長野県飯田市上村  下 栗 の か け 踊 り か ら(平 成 8 年)


   長野県飯田市上村  下 栗 の か け 踊 り か ら を詠む。



 前号に続いて下栗である。このやうに続けて書くことができるとは予想もしてゐなかつ た。それができることになつた。有り難いことである。
 前号の下栗で対象にしたのは平成19年(2007)のK.I.氏撮影のビデオによるものであつた。復活後であるから、その詞章は断 片のつなぎ合はせといふものであつた。しかもその一部は歌はれてゐないものである。これはいかにも残念だがどうしやうもない。歌はれ てゐない部分は採譜から外すしかない。さうしてまとめたのが前回であつた。
 例の如く、まとめた前号を送つたところで何人かの方からお便りをいただいた。その中の一人、東京都のK.O.氏からいただいたお便 りには驚いた。25年ほど前に下栗のかけ踊りに行つたことがあり、その時の8ミリビデオを見ると、現在歌はれてゐない4つの詞章が歌 はれてゐる。そのビデオをDVDにしたものを送ると書かれてゐたのである。あるところにはあるのだ、さすがOさんと、今回もまた先達 のゐるありがたさを思ひ知つたのであつた。
 確認のために、まづ下栗とかけ踊りの大体を記しておく。
 旧長野県下伊那郡上村の「下栗は長県南の飯田市上村、南アルプス聖岳の麓、遠山谷本谷川を遡った最奥の集落である。標高七〇〇〜一 〇七〇メートルの急傾斜地(最大傾斜三十度)に拓かれ、日本のチロルともよばれている。過疎化が進み平成二十一年八月現在、世帯数五 十二、人口一一九名。昭和三十年代の人口は三〇〇名を超えていたという。」(「『下伊那のかけ踊』調査報告書 平成二十一年度文化庁 『変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業』」30頁、以下「下伊那」と略す。)現在は更に過疎化が進み、令和3年7 月末現在の戸数は40、人口84であるといふ。
 下栗は拾五社大明神の霜月祭で有名である。これは雪も降らうかといふ12月、冬の祭りである。一方、夏にはかけ踊りがある。同じく 拾五社大明神で行はれるが、こちらは「支那事変が起きた昭和十二年ごろ中断し、戦後まで行なわれることが無かった。昭和四十七年四月 『下栗のかけ踊り』として復活したが、三十六年間という長いブランクがあり(中略)昔通りの復活は出来なかった。」(「下伊那」30 頁)といふ。それが詞章に現れてゐる。これは、以前の詞章(「南信州上村 遠山谷の民俗」401〜404頁、以下「遠山谷」と略 す。)のいくつかから、各詞章の最初のあたりを中心に抜き出してまとめたものであつた。しかも現在は、その中でも歌はれない詞章があ る。

○一、東西東西 御鎮まれ
鎮めて御唄を 御聞きやれ
○一、遠山様の 一の御門をながむれば
つばめが二羽来て 巣を掛けた
○一、今日も出て来て 一巣掛け
三巣、四巣、七巣、八巣掛けた
一、遠山様の扇子かかりて
五葉の松 一の小枝に米がなる
○一、二のや小枝に 銭がなる
三つの小枝は 宝なる
一、米倉 銭倉 宝倉
四方四面に 蔵を建て
○一、橋の上で 魚を釣れば
十三子女郎が 水を汲む
○一、魚釣竿を さらりとなげて
十三子女郎が 腰を締める
一、此の天竺の 黒雲御覧
富士の御山を 巻きまわす
○一、此の天竺の 二つの池で
十三子女郎が 菅を刈る
一、水は出もせで 泉差す
黄金の茶碗が 千揃い
○一、踊りをやめて 稼ぎをなされ
また来る冬も 雪が降る
○一、式に申せば まだ長けれど
作り小唄は 此れまでに(くりかえし)(「下伊那」38頁)

上記の○が付されてゐるのが現在歌はれてゐる詞章である。付されてゐない「遠山様の扇子かかりて」「米倉 銭倉 宝倉」「此の天竺の  黒雲御覧」「水は出もせで 泉差す」の4章は、現在は歌はれてゐない。「下伊那」には次にやうにある。

平成二十一年八月十五日現在、下栗のかけ踊りで歌う唄は、昭和四十七年当時に比べ、下記の変化が出ている。@右の唄十三番のうち○印 のみを歌ってかけ踊りを踊り、他は省略している。A最後の《踊りを止めて稼ぎをなされ…》は、六番の《米蔵、銭蔵、宝蔵…》の次に挿 入し、七番の唄として歌っている。B最後にもう一度繰り返して歌う唄は、《式に申せば、まだ長けれど…》の歌詞一節のみである。 (34頁)

上記@は既に記した。Aについては、前号の平成19年のビデオを見る限り、この「踊りをやめて」は前に移つてはをらず、そのまま終は りから2番目に歌はれてゐた。この間に位置が変はつた、もとにもどつたのかどうか。Bの「式に申せば」は繰り返して歌はれてゐる。他 は、繰り返しなしである。
 今号で採譜したのは、@の○のつかない4章分、つまり後に歌はれなくなつた4章と最初と最後の3章、合計すれば7章分である。最初 の1章は太鼓の関係で、最後の2章分は必ずしもここで採譜する必要はないのだが、つなげて採譜してしまつたからには、終はりもきちん としておかうといふことである。ABに関連して、この段階で「踊りをやめて」は7番目ではなく、後から2番目に位置し、最後の「式に 申せば」は繰り返されてゐるといふことを示す意味もあるとは言へる。
 今回のビデオでも拝殿内、境内、下栗交流会館前の3カ所でかけ踊りが行はれてゐる。ただし、境内の踊りでは、「東西東西」「今日も 出て来て」「二のや小枝に」「橋の上で」「魚釣竿を」「式に申せば」の6章が歌はれてゐるだけで他は歌はれてゐない。この点を K.K.氏に確認したところ、拝殿内での踊りはともかく、他の場所については、時間や天候等の関係で全部を踊らないことは今でもある とのことであつた。この時も何らかの事情で一部しか歌はなかつたのであらう。
 これ以外に、2つのビデオで他と違ふところは最初の太鼓のリズムである。この部分の笛と鉦は決まつた吹き方をしてゐないやうに思は れる。現在は決まつた笛や太鼓で行はれてゐる。ところが、今回の平成8年(1996)のビデオでの鉦と笛は、言葉は悪いが、適当にや つてゐるかのやうに聞こえる。3回とも異なる吹き方、打ち方であつた。笛は、歌ひ初めの前に笛のみで一度吹くといふわけではなく、鉦 は最後の2小節あたりを打つかと思へば、最初から打つてゐたりする。採譜ではそれを前号にならつて同じやうに記してある。必ずしもこ のやうにはなつてゐないのである。
 これもまたK.氏に尋ねたところ、現在はまづ伝承しなければならないといふことがあるので決まつた笛や鉦、太鼓になる。ところが、 笛や鉦、太鼓の決まつた打ち方は以前からあつたはずだが、以前は伝承といふことは考へてゐなかつたので、決まった打ち方、吹き方を守 ることは考へなかつたのではないか。それぞれが自分なりの考へで吹いたり打つたりしてゐたのではないかといふことであつた。
 これに対して、太鼓は一貫して同じやうに打つてゐる。大雑把に書けば、ターンタ タンタタ タンタンタン、ターンタ タンタン タンタンタン、タンタタタンといふやうなリズムである。前号との違ひは、2度目の縁打ちの後がターンタタンタタではなくターンタタンタンとなつてゐるとこ ろである。採譜の3小節2拍目はタンタタと十六分音符が使はれてゐるが、5小節2拍目はタンタンと八分音符のみである。これゆゑに右 手、左手の打ち方も前号とは違つてくる。これもK.氏に確認したのだが、この違ひについてはよくわからないらしい。ただ、少なくとも 25年前はこのやうに打つてゐたとは言へる。
 もう一点、詞章である。現行の「遠山様の扇子かかりて」と「作り小唄は 此れまでに」である。これもまたK.氏に確認したところ、 両方とも25年前の「遠山様の扇子をかりて」「作り小唄は 此れまでよ」が本来の形だと言はれた。小さな違ひである。しかし、「扇子 をかりて」の方が意味は明らかである。いつかは分からないが、どこかの時点で変はつたのであらう。この変化以前の詞章は「下伊那」 34頁に出てゐる。「昭和四十七年四月、下栗のかけ踊り復活に際し、古老たちが記憶を辿り、復元した『下栗のかけ踊りの唄』」(「下 伊那」34頁)である。
 なほ、前号の繰り返しになるが、下栗のかけ踊りの音階は民謡音階である。開始音D、終止音H、使用音はGHDEGの5音である。笛 は開始音D、終止音E、使用音はHDEGの4音である。以上からHDEのテトラコルドが成立して民謡音階となる。詳細は前号をご覧い ただきたい。
 一つ訂正をしておく。前号の採譜中に一の枝は出てこなかつた。今回の「遠山様の扇子をかりて」が一の枝である。これについては既に 記した。「下伊那」に「遠山様の 扇子をかーりて五葉の松、一の小枝に 米がなる」(34頁)と出てゐる。これが本来の詞章である。 だから、今回そのやうに採譜した。ところが、前号採譜の「二のや小枝に」の部分をまちがへて「一の小枝に」としてしまつた。本稿を書 かうとしたところで気がついた。迂闊であつた。「遠山様の扇子」の詞章を歌はないことが原因による私の思ひ違ひであらう。ついでなが らではあるが、ここで訂正をしておきたい。
 今一つ、最後から二番目の「踊りをやめて 稼ぎをなされ/また来る冬も 雪が降る」についての補足をしておきたい。これと同じ詞章 は水窪の下組にあると書いた。返しの踊りである。それを次に記す。
 
笠間を揃へてやれ若い衆〳〵/返しの踊りを見せましょう〳〵/踊りをやめて稼をなされ/又来る冬も雪が降る〳〵/踊る若い衆みな親 がゝり/我らは家もちいざ帰れ〳〵(「水窪町の念仏踊」142頁、下組返しの踊り)

型通り返しの踊りを見せると始まり、踊りをやめて仕事をしよう、稼がう、若い衆は親がゐるが私達には家があるから帰らうといつて、 「末を申うせば未だ長がけれど/返しの踊りは之れまで」(同前)とやはり型通りに終はる。内容的にはかなりリアルで生活感にあふれた 詞章と言へさうである。
 この詞章について、その後、改めて水窪を見直したところ、更に、西浦上組の第三おいとま、中組返しの踊り、大野おいとま踊りの三カ 所にもあると分かつた。以下の如くである。

〽おいとまおどりを見せませう/あんまりおどるとせいみがつきる かたなをまくらにひとやすみ/おどりをやめてかせぎをなされ 又来 る冬も雪が降る/おどる若いしゆ皆親がかり われらは家もちいざかへれ(同前129頁、西浦上組(3)第三 おいとま)

踊る若衆皆親がかり 我等は家もちいざかえれ/踊りをやめて稼ぎをなされ 又来る冬も雪が降る(同前133頁、中組返しの踊り)

踊る若い衆 みな親がかり 我らは家持ち いざ帰る/踊りをやめて お稼ぎなされ/また来る冬も 雪が降る また来る冬も雪が降る (同前161頁、大野おいとま踊り)

詞章はいづれもほとんど同じである。歌、踊りは返しの踊り、おいとま踊りであるから、もてなしを受けた後にお返しとして一踊りする時 の踊りであらうと思はれる。この後はそのまま訪れた家を辞去するのである。だから、これらはほぼ同じ意味内容の踊りであらう。それで も、その詞章の細部に違ひがある。
 下組と上組は、最初が違ふだけで他は同じと言へる。中組と大野は「踊る若い衆」と「踊りをやめて」の2章がこの順序で歌はれる。こ の上中下の三組は西浦田楽で有名な西浦(ニシウレ)である。中組は上組、下組と比べると、最初がなくなり、続く二つの詞章の順序が逆 になつてゐる。
 中組の場合、「〽返しの踊りを見せましょうよ」と始まるのだが、その後に「返せ返せが所望なれば」といふ、これまたかういふ(たぶ ん)もてなしのお返しの場での決まり文句が続いてやつと本題に入る。「春の初めに塩水汲めば 波に柄杓を取られた/南の方から打ち来 る波よ ひしゃく返せよこのお波」(同前133頁)の2章の後に「踊る若い衆皆親がかり」と続いていく。さうして「又来る冬も雪が降 る」の後に、「稲穂の上にあがりし露も かや穂の上にあがりし露も/潮目がさせば根へかかる」(同前)が来て、「末は遙遙まだ長けれ ど 返しの踊りはこれまでに」と型通り終はる。つまり、ここで「踊る若い衆は云々」は他の詞章とともに返しの踊りに組み込まれてゐる のである。しかも、この2章の内容は前後の水に関係あると思はれる詞章とは明らかに違ふ。リアルで生活感がある。それゆゑに、私には 浮き上がつてゐるやうに見える。もしかしたら、後からここに入れられたのかもしれないとも思はせる。
 大野ではこのやうなことはなく、「〽おいとま踊りを 見せましょう」(同前161頁)と型通り始つた後に、「踊る若い衆」「踊りを やめて」が続き、最後は「末ははるばる まだ長けれど/おいとま踊りは これまで」(同前)とやはり型通り終はる。大野の場合、初め の詞章が上組、下組とは違つて型通りのものである。さうして次の2章は順序が逆になつてゐる。そこで最初がなくなりと私は考へたのだ が、実は、型通りに始まり型通りに終はる大野が本来の形だと言へないわけでもないであらう。これは既に分からなくなつてゐることであ る。
 この水窪に対して、下栗は「踊りをやめて 稼ぎをなされ/また来る冬も 雪が降る」だけである。これが本来の形であれば水窪で「踊 る若い衆みな親がゝり/我らは家もちいざ帰れ」(下組)が付加されたことになる。だから、「踊る若い衆」が前に来たり後に来たりした のかもしれない。ただ、水窪の現状から言へることは、この詞章の伝承地は水窪の方が多いといふことである。伝承地点が多い方から始ま つたかどうかはもちろん分からない。それでも、少なくとも下栗の古い詞章、「岡井一郎氏の採集した唄」(「下伊那」34頁)にこの 「踊りをやめて」がないといふことは、指摘しておいても良いことであらうと思ふ。後考を俟ちたい。
 最後になつた。本稿を記すにあたり直接的、間接的に多くの方々のお世話になつた。下栗のK,K,氏には直接的に様々なことをお教へ いただいた。東京都のK.O.氏には、かけ踊りのビデオテープを貸していただいた。その他にも多くの方々のお世話になつた。末文なが ら、記して謝意を表したい。

        〔 凡    例 〕

1 以下の採譜は平成8年(1996)8月15日にK.O.氏が現地で撮影したビデオテープによる。場所は拾五社大明神とその周辺で ある。
2 非西洋音楽である日本の<民謡>を五線譜に記すこと自体、無理を承知で行つてゐることである。また、採譜とは、採譜者といふフィ ルターを通した、<民謡>の整理と合理化の作業に他ならない。従つて、以下の楽譜はその歌の大体を示すものでしかないと御理解願ひた い。旋律、音高、リズム、強弱等、これらのいづれもが確定的なものではない。歌ひ手により変化するし、同じ歌ひ手でもいつも同じやう に歌ふとは限らない。特に、リズムでは、八分音譜二つが三連符になつたり、付点八分音譜と十六分音譜符になつたりするのは当然のこと とされたい。
3 速度表示は、非常に大雑把なものであるが、採譜の対象とした録音のものである。これも前項の如く当然<揺れ>があるものと御理解 願ひたい。
4 この楽譜は実音表記ではないし、必ずしも歌はれた原調で記してもゐない。tetuの考へで整理してまとめたものである。


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