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【 事件発生 】
死亡時期順 | 交際・結婚相手 (死亡年齢) |
住所 | 交際・結婚時期 | 死亡時期 | 死亡状況 | 被害金 | 起訴事件 | 交際・結婚相手 死亡時の 筧千佐子の年齢 |
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1 | A(54歳) | 大阪府貝塚市 | 1969年 (昭和44年) 10月に結婚 |
1994年 (平成6年) 9月 |
47歳 | ||||||||
2 | B(死亡年齢不明) | 大阪府大阪市 | (交際時期不明) | 2002年 (平成14年) 4月 |
55歳 | ||||||||
3 | C(68歳) | 兵庫県南あわじ市 | 2003年 (平成15年)頃 交際 |
2005年 (平成17年) 3月 |
58歳 | ||||||||
4 | D(69歳) | 兵庫県西宮市 | 2006年 (平成18年) 5月に結婚 |
2006年 (平成18年) 8月 |
59歳 | ||||||||
5 | E(75歳) | 奈良県奈良市 | 2007年 (平成19年) 12月に遺言公正証書作成 |
2008年 (平成20年) |
3月 | 61歳 | |||||||
6 | F(75歳) | 大阪府松原市 | 2008年 (平成20年) 4月に結婚 |
5月 | 61歳 | ||||||||
7 | 末広利明(79歳) | 兵庫県神戸市 | 2005年 (平成17年) 夏頃から交際 |
2009年 (平成21年) 5月5日 |
2007年(平成19年)12月18日 青酸入りカプセルを飲まされ 重い障害になり入院。 その後、入退院を繰り返した末 1年半後に死亡。 |
投資目的で預かった 約4000万円 |
〇 | 62歳 | |||||
8 | 本田正徳(71歳) | 大阪府貝塚市 | 2010年 (平成22年) 10月頃から交際 |
2012年 (平成24年) 3月9日 |
喫茶店で青酸入りカプセルを 飲まされ、バイクを運転中に死亡。 |
金庫の中の 死亡保険金と遺産 総額1943万円 |
〇 | 65歳 | |||||
9 | G(68歳) | 大阪府堺市 | (交際時期不明) | 2013年 (平成25年) |
5月 | 66歳 | |||||||
10 | 日置稔(75歳) | 兵庫県伊丹市 | 2012年 (平成24年) 10月頃から交際 |
9月20日 | レストランで青酸入りカプセルを 飲まされ駐車場で死亡。 |
金庫の中の 遺産1538万円 |
〇 | 66歳 | |||||
11 | 筧勇夫(75歳) | 京都府向日市 | 2013年 (平成25年) 11月1日に結婚 |
12月28日 | 結婚2ヶ月後に自宅で青酸入り カプセルを飲まされ死亡。 |
金庫の中の 遺産270万円 |
〇 | 67歳 |
[ 末広利明の事件 ] 2007年(平成19年)12月18日、筧(かけひ/「筧」姓になるのは2013年 [平成25年] に筧勇夫と結婚したときだが、都合上、ここでは全て「筧」姓で統一)千佐子は交際相手だった神戸市北区の末広利明に対しJR元町駅周辺で青酸化合物の入ったカプセルを飲ませた。この日、千佐子は投資目的で預かった約4000万円を末広に返す約束をしていたが、返済を免れるために犯行に及んだと見られている。その後、末広は重い障害となり入院。青酸中毒が疑われることがなく、検査も行われなかったが、体内の酸素が機能しなくなる青酸中毒特有の症状が記録された。その後入退院を繰り返した末、2009年(平成21年)5月5日に死亡した。末広が79歳で千佐子が62歳のときだった。
[ 本田正徳の事件 ] 2012年(平成24年)3月9日、千佐子(当時65歳)は交際相手の大阪府貝塚市の本田正徳(71歳)と喫茶店で会っていたが、本田が店を出た直後にバイクで転倒。当初、本田は病死と見られていたが、後に千佐子の結婚相手の筧勇夫が青酸化合物で死亡したことを知った大阪府警が偶然、保存されていた本田の血液を鑑定したところ青酸化合物が検出されたことにより、千佐子がカプセル入りの青酸化合物を飲ませたと見ている。事件の翌10日、千佐子は解錠業者を呼んで本田の金庫を開けさせ、死亡保険金と遺産、総額1943万円を得ていた。
[ 日置稔の事件 ] 2013年(平成25年)9月20日、千佐子(当時66歳)は交際相手の兵庫県伊丹市の日置稔(75歳)とレストランで会っていたが、日置がレストランを出た直後、駐車場で死亡。当初、日置の死因は肺がんとされたため、司法解剖は行われず、体内から青酸は検出されていない。事件の18日前に日置が全財産を千佐子に遺贈するという内容の公正証書遺言を作り、事件4日後に千佐子は解錠業者を呼んで日置の金庫を開けさせ、1538万円の遺産を得ていた。やはりこの事件でも青酸化合物入りのカプセルを飲ませていたと見られている。
[ 筧勇夫の事件 ] 千佐子が京都府向日(むこう)市の筧勇夫(75歳)と結婚相談所を介して出会い、2013年(平成25年)11月1日に結婚。その2ヶ月後の12月28日、千佐子(当時67歳)が向日市の自宅で筧勇夫にカプセルに入れた青酸化合物を食後に飲ませ、死亡させた。犯行から2日後、解錠業者に勇夫の自宅金庫を開けさせ、遺産を取得しようとしたが、千佐子の行動を不審に思った勇夫の兄妹が口座を凍結する処置をとったため、遺産の取得は270万円にとどまった。
【 本人歴 】
1946年(昭和21年)11月28日、長崎県で出生。福岡県北九州市で育った。千佐子は後になって知るが、両親、兄とは血縁関係はなかった。4人暮らしで父親は八幡製鉄所に勤めていた。
1965年(昭和40年)、北九州市の福岡県立東筑高校卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)の北九州市の支店に勤務。東筑高校は福岡県ではトップクラスの進学校で、千佐子も成績が良く、担任の先生から九州大学への進学を勧められた。本人も本を読んだり、作文を書いたりするのが好きで将来は国語か英語の教師になるのが夢だった。だが、父親に「兄さんも大学に行っていないのに女であるお前が行けばみんなに笑われる」と言われ、大学進学を諦めた。
1969年(昭和44年)10月、千佐子が22歳のとき、Aと結婚。その後、一男一女をもうける。Aとシャツをプリント加工する事業を始めるが、機械を導入する度に借金がかさみ、一方で中国製品が市場に出回り、どんどん仕事が減っていった。
1994年(平成6年)9月、Aが54歳で死亡。千佐子が47歳のときである。約2000万円の生命保険金を借金返済に充てる。
1998年(平成10年)、千佐子が結婚相談所に登録するようになる。
2002年(平成14年)4月、大阪市の交際相手Bが死亡。(死亡年齢不明)
2005年(平成17年)3月、兵庫県南あわじ市の交際男性Cが死亡。68歳だった。
2006年(平成18年)5月、兵庫県西宮市の男性Dと2度目の結婚するも8月に死亡。69歳だった。
2007年(平成19年)、この頃、先物取引に手を出し、約3億円の損失を出す。
12月、神戸市北区の交際相手の末広利明が倒れ、緊急搬送される。
2008年(平成20年)3月、奈良市の交際男性Eが死亡。75歳だった。
4月、大阪府松原市の男性Fと3度目の結婚するが、翌5月に死亡。75歳だった。
2009年(平成21年)5月、入院していた末広利明が死亡。79歳だった。
2012年(平成24年)3月、大阪府貝塚市の交際男性の本田正徳が死亡。71歳だった。
2013年(平成25年)5月、大阪府堺市の交際男性Gが死亡。68歳だった。
9月、兵庫県伊丹市の交際男性の日置稔が死亡。75歳だった。
11月、京都府向日市の筧勇夫と4度目の結婚するが、2ヶ月後の12月、死亡。75歳だった。
2014年(平成26年)11月19日、筧千佐子(当時67歳)が夫の筧勇夫への殺人容疑で京都府警に逮捕される。
2015年(平成27年)1月28日、交際相手の大阪府貝塚市の本田正徳殺害容疑で再逮捕。
6月11日、交際相手の兵庫県神戸市北区の末広利明への強盗殺人未遂容疑で再逮捕。
9月9日、交際相手の兵庫県伊丹市の日置稔殺害容疑で再逮捕。
【 その後 】
2017年(平成29年)6月26日、京都地裁で初公判が開かれた。一般傍聴席58席に対し、傍聴希望者は614人に達した。2009年(平成21年)に裁判員裁判制度が始まって以来、2番目に長い審理日程で135日間。11月7日を判決日とした。裁判員は男性1人と女性5人となった。
裁判官の開廷宣言に続いて人定質問が始まる。名前については「かけひちさこ」、生年月日については「昭和21年11月28日」と答えたが、本籍地を訊かれ「向日市、、、何番地かも忘れました」と言って照れ笑いを浮かべた。最後の夫の筧勇夫との同居の実態もほとんどないため、記憶に残っていなかった。
次に検察官が4件の起訴状を読み上げ、黙秘権があることを告げた後、一つ目の事件について罪状認否を確認しようとしたとき、弁護側から被告の千佐子に書面が渡された。千佐子はそこに書かれている文面をそのまま読み上げた。「すべて弁護士に任せてあります」 結局、被告の発言はそれだけだった。
冒頭陳述で弁護側は事件性、犯人性、殺意、責任能力、訴訟能力についてすべて争う姿勢を見せた。
7月10日、初めての被告人質問が行われた。弁護側からの質問で「検察官、裁判官、裁判員からの質問に対し、どうされますか」と訊かれ、千佐子は「黙秘します」と言ったにもかかわらず、その後の検察側の質問で「筧勇夫の事件について起訴内容に間違いがないか」との問いに「はい」と言って殺害を認めた。
さらに、「犯行に使った青酸をどこで入手したのか」と訊かれ、千佐子は1987年(昭和62年)、41歳のとき、最初の夫であるAとシャツをプリント加工する事業を立ち上げたが、そのときに出入りしていた業者がもってきたと言った。
無罪を主張していた弁護側は被告は認知症が進行しており、訴訟能力(重要な利害を弁別し、相当な防御をする能力)がないと訴えていた。2016年(平成28年)5〜9月、京都地裁の依頼で京都府内の男性医師が千佐子が収監されている京都拘置所内で計13回に渡り、精神鑑定を行った。
1、犯行時、被告は特異な精神疾患は罹患していなかった。
2、2015年(平成27年)ころから記憶障害が認められる。軽度のアルツハイマー型認知症、という結果となった。7月31日、2番目の審理となった本田正徳の事件の公判が始まった。8月7日の被告人質問で、筧事件での弁護側の質問と同様に「検察官、裁判官、裁判員からの質問に対し、どうされますか」と訊かれ、千佐子は「答えません」と言ったにもかかわらず、その後の検察側の質問で「本田正徳の事件について起訴内容に間違いがないか」との問いに「(青酸化合物を)飲ませた」と言って殺害を認めた。
9月4日、3番目の審理となった末広利明の事件についての被告人質問で弁護側は「黙秘作戦」を断念した。弁護側から末広との関係を訊かれ、「入籍はしていなかったが、お付き合いはしていた」「彼から預かったお金は投資に回していた」と記憶はある程度はっきりしていた。
9月26日、4番目の審理となった日置稔の事件の被告人質問が行われ、弁護人からの質問に対し、千佐子は記憶力が減退しているとの主張を繰り返し、大阪の病院で脳の検査を受けた話を持ち出した。日置稔に関してはガンとかの経歴があったことなどを明瞭に答えている。その後の検察官との質問に対し、日置稔に青酸化合物を飲ませたことを認めたり、否定したりを繰り返した。
10月10日、検察側の最終論告で「極刑を排除する特別な理由がない」「まれにみる凶悪、重大事件であり、極刑が認められる。みずからの命をもって償わせるほかない。死刑を言い渡すものだ」として死刑を求刑した。
10月11日、最終弁論が行われた。午前10時30分に始まり、昼の休憩をはさんで弁護人が「最後に、千佐子さんは無罪です。これで終わります」と言い切り、午後3時15分まで続いた。休廷後の午後3時30分、最終意見陳述として千佐子が証言台に呼ばれ、A4大の紙に書かれた文言を読み上げた。「すべてを弁護士に任せてあり、私から言うことはありません、以上です」とだけ言った。
11月7日、京都地裁(中川綾子裁判長)で判決公判が開かれた。一般傍聴席51席に対し、566人が列をなした。筧千佐子に対し死刑を言い渡した。被告側が即日控訴。
2019年(平成31年)3月1日、大阪高裁(樋口裕晃裁判長)で控訴審第1回公判が開かれた。刑事訴訟法では控訴審には被告が公判に出廷しなくてもよいとされており、筧千佐子は法廷に姿を見せなかった。弁護側は筧被告の認知症が進んで訴訟能力がないとして、公判を停止するか新たな精神鑑定を実施するよう求めたが、樋口裁判長は認めず、即日結審した。
2019年(令和元年)5月24日、大阪高裁(樋口裕晃裁判長)で求刑通り死刑とした1審・京都地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。この日、筧千佐子は出廷した。無罪を主張する弁護側は「到底納得できない」として即日上告した。
10月29日、京都地裁(久留島群一裁判長)は日置稔の遺族2人が計約4037万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、千佐子に計約2640万円の賠償を命じた。久留島裁判長は判決理由で、日置に青酸化合物を服用させたのは千佐子と認定。慰謝料や逸失利益として計約2640万円が相当とした。
2020年(令和2年)9月18日、大阪高裁(石井寛明裁判長)は日置稔の遺族2人が損害賠償を求めた訴訟で計約2640万円の賠償を命じた1審・京都地裁判決を支持し、千佐子側の控訴を棄却した。控訴審で千佐子側は犯行機会がなかったなどと主張。しかし、石井裁判長は判決理由で、日置が青酸化合物を服用した前後の時間帯に千佐子が行動を共にしていたと認め、退けた。
2021年(令和3年)6月29日、最高裁第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は被告側の上告を棄却。筧千佐子の死刑が確定した。宮崎裁判長は「同種事件を6年間で4回繰り返しており、人命軽視の態度が顕著。刑事責任は極めて重大」と述べた。裁判官5人全員一致の意見。弁護側は「事件当時、認知症の影響で責任能力がなかった」などと無罪を主張したが、判決は「2審判決に重大な事実誤認はない」と退けた。結婚相談所で知り合った高齢男性を「将来を共にする相手」と信頼させた上で猛毒を服用させる殺害方法について、「計画的かつ巧妙。強固な殺意に基づく冷酷なもの」と厳しく批判。遺産を取得しようとした動機も「酌むべき点はない」とした。弁護側は上告審で「認知症の症状が進行したため訴訟能力がない」として公判を停止して公訴を棄却するよう求めたが、判決はこの点には言及しなかった。
7月6日、最高裁第3小法廷(戸倉三郎裁判長)は日置稔の遺族2人が計約2640万円の損害賠償を求めた訴訟で千佐子の上告を退ける決定をした。計約2640万円の支払いを命じた1、2審判決が確定した。
2024年(令和6年)12月26日、筧千佐子が収監されていた大坂拘置所から病院に搬送されたが、死亡が確認された。78歳だった。
参考文献・・・
『全告白 後妻業の女 「近畿連続青酸死事件」 筧千佐子が語ったこと』(小学館/小野一光/2018)
『筧千佐子 60回の告白 ルポ・連続青酸不審死事件』(朝日新聞出版/安倍龍太郎/2018)
『毎日新聞』(2017年11月7日付/2019年3月1日付/2019年5月24日付/2019年10月29日付/2020年9月18日付/2021年6月29日付/2021年7月6日付)
『テレビ朝日』(2024年12月26日付)[ 事件 index / 無限回廊 top page ]