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武部良明「四字漢語辞典」
東雅夫編「ゴシック文学神髄」
八條忠基「詳解有職装束の世界」
京極夏彦「今昔百鬼拾遺 月」
京極夏彦「妖怪の宴 妖怪の匣」
三浦佑之「古事記の神々 付古事記神名辞典」
大阪圭吉「死の快走船」
松岡敬二編著「絵解き散歩 三河国名所図絵」
芳賀日出男「神さまたちの季節」
朝宮運河「家が呼ぶ 物件ホラー傑作選」
M.R.ジェイムズ「消えた心臓/マグヌス伯爵」



20.12.05
武部良明「四字漢語辞典」(角川文庫)は よくある四字熟語辞典である。四字漢語と四字熟語に違ひがあるのかどうかの説明はな い。「四字漢語というのは、何となく難しい感じがするものである。一般の文章やあいさつが話しことばを主とするようになった今日、四字漢語が 次第に用いられなくなったのも事実である。」(「まえがき」3頁)これからすれば四字漢語=四字熟語であらう……とまづ は当然と思はれること を書いたのだが、もしかしたら本書の四字漢語は意味が違ふのかとも思ふ。手元に四字熟語辞典が2つある。漢検と岩波である。本書との違ひは、 たとへば蛍雪乃功や漁夫乃利が本文とは別になつてゐることである。つまり、これらの「乃」のつく熟語は純粋に漢字四字か らで きてゐるのではな いと武部氏は考へてゐるのである。日本語にすれば漢字の「乃」は仮名の「の」に変はる。これでは四字漢語ではない。「日本語の中で用いる場合 は、四字漢語の特色となる字音読みの調子を欠くことになる。」(645頁)三字であることより、字音読みが問題であつ た。だ から、本文ではな く付録なのである。同様に「訓読漢字を含むもの」(同前)、たとへば合縁奇縁、青息吐息等も付録に入る。これは他書とは違ふところで、初めて 使ふ時にはとまどふかもしれない。それもあつて、漢検や岩波はこれらも本文に入れてゐるのであらう。音読漢字四字の熟語 には こだはらずに、漢 字四字であれば入れるといふことである。使ひ易さは音読にこだはらない方である。ただ、音読にこだはつても慣れれば分かる。その意味で、本書 には慣れが必要だとは言へよう。
・今一つ、本書の特徴と言へるのは例文の多さであらう。漢検は漢検対策用にと割り切つて例文を載せない。その代はり、類 義 語、対義語や注意な どといふのがある。注意は「烏」を「鳥」と書き誤らない、「青史」を「正史」と書き誤らないの類で、これらも漢検対策である。つまり、漢検の 辞書は文章を書く時の参考になりさうにない。意味や漢字が分かつても使ひ方が分かるとは言へないのである。漢検だからし かた ないとは言へる が、四字熟語は易しいものばかりではないのだ、分かりにくい語に例文は必須であると思ふ。この点、岩波には例文が載る。とはいへ多くない。い や、少ない。それも解説文中に紛れ込ませてある。例文かどうか分からない。ただ、その説明は詳しい。帯には「あふれ出る 知識 の泉」とあるほど である。その熟語の成立や背景が分かる。それが「知識の泉」であるかどうかは見解の分かれるところであらうが、詳しいことは確かである。しか し、本書もまた結構詳しい。たとへば、たまたま岩波を開いたら出てきた一刀両断、ここには「朱子語類」の例が引いてある が、 本書では岩波の例 と今一つの同書の例が載る。本書は用例として柴田錬三郎と夏目漱石が載り、更に実際の使ひ方も載せる。そして最後に中日の意味用法の違ひをさ らりと述べる。岩波は日本の表記と原義を述べる。どちらが詳しいといふより、編集方針の違ひであう。次の一得一失も同 様、岩 波は「史記」「無 門関」の例を引いた後、一長一短に近いと言ふ。本書の用例は尾崎紅葉と三宅雪嶺である。最後に岩波と同じ「史記」の例が出るが、一長一短には 触れない。意馬心猿などはいろいろと書いてありさうだが、それほどではない。分かり易さから言へば本書である。太宰治と 石川 天崖の用例が載 り、実際の使ひ方を示した後に参考として意馬と心猿の説明が、漢籍等の引用なしで分かり易く書いてある。やはり辞書は分かり易くあらねばなら ぬと当然のことを思ふ。漢検無縁、岩波忌避の人間には角川版がふさはしいのであつた。 

20.11.21
東雅夫編「ゴシック文学神髄」(ち くま文庫)を 読んだ。何しろギュスターヴ・ドレ画、ポーの「大鴉」に始まり、同じくポーの「アッシャ屋形崩るるの記」、ホ レス・ウォルポール「オトラント城奇譚」、ウィリアム・ベックフォード「ヴァテック」、シェリダン・レ・ファニュ「死妖姫」が一冊に入つてゐるのである。 「死妖姫」は「吸血鬼カーミラ」である。神髄と付された書名を宜なるかなと思ふのは私だけではあるまい。
・本書が見事なのは集録作品だけでない。その訳文がまた見事である。ポーは2編ともに日夏耿之介である。その絢爛たる「大鴉」は、「忘卻の古學の云々」 (55頁、文字がたぶんない。従つて以下省略の「云々」である。)といふ日夏の訳文通りであらう。かういふのは、正に、字句 の意 味が分かる人以外 は分から ない世界である。「オトラント城」は平井呈一訳、「七〇年代の本邦初訳バージョン」(「編者解説」515頁)であるといふ。最初の「オトラント 城」はかく も<古典>であつたのかと思ふ。もちろん訳文のゆゑである。それは「擬古文体の参考にするため日本の古典怪異小説を読み漁った」(同前)結果 の産物で、会話は歌舞伎調とでも言ふべき、もしかしたら名調子であるのかもしれない。適当に引く。「スリャ姫をばお返し下さ る か?」「ママ早まら ずに、わ しの申すことをひと通り聞いてくりゃれい(中略)まづもって貴公らの善意により云々」(154頁)城主マンフレッドが3人の騎士にイザベラを返せと迫られ る場面である。これは男性だけの会話であるが、女性でも同様である。「エッ、スリャこのわたくしをフレデリック公に!  シェー、 母上さま、父上に それを言 上されましたのか」「オオ言上しましたぞや云々」(188頁)歌舞伎にかういふ台詞はある。日本の古典怪異小説といふのは秋成の正統的怪異譚や所謂戯作を 言ふのであらうが、かういふ見事に歌舞伎調の会話があつたのであらうか。読めば読むほど見事な会話文で、これだけでも本邦初 訳の 「オトラント城」 を読んだ 甲斐があつたといふものである。もちろんこんなのはくだらないと考へる人がゐるのは承知してゐるが、私にはこの<台詞>から、あたかも歌舞伎 の一場面を観るが如くに思はれるのである。平井呈一は怪談とくれば歌舞伎といふ時代の人であつたかと思ふ。さうでなければこ んな 訳はできないので はない か。同様の感想を持つたのが「死妖姫」であつた。これも平井呈一訳が広く行はれてゐるが、この野町訳はそれより10年ほど前に出てゐる。戦後であるが、所 謂歴史的仮名遣ひが使はれてゐる。このせゐでもあるまい、初めのうちは何と言ふこともないと思はれた訳が、そのうちに「野町 訳な らではの名調子― 一見、質 朴とも思える構文の随処に、豊かな学識や文藻を感じさせるその語り口に、棄てがたいあじわいを覚え」(「編者解説」522頁)ることになる。最後のフォル デンブルグ男爵の事件の種明かしからほんの少し、「彼は計画をたててこの地へ旅行して来ました。そして表には彼女の遺骸を取 り去 るのだと見せかけ て、事実 は彼女の墓碑の所在を人目から韜晦してしまったのです。」(505頁)これだけでも編者の言の片鱗くらゐは感じていただけようか。先の平井呈一が饒舌なら ば、こちらは寡黙とでもならう。その訳にふさはしい作品がある。その点、平井のはいささかやりすぎの感あり、こちらの「名調 子」 にはかなはない。 古い 「カーミラ」がこのやうに復活して嬉しい。本書は古い訳が中心である。版権の問題もあつてかうなつたのかもしれない。しかし、古くても名訳はあると教へて くれる。このやうな書が多くの人に読まれんことを。

20.11.07
八條忠基「詳解有職装束の世界」(角 川文庫)は、令和の即位礼正殿の儀に見られる「平安絵巻を見るような、そ の美 しい 装束(中略)について、より詳しく知りたいと いう方 のために、この本は生まれました。」(3頁「まえがき」)さう、正にこの通りである。有職故実の書はそんなにないと思ふ。あつても服装に関しては どれも説明不足で、肝心の所が分からなくなつてゐる。あるいは欠けてゐる。と書いたものの、私はそんな書をほとんど持つ てゐ な い。その数少ない一 冊が秋山虔他編の「源氏物語図典」だつたりする。これは有職故実の書ではないが、それに関する記述は多いといふものである。衣服に関しては男女と もに必要事項は書かれてゐるのかもしれない。しかし、大半が図一つ、そこに写真があれば良しといふ感じである。これでは 正に 隔靴 掻痒の感を免れな い。本書カバーの筆者概略には大きな有職故実の書があるらしいとある。私はそれは知らない。たぶん高い書であらう。その点、本書は文庫である。し かもオリジナルである。オリジナルであることは必要ではない。ただどれだけ分かり易く、それを視覚に訴へてゐるかが問題 であ る。 ざつと読んで見た ところでは写真が多くて分かり易い。
・例えば男性の衣冠、写真一枚ではなく、実際に着てゐる姿に始まり、以下、袍、単、表袴、下襲等々とそれぞれを着けた写 真も 交へ ながら進んでい く。最後に袍の着装となるが、更に長い裾を折りたたむ懸裾といふのが出てゐる。当然どんな装束を着けていても歩くことはあるだらうと思ふものの、 衣冠の裾がそんな長いとは知らず、長ければその係の者が裾を持つのだらうぐらゐにしか考へないから、懸裾などといふのを 初め て知 つた。「移動する 場合は、折りたたんで歩行の便を図ることもあ」(57頁)つたといふのである。かういふのは合理的である。いくら位が高いからといつて、一々移動 する度に裾を持つてもらふのでは大変だし不便であらう。そこでこんなことも行はれたらしい。武官装束もまたよく分からな いも ので ある。最も分かり 易い、といふのも変だが、冠の左右から垂れてゐるなにやら黒つぽいもの、これはよく見るのだが、その詳細はなかなか書いてない。本書では武官の装 束のつけ方に始まり、様々な武具の紹介があり、最後に冠となる。これが垂纓の冠ではなく、巻纓の冠であり、次に「武官の 冠で 特徴 的なのは云々」 (96頁)と?が出てくる。これが「左右の耳の前に付ける、半月形ブラシ状の」(同前)おいかけださうである。冠関連であつた。この漢字も、この 名称も初めて知つた。正確には既に目にしてゐるのかもしれないが、かうして意識して使ふのは初めてのことである。ただ し、こ の由 来については「諸 説あって明らかでは」(同前)ないとか。私は武人の装束を知りたいと思つてゐた。本書はそれが詳しいのだらう。この後に出てくる細纓の冠は他書に もあるが、現在は賀茂祭等で見られる(99頁)との記述がある。かういふのを見ると、実際にそれが見られる場所へ、たぶ ん賀 茂祭 が最もふさはしの であらうが、行きたくなつてくる。何しろふだん絶対につけない装束である。本書では子供の装束も詳しい。男児も女児も写真つきで出てくる。女児に リボン「夾形」(283頁)があるのを知つた。髪を飾る挿頭が進化したものであらうか。こんなものにも鳥の文様がついて ゐ る。か ういふところでお 洒落をしたのであらうか。そんないろいろのことが分かる、これだけの文庫本がオリジナルで作られるといふのは、それだけ関心を持つ人が増えたとい ふことであらう。有り難いことである。これを友としてそんな世界に遊んでみたいものだと思ふ。

20.10.24
京極夏彦「今昔百鬼拾遺 月」(講 談社文庫)を 読んだ。これは分冊で 出てゐた鬼、河童、天狗を一冊にまとめたものである。その時点で「今昔百鬼拾遺」とついてゐたのだから、最初からまとめるつもりであつたのであらう。 私は河童を読んでゐなかつた。そこでまとめて読み返さうと思つて読んだ。三編読んで感じたのは敦子と美由紀の〈役割分担〉で あつ た。 初めは新鮮でも、 最後になるとさすがに鼻についてきたのであつた。
・鬼は辻斬り事件とその刀にまつはる物語である。敦子はその謎を解き明かすために様々な方面にいろいろと尋ねまはつてゐる。 警察 にも 行くのだが、その 刑事は謎を解かない。いや、正確には謎を解けないと言ふべきであらうか。最後は敦子の方がその謎に迫つて解決していく。その最後のところで美由紀が出 てくる。「ばん、と大きな音がした。(原文改行)美由紀が立ち上がっていた。(原文改行)『いい加減にしてッ』云々」 (287 頁)か ういふ一文一行は 京極の得意とするところで、クライマックスになると力が入る(かに思はれる)。以下、美由紀は「私、そう云うべちゃべちゃしたのは嫌いなんです。」 (同前)といふことで、犯人のハル子に関する様々な事柄を滔々と語つていく。ページ数にして7、ほとんど美由紀の語りであ る。そ の 間、「敦子もまた、 何も云うことはなかった。香川は目を泳がせ、暫く口を半開きにしていたが、やがて瞼を閉じて、ううんと唸った。(原文改行)『全く以てその通りだよ。 云々」(294頁)といふことで、最後は完全に美由紀に仕切られてゐる。美由紀は14歳とある(11頁)。いくら「そう云う べ ちゃべ ちゃしたのは嫌 い」であつても、現実の14歳があれだけのことを言へるのだらうかと思ふ。大演説である。14歳があんなことを言つてしまつたら大人は形無しである。 物語の現実もさうなつてゐる。所詮物語、登場人物を動かすのは作者、作者の考へでそのあたりはどうにでもなる。たぶんかうい ふこ とで あらうと思ふ。そ れにしてもである。これはできすぎではないかと思ふ。かういふスーパー女子中学生に京極は憧れてでもゐるのであらうか。最後の天狗になると、物語が LGBTと家の問題が根深く絡んでゐる。家にこだはる頑固ジジイとL孫の対立に端を発する。敦子も美由紀も、そして天狗の登 場人 物美 弥子も、思ひこみ 等の「極力そうした覆いを取り払うように心掛けて生きている」(783頁)人である。そんな女が頑固ジジイと対すればその結果は見えてゐる。敦子はそ の中で犯人を示した。それは論理的に導かれたものであつたらう。しかし、それでは解決しない。事を収めるのは美由紀であつ た。 「いい 加減にしてくださ いッ。」(1070頁)と美由紀はどなつて立ち上がり、また滔々とジジイと親父の考へ違ひを指摘しはじめる。これが10頁続く。美弥子はこれを「演説」 (1081頁)と言つた。さうして警察が踏み込むのである。スーパー中学生の面目躍如である。これだけの社会の矛盾等を指摘 でき る人 間は、大人に だつてさうゐまい。古本屋や憑き物落としの代りに美由紀がここにゐる。物語での美由紀の役割はそれだけのことではあらう。しかし、それが中学生であら うと はと私は思つてしまふ。が、いくら物語とはいへ、これは出来過ぎなのである。いや、物語であればこその融通無碍な展開と言ふべきかも しれない。こ んな感じ方は、私の「極力そうした覆いを取り払うように心掛けて生きてい」ないことの表れであらうか。特に天狗で書かれてゐる思ひ込みや偏見が捨てきれな いのであらうか。そんな人間のために、美由起の演説の続編がありさうな気がする物語であつた。

20.10.10
京極夏彦「妖怪の宴 妖怪の匣」(角 川文庫)を 読んだ。「例によって驚くような結論はありません。本書は、『考える』試みというだけなのであり、論文 や評論ではないからです。あまつさえエンターテインメントでもミステリでもないので、胸のすく解決も、どんでん返しもありません。」 (360頁)何があるのかといへば、「本書でふれている事柄をひとつも知らなくても」(同前)何も困らない。「この本は『無 駄』 なの です。時間の無駄、紙の無駄、労力の無駄ーーあらゆる無駄の集積です。」(同前)大体、妖怪自体が「どこをとっても無駄ーーあらゆる 無駄の集積なの」(361頁)だといふ。しかし、である。「無駄のない人生ほど、つまらないものはありません。」(同前)と いふ わけ で、本書の存在意義もそこにあるといふことであらう。「人間には、社会には、無駄が要るのです。(中略)私たちは、日々懸命に、努力 して無駄を生み出しています。」(同前)その無駄の一つが本書なのである。本文だけで370頁近くもある本書が無駄の集積な ら、 それ は正に「時間の無駄、紙の無駄、労力の無駄」である。筆者の時間、読者の時間、筆者には原稿料が入るだらうから最終的には無駄には終 はらない、たぶん。しかし、読者にそれはない。結局、無駄で終はるしかない。そんな書を物しただけでもこの京極といふ人は立 派で あ る。京極は全日本妖怪推進委員会の肝煎りであつた。過去形なのは今はないからである。なぜか。妖怪を「推進する必要がなくなってし まった」(367頁)からである。妖怪ブーム、ここに極まれり、と書きたくなるが、ところが実際には更に先に進んでゐるらし い。 「“妖怪“は、明らかにこれまでとは異なったフェイズにはいりつつあるようです。」(同前)このフェイズ、本書のやり方にならへ ば、 変化する過程の一区切り(大辞林)といふことであらうか。「“妖怪“は常に時代とともに新しい枠組みを獲得していくものなので」(同 前)、「それぞれの時代の“妖怪“的なものを俯瞰するに、その差は歴然としています。」(同前)昭和には昭和の、平成には平 成 の、そ して令和には令和の妖怪がいる、らしい。私にはこのあたりは分からないのだが、現在は実に多様な形で妖怪が世間にあふれてゐるとは思 ふ。それらは皆無駄なのである。本書で最も優れてゐるのは、妖怪や本書は無駄だと言ひきつてしまふところである。世の中、無 駄を 省か うとの動きばかりである。そんな時流に刃向かうことなく、本書は無駄だ、「“妖怪“はテキトーなものなのです。(原文改行)“妖怪 “はそのくらいのゆるい感じがいいようです。」(8頁、「ゆるい」に傍点)と書きつつも、本書をなした京極を、私は〈尊敬〉 して しま ふ。
・本書は実に理屈つぽい書である。大体、推理小説といふもの、理屈がなければ作れない。それなりの理屈とトリックがあるから こそ 小説 として成立する。京極の長大な作品群に無駄はない。本書は余技にしては手がこんでゐる。辞書に博く言葉の意味を求めることから始め る。それは実に細かい。「ばけもの」に始まり、とりあへず「おばけ」に終はる。かういふのが無駄の実体なのか。そんな無駄が 読者 を幻 惑してやまないのが京極流なのであらう。個人的には、第2部の「幽霊について考えてみる」からまともに読み出したといふ感じである。 無駄がこたへて、ついそれに乗つてしまつた……かういふゆるい読み方こそが本書の醍醐味であらう、と言へるかどうか。たぶん 言へ な い。相当の覚悟で臨まないと本書は読めないと書いておく。さう、そんなゆるい、無駄の、であるが、実に難い書であつた。続編が出たら 読まう!

20.09.26
三浦佑之「古事記の神々 付古事記神名辞典」(角 川 文庫)を 読んだ。講談社から出た「出雲神話論」の前駆書であらうか。ここ でも 出雲神 話 が大きく採り上げ られてゐる。「出雲神話論」を読んでない私はこの点でまづ興味深かつた。何しろ私の古事記は好きでちよつとかじつた程度である。たか が知れてゐる。それ以 上に、私は古事記と日本書紀を「別個の作品だと言いながら『記紀』という呪縛(マインド・コントロール)から完全に解き放たれていな い」(10頁)人達の 古事記理解の中にあつた。しかし、これが普通の古事記理解のはずである。アマもプロも、歴史も文学も、記紀の片方と理解しながら古事 記を理解してきた。 「今考えると、『記紀』という併称は単なる略称ではなく、恣意的にどちらかを見せたり隠したりする時に、たいそう都合よく使える呼称 だった。」(9頁)私 はその文学的な側面を、つまり「物語のおもしろさは古事記のほうにあ」(8頁)るといふ考へで読んできた。ところが、かういふのは問 題であるらしい。誤解 を恐れずに簡単に言つてしまへば、「西欧型の近代国家の構築を目指した明治政府は……古代律令国家の再現を夢見るかのように……その 幻想を保証するバイブ ルの役割を」(7頁)記紀に受け持たせたといふのである。例へば記紀の融合から古代の英雄ヤマトタケルが生まれた。これが「戦後に なっても変化することな く継続された。」(9頁)その結果、「ほんとうなら疑ってよい認識を無批判に受け入れてしま」(11頁)ふことになる。例へば古事記 「序」は本物か。昔か ら古事記偽書説はある。三浦氏は古事記「序」偽書説を唱へる。古事記本体は古いものだが、「『序』は、後世の偽作であるとみなすの」 (12頁)だといふ。 この古事記序文偽書説は目新しいものであつたかどうか。私には古事記は偽書であるといふ認識がないのである。あくまでも古事記は真書 でありその序文は正し い、この段階で思考停止しているのである。さういふ人間からすれば、本書は「はじめに 古事記を読みなおす」から新鮮である。いや、 衝撃的といふべきか。 私は三浦氏の著書を初めて読んだのである。2冊目、3冊目ならまだしも、初めての人間にはいささかきつい。それでも古事記をこのやう に見る立場があるのだ と知つた。
・個人的には、記紀の違ひに関して、書紀は律令国家の主張のための書であるのに対し、古事記は「古層の語りを主張し続ける」 (18 頁)書だといふ指摘は正 しいと思ふ。書紀の政治性に対して、「音声の論理によって支配される『語り』の世界」(同前)が古事記にはあるといふのである。なの に、「ほかひびと(乞 食者)」がゐて物語を語り伝へた、例へば八千矛の神の一連の歌謡を見よ、といふ「研究史の流れを」(同前)現今の古事記、神話研究は 「無視し過ぎているの ではないか」(同前)といふ。これには大いに共感する。「語り」を無視しない研究者はゐた。しかし、圧倒的少数者であつたらう。万葉 集も歌はれた、語られ たと言つた。しかし、その言葉は無視されたのであらうか。上代文学研究は文字として残る資料を用ゐる。さうかもしれない。それでも、 上代文学に「語り」の 発想は必要である。簡単に言へば、字がないなら語り伝へるしかないのである。稗田阿礼はそんな人であつたかどうか。古事記はそんな語 りの世界の産物であ る。文字の時代になつてもそれは続いた。かういふことを忘れない研究者が今にゐて安心した。記紀の呼称と「語り」の問題は分かち難く 結びついてゐるはずで ある。そこに神の名称の問題も出てくる。出雲神話も出てくる。先は長い。次は「出雲神話論」を読まうと思ふ。

20.09.12
大阪圭吉「死の快走船」(創 元 推理文庫)の 「解題」によると、圭吉は昭和12年以降、「作風を転換し、ユーモア物、犯罪小説、少女小説、防諜探偵物、軍事冒険物、捕物帖など、 様々なジャンルの作品 を手掛けている。」(409頁)さうで、本書「死の快走船」には、創元推理文庫版「とむらい機関車」「銀座幽霊」に続いて、「前二巻 に未収録の初期作か ら、後期のヴァラエティに富んだ作品まで網羅し」(同前)てあるといふ。実際、本書で目につくのはユーモア小説ではないかと思ふ。全 15編収録、ユーモア 小説と書いてあるのは……何と2編だけであつた。「求婚広告」「香水紳士」である。それらしいのは他にもあるのだが、初出時、この2 編はユーモア小説と銘 打たれてゐたといふことであらう。本書のかなりに初出時の挿絵が使はれてをり、そこにかう書かれてゐるのである。「求婚広告」は『週 刊朝日』に載つた。現 代風にいふなら、アラサー女の出した求婚広告に応募したアラフィフ男の悲喜劇ともならうか。この謎を男の懇意の弁護士が解く、それも いとも簡単にといふ感 じである。週刊誌の息抜きにはこんな他愛のない短編が良いのかもしれない。「香水紳士」は『少女の友』に載つた。掲載誌が掲載誌だけ あつてこれもまた他愛 がない。ごく大雑把に、電車で乗り合はせた男の正体はといふ作品であるが、最後のご褒美は何が良いといふのに対する答へは、「じゃ、 あたし、サンドウィッ チをいただきますわ」(295頁)といふものであつた。この少女の答へはいかにもこの手の雑誌にありさうなものであるが、このやうな 作品集に入れられる と、やはり対象の違ひが明らかである。そのための雑誌だから当然ではある。この2編、私のやうなまとめではユーモアが感じられない。 しかし、それなりの ユーモア小説ではあらう。その前の「告知板の女」は『新青年』所載、これもまた告知板(今は昔の駅の伝言板)に振り回される男とその 彼女はユーモアにふさ はしさうであるし、更にその前の「正札騒動」も『新青年』所載、正札に振り回される店員の姿と謎解きもまたユーモアであらう。『新青 年』も本格推理小説ば かりではないのである。
・私は本格推理小説がどのやうなものか分からないのだが、たぶん巻頭の表題作「死の快走船」はさうなのであらう。カバー裏に は 「堂々 たる本格推理を表題 に」とある。「岬の端に建つ白堊館の主人キャプテン深谷は、愛用のヨットで帆走に出かけた翌朝、無残な死体となって発見された」、そ して犯人探しが始ま る。圭吉はヨットに詳しかつたのかと思はせるのだが、実際はどうなのであらうか。この短編ではヨットを走らせて犯人を突き止める。鮮 やかである。大体、か ういふ作品の探偵達は鮮やかなのだが、「弓太郎捕物帖」と名付けられた捕物帖の主人公香月弓太郎も鮮やかである。例の如くに「弓太郎 の言動監視」(370 頁)役たる岡つ引銀次が「腰巾着」(同前)としてゐる。捕物の迷コンビである。これが「夏芝居四谷怪談」「ちくてん奇談」とある。怪 談話にまつはる怪談、 お岩様が奈落に出たのである。これなどは比較的易しい。江戸の興業の仕組みが分かれば多分解ける。ちくてんは逐電である。あちこちで 人間が消えるのであ る、何の前触れも知らせもなしに。これはなかなか難しい。当時の世相が分かつてゐれば簡単に解けるのだらうが、それが分かつてゐない から難しい。しかし弓 太郎は当時の人間であつた……で、解けるのである。本書は確かに圭吉の「ヴァラエティに富んだ作品」集である。三河にも本格推理小説 作家がゐた! しかし 圭吉しかゐないとは……三河といふのは推理作家不毛の地であつた。

20.08.22
・「三河国名所図会」がほしいと思つてゐた。それは当然和本であつた。幕末のいつの頃かにそれは上梓されたはずであつた。例 の秋 里籬 島などが名所図会を出 版してゐた頃である。その後に作られたと思つてゐた。だから、絶対に安くはないと思つたが、それでも一向に見つけられなかつた。そん な時、ある高校の図書 館の蔵書に「三河国名所図会」があつたのである。ただしそれは和本ではなく、ハードカバーの三巻本であつた。長い間、閉架のあまり風 通しのよくないところ に置かれてゐたせゐか、本文は湿気で波打つが如くであつた。汚れてゐるわけではないので読むに支障はなかつた。読みにくいだけであ る。それでも、今ひとつ その本を読む気にはなれなかつた。さうかうしてゐるうちに、版本「三河国名所図会」は出てゐないのではないかと思ふやうになつた。先 の閉架の本が出版され た唯一のものではないかといふのである。探しても見つからないのは探し方の問題ではなく、存在しないからみつからないのだとやつと気 がついたのである。そ れ以後も、結局、これに関しては何も見つけられずにゐた。ところが、松岡敬二 編著「絵解き散歩 三河国名所図絵」(風 媒社)が 出た。これによると、「可敬没後70年が経過した1931年(昭和6)に愛知縣教育會の尽力により、稿本および写本の蒐集と編者夏目 可敬系譜の調査が進め られ、1933年に『参河国名所図絵』上巻、翌年中巻、下巻が出版された。云々」(3頁「はじめに」)すると、私が見た三巻本はこれ であつた。やつと昭和 に入つて日の目を見ることができたのであつたが、絵師の関係で「絵の写実性は高くはなく、地誌としての絵解きの精度を下げたものと なっている。」(4頁) とか。尾張国名所図会を見ることはある。明治版が混ざつてゐるが、さういふものであるらしい。しかしこれは尾張国の書、全巻翻刻もさ れてゐる。だからあま り気にしなかつたのだが、三河国は昭和になるまでまとめられることはなかつたのであつた。ちなみに、可敬は吉田の人、上伝馬の金物商 の四代目であつたらし い。このために三河国とはいふものの、西三河は少なく東三河が多くなつてゐる。完成すれば西も今より多くなつたのかもしれない。その 意味で本書未完は残念 である。
・これを見て最も納得できたのは豊川河口である。「古代『しかすがの渡』を復元」(30頁)といふのがある。有名な歌枕しか すが の渡 しはどこかを述べる。 名所図絵の絵だけではよく分からないのだが、古代豊川河口のイメージ図を見るとある程度見当がつく。菟足神社のすぐ近くまで河口が広 がつてゐたらしい。現 在、しかすがの渡し跡とされてゐるのは踏切近くである。なぜこんなところにと思つてゐたのは、河口の大きさが分かつてゐなかつたせゐ である。あれだけ河口 が広がつてゐれば、あの踏切の近くはありうる。こんなにも、たぶん菟足神社直下まで河口が入つてゐたのである。これに対して吉田城下 の豊橋辺り、船町は 「吉田川の舟運」(68頁)等としてまとめられてゐる。この絵を見て、改めて船町の繁栄を思ふ。この絵の通りだとすれば、船町は川と 海の一大拠点だつた。 この時代になれば、河口は一部で埋め立てられて新田ができてゐよう。お城下は人や荷物の送り出しに大忙しであつたのであらう。吉田は 他の書からの借用が多 い。例の吉田橋の図や天王社の花火の図などは吉田名蹤綜録からの借用である。適当なのがないといふことであらう。ただ、それにしても かうして絵解きがつい てゐれば印象が違ふ。私には幻の「三河国名所図絵」であるが、かうして一部なりとも見ることができてうれしい。全3巻、そろつて復刻 されんことを。

20.08.08
芳賀日出男「神さまたちの季節」(角 川文庫)は 「著者が昭和三十五年から三十八年にかけて足にまかせて自由に見てあるいたものである。」(「はじめ に」3頁)私にはまづこれが有難くもまた嬉しい。東京五輪が昭和三十九年であつた。その直前の各地のおまつりの姿が見られるのであ る。今となつてはかういふのは珍しいであらう。解説で神崎宣武が「いちばん気になる写真」(267頁)といふ186頁の「鹿 の精 たち は農家に祝福の踊を捧げてめぐる」、確かに「ここには、たくさんの情報がある。」(同前)神崎が挙げてゐる以外にも多くの情報がある だらう。私は「霜月の訪れ神」(220頁)の参候祭の写真が「気になる」。その最初は三都橋集落の写真である。写真上中央に 津島 神 社、参道が右斜め下から続く。川の流れに沿つて建つ家々がある。頁をめくると神々の写真が続く。大黒天がぬめくら棒を出してゐないの は、とりあへず文章で察せよといふことであらうか。その写真を見るとカメラマンはゐない。子供達ばかりである。大人よりも子 供が 目立 つ。前の方を子供が占めてゐるからかもしれない。男の子は学生帽か野球帽に学生服、女の子は制服がなかつたのか、厚手の私服である。 現状からは信じられない様子である。カメラマンが何人もゐて我が物顔に動いてゐる。子供達は少ない。いや、ほとんどゐない。 神崎 が解 説で描く「自動車で大がかりな機材を運び、その場の人たちをもしりぞけて場所を占領し(中略)報道カメラマンも、アマチュアカメラマ ンも区別がつかないほどに仰々しいカメラの列」(268頁)といふのが最近の様子であらう。さういふのを想像できないまつり の場 が東 京五輪前にはあつた。私が初めて参候祭に行つたのは東京五輪から既に遠い。「丘の上から降臨してくる観音さまの化身千子」(219 頁)は、直前に栗島の公会堂から出る、降臨することに変更された。お宮までは、当然、車であつた。それでもまだカメラマンは 多く なか つた。これでもこの写真とはずいぶん違ふ。東京五輪とその後の高度成長政策が日本の民俗を激変させた。本書は激変以前のまつりを見せ てくれる。東京五輪前は田舎でも子供達が多かつた。これも激変の様の一つであつた。
・本書は東京五輪以前の18のまつりからなる。新春は徳島県の「初春の傀儡師」に始まり、12月の春日若宮おん祭で終はる。 古い 写真 である。それゆゑに人が少なかつたりもするのだが、必ずしもさうではないものもある。例へば「春の豊年祭」の小牧の田縣神社豊年祭、 今も昔も例の大男茎形が有名である。私はこのまつりを知らないのだが、66〜67頁の「熊野社から田縣神社へ神幸する男性 神」の 写真 の場所は、今はどうな つてゐるのかと思ふ。現在の写真だと渡御は町の中を行つてゐる。ところがこれは何もない荒れた道筋である。こん なのはおもしろくないといふことで、現在は写真も撮られないのであらうか。また65頁の「女の厄年をはらってもらう婦人たち」は、現 在は巫女なのであらう か。それとも厄の年齢が違ふのであらうか。この2つだけでも印象が違ふ。豊年祭の大男茎形は、「明治維新の頃は 六十センチくらいの長さで」(64頁)あつたらしい。それが「時代を経るにしたがって(中略)最近ではこんなに大きくなってしまった という。」(同前)から、まつりは確かに変はる。厄年の婦人が若くなるのは良い。ましてや神社周辺の環境変化は当然である。 やは り私 には、本書は東京五輪以前のまつりの様子を見せてくれるといふ点で忘れ難いものである。柳川水天宮祭の「運河の小舟から舟舞台を眺め る」の図(109 頁)、今でもかうして眺めてゐるのであらうか。

20.07.25
朝宮運河「家が呼ぶ 物件ホラー傑作選」(ちく ま文 庫)は 「物件ホラーの傑作を精選収録したアンソロジーであ」(「編者 解 説」 301 頁)り、「この分野を語るうえでは欠かせない不朽の名作、取材をもとに書かれた怪談実話も織りまぜて、全十一編をセレクトし」(同 前)た書である。日影丈吉、小松左京から京極夏彦あたりまでの作品が載る。
・小松左京は有名な「くだんの母」である。これだけは知つてゐた。私でさへ知つてゐるほどの有名作、キーワードはくだん、九 段で はな く件である(らしい)。私はかういふのがくだんであると思つてゐたが、これは本来のくだんとは別物らしい。読み終へて改めてWiki を見たらかうあつた、「半人半牛の姿をした妖怪」で、「それまでの人面牛身の件に代わって、牛面人身で和服を着た女の噂も流 れ始 め た。以下、これを仮に牛女と呼称する。」しかもこの「牛女の伝承は、ほぼ兵庫県西宮市、甲山付近に集中している。(中略)小説家小松 左京はこれらの噂に取材して、小説『くだんの母』を執筆したため、この牛女も件の一種とする説もある。」つまり、この作品に 関し て言 へば、牛女が先にあつてくだんはそれにひつぱられて出てきたものらしい。実際、作中のくだんは牛女である。しかも、その牛女はここは 空襲されないとか、戦争は終はるとかの予言をする(らしい)。本来の件が持つてゐた予言、予知能力を発揮してゐるのである。 Wiki には件と牛女の比較があり、そこに牛女に知性は認められないとある。本書の牛女は、「いつもぴったりと閉ざされている窓障子が、わず かに開き、その向うに黒い影がじっと聞き耳を立てているのが見えたのだ。」(164頁)とあるやうに、マーラーの歌曲を解す るら し い。知性があるのであらう。作者は本作を件と牛女のハイブリッドといふ形で書いたのである。更に、本作は「謎めいた大邸宅を舞台にし た和風ゴシック・ホラーでもある。」(304〜305頁)といふ編者朝宮氏の指摘がある。日本のゴシック小説だといふのであ る。 これ は確かにその通りで、印象としてはむしろ明るい、謎めいた大邸宅が舞台となつてゐる。その親子二人は戦争末期とは思へない様子で生き てゐる。かういふのがゴシックだよなと思ふ。こんなに見事なゴシック小説の骨格を備へた作品は少ない。小松左京ならなほさら であ る。 ちなみに、この件の絵姿も厄除けに効果ありといふ。web上には既に件の絵で厄除をとかとあつたりする。みなさん、さすがに早い。久 しぶりに読んだので、こんなにも書いてしまつた。何となく読んできたことも、改めて読み直すと結構<発見>があ るも ので ある。これに対して、他の作品は初めて読む。かういふことはない。ただ、京極夏彦「鬼棲」がいつものやうに己が蘊蓄を語つてゐるのは 分かる。中国語の翻訳家の伯母がいろいろあつて言ふ、「中国の鬼というのは、日本の鬼とは違うのね。一般には幽霊みたいなも のと 思わ れてて、それはまあそうなんだけど、ちょっと違うの。鬼って、見えないものなのよ。云々」(291頁)といふところから「本題」に 入っていく。この家を壊さないで、売らないで。この後にもまだ蘊蓄は続くが、これらを編者は「メタ幽霊屋敷小説とでも称すべ き本 編 で、本書全体の厄落としをしていただくつもりだったが、むしろ逆効果だったかもしれない。」(307頁)と書いてゐる。本書には厄落 としをしてもらひたくなるやうな気味の悪い作品もある。それでも当然のことだが、英仏の古い怪奇小説より身近である。それが ホ ラー、 怪奇に良いのか悪いのか。古今東西、いづれであつても、私はそれがおもしろければと思ふばかりである。

20.07.11
・梅雨明け前ではあるが夏である。夏は怪談がふさはしいといふのは今も昔も、そして出版界も変はらないやうで、今年もまた怪 談が 出 た。たぶんこれはほんの序の口であらうと思ふが、それがM.R.ジェイムズであつた。いきなりの大御所の登場である。それはM.R. ジェイムズ「消えた心臓/マグヌス伯爵」(光文社古典新訳文庫) で あつた。本 書の 原題は”GHOST STORIES OF AN ANTIQUARY”といふ。「好古家の怪談集」と訳されてゐるジェイムズの第一短編集である。表題作2作を中心に全8作からなる。 いづれも古き良き時代の怪談集といふにふさはしい。しかもそれがゴシック的な要素をまとつてゐるたりする。そして新訳であ る。読 みた くもなるではないか。とは言ふものの、旧訳でも読み直さうとは思はないのが私の怠惰なところなのだが……。
・巻頭は「聖堂参事会員アルベリックの貼込帳」である。フランスの教会を調べに行つた男の物語である。この男が教会の堂守の 家で 「大 きな二折り版の書物で、おそらく十七世紀末に装丁されたものと思われ、聖堂参事会員アルベリック・ド・モーレオンの紋章が金箔で押し てあ」(22頁)る貼込み帳を買ふことにしたのだが、その最後の絵に「強烈な印象」(25頁)を受けた。以下、その絵にまつ はる 物語 となる。この恐怖は物理的なもので、堂守の娘が「頸にかける銀の十字架と鎖です。旦那様はきっと受け取ってくださるでしょう?」 (29頁)といふほどであつた。解説によれば、この絵の典拠は旧約聖書偽典「ソロモンの遺言」にある(278頁)とか。これ が ジェイ ムズらしいといふことなのであらう。現代の作家ならこのやうな曖昧な書き方をせずに、よりおどろおどろしく書くなだらうなと思ふ。 「消えた心臓」は孤児が消えてゆく話で、3人目の少年「冒険好きで知りたがり屋のスティーヴン」(44頁)はそれゆゑに助か つた らし い。例の通りの展開といふ感じの古風な怪談話、種明かしはきちんと最後にある。「銅版画」はその名の如き物語で、上記2作に対して心 理的恐怖といふ感じであらうか。「それはどちらかというと凡庸なメゾチント画で」(65頁)、ある田舎の邸宅を描いたものら しか つ た。この絵が時間とともに変化する。それだけと言へばそれだけの話なのだが、絵が変化するのだからやはり驚く。ただし物理的な危険が あるわけではないので、読む方はもちろん、登場人物も余裕である。「五時から七時まで、三人の仲間は坐って順番に絵を見守っ てい た。」(80頁)結局、人物が消えただけで変化がないので、この絵の場所探しをした。するとこの家がエセックスのアニングリー館 であ ることが判明した……私はこの作品が好きなのだが、怪談といふにはいささか物足りないとも思ふ。心理的恐怖はブラックウッドの方が当 たつてゐようかと思つたりもする。秀作ではあるが怪談ではないといふところであらう。「秦皮の木」は「貼込帳」類似であらう か。 「十 三号室」は怪談、何しろあるはずのない部屋が現れるのである。余計なことを考へずに楽しむことのできる怪談話である。その部屋に関す る事情もある。私にははつきり書いてあるとは思へない。この時代の怪談とはたぶん皆このやうなものであらう。私はかういふの が嫌 ひで はない。物足りないとはいつてもそれは作品の個性である。それを楽しめば良い。ジェイムズとその仲間も、お茶を飲みながこんな話を楽 しんだのであらう。それが古き良き時代の怪談といふものである。現代はそんなのも含めて実に多くの怪談がある。夏の夜の楽し みに した いと思ふのだが、さうなりうる作品がいくつあるのであらうか。

20.06.27
ジャスパー・フォード「最後の竜殺し」(竹書房文庫)の巻頭 の1頁にこの物語のすべてがある。ただし、当然のことなが ら、 それは 読 み終はるまで分からない。しかし読み終はるとその意外な物語に驚く……とはならない。「どれもこれも一週間のうちに起きたことだ。」 (9頁)それがここに書かれてゐるだけであり、それをふくらませたのがこの物語である。さう、それだけのこと、それだけの物 語な ので ある。しかしおもしろい。
・物語の舞台は現代のヨーロッパあたりの王国である。王様がちやんとゐる。魔法は生きてゐるが、その力は衰へてゐる。魔法使 ひ (本書 では魔術師)も大変である。最初の章題は「実用の魔法」(10頁)である。実用とは何か。この場面では「家の配線を魔法で修理する」 (19頁)ことである。「大元の魔法プログラミング言語のルートディレクトリを少し書きかえれば、配線修理のような作業も比 較的 かん たんにできる」(同前)、そんな魔法なのだが、これは一体どのやうな魔法であるのか。現代に生きる魔法であるからにはプログラミング は避けて通れないといふことであらうか。大体、配線を魔法で直すとか、「走っている最中に車のギアの部品を交換」(16頁) する と か、かういふのは、走つてゐる間は別にして、修理する人間は決まつてゐよう。それを魔術師が行ふ。「実用の魔法」であればこそであ る。ただし、「〈魔法法(一九六六年改正)〉によって、どんなに小さな魔法を使ったときでも、書類を提出することが義務づけ られ てい る」(19〜20頁)。これも大変に面倒である。そんな面倒な仕事を引き受けてゐるのが主人公ジェニファー・ストレンジである。魔術 師はその場に合はせて魔法を使ひ、ジェニファーはその後始末をするといふことであらう。彼女にはそのやうな会社管理と今一 つ、魔 術師 の世話といふ仕事がある。「そのうえカザムにいる四十五人の魔術師の面倒を見て、その住まいであるぼろぼろの建物を管理し」(10 頁)てゐる。そんな彼女でも実は魔術師ではない。「結局のところ、魔法は素質があるかないかの問題なのだ。」(52頁)とい ふ、 その 素質がないのである。にもかかはらず、最後に彼女はドラゴンスレイヤーとなる。それは運命であつた。「だれを待っているとおっしゃい ました?」「ジェニファー・ストレンジだよ」「ジェニファー・ストレンジはわたしですけど!」「そうか(中略)待ち人来た る!」 (158頁)といふわけで、彼女は最後のドラゴンに対することになる。この物語は現代社会の物語であるが、そこはドラゴンが住 み、魔 法が通用する。しかも、資本主義的アイテム満載の世界である。巻頭の情景はそれを示してゐる。そこにドラゴンスレイヤーがからむ。か らむとはいつても王は資本主義の申し子如き人であるから、彼女はそれにも対することになる。魔法と魔法的存在が現代社会に存 在し うる か。ところが実際には魔力は弱まりつつあるのであつた。それとドラゴンの関係も突きとめねばならぬしと、そんなこんなでジェニファー は大変である。この物語ではジェニファーの存在感が圧倒的である。タイトルからして当然ではあつても、他の登場人物はどうな つて ゐる のかと思ふ。どうなつてゐるのだらう、生きてゐるけどね。さう、確かに生きてゐる。影が薄いだけである。何事もジェニファーの双肩に かかつてゐるのである。これには続編があるといふ。そちらで活躍するのであらうか。かう考へると、ジェニファーに重点を置き すぎ た気 がする物語であつた。他にも活躍できさうな人物がゐる。これらはどうなるのであらうか。いささか物足りない物語となつた。続編に期待 しよう。

20.05.30
ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」(河 出文庫)の 「文庫版訳者あとがき」はカフカの「変身」から始まる。ある朝、目覚めたら甲虫になつてゐた「変身」に 対して、信号待ちの車中で突然目が見えなくなつた「白の闇」、いづれも不条理であらう。しかしその先が違ふ。カフカは短い。これは長 い。しかも個人の問題ではなく、その集団全員の問題である。集団といふのは、もしかしたら国であるのかもしれない。そんなに も大 きな 不条理を扱ふ「白の闇」、カフカとは全く違ふ作品であらう。
・サラマーゴはノーベル賞作家であるらしいのだが、私はそれを知らなかつた。だから初めて読んだ。読んでゐて思つたのは構成 の問 題で あつた。起承転結が実に見事であつた。患者発生、隔離、暴力集団支配、解放・省察、この第4部の結を2つに分けて考へることもできよ う。発生と隔離をまとめて解放と省察を分ければ4つになる。いづれにしても起承転結である。この患者は眼病である。いきなり 目が 見え なくなつた。見えるのは「白の闇」ばかりである。最初の患者は運転席で赤信号を待つてゐた時に発症した。そんな眼病だから病名は書い てない。しかし、これは伝染性があり、まづ先の男を助け(たふりをし)て車を盗んだ男に伝染する。その信号を待つてゐた男は (総 合病 院の)眼科に行く。するとその待合室の患者や受付、そして診察した医師や看護師にも伝染する。もちろんその家族にも……といふやうに 次から次へと伝染していく。眼科医は己が症状を院長に電話連絡する。「接触感染症だという証拠はありません。しかし、たんに 患者 の目 が見えなくなり、私の目が見えなくなつたのではないのです。云々」(48頁)これで集団隔離の措置がとられて患者は「からっぽの精神 病院」(54頁)に収容される。何しろ目の見えない患者である。緊急事態とその事の重大性ゆゑに患者の世話はない。患者自ら が自 らを 世話する。そこで様々なことが起きるのだが、最も重大なことは暴力集団の登場とその支配である……とまあ、かうして書いてゐたら切り がない。この暴力集団をも乗り越えた時、患者は隔離施設から出ることができた。そこは皆が目の見えなくなつた世界であつた。 秩序 はな い。あるのは人間のありのままの欲望の世界であらうか。食ひたい物を、といふより今そこで食えるものを食ひ、眠りたいところで眠る。 排泄はどこにでもできる。全員が目が見えなくなつたのかといふと実はさうではない。最初期の患者、眼科医の妻は目が見えてゐ たの であ る。これは全員が見えなくなると物語を進められなくなるといふ事情があつたのかもしれない。見える人間がゐればそれを視点に物語がで きる。あるいは別の事情があるのかもしれない。彼女はいはば神の如き超越した存在であり、だからこそ皆の目が見えるやうにな る と、 「顔を空へ上げると、すべてがまっ白に見えた。わたしの番だわ。」(408頁)となるのかもしれない。最後の一文、「町はまだそこに あった。」(同前)とは、そこに町があつても妻には見えないのか、町は見えたのか、これがはつきりしない。たぶん妻に見えな くな つた のだと思ふが、さうであればこそ事の不条理性が強まる。そしてカミュも「ペスト」の最後で希望をもたらしたが、サラマーゴもまた希望 をもたらしたのである。結局、皆が見えるやうになつた……現在私達の眼前にある新型コロナ肺炎といふ不条理も、最後はこれら の物 語の やうに希望で終はることを望むのみ、カフカの「変身」ではなくである。あるいは、もしかしたら、ザムザの家族が、逆説的ながら、眼科 医の妻の役割なのであらうか。「変身」も見方によつてはハッピーエンドであつた。

20.05.16
服部幸雄「市川團十郎代々」(講 談 社学術文庫)を 読んだ。本書はその書名の如く、市川團十郎初代から十二代までと、十三代目襲名間近の七代目新之 助、つまり現海老蔵までを述べる。ただし、本書は文庫である。単行本で出たのは'02のこと、まだ十二代が亡くなる前である。従つ て、十二代以降の記述は古く、少なく、不完全である。これさへ割り引けば、本書は團十郎代々を知るには実に便利な書である。 團十 郎 代々の書はありさうな気がするが、実際には多くないといふ。その中で伊原青々園「市川團十郎の代々」(私家版)がその基本である (「あとがき」237頁)らしい。青々園は魅力的だが、私家版である。私には読めさうにない。そんなこともあつて、現代歌舞 伎研 究の 大家たる(故)服部幸雄を読んだのである。
・本書には代々に関はる内容の章もある。最初が、つまり巻頭にあるのは「江戸っ子の團十郎贔屓と襲名」である。ここに團十郎 が 「『随 市川』と称されて江戸の歌舞伎役者の別格とみなされるに至った」(11頁)その理由と思しきものが3つ書かれてゐる。第一、「代々の 團十郎が際立った名優だったこと」(同前)、第二が「代々が他ならぬ『荒事』を『家の芸』として確立し、伝承してきたこと」 (13 頁)、そして第三が「代々の人物と芸とが江戸文化を代表するものとして、江戸っ子の伝統主義・排他主義によって盛り上げられていった こと」(同前)、以上3点である。どれもさうだと私にも思へる。荒事の件を補足すれば、荒事は「演技面には様式性の洗練、性 格面 には 呪術性・宗教性が加わって、祭祀的ないし饗宴的色彩の濃い江戸歌舞伎の体質を象徴的に表していた。」(同前)だから「市川團十郎の演 ずる荒事の主人公は、悪疫の流行、飢饉、災厄などから生命と生活を守ってくれる江戸の守護神」(同前)であつた。これが例の 口上 に於 けるにらみに通じる。にらんでもらつて悪疫退散である。十一代目が海老蔵であつた頃のこんな話が、織田紘二「解説 團十郎代々の『聖 性』に肉薄」に出てゐる。「初代市川團十郎発祥の地」の石碑を建立することになる山梨県三珠町(現西八代郡市川三郷町)の蹴 裂神 社で のこと、「農家の主婦が幼い子を抱いて来て、近い将来團十郎になる成田屋の当主に、赤児の肌着にサインを頼んだのを初めて見た。『こ の子が丈夫に育つように、サインをお願いします』と、いうのである。」(244頁)にらんでもらふまでもなく、團十郎のサイ ンで 悪疫 退散、無病息災である。織田氏は「團十郎の霊力をまざまざと見るようで、感動した」(同前)と書いてゐる。團十郎といふ役者にはこれ だけの力があると知つた私もまた感動した。荒事の、例へば曽我五郎でなくとも良いのである。團十郎といふ名を背負つてゐるだ けで これ だけの力がある、これはつまり江戸の人々、そしてそれに続く時代の人々にまで團十郎が信じられ、受け入れられてゐたことを示す。團十 郎は守護神なのである。大体の團十郎論はかういふ線に沿つて書かれてゐるのかとも思ふのだが、どうやら違ふらしい。青々園と 本書 の 「大きな違ひは、後者において團十郎代々の『聖性』と『信仰』の背景に肉薄したことにある。」(「解説」245頁)これが本書の大き な特徴であつた。代々もこれに沿ふ形で書かれてゐる。初代は「荒事の創始」(28頁)、二代は「家の芸の確立」(52頁)で あ る。か うして代々の團十郎は聖性をまとひつつ進んできた。それが十三代目團十郎白猿に通じるかどうか。本書がこの團十郎襲名記念して文庫に なつたのは明らかである。これが売れるか売れないかといふのもここに関はつてゐよう。守護神團十郎、現れ出でよ。

20.05.02
小谷野敦「歌舞伎に女優がいた時代」(中 公新書ラクレ)の書名 を見て市川少女歌舞伎のことを考へた。阿国歌舞伎ではな い。 ずつと新しい戦後の、一世を風靡 したと言へるであらう市川少女歌舞伎である。先輩からきいたことがある、誰それの弁慶は実に良かつたと。東京で三越劇場、明治座、名 古屋で御園座、京都で南座、大阪で中座、その他の都市でも大劇場で公演して全国を回つた。市川宗家から市川を許されたのであ る。 これ を本格的な歌舞伎と言はずに何と言はう。さすがにこれは本書でも取りあげられてをり(207〜208頁)、豊川の少女達の活躍をかう して読むのは本当に久しぶりのことであつた。その後、少女が成人するに至つて名を市川女優座と改めて公演を続けた。女優座で あ る。本 書にぴつたりの座名ではないか。歌舞伎に女優がゐた時代は決して古き昔のことではないのである。
・とはいふものの、私が歌舞伎と女優を結びつけることができるのは前進座とこれぐらゐしかない。現在の地芝居に女形と女優が ゐる こと は知つてゐるが、これは地芝居、地歌舞伎でのこと、ここでいふプロの芝居、役者とは違ふ。市川少女歌舞伎はプロであつた。だからここ に出てくる。しかし地芝居はアマである。役者が足りなくなれば女優、いや女性でも使ふ。たぶん、その昔は地芝居でも女形しか ゐな かつ た。本書の「歌舞伎に女優がいた時代」は江戸から明治である。若衆歌舞伎、野郎歌舞伎に女優はゐない。寛永6年に「女が舞台で歌舞伎 や舞踊を演じることを禁じた」(23頁)。これは「女が興業として舞台へ上がることが表向きは禁じられて明治に至ったという こ と」 (同前)である。つまり「興業」でなければ江戸時代でも女優はゐたのである。その第一が「藝者」であつて、「歌舞の菩薩」(38頁) と呼ばれたといふ。その二が本書の女優たる「御狂言師」(同前)である。これは要するに大奥、あるいは奥で求められて芝居を する 女 性、いや女優である。もともと歌舞伎役者の弟子で踊りをやつてゐた女性なので、大奥での求めには容易に応じられた。演し物は「鏡山」 や「先代萩」が多かつたらしい。この最後の世代から明治の女優が出てきた。女團洲と言はれた市川九女八である。この人は男の 役者 と芝 居に出た、最も女優らしい人である。明治には他にも女優がゐた。女だけで一座も組んだが、男優にも混ぢつた。最後に資料として九女八 等の出演記録がある。これは名前だけでは男か女か分からない。ただ私の知る役者もをり、この時も、これが男であるならば、九 女八 等は 男優に混ぢつて演じたことになる。例へば、明治33年1月東京座、「寿美蔵猿之助を上置きにした一座でしたが、一番目の嫩軍記での九 女八さんの藤の方が、大変な評判でした云々」(守隨随筆より再引用、113頁)で分かるやうに、ここでは男優に伍して活躍し たら し い。猿之助とも京人形を踊つてゐる。女だけの一座で優れてゐる人はよくゐる。市川少女歌舞伎も成人前の少女だけだからこそ受けたので あらう。しかし、男優に混ぢつて評価されるのは本当に力のあつた証拠である。九女八はかういふ人であつたらしい。この時期に は他 にも 女優はをり、例へば巻末の帝劇女優芝居は昭和の初めまで続いた。ここにも宗十郎、三津五郎等が出てゐる。座組みが変はつたりして松竹 一強体制ではなく、今のやうにがんじがらめになつてゐないことも歌舞伎に女優が存在できた理由であらう。なぜ女優が消えたの か、 これ は本書にはつきりと書いてないが、戦前に現在の形の歌舞伎ができた(208頁)らしい。明治は歌舞伎芝居の変革期であつた。本書は変 革期の歌舞伎を知ることのできる書であつた。

20.04.18
阿辻哲次「戦後日本漢字史」(ち くま学芸文庫)を 読んだ。本書で最も良いと思つた一文は、「点を一つとれば、それだけで国民が正しい漢字を書けるようになる、とでもいうのだろうか。 日本国民もずいぶんと なめられたものである。」(138頁)であつた。これは「臭」の下が本来は「犬」であつたのが、戦後の漢字改革で「大」に改められた ことを言つてゐる。 「漢字は形が複雑で、覚えるのも書くのも大変だから、できるだけ簡単な形にして」(14頁)、児童の学習負担軽減と印刷の労力軽減を といつて行はれたこと であつた。指令はGHQから出た。拒みやうはない。それに乗つて、戦前からの仮名文字論者やローマ字論者が活躍して行はれたのが戦後 の国語国字改革であつ た。その最も分かり易い例の一つがこの「犬」か「大」の問題であつた。この結果として、私達は現在「臭」を使つてゐる。この路線は現 在に至るまで変はらな い。実際、私達はなめられたのである。「民主主義と自由の権化である占領軍の幹部がデータの改竄を依頼するというのは尋常ではなく 云々」(55頁)、これ は国字改革に先立つて行はれた全国識字能力調査の結果に関してであつた。この時の非識字者が2.1%であつたことを漢字改革の妨げに なると危惧して、占領 軍側から調査委員会のメンバーにクレームがついた。しかし、これは後の国語学の大家柴田武によつて突つぱねられた。これがなかつたら 戦後の漢字改革がどう なつてゐたか。占領軍はこれさへも通ると思つてゐたのだから、日本を相当になめてゐたのである。戦後の日本漢字史は、このやうに「ず いぶんとなめられ」て ゐた占領軍の漢字政策からの脱却を目指す歴史であつた。
・著者阿辻氏の戦後の漢字問題に於ける立場は、先の引用からも分かるやうに保守的だと言へる。先の引用に続いてかう述べる。 「『当用 漢字字体表』によって規範とされた字体には、このやうに文字学的に大きな問題をはらむものがたくさん含まれている。(中 略)い まとなってはそれら若干の『問題字』をあげつらって、字体の変更を議論することは決して現実的とは思えない。すでに手遅れとなっ てい るのが、私には非常に 残念でならない。」(138頁)このやうな戦後の漢字改革批判に類する表現は他にもある。「字体表における字体の選定は(中 略)誤 解をおそれずにいえば、ごく少数の人による密室での作業であって、その結果に対する外部からの意見はまったく反映されることがなかっ たようだ。」(124 頁)これなども、あのいかにも不徹底な、所謂新字体がいかなるものであるかを教へてくれる。要するにああであらねばない必然性などは ない。「似ているから 一緒にしてしまった」(同前)だけのことであつた。そして、似て非なる問題が「印刷字形と手書き字形」(191頁)の問題である。ご く簡単に言へば、印刷 された通りに書くかどうかといふ問題である。「教科書や辞書に印刷されているのが『正しい』字形であり、テストの答案などではその通 りに書かないといけな い、という認識が蔓延しているように見受けられる。云々」(192〜193頁)とあるやうに、これはもちろん印刷された通りに書く必 要はない。習慣とデザ インの問題である。はねようがはねまいが「字種としては完全に同じである」(192頁)。こんな当然なことを不明にしたのが戦後の漢 字改革であつた。現在 は目安になつた(これだけでも「脱却」である!)常用漢字表に至るまでにも様々な問題があつた。それらを丁寧にときほぐしてくれる。 さすが中国文学者、漢 字で飯を食ふだけのことはあると言つては失礼であらうか。多くの人に読んでもらひたい書である。

20.04.04
岩原剛編「今川・松平が奪いあった『水城』 三河吉田城」(戎 光祥出版)を 読んだ。子供の頃から身近にあつた城だが、その詳細は知らない。通り一遍の知識しかない。そんな人間が読むと、これは十分に刺激的な 内容の書であつた。本 書は吉田城にまつはる様々な問題を取り上げてゐる。城そのものについて、その構造と文献によつて考へる第一部、第二部と、そこから派 生する第三部からな る。量的には文献による第二部が多いが、私におもしろかつたのは第一部や城の復元に関する部分であつた。ここでは最新の考古学的知見 を踏まへたりして城の 説明がなされる。これが吉田城の何たるかを知らない人間にはおもしろい。
・第三部最初の論考は三浦正幸「今、よみがえる吉田城ーーその建物復元に向けて」である。これは吉田城の櫓復元についての問 題点 の解 決を、現存の他の城に 求めるとでもいふ内容の文章である。まづ「吉田城に関する一般的な感想は」(178頁)と始まる。天守がない、石垣がたいしたことな いなどとある。これは 私の感想でもある。通り一遍の知識しかないとはかういふことで、吉田城はおもしろくないといふのである。しかし、この文章を読むとそ れがまちがひであると 分かる。まづ櫓の数、吉田城は8基であつた。これは「江戸時代の櫓の建て方の理想像だった。」(179頁)大坂、名古屋、明石、福 山、そして吉田でしか実 現できてゐないといふ。だから「吉田城はたいへんに正式で立派な城であった」(同前)。その本丸は三重櫓4基であつた。「三重櫓とい うのは櫓の中でも法外 に大きい櫓である。」(同前)吉田より三重櫓が多いのは大坂、江戸、熊本、姫路、岡山である。「吉田城は天下の大城と評価してもよい のではないか。」(同 前)しかも姫路、岡山、吉田は池田輝政の建てた城である。「吉田城は池田輝政が造った天下の大城といえる」(179頁)となる。これ は驚きである。吉田城 がそんな城であつたとは。これは城そのものに対する評価である。あくまで本丸あたりにあつたであらう櫓の評価である。豊川べりに今一 つの櫓があつた。写真 で有名な川手櫓である。これを写真等をもとにして大きさを推定すると、四間四方の正方形となるらしい。これと「まったく同じ大きさの 櫓が三基ある。」 (181頁)吉田と弘前の二の丸櫓、丸亀天守である。丸亀天守は上の方が狭い。三階は「こんなに小さなところにどうやって立て籠るの か」(184頁)とい ふほどだつた。それでも天守である。復元鉄櫓は丸亀天守より大きいし、川手櫓よりも大きい。これはつまり、吉田城に「天守がないので はなく、天守と呼んで いなかっただけのことなの」(同前)であつた。鉄櫓が天守だつたのである。なぜこのやうなことになるのか。江戸の初めの段階で幕府に 天守と届けたものは以 後も天守であるからだといふ。吉田城鉄櫓は天守とは届け出なかつたらしい。結局、これは「江戸幕府の書類上、帳簿上の名称の問題で あった。」(184頁) 何だそれだけのことかと思ふ。それだけで私は吉田城に天守がないと思つてゐたのである。知らないことは恐ろしい。この、吉田城は天守 のある大きな城だとい ふ認識は本書で共有されてゐると思はれる。だから、鉄櫓の石垣も「現状で地表面から約一二メートルの高さがあ」(18頁)るのは、 「伊勢国の亀山城(三重 県亀山市)と並んで東海地方では最も高い一群になる」(同前)ともあり、ここでも輝政が出てくる。事ほど左様、吉田城は輝政の造つた 立派な城であつた。輝 政は知られてゐても、輝政以降の吉田城を私達はほとんど知らないのである。天守残存は問題ではない。一度ゆつくり吉田城を見てみよう と思ふ。

20.03.21
泡坂妻夫「奇術探偵 曾我佳城全集」上下(創 元推理文庫)を 読んだ。何しろ私はミステリー を知らない。泡坂妻夫を読んだことがない。曾我佳城などといふ奇術探偵も知らない。ただ、全集好きであるがゆゑに全集とつく書に弱 い。本書は正にそれであ る。しかも女流探偵である。これは読まねばなるまいと思つてしまつたのが運の尽き、買つて読むことにしたのである。本書には上下各 11編づつ、計22編集 録、'80から20年にわたって書き継がれたものを発表順に並べてある。登場人物も成長する。さういふ点も含めて、ミステリーといふ ものを知らない人間も おもしろく読めた。
・巻頭の一作「天井のトランプ」は主人公曾我佳城登場の巻である。天井に貼りつけられたトランプから始まる。誰が何のために 貼り つけ たのか、最初はこの謎 解きである。これはすぐ分かる。そして殺人事件である。「小岩の羅生門坂にあるスナックバーで人が殺されました。」(28頁)その天 井にカードがあり、そ の意味が分からない。容疑者3人、アリバイなし。手がかりは天井のカードのみ。それを最後は佳城が解決する……のか、たぶんさうなつ てゐる。ここで佳城は 「中年だがびっくりするような美人」(39頁)で、「中高で黒い眸が大きく、下瞼のふくらみに艶美な匂いが感じられ(中略)そのまま 映画のスチール写真に でもなってしまいそう」(同前)な女性として描かれてをり、もちろん「女流奇術師だった」(46頁)と紹介されてゐる。その佳城のこ こでの謎解きはといつ ても、これがあまり印象的ではない。言はばTPOを心得て登場して事件を解決してゐるのだが、颯爽と登場して鮮やかに事件を解決する のとは違ふ。どこか影 が薄いのである。これを米澤穂信氏は下巻の解説で、「佳城はあたかも水鏡のようだ。」(504頁)しかし「佳城自身がくせのある挙動 をしなくとも、曾我佳 城の存在感は読む者の胸に深く残る。」(505頁)と書く。さうか、では影は薄くないのだと思ふ。私はコナン・ドイルのやうな昔風の 名探偵しか知らないか らさう思ふのであらう。現代の探偵はあんなものではないのであるらしい。さう思つて適当に読んでみる。第二作「シンブルの味」は奇術 用のシンブルを隠さず に飲み込む話である。それだけの技術がないから飲みこむのである。これがポイントである。さうして殺人事件である。佳城はシンブル飲 みを見破つてゐる。そ の延長上で事件も解決する。ここでの佳城は饒舌である。最後の「シンブルなど入っている胃袋は、世界中探しても云々」(91〜92 頁)まで事件を語り続け る。第三作「空中朝顔」は変化咲き朝顔の話である。ここでの主要登場人物は2人、秋子と裕三である。事件は起きない。佳城は朝顔の鑑 賞客として出てくる (96頁)。これなどは「水鏡」とさへ言へない。佳城物だからその女性が佳城なのであらう。佳城を出すまでもないやうな気がする一作 である。このやうに見 ていつたらきりがない。個人的には、佳城の影は濃くないと思ふ。いや、ひかへめといふべきか。しかし、その推理は鋭い。表には出てこ ないが、事件は分かつ てゐる。ある時は雪の温泉旅館に五月女といふ名で勤めて(?)ゐたりする(下197頁)。そこで事件を解決する。「湯の花が浮くほど 硫黄分が多い」 (221頁)温泉がポイントである。奇術ではない。しかし、分かつてゐるのである。かういふ女性だから確かに魅力的であらう。解説で も佳城に「会えたこと を心からよろこんでいるさまは云々」(505頁)とある。さう、やはり佳城はシリーズの主役である。ヒロインたる者、美しく、かつ聡 明であらねばならぬの だと改めて知つた次第。

20.03.07
礒山雅「マタイ受難曲」(ちくま学芸文庫)を 読んでゐる。まだ第2部の途中なのだが、その11章の初めにかうあつた。「長大な受難曲を、バッハがただ平坦に作曲し続けていったと は思えない。《マタイ 受難曲》にもおそらく、表現の重点が存在するはずである。バッハは、受難物語のどこに焦点を定めて、作曲の筆を進めたのであろう か。」(377頁)正直言 つて、私にはかういふ発想はなかつた。ただ漫然と聴いてゐた。いや、聞いてと書くべきであらう。さういふことは考へずにただ聞いてゐ た。内容は二の次、 バッハの音楽だけを聞いてゐた。この少し後に、例のバラバをと釈放者を指名する部分の音楽の、特に通奏低音の「たった三つの音符群に こめたバッハの迫真的 な表現を、このように深く感じるとるファンもいるのである。」(392頁)とあるのと比べたら雲泥の差である。私にはそのやうな発想 も聞き方もなかつた。 世のバッハ愛好家が私のやうな聞き方をしていゐるのかどうか。たぶん違ふと思ふ。ただ皆が皆、言はば襟を正すやうな聞き方をしてゐる とも思へない。その中 間あたりで、曲に合はせてテキスト(歌詞カード)でも読みながら聞いてゐるのではないかと思つたりする。何しろキリスト教とは無縁の 人間である。受難曲も ミサ曲も鎮魂曲も皆同じやうなものと思つてゐる人間である。私はバッハを、とりわけ宗教曲を「深く感じとるファン」にはなれない。
・本書はマタイ受難曲の総合的な研究書であらう。アナリーゼらしきところはあるが引用譜は少ない。それも最小限である。音楽 的な 記述 はそれほど多くない。 楽譜がないと説明できないとか理解してもらへないなどの部分には楽譜があるが、それ以外には、音楽的記述があつても楽譜のないところ がほとんどである。例 へばイエスの死の場面、「鳴り響く弔鐘」といふ最初の見出しがくる。「〈ああ、ゴルゴダ〉のレチタティーヴォは、われわれを、まった く新しい響きの世界へ といざなう(譜例46) 。前合唱(ト長調)と鋭い対比をなす変イ長調、しっとりとした音色、チェロの奏するピッチカートの響きーーこのチェロのつまびきは、 鐘の響きを模倣したも のである。」(442頁)ここは譜例がある。「強拍がほとんど七の和音(不協和音)となっているため、この鐘の響きは曇り、くすんで いる。」(同前)とい ふのも、譜例から分かる。ただし、その響きをこのやうに認識できるかどうか。それでも、この短い楽譜があるだけで分かり易さが違ふ。 ここは曲中の「表現の 重点」であるからこその楽譜引用なのであらうが、それゆゑに内容的にも重要である。このあたりではその説明も詳しくなる。「覆う暗 闇」の部分、ここでは 「昼の一二時」を問題にする。これが「旧約の表象を背景にふまえて」(449頁)からモーゼが出てきて、更に曲中の「三」の象徴に至 る。その後の、イエス が私を見捨てたのかと叫ぶ場面ではやはり譜例つき、音楽的な説明も詳しいが、その内容となると更に詳しく、ルターやルター派神学への 詳細な言及があり、更 に「なぜ対訳か」などともある。説明も引用も縦横無尽、音楽学だけではとても太刀打ちできない。本書カバーに「本国での演奏にまで影 響を与えた」とある。 これほどの書である。これ一冊でマタイのことは分かると言へさうである。私のやうな聞き方の者には思ふだに恐ろしい世界である。これ くらゐ書けなければ学 問とは言へないのかもしれない。それなればこそ、譜例の少ないのが残念である。本書を読んで、マタイ受難曲のスコアでも買つて1度く らゐはまともに、そし てまじめに聴きたいと思ふことであつた。そんな有益な、正に古典的名著であつた。

20.02.22
・忠臣蔵と言へば歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」である。何しろ歌舞伎の独参湯、これをかければ受ける。そんなにありがたい芝居 であ る が、この物語は史実とはかなり違ふといふ。そもそもその成立過程から怪しい。そんな立場から書かれたのが柿 崎輝彦「忠臣蔵の起源」(幻 冬舎 ル ネッ サンス新書)で ある。柿崎氏は忠臣蔵の専門家と言ふべきであらうか。文学者でも史学者でもなささうで、ひたすらこの事件の文献、史料等を渉猟し てき た人であるらしい。私 などは歌舞伎や文楽の忠臣蔵を観てきた人間であるから、この人のやうな文献史料を通した歴史的な事実関係といふ見方を知らない。しか もそこに近松門左衛門 が絡んでくるとなれば私の想像を絶する世界である。帯には「通説を覆す画期的な論考。」とある。忠臣蔵に近松が出てくるのである。確 かに画期的であらう。
・柿崎氏の考への基本は、「忠臣蔵の語源ともなった『仮名手本忠臣蔵』は近松門左衛門の構想によって始まった」(229頁) とい ふこ とである。決して近松 が書いたのではない。最終的に書いたのは並木千柳、竹田出雲、三好松洛の3人であつた。ただし近松が決定的な役割を果たしてゐた、と いふのである。この合 作を認めることは「立案の経緯や情報源など多くの疑問が生じる。」(同前)らしく、逆に「近松門左衛門による忠臣蔵構想が早い段階か ら想起されていたと仮 定すると(中略)近松の忠臣蔵構想を実現させるべく自然且つ必然性をもった様々な出来事が連続する姿が浮かび上がる。」(同前)とい ふのである。これでも 分かるやうに、氏の考への基本には「仮定」がある。既定の事実としてある事どもを前提とするのではなく、様々な史料渉猟によつて得ら れた知識をもとにして の仮定を前提とするのである。なぜか。「学術社会においては絶対的な確証がない限り、また裏付けの伴わない推論による持説は成立しな いことからか、それ以 上先へは踏み込めていないのが現状である。この状況が続く限りそこからは何も生まれない。」(5頁)そして更に、赤穂事件、忠臣蔵研 究の「史実派と文芸派 との間にはこれまでほとんど交流する機会さえなかった。」(10頁)そんな「現状に一石を投じたかった」(235頁)からだといふの である。忠臣蔵研究の 現状に不満があるから新説を出すといふことでもあらう。これは私にはできない、非常に勇気ある行動である。やはり私は証拠が必要だと 思ふ。丸谷才一「忠臣 蔵とは何か」の諏訪春雄への反論「日本文学研究にはびこるいわゆる実証主義的方法の戯画として恰好のものだろう」(6頁より再引用) といふのが載るが、な いものを出せと言つても無理である。ないものは出せない。実証主義では、ないものでも書いたからには出さねばならない。なければ書く なである。それでは少 しも進まない。それに一石を投じて進めようとするのである。氏の仮定は、近松から初代竹田出雲に忠臣蔵構想が伝へられ、そこから更に 二代目出雲とスカウト した千柳とに伝へられて完成するといふもので、それゆゑに、赤穂事件から50年近くの歳月が経過してゐても近松の準作品と言へる。そ の近松に事件の情報を 提供したのが綿屋善右衛門であり、二人は京都在であつたから何らかの接触があり、そこから近松は材を得たはずだといふのである。ここ には様々な仮定や推論 がある。実証ではない。私にはその当否を論ずることはできない。仮定の積み重ねがいささか眉唾ではないかと思はないでもない。ただ、 かういふ形で忠臣蔵研 究に一石を投じたのは評価さるべきであらう。今後、この成果がどのやうに生かされるのか。完全な無視で終はらないことを祈るばかりで ある。

20.02.08
伊藤秀彦「サジュエと魔法の本」(文 芸社文庫)を 読んだ。おもしろいのだが、その理由の一つは名古屋弁である。登場人物の二人が名古屋弁を使ふ。チュイ人の村長が「なまりのきつい話 し方で『森の外から来 られた方々よ、ようこそわれわれチュイ人の村へいりゃあたなも。」(上150頁)と歓迎のあいさつをする。以下も見事な名古屋弁であ る。次はちよつと違ふ かもしれないが、「幻の丘を望む南の岬の家」(下53頁)の、たぶんまだ若い母親ジュファがサジュエに言ふ、「わたし、魔女だからさ あ、占いは得意なんだ わね。」(下63頁)だわねの語尾や全体の雰囲気が名古屋弁つぽい感じである。ただ、こちらははつきりと名古屋弁と言へるかどうか。 しかし、そんな登場人 物がゐるだけでも楽しい。こんな人物がゐるのも作者が準名古屋人だからである。春日井市出身とある。しかも地方公務員、県か市町村か であるが、名古屋弁の 中で生活してゐる人であらう。だから、よくある紋切り型の田舎言葉より、かういふ言葉、名古屋弁が田舎言葉として使ひ易いのであら う。と言ふより、大いな る田舎と称された名古屋である。そのまま使へば良いのである(、なんてね)。理由の二つ目は作者が「あとがき」で述べてゐるやうに、 「パクったと言われそ うな個所なら、ほかにいくらでもありそう」(下350頁)なことである。例へば最後に出てくる邪神、この言ひ方だけでラブクラフトを 思ひ出させる。実際に その姿は、「あらゆる生き物がでたらめに混じり合ったような、まがまがしい姿。」(下323頁)であつた。この前に具体的な様相が描 かれるが、それは正に クトゥルー神話の邪神そのものである。これもクトゥルー物だと言つてしまつても良ささうな感じさへする。この邪神現るまでのいきさつ もクトゥルーにでもあ りさうで、作者が日頃慣れ親しんだ作品をまねた、パクつたであらうことは十分に察しがつく。こんなのは他にもありさうである。パクる 方が悪いのか、パクら れる方が罪作りなのか。要するに、良い作品はパクられる、これだけのことであらう。
 ・物語は、このやうなファンタジーの常として、舞台をヨーロッパ中世あたりにおいてゐることが多いが、これは違 ふ。 たぶ ん近未来といふあた り、それも魔法が通用する社会である。魔法的存在も多く、魔術師を魔導師、その黒いのを邪導師といふ。小学校でも魔法を教へるやう で、主人公は12歳、 「歴史に名を残す大魔導師の孫でありながら、サジュエは魔法が大の苦手だった」(上13頁)。それなのにある日副題の赤い本を奪はれ さうになつて旅立つて 以来……とまあ、お決まりの成長の物語が続く。これはファンタジーの伝統、パクつたなどと言へたものではない。トールキンも、ルイス も、ル=グインも、そ の他多くの作家達が皆同じことで物語を作つてきた。パクるのではない。正攻法である。そして旅の仲間と出会ひ、ヒロインが現れ……と 物語が続いて「最後の 戦い」、王の戴冠に至る。最後まで型通り、見事なものである。舞台が近未来ならもつとS F的要素がありさうなものだが、これはあくまでファンタジー、魔法的要素が強い。最後の戦いもさうである。といふより、ここでさうい ふのが一気に吐き出さ れる。その最果ての邪神であつた。この物語、さういふ型通りを気にせずに読めばおもしろく読める。大家の作品でも似たやうな設定や進 行等はあるもので、そ れでもそれがおもしろければ良いのである。魔法があつてもおもしろくなければファンタジーではない。私にはおもしろかつた。作者も結 局は楽しんで書いたの ではと想像する。それゆゑにまともなファンタジーと思へる作品であつた。

20.01.25
・江戸末期の牢獄の写実で有名になつたのは黙阿弥の「四千両小判梅葉」であつた。初演時、千歳座の田村某が小伝馬町の元牢役 人で あつ たため、黙阿弥はそれ に教へを受けて書いたといふ。牢名主が遥かの高みの畳の上にゐて……といふのだが、この様子があまりにもリアルであつたといふ。中 嶋繁雄「江戸の牢屋」(河出 文 庫)を 読むと、確かにあのやうな牢屋の状態であつたと知れる。本書にはその牢屋に入るまでの記述もある。「町奉行所同心、そして牢屋同心、 牢屋下男ら六、七人か かりっきりで罪囚を裸にし云々」(16頁)と、実に「仔細に調べ」(同前)たといふ。さうして牢に入る。この時、様々なお仕置き、い や入牢儀礼がある。牢 名主は「見張畳と称して、十二枚かさねの畳の上に傲然とかまえ、牢内の生殺与奪の権をにぎる。」(29頁)牢内に限るとはいへ、圧倒 的な権力者である。以 下、畳1枚に1人の上座、1枚に2人の中座、3、4人の下座、金比羅下と称される小座となると4、5人から7、8人詰め込まれる。ま だ下があるが、ここま ででもその歴然たる差は明らかである。これが牢名主をトップとして11番まで位づけされてゐる。見事な階級社会である。それを黙阿弥 は舞台で見せたのであ る。あまりにリアルであるといふ類の評も、観客に関係者がゐたからこそ出てきた評であらう。著者はこの牢獄を「比類なき地獄社会」 (5頁)と呼ぶ。「江戸 の牢獄は、現在では到底眼にすることのできない、人間ぎりぎりの限界状況をわれわれに垣間見せてくれるのである。」(6頁)その「人 間ぎりぎりの限界状況 を」本書は描く。それは本当に「限界状況」であつた。
・例へば明治元年、つまり慶応4年の小伝馬町牢獄は、「牢内はほとんど立錐の余地もない、といっても過言でない過密状態だっ た。 (原 文改行)当時の牢名主 は豪語して、(原文改行)『畳一畳に、十八人まで詰め込めるーー』」(31頁)と言つたとか。これでは眠れるはずもない。また、牢に 入る前には取り調べが あつた。誰もが素直に白状するわけではない。さうなると拷問である。「幕府四種の拷問は、第一笞打ち、第二石抱、第三海老責、第四釣 責、是れなり」(68 頁)と元与力の佐久間長敬が書いてゐるとか。しかし「たいがいはきつく縛りあげられたときに泣き叫び云々」といふことになつたらし い。これまた大変であ る。牢内はすべてこの調子である。しかし、ここは地獄である。地獄の沙汰も金次第とはここのための言であらう。「お前様、ツルをお持 ちか?」と「新入りの 入牢者の面相を熟視し」(48頁)て牢名主は尋ねるといふ。小伝馬町に来るやうな輩はその点は心得てゐたらしい。ところが、吉田松陰 ともなるとさうはいか ない。「生命のツルを何百両持参したかーー」(136頁)との牢名主の問ひに答へられない。文無しである。それでも金の工面は認めら れ、最終的に松陰は添 役にまで、つまり牢内ナンバー2まで上り詰めた。同じ勤皇の高野長英は、その医術の心得ゆゑに牢名主にまで上り詰めた(176頁)と いふ。同じやうに入牢 儀礼を受けても、出世できる人間もゐるのである。と、まあ、興味は尽きない本書の内容である。何しろ私は牢屋といふものを知らない。 現代のはもちろん、昔 のも知らない。そんな人間からすれば、本書は興味津々であつた。明治の観客が「四千両小判梅葉」を見て驚き、好奇心を満足させたのと 同様に、私もまた好奇 心を満足させた。ただ、例へばいつから牢名主はゐたのか、そして牢内はいつから階級化されたのか等々、歴史的なことが知りたいのだ が、それは本書にはな い。これは別の専門書の分担であらうか。しかし、おもしろかつた。

20.01.04
京極夏彦「書楼弔堂 炎昼」(講 談社文庫)の ヒロインは天馬塔子であらう。塔子が導いた人物達がこの弔堂で一冊の本を選ぶ。いや、弔堂主人から薦られる、それが物語となる。ただ し、多くの物語にはヒ ロインの他にヒーローもいる。本書も同様で、それが松岡國男である。この二人、物語に必ずといつて良いほど出てくる。颯爽とと言ひた いところだが、実際に はとてもさうはいかない。二人ともいかにも悩ましげである。塔子は女性としての生き方に悩んでゐる。松岡は新体詩を捨ててどうするか を悩んでゐる。この2 つの悩みがそれぞれの物語の登場人物にまとはりつきながら、ライトモチーフのやうに物語を作つていく。19世紀から20世紀に移りゆ く時代の物語であつ た。登場するのは田山花袋、添田唖蝉坊、福來友吉、平塚らいてう、乃木希典、そして勝海舟も加はる。唖蝉坊は有名な演歌師だからわざ わざ書くまでもない か。友吉は千里眼や念写を学問的に極めようとした人ださうで、生まれる時と場所をまちがへなければといふ感じであつたらう。私は初め て知つた。本書はこれ らの人々の織り成す物語、「迷える人々を導く書舗の物語」(帯)である。
・そもそも弔堂は書店、本屋である。本屋は江戸時代でも本を店先に並べてゐた。ところがここは違ふ。「それは、迚も迚も大き な建 物な のに、不思議に景色に 馴染んでいて、ともすると見逃してしまう」(36頁)やうな建物で、塔子自身も「そもそもその建物が何なのか判」(37頁)つてゐな いのであつた。それで も心当たりの場所へ松岡、田山の2人を案内して行つた。そこは書舗であつた。新体詩から自然主義文学に進まうとする田山に対して、松 岡はまだ迷つてゐた。 「私は既に、詩作に情熱を注ぐ気になれなくなっているのです。」(88頁)主人は、「その進むべき道が見定まってから、またお出でく ださい」と(89頁) いふ。さうして塔子と松岡は弔堂の客となつていく。夏の炎昼のことであつた。これが本書第1話の「事件」である。以下、「普遍」「隠 秘」「変節」「無常」 「常世」と続く。何か思はせぶりな並べ方ではないか。事件が起き、いろいろあつて、最後は世は無常で常世を目指す。季節は夏に始まり 正月に終はる。本当は 1年以上経つてゐる。しかし、雰囲気は塔子の祖父の病気から死へと暗くなつていく。松岡もまた最愛の人の死に近づいてゐる。常世とは 常世の国の意味であら う。不老不死の仙境か、黄泉の国か。死者の国が、たぶん、近づいた。しかし、春が来れば明るいのである。最後に2人に示された書 は……これは書かないでお かう。少なくとも松岡には、新体詩に代る新しい世界が開けることを教へてくれるものであつた。いつ果てるとも知れずに松岡にまとはり ついた悩みも巻末に至 つて消える(ことになる)、たぶん。これは予想されたラストでもあらう。ならば塔子はと思ふ。結局、塔子は新しき女性として生きるこ とになるのであらう か。それを象徴させるものとして、かの書は選ばれたのであらうか。私にはよく分からないのだが、塔子にも分かつてはゐないのかもしれ ない。ただ、勝海舟の 「声が聞こえたような気が」(540頁)したといふ。これは、塔子がそれを肯定的に理解したといふことであらう。いづれにしても「そ れはまた、別の話なの でございます。」と例の調子で終はる。この続編があるのであらう。悩み深き女性の物語であらうか。それを待たう。ちなみに、初めの二 話はこの部分、「別の お話」と書かれてゐる。これは特に意味のないことであらうか。「お」の有無は行数には関係ないから、たぶん、気にすることはないと思 ふのだが、それでも気 にした次第。




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