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首都圏連続不審死事件

【 事件発生 】

[ 殺人事件 ]

 交際開始時期 死亡日 被害者 被害者の住所 遺体発見場所  死因 被害金 起訴内容 認否
東京事件  2008年
(平成20年)
6月
 
2009年
(平成21年)
1月31日
(検察側の推定)
寺田隆夫
(53歳/会社員)
東京都青梅市  自宅マンション 一酸化炭素中毒死 約1850万円 殺人 否認
千葉事件 5月15日 安藤健三
(80歳/無職)
千葉県野田市  自宅 自宅の火事で焼死 約270万円 殺人 否認
埼玉事件  2009年
(平成21年)
7月13日
8月5日 大出嘉之
(41歳/会社員)
東京都千代田区 埼玉県富士見市の
月極め駐車場に
止めていた
レンタカーの中
一酸化炭素中毒死 約470万円 殺人 否認
詐欺 否認

[ 詐欺及び詐欺未遂、窃盗事件 ]

  交際期間 被害者  被害者の住所 被害金 起訴内容 認否
2008年
(平成20年)
8月〜翌年5月 M(当時49歳) 長野県 130万円 詐欺
8月〜翌年1月 K(当時47歳) 静岡県 約190万円 詐欺
5万円  窃盗 否認
2009年
(平成21年)
7月 B(当時56歳)  神奈川県 (約130万円) 詐欺未遂 否認
8月9月 E(当時38歳)  埼玉県 (70万円) 詐欺未遂 否認
8月 N(当時53歳)  長野県 (140万円) 詐欺未遂 否認

2009年(平成21年)9月25日、木嶋佳苗(当時34歳)が逮捕される。その後、上記の3件の殺人、3件の詐欺、3件の詐欺未遂、1件の窃盗の計10件の罪で起訴された。3件の殺人については無罪を主張、詐欺についてはMから詐取した130万円とKから詐取した190万円のみを認め、窃盗は否認。

上記の事件の他に、2001年(平成13年)に知り合い、2007年(平成19年)8月31日に死亡した千葉県松戸市に住むF(死亡時70歳)が木嶋佳苗に対し約7380万円の援助、2009年(平成21年)9月に知り合った千葉県に住むY(当時46歳)が木嶋に対し約450万円援助している。

木嶋佳苗が得た金額を合計(「約」を無視)すると、1850万円(寺田)+270万円(安藤)+470万円(大出)+130万円(M)+190万円(K)+5万円(K)+7380万円(F)+450万円(Y)=1億745万円になる。

[ 東京事件 ] 2008年(平成20年)6月頃、木嶋佳苗(きじまかなえ/逮捕時34歳)は婚活サイトで会社員(システムエンジニア)の寺田隆夫(死亡時53歳)と知り合った。だが、寺田の自宅には佳苗とのやり取りが残っていたはずの手帳やパソコンのハードディスクがなくなっており、携帯電話のメールもほとんど復元できなかったこともあり、どんな付き合いをしたか分かっていない。分かっているのは佳苗が寺田からカルティエの婚約ブレスレット(約83万円)をもらったことや寺田が亡くなってからすぐにEクラスのベンツを461万円で購入し、料理学校の授業料77万円を支払っていることで、佳苗は寺田から現金約1850万円を受け取っていた。

2009年(平成21年)2月4日、東京都青梅市にある自宅マンションで寺田が死亡しているのが発見された。死因は一酸化炭素中毒で、ひとり暮らしの寺田の3LDKのマンションには練炭コンロが6個、各部屋と廊下にまんべんなく置かれていたという。寺田は使い捨てのアイマスクを付けて死んでいた。寺田が1月30日に出社していたことや遺体の腐敗状況から検察側は寺田が死亡したのは1月31日だと主張している。1月30日、佳苗は都内の自宅から寺田の自宅に近いビジネスホテルにチェックインし、ホテルの駐車場に車を止めた。その後、寺田の自宅で数時間過ごし、ホテルに戻った。佳苗が帰宅したのは翌日ということがETCの記録やホテルの支配人の証言で確認されている。埼玉事件が浮上した後の捜査で、佳苗は寺田が亡くなる2週間前ほど前に練炭や練炭コンロを購入し、さらに30日の夜の指定でダンボール箱数箱を寺田の自宅に送っていることや現場に残されていた練炭や練炭コンロが佳苗が購入したものと同型、同数であることも明らかになった。

警察は寺田の遺体を発見してすぐに自殺と判断し解剖もしなかった。寺田の携帯電話に登録されていた電話番号は母親と姉、それと佳苗のたった3人だった。警察は遺体発見時に佳苗に電話している。佳苗は「1月30日に寺田宅を訪ねて、結婚を前提としてお付き合いしており、子どもを望んでいたのに寺田さんの性機能に問題があったために別れ話を切り出すと寺田さんが激しく落ち込んでいた」ということを伝えた。警察は佳苗の言うことをそのまま信じた。

[ 千葉事件 ] 2008年(平成20年)6月頃、木嶋佳苗は婚活サイトで東京事件で犠牲になった寺田隆夫と知り合った同じ時期に安藤健三(死亡時80歳)とも知り合った。安藤は婚活サイトのプロフィールに10年前に妻が病気で亡くなったことや同居している息子とは顔を合わせることもなく、邪魔者扱いされていることを書いていた。安藤のパソコンに残されたメールから佳苗は安藤に学費としてお金を要求していたことが分かっている。佳苗とのメールのやりとりをして間もなく、まだ会っていない佳苗に安藤は50万円を振り込んだ。安藤は年金暮らしで貯金はなかった。佳苗が2度目にお金を要求したときはローンで30万円を工面した。安藤との肉体関係はなかったと言われているが、安藤は医師から性機能改善薬を処方してもらっていた。佳苗が安藤と出会ってから安藤が亡くなるまでの1年間に泊まりの旅行もあったが、安藤はデート中に4回も意識を失い、病院に運ばれている。だが、安藤は佳苗を疑うことはなかった。

安藤の父親は著名な画家で自宅には父親の描いた絵が何点か飾られていたが、すべてなくなったことがあった。佳苗が持ち出し、他の男性に売りつけようとしていたことが分かっているが、このときも安藤は佳苗を疑わず、息子の仕業だと思ったという。

2009年(平成21年)5月15日、安藤の自宅が全焼し、安藤が遺体で発見された。死因は一酸化炭素中毒と気道熱傷。遺体からは睡眠薬が検出され、遺体のそばに練炭コンロが置かれていた。後に現場写真から複数の練炭が置かれた可能性があったことも分かった。火事になったのは佳苗が安藤の自宅から帰った数時間後のことだった。

この日は安藤に年金187万円が入金される日でもあった。早朝、佳苗は安藤の自宅に行き、安藤の口座に残っていたほぼ全額の188万円を根こそぎ引き出し、その日のうちに100万円は自分の口座に入金し、残りのお金でクレジットカードなどのさまざまな支払いを終らせた。結局、佳苗は安藤から現金で計約270万円を受け取ったことになる。

[ 埼玉事件 ] 2009年(平成21年)7月13日、木嶋佳苗は婚活サイトで会社員の大出嘉之(おおいでよしゆき/死亡時41歳)と知り合った。大出は婚活サイトのプロフィールには、仕事は駐車場の管理で収入は月30万円あること、勝ち組企業に勤めていること、相手の女性に求めるものは家庭的なもので地味な感じのする女性でも全然かまわないといったことが書かれていた。佳苗は大出からのメールにすぐにメールを返信している。「私は学生です。結婚を前提に学生生活を応援してくれる人を探しています」さらに、「男女のお付き合いですから、肉体関係の相性もあります。本気で思って下さるなら交際期間中も避妊しなくてもかまいません」佳苗はメールで自分の身分などウソをついているが、最初から金銭援助が結婚の条件であることを明確に伝え、セックスについても大切なことだからと臆面もなく書き、容姿については自信はないと書くものの、内面は磨いていたとアピールする。

佳苗は婚活サイトで知り合った大出にその2日後に大出の住む東京都千代田区の自宅近くで会い、その8日後にセックスし、翌日に470万円受け取っている。

8月6日早朝、埼玉県内の月極駐車場に止められたレンタカーの中で大出が死亡しているのが発見された。助手席の足下には燃焼した練炭が7個、練炭コンロが1個、着火剤が24個置かれていた。遺体からは睡眠薬の成分が検出された。捜査員は車に鍵がなかったこと、マッチ棒はあるが、マッチ箱がなかったこと、大出の手に練炭を触った形跡がなかったことなどから遺体発見当日から他殺とみて捜査していたが、遺体発見前夜に行動をともにしていた佳苗が容疑者として浮かび上がった。前日の8月5日に大出は自身のブログに<今夜から2泊3日で相手と婚前旅行に行きます>と書き込んでいた。その後、東京都板橋区にあった佳苗のマンションに向かった。死亡日は8月5日とされた。佳苗が大出と婚活サイトで知り合ってわずか23日後のことだった。のちの裁判で検察側は佳苗が8月5日に「大出さんに別れ話を切り出した」としながら、同日に「大出さんから頼まれて練炭コンロ2個を渡した」と主張していることについて説明を求めているが、佳苗は「落ち込んでいる様子だったが、大出さんが『キャンプでもしようと思っている』と言っていたので抵抗はなかった」と答えている。弁護側は別れを告げられた大出が練炭自殺を図った可能性を主張。検察側は佳苗が練炭自殺を装って殺害したと主張した。

大出嘉之のブログ・・・戦車模型ちゃんねるB

[ 1 ] 2008年(平成20年)8月下旬、婚活サイトに登録していた長野県に住むM(当時49歳)に佳苗からメールがきた。「音楽教室の講師をしながら女子栄養大学の大学院で学んでいる」というものだった。Mは「ある程度の金額は援助できると思います」という返信を送った。すぐに佳苗から「学費のことは次回のメールでお伝えします」「あなたは理想の男性です」という内容のメールが届く。8月31日、2人は池袋で会い、食事だけしてMは長野へ帰った。会っている間、お金の話はしなかったが、後に佳苗からメールで金額の詳細が送られてきたので、Mは言われるままに9月2〜4日までに佳苗の口座に計80万円振り込んだ。その後も佳苗から矢継ぎ早に金銭の要求をするメールがくるようになったが、Mはすぐにはこれ以上は無理であることを伝えると、佳苗から「働かなくてはいけなくなるのであなたと会う時間がなくなりますが、それでもいいのでしょうか?」「妹や弟から、その人貧乏なの? 愛情がないの? ・・・と問い詰められています」というメールが届いた。佳苗からの執拗なメールに11月10日、Mは20万円を振り込み、最終的には計130万円を振り込んでしまう。

佳苗から「私、ラブホテルとかブティックホテルに一度も行ったことがないのでキレイなホテルに連れて行ってください」という内容のメールを受け取り、12月29日、Mは佳苗と一緒に池袋のラブホテルに入った。佳苗はハーブティーとコーヒーを持参していて、部屋に入るとすぐに用意をし、Mに飲ませ、自分は「シャワーを浴びてきます」と部屋から出て行ったという。Mの記憶はそこで途切れており、ハーブティーとコーヒーを飲んだとたんに意識を失い、約7時間後に起きたときはすでに佳苗はいなくなっていた。財布をのぞくと1万円札が減っている気がした。そのまま長野に帰り、佳苗にメールした。Mは佳苗を信じたい思いがあり、睡眠薬を入れられたのではないことを確かめたい思いでもう一度同じ状況で実験したいと提案した。佳苗はこれに快諾し、同じラブホテルに行った日、Mはまた意識を喪失した。その後のMの記憶は欠落しており、警察の記録によれば、この日の深夜、Mは池袋から少し離れた首都高を歩いているところを警察に保護された。財布も携帯電話も鞄もなくなっており、顔に傷があり、靴を脱ぐと血が出ていたという。その後、免許証はあったのでプロミスでお金を借りて長野に帰った。Mはその後、佳苗とのやりとりを避けるようになった。佳苗はMに対する詐欺については認めている。

[ 2 ] 2008年(平成20年)8月、婚活サイトに登録したばかりのK(当時47歳)に佳苗からメールがきた。同じ頃に知り合ったMへ送ったメールとほぼ同じ内容で「音楽講師をしており、大学で栄養学を学んでいます。心身のつながりを大切にできる唯一のパートナーを探しています」というものだった。10月初旬、2人は池袋の東武デパートのレストラン街で昼の食事をした。「女子栄養大学の入学金20万円(不要)、学納金52万8千円、52万1千円、施設使用料2万3千円、合計107万2千円になります」翌日、Kは57万円を振り込むと佳苗から「半端な金額はなぜですか?」というメールが届いた。足りない金額を計算して知らせるメールが佳苗から届くとKは佳苗が指示するままに不足分を払い、2日間で70万円近く支払った。その後、佳苗は女子栄養大学を退学し、Kの住む静岡大学に転入すると言い出し、そのため満期退学のために100万円が必要だということも言ってきた。Kは結納金のつもりで言われるままに振り込み、静岡への交通費や引っ越し代などで20万円追加で支払った。計約190万円支払ったことになる。この時点で佳苗とは3回しか会っておらず、セックスもしていない。

佳苗からの提案でホテルに一泊することになり、12月27日、一泊10万円のリッツ・カールトン東京に宿泊したKは部屋に入って佳苗が入れてくれたコーヒーを飲んだ後、記憶がなくなった。目が覚めると佳苗が携帯カメラで部屋中を撮っていた。Kは昨晩のことを訊くと、佳苗は「いろんな話をし、セックスした」と言う。翌2009年(平成21年)1月10日、今度は池袋のホテルメトロポリタンに2人で宿泊した。佳苗は家から持ってきたココアとチョコレートを食べた。Kは普段から少しずつ食べるクセがあったが、この日も佳苗が差し出したトリュフを少しずつかじるように食べていると、佳苗が「一口で食べてください」と言ってきたという。気が付いたら意識を失っていて目が覚めたのは翌朝10時。佳苗から「かなりショックを受けての帰宅です。帰ってくれと豹変し、お財布から5万円を投げつけられました」というメールが届いた。Kは睡眠薬を盛られたことを確信し、佳苗が置いて行ったココアパウダーなどを持って警察に行き、睡眠薬を飲まされたことやお金を取られた話をしたが、「事件性がない」とKを相手にしなかったという。佳苗はKに対する詐欺については認めているが、5万円を財布から盗み取ったことについては否認している。

[ 3 ] 2009年(平成21年)7月、のちに埼玉事件の犠牲者になる大出と婚活サイトで知り合った頃、同じく、婚活サイトで知り合った神奈川県に住むB(当時56歳)に佳苗は大出に出していたメールとほぼ同じ内容のメールを送っていた。「料理学校に通うので学費が必要だ」「交際の条件は経済的支援である」「電撃的な結婚もあるだろう」というものだった。佳苗の要求する学費は約130万円。Bは佳苗が通っているという代官山の料理教室「ル・コルドン・ブルー」のホームページを見てみると、佳苗が要求する額よりも少ない授業料が記してあり、そのことを伝えるメールを佳苗に送ると「私のためにどれだけのことをしてくださるかが愛情の証しです。学費を立て替えられないというなら、私への愛情や誠意がないと判断するしかないと思います」というメールが返ってきた。

Bは上司にそのメールを見せ、そのとき上司から言われた「結婚詐欺じゃないか?」という言葉をそのままメールで佳苗に伝えると、佳苗から「私のデータを消去してください」というメールが届いた。Bはそれまでの佳苗からのメールには思いやりがあり、丁寧で温かいものを感じていた。まだ、一度も佳苗に会っていなかったが、お金を素直に払わなかったことを後悔し、そのことを伝えるメールを送ったが、返事はなかった。

[ 4 ] 2009年(平成21年)8月下旬、埼玉県に住むE(当時38歳)は婚活サイトで佳苗に「気になって仕方ありません」という内容のメールを送った。佳苗からは「真剣に結婚相手を探しています」「料理学校に通っていましたが、支援してくれた男性が亡くなり、学費に困っています」「交際の条件は経済的援助です」「肉体関係の相性もあるので、早いうちに会いましょう」という内容のメールが届き、9月1日、2人は池袋で会った。食事中、佳苗は「電車からキレイなホテルが見えた」と言ったり、食事後、街をフラフラ歩いて「気が付いたらラブホテル街でした」と言った。Eは2人でなんとなくホテルに入り、「真剣な付き合いだから避妊はしなくていい」と言われてセックスしたという。

その後、佳苗から「妊娠する可能性もあります」というメールとともに学費70万円を催促するメールが次々と届いた。Eがこのメールのことを両親に話すと父親は怒り、母親は泣いた。そこで、Eは「母に泣かれたので、お金は用意できません」とメールで伝えると、佳苗から「ご両親に反対されても何とかしよう、という思いがあなたになければ、仕方ありませんね」という返事が来たきり、連絡はなくなった。

[ 5 ] 2009年(平成21年)8月、佳苗はEが出会ったのと同じ頃に長野県に住むN(当時53歳)とも婚活サイトで知り合った。メールの内容はBやEに送ったメールの内容とほぼ同じだった。その2週間後の8月31日に長野から上京してきたNと会う。食後のカフェで佳苗は「学校の費用として140万円必要だ。1週間後が締め切りだからそれまでにほしい。それが交際の条件だ」と言ったが、Nは「現金はない。お金が必要なら借りたらいい。保証人にはなる」と言った。その瞬間、佳苗の態度が豹変したという。

後の裁判でNは証言台に立った。被告人との間には衝立が立てられ、他の証言者たちは直接、被告人と顔を合わせずに証言しているが、Nは衝立を拒否した。そして尋問の最後に検事がNに対し「被告人に言いたいことは」と促されると、佳苗に背中を向けていたNが佳苗の方を突如振り向き、「別に恨んだり憎んだりしているわけではありません。人間ですから過ちを犯すことはあります。新しく生き直していただきたい」と言い放った。その瞬間、佳苗は顔をそむけ、強い意志をもった感じでNを無視した。

2009年(平成21年)9月15日、婚活サイトで佳苗は千葉県に住むY(当時46歳)と知り合った。この頃、佳苗は大出殺害容疑ですでに警察にマークされていた。警察は佳苗が逃亡しないように常に佳苗の周りに張り付いていた。佳苗が外に出たときは「どこに行くんですか?」と話しかけ、佳苗が出したゴミなどは佳苗の前で確認するなどしていた。佳苗はYからのメールにその日のうちに「住むところがないので支援してほしい」「お菓子教室をあなたの家でやりたい」「あなたを信頼して住所を教えます」という内容のメールを返信し、翌16日にYに会いに池袋に向かった。Yはひと月前に一緒に暮らしていた母親を亡くしたばかりで、広い家に一人きりになったこと、遺産が入ったことで佳苗にすぐに「援助します」と伝えている。Yはこれまで一度も女性と付き合ったことがなかったという。17日には言われるまま245万円を佳苗の口座に振り込んだ。そして19日には佳苗はYの住む千葉県野田市に引っ越しを済ませた。

Yには近所に住む姉がおり、佳苗との交際に強く反対した。姉は「遺産を取られないように半分渡しなさい」と忠告したが、「俺が幸せになってはいけないのか」と激しく怒り、姉の家のトイレのドアを蹴り壊した。姉は警察に通報した。ところが、通報されたYが逆に警察から呼ばれた。警察は佳苗の逮捕を目前に控え、Yに事情聴取した。Yは警察から佳苗の周りで男が不審死していることや窃盗しているという話を聞かされたが、聞く耳をもたず、佳苗が言うことを信じ込んでいた。翌日、Yは佳苗を守れるのは自分だけだという思いを深め、佳苗に200万円を渡した。

9月25日、木嶋佳苗(当時34歳)が逮捕された。逮捕から2〜3日後、Yは家の中の火災報知器がすべて外されていたことに気付く。佳苗は逮捕2日前にインターネットで練炭8個と練炭コンロ2個を注文していた記録が残っている。

【 本人歴 】

1974年(昭和49年)11月27日、北海道別海(べつかい)町で木嶋佳苗は生まれた。父親(当時30歳)は製材会社に勤務。母親は(当時29歳)はピアノ講師。3歳下と8歳下の妹、6歳下の弟がいる。父方の祖父は別海町の町議を10期務めた名士であり、町でただ1人の司法書士でもある。父親もいずれ事務所を継ぐことになっていた。父親は中央大学の法学部を卒業しており、弁護士を目指したこともあった。

家庭を第一に考える父親とは対称的に、母親はPTAや婦人会の役員を積極的に務めるなど、人前に出るのが好きな性格だった。

佳苗は同級生からは「頭のいい子」「大人っぽい子」というように見られていた。

小学5年のとき、佳苗が初めて問題を起こした。佳苗が先生に呼ばれ、同級生は「妊娠」「大学生」「お金」という言葉がクラスを飛び交っていたのを覚えていた。実際に何があったのかは当事者しか知らないが、それからは佳苗に性的な噂がつきまとうようになった。

中学校ではセックスをしていると噂された子は学年に3人くらいしかいなかったと同級生は言った。そのうちの1人が佳苗だった。他の子が明らかに不良だったのに対し、佳苗は髪の毛をきれいに整えて清潔感があった。また、どんなに噂がたっても動じることがなかったという。

佳苗が次に大きな事件を起こしたのは中学3年の受験間際の時期だった。佳苗は家族ぐるみで付き合いのあった家から通帳と印鑑を持ち出し、別海町から60キロ離れた根室の郵便局までタクシーで通帳に入っていた300万円を下ろそうとした。わざわざタクシーで郵便局に乗り付けた女の子を不審に思った職員が別海町の郵便局に連絡して事が発覚した。大人たちは佳苗がまだ中学生だからということで、事件をなかったことにした。

高校は地元の別海町にある公立高校に進学した。学校では佳苗の性的な噂はますます深まっていった。知人の口からはお財布に万札が入っていた。校門の前で男性と待ち合わせをしていた。隣の中標津(なかしべつ)町で佳苗が立ちんぼしていたなどという噂はいくらでも出た。

高校1年のとき作った文集で佳苗は「お金持ちになりそうな人」「アダルトビデオに出そうな人」「子だくさんになりそうな人」「秘密のありそうな人」という項目で1位になっている。

佳苗は目立っていたわけでもなく、いじめられていたわけでもなかった。

高校2年の頃、母親が交通事故に遭った。車がアイスバーンでスリップし、片足を切断する大事故になった。その後、母親は義足で生活しなければならなくなった。

高校3年の頃、中学3年のときに通帳と印鑑を盗んだ知人の家から再び通帳と印鑑を盗み、今度は実際にお金を引き出してしまった。この時に盗んだ金額を700万〜800万円と公判では話している。いくら使ったかは不明だが、父親は佳苗が使った分は返済したと言われている。

佳苗の高校では全生徒の進路が書かれた紙が貼り出されていたが、佳苗が就職することを知った同級生は進学しないことを意外に思ったという。佳苗の全国模試の結果には青山学院大学や玉川大学が合格圏であることが記されていた。

佳苗の父親は佳苗に大学受験を望んでいたが、佳苗は受験せず、勤め先を一人で決めて、高校を卒業すると上京してしまった。就職先は日本ケンタッキー・フライド・チキンだった。

父親は佳苗に対して優しく愛情深く接していたが、逆に面と向かって言うことや叱責することはなかった。佳苗も意地を張るように父親に甘えることはなかった。

1993年(平成5年)、上京した佳苗は目黒区祐天寺で暮らし始めた。そしてケンタッキーを3ヶ月で辞めた。1年後には高級デートクラブに登録し、売春で生計を立てていた。数年後、東洋大学経営学部経営学科(2部)に合格するが、履修届を出さず、翌年、除籍処分となっている。

1996年(平成8年)、木嶋家の次女が高校を卒業し、長野県の短大に進学するのと同時に母親は夫との関係が悪化していたこともあり、次女と共に家を出て長野で暮らし始めた。

1998年(平成10年)頃、佳苗がSと交際を始める。Sは佳苗の本命≠ニされているが、佳苗は本名を知らせず、自分のことを「吉川桜(よしかわ・さくら)」と名乗っていた。話すときは「桜は〜」と自分のことを偽名で呼んでいた。

2001年(平成13年)、三女が私立音楽短大に進学した。父親は佳苗に三女を預けるように同居させた。家賃の仕送りも約束した。佳苗は三女の上京をきっかけにデートクラブでの仕事をやめ、介護の仕事を考え始めたというが、実際には介護の仕事をせず、インターネットで千葉県松戸に住んでいるFという男性と出会っている。

三女が上京した年に佳苗はインターネットで詐欺をした。持ってもいないパソコンを売りに出したのである。2年後に執行猶予付きの有罪判決が出ている。裁判の費用や被害者への賠償は父親が立て替えたと言われている。

2005年(平成17年)8月末、父親が突然行方不明になった。1週間後、別海町から100キロ離れた知床半島の羅臼(らうす)で崖の中腹で岩に引っかかっていた車から遺体で発見された。車1台がギリギリ通る細い道には急発進した跡があったという。息子の元には電源が切られていない携帯電話が父親から宅配便で送られてきた。

2007年(平成19年)8月31日、佳苗に対し援助してきたFが死亡。70歳だった。6年間に渡って約7380万円を渡したとされている。月に100万円もらうこともあったという。

2008年(平成20年)6月頃から婚活サイトを利用して男性と知り合うようになる、、、。

【 その後 】

2012年(平成24年)1月5日、裁判員の選任手続き。

1月10日、さいたま地裁で初公判が開かれた。一般傍聴席が49席なのに対し傍聴希望者663人が長蛇の列をつくった。この日の裁判で被告人による罪状認否、検察側、弁護側による冒頭陳述が行われた。

1月11日の第2回公判〜1月23日の第8回公判まで埼玉事件=大出嘉之殺害事件の証人尋問。

(1月16日の第4回公判で被告人の木嶋佳苗の本命とされるSと詐欺未遂被害者のBが検察側証人として出廷。1月20日の第7回公判でともに詐欺未遂被害者であるEとNが検察側証人として出廷。1月23日の第8回公判で被告人の木嶋佳苗が最後に同居していたYが検察側証人として出廷。)

1月24日の第9回公判〜2月3日の第15回公判まで東京事件=寺田隆夫殺害事件の証人尋問。

(1月25日の第10回公判で詐欺被害者のMが検察側証人として出廷。1月27日の第11回公判で詐欺被害者のKが検察側証人として出廷。)

2月6日の第16回公判〜2月14日の第21回公判まで千葉事件=安藤健三殺害事件の証人尋問。

2月16日の第22回公判で検察側の寺田、安藤の遺族が記した手紙の読み上げ。大出の母親の犠牲となった息子への思いを語る。

2月17日の第23回公判〜2月24日の第27回公判まで弁護側による被告人質問。

2月27日の第28回公判〜3月5日の第32回公判まで検察側による被告人質問。

3月6日の第33回公判で裁判官、裁判員による被告人質問。

3月12日の第34回公判で検察側による論告求刑で死刑が求刑される。論告で検察側は「利欲目的の犯行で動機に酌量の余地はみじんもない。反省の態度も更生の意欲、可能性も皆無」と指摘。

3月13日の第35回公判で弁護側による最終弁論と被告人の木嶋佳苗による最終意見陳述。2ヶ月に及んだ公判は延べ60人の証人が出廷し6人(男女それぞれ3人)の裁判員に交代はなかった。

木嶋は「人生を振り返り、自分の価値観が間違ったものであったと気付かされました」と涙声で語ったあと「ただし、私は寺田さん、安藤さん、大出さんを殺害していません」と改めて無罪を主張した。

結審後、さいたま拘置支所で勾留生活を送る木嶋は朝日新聞記者との手紙のやりとりに応じていた。判決直前には便箋20枚に及ぶ「手記」を寄せた。記者は前年の2011年(平成23年)から木嶋に手紙を送っていた。初めて返信があったのは最終弁論(3月13日)の翌日の消印。ボールペンを使い、白い便箋に丁寧に書かれた文字が並んでいた。以降、6回にわたってやりとりが続き、判決の直前に手記が届いた。手記は1万2328字。丁寧な字で「無聊(ぶりょう)」「天真爛漫(らんまん)」「曖昧模糊(あいまいもこ)」などの難しい漢字を多く使い、書き直された箇所はひとつもなかった。メディアの過熱報道や法廷での検察側の威圧的な態度、人権を無視した警察の取り調べに対する批判。生い立ちや心境、弁護人への感謝の言葉などが書かれている。

4月13日、判決日。傍聴希望者は1330人。1月5日の裁判員の選任手続きから4月13日の判決日まで丁度100日だったため、木嶋の公判は「100日裁判」と呼ばれた。裁判員裁判でこうした長期間の審理は初めてで注目を浴びた。さらに直接証拠はなく、検察側と弁護側の主張は真っ向から対立。難しい判断を強いられるとされた。その裁判員が導いた結論に注目が集まった。

開廷直後、大熊一之裁判長は向い合うように座った木嶋佳苗に言った。

「判決理由から言います」

その言葉を聞いて記者たちが一斉に出て行った。死刑判決だということがほぼ確実になったからだ。死刑判決の場合、被告人の精神的負担を避けるために主文を後回しにすることになっている。

大熊裁判長による判決理由の読み上げが続けられ、10の罪すべての検討が終わり、量刑の説明に移る。

「婚活サイトで知り合った男性から真剣な交際を装って多額の金を受領するなどした末、返済などを逃れるため、被害者を殺害したという極めて重大かつ非道な犯罪を3度も繰り返し、何ら落ち度のない3人の尊い命を奪ったことであり結果は深刻かつ甚大である」「被害者は、結婚相手または交際相手として被告を信頼したまま、予想だにしない形で理不尽にも生命を奪われ、その無念さも計り知れない」「被害者らとともに平穏な生活を送っていた遺族らの悲しみや喪失感は大きく、厳しい処罰感情は至極当然。あらかじめ練炭やコンロを準備するなど、犯行の態様は計画性で冷酷かつ悪質である」

大熊裁判長は一気にまくしたてた。さらに、木嶋への言及は続く。

「被害者を抵抗できなくさせて確実に犯行を遂げ、自らは被害者が死亡する前に現場から立ち去って犯跡を隠匿することを可能にするもので、強い殺害意欲や巧妙さすらうかがえる」「被告は働かずにぜいたくで虚飾に満ちた生活を維持するため、婚活サイトで知り合った被害者から多額の金を受け取るなどした末の犯行で、あまりにも身勝手で利欲的な動機に酌量の余地はない」「何ら落ち度もない被害者らの純粋な思いを踏みにじった経緯も強い非難は免れない」「このような極めて重大かつ非常な殺人をさほど長くない期間内に3度も繰り返しており、生命というかけがえのない価値を軽んじる態度は顕著である」「被告は公判でも独自の価値観を前提に不合理な弁解に終始するばかりか、被害者をおとしめる発言を繰り返すなど、真摯な反省や改悛の情は一切うかがえない」

大熊裁判長はゆっくりと結論を述べた。

「死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむを得ない場合における刑罰であるとしても、被告に対しては、死刑をもって臨むほかない」

「主文、被告人を死刑に処する」

それでも、木嶋はずっと前を見据えたまま微動だにしない。

そして、木嶋はゆっくりと立ち上がると、裁判長に向かって軽く頭を下げた。

さらに、弁護側の席に戻った木嶋は自らが持ち込んだ資料が入った紙袋を両手で抱えると傍聴席に目をやって軽く頭を下げた。

感情を押し殺していたのか、それとも状況が飲み込めていないのか、その目はうつろだった。

木嶋が判決を不服として即日控訴した。

2013年(平成25年)10月17日、東京高裁(八木正一裁判長)で控訴審初公判が開かれた。弁護側は改めて「いずれも直接証拠はなく、状況証拠だけで有罪が認定されている」と指摘。3人の被害者は自殺や失火で死亡した可能性が否定できず、「被告を犯人とするには合理的疑いが残る」として無罪を主張し、検察側は控訴棄却を求めた。

2014年(平成26年)1月、木嶋が「木嶋佳苗の拘置所日記」と題したブログを開設。

木嶋佳苗の拘置所日記

1月14日、東京高裁で控訴審第2回公判があり、証拠調べが終了。

2月6日、東京高裁で控訴審第3回公判が開かれ、弁護側は最終弁論で改めて無罪を主張、検察側は控訴棄却を求め結審した。

3月12日、東京高裁が1審の死刑判決を支持し弁護側の控訴を棄却。弁護側が即日上告。

6月10日付のITmedeaニュース によると、木嶋がニコニコチャンネルに「木嶋佳苗チャンネル」を開設。「拘置所で綴る自伝的小説」を連載するという。

ITmedia ニュース / ニコニコチャンネル木嶋佳苗チャンネル

2015年(平成27年)2月、角川書店より木嶋が自伝的小説『礼讃』刊行。

『礼讃』

参考文献・・・
『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(朝日新聞出版/北原みのり/2012)
『毎日新聞』(2012年1月10日付/2012年2月28日付/2012年3月2日付/2012年3月6日付/2012年3月12日付/2012年3月13日付/2012年4月13日付/2013年10月17日付/2014年1月14日付/2014年2月6日付/2014年3月12日付)
「ITmedeaニュース」(2014年6月10日付)

参考にしなかったその他の関連書籍・・・
『別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』(講談社/佐野眞一/2012)
『木嶋佳苗劇場 完全保存版! “練炭毒婦”のSEX法廷大全』(宝島社/神林広恵+高橋ユキ(霞っ子クラブ)[編著]/2012)
『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店/高橋ユキ/2012)

「木嶋佳苗」の画像

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