未読・晴購雨読・つん読
2021.12
「Mac等日記」
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五来重「鬼むかし」
五来重「鬼むかし」
中野美代子「契丹伝奇集
」
博学こだわり倶楽部編「遊女 と遊郭の色世界」
山尾悠子編「須永朝彦小説選」
新谷尚紀「日本人の葬儀」
フィリップ・リーヴ 「アーサー王ここに眠る」
遠藤周作「怪奇小説集 蜘蛛」
常光徹「日本俗信辞典 衣裳編」
佐藤亮一「日本の方言」
高原英理編「少年愛文学選」
21.12.18
・実は、
五来重 「鬼むかし」
(角川 文庫)を書いた時は一度だけですますつもりでゐた。まだおむすびころりんや瘤取 り、桃太郎の最後の3章を読んでゐなかつたのである。小松和彦「解説」を読めば山伏の延年が瘤取りに出てくる(299頁)ことは 分かるのだが、それが一体どのくらゐの比重で書かれてゐるのかは分からない。へえと思つても、とりあへず書いてしまへば 終はりだ と考へて書いた。書き終へてから続きを読んでみると、ここには芸能的な要素が実に多くあるではないか。花祭はもちろん、田楽も出 てくる。しかもきいたことのない説明である。これは一度きちんと書いておいた方が良いと思つて書くことにした次第。
・瘤取りには「瘤取り鬼と山伏の延年」といふ章題がついてゐる。これだけでも延年に相当の比重が置かれてゐると知れる。 しかも最 初のあたりにかうある、「この型の昔話ぐらい深山の神韻縹渺たる雰囲気をただよわす、詩的な口承文芸はないとおもうのだが云々」 (191頁)。深山は分かるのだが、「神韻縹渺たる雰囲気をただよわす、詩的な口承文芸」といふのはちよつと違ふのでは と思つて しまふ。そもそもこれがまちがひであるらしい。五来は能勢朝次や本田安次の延年研究を批判するが、それは「修験道の視点を欠くか らであ」(206頁)つた。五来は、延年は「修験道の視点からならば、かなり解明されることが多い」(同前)と書いてゐ る。その 最初(?)の例として鬼の酒盛りがある。その酒盛りでの舞に関連して、「原始呪術を芸能化するためには、アクロバティックなはげ しい身心の錬磨を必要と」(207頁)し、「足踏や跳躍や旋回を美的に構成するには、軽業曲芸的散楽を導入することが もっとも有 利である。」(207〜208頁)と書いてゐる。この足踏みが花祭の榊鬼のヘンベ、反閇につながるのは言ふまでもないし、跳躍や 旋回は花祭の舞には不可欠である。また折敷の舞は花祭の花の舞盆の手であるといふ。「延年酒盛りの座についた大衆に給仕 する稚児 が、給仕用の折敷またはお盆をもって即興舞をするようになった」(208頁)ことから来るらしい。花の舞は扇、湯桶、盆が基本で ある。かういふ視点から花祭を説明するのは新鮮である。これが現在どの程度受け入れられてゐるのか知らない。延年の作法 がこのや うに関はつてゐるらしいのはおもしろい。しかも花の舞は即興舞から来たといふ。これが瘤取り爺さんの飛び入りの舞になるらしい。 「今も奥三河の花祭(山伏神楽と延年)では、見物人である『セイトの聚』が飛入りで舞うことができる場面がある。」 (209頁) セイト衆がゐなければ花祭は成り立たない。これが瘤取り爺さんのなれの果て(失礼!)かと思ふ。そして、鬼はなぜ山奥に出るかと いふことがある。これは、鬼は山の神の化身だからですみさうである。「山神は、また眷属と称するお伴をつれて歩く」 (212頁) とあるが、これも花祭の役鬼と伴鬼である。役鬼が出るまでは伴鬼が舞ひ、役鬼が終はると鬼一同で舞ひ、最後は「見物人も飛び出し て鬼と一緒に踊る」(同前)、これは言はれてみれば確かに瘤取りである。従つて瘤取りは、「鬼面をつけた山伏の舞を日常 見ること のできた人々に語り継がれながら、昔話化したものであ」(同前)るといふ。瘤取り爺さんがかういふ形で花祭と関はつてゐようとは 考へもしなかつた。かうして瘤取りの説明はまだまだ続く。そこには藤守の田遊びや鳳来寺田楽が出てくる。鳳来寺田楽で は、「多く のすぐれた芸能史研究家が毎年おとずれるのだから、その原形を指摘してもよさそうにおもわれる。」(218頁)と書いてゐる。延 年を忘れてゐるのであつた。
21.12.04
・昔話といふと直ちに関敬吾と思ふ。実 際、
五来重「鬼むかし」
(角川文庫)でも柳田国男と関敬吾に何度も触れ てゐる。 それ は肯定的な見解を述べる場合よりも否定的な見解を述べることの方が多い。ごく大雑把に言へば、五来にとつて関の方法や考察は不十 分なのである。五来は、「神話は、その民族の文献以前の生活と民族宗教が、説話化して伝承されたものである。それは神々 の言葉や 行為として語られているけれども、これを人間の世界に世俗化すると、昔話になってしまう。」(12頁)とか、「神話と、これが地 域に密着した伝説と縁起が、民間伝承として分裂し、単純化して昔話になった」(同前)と昔話を規定する。神話から昔話で ある。私 などは、神話と昔話は重なるところがあつても、やはりどこか違ふのではないかと考へてゐた。五来に言はせれば、むしろ「これを子 供向きにして動物説話にしたり、隣の爺さん型の教訓話にしたのが、現代の昔話だ」(同前)といふことになる。本書は雑誌 連載を経 て平成3年に出た。私にはこの考えは新鮮であつた。ところが小松和彦「解説」によれば、五来は「鬼や天狗、山姥などの原質は祖霊 であり、『鬼むかし』にはその特徴がたくさん見出されるから取り上げたのであって、そうでない昔話には関心がなかった」 (296 頁)のであるらしい。更に、五来は「手元に古代神話がなければ昔話を分析できなかった」(298頁)とある。私が新鮮だと考へた のは五来のそんな視点ではあるが、それは決して完璧なものではないらしい。五来は確かに神話をもとに昔話を分析してい る。それは さういふ道筋を通つて現代の昔話につながると思はせてくれる。小松のやうに妖怪研究をしてきた人には突つ込みどころ満載であつて も、私のやうな素人にはこれはこれで十分におもしろい書である。
・例へば、どこでも良いのだが、「安達ヶ原の鬼婆」を見る。これは市川猿之助の有名な「黒塚」である。後ジテで正体を見 破られて 媼は鬼となる。この媼の家の閨の様子を、「平安時代に描かれた『餓鬼草紙』の、鳥辺野といわれる葬場の風葬のありさまを思わせる ものがある。」(46頁)と書き、「空也がそのような風葬地の死骸をあつめて火葬に付した事績」(同前)があると書く。 更にあだ し野といふ地名にも触れる。さうして、「安達ヶ原に鬼女が居るという昔話の根源は、『あだし原』に死霊が彷徨していて、そこを通 る者に取り憑いて害するといふ恐怖観念にほかならない。」(50頁)その死霊が鬼女になるには、「山姥は『山の神』の形 象化され たもの」(同前)といふ根本認識を踏まへて、「その恐怖的な面が強調され(中略)餓鬼などの姿で形象化されるとますます恐ろしい 存在となった」(50〜51頁)といふ。「その上、この山神的な鬼は、始祖霊としては女性で表現される。(中略)昔話や 仏教の唱 導説話では、そのような中途半端な性格では面白い話にならないので、徹底的に恐怖性を強調し、人間を食べてしまうという物凄い人 食鬼をつくりあげてしまった」(同前)といふことになる。ここには五来の基本的な考え方がよく出てゐる。小松も指摘する やうに、 これが本書のあちこちに出てくる。他ではともかく、神話はここでは天照大神が少し出てくるだけである。これだけで小松の指摘が正 しいかと思はれる。ただ、山の神から鬼、鬼婆へといふ過程だけで鬼を説明するのは無理があると私だとて思ふ。さうも言へ るが、さ うではない場合もあるはずである。小松によればこれに対する五来なりの答へもあるやうだが、やはり山の神が目立つ。山の神はそれ ほどの存在であつたのかと改めて思ひつつ本書を読むのであつた。
21.11.20
・
中野美代 子「契丹 伝奇集」
(河 出文庫)の「跋」によれば、「伝奇」といふ語は「せいぜい『文学的な私小説ではな い』といった程度」(333頁)の意味であるといふ。つまり、必ずしも伝奇的な作ではないといふことである。カバーの裏表紙には 「博覧強記の中国文化史家が織りなす極上の幻想小説集。」とある。最後の幻想小説のあたりが気になるところで、これも売 るために はしかたのないことなのだらうと思ふ。
・まづ気になつたのは巻頭の「女俑」の表記である。固有名詞と一部の語を除いて、ほとんどが仮名書きされてゐる。最初の 11ペー ジ目の漢字、章題以外は「旦那」「以外」の2語のみ、カタカナもあるが「ベンツ」「ドア」のみ、残りは全て平仮名である。「あた し」などといふ語に漢字は合はないが、「くろぬり」「まえぶれ」「かたて」「かたあし」等はむしろ仮名ではない方が分か り易いの ではないか。「きんちょう」は普通は漢字で書く。70頁の作品である。かういふ調子で仮名書きされると、いささか疲れる。12頁 には「口迅に」といふ語がある。クチドと読むのだが、これはほとんど聞かない表現である。これを仮名書きしたらたぶん意 味が分か らない。それで漢字にしたのだらうと推測する。作者は中国文学者である。他の作品ではそれらしい漢語等が多く使はれてゐる。この 作品は難しい漢語はほとんどなささうである。内容は、語り手「あたし」が最期に女俑になつてしまふといふだけのものであ る。そこ にベンツが出てきたりするのだから、これは一種の幻想小説とも言へる。難しい漢語を必要としない。だから「旦那」と「奥さま」は 漢字、意味の取りにくい語も漢字などとしたのかもしれない。「奥さま」の喪の関係では、「喪礼」「棺材」「絵師、裁縫 師、指物 師」などと漢字が多用されてゐる。ソウレイでは「喪礼」か「葬礼」か分からないといふことであらう。しかし、それなら最初から漢 字で書くべき所は漢字で書けば良いのにと私などは思つてしまふ。それ以上の深い、大きな意味があるのであらうか。まさか 字数かせ ぎではあるまい。同様の作品には「掌篇四話」の最後「屍体幻想」と翩篇七話の3話目「膏」がある。「屍体」は墓荒らしの話、これ も「女俑」同様と思はれる。「膏」は鯨に飲み込まれた話、これはたぶん日本人2人の名と「引戸」といくつかのカタカナの み、ごく 短い作品である。いづれも幻想小説と言へさうな作品である。例へば2作目の「耀変」は耀変天目茶碗をめぐる話、これを幻想と言へ るかどうか。あるいはミステリーであらうか。雰囲気は違ふ。だから漢字多用、といふより、普通に使つてゐる。固有名詞は 漢字がほ とんどであるが、中国文学をやつてゐる人が漢字を使えばかうなるよなといふ程度ではあらう。仮名多用は、いつもこんなに漢字を使 つてゐるから、たまには仮名書きしたいといふことであらうか。あまり固有名詞にこだはらない内容ならばそれも良いといふ ことでも あらう。初出誌も関係なささうである。そのあたりの事情が分からないので気になるのである。作品は「女俑」がおもしろい。仮名書 き多用で読むに疲れるにもかかはらずおもしろい。ベンツの走るやうな時代とも思へないが、「旦那」の息子はベンツを乗り 回して女 に明け暮れてゐる(らしい)。その2人の主導権争いを利用してその家を乗つ取ろうとするといふ物語は、ふと気づいてみれば幻想小 説だつたといふ感じかもしれない。掌篇の類は別にしてそんな作品が多い。その意味で、カバーに「極上の」とあるのはいさ さかオー バーである。おもしろい。けれど、一部の作品のために、仮名書きが気になつてしまふ作品集であつた。
21.11.06
・
博学こだ わり 倶楽部編「遊女と遊郭の色世界」
(KAWADE夢文 庫)を読んだ。かういふ類の書で遊郭と言 へば吉原である。吉原は遊郭を代表する。だから吉原関係の書は多くある。研究書から文庫まで、その内容も多岐にわたり、その気に なつて調べれば吉原のほとんどすべてが分かるのではないかと思ふ。ただし、それほど多くあるからには、どこに何が書いて あるかを 知らずに調べるのは容易ではない。結局、分からずに終わるといふことも多い。本書の最後に参考文献が出てゐる。三谷一馬から始ま る。三谷の図聚は有名で、見てゐるだけで楽しい。しかし、疑問を解消してくれるかとなると甚だ心許ない。さういふ書では ないから 当然であるが、かういふ図聚だけでは分からないことが多いのである。他の書も同様、その著者の専門領域は詳しいが、他のことはち よつとといふ感じで、いづれも帯に短したすきに長しである。その点と言へるかどうか、本書は様々なことがごく簡単に書い てある。 これ1冊でかなりのことが分かる。見開き1頁にはなつてゐないものの、それに近い項目が大部分である。物足りない点はあるが、こ れはしかたない。ごく簡単に大雑把に吉原を知ることができる。これまでにも類書があつたかもしれない。しかし、さういふ 点で、現 状ではこれが最も手頃なものかもしれない。
・例へば「岡場所で検挙された遊女は『吉原送り』の刑に」といふ項がある。取り締まりは何度もあつたのだから捕まる遊女 も多かつ た。彼女達はどうなつたか。「岡場所は取り潰され、そこで働いていた遊女は江戸から追放されるか、『吉原送り』にされた。」 (78頁)といふ。この「吉原送り」は「非公認で売春した罰として、吉原で5年間(のちに3年間に短縮された)、遊女と してのタ ダ働きを強制すること。」(同前)である。彼女達は入札で妓楼に引き取られた。そんな1人に勝山がゐた。「【勝山】江戸のファッ ションリーダーは、湯女から太夫へと華麗に変身」とある項で採り上げられてゐる。この勝山の着た「広袖の派手な綿入れ」 (212 頁)が丹前で、「武家風の髪形」(同前)が勝山髷である。いづれも彼女のトレードマークであり、江戸で大流行した。湯女の時代の ことである。さうして捕らへられて吉原送りとなるが、彼女は「吉原でもたちまち人気を獲得して太夫まで上り詰める」 (213 頁)。遊女は多かつたから、中にはこんな成功を収める者もゐた。ところが彼女は「人気絶頂であったにもかかわらず、突如吉原を引 退。その後の行方は不明である。」(同前)波瀾万丈の生涯を送つたかもしれない勝山だが、遊女のその後は、「『年季明け (年明 き)』まで勤め上げるか、死んで投げ込み寺に捨てられるか、客に身請けしてもらうか」(141頁)の3つしかなかつたといふ。勝 山の行方不明はどれになるのであらうか。死んで捨てられたか、人知れず身請けされたか、これが分からない。もしかしたら 「足抜 け」(144頁)かとも思ふのだが、これに成功するのは至難の業であつた。何しろ吉原からの脱走である。監視の目は厳しい。心中 かとも思ふが、心中なら噂にならう。かういふ遊女もいたといふことですませたくはないのだが、書いてないからには分から ない。他 の書でも分からないのであらう。子細に見ていけばかういふことは他にもあらう。しかし、簡単に吉原を知るには役に立つ。足抜け失 敗の折檻の具体的な様は、例へば新内「明烏」の浦里雪責めの段を聞けば良い。本書は吉原の書である。当然、拙文には書き にくいこ とも書いてある。第五章は「これぞ、プロの悦ばせ方」である。所謂手練手管、かなり具体的である。御一読あれ。
21.10.23
・須永朝彦を知つたのはいつのこと であつたか。私は歌人としての須永をほとんど知らない。歌人であつた、歌集を出してゐるといふことを後に知つた。私が須永を最初 に知つたのはやはり「就眠儀式」であつたと思ふ。これは1974年に出てゐる。私が見つけたのはこれよりもかなり後のこ と、めつ たに行かない書店でたまたま見つけた。その頃には須永は短歌を捨ててゐた。
山尾悠 子編「須永朝彦小説選」
(ちくま文庫)の「編者の言葉」に よれば、「短歌となるとやはり直接教えを乞うた師か らの影響が色濃いようだ。其れかあらぬ か、須永は作歌からは早々に離れてしまい、没後に歌集未収録作少々のみ残されていた由。」(303頁)とある。私は後に須永の短 歌を読んだ時、直ちに塚本邦雄を思ひ出した。山尾は「一時は歌人・塚本邦雄に師事。」(同前293頁)と書いてゐる。こ れまで須 永の書いた文章、あるいは須永について書いた文章をたまに読んだことはあつたが、塚本との関係に触れたものはなかつた。これで私 はやつた納得できた。たとへ一時的ではあれ、須永は塚本の弟子だつたのだ。須永はそれを明らかにしなかつたらしい。その 流れから 行けば、須永があのやうな短歌や小説を書いたのもうなづける。本書は「就眠儀式」から7編、「天使」からも7編等の計25編を収 める。「私生活では旧仮名遣い・正漢字使用を生涯貫いた。(中略)旧仮名のひとという印象はつよい。」(294頁)とあ る。これ も塚本の影響であらうか。「小説の文庫化はイメージ的に言って誰もが想像し難かったのではないか。しかもこの度はちくま文庫編集 部の英断により、旧仮名遣いでの出版となった。」(296頁)さう、本書は正字正仮名ではないが新字正仮名である。塚本 の文庫で も正字どころか仮名まで新しくされてしまふ時代である。「文体の技巧を凝らし、時には擬古文まで駆使する須永朝彦の創作ともなれ ば」(同前)さうするしかないとの編集部の「英断」、これは有り難いことであつた。
・私は須永の短編集といつても「就眠儀式」しか知らない。本書から「天使」もあつたのだと知つた。須永の天使は例へば、 「十七、 八歳に見え(中略)金髪碧眼、肌が乳色に近いほど皓く、その肢体は古代希臘とかルネサンス時代の少年の彫像を想はせる。両腕の付 け根よりやゝ内側によつた背中から、腕の長さくらゐの金色の翼が生えてゐる。当然のことながら真裸だつた。」(「天使」 二77 頁)といふもので、これならば、所謂天使のイメージにたぶん合致しさうである。ところが最期には、描かれた己が肖像を見た天使は 主人公に「感謝の抱擁をした。抱擁はくち づけを誘ひ、そのまゝ寝台に圧し倒された百合男は炎に灼かれ、肉の煉獄に墜ちていつた。(原文改行)その夜遅く云々」(同90 頁)といふわけで、百合男は天使に食はれてしまつたらしい。かうなると、もしかするとこれは所謂堕天使なのであらうかと 思ふ。か ういふ天使を須永は描いたのである。これに対して吸血鬼は「金髪碧眼の青年」(「就眠儀式」42頁、「神聖羅馬帝国」49頁では 「美青年」)である。もしかしたら萩尾望都の「ポーの一族」に近いのかもしれない。巻頭の「契」も「廿歳前後の美しい青 年」(9 頁)である。「ぬばたまの」は美貌の女性であるらしいが、これは男の血を吸ふに失敗して焼け死ぬらしい(14頁)。男であれ女で あれ、須永の吸血鬼は美貌である。いや、登場人物がと言へるかもしれない。そんなのが「文体の技巧を凝らし」て語られら れるので ある。癖のある人物も出てこようといふものである。これも塚本好みであらうか。好き嫌ひはあらうが、吸血鬼好きにはおもしろい。
21.10.09
・
新谷尚紀 「日本人の葬儀」
(角 川文庫)は書名通り、日本人の葬儀について3つの観点から論じてゐる。葬儀の深 層、葬儀の歴史、他界への憧憬である。序に代はる文章として「現代人と死」といふのがあり、ここでは尊厳死と脳死といふ死の 現代 医学的な問題と、葬儀の作法や費用といふ極めて世俗的な問題が採り上げられてゐる。いづれも既に問題となつてゐることば かりであ る。コロナ禍の現在、葬儀の在り方も変はりつつある。本書は30年前に出てゐる。この間、脳死や尊厳死は日本人に受け入れられた のであらうか。最近あまり言はれなくなつてゐるところからすれば、もしかしたら受け入れられてゐるのかもしれない。しか し、脳死 移植は増えず、心臓死後の腎移植もかつての数に及ばない。葬儀の在り方とて一筋縄ではいかない。それでもこれは「序にかえて」で あつて本文ではない。私自身もさういふ書としては読まなかつた。本書は極めて今日的な話題で始まるが、本文はさうではな い。民俗 学の書である。序文代はりの文章の最後、「日本人の葬儀をめぐる大きな変化と混乱のなかにある現在、これからの方向を考えていく 上でも、これまで日本の各地に長く伝えられてきた葬送の儀礼や、生と死の思想、他界観などをぜひとも知っておきたいもの であ る。」(30頁)とある。本書は正にかういふ書である。本書はどこもおもしろい。葬儀に歴史でも結構つながつてゐる。つながりつ つ変化してゐる。当然だとは思ふが、それが葬儀となると実感できない。具体的なさういふ記述を並べられるとよく分かる。 現代の葬 儀は「深層」で述べ、過去の葬儀は「歴史」で述べる。かうしてつながるのである。
・その根底に何があるのかを探るのが「他界への憧憬」であらうか。ここにもいくつもの問題が含まれている。「憧憬」とい つたとこ ろで、それで終はるものではない。最終章は「花いちもんめ」と題されてゐる。「日本人は、この世とあの世との交流をどのように考 えてきたのか」(444頁)を「昔話や子供の遊びなどを通してみ」(同前)ようとするものである。だから「三枚のお札」 で始ま る。よく知られた話である。ここに疑問がある。まづ、なぜ老婆は鬼婆かといふ疑問であるが、結論を言へば、これは女性の持つ「境 界」性によるのである。女性は「あの世とこの世との間の媒介者」(429頁)なのである。だから、「あるときには異界へ と通じる 不気味な力をもつ存在」(430頁)となる。これが鬼婆であらう。では、なぜ小僧は便所から逃げるのか。この便所の民俗を私は知 らない。所謂便所神は「実際の生活の中に伝えられていたもの」(448頁)であるといふ。それだけでなく、様々な便所に まつはる 習俗がある。結論、「人の誕生や死亡などその魂がこの世にやってくるとき、そしてあの世に行くときに、祀られているのが便所で あ」(451頁)つた。従つて、排泄の場所ではあつても、便所は「人々の意識の深層では、この世とあの世の出入り口だっ た」 (452頁)といふのである。「三枚のお札」で小僧が逃げたのはあの世であつたといふことか。いや、便所神が現れてお札をくれた のはあの世との境界、小僧はこの世に逃げたといふことであらうか。夜が明けて鳥が鳴くのはこの世であらう。鬼婆はこの世 の存在、 決してあの世の存在ではない。だからこそ食つた人の骨が散らばつてゐたのである。ただし便所は境界、境界たる存在の女性=鬼婆も この境界にあつては神には勝てぬといふことであるらしい。葬儀に関連して便所が出てこようとは思ひもしなかつた。それだ け昔話等 には隠されたものが多いといふことであらう。おもしろい書であつた。
21.10.02
・
フィリッ プ・ リーヴ 「アーサー王ここに眠る」
(創元推理文庫) は新たなるアーサー王の物語である。時 と場 所は500年頃のブリテン島南西部、「お互いが小競り合いをくりかえして(中略)丘陵地帯の小さな王に仕えてい」(28頁) た り、「大王に仕えているもののある。または自分らの長にしか忠誠を誓わず、土地を持たない小さい集団もあって、そいつら はど こで も略奪し、土地を荒らす。」(同前)そんな時代のアーサー王の物語である。これを語るのは吟遊詩人のミルディン、聞き手は主人公 の少女グウィナである。ミルディンに言はせれば「アーサーの一団もそんなやつらだ。」(同前)といふわけで、アーサー王 が アー サー王伝説の王となる前の物語である。ミルディンは例の魔法使ひマーリンに当たるらしき人物である。
・アーサー王には聖剣がある。それをいかにして手に入れたか。ミルディンの指示によつて水に入つたグウィナは、「剣をく るん でい る油布を引き裂くと(中略)空いた手で剣をさしあげた。剣が水面を割って宙に出るのがわかった。(中略)剣はあまりにも重い。 (中略)なぜ、取ってくれないの。(原文改行)男は取った。」(39頁)アーサーは聖剣を手に入れたのである。その名を カリ バー ンといふ。ミルディンは、「こっちの仲間もアイルランド人の家来どもも口にしてる。湖の底に住む妖精の貴婦人が、アーサーに魔法 の剣をさずけたとか……」(42頁)かくしてミルデインの「神神は別世界からこの剣をアーサーにさずけることで、かつて アル トリ アスを愛していたように、アーサーを愛しているあかしとするわけだ」(32頁)といふ計画がうまくいき、アーサー王は伝説を歩き 始める。以下の物語でも同様のことが行はれるらしいが、別に行はれなくともかまはない。ミルデインの竪琴と歌によつて アー サーは 伝説となつていくのである。訳者井辻朱美はこの物語を端的に、「吟遊詩人ミルディンという男が、アーサーという小族長の人生を、 夢と魔法にまぶしてゆく過程を描いたものです。」(「訳者あとがき」343頁)と書く。さう、正にかういふ物語である。 アー サー の死の場面、伝説のカムランの戦ひである。モルドレッド卿は出てこない。アーサーの甥のメドロートとの戦ひである。その最期は アーサーとグウィナ、といつてもミルディンにまちがへられてゐるのだが、の2人だけである。ここで例の剣をグウィナは水 に返 し た。「わたしはずっと後悔している。」(326頁)といふのがグウィンの偽らざる気持ち、なぜなら「この剣に使われた黄金があれ ば、一年は暮らせた。」(同前)本当はかういふ調子なのである。「夢と魔法」を取り払へば何が残るか。現実であらう。小 族長 の現 実、吟遊詩人の現実、いろいろあつても現実は現実である。現実は現実でしかない。「死の瞬間が終わったとき、その指輪とベルトと 長靴と、首にかけていた古い黄金の十字架を外したのは、このわたしの手だ。わたしはそれをもらうだけの働きをした」 (328 頁) といふのである。アーサーは彼女によつて葬られ、以後、彼女によつてアーサーは語られてゆく。「アーサー殿の名が物語にしかすぎ ない土地へ馬を進めていった。」(331頁)「手品と物語ばかりかな」(同前)、彼女の言葉はこの物語をよく表してゐ る。 「小族 長の人生を、夢と魔法にまぶしてゆく」のである。神話、伝説にはその物語の核とになる何らかの出来事がある。この物語はその核と その成長過程を描いたものである。個人的にはこの野卑で荒々しいアーサーより語り手グウィナの方が魅力的であつた。訳者 曰 く、 「本書は素敵な少女小説の一面」を持つ。納得である。
21.09.11
・
遠藤周作 「怪 奇小説集 蜘蛛」
(角川文庫)別の文庫で出てゐたも のの改題再発である。 私は 遠藤周作の長編は読んでゐるのだが、短編は読んだ記憶がない。たぶん読んでゐないと思ふ。かういふ書名の書が出てゐたのは知つて ゐたつもりだが、これまで読んだことはなかつた……と思つてゐたのだが、巻頭の「三つの幽霊」を読みながら、これはどこ かで 読ん だことがあると思つてゐた。こちらのまちがひかどうか。これ以降の作品は読んだ記憶はなささうであつた。朝宮運河の「解説」に は、「中でも巻頭に置かれた『三つの幽霊』は周作怪談の代表作として、くり返しアンソロジーに採られてきた折り紙付きの 逸品 だ。」(365頁)とある。これからすると、既に忘れてしまつてゐても、もしかするとどこかで読んだかもしれないと思ふ。さ うで なければ読んだ気がするなどと思ふはずがない。これも周作の怪談だと言はれればその通りかもしれないのだが……。
・その「三つの幽霊」、3つとも誰か、あるいは何かゐるらしいといふ内容である。最初のは、第二次大戦の終はりに、問題 の宿 屋の 近くで、空襲を受けて多くの労働者が死んだ、その犠牲者の気配が夜中にしたらしいといふのである。それは「何か太い手で胸をしめ つけられていく感じ」(15頁)であつたらしく、「巷間の怪談や体験談に出てくる幽霊出現時の息苦しさはあながちツクリ もの では ないように思う」(15頁) と感じたとほどであつたが、「ぼく」にはそれが信じられず、労働者の死と、「あの生ぬるい空気や部屋の息苦しさは空き地から流れる気流のせいで、この二つ が偶然重なったため」(17頁)だと考へたのであつた。2つ目のは、寮の四階に誰かゐるらしいといふのだが、こちらは原 因不 明で あつた。最後のは、役者の別荘だつたといふのがポイントかもしれない。とにかく最初と最後にはちょっと原因らしきものがある。こ れは怪談集成であるらしい。なぜ幽霊が出るかの説明は必要であらう。世紀末あたりの怪奇小説は大体それを説明してある。 これ もそ れにならつたか、西洋風の怪談話なのであらう。だからおもしろくない。いや、さうでなくともおもしろくない話しかもしれない。も しかしたら、かういふのが戦後しばらくした頃(?)の怪奇小説であつたのかもしれないと思ふ。あるいは、遠藤の基本は所 謂純 文学 の作家であつたといふことか。私には「紙付きの逸品だ。」といふのが分からない。しかし、かういふのではない「蜘蛛」や「黒痣」 はおもしろかつた。「蜘蛛」はある怪談会の同席した男とタクシーに乗つた時の話である。それは「気味の悪い男」(57 頁)だ つ た。男が下りた後には1匹の蜘蛛がといふのだが、そのタクシー内でなされた話があるから蜘蛛が出てくるし、怪奇小説的にもなる。 実際、かういふ男に出会へば気味が悪いだらうと思ふ。「黒痣」は中古カメラの話である。そのカメラで自分を撮ると顔に黒 い痣 が出 るといふのである。フランスにあつた全く無名の会社の製品らしい。そのカメラの元の持ち主はメルラン、「娘はメルランさんの顔が あまり変わっているんでこわかったというんです。」(71頁)これに対して主人公は「『アザですか』と叫んだ。」(同 前)と いふ のである。どうしてかうなつたのかは書いてない。しかし、なぜかこはいのである。かういふのも昔の怪談にありさうである。個人的 には、このあたりをアンソロジーに載せる方が良いのではと思つてしまふ。「初年兵」は落語に似たやうなのがあつたと思つ てし まつ た。そんなわけで、私にとつて遠藤周作は長編作家であつたと言つて良ささうである。作家の息抜き、手慰みであつたかどうか。
21.08.07
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常光徹 「日本 俗信辞典 衣裳編」
(角川文庫)が出た。以前の動物 編、植物編に続く第3弾 であ る。これもまた例の小事典の文庫化かと思つてみるのだが、さういふのが出てゐたといふ記憶は私にはない、と断言できない。それで も手許に小事典の衣裳編はないといふことで、確認のために本書の巻末をみると、そこには「本書は書き下ろしです。」 (367 頁) とある。これは初めて出るのであつた。このやうな辞典が出ることは本当にありがたい。まづはこのことを記しておきたい。
・凡例に、「本書は、衣類を中心に履物、被り物、裁縫道具、化粧道具、装身具、寝具に関する俗信についてまとめたもので あ る。」 (9頁)とあるやうに、衣類とそれに関はる諸々の物が対象となつてゐる。具体的には最初の目次を見れば良い。足駄、足半、袷、居 敷当、糸……と続き、最後は、リボン、綿、草鞋で終はる。正直なところ私の知らない語もある。言葉として知つてはゐて も、そ の実 態を知らない語は更に多さうである。居敷当は全く知らない語である。「着物などの尻の当たる部分に補強のためにつける布。」 (13頁)かうして説明されれば、これまでの乏しい経験からあれかもしれないと思はれる物は出てくる。ごく大雑把に言つ てし まへ ば、継ぎ当ての布のことではないのか。もしかしたらその当てる部位が限定されているのではないか。辞書で「居敷」を調べると、 席、座席とお尻の意味があつた。後者には福内鬼外「神霊矢口渡」の例が出てゐる。新しい意味であるらしいが、いづれにせ よ、 尻当 てに使ふ布であるらう。これに対して、お歯黒ならば芝居で見たりしてゐる。有名な「東海道四谷怪談」の髪梳きはお歯黒をつけると ころから始まる。だから、どのやうにお歯黒をつけるのかは、芝居の段取りの一つかもしれないが、知らないわけではない。 「歯 を黒 く染めること。鉄漿つけともいい主に女性の習慣だった。」(41頁)と最初にあるが、私が知るのはほとんどこれだけである。とこ ろが本書には、「近世には庚申の日に鉄漿をつけない風があった。」(42頁)とか、「江戸の変わった俗信に、褌をはずし た男 に鉄 漿壷を跨いでもらうというのがあった。」(同前)などといふのもあり、広く行はれてゐただけに禁忌や決まり事もあつた。この「変 わった俗信」は、うまく染まらない鉄漿を染まるやうになれと期待したものらしい。男根の威力である。お歯黒には「妖怪と お歯 黒の 呪力」(44頁)といふ小見出しもある。柳田国男「妖怪名彙」ノブスマの項、佐渡の男もお歯黒といふ話や、「お歯黒でヘビを退治 した話」(同前)はお歯黒の呪力であるが、逆にお歯黒のお化け等の話もある。お歯黒には呪力があつたらしい。かういふ珍 しい 話 は、当然、本書には多い。何しろ現在ではほとんど見られなくなつてゐる物にまつはる俗信、話である。しかし、ごく一部に現在でも 使はれてゐる物がある。例へばハンカチ、「長野県上伊那郡で、ハンカチを贈り物にするものではないという。」(289 頁)な ぜか ハンカチは別れにつながるらしい。私はきいたことがない。タオルだと、「客が帰らない時は、箒を逆さに立ててタオルを着せると帰 る」(218頁)などといふ「よく知られた呪い」(同前)が出てゐる。カタカナ語は新しいだけあつて中身に乏しい。俗信 とい ふも の、それだけの生活の積み重ねから生まれたものである。それがないカタカナ語はかうして出てくるだけでも立派である。何らかの形 で生活に密着してゐればこそ、俗信が生まれる。これから生まれる俗信もあらうが、廃れていく俗信もある。かうした俗信が 今後 どの やうになつていくのかは興味ある問題である。
21.07.24
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佐藤亮一 「日 本の方言」
(角 川文庫)を読んだ。この佐藤氏、私は知らなかつたのだが、例の方言地図の編者 の一 人であり、個人的には「日本方言大辞典」の編者の一人であるといふ点でなじみ深い人であつた。なじみ深いと言つたところで、必要 があつて稀に見るといふ程度でしかない。それでありながら、いや、それだからこそであらう、編者の一人にこの佐藤氏がゐ るこ とに 気づいてゐなかつた。そんな人が書いたのだから、本書は本文200頁ちよつとといふ軽い体裁でありながらも、しつかりした内容の 書である。
・序には「方言とは何か」といふ副題がついてゐる。その方言とは、「それぞれの地域の人々が話している言語である。」 (9 頁)と ころが「現代では老いも若きも方言と共通語を使い分けて生活してゐる。」(同前)ここで共通語の定義が出てくる。「共通語とは、 地域を越えて広く使われる言語または方言のこと」(同前)とある。最後の「方言のこと」とあるのが意外であつたのは、要 する に私 が共通語を知らなかつたといふだけのこと、「現代では首都圏方言が共通語として機能しているとも言える。」のださうである。首都 圏方言などと一括りにする必要があるのかどうか。東京方言と言つてしまつても良ささうな気がするのだが、やはり東京方言 では 印象 が限定されてしまふのであらうか。「昔は山の手と下町でかなりの違いがあった。」(同前)しかし、今はほとんど同じになつてゐる らしい。それでも落語等で聞く東京方言は、つまり所謂下町の方言である、私には共通語とは思へない。あれは結局東京方言 であ つ て、それ以外の何物でもない。それでも方言学の世界では、「首都圏方言が共通語として機能している」といふことになるらしい。た だし、これも微妙は言ひ方で、この後に「とも言える。」とつく。とも言へるといふことは、別に共通語になり得るものがあ ると いふ ことであらう。もしかしたらそれが標準語であらうかと思ふ。私はこの2つをたぶん混同してゐる。「共通語と標準語は同じ意味で使 われることもあるが、厳密には区別すべき概念である。共通語は(スピーチをするときのような)あらたまった場面や、よそ の地 方の 人との会話などで現実に使われている話しことばである。」(10頁)かうなるとますます共通語が東京方言かと思ふ。少なくとも私 は東京方言は普通の方言の一つだと思つてゐる。「標準語は、人々が規範として正しいと認識していることば(言語形式)で あ り、書 きことば的な性格が強い。」(同前)からである。要するに、テレビやラジオのニュースの言葉が標準語なのである。たぶん私は、東 京方言は東京方言であるからといふ理由で、共通語=標準語と理解してゐるのである。ここで言ふ首都圏方言がいかなる方言 であ るの か、この説明がない。東京方言だけでなく、近隣の、神奈川、千葉、埼玉等の(東京に近い)方言もまたここに含まれてゐるのであら うか。首都圏とは「首都圏整備法の定める区域。東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県・茨城県・栃木県・群馬県・山梨県の全 域 で、東 京駅を中心に半径約150キロの区域とされる。」(デジタル大辞泉)これだけの広い地域で共通に使はれてゐる言葉があるのであら うか。それが首都圏方言なのであらうか。これが分からないと、私はいつまでも共通語=標準語と理解するしかなささうであ る。 丁寧 に話さうとすれば、誰でも話し言葉は書き言葉に近づいていく。方言を使ふ時、つまり日常的には丁寧に話してはゐないやうな気がす る。本書がしつかりした内容であつても、かういふのが学問的でありすぎる、説明不足であると私は感じる。首都圏方言とは 何か 教え へ給へ。
21.07.01
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高原英理 編「少年愛文学選」
(平 凡社ライブラリー)は折口信夫や稲垣足穂等、15 人の作家の作品を収める。日本人 だけである。しかもここには塚本邦雄や春日井健の歌人もゐる。折口も歌人だが、2人とは毛色が違ふ。塚本、春日井は戦後日本を代 表する歌人である。塚本は1ページだけの作品「贖」(381頁)、所謂ショートショート、あるいは塚本の瞬編小説であら う。 かう いふのは塚本には、たぶん、いくつもある。春日井は例の歌集「未青年」からの抄出、いかにもそれらしいのが並ぶ。最後の「わが手 にて土葬をしたしむらさきの死斑を浮かす少年の首」(387頁)は、最初の「大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がの こす むら さき」(383頁)と見事に呼応してゐる。抄出の仕方にもいろいろと工夫があるのだらう。もしかしたらこれだけで春日井健ファン が生まれるかもしれない。と、書いてゐてふと思ふ、これは少年愛小説のアンソロジーなのだと。塚本は例の思はせぶりだ が、春 日井 は直球である。ただし小説ではない。だからこそ、小説とは違ふ少年愛の形が生きてくるのであらう。
・「編者解説」に三島由紀夫のエピソードが出てゐる。簡単に書けば、knabenliebeの訳として「男色」はきたな い が、 「少年愛」は清らかに感じる(410頁)といふのである。これは「前近代の性制度である『男色』は性欲の名称であ」(同前)り、 「近代に発生した(プラトニック・ラブを含む)恋愛の形としての『少年愛』」(同前)はさうではないことによる。確か に、 web で検索すると、近世の衆道は男色の道だとある。男色とは何か。男性の同性愛である。日本の近世ではここに若衆歌舞伎が絡むし、陰 間も出現する。三島にはこれが頭にあつたのであらう。だから男色はきたない、knabenliebeは少年愛だと言つた ので あ る。もしかしたら三島には、古代ギリシァの「誠実な少年愛paiderastiaを不誠実なものと区別し,奴隷との男色は禁じた が自由民どうしのそれは公認している。」(世界大百科事典)といふ事情があるのかもしれない。最近の少年愛はどうなので らう か。 少年愛と言はずにboys loveと言ふのであらうか。「美少年同士の恋愛や性愛を題材とする、おもに女性向けの小説や漫画、アニメ、ゲームなどにおける作品ジャンル。」(日本大 百科全書)、略してBLとある。さうするとこの「少年愛文学選」の作品は最近流行のBLではないらしい。当然のことであ る。 巻頭 の山崎俊夫「夕化粧」(9頁)には角書きの「市彌信夫」の2人の名前がある。近松のお初徳兵衛の類である。実際、最後に2人は心 中をする。そして絶世の美少年であつた。折口の「口ぶえ」も美少年である。最後は「今、二人は、一歩岩角をのり出した。 (前 篇 終)」(122頁)で終はる。しかし、「後篇が書き継がれることはなかった」(415〜416頁)といふ。これも心中物である。 以下、少年愛の物語が続く。しかし、個人的におもしろかつたのは、巻末の編者高原英理「青色夢硝子」であつた。これは 「かつ ての 少年愛文学が現代の作品にどのような影響をもたらしたかという一例として」(421〜422頁)載せられた作品である。言はば少 年愛文学の変奏曲であるといふ。SFなのであらう。夢物質、夢粒子、夢結晶、夢想結界等の見慣れない語が出てくる。夢結 晶が 「あ れば、時間を超えて未来を見通せるじゃないだろうか。」(403頁)といふわけで、少年愛を読み続けてきていささかくたびれた人 間にはありがたい作品であつた。ある意味、一服の清涼剤である。これでこの選集も救はれたとのではないかと思ふのであ る。
「Mac等日記」
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