未読・晴購雨読・つん読  2020.06


「Mac等日記」 を読む。

未読・晴購雨読・つん読  2019.12 を読む。
未読・晴購雨読・つん読  2020.06 を読む。
未 読・晴購雨読・つん読  2020.12 を読む。

未読・晴購雨読・つ ん読  2021.06 を読む。
未読・晴購雨 読・つ ん読  2021.12 を読む。
未 読・ 晴購雨読・つん読  2022.06 を 読む。
未 読・ 晴購雨読・つん読  2022.12 を 読む。



ジャスパー・フォード「最後の竜殺し」
ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」
服部幸雄「市川團十郎代々」
小谷野敦「歌舞伎に女優がいた時代」
阿辻哲次「戦後日本漢字史」
岩原剛編「今川・松平が奪いあった『水城』 三河吉田城」
泡坂妻夫「奇術探偵 曾我佳城全集」
礒山雅「マタイ受難曲」
柿崎輝彦「忠臣蔵の起源」
伊 藤秀彦「サジュエと魔法の本」
中嶋繁雄「江戸の牢屋」
京極夏彦「書楼弔堂 炎昼」





20.06.27
ジャスパー・フォード「最後の竜殺し」(竹書房文庫)の巻頭 の1頁にこの物語のすべてがある。ただし、当然のことなが ら、 それは 読 み終はるまで分からない。しかし読み終はるとその意外な物語に驚く……とはならない。「どれもこれも一週間のうちに起きたことだ。」 (9頁)それがここに書かれてゐるだけであり、それをふくらませたのがこの物語である。さう、それだけのこと、それだけの物 語な ので ある。しかしおもしろい。
・物語の舞台は現代のヨーロッパあたりの王国である。王様がちやんとゐる。魔法は生きてゐるが、その力は衰へてゐる。魔法使 ひ (本書 では魔術師)も大変である。最初の章題は「実用の魔法」(10頁)である。実用とは何か。この場面では「家の配線を魔法で修理する」 (19頁)ことである。「大元の魔法プログラミング言語のルートディレクトリを少し書きかえれば、配線修理のような作業も比 較的 かん たんにできる」(同前)、そんな魔法なのだが、これは一体どのやうな魔法であるのか。現代に生きる魔法であるからにはプログラミング は避けて通れないといふことであらうか。大体、配線を魔法で直すとか、「走っている最中に車のギアの部品を交換」(16頁) する と か、かういふのは、走つてゐる間は別にして、修理する人間は決まつてゐよう。それを魔術師が行ふ。「実用の魔法」であればこそであ る。ただし、「〈魔法法(一九六六年改正)〉によって、どんなに小さな魔法を使ったときでも、書類を提出することが義務づけ られ てい る」(19〜20頁)。これも大変に面倒である。そんな面倒な仕事を引き受けてゐるのが主人公ジェニファー・ストレンジである。魔術 師はその場に合はせて魔法を使ひ、ジェニファーはその後始末をするといふことであらう。彼女にはそのやうな会社管理と今一 つ、魔 術師 の世話といふ仕事がある。「そのうえカザムにいる四十五人の魔術師の面倒を見て、その住まいであるぼろぼろの建物を管理し」(10 頁)てゐる。そんな彼女でも実は魔術師ではない。「結局のところ、魔法は素質があるかないかの問題なのだ。」(52頁)とい ふ、 その 素質がないのである。にもかかはらず、最後に彼女はドラゴンスレイヤーとなる。それは運命であつた。「だれを待っているとおっしゃい ました?」「ジェニファー・ストレンジだよ」「ジェニファー・ストレンジはわたしですけど!」「そうか(中略)待ち人来た る!」 (158頁)といふわけで、彼女は最後のドラゴンに対することになる。この物語は現代社会の物語であるが、そこはドラゴンが住 み、魔 法が通用する。しかも、資本主義的アイテム満載の世界である。巻頭の情景はそれを示してゐる。そこにドラゴンスレイヤーがからむ。か らむとはいつても王は資本主義の申し子如き人であるから、彼女はそれにも対することになる。魔法と魔法的存在が現代社会に存 在し うる か。ところが実際には魔力は弱まりつつあるのであつた。それとドラゴンの関係も突きとめねばならぬしと、そんなこんなでジェニファー は大変である。この物語ではジェニファーの存在感が圧倒的である。タイトルからして当然ではあつても、他の登場人物はどうな つて ゐる のかと思ふ。どうなつてゐるのだらう、生きてゐるけどね。さう、確かに生きてゐる。影が薄いだけである。何事もジェニファーの双肩に かかつてゐるのである。これには続編があるといふ。そちらで活躍するのであらうか。かう考へると、ジェニファーに重点を置き すぎ た気 がする物語であつた。他にも活躍できさうな人物がゐる。これらはどうなるのであらうか。いささか物足りない物語となつた。続編に期待 しよう。

20.05.30
ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」(河出文庫)の 「文庫版訳者あとがき」はカフカの「変身」から始まる。ある朝、目覚めたら甲虫になつてゐた「変身」に 対して、信号待ちの車中で突然目が見えなくなつた「白の闇」、いづれも不条理であらう。しかしその先が違ふ。カフカは短い。これは長 い。しかも個人の問題ではなく、その集団全員の問題である。集団といふのは、もしかしたら国であるのかもしれない。そんなに も大 きな 不条理を扱ふ「白の闇」、カフカとは全く違ふ作品であらう。
・サラマーゴはノーベル賞作家であるらしいのだが、私はそれを知らなかつた。だから初めて読んだ。読んでゐて思つたのは構成 の問題で あつた。起承転結が実に見事であつた。患者発生、隔離、暴力集団支配、解放・省察、この第4部の結を2つに分けて考へることもできよ う。発生と隔離をまとめて解放と省察を分ければ4つになる。いづれにしても起承転結である。この患者は眼病である。いきなり 目が 見え なくなつた。見えるのは「白の闇」ばかりである。最初の患者は運転席で赤信号を待つてゐた時に発症した。そんな眼病だから病名は書い てない。しかし、これは伝染性があり、まづ先の男を助け(たふりをし)て車を盗んだ男に伝染する。その信号を待つてゐた男は (総 合病 院の)眼科に行く。するとその待合室の患者や受付、そして診察した医師や看護師にも伝染する。もちろんその家族にも……といふやうに 次から次へと伝染していく。眼科医は己が症状を院長に電話連絡する。「接触感染症だという証拠はありません。しかし、たんに 患者 の目 が見えなくなり、私の目が見えなくなつたのではないのです。云々」(48頁)これで集団隔離の措置がとられて患者は「からっぽの精神 病院」(54頁)に収容される。何しろ目の見えない患者である。緊急事態とその事の重大性ゆゑに患者の世話はない。患者自ら が自 らを 世話する。そこで様々なことが起きるのだが、最も重大なことは暴力集団の登場とその支配である……とまあ、かうして書いてゐたら切り がない。この暴力集団をも乗り越えた時、患者は隔離施設から出ることができた。そこは皆が目の見えなくなつた世界であつた。 秩序 はな い。あるのは人間のありのままの欲望の世界であらうか。食ひたい物を、といふより今そこで食えるものを食ひ、眠りたいところで眠る。 排泄はどこにでもできる。全員が目が見えなくなつたのかといふと実はさうではない。最初期の患者、眼科医の妻は目が見えてゐ たの であ る。これは全員が見えなくなると物語を進められなくなるといふ事情があつたのかもしれない。見える人間がゐればそれを視点に物語がで きる。あるいは別の事情があるのかもしれない。彼女はいはば神の如き超越した存在であり、だからこそ皆の目が見えるやうにな る と、 「顔を空へ上げると、すべてがまっ白に見えた。わたしの番だわ。」(408頁)となるのかもしれない。最後の一文、「町はまだそこに あった。」(同前)とは、そこに町があつても妻には見えないのか、町は見えたのか、これがはつきりしない。たぶん妻に見えな くな つた のだと思ふが、さうであればこそ事の不条理性が強まる。そしてカミュも「ペスト」の最後で希望をもたらしたが、サラマーゴもまた希望 をもたらしたのである。結局、皆が見えるやうになつた……現在私達の眼前にある新型コロナ肺炎といふ不条理も、最後はこれら の物 語の やうに希望で終はることを望むのみ、カフカの「変身」ではなくである。あるいは、もしかしたら、ザムザの家族が、逆説的ながら、眼科 医の妻の役割なのであらうか。「変身」も見方によつてはハッピーエンドであつた。

20.05.16
服部幸雄「市川團十郎代々」(講 談社学術文庫)を 読んだ。本書はその書名の如く、市川團十郎初代から十二代までと、十三代目襲名間近の七代目新之 助、つまり現海老蔵までを述べる。ただし、本書は文庫である。単行本で出たのは'02のこと、まだ十二代が亡くなる前である。従つ て、十二代以降の記述は古く、少なく、不完全である。これさへ割り引けば、本書は團十郎代々を知るには実に便利な書である。 團十 郎 代々の書はありさうな気がするが、実際には多くないといふ。その中で伊原青々園「市川團十郎の代々」(私家版)がその基本である (「あとがき」237頁)らしい。青々園は魅力的だが、私家版である。私には読めさうにない。そんなこともあつて、現代歌舞 伎研 究の 大家たる(故)服部幸雄を読んだのである。
・本書には代々に関はる内容の章もある。最初が、つまり巻頭にあるのは「江戸っ子の團十郎贔屓と襲名」である。ここに團十郎 が 「『随 市川』と称されて江戸の歌舞伎役者の別格とみなされるに至った」(11頁)その理由と思しきものが3つ書かれてゐる。第一、「代々の 團十郎が際立った名優だったこと」(同前)、第二が「代々が他ならぬ『荒事』を『家の芸』として確立し、伝承してきたこと」 (13 頁)、そして第三が「代々の人物と芸とが江戸文化を代表するものとして、江戸っ子の伝統主義・排他主義によって盛り上げられていった こと」(同前)、以上3点である。どれもさうだと私にも思へる。荒事の件を補足すれば、荒事は「演技面には様式性の洗練、性 格面 には 呪術性・宗教性が加わって、祭祀的ないし饗宴的色彩の濃い江戸歌舞伎の体質を象徴的に表していた。」(同前)だから「市川團十郎の演 ずる荒事の主人公は、悪疫の流行、飢饉、災厄などから生命と生活を守ってくれる江戸の守護神」(同前)であつた。これが例の 口上 に於 けるにらみに通じる。にらんでもらつて悪疫退散である。十一代目が海老蔵であつた頃のこんな話が、織田紘二「解説 團十郎代々の『聖 性』に肉薄」に出てゐる。「初代市川團十郎発祥の地」の石碑を建立することになる山梨県三珠町(現西八代郡市川三郷町)の蹴 裂神 社で のこと、「農家の主婦が幼い子を抱いて来て、近い将来團十郎になる成田屋の当主に、赤児の肌着にサインを頼んだのを初めて見た。『こ の子が丈夫に育つように、サインをお願いします』と、いうのである。」(244頁)にらんでもらふまでもなく、團十郎のサイ ンで 悪疫 退散、無病息災である。織田氏は「團十郎の霊力をまざまざと見るようで、感動した」(同前)と書いてゐる。團十郎といふ役者にはこれ だけの力があると知つた私もまた感動した。荒事の、例へば曽我五郎でなくとも良いのである。團十郎といふ名を背負つてゐるだ けで これ だけの力がある、これはつまり江戸の人々、そしてそれに続く時代の人々にまで團十郎が信じられ、受け入れられてゐたことを示す。團十 郎は守護神なのである。大体の團十郎論はかういふ線に沿つて書かれてゐるのかとも思ふのだが、どうやら違ふらしい。青々園と 本書 の 「大きな違ひは、後者において團十郎代々の『聖性』と『信仰』の背景に肉薄したことにある。」(「解説」245頁)これが本書の大き な特徴であつた。代々もこれに沿ふ形で書かれてゐる。初代は「荒事の創始」(28頁)、二代は「家の芸の確立」(52頁)で あ る。か うして代々の團十郎は聖性をまとひつつ進んできた。それが十三代目團十郎白猿に通じるかどうか。本書がこの團十郎襲名記念して文庫に なつたのは明らかである。これが売れるか売れないかといふのもここに関はつてゐよう。守護神團十郎、現れ出でよ。

20.05.02
小谷野敦「歌舞伎に女優がいた時代」(中 公新書ラクレ)の書名 を見て市川少女歌舞伎のことを考へた。阿国歌舞伎ではな い。 ずつと新しい戦後の、一世を風靡 したと言へるであらう市川少女歌舞伎である。先輩からきいたことがある、誰それの弁慶は実に良かつたと。東京で三越劇場、明治座、名 古屋で御園座、京都で南座、大阪で中座、その他の都市でも大劇場で公演して全国を回つた。市川宗家から市川を許されたのであ る。 これ を本格的な歌舞伎と言はずに何と言はう。さすがにこれは本書でも取りあげられてをり(207〜208頁)、豊川の少女達の活躍をかう して読むのは本当に久しぶりのことであつた。その後、少女が成人するに至つて名を市川女優座と改めて公演を続けた。女優座で あ る。本 書にぴつたりの座名ではないか。歌舞伎に女優がゐた時代は決して古き昔のことではないのである。
・とはいふものの、私が歌舞伎と女優を結びつけることができるのは前進座とこれぐらゐしかない。現在の地芝居に女形と女優が ゐる こと は知つてゐるが、これは地芝居、地歌舞伎でのこと、ここでいふプロの芝居、役者とは違ふ。市川少女歌舞伎はプロであつた。だからここ に出てくる。しかし地芝居はアマである。役者が足りなくなれば女優、いや女性でも使ふ。たぶん、その昔は地芝居でも女形しか ゐな かつ た。本書の「歌舞伎に女優がいた時代」は江戸から明治である。若衆歌舞伎、野郎歌舞伎に女優はゐない。寛永6年に「女が舞台で歌舞伎 や舞踊を演じることを禁じた」(23頁)。これは「女が興業として舞台へ上がることが表向きは禁じられて明治に至ったという こ と」 (同前)である。つまり「興業」でなければ江戸時代でも女優はゐたのである。その第一が「藝者」であつて、「歌舞の菩薩」(38頁) と呼ばれたといふ。その二が本書の女優たる「御狂言師」(同前)である。これは要するに大奥、あるいは奥で求められて芝居を する 女 性、いや女優である。もともと歌舞伎役者の弟子で踊りをやつてゐた女性なので、大奥での求めには容易に応じられた。演し物は「鏡山」 や「先代萩」が多かつたらしい。この最後の世代から明治の女優が出てきた。女團洲と言はれた市川九女八である。この人は男の 役者 と芝 居に出た、最も女優らしい人である。明治には他にも女優がゐた。女だけで一座も組んだが、男優にも混ぢつた。最後に資料として九女八 等の出演記録がある。これは名前だけでは男か女か分からない。ただ私の知る役者もをり、この時も、これが男であるならば、九 女八 等は 男優に混ぢつて演じたことになる。例へば、明治33年1月東京座、「寿美蔵猿之助を上置きにした一座でしたが、一番目の嫩軍記での九 女八さんの藤の方が、大変な評判でした云々」(守隨随筆より再引用、113頁)で分かるやうに、ここでは男優に伍して活躍し たら し い。猿之助とも京人形を踊つてゐる。女だけの一座で優れてゐる人はよくゐる。市川少女歌舞伎も成人前の少女だけだからこそ受けたので あらう。しかし、男優に混ぢつて評価されるのは本当に力のあつた証拠である。九女八はかういふ人であつたらしい。この時期に は他 にも 女優はをり、例へば巻末の帝劇女優芝居は昭和の初めまで続いた。ここにも宗十郎、三津五郎等が出てゐる。座組みが変はつたりして松竹 一強体制ではなく、今のやうにがんじがらめになつてゐないことも歌舞伎に女優が存在できた理由であらう。なぜ女優が消えたの か、 これ は本書にはつきりと書いてないが、戦前に現在の形の歌舞伎ができた(208頁)らしい。明治は歌舞伎芝居の変革期であつた。本書は変 革期の歌舞伎を知ることのできる書であつた。

20.04.18
阿辻哲次「戦後日本漢字史」(ち くま学芸文庫)を 読んだ。本書で最も良いと思つた一文は、「点を一つとれば、それだけで国民が正しい漢字を書けるようになる、とでもいうのだろうか。 日本国民もずいぶんと なめられたものである。」(138頁)であつた。これは「臭」の下が本来は「犬」であつたのが、戦後の漢字改革で「大」に改められた ことを言つてゐる。 「漢字は形が複雑で、覚えるのも書くのも大変だから、できるだけ簡単な形にして」(14頁)、児童の学習負担軽減と印刷の労力軽減を といつて行はれたこと であつた。指令はGHQから出た。拒みやうはない。それに乗つて、戦前からの仮名文字論者やローマ字論者が活躍して行はれたのが戦後 の国語国字改革であつ た。その最も分かり易い例の一つがこの「犬」か「大」の問題であつた。この結果として、私達は現在「臭」を使つてゐる。この路線は現 在に至るまで変はらな い。実際、私達はなめられたのである。「民主主義と自由の権化である占領軍の幹部がデータの改竄を依頼するというのは尋常ではなく 云々」(55頁)、これ は国字改革に先立つて行はれた全国識字能力調査の結果に関してであつた。この時の非識字者が2.1%であつたことを漢字改革の妨げに なると危惧して、占領 軍側から調査委員会のメンバーにクレームがついた。しかし、これは後の国語学の大家柴田武によつて突つぱねられた。これがなかつたら 戦後の漢字改革がどう なつてゐたか。占領軍はこれさへも通ると思つてゐたのだから、日本を相当になめてゐたのである。戦後の日本漢字史は、このやうに「ず いぶんとなめられ」て ゐた占領軍の漢字政策からの脱却を目指す歴史であつた。
・著者阿辻氏の戦後の漢字問題に於ける立場は、先の引用からも分かるやうに保守的だと言へる。先の引用に続いてかう述べる。 「『当用 漢字字体表』によって規範とされた字体には、このやうに文字学的に大きな問題をはらむものがたくさん含まれている。(中 略)い まとなってはそれら若干の『問題字』をあげつらって、字体の変更を議論することは決して現実的とは思えない。すでに手遅れとなっ てい るのが、私には非常に 残念でならない。」(138頁)このやうな戦後の漢字改革批判に類する表現は他にもある。「字体表における字体の選定は(中 略)誤 解をおそれずにいえば、ごく少数の人による密室での作業であって、その結果に対する外部からの意見はまったく反映されることがなかっ たようだ。」(124 頁)これなども、あのいかにも不徹底な、所謂新字体がいかなるものであるかを教へてくれる。要するにああであらねばない必然性などは ない。「似ているから 一緒にしてしまった」(同前)だけのことであつた。そして、似て非なる問題が「印刷字形と手書き字形」(191頁)の問題である。ご く簡単に言へば、印刷 された通りに書くかどうかといふ問題である。「教科書や辞書に印刷されているのが『正しい』字形であり、テストの答案などではその通 りに書かないといけな い、という認識が蔓延しているように見受けられる。云々」(192〜193頁)とあるやうに、これはもちろん印刷された通りに書く必 要はない。習慣とデザ インの問題である。はねようがはねまいが「字種としては完全に同じである」(192頁)。こんな当然なことを不明にしたのが戦後の漢 字改革であつた。現在 は目安になつた(これだけでも「脱却」である!)常用漢字表に至るまでにも様々な問題があつた。それらを丁寧にときほぐしてくれる。 さすが中国文学者、漢 字で飯を食ふだけのことはあると言つては失礼であらうか。多くの人に読んでもらひたい書である。

20.04.04
岩原剛編「今川・松平が奪いあった『水城』 三河吉田城」(戎 光祥出版)を 読んだ。子供の頃から身近にあつた城だが、その詳細は知らない。通り一遍の知識しかない。そんな人間が読むと、これは十分に刺激的な 内容の書であつた。本 書は吉田城にまつはる様々な問題を取り上げてゐる。城そのものについて、その構造と文献によつて考へる第一部、第二部と、そこから派 生する第三部からな る。量的には文献による第二部が多いが、私におもしろかつたのは第一部や城の復元に関する部分であつた。ここでは最新の考古学的知見 を踏まへたりして城の 説明がなされる。これが吉田城の何たるかを知らない人間にはおもしろい。
・第三部最初の論考は三浦正幸「今、よみがえる吉田城ーーその建物復元に向けて」である。これは吉田城の櫓復元についての問 題点 の解 決を、現存の他の城に 求めるとでもいふ内容の文章である。まづ「吉田城に関する一般的な感想は」(178頁)と始まる。天守がない、石垣がたいしたことな いなどとある。これは 私の感想でもある。通り一遍の知識しかないとはかういふことで、吉田城はおもしろくないといふのである。しかし、この文章を読むとそ れがまちがひであると 分かる。まづ櫓の数、吉田城は8基であつた。これは「江戸時代の櫓の建て方の理想像だった。」(179頁)大坂、名古屋、明石、福 山、そして吉田でしか実 現できてゐないといふ。だから「吉田城はたいへんに正式で立派な城であった」(同前)。その本丸は三重櫓4基であつた。「三重櫓とい うのは櫓の中でも法外 に大きい櫓である。」(同前)吉田より三重櫓が多いのは大坂、江戸、熊本、姫路、岡山である。「吉田城は天下の大城と評価してもよい のではないか。」(同 前)しかも姫路、岡山、吉田は池田輝政の建てた城である。「吉田城は池田輝政が造った天下の大城といえる」(179頁)となる。これ は驚きである。吉田城 がそんな城であつたとは。これは城そのものに対する評価である。あくまで本丸あたりにあつたであらう櫓の評価である。豊川べりに今一 つの櫓があつた。写真 で有名な川手櫓である。これを写真等をもとにして大きさを推定すると、四間四方の正方形となるらしい。これと「まったく同じ大きさの 櫓が三基ある。」 (181頁)吉田と弘前の二の丸櫓、丸亀天守である。丸亀天守は上の方が狭い。三階は「こんなに小さなところにどうやって立て籠るの か」(184頁)とい ふほどだつた。それでも天守である。復元鉄櫓は丸亀天守より大きいし、川手櫓よりも大きい。これはつまり、吉田城に「天守がないので はなく、天守と呼んで いなかっただけのことなの」(同前)であつた。鉄櫓が天守だつたのである。なぜこのやうなことになるのか。江戸の初めの段階で幕府に 天守と届けたものは以 後も天守であるからだといふ。吉田城鉄櫓は天守とは届け出なかつたらしい。結局、これは「江戸幕府の書類上、帳簿上の名称の問題で あった。」(184頁) 何だそれだけのことかと思ふ。それだけで私は吉田城に天守がないと思つてゐたのである。知らないことは恐ろしい。この、吉田城は天守 のある大きな城だとい ふ認識は本書で共有されてゐると思はれる。だから、鉄櫓の石垣も「現状で地表面から約一二メートルの高さがあ」(18頁)るのは、 「伊勢国の亀山城(三重 県亀山市)と並んで東海地方では最も高い一群になる」(同前)ともあり、ここでも輝政が出てくる。事ほど左様、吉田城は輝政の造つた 立派な城であつた。輝 政は知られてゐても、輝政以降の吉田城を私達はほとんど知らないのである。天守残存は問題ではない。一度ゆつくり吉田城を見てみよう と思ふ。

20.03.21
泡坂妻夫「奇術探偵 曾我佳城全集」上下(創 元推理文庫)を 読んだ。何しろ私はミステリー を知らない。泡坂妻夫を読んだことがない。曾我佳城などといふ奇術探偵も知らない。ただ、全集好きであるがゆゑに全集とつく書に弱 い。本書は正にそれであ る。しかも女流探偵である。これは読まねばなるまいと思つてしまつたのが運の尽き、買つて読むことにしたのである。本書には上下各 11編づつ、計22編集 録、'80から20年にわたって書き継がれたものを発表順に並べてある。登場人物も成長する。さういふ点も含めて、ミステリーといふ ものを知らない人間も おもしろく読めた。
・巻頭の一作「天井のトランプ」は主人公曾我佳城登場の巻である。天井に貼りつけられたトランプから始まる。誰が何のために 貼り つけ たのか、最初はこの謎 解きである。これはすぐ分かる。そして殺人事件である。「小岩の羅生門坂にあるスナックバーで人が殺されました。」(28頁)その天 井にカードがあり、そ の意味が分からない。容疑者3人、アリバイなし。手がかりは天井のカードのみ。それを最後は佳城が解決する……のか、たぶんさうなつ てゐる。ここで佳城は 「中年だがびっくりするような美人」(39頁)で、「中高で黒い眸が大きく、下瞼のふくらみに艶美な匂いが感じられ(中略)そのまま 映画のスチール写真に でもなってしまいそう」(同前)な女性として描かれてをり、もちろん「女流奇術師だった」(46頁)と紹介されてゐる。その佳城のこ こでの謎解きはといつ ても、これがあまり印象的ではない。言はばTPOを心得て登場して事件を解決してゐるのだが、颯爽と登場して鮮やかに事件を解決する のとは違ふ。どこか影 が薄いのである。これを米澤穂信氏は下巻の解説で、「佳城はあたかも水鏡のようだ。」(504頁)しかし「佳城自身がくせのある挙動 をしなくとも、曾我佳 城の存在感は読む者の胸に深く残る。」(505頁)と書く。さうか、では影は薄くないのだと思ふ。私はコナン・ドイルのやうな昔風の 名探偵しか知らないか らさう思ふのであらう。現代の探偵はあんなものではないのであるらしい。さう思つて適当に読んでみる。第二作「シンブルの味」は奇術 用のシンブルを隠さず に飲み込む話である。それだけの技術がないから飲みこむのである。これがポイントである。さうして殺人事件である。佳城はシンブル飲 みを見破つてゐる。そ の延長上で事件も解決する。ここでの佳城は饒舌である。最後の「シンブルなど入っている胃袋は、世界中探しても云々」(91〜92 頁)まで事件を語り続け る。第三作「空中朝顔」は変化咲き朝顔の話である。ここでの主要登場人物は2人、秋子と裕三である。事件は起きない。佳城は朝顔の鑑 賞客として出てくる (96頁)。これなどは「水鏡」とさへ言へない。佳城物だからその女性が佳城なのであらう。佳城を出すまでもないやうな気がする一作 である。このやうに見 ていつたらきりがない。個人的には、佳城の影は濃くないと思ふ。いや、ひかへめといふべきか。しかし、その推理は鋭い。表には出てこ ないが、事件は分かつ てゐる。ある時は雪の温泉旅館に五月女といふ名で勤めて(?)ゐたりする(下197頁)。そこで事件を解決する。「湯の花が浮くほど 硫黄分が多い」 (221頁)温泉がポイントである。奇術ではない。しかし、分かつてゐるのである。かういふ女性だから確かに魅力的であらう。解説で も佳城に「会えたこと を心からよろこんでいるさまは云々」(505頁)とある。さう、やはり佳城はシリーズの主役である。ヒロインたる者、美しく、かつ聡 明であらねばならぬの だと改めて知つた次第。

20.03.07
礒山雅「マタイ受難曲」(ちくま学芸文庫)を 読んでゐる。まだ第2部の途中なのだが、その11章の初めにかうあつた。「長大な受難曲を、バッハがただ平坦に作曲し続けていったと は思えない。《マタイ 受難曲》にもおそらく、表現の重点が存在するはずである。バッハは、受難物語のどこに焦点を定めて、作曲の筆を進めたのであろう か。」(377頁)正直言 つて、私にはかういふ発想はなかつた。ただ漫然と聴いてゐた。いや、聞いてと書くべきであらう。さういふことは考へずにただ聞いてゐ た。内容は二の次、 バッハの音楽だけを聞いてゐた。この少し後に、例のバラバをと釈放者を指名する部分の音楽の、特に通奏低音の「たった三つの音符群に こめたバッハの迫真的 な表現を、このように深く感じるとるファンもいるのである。」(392頁)とあるのと比べたら雲泥の差である。私にはそのやうな発想 も聞き方もなかつた。 世のバッハ愛好家が私のやうな聞き方をしていゐるのかどうか。たぶん違ふと思ふ。ただ皆が皆、言はば襟を正すやうな聞き方をしてゐる とも思へない。その中 間あたりで、曲に合はせてテキスト(歌詞カード)でも読みながら聞いてゐるのではないかと思つたりする。何しろキリスト教とは無縁の 人間である。受難曲も ミサ曲も鎮魂曲も皆同じやうなものと思つてゐる人間である。私はバッハを、とりわけ宗教曲を「深く感じとるファン」にはなれない。
・本書はマタイ受難曲の総合的な研究書であらう。アナリーゼらしきところはあるが引用譜は少ない。それも最小限である。音楽 的な 記述 はそれほど多くない。 楽譜がないと説明できないとか理解してもらへないなどの部分には楽譜があるが、それ以外には、音楽的記述があつても楽譜のないところ がほとんどである。例 へばイエスの死の場面、「鳴り響く弔鐘」といふ最初の見出しがくる。「〈ああ、ゴルゴダ〉のレチタティーヴォは、われわれを、まった く新しい響きの世界へ といざなう(譜例46) 。前合唱(ト長調)と鋭い対比をなす変イ長調、しっとりとした音色、チェロの奏するピッチカートの響きーーこのチェロのつまびきは、 鐘の響きを模倣したも のである。」(442頁)ここは譜例がある。「強拍がほとんど七の和音(不協和音)となっているため、この鐘の響きは曇り、くすんで いる。」(同前)とい ふのも、譜例から分かる。ただし、その響きをこのやうに認識できるかどうか。それでも、この短い楽譜があるだけで分かり易さが違ふ。 ここは曲中の「表現の 重点」であるからこその楽譜引用なのであらうが、それゆゑに内容的にも重要である。このあたりではその説明も詳しくなる。「覆う暗 闇」の部分、ここでは 「昼の一二時」を問題にする。これが「旧約の表象を背景にふまえて」(449頁)からモーゼが出てきて、更に曲中の「三」の象徴に至 る。その後の、イエス が私を見捨てたのかと叫ぶ場面ではやはり譜例つき、音楽的な説明も詳しいが、その内容となると更に詳しく、ルターやルター派神学への 詳細な言及があり、更 に「なぜ対訳か」などともある。説明も引用も縦横無尽、音楽学だけではとても太刀打ちできない。本書カバーに「本国での演奏にまで影 響を与えた」とある。 これほどの書である。これ一冊でマタイのことは分かると言へさうである。私のやうな聞き方の者には思ふだに恐ろしい世界である。これ くらゐ書けなければ学 問とは言へないのかもしれない。それなればこそ、譜例の少ないのが残念である。本書を読んで、マタイ受難曲のスコアでも買つて1度く らゐはまともに、そし てまじめに聴きたいと思ふことであつた。そんな有益な、正に古典的名著であつた。

20.02.22
・忠臣蔵と言へば歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」である。何しろ歌舞伎の独参湯、これをかければ受ける。そんなにありがたい芝居 であ る が、この物語は史実とはかなり違ふといふ。そもそもその成立過程から怪しい。そんな立場から書かれたのが柿 崎輝彦「忠臣蔵の起源」(幻 冬舎 ル ネッ サンス新書)で ある。柿崎氏は忠臣蔵の専門家と言ふべきであらうか。文学者でも史学者でもなささうで、ひたすらこの事件の文献、史料等を渉猟し てき た人であるらしい。私 などは歌舞伎や文楽の忠臣蔵を観てきた人間であるから、この人のやうな文献史料を通した歴史的な事実関係といふ見方を知らない。しか もそこに近松門左衛門 が絡んでくるとなれば私の想像を絶する世界である。帯には「通説を覆す画期的な論考。」とある。忠臣蔵に近松が出てくるのである。確 かに画期的であらう。
・柿崎氏の考への基本は、「忠臣蔵の語源ともなった『仮名手本忠臣蔵』は近松門左衛門の構想によって始まった」(229頁) とい ふこ とである。決して近松 が書いたのではない。最終的に書いたのは並木千柳、竹田出雲、三好松洛の3人であつた。ただし近松が決定的な役割を果たしてゐた、と いふのである。この合 作を認めることは「立案の経緯や情報源など多くの疑問が生じる。」(同前)らしく、逆に「近松門左衛門による忠臣蔵構想が早い段階か ら想起されていたと仮 定すると(中略)近松の忠臣蔵構想を実現させるべく自然且つ必然性をもった様々な出来事が連続する姿が浮かび上がる。」(同前)とい ふのである。これでも 分かるやうに、氏の考への基本には「仮定」がある。既定の事実としてある事どもを前提とするのではなく、様々な史料渉猟によつて得ら れた知識をもとにして の仮定を前提とするのである。なぜか。「学術社会においては絶対的な確証がない限り、また裏付けの伴わない推論による持説は成立しな いことからか、それ以 上先へは踏み込めていないのが現状である。この状況が続く限りそこからは何も生まれない。」(5頁)そして更に、赤穂事件、忠臣蔵研 究の「史実派と文芸派 との間にはこれまでほとんど交流する機会さえなかった。」(10頁)そんな「現状に一石を投じたかった」(235頁)からだといふの である。忠臣蔵研究の 現状に不満があるから新説を出すといふことでもあらう。これは私にはできない、非常に勇気ある行動である。やはり私は証拠が必要だと 思ふ。丸谷才一「忠臣 蔵とは何か」の諏訪春雄への反論「日本文学研究にはびこるいわゆる実証主義的方法の戯画として恰好のものだろう」(6頁より再引用) といふのが載るが、な いものを出せと言つても無理である。ないものは出せない。実証主義では、ないものでも書いたからには出さねばならない。なければ書く なである。それでは少 しも進まない。それに一石を投じて進めようとするのである。氏の仮定は、近松から初代竹田出雲に忠臣蔵構想が伝へられ、そこから更に 二代目出雲とスカウト した千柳とに伝へられて完成するといふもので、それゆゑに、赤穂事件から50年近くの歳月が経過してゐても近松の準作品と言へる。そ の近松に事件の情報を 提供したのが綿屋善右衛門であり、二人は京都在であつたから何らかの接触があり、そこから近松は材を得たはずだといふのである。ここ には様々な仮定や推論 がある。実証ではない。私にはその当否を論ずることはできない。仮定の積み重ねがいささか眉唾ではないかと思はないでもない。ただ、 かういふ形で忠臣蔵研 究に一石を投じたのは評価さるべきであらう。今後、この成果がどのやうに生かされるのか。完全な無視で終はらないことを祈るばかりで ある。

20.02.08
伊藤秀彦「サジュエと魔法の本」(文 芸社文庫)を 読んだ。おもしろいのだが、その理由の一つは名古屋弁である。登場人物の二人が名古屋弁を使ふ。チュイ人の村長が「なまりのきつい話 し方で『森の外から来 られた方々よ、ようこそわれわれチュイ人の村へいりゃあたなも。」(上150頁)と歓迎のあいさつをする。以下も見事な名古屋弁であ る。次はちよつと違ふ かもしれないが、「幻の丘を望む南の岬の家」(下53頁)の、たぶんまだ若い母親ジュファがサジュエに言ふ、「わたし、魔女だからさ あ、占いは得意なんだ わね。」(下63頁)だわねの語尾や全体の雰囲気が名古屋弁つぽい感じである。ただ、こちらははつきりと名古屋弁と言へるかどうか。 しかし、そんな登場人 物がゐるだけでも楽しい。こんな人物がゐるのも作者が準名古屋人だからである。春日井市出身とある。しかも地方公務員、県か市町村か であるが、名古屋弁の 中で生活してゐる人であらう。だから、よくある紋切り型の田舎言葉より、かういふ言葉、名古屋弁が田舎言葉として使ひ易いのであら う。と言ふより、大いな る田舎と称された名古屋である。そのまま使へば良いのである(、なんてね)。理由の二つ目は作者が「あとがき」で述べてゐるやうに、 「パクったと言われそ うな個所なら、ほかにいくらでもありそう」(下350頁)なことである。例へば最後に出てくる邪神、この言ひ方だけでラブクラフトを 思ひ出させる。実際に その姿は、「あらゆる生き物がでたらめに混じり合ったような、まがまがしい姿。」(下323頁)であつた。この前に具体的な様相が描 かれるが、それは正に クトゥルー神話の邪神そのものである。これもクトゥルー物だと言つてしまつても良ささうな感じさへする。この邪神現るまでのいきさつ もクトゥルーにでもあ りさうで、作者が日頃慣れ親しんだ作品をまねた、パクつたであらうことは十分に察しがつく。こんなのは他にもありさうである。パクる 方が悪いのか、パクら れる方が罪作りなのか。要するに、良い作品はパクられる、これだけのことであらう。
 ・物語は、このやうなファンタジーの常として、舞台をヨーロッパ中世あたりにおいてゐることが多いが、これは違 ふ。 たぶ ん近未来といふあた り、それも魔法が通用する社会である。魔法的存在も多く、魔術師を魔導師、その黒いのを邪導師といふ。小学校でも魔法を教へるやう で、主人公は12歳、 「歴史に名を残す大魔導師の孫でありながら、サジュエは魔法が大の苦手だった」(上13頁)。それなのにある日副題の赤い本を奪はれ さうになつて旅立つて 以来……とまあ、お決まりの成長の物語が続く。これはファンタジーの伝統、パクつたなどと言へたものではない。トールキンも、ルイス も、ル=グインも、そ の他多くの作家達が皆同じことで物語を作つてきた。パクるのではない。正攻法である。そして旅の仲間と出会ひ、ヒロインが現れ……と 物語が続いて「最後の 戦い」、王の戴冠に至る。最後まで型通り、見事なものである。舞台が近未来ならもつとS F的要素がありさうなものだが、これはあくまでファンタジー、魔法的要素が強い。最後の戦いもさうである。といふより、ここでさうい ふのが一気に吐き出さ れる。その最果ての邪神であつた。この物語、さういふ型通りを気にせずに読めばおもしろく読める。大家の作品でも似たやうな設定や進 行等はあるもので、そ れでもそれがおもしろければ良いのである。魔法があつてもおもしろくなければファンタジーではない。私にはおもしろかつた。作者も結 局は楽しんで書いたの ではと想像する。それゆゑにまともなファンタジーと思へる作品であつた。

20.01.25
・江戸末期の牢獄の写実で有名になつたのは黙阿弥の「四千両小判梅葉」であつた。初演時、千歳座の田村某が小伝馬町の元牢役 人で あつ たため、黙阿弥はそれ に教へを受けて書いたといふ。牢名主が遥かの高みの畳の上にゐて……といふのだが、この様子があまりにもリアルであつたといふ。中 嶋繁雄「江戸の牢屋」(河出 文 庫)を 読むと、確かにあのやうな牢屋の状態であつたと知れる。本書にはその牢屋に入るまでの記述もある。「町奉行所同心、そして牢屋同心、 牢屋下男ら六、七人か かりっきりで罪囚を裸にし云々」(16頁)と、実に「仔細に調べ」(同前)たといふ。さうして牢に入る。この時、様々なお仕置き、い や入牢儀礼がある。牢 名主は「見張畳と称して、十二枚かさねの畳の上に傲然とかまえ、牢内の生殺与奪の権をにぎる。」(29頁)牢内に限るとはいへ、圧倒 的な権力者である。以 下、畳1枚に1人の上座、1枚に2人の中座、3、4人の下座、金比羅下と称される小座となると4、5人から7、8人詰め込まれる。ま だ下があるが、ここま ででもその歴然たる差は明らかである。これが牢名主をトップとして11番まで位づけされてゐる。見事な階級社会である。それを黙阿弥 は舞台で見せたのであ る。あまりにリアルであるといふ類の評も、観客に関係者がゐたからこそ出てきた評であらう。著者はこの牢獄を「比類なき地獄社会」 (5頁)と呼ぶ。「江戸 の牢獄は、現在では到底眼にすることのできない、人間ぎりぎりの限界状況をわれわれに垣間見せてくれるのである。」(6頁)その「人 間ぎりぎりの限界状況 を」本書は描く。それは本当に「限界状況」であつた。
・例へば明治元年、つまり慶応4年の小伝馬町牢獄は、「牢内はほとんど立錐の余地もない、といっても過言でない過密状態だっ た。 (原 文改行)当時の牢名主 は豪語して、(原文改行)『畳一畳に、十八人まで詰め込めるーー』」(31頁)と言つたとか。これでは眠れるはずもない。また、牢に 入る前には取り調べが あつた。誰もが素直に白状するわけではない。さうなると拷問である。「幕府四種の拷問は、第一笞打ち、第二石抱、第三海老責、第四釣 責、是れなり」(68 頁)と元与力の佐久間長敬が書いてゐるとか。しかし「たいがいはきつく縛りあげられたときに泣き叫び云々」といふことになつたらし い。これまた大変であ る。牢内はすべてこの調子である。しかし、ここは地獄である。地獄の沙汰も金次第とはここのための言であらう。「お前様、ツルをお持 ちか?」と「新入りの 入牢者の面相を熟視し」(48頁)て牢名主は尋ねるといふ。小伝馬町に来るやうな輩はその点は心得てゐたらしい。ところが、吉田松陰 ともなるとさうはいか ない。「生命のツルを何百両持参したかーー」(136頁)との牢名主の問ひに答へられない。文無しである。それでも金の工面は認めら れ、最終的に松陰は添 役にまで、つまり牢内ナンバー2まで上り詰めた。同じ勤皇の高野長英は、その医術の心得ゆゑに牢名主にまで上り詰めた(176頁)と いふ。同じやうに入牢 儀礼を受けても、出世できる人間もゐるのである。と、まあ、興味は尽きない本書の内容である。何しろ私は牢屋といふものを知らない。 現代のはもちろん、昔 のも知らない。そんな人間からすれば、本書は興味津々であつた。明治の観客が「四千両小判梅葉」を見て驚き、好奇心を満足させたのと 同様に、私もまた好奇 心を満足させた。ただ、例へばいつから牢名主はゐたのか、そして牢内はいつから階級化されたのか等々、歴史的なことが知りたいのだ が、それは本書にはな い。これは別の専門書の分担であらうか。しかし、おもしろかつた。

20.01.04
京極夏彦「書楼弔堂 炎昼」(講 談社文庫)の ヒロインは天馬塔子であらう。塔子が導いた人物達がこの弔堂で一冊の本を選ぶ。いや、弔堂主人から薦られる、それが物語となる。ただ し、多くの物語にはヒ ロインの他にヒーローもいる。本書も同様で、それが松岡國男である。この二人、物語に必ずといつて良いほど出てくる。颯爽とと言ひた いところだが、実際に はとてもさうはいかない。二人ともいかにも悩ましげである。塔子は女性としての生き方に悩んでゐる。松岡は新体詩を捨ててどうするか を悩んでゐる。この2 つの悩みがそれぞれの物語の登場人物にまとはりつきながら、ライトモチーフのやうに物語を作つていく。19世紀から20世紀に移りゆ く時代の物語であつ た。登場するのは田山花袋、添田唖蝉坊、xメ友吉、平塚らいてう、乃木希典、そして勝海舟も加はる。唖蝉坊は有名な演歌師だからわざ わざ書くまでもない か。友吉は千里眼や念写を学問的に極めようとした人ださうで、生まれる時と場所をまちがへなければといふ感じであつたらう。私は初め て知つた。本書はこれ らの人々の織り成す物語、「迷える人々を導く書舗の物語」(帯)である。
・そもそも弔堂は書店、本屋である。本屋は江戸時代でも本を店先に並べてゐた。ところがここは違ふ。「それは、迚も迚も大き な建 物な のに、不思議に景色に 馴染んでいて、ともすると見逃してしまう」(36頁)やうな建物で、塔子自身も「そもそもその建物が何なのか判」(37頁)つてゐな いのであつた。それで も心当たりの場所へ松岡、田山の2人を案内して行つた。そこは書舗であつた。新体詩から自然主義文学に進まうとする田山に対して、松 岡はまだ迷つてゐた。 「私は既に、詩作に情熱を注ぐ気になれなくなっているのです。」(88頁)主人は、「その進むべき道が見定まってから、またお出でく ださい」と(89頁) いふ。さうして塔子と松岡は弔堂の客となつていく。夏の炎昼のことであつた。これが本書第1話の「事件」である。以下、「普遍」「隠 秘」「変節」「無常」 「常世」と続く。何か思はせぶりな並べ方ではないか。事件が起き、いろいろあつて、最後は世は無常で常世を目指す。季節は夏に始まり 正月に終はる。本当は 1年以上経つてゐる。しかし、雰囲気は塔子の祖父の病気から死へと暗くなつていく。松岡もまた最愛の人の死に近づいてゐる。常世とは 常世の国の意味であら う。不老不死の仙境か、黄泉の国か。死者の国が、たぶん、近づいた。しかし、春が来れば明るいのである。最後に2人に示された書 は……これは書かないでお かう。少なくとも松岡には、新体詩に代る新しい世界が開けることを教へてくれるものであつた。いつ果てるとも知れずに松岡にまとはり ついた悩みも巻末に至 つて消える(ことになる)、たぶん。これは予想されたラストでもあらう。ならば塔子はと思ふ。結局、塔子は新しき女性として生きるこ とになるのであらう か。それを象徴させるものとして、かの書は選ばれたのであらうか。私にはよく分からないのだが、塔子にも分かつてはゐないのかもしれ ない。ただ、勝海舟の 「声が聞こえたような気が」(540頁)したといふ。これは、塔子がそれを肯定的に理解したといふことであらう。いづれにしても「そ れはまた、別の話なの でございます。」と例の調子で終はる。この続編があるのであらう。悩み深き女性の物語であらうか。それを待たう。ちなみに、初めの二 話はこの部分、「別の お話」と書かれてゐる。これは特に意味のないことであらうか。「お」の有無は行数には関係ないから、たぶん、気にすることはないと思 ふのだが、それでも気 にした次第。



「Mac等日記」 を読む。

未読・晴購雨読・つん読  2019.12 を読む。
未読・晴購雨読・つん読  2020.06 を読む。
未 読・晴購雨読・つん読  2020.12 を読む。

未読・晴購雨読・つん読  2021.06 を 読む。
未 読・晴購雨読・つ ん読  2021.12 を読む。
未読・ 晴購雨読・つん読  2022.06 を 読む。
未読・ 晴購雨読・つん読  2022.12 を 読む。




  

お名前:   email:

ご感想:

ご意見、ご感想を入れていただいた後、1回だけ送信ボタンを押して下さ い。
お名前、emailアドレスは差し支へなければご記入下さい。
送信を押しても画面は変はりませんが、正しく送信されてゐます。




トッ プページ 目次歌 謡文学 関 係資料  /短 歌短 歌 2短 歌3短 歌4 腎移植後月録雑 感

ご意見、ご感想等は こ ちらへ。