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保育園の歴史

働く婦人の力強い砦「乳幼児発育観察室」

 九州大学医学部内にはじめて保育所がつくられたのは、今から38年前の1962年2月のことでした。「子どもを生んでも働き続けたい。そのための保育所がほしい」という働くお母さん達の切実な要求を、九州大学教職員組合・医系支部がとりあげ「保育所づくり運動」の中心となっていろいろな活動を行い、「乳幼児発育観察室」という名で小児科の一研究施設として誕生しました。
 当時の小児科病棟の(今は建て変わってしまった旧い病棟の-現東病棟-)一室で発足した「保育所」でした。建坪7坪、4.5畳の畳のほふく室、3.5畳のベットルームの空間で、トイレも調乳室もないので、小児科まで使用しに行っていました。当時は育児休業などのない時代でしたので、0歳児は産休明け43日から入園してきます。まだ首も座っていない乳児を、児童用のベットに三人づつ入れて保育していました。歩行の始まっている(2歳近い頃までの)子ども達も同じ部屋にいるのですから、ベットとベットの間や、ベットの下をくぐり抜けたりしながらの遊びになってしまいます。時々、隣の肢体不自由児の機能訓練室や廊下で遊ぶのが楽しみでした。近くに感染病棟がありましたので、外に出るのには気を遣いました。子ども達は外に出たがりますので、工夫して別方向への散歩を計画するようになったり、次第にこの場所を生かしての保育が出来るようになりました。
 ここならではの良い点もありました。小児科に属していましたので、小児科の先生が毎日来られて、子ども達の様子を見てもらうことが出来ましたし、月1回の検診と計測はきちんと実施されておりました。
 また、保育所に必要な物品(ベットの布団・シート・毛布・タオル(その洗濯)・医薬品・消耗品等)、電気、水道、暖房等はすべて病院から配布されていました。
 貧しい保育施設でしたが、子ども達はとても元気に明るく育っていたと思います。

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