アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズムにおける
悪魔の返答
Gaspare Bullinger 編
目 次
管理人
2008年9月3日に言及した書物の英語版が手に入った。
手に入ってしまった限り、私としてはどうしても表示しておかないわけにはいかない。(病気)
その英語版を、多少ドイツ語(原語)のサイトを参照しつつ、試訳した。
両者は多少違っていたりするけれども。
“ドイツ語のサイトを参照” とは言っても、私には機械翻訳に頼りながらの “単語の照らし合わせ” 程度のことしかできないけれども。
翻訳は悪霊の声明(自白)の部分だけとした。
つまり、筆者や訳者の文章は、一部の例外を除き、割愛した。
章などの構成は、ほぼ、ドイツ語のサイトに従った。
英語版では4章あるだけであり、分け方があまりに大き過ぎるので。
本文中の亀甲括弧〔 〕と小文字(時々 * が付いている)は管理人。
あまり多くはないが、太文字や色文字による強調も管理人。
丸括弧( )は著者あるいは英訳版の訳者によるもの。
管理人の感想
アンネリーゼの物語は、世間では映画『エミリー・ローズ』によって単なる “悪魔憑き” の物語としてしか知られていないけれども、カトリック的に受け取った場合、そこからこれほどのもの(内容)が出て来るのです。
そしてそれは、内容といい、調子といい、なんと『
他界からの警告』と似ていることか。
時期的にも重なっています(他界: 1975〜1978年、アンネリーゼ: 1975〜1976年)。私は、これはこの時期に、天国が
──天国も人類を相手にする以上、時間、“時機” 、“時代” と云ったものと無縁ではないでしょう
──人類に対して大いなる警告を与える
必要を感じておられたからである、と解釈します。
勿論、「天国がエクソシズムの中で悪魔達を “使役” し “強制” して教会の危機に関して人類に重要な警告を与える、などということは絶対にあり得ない」と “断定” し “断言” する人は──このような事の “可能性” に関してさえ、“検討空間” というものを内面に一切持ち合わせておられない方は──お読みになっても何の益もありません。
他方また、『他界からの警告』をよくご存知の方にとっても、ここには新規の内容は特にありません。これを読んで私達が手にするのは、幾つかの事柄に関する──手による聖体拝領に関する、聖体拝領における跪きに関する、教会の全般的な信仰の低下(見失い)に関する、パウロ六世教皇様が実は「悪い教皇」ではなかったことに関する、そして悪魔はルフェーブル大司教様が嫌いであることに関する──「再確認」です。
2011/03/30
ヨハネ・パウロ二世教皇様とアルト神父様(1996年1月26日)
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