。残った「オロナミンC」から「パラコート」を検出した。

10月15日、奈良県橿原(かしはら)市の船具販売業の男性(69歳)が自宅近くの自販機で買った栄養ドリンク剤を飲んで、1ヶ月後に死亡した。「パラコート」を検出した。

10月28日、大阪府河内長野市で農業を営む男性(50歳)が「パラコート」入りの「オロナミンC」を飲んで、1ヶ月後に死亡。前日に和歌山県に釣りをしに行ったとき、道路わきの自販機で買ったものだが、やはり、取り出し口に2本あったものを持ち帰っていた。

11月7日、埼玉県浦和市(現・さいたま市)の建築会社社長(43歳)が自宅近くの自販機で買った「オロナミンC」を飲んだところ、気分が悪くなって病院に運ばれたが、9日後に呼吸困難に陥り死亡した。やはり、自販機の取り出し口に2本あったものを自宅に持ち帰っている。飲み残しのびんから「パラコート」が検出された。

11月17日、埼玉県児玉郡上里町の女子高生(17歳)が、自宅近くの自販機でびん入りファンタ1本買ったときに、取り出し口にびん入りコカコーラ1本を見つけた。自販機には「不審な放置ドリンクに注意」という業者からの注意書きが貼ってあったが、この女子高生は、まさか自分にあたることはないと思い、自宅でコーラを口にして1週間後に死亡した。コーラから「パラコート」が検出された。

パラコート・・・当時、日本で最も多く使われた除草剤のひとつで、植物の葉緑素を枯れさせる作用がある。毒性が強く、誤飲や自殺による死者が少なくなかったが、当時は氏名・住所・職業を記入すれば農協や薬局で誰でも購入でき、濃度の低い家庭園芸用のパラコート剤なら園芸店によってはノーチェックで買えた。人体内に入ると、まず激しい嘔吐や下痢などの中毒症状が表れ、消化器系の粘膜がただれる。そして、腎臓や肝臓などの機能障害が起き、肺出血を併発して呼吸不全となり死亡する。当時市販されていた濃度24%のものなら、大人が30〜40CC飲めば確実に死に至る。

この一連のパラコートなどによる事件が発生した1985年(昭和60年)は、警察白書によると、同年に清涼飲料水などに農薬など毒物が混入された事件は78件に達し、その範囲は1都2府22県に及んだ。このうち17人が死亡しているが、自殺か他殺か判明していないケースも含まれており、ここでは他殺と断定されている11件を取り上げた。いずれも未解決。ちなみに、同年に、パラコート中毒による死者は1021人で、うち自殺とされたのは985人。残り36人のうち14人は誤飲による死亡。

当時の「オロナミンC」はスクリュー式のキャップを回して開けるタイプだったが、メーカーの大塚製薬では、一連の事件後に、細工できないようにレバーキャップを引き抜いて開けるタイプに変えた。

トリカブト保険金殺人事件
[ トリカブト保険金殺人事件 ] 1986年(昭和61年)5月20日、沖縄旅行中に、宿泊先の石垣島のホテルで、神谷利佐子(38歳)が突然、苦しみ出し死亡した。死因は心筋梗塞とされた。1991年(平成3年)、利佐子の夫である自転車製造会社経理部長の神谷力(当時51歳)が別の横領容疑で逮捕されたが、その取り調べ中に、5年前の妻の利佐子の怪死事件が浮上してきた。利佐子は神谷力を受取人として生命保険会社4社合わせて1億8500万円の生命保険に入っていた。死亡後、神谷力は保険金を請求したが、死因に不審を抱いていた保険会社は支払いを保留にしていた。神谷力はそのことで訴訟を起こしたが、のちに取り下げた。神谷力が保険金目当てに毒物を飲ませたものと見て、同年7月1日、殺人と詐欺未遂の容疑で再逮捕されたが、確証はなかった。その後、利佐子の検死医である琉球大学医学部の大野曜吉助教授が急性心筋梗塞と判定したものの納得できないものを感じて心臓や血液を保存しており、東北大の協力を得て血液から毒草トリカブトに含まれるアコニチンを検出した。さらに、精密な検査の結果、フグ毒に含まれるメサコニチンも検出された。検察側は、神谷力がトリカブト62鉢、クサフグ1200匹を購入し、毒を抽出していたことや実験器具を所持していたことなどを挙げ、神谷力が沖縄で毒入りカプセルを利佐子に渡し、それを飲んで利佐子は死亡したと主張した。だが、神谷力がいつ、利佐子にカプセルを与え、いつ、利佐子がそれを飲んだのか目撃者はおらず、しかも神谷力と利佐子が沖縄で別れてから3時間後に死亡している。神谷力は利佐子が死亡したとき、遠隔地にいたとして、アリバイを主張した。状況証拠は多数あるものの、犯行に結びつく直接証拠はなかった。ちなみに利佐子は3人目の妻で、1人目と2人目の妻も原因不明だが、死亡していた。このような裁判だから判決の行方が注目されたが、1994年(平成6年)9月、東京地裁は求刑通り、無期懲役の判決を下した。1998年(平成10年)4月28日、東京高裁で控訴棄却。その後、神谷は自ら作成した200ページ超の上告趣意書を最高裁に提出したが、2002年(平成14年)2月20日、最高裁で上告棄却で無期懲役が確定した。2012年(平成24年)11月、大阪医療刑務所(堺市)で病死。73歳だった。

大野曜吉・・・1978年、東北大学医学部卒業後、同大学院・助手を経て1985年、琉球大学医学部法医学助教授。1990年、日本大学医学部医学助教授。1992年、日本医科大学医学教授。1998年から、早稲田大学法学部で法医学、賠償医学、同大学院研究科で法医学研究を担当。2004年、大学院法務研究科で法医学担当。1999年に起きた山口母子殺人事件では被害者の鑑定を上野正彦医学博士とともに担当している。山口母子殺人事件

神谷力の著書・・・
『被疑者 トリカブト殺人事件』(かや書房/1995)
『仕組まれた無期懲役 トリカブト殺人事件の真実』(かや書房/2002)

関連書籍・・・
『トリカブト事件』(新風舎文庫/坂口拓史/2004)
『ドキュメント トリカブト殺人疑惑』(世界文化社/山元泰生/1991)

トリカブト・・・日本では古くから暗殺に用いられた有毒植物。『日本書紀』にもその記述が認められる。1メートル近い茎の上に青または紫の花が付いている観賞植物で、この全草に毒があるが、特に種子や球根は猛毒であり、アコニチン、ヤパコニチンなどの猛毒成分がある。アコニチンは胃の粘膜から素早く吸収され、興奮が始まり、嘔吐、呼吸困難、舌の麻痺、続いて手、足、指と麻痺していく。そして、わずか0.002〜0.004グラムを食べると、口から泡をふいて瞳孔が散大し、視聴覚に異常をきたし、呼吸麻痺となり死亡する。

[ パラコート保険金殺人事件 ] 1986年(昭和61年)10月8日、岩手県遠野市に住む男(55歳)にパラコートを入れた牛乳入り焼酎を飲ませ、殺害したとして栃木県那須郡南那須町の男(当時54歳)が逮捕された。木材伐採機械の代金の返済に困り、山の神を静める名目で行なう「山入り」の儀式として、男に飲ませたという。材木伐採会社を作ろうと持ちかけ、事故死4000万円、病死2000万円の生命保険をかけており、容疑者自身が受取人になっていた。

[ パラミン入りドリンク毒殺事件 ] 1987年(昭和62年)12月15日、埼玉県岩槻市で、空調設備会社社長が、パラフェニレンジアミン(通称「パラミン」)入りドリンクを飲んで死亡。犯人は同業の社長で、佐野洋の推理小説『二人で殺人を』をまねたものだった。

『二人で殺人を』(角川文庫/佐野洋/1975)

パラフェニレンジアミン・・・カラー写真の現像液や永久染毛剤(含まれていない製品もある)などに含まれている。体内に入ると2時間以内に繰り返し嘔吐が始まり、続いて顔面、頚部、咽頭の浮腫、気管支痙攣、急性呼吸不全、急性腎不全、2次的に血管内溶血を引き起こす。成人推定致死量は10グラム。

[ 東大技官タリウム殺人事件 ] 1990年(平成12年)12月13日、東大医学部付属動物実験施設の技官だった中村良一(38歳)が日頃の仲の悪さが頂点に達し、毒物の酢酸タリウムを飲まされ、翌1991年(平成13年)2月14日に死亡した。1993年(平成5年)7月22日、同僚の技官(当時44歳)が逮捕された。2000年(平成12年)6月6日、最高裁で懲役11年の実刑判決が下され確定した。

タリウム・・・金属元素のひとつで、天然には硫化鉱やある種の雲母の中に微量に存在する。特質は鉛や水銀に近いが、毒性はそれらより強く、無味無臭で水に溶けやすく皮膚や肺からも吸収される。毒物ではあるがその作用は急速なものではない。以前は殺鼠剤としてかなり広範に使われていたが、現在では人工宝石の製造などに利用されているほか、医療関係か研究機関でしか使われていない。致死量は約1グラム。

[ 東海大安楽死事件 ] 1991年(平成3年)4月13日、東海大学医学部付属病院内科助手の徳光雅人(当時36歳)が多発性骨髄腫の患者(58歳)に午後6時15分と午後7時の2回に渡って呼吸抑制作用をもつ鎮静剤を注射。さらに、午後8時40分ごろ、静脈に塩化カリウム製剤20CCなど2種類の薬物を注射し、心不全によって死亡させた。家族から苦しむ姿を見るのが辛い、早く楽にしてくれと懇願された結果だった。日本では医師が薬物で積極的に死なせた初の事件であった。横浜地裁は徳光医師を殺人罪で起訴。1994年(平成6年)の1審・横浜地裁判決では、当時、患者は昏睡状態で、肉体的苦痛と本人の依頼という安楽死の基本的要件を欠いているとして、懲役2年・執行猶予2年の有罪判決を下した。家族の責任は問われなかった。横浜地裁は、医師による積極的安楽死の違法性が阻却される要件として、〈1〉患者に耐え難い肉体的苦痛がある〈2〉死が不可避で、死期が迫っている〈3〉苦痛を除去、緩和する方法がほかにない〈4〉生命の短縮を承諾する患者の明らかな意思表示がある――の4点を示した。

塩化カリウム・・・手術後の体液の成分バランスを調整するときに使用される。筋肉を弛緩させたりして、興奮状態を緩和させる作用をもつが、重い病気などで衰弱している人体に投与すると、心臓を停止させてしまう恐れがある。

関連書籍・・・
『死への扉 東海大安楽死殺人』(新潮社/入江吉正/1996)

『病者は語れず 東海大「安楽死」殺人事件』(文藝春秋/永井明/1995)

[ 新興宗教住職殺人事件 ] 1993年(平成5年)1月21日、山口県田布施町の新興宗教である天峯宗無量寺住職の安峯又茂(47歳)が、信者の看護婦(当時31歳)にインシュリンの注射により殺害されガソリンで焼かれた。安峯に「どこにいても透視能力で分かる」と言われ、キャッシュカードや通帳などを取り上げられた上に拘束され、自由がほしかったと自供した。

[ 大阪愛犬家連続殺人事件警察庁広域重要指定事件「120号事件」) ] 1994年(平成6年)1月26日、大阪の自称犬の訓練士の上田宜範(当時39歳)が殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。1992年(平成4年)5月、道で会った元アルバイト仲間の無職の瀬戸博(23歳)に悪口を言ったとなじられ、6月に殺害。同年7月、無職の藤原三平(33歳)にペット店開設のための出資を迫られ殺害。同月、土木作業員の柏井耕(20歳)にアルバイト料を払うように言われ殺害。1993年(平成5年)10月、犬の訓練所開設をめぐり、だましたとなじった主婦の高橋サチ子(47歳)を自宅で殺害。同年10月、トラックに積んであった高橋の遺体を見つけられそうになったため、主婦の志治信子(47歳)を殺害。いずれも筋肉弛緩剤の塩化スキサメトニウムを注射して毒殺し、塩尻市の知人の農地に埋めていた。1998年(平成10年)3月20日、大阪地裁で死刑判決が下ったが控訴した。2001年(平成13年)3月15日、大阪高裁は控訴を棄却した。上田は上告した。2005年(平成17年)12月15日、最高裁で上告を棄却。

塩化スキサメトニウム・・・全身麻酔に使われる筋弛緩薬。呼吸を抑制するために、人工呼吸器を使用しないと呼吸停止や心停止を起こし、死亡する。致死量は、筋肉注射の場合、0.02グラム程度。

関連書籍・・・
『極悪人』(ワニマガジン社/1996)

『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)

[ 松本サリン事件 ] 1994年(平成6年)6月27日、オウム真理教(現・アレフ)教祖の松本智津夫(教祖名・麻原彰晃/当時39歳)が、実行部隊に指揮して長野県松本市でサリンを噴霧させた。死者7人、重軽傷者144人を出す惨事となった。7月3日、捜査本部は記者会見で「サリンと推定される物質を検出した」と発表。ここでマスコミはこの事件を「松本サリン事件」と名付けた。サリンは第一通報者の河野義行(当時44歳)宅の周辺6ヶ所から検出された。これ以降、警察はもちろん、テレビ報道や新聞記事で河野を犯人扱いした。結局、翌1995年(平成7年)3月20日の地下鉄サリン事件が発生するまで疑惑の人物とされた。「松本サリン事件」は土地問題の訴訟で不利な判決を出した裁判官への報復と製造できたサリンの効力テストのために、裁判官宿舎を狙って噴霧車による攻撃を行ったものとされている。5月16日、松本智津夫を逮捕。2004年(平成16年)2月27日、東京地裁で松本智津夫に対し死刑判決。弁護側は即日、控訴した。2006年(平成18年)3月27日、東京高裁は松本被告に訴訟能力があると認め、弁護側が期限(2005年8月末)までに控訴趣意書を提出しなかったことを理由に、公判手続きを打ち切る異例の控訴棄却の決定をした。3月30日、弁護側が東京高裁の控訴棄却決定を不服として異議申し立て。5月29日、東京高裁が異議を棄却。6月5日、弁護側が控訴棄却決定に対する異議を棄却した東京高裁決定を不服として最高裁に特別抗告。9月15日、最高裁が特別抗告を棄却し、死刑が確定した。2008年(平成20年)8月5日、河野の妻の澄子が亡くなった。60歳だった。事件発生から14年。澄子は意識が戻らないままだった。

サリン・・・ナチス・ドイツが開発した有機リン系の神経ガス。神経の興奮は神経伝達物質であるアセチルコリンによって伝えられるが、正常なときは、アセチルコリンは酵素によって分解される。だが、サリンなどの有機リン系物質はこの酵素と結合するため、その結果、アセチルコリンが体内にあふれ、次の神経伝達が出来なくなり、中枢神経や運動神経に障害が現れ、死亡する。

関連書籍(ほんの一部)・・・
『オウム帝国の正体』(新潮社/一橋文哉/2000)
『大義なきテロリスト オウム法廷の16被告』(NHK出版/佐木隆三/2002
)
[ 埼玉愛犬家連続殺人事件 ] 1995年(平成7年)1月5日、埼玉県熊谷市で、「アフリカケンネル」の経営者で、犬猫繁殖販売業の関根元(げん/当時53歳)と元妻で共同経営者の風間博子(当時38歳)が、経営難で資金繰りに困り、愛犬家を次々に殺害し、死体を遺棄した容疑で逮捕された。1993年(平成5年)4月、金銭のトラブルから産廃処理会社役員の川崎明男(39歳)に硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを飲ませ殺害。同年7月21日、川崎明男を殺害したことをネタに金を要求してきた暴力団幹部の遠藤安亘(やすのぶ/51歳)と運転手の和久井奨(すすむ/21歳)を殺害。同年8月26日、主婦の関口光江(54歳)に犬の売却代金の返還を求められ殺害。いずれの事件についても、犯行後、群馬県片品村に遺体を運び、関根と風間の2人でバラバラにしてから、ペット販売会社の元役員の山崎永幸(当時38歳)に手伝わせて、コマ切れになった肉片は川に棄て、骨はドラム缶で焼き、残った骨灰は近くの山林などに棄てていた。毒殺に使った「硝酸ストリキニーネ」は関根が知人の獣医に、「大型犬数匹を安楽死させたい」と頼み、5グラムを分けて譲り受けていた。共犯で元役員の山崎永幸は3年の刑を終え、1998年(平成10年)8月28日、出所した。2001年(平成13年)3月21日、浦和地裁(現・さいたま地裁)は関根と風間両被告に対し、死刑を言い渡した。両被告は控訴した。2005年(平成17年)7月11日、東京高裁で両被告に対し控訴を棄却。即日上告。2009年(平成21年)6月5日、最高裁で上告棄却で関根と風間の2人の死刑が確定した。2017年(平成29年)3月27日、東京拘置所で関根元が病死した。75歳だった。

共犯の山崎永幸による著書に 『共犯者』(新潮社/1999)がある。翌2000年(平成12年)、志麻永幸のペンネームで角川書店から文庫本として 『愛犬家連続殺人』と改題し刊行。さらに、2003年(平成14年)、山崎永幸のゴースト・ライターとして執筆した作家の蓮見圭一が 『悪魔を憐れむ歌』(幻冬舎)と改題の上、大幅に加筆訂正して刊行した。

この埼玉愛犬家連続殺人事件や他の猟奇殺人事件からヒントを得て制作された映画作品に『冷たい熱帯魚』(DVD/監督・園子温/出演・吹越満&でんでん他/2011)がある。

[ 目黒公証役場の仮谷清志事務長の監禁致死事件 ] 1995年(平成7年)2月28日、オウム真理教(現・アーレフ)の信者が東京都品川区の路上で目黒区公証役場事務長の仮谷清志(69歳)を、信者であった仮谷の妹の居所を聞き出す目的で拉致し、車の中で抵抗する仮谷に麻酔剤の「ケタラール」という薬物を注射、その後も車中で自白剤の「チオベンタールナトリウム」を点滴。さらに上九一色村の第2サティアンで再び、麻酔剤を注射。その約12時間後の3月1日に死亡。遺体は3日かけて焼却された。

チオベンタール・・・全身麻酔の際に使用される導入用静脈麻酔剤の一種で、超短時間作用性の薬剤。

関連書籍ほんの一部)・・・
『オウム帝国の正体』(新潮社/一橋文哉/2000)
『大義なきテロリスト オウム法廷の16被告』(NHK出版/佐木隆三/2002)

[ 地下鉄サリン事件 ] 1995年(平成7年)3月20日、オウム真理教(現・アレフ)教祖の松本智津夫(教祖名・麻原彰晃/当時40歳)が、実行部隊に指揮して、東京の警察庁、警視庁を始め、主要官庁が集まる、霞ヶ関駅を通る日比谷線、丸の内線、千代田線の地下鉄各線でサリンをばらまいた。死者12人(オウム真理教犯罪被害者救済法上の死亡者1人を加えると13人。さらに2020年3月10日にサリン中毒による低酸素脳症での死亡者を加えると14人となる)。22日、上九一色村など全国の教団施設へ強制捜査。5月16日、松本智津夫が逮捕された。2004年(平成16年)2月27日、東京地裁で松本智津夫に対し死刑判決。弁護側が即日控訴。2006年(平成18年)3月27日、東京高裁は松本被告に訴訟能力があると認め、弁護側が期限(2005年8月末)までに控訴趣意書を提出しなかったことを理由に公判手続きを打ち切る異例の控訴棄却の決定をした。3月30日、弁護側が東京高裁の控訴棄却決定を不服として異議申し立て。5月29日、東京高裁が異議を棄却。6月5日、弁護側が控訴棄却決定に対する異議を棄却した東京高裁決定を不服として最高裁に特別抗告。9月15日、最高裁が特別抗告を棄却し、死刑が確定した。

サリン・・・ナチス・ドイツが開発した有機リン系の神経ガス。神経の興奮は神経伝達物質であるアセチルコリンによって伝えられるが、正常なときは、アセチルコリンは酵素によって分解される。だが、サリンなどの有機リン系物質はこの酵素と結合するため、その結果、アセチルコリンが体内にあふれ、次の神経伝達が出来なくなり、中枢神経や運動神経に障害が現れ、死亡する。

関連書籍(ほんの一部)・・・
『オウム帝国の正体』(新潮社/一橋文哉/2000)

『大義なきテロリスト オウム法廷の16被告』(NHK出版/佐木隆三/2002)

和歌山毒カレー殺人事件
[ 和歌山毒カレー殺人事件 ] 1998年(平成10年)7月25日、和歌山市園部(そのべ)で、自治会の夏祭りが催された。会場で出されたカレーライスを食べた人々が激しい吐き気と腹痛に襲われた。これにより、67人が病院で手当てを受けたが、翌26日に自治会長の谷中孝寿(64歳)、副会長の田中孝昭(53歳)、私立開智高1年の鳥居幸(16歳)、市立有功小4年の林大貴君(10歳)の4人が死亡するという大惨事となった。原因は最初、集団食中毒と見られたが、次いで、青酸毒物混入の疑いがもたれ、最終的に砒素化合物の亜ヒ酸が検出された。住民の調査を急ぐ途中で、元生命保険会社外務員の林眞須美(現姓・稲垣/以下同/当時37歳)をめぐる、多額の保険金詐欺疑惑が浮かんできた。眞須美は保険金目当てに知人の男を亜ヒ酸で殺害しようとしたとして、10月4日、殺人未遂と詐欺の容疑で逮捕された。同時に、夫で元白蟻駆除業者の林健治(当時53歳)も詐欺容疑で逮捕された。2人は厳しい取り調べに対し、否認と黙秘で応じた。県警は自白が取れないので、膨大な状況証拠を積み上げる以外になかった。現場検証を繰り返し、眞須美以外の第三者が関与した可能性を次々と消していった。その結果、亜ヒ酸がカレー鍋に入れられた時間帯に、眞須美一人が鍋の番をしていたことと、紙コップを手に料理場のガレージに入り、周囲を窺うような素振りをしていたことなど、目撃証言が収集できた。物証についてはカレー鍋や林宅などから、8点の亜ヒ酸を採取し、兵庫県の大型放射光施設「スプリング8」という最先端装置によって分析、カレーと紙コップ、林宅のプラスチック容器の亜ヒ酸と、健治らが使っていた亜ヒ酸とが同一という鑑定結果を得た。眞須美の前髪からも砒素を検出し、それが事件発生時に近い時期に付着したものと分かった。12月9日、眞須美がカレー鍋に亜ヒ酸を投入したとして殺人と殺人未遂容疑で再逮捕された。12月29日、眞須美は和歌山地裁に起訴された。1999年(平成11年)5月13日、初公判が開かれた。保険金詐欺については認めたものの、殺人と殺人未遂容疑については、前面否認した。2000年(平成12年)10月20日、林健治に保険金詐欺で懲役6年の刑が下った。2002年(平成14年)12月11日、和歌山地裁は林眞須美に対し、求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は即日、控訴した。2003年(平成15年)12月25日、和歌山地裁で遺族や被害者ら計41人が総額約1億3700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決があり、礒尾正裁判長は「被告がカレーにヒ素を混入した」と認定、約1億1800万円の賠償を命じた。2005年(平成17年)6月7日、林健治が刑期を終えて出所。6月28日、大阪高裁は林真須美に対し控訴を棄却した。即日上告。2009年(平成21年)4月21日、最高裁で上告棄却。被告側は判決内容に誤りがあるとして訂正を申し立てていたが、5月18日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は棄却する決定を出した。これにより、林眞須美の死刑が確定した。2021年(令和3年)5月31日、先の再審請求の弁護人とは別の弁護人である生田暉雄弁護士による再審請求を和歌山地裁に申し立てた。「第三者による犯行は明白で、林死刑囚は無罪」と主張しているという。6月9日、大阪府泉佐野市の関西国際空港連絡橋(関空連絡橋)から林眞須美の長女A(37歳)とその長女Aの子どもである次女(4歳)が飛び降りて死亡が確認された。橋から飛び降りる約2時間前には、和歌山市内にあるこの長女Aの自宅で、その長女Aの子どもである長女・鶴崎心桜(こころ/16歳)が心肺停止の状態で発見され、病院に搬送されたものの、その後死亡が確認された。林死刑囚と弁護団は、判決の根拠となったヒ素の鑑定内容に誤りがあるなどとして、担当した大学教授ら2人に対し計6500万円の損害賠償を求めていたが、2022年(令和4年)2月16日、亡くなった心桜の母である長女Aの夫・木下匠(当時40歳)が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された。県警は木下が心桜に長期的に虐待を加え、治療を受けさせず死亡させたとみている。心桜の死因は全身打撲による外傷性ショックで、亡くなった当時は歩くこともままならないほど衰弱していた。木下は再婚で、心桜と血縁関係はない。

林眞須美の著書・・・
『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら  林眞須美 家族との書簡集』(講談社/2006)

『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』(創出版/林眞須美&篠田博之&林健治/2014)

関連書籍・・・
『林眞須美の謎 ヒ素カレー・高額保険金詐取事件を追って』(ネスコ/週刊文春特別取材班/1998)

『マスコミは何を伝えたか 追跡・和歌山カレー事件報道』(解放出版社/佐藤友之/2001)
『もう逃げない。 いままで黙っていた「家族」のこと』(ビジネス社/林眞須美死刑囚長男/2019)

当時、中学3年生だった三好万季(みよし・まき)がこの毒カレー事件を夏休みの理科の宿題に取り上げた。ネットを駆使した調査によって綿密に練られたレポートはそれまでの報道の盲点を鋭く突くものだった。このレポートは『文藝春秋』(1998年11月号)に掲載され、第60回文藝春秋読者賞を史上最年少で受賞した。このレポートが1999年(平成11年)7月、 『四人はなぜ死んだのか』 (付録として、中学2年生のとき夏休みの国語の宿題として提出したレポートも収録されている)として文藝春秋から書籍として刊行された。読んでみたが、とても中学生が書いたものとは思えないほどの文章力がある。うらやましい。1999年(平成11年)4月、万季は都立戸山高校に入学するが、中退したということが自身のサイト(現・閉鎖)に書かれてあった。医師志望だったが、その後どうしているのか不明。ちなみに、万季の父親の三好義光には教育法やビタミン・ミネラルに関する著書がある。『気力こそ自立への根っこ パラダイム大転換時代の子育て (モーニングママ選書)』(創教出版/1995) / 『成人病を予防するビタミン・ミネラル (TSUTIYA HEALTHY BOOKS) 』(土屋書店/1994) / 『ビタミン・ミネラル健康百科 健康と能力をアップする 』(土屋書店/1984) 万季の兄が15歳のときに司法試験(一次)に合格。そのあとに刊行された書籍がある。ちなみに司法試験の一次試験は大学に2年以上在学し、要件を満たす単位を修得していれば免除される試験。『子には魚を与えるな 釣り方を教えよ! 15歳のわが子を司法試験(一次)に合格させた三好流教育法』(主婦と生活社/1991)

和歌山毒カレー殺人事件の後、各地で「毒物連鎖」が起こった(〜「ドクター・キリコ事件」)。

[ 新潟アジ化ナトリウム混入事件 ] 1998年(平成10年)8月10日、新潟市の木材防腐処理会社「ザイエンス」新潟支店で、同支店の経理担当の男性社員のO(当時43歳)が、同支店の金を横領していたのが発覚することをおそれ、10・11日に予定されていた東京本社による業務指導を妨害する目的で、ポットのお湯の中にアジ化ナトリウムを23グラム入れた。Oは同支店社員のボーナスを預けた社内預金や社内旅行の積立金など合わせて約300万円を横領しパチンコなどの遊興費に使い込んでいた。同支店にあったポットのお湯でお茶やコーヒーを飲んだ支店長ら10人が薬物中毒になり、うち9人が4日〜8日間入院した。Oも4日間入院した。同支店ではアジ化ナトリウムを1972年〜1982年の間に、有害なクロムを検出するために試薬として計3本購入していた。11月、Oが同支店を解雇された。横領した金は全額返済されていた。翌1999年(平成11年)2月11日、Oが逮捕された。10月12日、新潟地裁はOに対し懲役2年4ヶ月の実刑判決を言い渡した。

アジ化ナトリウム・・・医薬品(抗生物質)、防腐剤、農薬などの原料に使用されている。以前は自動車のエアバッグのガス発生にも使用されていた。水溶液を飲んだり、蒸気を吸い込んだときは、目、皮膚、気道を刺激し、頭痛、血圧低下、気管支炎、脱力、意識低下、神経症状を起こす。致死量は1.2〜2.0グラム。アジ化ナトリウムは毒性はあるが、使用目的が限られていたため、毒物劇物取締法の毒物・劇物に指定されていなかったが、新潟などで起きた毒物混入事件で使用されたことから、厚生省はアジ化ナトリウムを厳重な管理が必要な毒物に指定した。

1998年(平成10年)8月15日、鹿児島県川辺町で公共貯水タンクに農薬混入。

8月23日、新潟県加茂市で参拝客用ポットに農薬混入。

[ 港中学3年クレゾール郵送事件 ] 8月24日、東京都港区立港中学3年の女子生徒(当時15歳)が、年賀状のやりとりでたまたま住所を知った同じ中3の女子生徒24人、男子生徒2人、担任教師(当時47歳)の計27人に、<同封している“モア・スレンダー”を飲めば1週間以内には、スレンダーなBODYになっているはず>などと書いた手書きの説明書とクレゾールやトイレの洗浄液15ミリリットル入りの容器を送りつけ、26日、これを飲んだ男子生徒(当時14歳)がのどのやけどなどで重症となった。送り主の女子生徒は「学校で友だちにだんだん相手にされなくなり辛かった。9月から登校することを考えると気分が重くなり、毒物事件で新聞やテレビで騒いでいるのを見て、いたずらしてみようと思ってやってしまった。まさか、本当に飲むとは思わなかった。反省しています」と供述。いじめやトラブルの相手に直接、復讐する意図はなかった。彼女は傷害と薬事法違反で東京家裁に書類送致されたが、翌1999年(平成11年)6月18日、同家裁は不処分とした。

クレゾール・・・飲むと中枢神経を興奮させ、後に麻酔作用を示して、意識障害や痙攣を招き、失神、呼吸麻痺から心停止に至る。致死量は90CC〜100CC。

[ 長野青酸烏龍茶殺人事件 ] 1998年(平成10年)8月31日、長野県須坂市の近郊、小布施町で塗装業の男性(58歳)が、冷蔵庫から取り出した烏龍茶を飲み倒れた。その後、病院に運ばれたが、死亡した。死因は急性心臓死とされた。直前まで元気だった男性の急死に不審を抱いた家族の意向もあり、検視が行われたが、病院が出した結論の急性心臓死が覆ることはなかった。翌9月1日午後、家族の抱いていた不審が正しかったことを裏付ける事件が起きていた。だが、家族は翌日の葬儀の準備などに追われて、その事件に気づかなかった。それは男性宅から4キロ離れた須坂市のスーパーで、青酸化合物が混入された烏龍茶の缶が置かれる事件であった。その店は、31日に死亡した男性がいつも買い物していた店だった。昼過ぎ、店内を見回っていた店長が、陳列棚に形の崩れた烏龍茶の缶を見つけ商品にならないと判断して自ら飲んだ。だが、一口飲んで味と臭いの異常に気づき、すぐ吐き出し警察に通報した。翌9月1日、警察は烏龍茶に青酸化合物が入れられていたと発表した。同時に、烏龍茶の缶の底に接着剤のようなもので封をされた小さな穴があることも公表した(缶入り清涼飲料水は通常、缶の変形を防ぐため、水分のほか、窒素などの気体を詰め、内部に一定の圧力をかけている。しかし、穴をあけると窒素が抜け、変形しやすくなる)。死んだ男性の妻が、そのニュースを知ったのは、9月2日に葬儀を済ませてからだった。夫の死に疑問を抱いていた妻は問題の烏龍茶の缶を保管していた。缶を調べたところ、報道されているスーパーの缶と同様に、底に穴が開いていた。3日朝、警察に通報した。警察は残っていた烏龍茶から青酸化合物を検出した。男性は病死ではなく、見ず知らずの何者かによって殺害されていたのだった。

9月2日、奈良県広陵町でびん入りドリンク剤に殺虫剤混入。

殺虫剤・・・有害成分はピレトリン、アレスリンで吐き気やめまいの症状が現れる。

9月3日、大阪府吹田市で紙パック入りドリンクに漂白剤混入。

漂白剤・・・有害成分は過ホウ酸ナトリウムで、頭痛、中枢抑制、昏睡などの症状が現れる。致死量はホウ酸15〜30グラム。

9月4日、大阪市大正区のコンビニ「サンクス大正駅前店」で、大正区の介護士のY子(当時25歳)が紙パック入りオレンジジュース(500ミリリットル)を購入し、自宅で次亜塩素酸を成分とする家庭用漂白剤を入れて飲み、舌のしびれなどを訴えて警察に申告して病院で点滴治療を受けた。7日、Y子は大正署で被害状況を訊かれているときに事件について自供した。「今年5月ごろに私が入院した際、母親が入院給付金を受け取っていることを知った。父に仕事がなく、毒物混入事件が相次ぐ今なら疑われないと思った。店には迷惑をかけた」Y子は入院給付金を詐取する目的で事件を自作自演していたのだった。

9月4日、千葉市でびん入りドリンクに殺虫剤混入。

同日、長野県松本市でペットボトル入りドリンクに殺虫剤混入。

9月6日、静岡市でペットボトル入りドリンクに殺虫剤混入。

9月7日、埼玉県鶴ヶ島町でパックコーヒーに青酸混入。

同日、大阪市で紙パック入りドリンクに漂白剤混入。

同日、岐阜県中津川市で社員食堂のソースに防虫剤混入。

同日、長野県更埴市で缶入りドリンクに殺虫剤混入。

9月8日、宮城県大河原町で紙パック紅茶に漂白剤混入。

同日、福島県郡山市でびん入りドリンクに殺虫剤混入。

同日、千葉県東金市でびん入りドリンクに殺虫剤混入。

9月11日、富山県高岡市で社員食堂のポットなどに農薬混入。

同日、大阪府高槻市で中学校の給食用麦茶に漂白剤混入。

9月15日、栃木県塩谷町で缶入りコーヒーに殺虫剤混入。

9月18日、京都市の京大農学部の研究室の玄米茶にカドミウム混入。

カドミウム・・・サビ止め用のメッキ剤。体内に蓄積すると腎臓障害が起こり、全身に激痛が走って衰弱死する。

9月29日、兵庫県川西市で給食のにゅうめんに消毒用石鹸混入。

[ 三重大学アジ化ナトリウム混入事件 ] 10月15日から16日にかけて、三重県津市の三重大学の生物資源学部の研究室では教員、学生計6人が吐き気やめまいなどの被害を受けた。うち5人はポットの湯を使いコーヒーや紅茶を飲み、めまいなどの身体の異変を感じ治療を受けていた。このうちの2人の助教授と助手は2回に渡り、アジ化ナトリウムに汚染された湯を飲んで体調をおかしくしていた。助教授はこれ以上、被害が広がらないようにということで、ポットを自室に持ち帰った。6人目の被害者は同大学の大学院に通う女性(当時29歳)で、彼女はポットがないのでやかんで湯を沸かし紅茶を作り砂糖を入れて飲んだ。彼女の症状が一番ひどく、入院を余儀なくされた。その後の調べでアジ化ナトリウムはポットだけでなく砂糖にも混入していることが分かった。翌1999年(平成11年)2月22日、この女性が大学構内で飛び降り自殺した。県警は「遺書はなかった」と発表しており、自殺の原因は不明。女子大学院生の自殺で最初から砂糖にもアジ化ナトリウムが入れられていたのか、それともポットが片付けられたので、新たに砂糖に入れられたのかということが不明のままになった。2001年(平成13年)3月8日、女子大学院生が遺書のようなメモを残していたことが分かった。県警はメモについて「自殺をほのめかす言葉やあて名がないため、当時は遺書と考えなかった」と説明した。メモはコートのポケットから見つかっており、<どうすればいいのか、わからない><もう疲れた><私は絶対やっていない>と書かれていた。

1998年(平成10年)10月27日、愛知県岡崎市で国立共同研究機構基礎生物学研究所のポットの湯にアジ化ナトリウム混入。

同日、京都市左京区で国立療養所のポットの湯にアジ化ナトリウム混入。

[ 川崎協同病院事件 ] 1998年(平成10年)11月16日午後7時ころ、川崎市の川崎協同病院で呼吸器内科部長で主治医の須田セツ子が気管支ぜんそくの重い発作があり心肺停止状態で意識が戻らなかった男性患者(58歳)に対し気道確保のための気管内チューブを抜いた。患者がのけぞり苦しそうな呼吸を始めたため、准看護師に筋弛緩剤の投与を命じ、患者は間もなく死亡した。緊急入院から15日目だった。2002年(平成14年)4月に病院が経緯を公表。須田は同年12月に殺人容疑で逮捕、起訴された。2005年(平成17年)3月、横浜地裁は「家族の真意を十分に確認せず、誤解に基づいてチューブを抜いた」として懲役3年・執行猶予5年を言い渡した。2007年(平成19年)2月、東京高裁は「患者の意思が不明で、死期が切迫していたとは認められない」と指摘する一方、家族の意思確認を怠ったとの1審の認定は誤りだと述べ、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年に減刑した。2009年(平成21年)12月、最高裁が上告を棄却し、2審での懲役1年6ヶ月・執行猶予3年が確定。

須田セツ子の著書・・・
『私がしたことは殺人ですか?』(青志社/2010)

関連書籍・・・
『殺人罪に問われた医師 川崎協同病院事件 終末期医療と刑事責任』(現代人文社/単行本/矢澤治/2008)

11月17日、広島市で広島大学医学部大学院室のポットにリグロイン混入。

リグロイン・・・石油臭がある無色透明の引火性液体で、消防法で危険物に指定されている。

[ ドクター・キリコ事件 ] 1998年(平成10年)12月12日、東京都杉並区の無職の女性(24歳)が「ドクター・キリコの診断室」という掲示板で専属「ドクター」をしていた札幌市在住の男性(27歳)と知り合い、青酸カリを男性から譲り受けた。女性はカプセル6錠を飲み、15日に死亡。さらに、同日、この男性も自殺した。警察は男性を自殺幇助容疑で被疑者死亡のまま書類送検した。

関連書籍・・・
『わたしが死んでもいい理由』(太田出版/1999)

『サイバースペースからの攻撃』(雷韻出版/川上イチロー/1999)
『インターネット犯罪』(文春新書/河崎貴一/2001)
『「命」の値段』(日本文芸社/内藤満/2000)
『現代殺人事件史』(河出書房新社/福田洋/1999)
『完全自殺マニュアル』(太田出版/鶴見済/1993)

埼玉県本庄市保険金殺人事件
[ 埼玉県本庄市保険金殺人事件 ] 2000年(平成12年)3月24日、埼玉県本庄市の金融業の八木茂(当時50歳)、小料理店従業員の武まゆみ(当時32歳)、スナック従業員のアナリエ・サトウ・カワムラ(当時34歳)、元金融会社勤務の森田考子(たかこ/当時37歳)の4人が逮捕された。逮捕容疑は虚偽の婚姻届を提出した疑い、つまり公正証書原本不実記載容疑だった。この事件は1999年(平成11年)7月11日に『産経新聞』が「薬物?で保険金殺人 知人3人に十数億 容疑の金融業者 あすにも家宅捜索」という記事を報じてから新聞やテレビ、週刊誌の記者らが押し寄せ、逮捕直前の2000年(平成12年)3月23日まで8ヶ月間、毎晩のように八木が経営するパブや居酒屋で疑惑を否定する「有料記者会見」(1次会をパブで6000円、2次会を居酒屋で3000円、2次会の取材が2時間以上になると追加料金として2000円を請求)を開いてきた。その会見回数は203回にも及んだが、報道陣らが支払った金額は1000万円になったとも言われている。この記者会見で八木は「毒物は1000%出ません」と答えていた。1990年(平成2年)から1994年(平成6年)にかけ、アナリエ・サトウ・カワムラの偽装結婚相手だった元工員の佐藤修一(45歳)に保険をかけ、1995年(平成7年)6月3日ごろ、本庄市にあった佐藤宅で主に武がトリカブトを混ぜたあんパンを食べさせて殺害した。6月14日、佐藤は埼玉県行田市内の利根川で遺体となって発見された。死因は水死と見られ、県警は自殺と断定し、これにより7〜8月にかけて保険金3億200万円を騙し取った。さらに、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて森田考子が元パチンコ店員(当時61歳)と、アナリエ・サトウ・カワムラが元塗装工の川村富士美(当時40歳)とそれぞれ偽装結婚した上、2人に酒とアセトアミノフェンが入った風邪薬を長期間に渡って大量に飲ませ、1999年(平成11年)5月29日に元パチンコ店員を殺害。翌30日に川村を重症にした。元パチンコ店員には1億7600万円、川村には9億6700万円の生命保険金がかけられていたが、警察が捜査中ということで未払いになったままだった。2000年(平成12年)4月15日、八木ら4人が公正証書原本不実記載容疑の件で起訴された。検察の真の狙いは保険金殺人で、厳しい取調べに対して、八木は頑強に全面否認を続けたが、森田考子は協力的で弁護士もいらないと言った。アナリエ・サトウ・カワムラはやむなく偽装結婚を認めた。10代から八木の愛人だったと言われる武まゆみは当初、黙秘を続けたが、4月27日の勾留理由開示法廷で殺人未遂容疑を全面的に認め、涙ながらに謝罪した。5月8日、八木、武、アナリエの3人が殺人未遂の罪で追起訴された。罪状は元塗装工の川村富士美にかけた保険金を詐取するため殺害を図ったとされる件だった。森田考子はこの件では関与の度合いが薄いとして処分保留とされた。5月30日、八木ら4人は元パチンコ店員を殺害し保険金を詐取しようとしたとして、殺人罪で追起訴された。11月21日、八木ら4人は元工員の佐藤修一殺害容疑で逮捕された。12月13日、八木ら4人は殺人罪で追起訴された。2002年(平成14年)2月1日、さいたま地裁はアナリエ・サトウ・カワムラに懲役15年、元金融会社勤務の森田考子に懲役12年を言い渡した。判決理由で裁判長は金融業の八木茂を主犯と認定した上で「八木被告の下、森田考子被告らが役割を分担した組織的犯行で、保険制度を悪用し反社会性が強い」と述べた。2月28日、さいたま地裁は武まゆみに対して、「史上まれな凶悪事件で、極刑に処すべきものと考えられるが、矯正の可能性も認められる」として無期懲役の判決を下した。10月1日、さいたま地裁は八木茂に対して「犯罪史上例を見ない巧妙で悪らつな犯行」と厳しく非難し、死刑を言い渡した。即日、弁護側が控訴。2005年(平成17年)1月13日、東京高裁は八木に対して控訴を棄却した。即日、弁護側が上告。2008年(平成20年)7月17日、最高裁で上告棄却で死刑確定。2009年(平成21年)1月30日、八木が再審請求。2010年(平成22年)3月18日、さいたま地裁が請求棄却の決定。3月23日、弁護団が東京高裁に即時抗告。2014年(平成26年)8月8日、八木の再審請求審で、保存されていた元工員・佐藤修一の臓器を再鑑定したところ、「肺だけでなく肝臓や心臓の内側、腎臓からもプランクトンが検出された。これにより佐藤が生きた状態で川に入り水死した」とする結果が出た。弁護団は「(確定判決が認定した)毒殺ではないことがはっきりした。再審開始に向けた有力な証拠だ」と話している。2015年(平成27年)7月31日、東京高裁は八木の再審請求即時抗告審で請求を棄却したさいたま地裁決定を支持し、弁護側の即時抗告を棄却する決定を出した。高裁は佐藤修一の臓器から検出されたプランクトンが少数だったことなどを踏まえ「血液によりプランクトンが循環したと断定できる根拠はない」と指摘。「鑑定試料の臓器にプランクトンが混入した可能性が払拭できず、鑑定結果に依拠できない」と退けた。2016年(平成28年)11月28日、八木の再審請求の特別抗告審で最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は八木の特別抗告を棄却する決定を出した。12月6日、八木がさいたま地裁に第2次再審請求をした。被害者3人のうち、風邪薬などを大量に飲ませて殺害したとされた1人に関し、服薬と死亡の因果関係が証明できないとする専門家の意見書などを新証拠としている。

トリカブト・・・日本では古くから暗殺に用いられた有毒植物。『日本書紀』にもその記述が認められる。1メートル近い茎の上に青または紫の花が付いている観賞植物で、この全草に毒があるが、特に種子や球根は猛毒であり、アコニチン、ヤパコニチンなどの猛毒成分がある。アコニチンは胃の粘膜から素早く吸収され、興奮が始まり、嘔吐、呼吸困難、舌の麻痺、続いて手、足、指と麻痺していく。そして、わずか0.002〜0.004グラムを食べると、口から泡をふいて瞳孔が散大し、視聴覚に異常をきたし、呼吸麻痺となり死亡する。

事件関係者の書籍

建脇保(当時48歳/武と偽装結婚させられた上に3億2300万円の保険に加入させられ殺されかけた)・・・
『虫けら以下 本庄保険金殺人事件の軌跡』(太田出版/2001)

武まゆみ・・・
『完全自白 愛の地獄』(講談社/2002)

関連書籍・・・
『偽りの記憶 「本庄保険金殺人事件」の真相』(現代人文社/高野隆/2004)

『埼玉「生命保険加入」血も凍る全手口 八木殺人疑惑はこうして狙った』(小学館文庫/久保田滋/2000)
『トリカブト 「本庄保険金殺人事件」元捜査一課刑事の回想』(宝島社/大澤良州/2019)

[ 奈良長女薬殺未遂事件 ] 2000年(平成12年)3月から6月にかけ計6回に渡って准看護婦のS(逮捕時43歳)が自宅や長女の入院先病院で心停止などを引き起こすおそれのある気管支拡張剤の「硫酸サルブタモール」を含むぜんそく治療薬を長女(当時17歳)の茶や弁当などに混入して殺害を図ったとして、7月に逮捕された。Sはこの薬を勤め先の病院から盗んでいた。Sが長女に3000万円の生命保険をかけていたことが判明しているが、保険金目的で殺害したことについては否認していた。1993年(平成5年)、Sは夫と離婚し、独りで3人の子どもを育てていたが、1997年(平成9年)には小学生の次女(9歳)と中学生の長男(15歳)が死亡し、うつ状態となって自殺未遂を図っている。その間、勤めを休職して複数の男性と交際し、高級ホテルに泊まるなどの散財を重ねていた。そのときのお金は次女と長男の死亡時に受け取った保険金だった。Sは保険金2000万円余りのうち、1000万円以上を男性との交際に使ったという。次女と長男も長女と同じ「肺水腫」で死亡しており、さらに、同居していたSの実の両親も長女と同じ薬物を飲まされていたことが分かった。起訴容疑は長女に対する殺人未遂罪のみで、長女が厳罰を望んでいないことを強調して猶予刑を求めていたが、2002年(平成14年)3月15日、奈良地裁はSに対し、求刑・懲役6年のところ懲役3年の実刑判決を言い渡し、そのまま刑が確定した。

准看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

[ 仙台筋弛緩剤点滴混入事件 ] 2000年(平成12年)2〜11月、仙台市泉区の北陵クリニックで筋弛緩剤を点滴に混入して患者1人を 殺害、4人を殺害しようとしたとして、2001年(平成13年)1月6日、殺人と殺人未遂の罪の容疑で准看護師の守大助(当時29歳)が逮捕された。2004年(平成16年)3月30日、仙台地裁で無期懲役の判決。2006年(平成18年)3月22日、仙台高裁で控訴棄却。2008年(平成20年)2月25日、最高裁で上告棄却で無期懲役が確定した。

守大助の著書・・・
『僕はやってない!』(明石書店/阿部泰雄との共著/2001)

関連書籍・・・
『真実のカルテ 仙台・筋弛緩剤 北陵クリニックで何が起きたか』(本の森/半田康延[編]/2010)

久留米看護師保険金殺人事件
[ 久留米看護師保険金殺人事件 ] 2001年(平成13年)に発覚した事件で、1998年(平成10年)〜1999年(平成11年)にかけて、福岡県久留米市の同じ看護学校を卒業した4人の看護師の吉田純子、堤・美由紀、池上和子、石井ヒト美が保険金を騙し取る目的で夫ら2人を殺害した。1998年(平成10年)1月、吉田が堤・美由紀、池上和子共謀し、池上和子の夫・平田栄治(39歳)の静脈に注射器で空気を注入して殺害。保険金3500万円をだまし取った。さらに、1999年(平成11年)3月、吉田、池上和子が堤・美由紀、石井ヒト美と共謀し、石井ヒト美の夫・久門剛(44歳)の体内に医療用チューブで洋酒を注入して殺害し、保険金3200万円を詐取。2000年(平成12年)5月に、吉田、石井ヒト美が池上和子と共謀して堤・美由紀の母親宅に侵入し、殺害目的でインスリンを注射し、預金通帳などを奪おうとして未遂に終わるなどした。2001年(平成13年)8月2日、石井ヒト美が県警に自首し事件が発覚。その後、捜査が始まり、2002年(平成14年)4月、4人が逮捕される。2004年(平成16年)8月2日、福岡地裁で堤・美由紀に無期懲役の判決。8月9日、石井ヒト美に懲役17年の判決。9月24日、吉田に死刑判決。池上和子(43歳)は2004年(平成16年)9月1日、1審判決を前に病死したため、公訴が棄却された。2006年(平成18年)5月16日、福岡高裁は吉田に対し死刑、I・Hに対し懲役17年とした1審・福岡地裁判決を支持し、両被告の控訴を棄却した。5月18日、福岡高裁は堤・美由紀に対し無期懲役とした1審・福岡地裁判決を支持し、被告、検察双方の控訴を棄却。5月29日、吉田は福岡高裁での死刑判決を不服として上告。石井ヒト美(懲役17年)と堤・美由紀(無期懲役)は上告せず、刑が確定。2010年(平成22年)3月18日、最高裁が吉田純子の上告を棄却し、死刑が確定。2016年(平成28年)3月25日、福岡拘置所で吉田純子の死刑が執行された。56歳だった。

関連書籍・・・
『黒い看護婦』(新潮社/森功/2004)

[ 千葉中国人妻インスリン殺人未遂事件 ] 1993年(平成5年)10月に中国で詩織(中国名・史艶秋ですが、都合上、ここでは全て「(鈴木)詩織」で統一)が千葉県で農業を営む鈴木茂とお見合いし、1994年(平成6年)9月に結婚。1995年(平成7年)2月28日、茂の父・利夫(78歳)と母・愛子(73歳)が殺害され、自宅が全焼した火事(未解決/第一発見者・詩織)で、千数百万円の火災保険が、茂の預金口座に振り込まれていたことが判明。また、茂自身にも、詩織を受取人とする数千万円に上る生命保険がかけられていたことも明らかになった。 2002年(平成14年)頃、詩織が長男(当時7歳)と次男(当時5歳)を中国の親族に預ける。2003年(平成15年)4月、詩織が日本国籍取得。10月18日、詩織は茂の背中に鍋の熱湯をかけて全治5ヶ月の重傷を負わせた後、茂の入院先で知り合った無職のK子に約60万円の報酬を支払い、K子の夫が糖尿病の治療に使っていたインスリン製剤を入手。2004年(平成16年)4月1日、詩織が通常の使用量の数十倍にあたるインスリン約3ミリ・リットルを茂に注射し、茂は血糖値低下による脳障害で意識不明に。 2005年(平成17年)7月頃、詩織が茂と別居し、台東区の自宅マンションで風俗店を経営。整形費用1000万円。2006年(平成18年)2月7日、詩織が傷害容疑で逮捕される。3月10日、詩織(当時33歳)が殺人未遂容疑で再逮捕される。 翌11日、K子(当時41歳)が逮捕される。2007年(平成19年)2月26日、千葉地裁はK子に対し懲役8年(求刑・懲役10年)を言い渡した。 2007年(平成19年)3月9日、千葉地裁は詩織に対し懲役15年(求刑・懲役18年)を言い渡した。 12月26日、東京高裁で詩織側の控訴を棄却。(その後、刑が確定したのかどうか不明。分かり次第加筆する予定)

関連書籍・・・
『黒龍江省から来た女』(新潮社/永瀬隼介/2008)
『中国人「毒婦」の告白』(文藝春秋/田村健雄/2011)

[ 静岡タリウム殺人未遂事件 ] 2005年(平成17年)10月31日、静岡県伊豆の国市の県立高校1年の少女(当時17歳)が母親(当時48歳)に同年8月から10月にかけて、ネズミの駆除などに使われる劇物のタリウムを摂取させて殺害しようとした疑いで逮捕された。少女は「クラブ活動の実験で使う」と言って、同年4月から9月にかけて自宅近くの薬局で3回、タリウムを購入。ブログなどで母親の容体の変化を記録していた。母親は意識不明の重体となった。静岡地検沼津支部が精神鑑定(結果はアスペルガー症候群と診断される)をした上で、2006年(平成18年)3月8日、家裁送致した。5月1日、静岡家裁沼津支部で5回目の審判が開かれ、医療(現・第3種)少年院送致とする保護処分を決定した。少女の自室から複数種の薬品や小動物の死骸、継母をタリウムで殺害し、イギリスの毒殺魔として知られるグレアム・ヤングを描いた伝記が見つかった。2006年(平成18年)6月8日までに沼津区検は年齢確認(18歳未満への販売が禁止されている)を怠って少女にタリウムを販売したとして毒劇物法違反の罪で沼津市内の薬局と男性店長(65歳)を略式起訴。沼津簡裁は両者にそれぞれ罰金50万円の略式命令を出した。 この薬局はすでに静岡県から7日間の業務停止などの行政処分も受けている。

タリウム・・・金属元素のひとつで、天然には硫化鉱やある種の雲母の中に微量に存在する。特質は鉛や水銀に近いが、毒性はそれらより強く、無味無臭で水に溶けやすく皮膚や肺からも吸収される。毒物ではあるがその作用は急速なものではない。以前は殺鼠剤としてかなり広範に使われていたが、現在では人工宝石の製造などに利用されているほか、医療関係か研究機関でしか使われていない。致死量は約1グラム。

アスペルガー症候群・・・自閉症は周囲に無関心、他人とのコミュニケーションが困難で言葉の遅れ、興味をもつことへの並外れた固執などを見せる先天性の発達障害とされる。アスペルガー症候群はこの中で知能や言語能力に遅れがない高機能の一群で、幼児期に気付かれないことが多い。自閉症は療育、教育で症状をかなり改善できるとされている。アスペルガー症候群を含む「高機能広汎性発達障害」の子どもは出生児250人に1人の割合と言われている。

グレアム・ヤング Graham Frederic Young ・・・1947年9月、イギリス生まれ。11歳のころから毒物に異常な関心をもっていた。1962年に継母を毒殺。その後、精神病院に8年間収容されたが、退院後、就職した先の会社でさらに2人を毒殺し、1972年、終身刑判決。1990年8月、パークハースト刑務所内で心臓発作で死亡。42歳だった。

関連書籍・・・
『グレアム・ヤング 毒殺日記』(飛鳥新社/アンソニーホールデン/1997)

のちにこの事件をモチーフに『タリウム少女の毒殺日記』(監督・土屋豊/出演・倉持由香ほか)というタイトルで映画化された。この作品は第42回ロッテルダム国際映画祭に正式出品され、大きな反響を呼んだのち、第25回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門作品賞受賞した。タリウム少女の毒殺日記

[ 福島硫化水素殺人未遂事件 ] 2008年(平成20年)5月1日、福島県桑折町で硫化水素を発生させて母親(当時82歳)を殺そうとしたとして三男の農業のM(当時49歳)が殺人未遂容疑で逮捕された。前日の4月30日午後4時50分ごろ、母親がいる自宅1階8畳間で硫化水素ガスを発生させて中毒死させようとした疑い。硫化水素を発生させようと準備していたとき、別の部屋にいた父親(当時80歳)に見つかり、自宅から逃走したが、午後6時半ころ、自宅近くの山林にいるところを署員に発見された。結局、硫化水素は発生せず、部屋のベッドで横になっていた母親は無事だった。Mはガスの発生を知らせる張り紙を自宅玄関の扉に張っていた。Mは両親と妻、子供2人の6人暮らし。当時自宅にいたのは3人だけだった。母親は足が不自由で軽い認知症があり、Mが介護していた。関係者によると、母親は要介護3。町内の介護老人保健施設に4月18日まで入所していたが、その後自宅に戻っていた。硫化水素による自殺は4月に入ってから全国で急増。警察などの発表によると、2月、3月は3〜4件だったが、4月はすでに50件を超えた。こうしたことから4月30日、警察庁は硫化水素の発生方法を説明したインターネットの書き込みを傷害致死事件などを誘発する「有害情報」に指定し、全国の警察本部などに通達したばかりだった。

[ 佐賀硫化水素心中未遂事件 ] 2008年(平成20年)5月11日、硫化水素を発生させ次男(当時5歳)と心中を図ったとして、殺人未遂容疑で住所不定のスナック店員のH(当時29歳)が逮捕された。硫化水素を使った自殺未遂に同容疑を適用して逮捕されたのは全国で初めてという。調べに対し、Hは「一緒に死のうとしたが、息子が泣きだし思いとどまった」と話しているという。調べによると、Hは6日正午ごろ、佐賀県唐津市鎮西町名護屋の実家アパートの納戸に次男と入り、洗剤などを使って硫化水素を発生させ次男を殺害しようとした疑い。

2008年(平成20年)5月末までに、硫化水素ガスによる自殺が全国で489件発生し、517人が死亡していることが警察庁のまとめで分かっている。警察庁では、ガスの発生方法を説明するインターネット上のサイトや掲示板を「有害情報」に指定し、発見し次第、インターネットのプロバイダー各社に削除要請をするよう通達するなど、さらに防止策に力を入れる方針。硫化水素ガスによる自殺は2007年(平成19年)1年間は27件、死亡者は29人だったが、2008年(平成20年)に入って急増し、ピーク時の4月は1ヶ月だけで自殺者が200人を上回った。

[ 大阪硫化水素殺人未遂事件 ] 2008年(平成20年)7月17日、大阪市城東区のマンション一室で前月の6月10日、京都府警の捜査員が詐欺容疑で家宅捜索を始めた直後に硫化水素が発生した事件で、大阪府警捜査1課と城東署は室内で死亡していた無職の萩本智久(38歳/兵庫県警が強盗致傷容疑などで指名手配)が捜査員11人を硫化水素中毒にさせたとして、被疑者死亡の殺人未遂、公務執行妨害容疑で書類送検した。硫化水素を発生させた死亡者を殺人未遂容疑で立件するのは全国初。大阪府警は、萩本が警察に追われて新たな潜伏先を見つけるなどしており、積極的な自殺意志はなく、捜査員を殺害する意志があったと判断した。調べでは、硫化水素を発生させる材料を購入したのは2008年(平成20年)3月以降。当時の硫化水素濃度は致死量800ppmを超える2万ppmだったと推定される。

[ 茨城一家薬物中毒事件 ] 2008年(平成20年)10月16日、茨城県常陸大宮市の飲食店経営、寺門文男(当時74歳)方で、夕食を食べた家族ら4人のうち1人が死亡、2人が一時意識不明になった中毒事件で、県警大宮署は寺門の四男(当時24歳)が事件に関与したとの疑いを強め、事情聴取を始めた。夕食の調理を手伝ったことや睡眠薬などを入手できる状況にあったことから傷害致死容疑などを視野に捜査する。同署などが一時意識不明になった寺門の妻の美江(当時65歳)ら2人の尿を分析したところ、睡眠薬の成分を検出したが、四男の尿からは薬物反応はなかったという。さらに、同署が15日に捜索した寺門方から薬物類を押収した。調べでは外出していた寺門を除く4人は11日午後7時ごろ、食事をした後、嘔吐するなどし、12日朝に寺門の義母・つる(95歳)の死亡が確認された。美江ら2人は一時重体だったが、15日に退院した。四男も体調不良を訴えて入院していたが、16日に退院した。

[ 京都腐敗水点滴事件 ] 2008年(平成20年)12月24日、重病で入院中の五女で1歳10ヶ月の娘の点滴に注射器で腐敗した水を注入して殺害しようとしたとして岐阜県関市の母親で無職のT(当時35歳)が逮捕された。「死亡させるつもりはなかった。病状が悪化すれば娘に付き添って看病してやれると思った」と供述。Tは夫と長女、五女の4人家族で、次女と三女、四女の3人も幼いころ、相次いで病死している。調べでは、Tは22〜23日の間、京都市左京区の京都大学医学部付属病院に入院していた五女の点滴に2回にわたり自分で用意した注射器で腐敗して細菌の混入した水を注入し、殺害しようとした疑い。同病院によると、五女は12月2日、重症感染症患者として岐阜県の病院から京大病院に転院。京大病院で血液検査を行ったところ、通常は血液中にない細菌が検出され、病状悪化のため7日から集中治療室(ICU)で治療を受けていた。22、23の両日、Tの不審な行動を、病室のビデオカメラ映像を通じて病院側が確認し府警に通報。府警がTから事情を聴いたところ、注入を認め、荷物の中に注射器が複数本入っていたという。五女は現在、快方に向かっているという。Tは「水道水にスポーツ飲料を混ぜて1週間から10日ほど放置し、面会時間中に点滴に注入した」と認めているが、殺意は否認。府警は、Tが腐敗水の注入を継続的に行っていた可能性がある一方、精神的に疲れていた可能性もあるとみて動機を詳しく調べている。2009年(平成21年)1月14日、2006年(平成18年)に死亡した四女(8ヶ月)を同様の手口で殺害していたとして殺人の疑いで再逮捕。2009年(平成21年)6月11日、2004年(平成16年)に死亡した三女(2歳)についても同様に死亡させたとして再逮捕された。

他人の注意を引きつけるため病気の症状をまねる精神疾患であるミュンヒハウゼン症候群の一種で主に親が子に対し薬物などを使ったり怪我をさせたりして患者に仕立て、子を心配する親として献身的な看病をする児童虐待の特異な例の精神疾患である代理ミュンヒハウゼン症候群の特徴がこの京都での腐敗水点滴事件において指摘されている。

関連書籍・・・
『代理ミュンヒハウゼン症候群』(アスキー新書/南部さおり/2010)

[ 首都圏連続不審死事件 ] 2009年(平成21年)8月、埼玉県富士見市で木嶋佳苗(現姓・井上/当時34歳)と交際していた東京都千代田区の会社員の大出嘉之(41歳)が駐車場のレンタカー内から遺体で見つかった。死因は練炭による一酸化炭素中毒。その後、木嶋と付き合いのあった青梅市の会社員の寺田隆夫(53歳)が同じく練炭による一酸化炭素中毒で死亡。千葉県野田市の無職の安藤建三(80歳)も同年、焼死していたことが判明。木嶋は3件の殺人、6件の詐欺・詐欺未遂、1件の窃盗事件で逮捕、起訴された。裁判員選任手続が2012年(平成24年)1月5日、初公判が1月10日、判決日が4月13日という裁判員裁判としては約100日間にわたる長期裁判であった。2012年(平成24年)4月13日、さいたま地裁は木嶋に対し死刑を言い渡した。弁護側が即日控訴。2014年(平成26年)3月12日、東京高裁が1審の死刑判決を支持し控訴棄却。弁護側が即日上告。2017年(平成29年)4月14日、最高裁で上告棄却で死刑が確定した。

関連書籍・・・
『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(朝日新聞出版/北原みのり/2012)
『別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』(講談社/佐野眞一/2012)
『木嶋佳苗劇場 完全保存版! “練炭毒婦”のSEX法廷大全』(宝島社/神林広恵+高橋ユキ(霞っ子クラブ)[編著]/2012)
『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店/高橋ユキ/2012)

[ 京大病院インスリン事件 ] 2010年(平成22年)3月2日、京都大学病院で2009年(平成21年)11月14〜16日、循環器内科に入院中の女性患者(当時94歳)が通常使用量の6〜250倍程度の高濃度インスリンによる低血糖発作で意識不明になった事件で、患者の看護記録に虚偽の血糖値を記載した公電磁的記録不正作出と同供用の容疑で、患者の担当看護師のK(当時24歳)が逮捕された。3月21日、殺人未遂容疑で再逮捕。Kは「してはいけないことをした」などと話し、容疑を認めている。また、Kは「3日続けて計3回、点滴から注入した」と供述した。京都地検が刑事責任能力の有無を判断するため、精神鑑定を請求する方針を決めたことが4月7日、捜査関係者の話でわかった。京都府警によると、Kは動機について「両親の期待が大きく、応えなければいけないのに空回りし、イライラしていた」と供述。10月29日、京都地裁で笹野明義裁判長は「医療従事者に対する信頼が揺らぐ事態となったことは明らか。社会的影響を見過ごすことはできない」として、Kに対し懲役1年6ヶ月(求刑・懲役3年)を言い渡し確定した。

[ 近畿連続青酸死事件 ] 2013年(平成25年)12月、京都府向日(むこう)市で無職・筧(かけひ)勇夫(75歳)が死亡し遺体から毒物の青酸化合物が検出される事件があり、2014年(平成26年)11月19日、筧に毒物を飲ませ殺害した殺人容疑で、事件直前に結婚した妻の千佐子(当時67歳)が逮捕された。千佐子の周囲では、これまでに判明しているだけで大阪、奈良、兵庫などで7人の死者が出ており、千佐子が受け取った遺産は約10年間で総額10億円に上るともいわれる。2007年(平成19年)12月〜2013年(平成25年)12月、遺産目的や預かった金の返済を免れるため、夫の勇夫(75歳)や、交際相手の本田正徳(71歳)、末広利明(79歳/倒れてから1年半後に死亡。病死と診断され、血液などから青酸化合物は検出されていない)、日置稔(75歳)に青酸化合物を飲ませて殺害、または殺害しようとした4事件について起訴された。2017年(平成29年)11月7日、京都地裁での裁判員裁判で起訴された4事件についていずれも有罪と認定し、検察側の求刑通り、死刑を言い渡した。弁護側が判決を不服として控訴。2019年(令和元年)5月24日、大阪高裁で控訴棄却。即日上告。2021年(令和3年)6月29日、最高裁で上告棄却で死刑が確定。

関連書籍・・・
『全告白 後妻業の女「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館/小野一光/2018)
『筧千佐子 60回の告白 ルポ・連続青酸不審死事件』(朝日新聞出版/安倍龍太郎/2018)

[ 西宮メタノール酒事件 ] 2016年(平成28年)3月9日、兵庫県西宮市の無職・大川房子(当時48歳)が毒性のあるメタノールを混入した酒を夫に飲ませて殺害しようとしたとして殺人未遂の疑いで逮捕されたが、メタノール中毒で意識不明の重体となっていた会社員の夫・大川廣明(59歳)が翌10日夕方、入院先の神戸市内の病院で死亡した。調べに対し、「夫が飲む酒に燃料用のアルコールを入れた」と供述。夫は6日、「体調が悪い」と自ら病院に行ったところ容体が急変し、意識不明の状態が続いていた。11月16日、神戸地裁は大川房子に対し懲役9年を言い渡した。

[ 横浜点滴混入連続殺人事件 ] 2016年(平成28年)9月、横浜市の旧・大口病院(現・横浜はじめ病院・休診中)で入院患者の興津朝江(78歳)と西川惣蔵(そうぞう/88歳)、八巻(やまき)信雄(88歳)の連続中毒死事件で司法解剖の結果、3人の体内から医療器具の消毒などに用いられ、界面活性剤「塩化ベンザルコニウム」を主成分とする消毒液「ヂアミトール」が検出された。2018年(平成30年)7月7日、同病院の元看護師・久保木愛弓(当時31歳)が殺人容疑で逮捕された。界面活性剤は細菌のたんぱく質を腐食して殺す消毒作用があり、高濃度で体内に入ると多臓器不全などを起こす恐れがある。病院では同年7月以降、9月20日まで、八巻らを含め48人が死亡。全員が4階に入院していた。2021年(令和3年)10月22日、横浜地裁での裁判員裁判で検察側は久保木愛弓に対し死刑を求刑し、弁護側が最終弁論をして結審した。11月9日、横浜地裁は久保木愛弓に対し無期懲役を言い渡した。家令和典裁判長は量刑理由について「公判で自己に不利益な事情を含め素直に供述し、反社会的な傾向も認められない」とし、「死刑を科することがやむを得ないとまでは言えず、生涯をかけて更生の道を歩ませるのが相当だ」と述べた。家令裁判長は久保木愛弓の責任能力について「犯行時は(発達障害の一種の)自閉スペクトラム症の特性があり、うつ状態にあった」と認定した一方、弁護側が主張した統合失調症の影響は否定。「『勤務時間中に自身が対応を迫られる事態を起こしたくない』という犯行動機は了解可能で、違法な行為であることを認識していた」として、完全責任能力があったと認めた。また、久保木愛弓が遺族に謝罪し、償いの意思を示したことなどから「更生の可能性も認められる」としている。11月22日、横浜地検が1審の無期懲役判決を不服として控訴。同日、無期懲役判決を相当だと主張していた弁護側も控訴した。2023年(令和5年)12月15日、控訴審初公判が東京高裁(三浦透裁判長)で行われた。検察側は1審・横浜地裁判決の無期懲役を量刑不当と訴えて死刑を主張、弁護側は検察側の控訴を棄却するよう求めた。弁護側は「死刑は真にやむを得ない場合以外は科すことができない究極の刑であり、1審の裁判員裁判が死刑を科すには躊躇せざるを得ないとし死刑を回避した判断は非常に重たい。上訴審でこれを覆すとすれば、裁判員制度の否定だ」と強調した。検察側は「刑の大枠は死刑以外あり得ない」と量刑不当を控訴理由にしているほか、余罪に関する供述調書を不採用とした1審には訴訟手続きの法令違反があると主張し、不採用となった供述調書を控訴審で改めて証拠請求した。三浦裁判長はこの請求を「関連性がない」として却下した。被告は1審で起訴事実にない余罪について検察側から問われ「話したくありません」と供述していた。2024年3月12日の第2回公判で被告人質問が行われた後、結審する見通し。

[ 台東区資産家夫婦4歳児毒殺事件 ] 2024年(令和6年)2月14日、東京都台東区で4歳の次女・美輝(よしき)ちゃんに人体に有害な物質物質「エチレングリコール」(車のエンジンの冷却に使われる不凍液)と向精神薬の「オランザピン」を摂取させ、中毒死させたとして両親である台東区の会社役員・細谷健一(当時43歳)と妻・志保(当時37歳)が逮捕された。押収したパソコンやスマートフォンの解析で、事件の約1年前から「エチレングリコール」や「オランザピン」をインターネットで複数回購入していたことが確認されている。容疑者の夫婦は浅草駅から徒歩10分ほどの距離にある10階建てマンションを所有。さらに浅草駅から徒歩2分の9階建てホテル「浅草ホテル 旅籠」の経営者でもあり、資産家夫婦だった。事件は2023年(令和5年)3月13日、父親の健一の通報で発覚した。事件を受けて、児童相談所などを管轄する東京都が会見を開いた。その会見では、両親の“夫婦げんか”をきっかけに、美輝ちゃんが生後2ヶ月から半年間にわたり、児童相談所に一時保護されていたことが明らかになった。また、美輝ちゃんは長期にわたって、昼夜を通して保育所や託児所に預けられていたこともあったという。こうしたことから、両親から「ネグレクト(=育児放棄)」されていた可能性が高いとみられている。さらに、事件があったマンションでは2018年(平成30年)5月に健一の姉(死亡推定時41歳)が遺体で見つかっていて、警視庁は姉が死亡したいきさつなどについても捜査を進める方針。

参考文献・・・
『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)

『現代殺人事件史』(河出書房新社/福田洋/1999)
『迷宮入り事件』(同朋舎出版/古瀬俊和/1996)
『日本犯罪図鑑』(東京法経学院出版/前坂俊之/1985)
『犯罪紳士録』(講談社文庫/小沢信男/1984)
『完全自殺マニュアル』(太田出版/鶴見済/1993)
『悪い薬』(データハウス/中山純/1990)
『毒 社会を騒がせた謎に迫る』(講談社/常石敬一/1999)
『夢一途』(集英社文庫/吉永小百合/1993)
『四人はなぜ死んだのか』(文藝春秋/三好万季/1999)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
『黒い看護婦』(新潮社/森功/2004)
『毎日新聞』(2000年3月24日付/2001年1月6日付/2002年3月15日付/2002年10月1日付/2004年3月30日付/2005年1月13日付/2005年4月5日付/2005年5月1日付/2005年10月31日付/2006年3月22日付/2006年3月30日付/2006年5月16日付/2006年5月18日付/2006年5月29日付/2006年6月5日付/2006年6月8日付/2006年6月9日付/2006年6月13日付/2006年6月27日付/2006年9月1日付/2006年9月7日付/2006年9月8日付/2006年9月15日/2006年12月26日付/2007年1月4日付/2008年2月25日付/2008年4月30日付/2008年5月1日付/2008年5月11日付/2008年6月19日付/2008年7月17日付/2008年7月18日付/2008年10月16日付/2008年12月24日付/2009年1月14日付/2009年1月31日付/2009年4月21日付/2009年5月20日付/2009年6月5日付/2009年6月11日付/2009年12月9日付/2010年3月3日付/2010年3月18日付/2010年3月22日付/2010年4月2日付/2010年7月18日付/2010年10月7日付/2010年10月29日付/2010年11月9日付/2012年4月13日付/2013年2月13日付/2013年8月8日付/2014年11月19日付/2017年3月27日付/2017年3月29日付/2017年4月1日付/2017年11月7日付/2018年7月7日付/2019年5月24日付/2020年3月24日付/2020年4月8日付/2021年6月24日付/2021年6月29日付/2021年10月22日付/2021年11月22日付)
『NEWSポストセブン』(2021年6月13日付/2022年2月18日付)
『産経新聞』(2021年11月9日付)
『MBSニュース』(2022年3月12日付)
『神奈川新聞』(2023年12月15日付)
『NEWSポストセブン』(2024年2月14日付)

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