[ 事件 index / 無限回廊 top page ]

ホテル日本閣殺人事件

1908年(明治41年)、埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)の貧乏農家で生まれたカウは年頃になるときれいに着飾るオシャレな娘だった。

1930年(昭和5年)、21歳のとき、小林秀之助(当時27歳)と結婚した。秀之助は熊谷市で自転車屋を営んでいたが、第2次世界大戦中に兵隊として戦地へ。夫の留守中にカウは他の男たちと関係していた。敗戦後、秀之助は自転車屋を再開し、仕事も順調で元気だったが、カウの浮気癖は治らなかった。

1952年(昭和27年)、カウ(当時43歳)は戸別調査に訪れた若い巡査の中村又一郎(当時25歳)と関係した。その後はカウが警ら中の中村を自宅へしつこく誘っては不倫していた。やがて夫が怪しみ始める。カウは中村とともに夫殺害を企てる。中村はメッキ工場から青酸カリを入手し、カウに渡した。カウは秀之助(49歳)が風邪をひいたとき、薬だと偽って飲ませて殺した。現職警官の中村の協力もあって医師は疑いもせず、脳溢血の診断書を書き、葬式も無事に済ませた。この時点で完全犯罪だった。

それまで下宿していた中村はカウのもとで同棲を始めたが、警察官として不品行ということで免職になった。そのころ、カウは実姉と協力して「風味漬け」という漬物を考案してあちこちの温泉地へ土産物として卸して歩いた。家には中村がいるのに列車内で知り合った男と途中下車して関係し、お金をもらった。中村はカウに愛想を尽かし、約1年後、カウのもとを離れ、別の女と正式に結婚した。

1956年(昭和31年)、カウは塩原温泉へ移り住み、風味漬けの代金がコゲついている土産物屋「那珂屋(なかや)」を乗っ取り、ここでもがめつく稼ぎ、「風味屋」という食堂も開いた。浴客にエロ写真を売ったり、自分の体を売ったり、地元の住人相手に高利の融資もした。2年後には数百万の貯金もでき、旅館を経営したいという夢を抱き始める。

1958年(昭和33年)、カウは日本閣というホテルが売りに出ているという噂を聞き付けた。温泉地塩原で日本閣は源泉を利用する権利を持たず温泉がない。カウは日本閣の経営者の生方(うぶかた)鎌輔に電話で問い合わせると売りになど出していないと一度は断られたが、その後、鎌輔のほうから共同経営したいと話をもちかけてきた。鎌輔はカウの経営の才能を認めた上で、妻のウメは家事もしないし、夫婦らしいこともしてくれないと愚痴をこぼしていた。鎌輔はカウを旅館に誘うことがあった。

翌1959年(昭和34年)秋、鎌輔はウメと別れたがっていたが、その手切れ金としてウメから50万円を要求されていた。鎌輔はカウに対し、30万円貸してくれればウメを追い出して夫婦になり、共同経営者にするという約束を交わした。鎌輔はカウとの渋川への一泊旅行で「いっそのことウメを殺してしまおうか。そうすれば、手切れ金の50万円を渡さないで済むし、これを旅館につぎ込めばだいぶ助かる」とカウに言うとカウも賛成した。

カウは実行役として日本閣で雑役をしていた大貫光吉(当時36歳)に「手間賃として2万円、うまくいったら抱かせてやる」とウメ殺しを命じた。

1960年(昭和35年)2月8日、大貫は一人で寝ていたウメ(49歳)の首を麻ヒモで絞めて殺した。

その直後からカウは日本閣に乗り込み、女将として働き始めたが、やがて鎌輔から騙されていたことを知る。改築などで200万円を注ぎ込み、自分名義になっているはずの新館が旧館とともに近々競売にかけられることになっていたのだった。

カウは大貫に今度は鎌輔の殺害を命じた。

12月31日、カウと大貫は鎌輔(53歳)の首を絞め、包丁を首に刺して殺した。こうして日本閣はカウのものになった。

翌1961年(昭和36年)2月18日、大貫が別件の窃盗容疑で逮捕されると、翌19日、生方夫婦を殺害して埋めたことを自供。翌20日には小林カウ(当時52歳)も逮捕された。

2人の遺体は大貫の自供通りの場所から見つかったが、カウは頑なに犯行を否認した。だが、ベテランの取調官がカウに対し「あんたの身代わりにわしが生方さん夫婦の遺体に焼香をしてきてあげたよ」と言ったとたん、カウは泣き崩れて犯行を自供した。

生方鎌輔・ウメ殺しが新聞に大きく報道されると秀之助の出身地の新潟県柏崎市やカウと秀之助が夫婦として生活していた熊谷市から幾通もの投書が捜査本部に集まった。9年前に脳溢血で死んだことになっている小林秀之助もカウに殺されたのではないか・・・という内容の投書だった。

捜査員がカウを追及するとカウは夫・秀之助の毒殺も自供した。元巡査の中村又一郎も殺人の共犯として逮捕された。

1963年(昭和38年)3月、宇都宮地裁は小林カウに対し死刑、大貫光吉に対し無期懲役、中村又一郎に対し殺人は無罪、拳銃不法所持だけで懲役1年の刑が言い渡された。検察が判決を不服として控訴。

1965年(昭和40年)9月、東京高裁でカウに対し死刑、大貫に対し1審判決を破棄して死刑、中村に対し小林秀之助殺しの共犯として懲役10年の刑が言い渡された。今度は被告側が上告。

1966年(昭和41年)7月14日、最高裁で上告が棄却され3人の刑が確定した。

1970年(昭和45年)6月11日、東京拘置所で小林カウと大貫光吉の死刑が執行された。小林カウは61歳だった。

戦後における女性死刑確定囚第1号は兵庫県菅野村(現・姫路市)での強盗殺人放火事件の山本宏子(事件当時34歳)で1951年(昭和26年)7月、最高裁で確定。だが、山本宏子は精神に異常をきたすなどしたため、恩赦で無期懲役に減刑されている。菅野村強盗殺人放火事件

次が熊本で3人の行商人を毒殺した杉村サダメ(事件当時49歳)で1963年(昭和38年)3月、最高裁で確定。1970年(昭和45年)9月、福岡拘置所で死刑執行。

ということで、小林カウは戦後における女性死刑確定囚としては3人目だが、死刑執行では杉村サダメよりも3ヶ月早い執行で第1号となる。

この事件を元に製作された映画に 『天国の駅』(DVD/監督・出目昌伸/主演・吉永小百合/2005)がある。吉永にとっては95作目にして初めてのよごれ役である。この映画と同年に公開された同じく吉永主演の『おはん』(VHS/監督・市川崑/1985)の2本で、報知映画賞・主演女優賞、キネマ旬報女優主演賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ゴールデンアロー賞・大賞、横浜映画祭特別大賞、熊本映画祭大賞、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞した。

他には、『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(DVD/監督&脚本・石井輝男/小林カウ役・藤江リカ/2005) がある。この作品では「東洋閣事件」となっている。また、この作品はオムニバス形式になっており、高橋お伝、阿部定、小平義雄などの事件も収録されている。

阿部定事件 / 小平義雄連続殺人事件

参考文献など・・・
『悪女たちの昭和史』(ライブ出版/松村喜彦/1992)
『女性死刑囚 十三人の黒い履歴書』(鹿砦社/深笛 義也/2011)
『誘う女 ドキュメント日本閣殺人事件』(三一書房/吉田和正/1994)

『新潮45』(2006年10月号)

[ 事件 index / 無限回廊 top page ]