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20. エクソシストと他の人々について
ユダ
1975年9月29日
(レンツ神父に対して)
お前は奉献されている。酷いことだ。俺はお前を連れて行かない。お前はそれ(聖母)の保護下にある。
ノー! 俺を名前で呼ぶな!
俺はお前が中国にいたことを覚えている。ずいぶんと邪魔をしてくれたからな。(笑いながら)お前の言葉は分からないな。いや、分かるとも(中国語でも)。
俺は、出来るなら今日にでも、喜んでお前に毒を盛ってやる。
(司祭が中国語で祈っている時)
(ハ、ハ、ハと笑いながら)俺には分からないな。
(外国訛りのような変な呟きで)いや、分かるとも。
ルドウィク神父
[1]
について
フランクフルトの奴には何度か追い出されたことがある。しかし、彼はもう出来ない。もう歳だ。
アルト神父について
エトレーベンの奴は俺を暴きやがった(口を割らせられた)。
ハイン婦人について
( X ハインに)お前の妻は俺に十分な損害を与えてくれた……あそこ……ダミアーノで……お前の妻、あの呪われた女。
[2]
ゲルトルード(アンネリーゼの妹)について
もう一人の奴はポルトガルのあそこに行き、それ(聖母)について説教し、1917年の現象についてレクチャーしてまわっている。しかし今時誰もそんなことを信じない。こいつは俺から多くのもの〔霊魂〕を奪った。あの洟垂れ、馬鹿者、呪われ者。そいつはもう直ぐここに到着するだろう。
[3]
ロズヴィータ(アンネリーゼの妹)について
ロズヴィータはそんなにたびたび教会に行ってはならない。何故なら、それは俺が憎むことだからだ。祈りによって人々が救われるからだ。
[4]
ルシファー
1975年10月27日
ルドルフ・グラバー司教(レーゲンスブルグ)について
グラバー司教は俺にとって、もう長い間、一つの棘だ。
[5]
1975年10月22日
聖パウロについて
パウロはキリスト教徒を素晴らしく迫害した。しかし〔その後〕俺から多くの霊魂をかすめ取った。
聖ヴィアンネについて
アルスの司祭。俺達は彼とだいぶやり合ったものだった。もし俺達が自由だったなら、もっとやってやったところだ。しかし、俺達は、俺達を繋いでいる鎖の範囲でしか動けなかった。
1976年1月23日
アルノルト神父
: 背教的思想はお前が原因だな? たとえばキュンクのそれだ!
ルシファー
: そうだ。そして他にもある。
アルノルト神父
: ルフェーブル司教?
ルシファー
: ハッ、あの男。しかし、誰も彼を信じない。お気の毒!
アルノルト神父
: 誰が「お気の毒」と言ったんだ?
ルシファー
: 俺じゃない!
[6]
管理人注
[1]
Father Adolf Rodewyk(1894-1989): イエズス会の司祭で、エクソシズムの権威らしい。その方面の著書数冊。アンネリーゼのエクソシズムにも関わっており、この本でも、この神父様がユダと言葉を交わした場面があった(
参照
)。裁判の時、参考人として呼ばれたようである。
[2]
番外
に付けるドイツのドキュメンタリー・ビデオの中に「ペーター・ハイン」と「ティア・ハイン」という名のおそらくはご夫婦であるだろう二人が登場する。その人達のことだろう。
[3]
ゲトルードはアンネリーゼの姉妹のうちの三女である。Felicitas D. Goodman著
The Exorcism of Anneliese Michel
によれば、彼女は1974年の夏から “mission helper” としてファチマで働き始めたらしい。
[4]
ミシェル家の子供は、幼くして亡くなった長女マーサ
Martha
の下に、次女アンネリーゼ
Anneliese
(1952)、三女ゲトルード・マリア
Gertrud Maria
(1954)、四女バーバラ
Barbara
(1956)、五女ロズヴィータ・クリスティーネ
Roswitha Christine
(1957)である。
であるから、ゲルトルードが悪霊から「霊魂を奪う」と言って非難されたのは、彼女が21歳ぐらいの時であり、ロズヴィータが同様に非難されたのは、彼女が18歳ぐらいの時である。
ところで、この年代の若者はまだ社会的には何の力もない。ただの娘っこである。まだ子供である。しかし、そんな無力な彼女らが「悪魔を怒らせる」ことができたのである。彼らの手から霊魂を奪うという理由で。
さて、どんな大物政治家が、あるいは有名な大学教授が、彼女らと同じ事ができるだろう。もし信仰と、その少しの業がなければ、どんな社会的力も、名声も、こと
霊魂に対するダイレクトな善き影響力
ということに関しては、この小さな娘達ほどの力もない。確かにそう
断言
していいだろう。この事をよく思い巡らす時、私達にとって大変な励ましになるだろう。
[5]
Bishop Rudolf Graber(1903-1992)
では、ルシファーにとって「長い間、棘」である人、つまりルシファーが「長い間、手を焼いている」と告白するところの人は、どういうお方か。
ドイツ、レーゲンスブルグの司教で1941年以来神学教授、1962年に司教に叙階されたルドルフ・グレイバー司教は1974年に出版され、広く賞讃されたその著「アタナシウスと我々の時代の教会」の中で、エキュメニカルな公会議という手段を使って教会を破壊するという教会の敵どもの公然たる目標を詳しく語っている。彼は、「新しい宗教、新しい教義、新らしい典礼、新しい司祭職」へと導くであろう公会議を預言した破門された革命的司祭カノン・ロカを引用している。グレイバー司教はまた1910年に次のように宣言したフリー・メーソンのバラ十字会員、ルドルフ・シュタイナー博士を引用している:「われわれはそれを宣言する一つの公会議と一人の教皇を必要としている」。グレイバー司教はこれらの預言をコメントしながら、「数年前にはこのことはわれわれにはまだ考えられないことであった。しかし、今日はどうか...?」と述べている。
みこころネット『悪魔の最後の戦い』第5章
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ルシファーが「手を焼く」のは当然である。
[6]
悪魔は「誰も彼を信じない They do not
believe in
him」と言いつつニンマリと皮肉な笑いを浮かべたというわけである。
私達はルフェーブル大司教様の正しさを悪魔に教えてもらう必要はないけれども、しかしこれは一つのしるしではある。
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