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名張毒ぶどう酒事件

1961年(昭和36年)3月28日午後7時ころ、三重県名張市葛尾(くずお)18戸と奈良県山辺郡山添村葛尾7戸で構成されている農業改良、生活改善、文化向上と両村民の親睦を兼ねたクラブ「三奈(みな)の会」(三重県と奈良県の頭文字)の年1回の総会が名張市葛尾の公民館で開かれた。出席者は32人、うち女性は20人であった。(葛尾は現在、三重県と奈良県の両県にまたがっているが、元々はひとつの村であった)

総会は前会長の奥西樽雄の挨拶で始まり、会計報告のあと、今年度の役員改選で新会長や各種役員の選出を行なった。

午後8時過ぎ、懇親会に移り、机の上には折詰が並べられ、男性には日本酒、女性にはぶどう酒が注がれ、前会長の樽雄の音頭で乾杯が交わされた。それから10分ほど経ったとき、突然、樽雄の妻のフミ子(30歳)が倒れ、それ以降、次々と同席していた女性たちが苦しみ出した。食べ物とともに血反吐を吐きながら会場から這い出そうとする者、台所でうめき声をあげながら倒れる者が続出した。そして、その女性のうち5人が死亡、12人が重軽傷という大惨事となった。重軽傷を負った12人はその後、病院に数日から1ヶ月ほどの入院を余儀なくされた。

死亡したのは、奥西フミ子(30歳)、奥西千恵子(34歳)、新矢好(25歳)、中島登代子(36歳)、北浦ヤス子(36歳)であった。

すぐに警察が駆けつけ、初めは食中毒と思われたが、衛生研究所など各種の調査で、それは有機リン性剤の農薬(テップ剤)の「ニッカリンT」の作用であることが判明し、ぶどう酒に口をつけなかった残りの女性3人にまったく異常がなかったことなどからぶどう酒に農薬が混入されている可能性が大きかった。この事件は「第2の帝銀事件」と世間で騒がれた。

ニッカリンTの致死量は0.06〜0.15グラム。青酸カリが0.15〜0.3グラムであるからいかに劇毒であるがか分かる。有機リン系の毒ガスや農薬は、人など脊椎動物が筋肉などを動かす際の命令を伝達する物質であるアセチルコリンを分解する酵素、コリンエステラーゼと結びつく。その結果、コリンエステラーゼの活動がブロックされる。そのため、アセチルコリンは情報を伝える仕事を終えるとただちにコリンエステラーゼによって分解されるのだが、そのまま残ってしまう。そのため筋肉は運動するようにという刺激を与えられたままになり、そのため痙攣を起こし、呼吸筋も動かなくなり死に至る。

4月3日、「三奈の会」の会員の奥西勝(当時35歳)が逮捕された。奥西は妻の千恵子と愛人の北浦ヤス子(ともに死亡)との三角関係の決着をつけるためにやったと一旦は自供した。だが、その後は無実を主張し続けている。

1964年(昭和39年)12月23日、津地裁は証拠不充分で無罪を言い渡した。

1969年(昭和44年)9月10日、名古屋高裁では、1審の判決を逆転させ、死刑の判決を下した。

1972年(昭和47年)6月15日、最高裁では、2審の判決を全面的に支持、上告を棄却して死刑が確定した。

検察調書や2審の有罪判決文などによると、奥西の犯行は次のようになる(<>内)。

<奥西は千恵子と1947年(昭和22年)1月に恋愛結婚し、一男一女をもうけ、葛尾に住み、農業の傍ら、近くの石切り場で働いていた。1959年(昭和34年)の夏ごろから近隣の未亡人の北浦ヤス子と関係ができ、付近の竹薮で密会を続けていた。2人の関係は周囲の噂になっていたが、1960年(昭和35年)10月ごろ、妻の千恵子は2人が連れ立って歩いているところを見てしまった。当然、夫婦仲は険悪となり、口争いが頻発し、妻の千恵子は家事を放棄するようになった。愛人のヤス子は妻の千恵子に責められ、周囲の人たちからも厭味を言われるようになった。そこで、翌1961年(昭和36年)2月20日ごろ、愛人のヤス子が奥西と逢い引きしたとき、別れたいと切り出した。奥西は妻への不満と憎しみ、それに愛人の心変わりへの怒りが重なり、三角関係を清算してしまおうと考えた。2人を殺すと自分に疑いがかかる。なにかいい手はないものかと思案するうち、3月28日夜、「三奈の会」が開かれるという通知が届いた。会では男には清酒、女にはぶどう酒が恒例になっている。千恵子もヤス子もアルコール好きだから必ず飲むはずだ。他の女性には気の毒だが、この方法なら自分が怪しまれることはないだろう。竹筒に農薬「ニッカリンT」を入れ、それを隠し持って、隣家の奥西樽雄会長宅に立ち寄り、玄関に置かれていたぶどう酒1本、清酒2本を抱えて会員の坂峯富子と一緒に公民館に運んだ。そのあと、坂峯が雑巾を取りに奥西樽雄宅へ行った約10分間の留守の間に、ぶどう酒のビンの口金を歯でこじ開け、竹筒のニッカリンを入れ、口金を元通りにして人が集まるのを待った。>

1973年(昭和48年)4月、名古屋高裁に再審請求。以後、再審請求を5回提出したが、すべて却下された。

第5次再審請求を退けた最高裁の決定理由「要旨」によると、奥西に死刑判決を下した根拠に次の3つの証拠群を挙げている。

1、10分間1人でいたという状況証拠
2、王冠に残った歯型
3、自白

要旨は、ブドウ酒に有機リン系の農薬を会の開会が迫った時刻に、公民館のいろりの間で人目につかずに入れることができたのは、10分間1人でいた奥西だけとしている。そして現場から押収されたビンの王冠の表面についていた傷跡は、死刑囚が王冠を歯で開けたときについたものという鑑定および証言が複数存在する、としている。最後に自白の存在を挙げている。

第5次再審請求で弁護側が決め手として提出したのが唯一の物証、歯型の鑑定の見直しだった。1、2審で王冠の歯痕を鑑定した大阪大学教授および名古屋大学教授は、奥西が実際に噛んだ別の王冠の歯痕と比較し、王冠と奥西の歯痕間隔が一致する、と鑑定し、これが有罪の決め手となった。これに対し、弁護側が新たに鑑定を依頼した日大歯学部助教授は、歯痕の間隔を計測し直した結果、10ヶ所のうち9ヶ所が一致せず、最大で2.6ミリのズレがあった、と指摘。学生10人で10個ずつの王冠を歯で開ける実験をした結果、同一人が同じ歯で噛んでも歯痕の間隔が常に一致するとはかぎらない、と結論付けた。つまり、歯型が一致しても一致しなくても、それは物証にならない、ということである。

奥西は「農薬は竹筒に入れて運び、竹筒は公民館のいろりで燃やした。農薬ビンは名張川に捨てた」と自供している。この自供が正しければ、いろりの灰からニッカリンを入れた竹筒の燃えがらや農薬の残留物が検出されるはずだが、警察が調査した結果、そういう痕跡は発見されていない。また4分の3ほど中身が残っていたビンを川に捨てたが、そのビンは川に浮かんだまま下流に流れたと自供している。だが、弁護側が実際に試したところ、何度やってもビンは浮かばずに沈んだ。ビンを投げ込んだとされる場所の川底も調べられたがビンは発見されていない。

確たる物証は何ひとつない状態であった。

2002年(平成14年)4月8日、最高裁は第6次再審請求について請求を退けた名古屋高裁決定を支持し、奥西死刑囚の特別抗告を棄却する決定をした。5人の裁判官は全員一致で「確定判決の認定に合理的疑いが生じる余地はない」と判断した。

4月10日、奥西は名古屋高裁に7度目の再審を請求した。

2003年(平成15年)7月23日 弁護団は「ぶどう酒瓶の王冠を歯で開栓した」との奥西の自白が信用できないことを証明する鑑定書を、新証拠として名古屋高裁に提出した。王冠の内ブタは4つの突起が付いた「4つ足替栓」と呼ばれるもので、弁護団は1つの突起が完全に折れ曲がっていた点に注目。名古屋大学大学院工学研究科の石川孝司教授に鑑定を依頼した結果、人間の歯で開栓した場合、折れ曲がらないことが分かったという。

2004年(平成16年)12月1日までに、弁護団は「判決の認定とは違う農薬が犯行に使われた可能性がある」とする鑑定書を、新証拠として名古屋高裁に提出した。弁護団は「自白や鑑定の信用性に重大な疑問が生じた」としている。弁護団は、事件直後の三重県警の鑑定では「水分と混ざって分解した」として検出されなかった農薬の一成分の鑑定を神戸大、京都大の教授に依頼した。その結果、県警の鑑定とは逆に、水分で分解されにくいことが判明。もともとこの成分を含まない別のメーカーの農薬が犯行に使われた可能性が浮上した。 また、使われたとされる農薬の色が赤だったことも判明。白ぶどう酒に混ぜると赤みを帯びる可能性が高く、自白や関係者証言と矛盾するという。

2005年(平成17年)4月5日、名古屋高裁は再審を開始する決定をした。小出裁判長は「混入毒物は、奥西の農薬とは異なる疑いがある」と述べ、捜査段階の自白の信用性に疑問を呈した。

死刑確定事件で再審開始決定が出るのは、1986年(昭和61年)の島田事件以来19年ぶり5件目。第7次請求では、名古屋高裁が弁護側の鑑定人を証人尋問し、第5次請求以来16年ぶりに事実調べを行った。島田事件の概要は死刑確定後再審無罪事件

4月8日、検察側が異議申し立て。

2006年(平成18年)9月11日、名古屋高裁は再審開始決定に対する異議申し立て審で、毒物の鑑定を行った神戸大の佐々木満教授(有機化学)の証人尋問を神戸地裁で行った。異議審の最大の焦点である毒物の同一性について、佐々木教授は「奥西が所持していた農薬と混入された農薬は別の疑いがある」と述べた。検察側は、問題の成分が検出されなかった理由について(1)量が微量だった(2)加水分解して消失した――などと主張。佐々木教授は「別の成分が検出されているのに、問題の成分だけが検出されないのは合理的に説明できない」などと反論した。

12月26日、名古屋高裁は検察側からの異議申し立てを認め、再審開始決定を取り消した。同時に死刑の執行停止も取り消した。門野博裁判長は「本件に使用された毒物は(奥西死刑囚が所持していた)ニッカリンTの可能性が十分にある」と述べた。

最大の争点は、ぶどう酒に混入された農薬と奥西が所持していた農薬(ニッカリンT)の同一性。ぶどう酒内にニッカリンTの成分は含まれていなかったが、この点について検察側は「加水分解されたため検出されなかった」と説明。弁護側は「成分の加水分解される速度は遅く、農薬は別物」と主張していた。門野裁判長は「(成分が)検出されないこともある」とし、「農薬がニッカリンTでないとはいえない」と認定した。さらに再審開始決定の出た第7次再審請求審で弁護側が提出し、新証拠として採用された「2度開栓実験」やぶどう酒の王冠の内側に付いていた足の折れ曲がりの鑑定などについても証拠価値を否定。「新証拠は新規性は認められるが、(死刑判決を覆すほどの)明白性は認められない」と述べた。「2度開栓実験」は、ぶどう酒の王冠を覆う封かん紙を破らずに王冠を開けることが可能なことを明らかにしたもので、毒物混入の機会が特定できないことを証明したとされた。また、王冠の足の折れ曲がりは人間の歯ではなく栓抜きのような器具を使用したことを証明したもので、「歯で開けた」と供述したとされる奥西死刑囚の自白の信用性を否定するとされた鑑定だった。そのうえで、奥西死刑囚の自白について「自らが極刑となることが予想される重大犯罪について進んでうその自白をするとは考えられない」と述べ、信用性を認めた。

2007年(平成19年)1月4日、弁護団は再審開始決定を取り消した前年12月26日の名古屋高裁決定を不服として、最高裁へ特別抗告した。弁護団は「高裁の決定は『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則に反した重大な認定をしており、破棄されるべきだ」と訴えている。

2008年(平成20年)1月30日、弁護団は奥西の供述内容の分析結果などを柱とした申立補充書を最高裁に提出した。弁護側は補充書で、奥西の供述には「秘密の暴露」がなく、多くが取調官に迎合したとみられると指摘。「迎合性が極めて高い」とする心理テストの結果も添付した上で、再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定は「供述をことさらに重視した事実認定で誤り」と改めて主張した。補充書提出は前年9月に続き2度目。

12月25日、弁護団は農薬を製造した会社の元社員の陳述書などを新証拠として最高裁に提出した。2006年の名古屋高裁決定は農薬のすべての成分が明らかでないなどとして、弁護団の実験の証拠価値を認めなかったが、陳述書では農薬の製造工程や成分を詳しく元社員が説明しており、「不純物が加えられていないことは明らかで、高裁の判断は誤り」と主張している。

2009年(平成21年)7月2日、弁護団が再審が決まった足利事件の教訓を踏まえた判断を求める申立補充書を最高裁に提出した。補充書で弁護団は足利事件について「自白に依拠した事実認定がいかに危険であるかを明確にした」と指摘。再審開始を取り消した名古屋高裁の異議審決定を「科学的な新しい証拠に基づいて再審開始を認めた決定を、自白に依拠し取り消した。足利事件と同じ過ちを犯している」と批判している。

2010年(平成22年)4月5日、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は第7次再審請求に対し、2006年(平成18年)12月26日に再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を取り消し、高裁に審理を差し戻す決定をした。最高裁第3小法廷は「事件で使われた農薬と奥西死刑囚の所持品が一致するのか事実が解明されていない」と判断し、高裁に新たな鑑定を行うよう命じた。再審が開始される可能性が出てきた。

4月7日、奥西の支援団体「名張毒ぶどう酒事件愛知・奥西勝さんを守る会」のメンバーら約15人が名古屋高検を訪れ、2005年(平成17年)4月5日に名古屋高裁が一度決定した再審開始に対する検察側の異議申し立てを取り下げて再審決定を確定させるよう要請した。その他、奥西の即時釈放や捜査の初期段階における重要参考人の供述など未開示証拠の開示を盛り込んだ要請書を提出した。最高裁決定により、高裁の再審開始決定に検察側が異議申し立てをした段階まで審理が差し戻される。このため要請では、差し戻し審に入る前に検察側が異議申し立てを取り下げるよう求めた。

5月10日、弁護団は差し戻し審が開かれる名古屋高裁に最大の争点の毒物について「元被告が混入したとされる農薬ニッカリンTとは別の農薬」とする意見書を提出した。弁護団のこれまでの主張を補強する意見書で、鈴木泉弁護団長は「現時点の(毒物問題分析の)到達点。読んでもらえば毒物がニッカリンTでないと判断できるはずだ」と話した。5月28日には弁護団と名古屋高裁、名古屋高検の三者間で審理の進め方など協議する予定。

7月16日、名古屋高検は差し戻し審で主張する内容を盛り込んだ意見書を名古屋高裁に提出した。奥西がぶどう酒に混入したと自白した農薬「ニッカリンT」について、当時のメーカーに依頼して再鑑定するよう求めたとみられる。検察側は意見書の内容を明らかにしていないが、事件で使われた毒物がニッカリンTであったのか否かを特定するために、可能な限り当時と似た条件で再鑑定するよう求めた最高裁決定を踏まえた内容とみられる。

2012年(平成24年)5月7日、支援者18人が名古屋高裁に再審開始を求める6713人の署名を提出。支援者によると名古屋高裁に提出した署名総数は約2年間で10万人を超えたという。

5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は第7次再審請求差し戻し審で検察側の異議申し立てを認め、奥西の再審請求を棄却した。

差し戻し審では、ぶどう酒に混入された毒物は奥西が自白した農薬「ニッカリンT」だったか否かに争点が絞られていた。下山裁判長は「(弁護団提出の新証拠には)ぶどう酒に混入された毒物がニッカリンTではないことを証明するほどの証拠価値はなく、自白は根幹部分において十分信用できる」とした。その上で、事件直後に行われた捜査側の鑑定でぶどう酒の飲み残しからニッカリンT特有の不純物が検出されなかった点について、「(不純物は)加水分解によってほとんど残っていなかったと推論できる」とした。

5月27日、奥西が38度の発熱により外部の病院へ入院。

5月29日、支援者が死刑の執行停止などを求める要請書を最高検に提出。

12月25日、第7次再審請求特別抗告審で弁護団は奥西が混入を自白した農薬「ニッカリンT」が入ったぶどう酒からは時間が経っても特有の不純物が検出されるとの独自の実験結果を意見書として最高裁に提出。

2013年(平成25年)9月30日、第7次再審請求特別抗告審で弁護団は最高裁に追加の書面を提出したと発表した。毒物の鑑定方法について、最高検が6月に出した意見書に反論する内容となっている。鈴木泉弁護団長は「議論は尽くした。この書面を最終意見書と位置付けている」と述べた。

10月16日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は第7次再審請求差し戻し特別抗告審で奥西の特別抗告を棄却する決定をした。

11月5日、奥西は名古屋高裁に第8次再審請求を申し立てた。弁護団が提出した新証拠は農薬化学の専門家らの意見書など4点。弁護団は「最高裁が意見書を検討した形跡がなく、新規性を失っていない」と主張している。

2014年(平成26年)4月7日、第8次再審請求で弁護団は請求理由の補充書を名古屋高裁に提出した。弁護団は第7次請求が棄却される根拠となった科学鑑定の結果を検証するため、独自に実験を行う方針を明らかにした。補充書では混入された毒物が奥西が自供した農薬「ニッカリンT」だったかどうかについて検察側の科学鑑定の結果などに改めて詳細な反論を展開。毒物がニッカリンTでも矛盾はないとした最高裁決定は誤りとして、「ペーパークロマトグラフ試験」と呼ばれる鑑定などを独自に実施するとしている。

5月28日、名古屋高裁(石山容示裁判長)は第8次再審請求審で奥西の請求を棄却した。弁護団は第7次請求審に引き続き、事件で使われた毒物と奥西が犯行に使ったと自白した農薬「ニッカリンT」との同一性を争点としたが、高裁は「7次請求と同じ理由での請求であり、請求権は消滅している」と判断した。石山裁判長は「形式的には第7次請求の証拠と異なるが、論理的には不可分で同一の証拠」として、第8次請求の証拠の新規性を否定した。また、「奥西死刑囚の加齢や健康状態の悪化を踏まえ、判断を早期に示した」としている。

6月2日、弁護団は第8次再審請求審で奥西の請求を棄却した名古屋高裁刑事1部(石山容示裁判長)の決定を不服とし、同高裁に異議を申し立てた。今後は名古屋高裁の刑事2部で審理される。

11月17日、弁護団は裁判所に提出しないまま保管している証拠の全面開示を検察側に命じるよう、名古屋高裁に申し立てた。申立書によると、検察側はこれまでに計150通余りの捜査報告書などを開示したが、他にも多数の未開示証拠があることを認めている。記者会見した鈴木泉弁護団長は「検察が隠し持つ証拠にアクセスする権利は、弁護団が新証拠を得るために欠かせないもので、しっかりと保障されるべきだ」と話した。

2015年(平成27年)1月9日、名古屋高裁(木口信之裁判長)は第8次再審請求で請求を退けた同高裁の別の裁判部による決定に対して奥西が申し立てた異議を棄却した。

1月14日、弁護団は第8次再審請求の異議申し立てを棄却した9日の名古屋高裁刑事2部の決定を不服として、最高裁に特別抗告した。

5月15日、弁護団は最高裁に特別抗告を申し立てていた第8次再審請求を取り下げ、名古屋高裁に第9次再審請求を行った。鈴木泉団長は「奥西さんに残された時間は多くない。全力を挙げて無実を明らかにする」と述べた。弁護団は第9次請求で、再審請求に必要な新証拠として、実験の報告書など8点を提出。事件で使われた毒物が、奥西が自白したとされる農薬とは違うなどと改めて主張する。

6月16日、弁護団は第9次再審請求でぶどう酒の瓶の口部分に巻かれた封緘紙について「真犯人が毒物混入後に貼り直した可能性がある」として、付着したのりの色を分析した専門家の鑑定書を新証拠として名古屋高裁に提出した。弁護団の再審請求理由の補充書によると、名古屋高裁が証拠として保管する封緘紙の裏面は歳月の経過で赤っぽくまだらに変色している。材料化学の専門家が再現実験をしたところ、こうした変色は、ぶどう酒の瓶詰め工程で当時使われた特殊なのりでは起きないが、家庭向けに広く流通していたのりでは起きたという。

確定判決などでは「毒物を混入した場所は封緘紙の破片が見つかった現場公民館のいろりの間で、奥西死刑囚しか犯行の機会がない」とされてきた。弁護団は、新証拠により「真犯人が別の場所で封緘紙をはがして開栓し、毒物を混入した後で栓を閉め、封緘紙をのりで貼り直して偽装したことが考えられる」と指摘。裁判所の認定は揺らぎ、捜査段階の自白の信用性が否定される、と主張した。弁護団はこの新証拠の補強を目指し、特殊な機器で封緘紙ののり成分を直接分析するため証拠の閲覧も申請。さらに、検察に未提出の証拠を開示させる命令を出すよう高裁に求めた。

10月4日、八王子医療刑務所で奥西勝が死亡した。89歳だった。弁護団の鈴木泉団長は「誤った判断を正そうとしなかった裁判所に強い憤りを覚える」と述べた。

10月15日、名古屋高裁(石山容示裁判長)は病死した奥西勝が申し立てていた第9次再審請求の審理を終了する決定をした。

11月6日、奥西勝の妹・岡美代子(当時85歳)が名古屋高裁に第10次再審請求を行った。岡は請求後に記者会見し、「兄は絶対やっておりません。皆さん助けてください」と訴え、頭を下げた。弁護団は、審理が打ち切られた9次請求と同じく、事件で使われた毒物は奥西が自白した農薬とは違うなどと主張。新証拠としていた実験の報告書や専門家の意見書を改めて提出した。9次請求と同じ裁判部が担当する見通し。

2016年(平成28年)7月20日、10次再審請求で奥西の遺族の弁護団は自白が虚偽だったとする鑑定書を新証拠として名古屋高裁に提出した。自白に沿って犯行を再現する実験を行ったが、「再現できなかった」としている。再現実験は日本大文理学部の厳島行雄教授(認知心理学)が行い、その結果を鑑定書にまとめた。日本大学の学生ら30人が実験に参加。毒物に見立てた液体を瓶から竹筒に移して運搬できるかや歯でぶどう酒瓶の王冠を外せるかなどを検証した。しかし、運搬中に竹筒から液体がこぼれたり、王冠を外せなかったりなどで「30人のうち1人も自白調書通りに犯行を再現できなかった」という。

2017年(平成29年)12月8日、名古屋高裁刑事1部(山口裕之裁判長)は第10次再審請求を棄却する決定を出した。弁護団が提出した新証拠28点全てを「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に当たらない」と退けた。

2019年(令和元年)8月7日、第10次再審請求の異議審で奥西には犯行の機会がなかったとする補充意見書を名古屋高裁に提出。

2020年(令和2年)10月28日、弁護団はぶどう酒瓶の王冠を覆っていた封かん紙から、製造段階とは違うのりの成分が検出されたとする再鑑定の結果を、第10次再審請求の異議審が行われている名古屋高裁に新証拠として提出。

2021年(令和3年)10月27日、弁護団は「瓶のふたをつなぐ封かん紙から、市販ののり成分を検出した」とする鑑定結果を補強する専門家の意見書などを新証拠として名古屋高裁に提出した。同年7月、高裁が弁護団に鑑定結果に関する説明を求めたため、弁護団は繊維学などを専門とする大学教授に意見書作成を依頼した。

11月30日、弁護団はぶどう酒に混入していた毒物が、これまでぶどう酒に入れられたとされた農薬とは異なるという分析結果と大学教授の意見書を新証拠として、名古屋高裁に提出した。

2022年(令和4年)3月3日、第10次再審請求の異議審で名古屋高裁(鹿野伸二裁判長)は「鑑定書は科学的根拠を有する合理的なものではないと」して裁判のやり直しを認めない決定をした。これに対し、弁護団は再審開始を認めなかった名古屋高裁決定を不服として最高裁に特別抗告する意向を表明した。

2024年(令和6年)1月29日、第10次再審請求審で、最高裁第3小法廷(長嶺安政裁判長)は、奥西勝の妹の岡美代子(当時94歳)による特別抗告を棄却する決定をした。再審を認めない判断が確定する。裁判官5人中4人の多数意見。

名張毒ぶどう酒事件をモチーフにした小説に『銀の林』(新日本出版社/佐藤貴美子/1998) がある。

参考文献など・・・
『名張毒ブドウ酒殺人事件 曙光』(鳥影社/田中良彦/1998)
『犯罪の昭和史 3』(作品社/1984)
『毒 社会を騒がせた謎に迫る』(講談社/常石敬一/1999)
『六人目の犠牲者 名張毒ブドウ酒殺人事件』(文藝春秋/江川紹子/1994)
『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店/東海テレビ取材班/2013) 
この書籍を原作として映画作品『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(監督&脚本・齊藤潤一/出演・仲代達矢&樹木希林ほか/東海テレビ放送/2013)が製作された。
『名張毒ぶどう酒事件 自白の罠を解く』(岩波書店/浜田寿美男/2016)
『毎日新聞』(2002年4月10日付/2003年7月23日付/2004年12月1日付/2005年4月5日付/2005年4月8日付/2006年9月11日付/2006年12月26日付/2007年1月4日付/2008年1月31日付/2008年12月26日付/2010年4月6日付/2010年4月7日付/2010年5月10日付/2010年7月20日付/2010年8月30日付/2012年5月8日付/2012年5月25日付/2012年12月25日付/2013年9月30日付/2013年11月5日付/2014年5月28日付/2014年6月2日付/2014年1月14日付/2015年5月15日付/2015年10月4日付/2016年7月20日付/2017年12月8日付/2020年10月28日付)
『産経新聞』(2009年7月2日付/2012年5月29日付/2013年10月17日付/2015年10月5日付)
『読売新聞』(2014年4月7日付/2014年11月17日付/2015年1月9日付)
『中日新聞』(2015年6月17日付/2019年8月7日付)
『時事通信』(2015年10月15日付/2015年11月6日付)
『共同通信』(2021年10月27日付/2022年3月3日付/2024年1月30日付)
『CHUKYO TV NEWS』(2021年12月1日付)

関連サイト・・・
名張毒ブドウ酒事件

冤罪 名張毒ぶどう酒事件

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