19.12.21
・
澤木政輝「祇園の祇園祭 神々の先導者 宮本組の一か月」(平
凡社)は
正に書名通りの書である。しかし、祇園の祇園祭などといふ書名では何のことか分からないし、副題の「神々の先導者 宮本組の一か月」
もまた分からない。私
がこのよく分からない書名の書を買つたのは、本書が祇園祭関連の書であると思へたからにすぎない。これは「山鉾巡行が祇園祭のハイラ
イトであり、数々の山
鉾が建ち並んで祇園囃子流れるなか、屋台店を訪ねてそぞろ歩く宵山の喧騒こそが祇園祭のイメージである」(20頁)といふ「一般の市
民や観光客」(同前)
レベルの知識しか私が持つてゐないにもかかはらず、からうじてその書名からさう判断できたからに過ぎない。やはり私には祇園祭は山鉾
巡行なのである。しか
し、まつりといふもの、たいていは御輿渡御がある。では祇園祭の御輿渡御はいつ、どこで行ふのだと考へると、私にはそれが全く分から
ないのである。そんな
疑問に答へてくれるのが本書であつた。「八坂神社の『お宮の本の氏子』として神事の中核を担い、ご神宝を預かって御輿を先導するのが
宮本組です。」(原悟
「発刊によせて」5頁)「関係者の尽力もあって、近年は御輿にも注目が集まり、神幸祭で三基の御輿が揃い踏みする石段下の交差点など
は云々」(20頁)等
とある。祇園祭には御輿渡御もあるし、その御輿もまた注目されつつあるのであつた。「山鉾行事について語った書物は数多あるが、祇園
祭の御輿について語ら
れた書物は数少ない。本書では、代々にわたって御輿渡御に携わってきた祇園町の氏子の視点から、祇園祭を語りたい。」(同前)さう、
「祇園町の氏子」であ
つた。その人たちは「御輿を先導する」のである。「神々の先導者 宮本組」であつた。本書巻頭にはカラー写真が8頁載る。7月1日の
祭典から始まり、7月
初めのみやび会お千度に終はるが、その上には疫神社夏越祭がある。これが祇園祭の最後の行事とならうか。祇園祭は1ヶ月にわたるおま
つりであつた。山鉾巡
行はその中のほんの1コマにすぎない。宮本組はその1ヶ月を祇園祭で過ごすのである。そんな氏子宮本組といふ視点の書は珍しいらし
い。
・そんな本書ゆゑに、私にはほんの少しの知つてゐることを除けば、ほとんどが珍しい。第二章「宮本組の一か月」は7月1日か
ら始 ま る。この日、「神事始め
の神事」(44頁)たる「吉符入」(同前)が行はれる。また、長刀鉾町の稚児、禿を含む氏子の神社参拝もある。以下、5日、10
日……と31日まで続く。
この中で私が知つてゐるのは15日の宵宮祭ぐらゐであらう。私には、正に「宵山の喧騒こそが祇園祭のイメージ」なのである。ところが
本番はそれからだとい
ふことで17日の神幸祭がある。この日、山鉾巡行後に神輿渡御となる。これが本当の祇園祭であつた。無知とは恐ろしいものである。逆
に、だからこそおもし
ろいのは巻末第四章の「祇園町のお祭」である。ここは気楽に豆知識をといふ感じであらう。宮本組や花街祇園のことがいろいろと書かれ
てゐる。かういふこと
はまだ書き足りないことが多いのだらうと思ふ。何しろ我が町内のおまつりである。表の顔ではないおまつりである。しかも古い花街のお
まつりであるから、他
所では見られないことも多い。それでも祭りをになふ旦那衆はゐるわけで、それが鍵善や辻利の主人だつたりするから、世界が違ふと思っ
たりもするのである。
祇園祭に無知な人間もこれで少しは分かつたかもしれないと思ふが、いやいやそんなものではないと言はれたりして……祇園祭りの世界は
かくも奥深いのであ る。その奥深い一端に触れることができたかどうか。そんな本書であつた。
19.12.07
・私は中国のSFを知らない。日本のSFも知らないのだから当然であらう。認識不足も甚だしいのだが、そんな時に読んだのが
ケ ン・リュウ編「折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー」(ハ
ヤカワ文庫SF)で
あつた。ハヤカワのSFシリーズの一冊を文庫化したもので、初版は2018年2月に出てゐる。要望が多かつたのであらうか。素早い文
庫化である。7人の
12の短編を載せる。多くて3編である。個人的にはオーウェル的世界が多いのかと思つたのだが、アンソロジーである、そのあたりは偏
らないやうに作品が選 ばれてゐる。様々な傾向の作品があり、読んでゐてもおもしろい。
・表題作であるでき
?景芳「折りたたみ北京」は、作品名通りに大都市北京が折りたたみ三層構造に
なつ た物 語である。この大都市
の飽和を解消するSF的想像力がその住民の身分階級毎に大都市を3分割し、かつ時間もまた管理しようといふものであつた。48時間の
最初の24時間を第一
スペースが使ひ、次の14時間を第二スペース、最後の8時間を第三スペースが使ふ。第三ともなると午後10時から翌朝6時までとなる
から、およそ人間的扱
ひとは思へない。物語は、その第三の住人が金儲けで第一に行つたが、結局はみつかつてしまふのが出発点である。幸ひにして見つけて捕
まへた人物が元第三の
住人であつた為に見逃してもらへる。金儲けを終へて第三に帰つたところで女性の言ひ争ひの声がする。そのもめ事が金がらみと分かる
と、男は1万元を女性に
渡す。これもまたオーウェル的世界であらうか。そんなことは一言も書いてないが、身分に従つて使へる時間が違ふ、といふより、身分に
よつて時間が管理され
てゐる。支配者とも言ふべき人間は一切出てこない。しかし、それは第一にゐるに違ひないのである。私はこの作品から芥川の「蜘蛛の
糸」を思ひ出してゐた。
あれだつて、考へてみればきちんとお釈迦様によつて管理されてゐるのであらう。さうして、カンダタはもどされた。ここでの男は自分の
意志でもどつた。そこ
にあるのは「騒々しく混沌とし」(345頁)た世界、第三スペースであつた。よりはつきりとオーウェル的世界を描くのは馬伯庸「沈黙
都市」である。これに
関して、編者はこの物語が「極度の検閲が敷かれたディストピアの物語で(中略)今回の翻訳では、馬とわたしで協力してテキストを本来
の形に戻し」(200
頁)たといふ。そのうへでかう書く、「政治的背景を考えると、この物語を中国政府へのあからさまな風刺として読まずにはいられないか
もしれないが、その誘
惑には耐えることをお勧めする。」(200〜201頁)と。しかし、私には耐へられないと正直に書いておく。これだけの言論の不自由
と徹底的な管理体制を
想像することはできる。しかもその社会が現実にある。これは関連付けずにはゐられないではないか。最後の260頁、これはあくまでも
希望なしといふことで
あらうか。あるいは、もしかしたら希望はまだあるといふことであらうか。いづれにしても見事なディストピアである。実は私が最もおも
しろいと思つたのは巻
頭の陳楸帆「鼠」であつた。開高健「パニック」の如き作品といふのはいささか違ふのであらうか。ねずみ対人間の死闘を描いた作品であ
る。開高健はまだのん
びりしてゐた。こちらは正に死闘である。最後が、つまりはオチがおもしろい。意外だがSF的とでもいふべきものである。SFも、特に
短編ではオチが命とい
ふところがある。そんな見本であらう。その他にもいろいろある。本書から中国のSFの多様さを知ることができる。いかにも中国的とい
ふ作品もいくつかあ る。やはり自分の国から離れられないよなと思ふ。
19.11.23
・
フランソワ・デュボワ「作曲の科学 美しい音楽を生み出す『理論』 と
『法 則』」(講 談社ブルーバックス)を
読んだ。本書は「曲作りの『しくみ』と『原理』を、音楽の理論的な知識をまったくもたない人にも理解していただけるよう」 (4
頁)に 書かれたといふ。実
際、五線の各部の名称から始まる。これはヨーロッパの記譜法の歴史を終へたところで出てくる。第1章「作曲は『足し算』である」と名
づけられた章である。
副題として「音楽の『横軸』を理解する」(21頁)とある。なぜここに記譜法や五線が出てくるのか。「音の組み合わせには『定理』が
あり、美しいメロディ
を生み出すための“足し算”や“かけ算”があって、その『四則演算』を知らなければ、決して美しい楽曲を作ることはできないからで
す。(原文改行)そし
て、その四則演算を理解するために必要不可欠なのが、『音楽記号』です。」(39頁)何事も基礎を知らねばならぬ、音楽も同様だ、と
いふことであらう。そ
れにしても、足し算やかけ算とは何かと思ふ。音楽が数学等と非常に密接に結びついてゐるのは知つてゐる。クセナキスやブレーズ(79
頁)がその代表であ
る。さういふのと関係があるのか。しかし、ここでの足し算は関係がなささうで、1拍が2つで2拍となり、2拍が2つで……のやうに考
へるのが、ここでの意
味であるらしい。全音符、全休符から32分音符、32分休符までの一覧表もある。これで1小節の中を埋める足し算をせよといふのであ
らう。これに対してか
け算とは何か。「単一の音では実現できない音の響きを、複数の音の組み合わせで可能にする」(同前)操作である。「音楽の縦軸は、あ
る同一時点において、
同時に組み合わさって鳴らされる音のセットを指」(同前)すから、かう言へるらしい。だから「クラシック音楽におけるオーソドックス
な『かけ算』には2種
類あります――『対位法』と『和声法』です。」結局、ここに至つても私にはかけ算の意味がよく分からないのだが、要するに音の重ね合
はせ方をここではかけ
算といふらしい。その説明のためにラモーの「和声論」あたりから始まつてクラシック、ポピュラー、そしてヨナ抜き音階からユーミンま
で、実に幅広くの材料
で説明してゐる。これは読み手に実際の音が思ひ浮かぶやうにといふ配慮からであらう。ただ、私はポピュラー系はほとんど分からないの
で、却つて複雑な、あ
るいは不明な響きになるだけにやうな気がする。これはしかたのないことだが、もしかしたらデュボワの頭には、本書の読み手として専ら
ポピュラー音楽の聞き
手があつたのかもしれない。これ以後も多くの歌が出てくるが、クラシックはほとんどない。私のやうな者が読むことがまちがつてゐるの
かもしれない。最後の
曲例も明らかにクラシック音楽ではない。巷でよく聞かれる曲である。コード進行も「あえて日本の王道コードを使って」(209頁)あ
るとか。出てゐるのと
曲例のとを比べると、確かにさうなつてゐる。かういふのは見たことがあるやうな気はするが、その実際は私には分からない。そんなわけ
で、おもしろかつた反
面、実際の曲作りや旋法等になるとあまりおもしろくなかつたと言へる。私とは考へることが違ふらしい。かういふ人が和声のテキストを
作るとどうなるのかと 思つてみたりもするのだが……。
・それにしても本書は「」、括弧が多い。大体は「」だが、ごく一部に“”もある。一種の強調表現であらうが、一々つけなくて
もい いの にと思ふ。足し算はと
もかく、かけ算は所謂かけ算らしくないよなと思ふ。だからつけたのかもしれない。それにしてもである。引用するのに苦労したことでは
あつた。
19.11.09
・例の藩史のシリーズ、やつと三河吉田藩が出た。
久住祐一郎「三河吉 田
藩」(現 代書館)で
ある。どのやうな人がこれを書くのかと思つてゐた。愛知大学(綜合郷土研究所)関係の人か、豊橋美術博物館関係の人か、あるいは私の
知らない組織の人か、
全くの個人か。さうして出てきたのは美博の職員であつた。前職は二川本陣資料館職員だから、結局は市の専門職である。しかもこの人は
「三河吉田藩・お国入
り道中記」の著者であつた。本書の「あとがき」に、「新潟で生まれ、岡山で学生時代を過ごした私が、縁あって豊橋に移り住んでから十
年が経とうとしてい
る。」(204頁)とある。ともに豊橋所縁の地と言へば言へるさうである。歴史に土地勘やお国訛りは不要であらう。史料とそれを読む
力が求められる。さう
してできたのが「お国入り道中記」であつたか。これはおもしろかつた。あくまでも資料に基づきながら、参勤交代を活写してゐた。参勤
交代があのやうなもの
であるのを初めて知つた。あのやうな史料が今まで使はれてゐなかつらしい。まだまだ眠つてゐる史料は多いといふことであらう。もしか
したらそんな史料が使
はれてゐるのかと思つて本書を読んだ。結果は、よく分からない、いや全く分からなかつた。しかし、それはまあ関係ないかといふこと
で……。
・本書は藩史である。従つて藩以前は短く、戦国時代から始まる。池田輝政以前と以後である。輝政はその後の吉田城の基礎を作
つた 人で ある。「吉田城は、輝
政時代に石垣と瓦葺の建物を兼ね備えた近世城郭へと変貌を遂げた」(15頁)といふ。また、豊川の土橋を板橋に造り替へた。それで船
町ができ、「人や物資
を運ぶ拠点として賑わ」(同前)ふことになつた。輝政は様々なことを行つた。「在城十年という短期間であったが、その後の吉田が城下
町・宿場町として発展
していく礎を築いた。」(17頁)これに対して吉田藩の終はりを私は知らない。最後の藩主は松平信古であつた。ノブヒサと読む。この
人は松平とは血縁関係
のない越前鯖江藩主の二男であつた(160頁)。信古時代にはいろいろなことがあつた。異国船来航、安政の大地震、ええじやないか
等々、大きな問題ばかり
である。ええじやないかの評価として、民衆の不安や不満の「ガス抜きと富裕者に対する富の再配分を要求したのが、吉田周辺で起こった
『ええじゃないか』の
目的であった。それを強く求める若者組の存在を抜きにして、この騒動を語ることはできない。」(180頁)とある。ここに若者組が出
てくる。さうか、若者
組、若衆組が関係してゐたのかと思ふ。お札降りによる混乱、狂乱の中心にあつたのは若衆組であつたのか。幕末といへど若者は多い。若
者は今も昔も変はるま
い。神職のネットワークより行動力と実行力はありさうである。若衆組がおまつりや民俗行事だけでなく、このやうに社会を動かす存在で
あつたらしいことが楽
しい。無責任な言ひ方だが、若衆宿で育まれた団結がここで生かされたのである。この三河吉田でそんなことが行はれたといふのは、私に
は慶賀すべき事態に
思へるのである。ただし、その間にも藩主は苦労してゐた。信古は大坂城代であつた。鳥羽伏見の戦ひの結果に驚いて吉田に逃げ返り、藩
内でももめたが、結局
は新政府に恭順する。かうして明治に入つていく。これが完全に勤王と佐幕の間に埋もれてゐるやうに思へる。そこからわずかに漏れ出し
たのがええじやないか
であつたのかもしれない。三河吉田藩といつても関係もなく関心もない人が多さうである。私は関係がある、たぶん。だから読んだ。この
シリーズはさういふ人 のためのものであらう。それでも近くの藩が出たら読まうかと思ふ。
19.10.26
・
東雅夫編著「文豪たちの怪談ライブ」(ち
くま文庫)を
読んだ。相変はらずよく調べてゐる、読んでゐると思ふ。これまでの様々なアンソロジーのまとめとしてあるのであらう。これは正確には
アンソロジーとは言へ
ない。かと言つて……と書いてはみても、これに続く単語はなささうである。解説文の間に掌編(怪談)や新聞雑誌記事、そしてその他の
文章が紹介されてゐる
書といへば良いのであらうか。それを何と言ふのか。単純にアンソロジーとは言へない。だから編著なのであらう。私はかういふのは初め
てである。ただ、かう
いふ書であればいい加減なことは書けないと思ふ。とにかくどんな文章でもここに引かれうるわけである。見解を同じくしないとか、言つ
てゐることに矛盾があ
るとかする文章もあるから、そのあたりをきちんと見極めねばならない。本書はそれができてゐる。全く気にもしなかつたが、明治40年
以降が近代怪談の絶頂
期であつたらしい。これ以降、大正の前半あたりまで、怪談に関する実に様々な活動が続く。百物語や怪談会に様々な人が集まつて怪談話
をしたりして楽しむ。
それを新聞や雑誌に連載したりするし、単行本化したりもする。明治43年刊の「遠野物語」もこの流れに入る(144〜145頁)らし
い。大体、柳田国男や
佐々木喜善はそのやうな怪談会の参加者であつた。喜善は三陸の人だから、生まれた時からさういふものと生きてきた。吉本隆明風に言へ
ば、共同幻想の中で生
きてきた。柳田は違ふ。しかし、泉鏡花となると、喜善とはまた別の共同幻想の中で生きてきたはずである。鏡花は無類の怪談好きであつ
たといふ。鏡花の名が
表に出てゐなくとも、鏡花が関係した怪談会は多いらしい。それは本書で確認できる。鏡花関連だけでも見て行けば、第1回鏡花会は明治
41年6月に浜松で開
かれた(137頁)。明治44年で第9回である(146頁)。年3回は開かれた勘定になる。その間に鏡花は傑作をいくつも書いてゐ
る。明治39年「春宵」
「春宵後刻」、明治41年「草迷宮」、明治44年「吉原新話」等、これ以外の作品ももちろんあり、新派で「婦系図」が上演されてもゐ
る。お蔦が喜多村緑
郎、主税が伊井蓉峰であつた(138頁)といふ。この二人もまたお化け好きで、鏡花関連の怪談会等にはほとんど顔を出してゐる。私も
お化け嫌ひではない
が、こんなところにこんなにも深く、新派の名優2人が顔を出してゐようとは思ひもしなかつた。このやうに、本書にはきちんとしたデー
タも載つてゐる。明治
から大正の怪談会を調べようと思つたら、本書で先ず概要をつかんでといふのが早さうである。かなり細かいことまで書いてあるし、その
出典も載せてある。そ れが新聞記事であり雑誌記事であつた。
・本書の「怪談ライブ」といふ書名は、このやうに新聞雑誌の怪談会関係の記事を載せ、時にはそこで話された怪談話を載せて、
しか も、 それらの怪談会をある
程度参加者別にまとめてあることによる。硯友社に始まり、芥川の死を経て鏡花で終はる。文豪も確かにゐる。鏡花はそれほど怪談好きだ
つたのだと改めて思
ふ。さすがに漱石や鴎外は本書にはほとんど出てこないが、硯友社系の作家や明星系の歌人は出てくる。私に意外だつたのは小栗風葉が関
係してゐたことであ
る。硯友社の作家であれば当然なのであらう、鏡花に薦められてか自ら望んでか、いくつかの怪談会に出てゐる。硯友社の作家は江戸戯作
をひきずつてゐた。明
星は浪漫を追つてゐた。それに対して、自然主義の作家はこのやうな怪談とは縁が無いのである。かういふことも分かる<ライブ
感>が本書の醍醐 味なのであらう。意外におもしろかつたと書いておかう。
19.10.12
・
川瀬一馬「日本における書籍蒐集の歴史」(吉
川弘文 館)を
読んだ。書誌学の初歩を知りたいと思つたことがある。そこで書誌学のテキストを読まうとしてと選んだのが、たぶん、
川瀬一馬であつた。当時は今ほど書誌学
のテキストは多くなかつたから、大家の方が良いかと勝手に決めて川瀬を選んだ。長沢規矩也であつたかもしれない。そ
の差がどのくらゐあるのか知らない。私
には関係ない。どちらも書誌学の大家である。長沢の方が少し年長であるらしく、「兄」とつけてゐるところがあつた。
考へてみれば、長沢の漢和辞典は見たこ
とがあつたので中国文学の人らしいと知れる。川瀬は中世あたりを専門にしてゐたらしく、五山版や古辞書が研究対象で
あつたらしい。何しろ昔の人すぎて、
といふ言ひ方は失礼であらうが、どうしても漱石や鴎外よりは年下の人ぐらゐにしか思へない。実際そんな人たちも出て
こないわけではない。内容が内容だから
文人はほとんど無縁だが、その代はり古本屋や古書収集家はたくさん出てくる。本書は、もちろん、さういふ人達、いや
さういふ人達が好きな、そして研究して ゐる人の本である。
・時代がよく分かるのは付録の3としてある「安田文庫購入西荘善本評価書目(文行堂横尾勇之助手筆)」
(227 頁) である。この文庫は川瀬がかなり深く関
はつたもので、後半の第二部最初の一章に「旧安田文庫のことなど」(128頁)といふのがある。安田文庫概説であ
る。この文庫は戦争で焼失した。安田財閥
も戦後に解体されてなくなつた。「旧」の付される所以である。そんな文庫の購入記録である。今では見ることもできな
い本である。ただ、購入記録ゆゑにその
購入した金額が分かる。巻頭の2種35冊は書いてない。次の勅版職原抄と勅版神代巻の合計3冊は千円であつたらし
い。下に1,000といふ数字がある。勅
版といふのはその名の通り「勅」、つまり天皇の命によつて出版されたといふもので、慶長勅版神代巻等があるとか。こ
れは慶長勅版であらうか。古活字版のや
うだからその価値を私は知らない。1,000円ぐらゐならば安いのであらうと思ふ。ただ、いくら高くても値段がつく
ぐらゐであるから、全く出ない本ではな
かつたのであらう。次のは駿河版とある。これは家康が晩年に駿河で出した銅活字本らしい。その代表が「大蔵一覧集」
であるらしいが、これがやはり1,
000円、これも高い。次の「三鏡活字」には「鈴屋旧蔵印アリ」とあつて15冊で500円である。本居宣長旧蔵で値
が上つたのであらうと思ふのだが、これ
がないとどのくらゐなのであらうかと思つてみたりする。以下、五山版が続いて……といふわけで、金にあかして買ひ集
めたであらうことが分かる。何しろ安田
財閥の二代目である。金に糸目を付けたりなどはしなかつたであらう。そんなことがよく分かる目録である。これは安田
文庫のほんの一部でしかない。こんなの
がほとんど数知れずあつたと言つて良い。研究者ならば当然のこと、研究者でなくとも、少しだけでも和本のことが分か
れば、この文庫を見たいと思ふに違ひな
い。ところが、これは戦災で焼けたらしい。残念である。しかし、今となつてはどうしやうもない。実は、このやうな戦
災や震災で焼けた本は多かつたらしいと
本書で知れる。関東大震災にしろ、米軍の空襲にしろ、災害は場所を選ばない。そこにあるものが被害を受ける。さうし
て、そこにあつた文庫が焼けた。それだ
けのことである。当時、和本は多くあつた。まだ江戸を引きずつてゐたからである。そんな時代の書誌学者はさぞかし幸
せであつたと思ふ。私は、川瀬の学問業 績とは無関係に、そんなことを考へながら本書を読んだ。
19.09.07
・
ブライアン・ラムレイ「ネクロスコープ 死霊見師ハリー・キーオ ウ」(創
元推理文庫)を
読んだ。上下あはせて700頁超、結構な長さである。この作品、「一九八六年に発表された、新生ラムレイの第四作、『ネクロスコー
プ』こそ、ラムレイが専
業作家としての地位を確立した最初の傑作なのだ。」(宮脇孝雄「解説」下374〜375頁)といふ。ラムレイは「一九六八年にラヴク
ラフト風の短篇『深海 の
罠』でデビューした」(同372頁)さうであるから、この時点で既に相当のキャリアがある。ただし、それは副業であつて、作家を本業
としてはゐなかつた。
自作年譜に、作家活動を「これまで楽しみのために(そして、ほんの少しの収入のために)やってきたこと」(同374頁)とあるとい
ふ。それが一九八〇年に
陸軍を辞めて専業作家となつた。その第1作長篇は売れなかつたらしい。第4作に至つて売れた。本書である。ラムレイはクトゥルーとい
ふ図式が私の頭の中に
あるので、この第4作をそれほどの作品だとは思へない。クトゥルーらしきものはあるかと思ひつつ読んだけれど、遂にそれはみつからな
かつた。まだクトゥ
ルーを書いてゐなかつたのか、あるいは書いてゐたけれど本作で触れなかつたのか、これは私には分からない。作家たる者、いくつかのシ
リーズ等を持つてゐる
はずである。そのいくつかの1つが本作だと言へるのであらう。さう、本作はシリーズ第1作となつた。「発表当初には誰も予想しなかっ
たことだが、このシ
リーズは全五巻でいったん終了したかに見えたものの云々」(同377頁)といふわけで、結局「全十六巻プラス中短篇の大河シリーズに
成長し」(同前)たさ うである。そんなになる魅力があつたのであらう。私にはよく分からない。
・本作の内容をかいつまんで言へば、東西冷戦下における死霊諜報合戦とでもなるだらう。この死霊といふところがネクロスコー
プに つな がるのだが、これは主
人公キーオウについてのこと、つまり西側である。では東はといふと、それがボリス・ドラゴサニである。ソ連の心霊的諜報機関のナン
バー2に当たる人物であ
らうか。この二人が最後に対決するのである。その結果は、当然、正義は勝つ、つまり西側の諜報機関のキーオウが勝つのである。ただし
このドラゴサニ、そん
なやわな者ではなささうである。名前に注目していただきたい。ドラで始まる。このドラ、ドラゴンのドラではなくドラキュラのドラであ
るらしい。つまり、吸
血鬼の血をひくのがドラゴサニであつた。「ネクロスコープ」は見方を変へれば吸血鬼譚になるのである。どちらかといふと、こちらの筋
で始まり、以下もこち
らの筋が多い。だから、私などはこれは吸血鬼譚かと思つてしまふのだが、どうなのだらう、吸血鬼譚なのであらうか。「吸血鬼というの
は、実は、当時のホ
ラーのトレンドで」(同375頁)とある。だから、単純に吸血鬼を取り込んだだけかもしれない。しかし、ドラゴサニは〈父〉からネク
ロマンサー、死骸見師
の力があることを教へられ、ヴァムフィアリ族のことを教へられる。ヴァムフィアリといふのはどうやら普通のヴァンパイアとは違ふやう
で、「シャイターンそ
のものがそもそもヴァムフィアリなのだよ」(上240頁)とある。シャイターンは魔王サタンであるらしい。ラムレイそんな神話まで用
意してこの物語を作つ
たのである。しかし、この東西冷戦の様が私にはおもしろくない。緊迫感がない。ここは本筋ではないのかもしれない。しかし、ここがお
もしろくなくなつたら
物語が成り立たないのではと思つたりする。二人が出会ふまでの物語、これが巻一といふものであらうか。物語は続くのである。
19.08.24
・
尾前秀久著「椎葉村尾向 秘境の歳月 山里の生活誌」(鉱
脈社)は
編集を民俗写真家の須藤功氏が担当してゐる。須藤氏は椎葉をずつとフィールドとしてきた方である。適任であらう。帯に「すべては、
『焼畑体験学習』から始
まった。」とあるが、これは須藤氏のことをいふのではないかと思ふ。このあたりの事情を須藤氏は「初めて尾向を訪れたのは平成二十三
年(二〇一一)云々」
(28頁)と書いてゐる。「宮崎駅まで席を同じくした甲斐氏は椎葉村についてのいろいろな話をしてくれましたが、『子ども焼畑体験学
習』を聞いたとき、写
真を撮りたいと強く思いました。」(同前)さうして「尾向から帰宅してしばらくすると、当時の尾向小学校校長の中原淳一氏から封書が
届きました。」(29
頁)焼畑の案内であつた。さうして、「それから毎年、七月末ごろの火入れと種蒔き、秋の運動会、そばの収穫と収穫祭」(同前)等には
「できるだけ訪れるよ
うにしてい」(同前)るといふ。その成果と思はれる写真も多く使はれ、須藤氏の行事と本書に対する思ひが伝はつてくる。実際、この焼
畑体験学習の記述だけ
とつても本書は貴重である。子供達の山の神に火入れを行ふといふ唱へ言の写真がある。かういふことも行ふのである。これらを含めて、
焼畑の手順が写真入り
できちんと説明されてゐる。焼畑関係の書は他にいくつもあるはずだが、子供主体の焼畑は他にはない。当然である。焼畑は本来生活する
大人のためのものであ
つた。子供の学習のためではない。ただ、かうして子供達が焼畑を行へば、大人も手伝ふことにより、結果的にその技術が伝へられること
になる。世界遺産にな つてゐる焼畑である。椎葉村はそれを行ふやうな土地なのだと改めて思ふ。
・本書の中心は焼畑にある、と私は思ひたいのだが、実際はさうではない。書名にあるやうな「山里の生活誌」が本書の中心であ
る。 とい ふより、正に「椎葉村
尾向誌」が本書である。あくまで生活誌を書いてゐる。焼畑や神楽はその中心あたりにあるが、決してそれだけではない。まづ自然と歴史
を書き、次いで道、狩
り、木材、食べ物、年中行事、神楽、学び(学校)、そして民話と書き続ける。「村誌」との絡みで一部に省略があるらしく思はれる。個
人的には、重複も厭は
ずにそれもきちんと載せてほしかつたと思ふ。しかし、それを補つてあまりありさうなのが神楽である。宮崎県の山の中には多くの神楽が
ある。「椎葉村内では
今も二十六もの集落で神楽が続きます。一つの村で、あるいは市や町でこれだけの数の神楽を伝えるのはたぶん、椎葉だけでしょう。」
(240頁)その尾向に
は4つの神楽がある。それを、皆きちんと書いたら大変である。ここではその代表として尾前神楽が採り上げられてゐる。最初に4つの神
楽の次第を載せ、「神
楽を支える人びと」について書く。ここに「尾前神楽もやはり神楽宿は民家でした。」(同前)とある。現在は「尾前下の家並みの間に建
てた拝殿」(同前)が
神楽宿である。それは変はつた結果である。「戦後も十年を過ぎるあたりから、神楽宿を受けるのはきついという風潮になり、神楽をする
方も迷惑はかけられな
いということで、拝殿が建てられ云々」(242頁)とある。いづこも同じであらうか。花祭と同じ頃に個人の神楽宿は変はつていつたの
である。その代はりこ
の神楽宿、ずいぶん使ひ勝手が良ささうである。神楽用に考へたのであらうから、それも当然であらう。かうして神楽の神迎へから神送り
までの次第が並ぶ。
30番もある。一晩かからうといふものである。かくして本書は尾向誌としてある。子供達の焼畑が、こんなことを言ふと叱られるが、楽
しい。
19.08.10
・
クレア・ノース「ホープは突然現れる」(角
川文庫)は 小説だが、題名通りの内容と言へる。原題は“THE SUDDEN
APPEARANCE OF
HOPE”といふ。ホープの突然の出現といふのだから邦題はほとんど直訳である。正に主人公のホープは突然現れるのである。なぜか。
他人がホープのことを
すぐに忘れてしまふからである。人はホープなる人間を覚えられないのである。理由は書いてない。ただ、彼女が「忘れられるようになっ
たのは、十六歳のとき
だった。」(54頁)それまでは普通に他人と接してゐた。それがなぜかさうなつていつたのである。さうなつた理由は妹のはしかであら
うか。「はじまりは、 はしかの数ヵ月後だったのではないかと思う。
(中略)私
はひとかけら ずつ消えて、世界は私 を忘れていった。」(55頁)もちろん、彼女「だって、最初からこうだったわけじゃない。
(原
文改行)昔
は記憶してもらえた。」(48頁)忘れられる、覚えてもらへないやうになつた段階で、彼女は泥棒を職業として選ぶ。何しろ捕
まつても 警官に覚えてもらへな
いから、結果的に無罪放免である。彼女をパトカーの後部座席に乗せたままわすれてしまつたりする(71頁)のである。こんな彼女は孤
独だった。友人がほし
くても皆すぐに自分のことを忘れてしまふのである。だから友人を作れない。孤独に一人で生きていくしかない。初対面の人はもちろん、
何度目であらうが、数
分間が経つただけで「ホープは突然現れる」ことになるのである。しかし、そんな彼女にも自分の<体質>を変えることがで
きるのかもしれないと
期待することがあつた。それがパーフェクションなる組織、あるいは企業を知つたことであつた。これ以後、物語はミステリーになつてい
く……のだが、やはり 最後まで孤独とは離れられないらしい。
・物語の主要登場人物はホープと、同類のバイロン、追ひかけるゴーギャン、ルカ、そして今一人、パーフェクションのフィリパ
の5 人で あらう。この5人の共
通点を挙げるとすれば孤独といふことにならうか。ホープは良い。他人に覚えてもらへないのだから孤独にならざるをえない。バイロンと
ゴーギャンはかつて恋
愛関係にあつたらしい。今は2人ともそれも破れてしまつた。しかも仕事のうへでは敵である。その仲間はゐるらしいが、2人の生活には
出てこない。ルカは
ゴーギャンと仕事では手を組んでホープを追ふが、それ以外は何をしてゐるのであらうか。ゴーギャン同様の仲間はゐよう。しかし、私生
活は見えない。フィリ
パは弟の言ひなりになつてパーフェクション完成に向けて研究を続ける。その途中に会つたホープと気があつたらしい。一晩語り明かす。
それも孤独だからこそ
かもしれない。そんなわけでこの物語の登場人物は皆孤独なのである。物語の中で何度もホープが孤独を嘆いたりする。しかし、それと同
様に他の人物もまた己
が孤独の様を嘆きたいのではないか。最後にバイロンはがけから海に跳ぶ。ゴーギャンは悲しみにむせび泣く。ホープはここでも場違ひな
人物と思はれたらし
い。「私はかばんを拾い上げ、立ち去った。」(748〜749頁)あくまでも皆孤独なのである。その確認の作業がこの物語であつたら
しい。種をあかせば、 この物語はホープの手記なのであつた。「書いて、過去に命を与えた。
(原
文 改 行)今 を。
(原 文改行)言
葉にした。」(750〜751頁)さういふ物語であつた。だから孤独なのである。ただし、ホープには救ひがあつた。それは妹
であ る。 「ホープ! 嘘つき。
すぐに帰るって言ったじゃない」(751頁)これが物語だといふ見本のやうなできごとであつた。しかし読ませるね、この人。この先が
楽しみである。
19.07.27
・
柴田道子「被差別部落の伝承と生活 信州の部落・古老の聞き書き」(ち
くま文庫)は
「最初の出版後四十七年、著者没後四十四年にして筑摩書房から文庫本として再び世に出」(横田雄一「解説」475頁)た書である。こ
の横田氏は著者の夫で
あつた。と同時に、佐山再審弁護団の一員であつた人である。当然、著者に関して詳しい。柴田は児童文学者であつた。「子どもに寄り添
うという日常の習性
は、古老からに聞き取りのさいにも、語り手に寄り添って受け止め、微妙な感情の動きもナイーブに移入するという仕方で、活かされた」
(同前476頁)とあ
る。性格は、「感じやすく、愛情が深く、人に優しい心の持ち主で」(同前)あつた。また、「男社会のなかの女性として蒙らざるを得な
かった自らの被差別体
験に基づく感情移入も加わり、ごく自然に差別事象とそこからの解放という視点から人々の生き様に共感し、敬意を払いつつ文章化した」
(同前)とある。しか
も「死の直前まで朝日新聞社から依頼された佐山事件の原稿の執筆に打ち込んでい」(同前)たといふ。ここまで引用すれば本書の大方の
内容と傾向は理解でき
よう。実に丁寧に、古老をはじめとした被差別部落の人々の声を拾つてゐる。それも1960年代の聞き書きであるらしい。「この書物
は、主に戦前における伝
承を中心としている」(「序」17頁)とあるが、古老は明治生まれが中心で、その話の中にはじいさんが江戸の生まれで云々の類の記述
がいくつも見られる。
今となつては実に古い記録である。所謂被差別部落に限られたことではあつても、これは貴重である。本書が復刊されたのは実に喜ばし
い。
・本書の古老の聞き書きは被差別部落をまともに知らない人間には驚くべきことに満ちてゐる。現代の結婚や就職のことは伝へ聞
いて はゐ たがそれだけのこと、
自分には無関係と思つてゐた。いづれも現実的な大問題であるらしい。なぜかうなつたか、これが根本的な問題であらう。いつ被差別部落
ができたのか。いつか
ら差別されるやうになつたのか。これに対するきちんとした答は書かれてゐない。ただ、部落の成立に関しては書いてある。「第一は城下
町におかれた部落であ
る。(中略)城主は、皮革をはじめとする武具の製造や雑役労働を必要とし、城下の治安を守る力として部落を強制的に作った。第二は、
神社仏閣に依拠する部
落で、善光寺などがある。ここでの仕事は、寺や神社の庭師その他の雑役であった。第三は、川筋に置かれた部落である。(中略)河川筋
の仕事は主に船頭であ
る。第四は、街道筋の部落で、数の上では一番多い。」(同前10〜11頁)街道筋の部落の仕事は死馬等の処理が中心であらう。それが
皮革につながる。私の
少ない知識によれば、被差別部落の人たちは皮革関連の仕事に従事してゐるとか。この第一と第四は正にそれに当たる。しかし、それだけ
が仕事でないことは本
書を読めばよく分かる。小作農と雑役とで生計を立てるといふあたりが中心かもしれない。雑役は文字通りの雑役で、何でもできることは
やつたらしい。さうで
ないと生活がなりたたなかつたらしい。だからこそ、「被差別部落の人びとは、自分たちの歴史を、マイナスとして受けとめてきた。(中
略)みぐさい(カッコ
悪い)ものだ、せつない(はずかしい)ものだと思わされてきた」(同前11頁)。本書はマイナスではない部落史を古老から聞きださう
とした書である。先の
やうに部落成立には政策的な要素が大きく絡んでゐる。そこからは逃れられない。それを正面に見据ゑる時、著者が「感じやすく、愛情が
深く、人に優しい心の 持ち主で」あることが幸ひする。本文を読めば分かることである。
19.07.06
・
飛田良文「明治生まれの日本語」(角
川文庫)は
よくある、明治にできた言葉の解説書と言へばその通りである。しかし、本書は全体を三章に分けて、全21語を採り上げてゐるだけであ
る。明治の日本語と言 は
れるものはまだたくさんあるはずだが、本書にはこれだけである。頁数254、20数頁が本文以外の参考文献等であるが、それにしても
語数が少ない。逆に言
へば説明が詳しいのである。それは参考文献を見れば分かる。幕末から明治にかけての英語辞書や日本語辞書、参考文献には載らないが明
治文学も多い。最近の
多くの辞書と同様に、実際の意味や使用例豊富なのである。言葉の説明に当たつて、実際の使用状況等を確認していくことは、自分が知つ
てゐる言葉であればあ るほどおもしろくなるものである。本書はさういふ書である。
・例へば「ポチ」、よくある犬の名前である。これが本書に載る。ポチは明治にできた語であつた。私はもちろん知らなかつた。
どこ かに 出所はあるのだらうが
といふ程度の認識であつた。ところが明治の語であつた。どのやうに調べるのか。ポチの出てくる有名な話と言へば「花咲か爺さん」であ
る。これをまづ調べ
る。昔話ではどうか。江戸の子供の本ではどうか。更に江戸の様々な随筆等ではどうか。かうして調べてくると、犬をポチと呼んだものは
ない。馬琴が補綴した
合巻に福と呼んだ例が一例だけあるらしいが、いづれにしても花咲かでの犬はポチではない。ところが明治になると教科書に出てくる。明
治19年の「小学校教
科書 読書入門」にポチが出てくる。同34年には「教科適用 幼年唱歌」初編下に例の「うらのはたけで、ぽちがなく」(169頁)と
いふおなじみの歌が出
る。そして同37年の国定教科書「尋常小学読本」巻2に出てくる。このあたりで小学校の教科書に定着するらしい。問題はどこからポチ
が来たかといふことで
ある。これには「『ポチ』の語源」(178頁)といふ節がある。ここにspottyやpetitからではないかとあるが、どうもこれ
ではなささうである。
結論は「『ぶち』『まだら』の意味の『ぽちぽち』が起源」で、つまり語源であるらしいとなる。この語は「あまりにも日常語であって、
記録されないためか」
(180頁)用例探しに苦労したといふ。この辞書の用例は新しい。ところが明治文学には古い用例があつた。巖谷小波「新知事」は明治
31年であるから、例
の唱歌より古い。二葉亭四迷「平凡」にも出てくるが、こちらは明治41年である。この頃には小学校の教科書の影響もあつてか、ポチの
名は一般化してゐたの
であらう。……と、まあ、このやうな語源探しを各所で、といふより本書全体でやつてゐるのである。これがおもしろい。漢語となると漢
籍を捜すことになるか
ら、出てくるのは漢文である。実際にはかう単純ではなく、実にいろいろなものを捜す。辞書でも英語の辞書だけでなく仏語や蘭語等々、
そしてもちろん漢語も
日本語もである。最後に、本書を「書き終えて、あらためて感じるのは、西洋文化の移入にともなう新語がきわめて多いということであ
る。」(「あとがき」
247頁)とある。確かに新語が多いのだが、個人的には借用語や転用語もまた多いと感じる。漢字の造語能力が明治に生かされたのだ
が、それ以外の古い用語
を借りたり転用したりすることもまた行はれた。これもやはり漢字の強さであらう。と同時に、語が「統一されていく過程で、なんらかの
形で日本政府の力がお
よんでいたことは、特筆されて良いだろう。庶民の力がその誕生に関わったのは、ごく限られたものであった。」(同前)先の「ポチ」も
これに当たるのであつ た。なるほどである。