26.06.27
・私はショスタコーヴィッチをほとんど知らない。ほんの少しの交響曲を知つてゐる
くらゐで、他にはオラトリオ「森の歌」のピオネールの歌だけであらう。嫌ひだから聞かないわけではない。嫌ひかどうかも分か
らないのだが、一つ言へることは、ショスタコーヴィッチがソ連の作曲家であるといふことである。ソ連、遡つてロシアの作曲家
もよく知らない。知つてゐるのはとびきり有名な曲のみ、名のみしてといふ作曲家の多いこと、これはどうしやうもない。やはり
西欧のとは違ふといふ偏見があるのだと思ふ。ロシアはロシア、ソ連はソ連なのだと思ふ。ショスタコーヴィッチは多くの曲が録
音されてゐるし、発売もされてゐる。それでも聞かないのである。そこでふと思ふ、ショスタコーヴィッチは体制に取り込まれて
ゐたのではないか。その印象が強すぎるのではないか。さうかもしれない。亀山
郁夫「ショスタコーヴィッチ 引き裂かれた栄光」(岩波現代文庫)はそのあたりが書かれてゐる評伝であ
る。帯には「権力への迎合か? 二枚舌による抵抗か? それとも……」とある。本書のキーワードは二枚舌である。ショスタ
コーヴィッチは二枚舌で体制を生き延びてきたのか、これが主題であらうか。筆者はショスタコーヴィッチの惚れ込んでゐるかの
如くである。私とは聞き方が違ふ。専門がロシア文学やロシア語であるから、さういふのめりこみ方をするのはある意味では当然
である。「あとがき」には、「ショスタコーヴィッチの音楽を聴く喜びとは、ソヴィエト全体主義(敢えてそのように呼ぶ)との
対話が必然的に招きよせるある種のいかがわしさを、一個の『個人文体』として受け入れ、それを『愛する』ことからはじま
る。」(491頁)とあり、この段落の最後に、曲を聴くことにより、そのやうな「愛」の「反復のなかで、私たちは徐々に彼の
虜となり、彼の音楽的ヴィジョンの想像を絶する巨大さに気づかされるのである。」(同前)ともある。要するに私にはこの
「愛」が分からない、感じ取れないのである。それに気づけば、私もショスタコーヴィッチを偉大なる作曲家として認識でき、そ
の曲をすばらしい曲として聴けるのであらう。私は「ソヴィエト全体主義」も所詮は全体主義だとして毛嫌ひしてゐるから、この
人のやうになかなか「愛する」までには至らない。己が学問対象であるからにはさうあらねばならぬのかもしれない。難しいこと
である。
・「社会主義リアリズムを奉じる社会で、個人が芸術家として人生を完遂させることなど絵空事に近いことは、作曲家自身だれよ
りも痛切に理解していたはずである。絶えざる監視と干渉のなかで、社会のネジと歯車であることを義務づけるスターリン独
裁ーー」(491〜492頁)といふのは私が今更確認するまでもない。ショスタコーヴィッチはそれをのりこえた。「彼の栄光
は、傷だらけというのが正しいだろうが、二十一世紀に生きる私たちにとって、まさにその傷の共有こそかけがえのない価値を帯
びているのである。」(492頁)すると私はショスタコーヴィッチの「傷」をまづ知らねばならぬことになる。それを知るため
にあるのが本書である。たぶんさうなのだらう。目次をながめるとUが「二枚舌による抵抗」とある。第二次大戦前後である。こ
れを越えてショスタコーヴィッチは己が地位を確立していつたらしい。「交響曲第五番の成功がショスタコーヴィッチに約束した
のは、なかば恒久的ともいえる『安全通行証』である。」(200〜201頁)ここでもショスタコーヴィッチは二枚舌と「公的
な嘘」(180頁)をついてゐるのである。それにしてもショスタコーヴィッチは大変な人であつた。
26.06.06
・耳なし芳一で始まり俊徳丸で終はり、本書の中心部分は平家である。さすが琵琶法
師を論じた書である。兵藤裕己「琵琶法師ー〈異界〉を語る人びと」(岩
波現代文庫)を読み終へた感想である。これだけで十分に完結した感想だとは思ふが、その一方で釈然としないものも残つた。例
へば、「前『平家』の物語は、それらの下級の宗教民や芸能民によって大懺法院に運びこまれる。それに文献や記録類がとり合わ
され、また年代記の形式や因果論的なストーリーが付与されて、平家物語は成立する。」(76頁)これは平家の成立を考へる極
めて妥当な論と言へる。徒然草のやうに、信濃前司行長が生仏なる盲法師に語らせたといふのはできすぎてゐる。平家の如き厖大
な物語がそんなに簡単にできるわけがない。多くの人々が関はりながら平家は徐々に形をなしていつたのである。そして遡れば、
「『平家』の物語伝承は、幼帝の御霊と水土の女神の信仰とが交錯したところに発生の根拠をもつ」(50頁)、つまり日本だけ
ではすまない広がりを持つてゐた。これも納得できる。ここから出てくるのが、「寺院で編纂される以前の平家物語の原型は、む
しろ覚一本のような『語り本』においてみてとれるのだ。」といふ考へで、これもまた納得できる。琵琶法師は平家を語るもので
あるとすれば、このやうな流れの中で考へるだけで良い。ところが筆者はさうは考へない。地神経である。これは「かつて東シナ
海周辺地域の宗教民によって広汎に担われていた。」(49頁)もので、「わが国でも『地心経』はおもに盲目の琵琶法師によっ
て担われ」(同前)てゐたといふ。筆者の考へる最後の琵琶法師、山鹿良之は筑後で活躍した。琵琶語りだけではなくかまど祓ひ
(荒神祓ひ)等も行ひ、そこで地神経が用ゐられた。簡潔に言へば琵琶法師はシャーマンであつた。「シャーマニックな資質のも
ちぬしに、盲人が多い」(11頁)といふ。正にこれである。本書の副題からすれば、かういふ人物でなければ〈異界〉が語れな
いといふことであらうか。晴眼では当然だめ、琵琶だけでなく箏曲に移つてゐてもだめ、あくまでも盲目の琵琶弾きでなければな
らぬといふことなのか。
・筆者はこれにこだはるらしい。「幕府や大名が召しかかえた検校・勾当クラスの上級盲人」「配下の一般盲人は、琵琶を三味線
や琴・胡弓などにもちかえ」(162頁)て現在に至る。山鹿良之は最後まで琵琶弾きであつた。ところが、検校と呼ばれる盲人
が名古屋にゐる。今井検校である。「今井勉氏は当道系の名古屋平曲を伝承する唯一の伝承者である。」(かるふぁん
https://culfun.mecenat.or.jp/project/adoption/detail
/687)18世紀の荻野検校の系統で、その流れから名古屋の箏曲演奏団体、国風音楽会が生まれた。三品検校が今井検校の師
であり、今井氏は国風音楽会現会長で、三味線や琴・胡弓も弾く。つまり琵琶を「もちかえ」た盲人である。だから地神経は出て
こない。今井検校はこれを知らないのであらう。いや、知らないといふより、名古屋の検校に地神経は不要であつたと言ふべき
か。もちろん山鹿良之の語つた俊徳丸等も知らないのではないか。今井検校は平家の伝承者、平家琵琶の語り手であり、普通はそ
れ以上言はれてゐないと思ふ。第一、法師でもなく、検校では「配下の一般盲人」にならない。筆者のテーマと盲人の資質、属性
は不可分であるらしい。本書の対象外であらう。近世的な盲人と平家正節(へいけまぶし)、平家琵琶は〈異界〉を語らないの
か。それ以前に琵琶法師ではないのか、これは私の是非とも知りたいことであつた。
26.02.07
・菊池貴一朗「現代語訳絵本風俗往
来」(角川文庫)を読まうと思つたのは、斎藤月岑・長谷川雪堤「現代語訳東都歳事記」を読んだからであ
る。「東都」は有名だし、記述は簡潔を旨とするゆゑに江戸の文語でも読めないことはないのだが、私達の言葉に訳してあればそ
れにこしたことはない。挿絵はほどほどだが、それぞれのポイントにはついてゐる。では「風俗往来」はどうか。こちらは挿絵が
豊富、ほとんどの項目が挿絵つきである。時代的には、「東都」が天保9年(1838)刊、「風俗往来」が明治38年刊なが
ら、その描かれた世界は、嘉永2年(1848)生まれの貴一郎の「作者が記憶のままを綴って合わせたもの」(小林祥次郎訳
「凡例」29頁)であるから、江戸時代最後の風俗である。この後20年もすれば武士も丁髷も消えてゆかんとする時代である。
実際にはどうか分からないが、私には両書ともに同じ時代の風俗のやうに思はれる。現代と違つて時代はゆつくりと進んでゐたは
ずである。20年や30年の差はほとんどないのかもしれない。ただし、本書には「東都」に出てこない項目がある。それは下編
雑の部である。ここには歳時記にも出てくる項目もあるが、出てこないものも多く、それがなかなかおもしろいのである。例へば
最初に名主・家主・店子や地主が出てくる。家主と店子は落語にもよく出てくるが、地主は聞いたことがないやうな気がする。ま
して「名主の配下に家主という者がある。」(498頁)とか、「名主に名主代があり、家主に
町代があった。」(同前)などといふことは知らなかつた。落語だとそのあたりは飛ばしてゐるのか、直接奉行、あるいはその配
下の侍とつながるのかと思つてしまふのだが、実際にはさうではなく、家主にも上下があり、その上の名主にも上下があるらし
い。かういふ支配構造の方が、確かに漏れはなくなるし合理的でもある。また、「地主・店子の負担」(500頁)といふ項目も
あり、その内容が簡潔に書いてある。これらは一般の歳時記には出てこない。本書下編が歳時記として優れてゐる点である。い
や、欠点かもしれないけれど、私には十分におもしろいし役に立つ、異色の歳時記と言へよう。
・この後、更にあるのが店を持たない〈商売人〉である。売卜者は街角の八卦見、易者であらう。この手の人が出るのはどの辺り
で、どんな着物を着てどんな様子で占ふかなどといふことが書いてある。「いかにも由ある武士のように見せた。」(502頁)
のは、何事も見た目が大事といふことであらう。「お記録本屋」(504頁)は、「外神田御成道の入り口である広場に筵を敷い
て、古書籍を陳ねて商う本屋の老爺」(同前)である。その名の由来や安売りをしないなどといふことが書いてある。個人のは他
にもあるが、個人でないものもあり、「石見銀山鼠取受合」(509頁)は殺鼠剤売り、「鳥指」(523頁)は将軍家の鷹匠の
飼ふ鷹の餌の雀を捕る仕事である。商人ではない、と書いていつたら切りがない。「夜鷹」(548頁)、「紅かん」(554
頁)、「乞食芝居」(558頁)、「縄衣裳の乞食芝居」(560頁)、「猫八」(579頁)等々、個人もあればさうでない者
もある。しかし、いづれも筆者実見の大道商人(の類)である。店を持つのが難しいからには人出の多い場所で商売するに如くは
ない。これらは乞食同様、様々なしかたで金をせびつてゐたのである。かくも様々な大道商売、あるいは乞食の類がゐた。かうい
ふのは普通の歳時記からは大体漏れる。それを実見に基づいて書いてある。下編の妙である。下だけ読むのもありと言へよう。ち
なみに、菊池貴一朗は4代目広重であつた。
25.07.12
・私は
マッ
ト・ラフ「ラブクラフト・カントリー」(創元推理文庫)といふ書名を見た時、何のためらいもなく例の神話の一冊だ
と思つて買つた。たぶんラヴクラフトは知つてゐてもこの作者を知らない人はさうするはずである。それほどラブクラフトと神話は分かち
難く結びつき、そして多くの人に知られてゐる。ところがである。これは神話とはほとんど関係のない作品であつた。神話らしきものは出
てくる。それは黒魔術の類ではないかと思はれ、クトゥルーの類の怪物らしきものが姿を見せることがあつても、それはごく少しで何かよ
く分からない。つまりこの題名は、失礼ながら、単なる思はせぶりでしかない。「解説」で古山裕樹が、「これは彼の影響を受けて書かれ
た作品であることは間違いない。だが、その影響の形はいくぶん複雑だ。」(597頁)と書いてゐる。さう、確かに神話から「いくぶん
複雑」な影響を受けた作品であつた。ポイントは、「この作品の大きな特色は、主人公達の置かれた状況にある。序盤から、ラヴクラフト
が描いた超自然的なものとは性質の異なる恐怖が描かれる。」(同598頁)にある。超自然でない恐怖とは何か? 言ふまでもなく肉体
的な恐怖を含む、私達が一般に言ふ恐怖である。ラヴクラフトでは一般に言ふ恐怖が超自然のものによつて引き起こされる。この作品では
何によつて引き起こされるのか。表題作冒頭の「ニグロのための安全力ガイド」1954年夏版を見ると、ここには「移動に伴う暴力性は
旅行者の肉体および精神を絶え間ない危険にさらす。」(11頁)とある。つまり、黒人は安心して旅行などできないのである。米国の奴
隷解放宣言は1862年、しかし実際に開放されたのはその一部、その後、現在に至るまで黒人の苦難の歴史は続いてゐる。1954年は
そんな年であり、黒人が南部に行くには相当な危険が伴つてゐた。黒人に所謂人権は認められてをらず、南部への旅行は命がけであつた。
・表題作冒頭からそんな世界が描かれる。「あるガソリンスタンドでは、黒人用が壊れていたため白人用トイレの鍵を借りようとしたのだ
が、店員に拒まれた云々」(同前)「州境の橋には、遠い昔に死んだある奴隷所有者の名前が冠されており、アティカスはその橋を渡る途
中で車の窓から腕を突き出し、中指を立てることで今も人種差別法が幅をきかせる南部に別れを告げた。」(12頁)等々、こんな既述は
いくつでも見つかる。基本的には、南部では、黒人の人権は認められてゐない。そこからくる恐怖は正に死と隣り合はせ、警官だとて安心
して話せない。物語でアティカスは父から、母に関することが新たに分かつたので来いと言はれてアーダム(アーカムではない!)まで行
つた。最終的に着いたのはアーダム山荘、迎へたのは父ブレイスホワイト、「地方の高級ホテルを彷彿とさせる豪華」(103頁)な山荘
であつた。ここで事件が起き、そしてアティカス達と息子ブレイスホワイトが生き残る。以下、「エピローグ」を含めて8編、これらは
「黒幕の思惑という縦のつながりと、各章の主役どうしの人間関係という横のつながりによつて緩やかに結びついている。」(「解説」
598頁)そしてそれが一つの物語となる。ただし各物語の終はりは中途半端が多い。次につなげるか最後につなげるためにそこで終はら
せるといふ感じ、あまり気持ちの良いものではない。しかし通して読むと、黒人の苦難の歴史と各主人公の物語がうまくシンクロしてゐ
る。物語はまだ続くらしい。しかも黒人の苦難の歴史である。「解説」の最後にかうある、「アティカスたちの驚異に満ちた日々は、まだ
まだ終わらない。」(603頁)。
25.06.28
・私が献腎移植を受けたのは1994年の9月半ばであつ
た。その1ヶ月半後に
木村哲也「『忘れられた日本人』の舞台を旅する 宮本常一の軌
跡」(河出文庫)の著者は東海道線と飯田線、本長篠駅で一泊してバスで名倉を訪れてゐる。北設楽郡設楽町北西部、
西三河に近い。私は奥三河へ行く時は必ず車で行く。決して飯田線やバスは使はない。不便だからである。時間などいくらあつても足りな
いといふ気になる。そんな場所へ、20世紀の終はりに電車とバスで行く人がゐるのだとまづ思つた。しかし、かういふ電車、バス、更に
は徒歩の旅はこの人には普通のことであつた。泊まるところがなければ持参の寝袋で、駅や停留所の待合のベンチ、神社等の雨風をしのげ
る場所で眠るだけのこと、旅館等の予約はとらない。だから訪ねて話を聞いた家で食事を出してくれればありがたくいただくし、泊まって
いけと言はれればありがたく泊まる。さういふ旅をする人であつた。それが30年前、私が移植した直後のことである。私には考へられな
いことであつた。しかし、食事の時間が近づいたから帰らねばと思つてゐると食事が出てきたり、せつかく来たのだからこれを持つて行け
といつて御幣餅や野菜をくれたりするのは私も経験してゐる。私には帰る術があつた。しかし木村氏にはない。ならば泊まつて行けといふ
ことになる。それをあくまで固持しては却つて失礼に当たる。その点、この人は、文章を読む限り、実に素直にその言に従つてゐる。実に
うまく相手の懐に入つゐる。車で行く人間と、基本的に公共交通機関で行く人間の違ひ、あるいは年齢の差であるのかもしれない。しかし
多分さうではない。この人の持つて生まれた資質によるのであらう。
・著者が宮本常一の旅を始めたのはこの前年であるらしい。93、94、95年の3年間に集中的に旅をしたらしい。私もこの前あたりか
ら、透析をしてゐて動けないのではいけないと思つてぼちぼちと動き始めてゐた。この人とは比べものにならない程の臆病さではあつた
が、それでもなんとか動き出してゐた。そんな私自身の経験と比べながら本書を読んでゐると、この人の行き当たりばつたりの行動が、も
しかしたら正解であつたのかもしれないと思へてくる。私は予め来意と目的を告げてから行つた。それが普通の人間である。この人のやう
にはなかなかできない。予め眠る場所の目途をつけてから話す相手を探し始める。なかなかできることではない。いかに学生で時間があつ
ても、それができるのは一つの才能である。そしてその相手に懐に入つてしまへるのもまた大きな才能である。私の乏しい経験から本書を
読んで感じたのがこれであつた。「解説」で赤坂憲雄が「若いころに、こんな旅をしてみたかったな、と心から思つた」(338頁)と書
いてゐるが、私の感想も同じやうなものである。こんな旅ができてゐたら、腎臓のことはさておいて、きつと違つたことができただらうと
思ふ。「地べたと人を忘れるな。宮本常一は、そう私たちに呼びかけている。」(「文庫版あとがき」337頁)さうなのだらう。田舎は
人である。共同作業は当然のこととしてある。「現代版『名倉談義』」(256頁)にもそれはある。しかしそれも今は昔のこと、昭和
35年に屋根葺きがなくなつた(288頁)とあるから、前の東京五輪あたりで共同作業「ユイ」(273頁)もなくなつていつた。「共
同体解体の予感」(「おわりに」328頁)である。宮本常一とはかういふ鋭い人であつた。私にはそれがよく分らなかつたのである。本
書は宮本常一と「忘れられた日本人」の良き手引き書である。忘れられたのは「土佐源氏」だけではないのだ。
25.06.07
・
劉慈欣
「老神介護」(角川文庫)は「流浪地球」と同時に刊行された短編集で ある。5編を収め、「老神介
護」と「扶養人類」、「彼女の 眼を連れて」と「地球大砲」が 関係あるらしき物語である。3 編目の「白亜紀往時」だけは別
の物語である。「彼女の眼」が 1999年、他は2000年代 の作である。習某下ではないか らか、政治的な問題はなささう
に見える。といふより、さうい ふことは気にせずに書いたのか もしれない。
・「白亜紀往時」は白亜紀の昔 のこととでもいふ意味であらう か。竜蟻戦争の物語である。白 亜紀はパンゲア大陸の分裂が進
み、恐竜の闊歩した時代であ る。その代表がティラノザウル スであつた。ここで竜とは恐竜 のティラノザウルスを指す。蟻
はもちろんアリである。かくも 大きさの違ふ生き物が戦ふので ある。これほどの差で戦へるの かといふと、これがきちんと戦
へるのである。物語はいかなる 時代であるのか。もちろん白亜 紀であるが、竜蟻は大量絶滅時 代を生き延びたのであらうか。
竜蟻が協力して文明を作り上げ たのである。時は竜蟻情報化時 代であつた。「恐竜は各大陸に 巨大都市を建設した。」
(128頁)高層ビルは一万 メートルの高さである。「車は わたしたちの一軒家くらいのサ イズで」(同前)あり、PCの
「キーボードはひとつのキーが わたしたちのコンピュータ・ ディスプレイくらい大き」(同 前)いのだから、ディスプレイ
の大きさは推して知るべしであ つた。これに対してアリのコン ピュータは「米粒サイズの丸い 粒で(中略)すべての計算は複
雑な有機化学反応によって行わ れる。」(129頁)しかも 「蟻のコンピュータにディスプ レイはなく、計算結果をにおい
物質で化学的に出力する。非常 に複雑で繊細なそのにおいを識 別できるのは蟻だけ」(同前) だといふから、恐竜とは大違ひ
であつた。それでも竜蟻は「相 互依存関係」(同前)を保つて ゐた。ところが竜蟻戦争であ る。「恐竜の大工業が生んだ環
境汚染の毒がまわって死ぬか、 ゴンドワナとローラシア、二つ の恐竜大国間の核戦争で完全に 滅亡するか!」(136頁)そ
れを蟻が阻止するための戦争で ある。だからやるかやられるか であつた。結局、いろいろあつ たが、最後は、「いつか世界が
またあたたかくなったら、ほか の動物がまた驚異の時代を築く だろうか?」(182頁)とな る。「環境汚染の毒」とか「大
国間の核戦争」などどいふの は、特に環境汚染などは中国の 現状にリンクしさうだが、まだ そこまではいつてゐなかつたの
であらうか。あるいは「ああ。 しかし、そんな驚くべき動物が 現れるだろうか?」「現れる さ。時間はかぎりないんだ。ど
んなことでも起こる可能性があ る。」(同前)といふあたりに 救ひがあるのであらうか。こん なことがクレバーな配慮になる
とも思へないのだが、そのあた りは私には分からない。無事に 日本語に訳されて私達が読むこ とができてゐる。これは僥倖と
いふべきであらう。古市雅子 「訳者あとがき」には、(大衆 文化の反対の)「『小衆文化』 らしいストーリー。こんな設定
を書ききる作家のパワーは驚嘆 に値する。」(273〜274 頁)とある。もしかしたら劉慈 欣の想像力が当局の監視を上回
つたのであらうか、などと考へ てみるのだが、これはまちがつ てもありさうにない。やはりこ れは安全圏の物語なのであら
う。劉慈欣といふ作家、「三 体」の冒頭が問題になりさうな に、それもくぐり抜けてきた。 映画化で問題になつたのは監督
のせゐであらう。やはり中国で これだけ売れて、世界でもこれ だけ有名になれるというのは並 み大抵ではない。これも作家の
才能である。想像力だけが才能 ではないのだと、勝手に、思ふ。
24.08.24
・
松木武彦
「古墳」(角川文庫)を読んだ。といふより見た。前著「古墳と は何か」に続く書である。基本的
に、写真とその説明が見開き2 頁に収められてゐる。読むより は見る方が多い。うつかりする とポイントを見逃してしまひさ
うである。しかし、そのポイン トをきちんと見ていくと、第1 部「いろいろな形の古墳」、第 2部「古墳の歴史をたどる」、
第3部「古墳はどう変わった か」のそれぞれが分かるやうに できてゐる。前著でははつきり しなかつたところも本書では写
真付きで分かり易くなつてゐ る。筆者が同じであるから、書 いてあることに違ひはない。本 書を先に見てから前著を見るの
もありであらう。松木氏の基本 的な立場は、「『古事記』や 『日本書紀』といった日本語の 資料から古墳の歴史を読み解い
ていく姿勢が、いまの古墳研究 のもっぱらの道筋となっていま す。(中略)しかしこれから は、そればかりを追求しても、
古墳の歴史的研究は一元的・部 分的にしか理解されず、結果と して、ピラミッドや皇帝陵との 人類学的比較はむずかしいで
しょう。(中略)この本の大き な目的は、それを可能にする、 古墳のさまざまな見方やとらえ 方の新しい提案です。」(「は
じめに」4〜5頁)といふこと である。より分かり易く言へ ば、「いまおこなわれているよ うな(中略)作業とは異なる視
点で古墳を見ていきたい」(5 頁)ので、「大きくて有名な前 方後円墳のみではなく、小さく ても個性をもっていたり、近畿
の大王墓とはまったく異なる景 観を見せたりする日本各地の古 墳を、たっぷりと紹介しま す。」(同前)さうして「古墳
が一貫して『秩序』や『体制』 や『国家』の表現や反映であっ たわけではないことを考える起 点にしたいと思います。」
(5〜6頁)そんなこともあつ て本書は写真が中心となるので ある。
・「古墳の出現・発達・衰退・ 消滅は、日本列島の歴史でもあ るし、東アジアの歴史、ユーラ シアの歴史、そして人類全体の
歴史でもあります。」(67 頁)とはじまる第2部では、古 墳はモニュメントの一つとして 位置づけられる。「日本の特徴
は、このモニュメント、すなわ ち古墳の巨大さと数の多さ。そ の解明こそは、これからの古墳 研究の最大の基本的課題であ
る。」(68頁)といふこと で、ストーンサークルや朝鮮半 島の王墓、ピラミッド等が出て くる。ポイントは、朝鮮半島の
古墳は「墳墓の多くが、地面に 棺を設けて主人公を深く葬」 (85頁)つて墳丘を築いたの に対し、日本では「主人公の遺
骸をできるだけ天に近いところ に位置づけるため、墳丘を山の ように高く築き、頂上を尊い広 場にし、そこに棺を捧げて儀礼
の核としたのである。」(同 前)といふ点である。これで日 本の古墳は高くなつていく。し かも「前方後円墳の主人公は、
世界観の中では最高位の神であ り、世俗的には大氏族の長や王 として演出された。」(89 頁)古墳の主は神であつた。死
して神になるといふ考へは古墳 の最初からあつたらしい。それ ゆゑに、逆に神から人への変化 は第3部の「古墳を彩る美しい
フォルム」や「モニュメントか ら多様な墓へ」で述べられる。 ここで横穴式の石室が出てく る。私は古墳といふとこの羨道
と石室を思ひ出すが、これは6 世紀以降であつた。石室出現に より「天空のスロープも」 (128頁)円筒埴輪も埴輪配
列もなくなる。豊橋の馬越長火 塚古墳(178頁)もこの時期 に当たる。と書いてゐたら既に 字数が尽きかけてゐる。要する
に、死者は神、最後は人に戻つ ていく。この道筋が古墳でたど れるのである。これだけでも本 書を見るに値すると個人的には
思ふ。古墳は墓である。しかし その意味は時代的に変遷してゐ る。おもしろく分かり易い書で あつた。
24.08.10
・
私が吉
村生・高山英男「暗渠マニアッ
ク! 増補版」(ち
くま文庫)を買つたのは暗渠好
きだからではない。暗渠とはお
もしろさうだといふ程度の興味
からであつた。つまりはいつも
の本を買ふ理由と大差ない。と
ころが買つて目次を見て驚い
た。本書の増補の1つ、第7章
「新たな観光資源としての暗渠
探訪」の3つ目に「水上ビル、
酒と肴と水路と人と 愛知県豊
橋市」といふのがあるではない
か。「新たな観光資源としての
暗渠」である。あれはさういふ
ものになりうるのか。かういふ
見方もあるのだと思つたもので
ある。この一編で本書は、私に
はおもしろい本だといふことに
なつた。
・水上ビルと言へば豊橋市民な
ら知らない人はないはずであ
る。その名の通り水上に建つビ
ルである。水上と言つてもそこ
が暗渠である。用水の上に蓋を
してビルが建つてゐるのであ
る。「水路の上に被さっている
すべてのものを、『暗渠蓋』と
呼んでいる。暗渠蓋はコンク
リート製の板であることが多い
が、時たま、想像の斜め上をゆ
く物件と出会うことがある。と
りわけ驚かされたのは、『ビル
蓋』だ。」(271頁)このビ
ル蓋は3棟あつて、「その蓋の
名は豊橋ビル、大豊ビル、大手
ビルで、あわせて通称『水上ビ
ル』、その長さ800メートル
である。」(同前)当然「てく
てく歩いてゆけば、ビルの合間
に橋が残されている。」(同
前)これを吉村氏は「類を見な
い珍景だ。」(同前)と書いて
ゐる。私などは子供の頃から見
てゐるから、「珍景」と言はれ
ても全くピンとこない。下に水
が流れてゐるのだから、橋があ
つて当然だと思つてゐた。本書
にはこの類の橋の名残がいくつ
か出てゐるが、その中でも珍し
いものであるらしい。「一昔前
は、豊橋のみならず全国に水路
上建築物の事例はあった。(中
略)現行の法律では、水路の上
に建物は建てられない。つま
り、その建物が消えれば、二度
と水上に建つことはない」(同
前)といふ。言はば水上ビルは
絶滅危惧の暗渠蓋である。さう
いふものだとは知らなかつた。
そんなに珍しいものではない、
ごく普通の風景だと思つてゐ
た。ところがさうではないので
ある。本書を読むまではそれを
知らなかつた。探せば地元の人
の書いたこの類の文章等もある
と思ふが、それにしてもかくも
珍しいものであるとは。あれは
「珍景」であつたのかと思はず
納得してしまつたのである。水
上ビルに関する簡単な説明もあ
る。下の用水に水は流れてゐる
といふ。「今は田んぼが減った
ので、少しずつずっと流れてい
る」(274頁)さうである。
開渠部の用水を見ると「少しず
つ」かどうかは分からないが、
確かに需要期以外でも水は流れ
てゐるらしい。と、まあ、水上
ビルのことを書いてきたのだ
が、実は豊橋駅近辺の暗渠はこ
こだけではないといふのが私の
更に知らなかつたことである。
「新幹線を降りてすぐ、西口の
飲み屋街を見にゆき、そして違
和感を覚えた。」(同前)とあ
る。豊橋では西口と言はずに西
駅である。この駅から見て右側
に飲み屋が並んでゐる。ここが
あやしいと言ふのである。私は
名古屋へ行く時、こちらの駐車
場を使つてゐた。だからこのあ
たりはよく知つてゐるつもりな
のだが、暗渠のことを知らない
ゆゑに違和感を覚えたことはな
かつた。ところがさすがプロ、
いやマニアの吉村氏、1度でそ
れを見破つたのである。「微妙
な曲がり方に地面の盛り上がり
(中略)わたしの嗅覚が正しけ
れば、下に川があるはずだ。」
(同前)といふことで、暗渠
蓋、ここは普通の蓋である、を
見つける。このあたりの嗅覚は
さすがである。と書いてゐたら
字数が尽きた。暗渠はかくもお
もしろいの1例である。観光資
源としての水上ビル、最近の流
行りであつた。
24.07.27
・トラヴィス・バルドリー「伝説とカフェラテ 傭 兵、珈琲店を開く」(創 元推理文庫)を読んだ。主人公
を
ヴィヴといふ。これが傭兵で珈
琲店を開くのである。それだけ
の物語と言へば確かにそれだけ
である。傭兵と珈琲店が似つか
はしくないと思へたのだが、そ
れも読んでいるうちに変はつて
いく。似つかはしくないといふ
のには理由がある。普通、かう
いふ小説の傭兵はヨーロッパ中
世あたりがモデルだと思ふのだ
が、そんな時代に傭兵が喫茶店
を開くのかといふことが一つ、
今一つはヴィヴがオークである
といふこと、つまり、この物語
世界は他にノーム、エルフ、ド
ワーフといつた妖精譚にお決ま
りの登場人物(?)がゐるのみ
ならず、それ以外にサキュバス
とかも出てくる、言はば見事な
妖精譚の世界なのである。しか
もオークとは何かと言ふと、分
かり易く言へば、「指輪物語」
の敵役であつた。別名ゴブリン
である。本作中にゴブリンが出
てこないのはオーク=ゴブリン
だからであらうが、もしかした
らゴブリンでは直ちにその悪役
面を見抜かれてしまふからでも
あらうか。珈琲店主がゴブリン
ではイメージが違ふと言はれさ
うである。そんなわけで私は最
後まで楽しく読んだ。基本的に
物語は開店準備から開店、そし
て新装開店となつて終はるだけ
である。ただし途中で邪魔が入
る。傭兵仲間が幸運の石を、珈
琲店に繁栄をもたらした石を盗
りに来るのである。ここだけは
つまづくが、他につまづきはな
い。実にスムーズに店は繁盛す
る。
・読み終はつたところで「訳者
あとがき」を読む。すると1行
目から「おなじみの種族がごく
普通に暮らしている世界。女
オークのヴィヴは」(391
頁)とあるではないか。正直な
ところ驚いた。えつ、ヴィヴは
女だつたの? である。この頁
の最後にも「珈琲と本を愛する
オークの女性のヴィヴ」(同
前)とある。女性のエルフは結
構ゐると思ふのだが、女性の
オーク、ゴブリンとなるとどう
なのであらう。しかも、訳文の
せゐか、私はヴィヴが女性であ
ると気づくことはなかつた。こ
こまでずつと男性だと思つてゐ
た。サキュバスのタンドリはい
づれ恋人といふ関係になる女性
だと思つてゐた。敢へて言へ
ば、タンドリと同衾する場面
(271頁)も、女同士である
とは思ひもしなかつた。男女で
こそ意味があると思つてゐた。
ところがさうではないのであつ
た。女同士だからこそ同衾でき
たのであるらしい。作者として
はこのあたりをはつきりさせな
いでおくことで、私のやうな勘
違ひを誘発させたかつたのかも
しれない。訳者もその意図を汲
んで言葉遣ひを女性的にせずに
男性とも思へるやうにしたのか
もしれない。傭兵仲間のガリー
ナは女性的な話し方(15頁
他)である。間違へることはな
い。これもまたひつかける訳で
あつたのかもしれない。結局、
この物語の主人公ヴィヴが女性
であること(を隠してゐるこ
と)はオークと関係あるらし
い。作者が「意図的に定型をも
じっていることに気づくのでは
ないだろうか。」(391
頁)、つまり「指輪物語」の
オークがここでは「珈琲と本を
愛する」女性となり、それゆゑ
に珈琲店の店主となつてゐるの
である。こんなゴブリン見たこ
とない、正にかういふことであ
る。これなら人間でも良いとい
うのは野暮といふものであら
う。さういふ妖精世界だからこ
そ、こんなオークを悪者としな
い設定も生きるのである。本書
には最後に短編「出会い」がつ
いてゐる。これを読んでもヴィ
ヴは女性的ではない。しかし最
後の、初めてヴィヴが喫茶店に
入つた時に言はれた言葉、「ご
注文は、ご婦人?」(385
頁)でやつと分かつたのであ
る。いはば、本書は妖精譚の冒
険世界のパロディーといふとこ
ろであらうか。
24.07.13
・中村明一「日本音楽の構造」(アル テスパブリッシング)は言つて ゐることは単純だが、その内容
は簡単とは
言へない。「日本音楽に顕著な
要素は次の七つです。」(21
頁)として、「a微小音量 b
各要素の微小変化 c整数次倍
音の変化 d非整数次倍音の変
化 eリズムの自由性 f音楽
の言語性・音響性 g各要素の
複合性・『間』」(同前)を挙
げ、逆に「あまり発展しなかっ
たものが、次の三つの要素」
(23頁)だとして、「h音量
の変化 iハーモニー j構
成」(同前)を挙げる。この7
つを曲、音楽に合はせてひたす
ら強調するのが本書である。だ
から言つてゐることは分かり易
い。問題はそれをどの程度実際
の音として理解できるかであ
る。つまり、本書にCDや動画
はついてゐない。日本の音楽を
手元で聞くことのできない人に
は、例へば神楽が「屋外など広
い場所で行われることが多い
(中略)などの理由で、a微小
音量 b各要素の微小変化 f
音楽の言語性はそれほど多くな
い。整数次倍音が優勢。声のd
非整数次倍音の変化はそれほど
多くないが、打楽器を使うこと
が多いのでd非整数次倍音の変
化全体としては多くなってい
る。(原文改行)c整数次倍音
の変化 d非整数次倍音の変化
eリズムの自由性などが多く
なっている。」(170〜
171頁)と言はれても、これ
を音として感じることのできる
人がどのぐらゐゐるのか。神楽
ならまだ良い。雅楽、声明、琵
琶楽、あたりはどうなのであら
う。浄瑠璃の義太夫節、一中
節、常磐津節、清元節、新内節
の方が分かる人が多いか、少な
いか。いづれにしてもここで言
及される要素を音として感じ
る、あるいは確認できる人がど
のぐらゐゐるのか、これは甚だ
心許ないと思ふ。私自身はこれ
を確認できるだけの音、音楽
を、実は、持つてゐる。本書の
著者、中村明一は尺八演奏家で
ある。この人の演奏も探せば出
てくる。尺八をほとんど知らな
いから、曲名を見ても読めなか
つたりする。それでもこの人の
言ひたいことはかういふことで
あらうと見当をつけることはで
きる。さういふことの繰り返し
で実際の音と7つの要素が結び
ついたやうな気になれる。これ
ができてこその本書であらう。
それなのにさういふ音を具体的
に用意してないのは本書の最大
の欠点である。いや、もしかし
たら本書の読者として、さうい
ふ実際の音を聞くことができな
い人間は想定されてゐないので
あらうか。あるいは第二章「日
本音楽各論」の「3 現代の音
楽、J−POPと日本伝統音楽
との関わり」で、美空ひばりや
森進一、桑田佳祐、椎名林檎等
に触れ、「特に日本の伝統と強
い結びつきを感じるのは桑田佳
祐と椎名林檎。」(244頁)
と言つて具体的に7つの要素と
の関連を述べてゐる。これで代
用せよといふのであらうか。
・私はかういふ内容の書を読む
のは初めてであつた。ある意味
衝撃的であつた。しかも先の7
つの要素の具体的な様から、
「じつは日本の音楽は、世界で
最も特殊な音楽です。(中略)
他の国の音楽と少し異なったシ
ステムを持っているということ
です。」(20頁)と言ひ、
「日本の音楽は人類にとって未
来の音楽とも言えるのです。」
(同前)と言はれても直ちには
信じ難いものがある。氏はそれ
を本書で具体的に述べてゐる。
最後の日本の音楽状況の分析に
は納得できるものがある。氏は
音楽の指導要領策定にも関はつ
てゐるといふ。理論や創作で触
れたことを実際にそこで述べた
のかどうか。私には納得しがた
い部分もあつたが、これが実際
の演奏家とただの愛好家の違ひ
なのであらうか。本書は珍しく
理論的な書である。そして、こ
の衝撃は実際の音を伴つてこそ
のものである。音つきにしてほ
しかつた。
24.06.29
・ジャック・ロンドン「ザ・ロード アメリカ放浪 記」(ちくま文 庫)を読んだ。私はジャック・
ロンドンを
「野性の呼び声」と「白い牙」
でしか知らない。日本で有名な
作品である。動物文学作家だと
思つてゐた。しかしさうではな
いらしい。海外文学に対する無
知である。作家といふもの、そ
んな単純なものではない。
ジャック・ロンドンは40年の
生涯の「20年間に53冊の著
書と200以上の短編小説を発
表した。」(Wiki)さうで
ある。結構な量である。この
「ザ・ロード」もその1つ、か
なり読まれたらしい。「ホー
ボーとしての経験が書かれたこ
の本は、その冒険物語があまり
に魅力にあふれていたので、当
時、彼の真似をしてホーボーに
なろうと家出する少年達が増え
た。」(川本三郎「訳者解説」
269頁)さうである。当然、
ホーボーのことは書いてくれる
なともゐはれた(同前)とい
ふ。このホーボー、「決して社
会的落伍者ではない。むしろ中
世の吟遊詩人たちのような自由
な放浪者という面が強い。」
(266頁)とか、「移動性を
重んじるアメリカ社会から生ま
れたひとつの文化英雄である。
決して社会から見捨てられた哀
れな浮浪者ではない。」
(267頁)と訳者は書いてゐ
る。「たとえ貧しくとも、社旗
的束縛から解放されて自由気ま
まに生きることが出来るアメリ
カン・ヒーローである。あの山
高帽にだぶだぶスボンという
チャップリンの放浪者のイメー
ジが云々」(同前)とくると、
チャップリンもまたそんなヒー
ローの1人であつたらしいと気
づく。ホーボーはそれほど魅力
的な存在であり、ロンドンはそ
れを更に魅力的に描いたのであ
つた。
・どれほど魅力的か、これは目
次を見ればよく分かる。本書は
全9章、「貨車のすきまに」
「食卓の幸運」「鞭打ちの光
景」「刑務所の生活」「作業所
の囚人達」「最高の放浪者」
「ロードキッドの社会学」「二
千人の放浪者の行進」「デカの
追跡」からなる。これからする
と本当に「文化英雄」とか「ア
メリカン・ヒーロー」とか言へ
るのかと思つてしまふ。「最
高」や「社会学」「行進」を読
んでも、他は当然として、魅力
的ではあつても、私にはそこに
英雄やヒーローがゐるとは思へ
ない。Wikiには、「アメリ
カで19世紀の終わりから20
世紀初頭の世界的な不景気の時
代、働きながら方々を渡り歩い
た渡り鳥労働者のこと。ホーム
レスのサブカルチャーの一員。
」(「ホーボー」の項)とある
が、ホーボーは基本的に、訳者
の言の如く、「社旗的束縛から
解放されて自由気ままに生き
る」者達であつたらしい。アメ
リカでは「旅すること、移動す
ることは生活の一部になってい
る。」(266頁)のだが、
「一カ所に定住することを大事
にする農耕民族の日本人」(同
前)にはそれは理解し難いのか
もしれない。それでも、現在の
人間は、ホーボー生活は実に大
変ではないかと思ふ。最後に
「写真資料」(279頁〜)が
ある。いかにスピードが遅いと
はいへ、貨車の下にもぐつた
り、屋根の上を歩いたり、連結
器上に登るなどといふのは危険
である。私からすれば、命の危
険を顧みずにするだけの価値が
あつたかどうか、甚だ疑問であ
る。肉体的な危機以外にも危険
は多い。「デカの追跡」には警
官に浮浪者として追ひまくられ
るホーボーが描かれてゐる。自
由気ままに生きる代償なのであ
らう。定住民に放浪者は目障り
である。定住民たる私はそんな
代償を払つてまでする生き方で
はないと思ふ。ただ、それをか
うも魅力的に描いた作者の筆の
冴えは見事である。ヒーローか
どうかはともかく、束縛の多い
人間からすれば、そんな生活も
良いと思はせる魅力があつた。
本書は一時期の米国の若者風俗
素描であつた。
24.06.15
・ 村上修一「本地垂迹」(ち
くま学芸文庫)は書名だけ見て他は何も考へもせずに買つた。そし
て読んだ。一応は読み終へた。時間がかかつた。小説とは違ふ。さ
すが学芸文庫、専門書である。段落が長いのにも読みにくさはある
が、それ以上に内容が専門的であつた。かうなると私には分からな
い。私の日本史の知識はほとんど教科書程度である。本書では奈良
から江戸までを扱ひ、それは基本的に宗教史といふ内容であつた。
この宗教史といふもの、日本史の授業ではせいぜい誰が何宗を開い
たといふ程度で、それ以上の詳細についてはほとんど触れてゐかな
かつたと思ふ。そんな人間がこれを読んでも理解できるものではな
い。例へば空海の神道観、親鸞の神道観とかと言はれても分かるは
ずがない。何しろ知らないのである。知らなくても理解できるのな
らば苦労しない。全く私の想像外のことどもが並んでゐる。そんな
わけで本書の詳細については理解できてゐない。何か理解できるこ
とがあつたのかと言はれると、これも当然心許ない限りである。そ
れでも筆者は最後に本書のまとめを記してくれてゐる。このごく短
い部分(410頁分の4頁!)だけでも、何か分かつた気になれさ
うな気がする。
・私の本地垂迹に対する理解は末木文美士「文庫版解説 神仏の源
流を求めて」の「2、本書の読み方」の最初にある、「本地垂迹は
神仏習合の一形態であるが、仏が世界の中心であるインドから離れ
た辺地にある日本の衆生済度のために、在来の神の姿をとって現れ
たとする説」(441頁)に尽きよう。仏が神の姿を借りて衆生を
救済するのである。「院政期頃に完成した形態では、それぞれの神
とその本地となる仏の対応関係がほぼ一義的に確定され」(同前)
てゐた。これは牛頭天王は薬師といふやうな関係(201頁)であ
る。これは後に変化していく。本書のまとめの1に、「わが国にお
ける本地垂迹説は、いうまでもなく、わが神祇と伝来の釈尊を関係
づける理論として展開したものであるが、これを詳細に検討すれ
ば、たんに神と仏の関係と単純に片付けられるものではなく云々」
(416頁)とあるのは、「道教・陰陽道・儒教など、仏教と前後
して伝来した中国固有の思想や宗教がこれに纏綿し、複雑な様相を
呈しているのである。わけても初期における神仏関係に陰陽道が大
きく媒介的役割を果した云々」(同前)といふことである。本地垂
迹にはかういふ複雑な様相があつたのである。「密教の神秘的・呪
術的要素は陰陽道や道教のこれと通ずるものがあって(中略)外来
思想として受け入れた日本人には、その間あまり区別は意識」(同
前)せずに受け入れてゐたといふ。言葉は悪いがごつた煮であら
う。さういふ形で本地垂迹が形作られてきたといふ。私にはかうい
ふ考へはなかつた。ごく単純に仏が神の姿を借りてといふだけであ
る。さうではなく時代とともにこれも変はつてきた。それは2の、
本地垂迹説は「広く伝播するに伴い、たんに上層知識階級や特定の
宗教家達だけの宗教的知識に終はったのではなく、広く庶民の社会
に普及し、彼らの日常生活にも入り込み、これが信仰の実践につな
がった」(417頁)といふことにも関係してゐよう。それに関は
つたのは「修験者・説経師・高野聖(中略)その他民間の芸能者た
ちであった」(同前)となると、本地垂迹とは何だと考へてしま
ふ。だからこそ幕末明治期に神仏分離の運動が起きた。所謂草莽の
国学も、一般庶民の間に本地垂迹が生きてゐたからこそ生まれた動
きでもあつたはずである。芸能者達は様々なことを伝へてそこに生
きた。どのやうに広く見ても、私の知る本地垂迹とはその程度のも
のであつた。奥は深い。