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大阪愛犬家連続失踪殺人事件

大阪府八尾市の上田宜範(逮捕時39歳)の実家は裕福な酒屋である。上田は30歳のときに、友人に頼まれて7000万円の借金の保証人になったが、その友人が姿を消してしまい、7000万円を払わなければならなくなってしまった。親に泣きついてようやく7000万円を払うことはできたが、両親は上田を準禁治産者(じゅんきんちさんしゃ)としてしまった。そのときから、上田の性格がガラリと変わってしまった。

準禁治産者・・・心神耗弱(こうじゃく)者や浪費者で準禁治産者の宣告を受けた者のこと(旧民法11条)。2000年(平成12年)に民法が改正・施行されたため、準禁治産者の制度は被保佐人の制度へ移行した。その際に単なる浪費者は被保佐人の範囲から除外された。ただし、旧民法11条により準禁治産者であった者は改正法施行後も準禁治産者として扱われる。

ちなみに、「禁治産者」とは、常に心神喪失の状態にあり、禁治産の宣告を受けた者のこと(旧民法7条)。2000年(平成12年)の民法の改正・施行で、この禁治産者制度は成年被後見人制度へと移行した。

上田は犬が好きだった。両親から準禁治産者として見捨てられてしまってからは、人間と話をするよりは飼い犬と一緒に時間を過ごす方が楽しいと思えるようになってきた。犬が好きだから、獣医の所によく通った。ある日、獣医と雑談をしていると、「子犬がもういらなくなったので、殺してほしい」と頼みにきた人がいた。獣医は気軽に、その子犬に筋肉弛緩剤を注射すると、子犬は苦しむことなく死んだ。それに、興味を抱いた上田は口実をもうけて、その獣医から筋肉弛緩剤(塩化スキサメトニウム2%溶液2ミリリットルアンプル剤)を分けてもらうことに成功していた。

塩化スキサメトニウム・・・全身麻酔に使われる筋弛緩薬。呼吸を抑制するために、人工呼吸器を使用しないと呼吸停止や心停止を起こし、死亡する。致死量は、筋肉注射の場合、0.02グラム程度で、静脈注射の場合ならその半分の0.01グラム。

また、上田は、以前、警察犬訓練士の知人から、その仕事の内容の概略を聞かされていた。専門的知識も経験もないが、畜犬業で金儲けをしようと考えた。そこで、長野県塩尻市内の農地を、犬の繁殖場と訓練所をつくる目的で借りた。施設の建設、運営には金がかかる。上田は「犬の訓練士」と称して、業界誌に広告を出し、出資者を集めたり、犬を散歩させている人に声をかけ、訓練や繁殖の勧誘をしたりして、営業努力を続けていた。

○柏井耕・・・1991年(平成3年)8月ころ、大阪市の土木作業員の柏井耕(22歳)は、上田とアルバイト先で知り合った。1992年(平成4年)7月27日、柏井は知人に「アルバイトに行く」と外出し行方不明になっていた。

○志治信子・・・1991年(平成3年)9月ころ、大阪府堺市の主婦の志治信子(47歳)は犬の散歩をさせているとき、上田に声をかけられて知り合い、1992年(平成4年)10月ころ、上田から子犬を届けてもらっていた。10月29日、自宅にメモを残して失踪していた。

○藤原三平・・・1991年(平成3年)秋頃、大阪市の無職の藤原三平(35歳)は犬の雑誌を通じて、上田と知り合い、交際を続けていた。1992年(平成4年)7月、上田の銀行口座に30万円を振り込んでいて、同じ頃、上田と塩尻の訓練所予定地を訪ねていた。そして、8月頃、別れた妻に電話したのを最後に姿を消していた。

○瀬戸博・・・1992年(平成4年)5月、大阪府堺市の無職の瀬戸博(25歳)は預かった犬を散歩させていた上田と偶然出会った。上田とは以前、ある物流会社で一緒にアルバイトしていた仲だった。お互い、独身ということもあって、よく一緒に飲みに行ったりした。瀬戸には、多少の同性愛的傾向があり、上田と飲みに行った際にそのことを上田に打ち明けたが、そのことでアルバイト先の職場で「瀬戸はホモだ」などと言いふらされたことがあった。そこで、瀬戸は、この日、上田に対して「悪口を言いふらすな」と文句を言った。上田はそんな覚えはないと反発、あやうく殴り合いになりかかった。怒りは殺意にまで高まっていた。7月、瀬戸は仲直りを口実に上田から呼び出されると睡眠薬入りの酒を飲まされ、腕に筋肉弛緩剤の注射をされた。

○高橋サチ子・・・1992年(平成4年)10月ころ、大阪市の主婦の高橋サチ子(47歳)は、動物病院で上田と知り合ったようだが、1993年(平成5年)、高橋は銀行から80万円を借り入れていて、10月25日以降、行方不明になっていた。

警察庁はこの一連の失踪事件を、広域重要「120号事件」に指定、関連府県警に合同捜査を指示した。警察庁広域重要指定事件

1994年(平成6年)1月26日、上田が逮捕される。厳しい追及に上田は間もなく連続殺人事件を自供したが、動機は単純きわまりないものだった。

藤原と高橋は出資金のトラブルからで上田にお金を預けたものの、いつまで経っても、上田がペット店や訓練所を開設準備を行おうとしないので、上田に対し出資したお金を返すように迫っていた。柏井は上田に頼まれて犬の面倒を見たときの手伝い料の未払い分を催促していた。志治は車に隠しておいた高橋の遺体を見つけられそうになって殺害。いずれも、筋肉弛緩剤を注射し、遺体は塩尻の訓練予定地に埋めていた。

1995年(平成7年)2月10日、上田の供述により、塩尻市で5人の遺体が発見される。

上田は筋肉弛緩剤が体内に入ると分解し、殺人の証拠が消滅してしまうことを知っていた。

上田は裁判で自白は警察の暴行によるものとして無罪を主張していた。

1998年(平成10年)3月20日、大阪地裁で、死刑の判決。上田が控訴。

12月、殺害された柏井耕の母親の梅本啓子が『じゃあ、誰がやったの! 息子を奪われた母の無念』(MBC21京都支局・すばる出版)を刊行。

『じゃあ、誰がやったの! 息子を奪われた母の無念』

2001年(平成13年)3月15日、大阪高裁は控訴を棄却した。上田は上告した。

2005年(平成17年)12月15日、最高裁が上告を棄却し、死刑が確定した。

2007年(平成19年)5月、梅本啓子が『息子はもう帰らない! 大阪愛犬家連続殺人事件13年目の結審』(清風堂書店出版部)を刊行。

『息子はもう帰らない! 大阪愛犬家連続殺人事件13年目の結審』

参考文献・・・
『極悪人』(ワニマガジン社/1996)
『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)

『毎日新聞』(2001年3月15日付/2005年12月15日付)

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