5. バーバラ・ワイガントについて
Barbara Weigand
(1845 - 1943)
ルシファー
1975年10月17日
俺達はバーバラ・ワイガントのこともたっぷりと苦しめてやった。
1975年10月22日
聖体の愛の契約 [1] は広められなければならない。が、俺は請け合う、それは広まらない。全地獄がそれに反対しているからだ。俺は聖体の愛の契約を望まない。何故なら、それは俺達の手から霊魂をかすめ取るからだ。
彼らが十字架に釘付けたところの者、ユダが裏切ったところの者〔イエズス〕が、愛の契約を望んでいる!
1975年10月24日
それは教会を建てた者〔イエズス〕も言ったことだ。しかし今日では誰もそれを信じない。彼女〔バーバラ・ワイガント〕は馬鹿にされ、見下された。が、残念ながら、それでもそれは真実だ。バーバラ・ワイガントの書き物はじきに出版されるだろう [2] 。だが、俺の方としても、それをそう簡単には許すつもりはない。
1975年10月22日
司祭: 私達はまだ祈りによって多くの霊魂を救えるのか?
ルシファー: そうだ。心が頑なになった者らをも。しかしそのためには償いをし、犠牲をしなければならない。堅忍不抜の精神をもって、そうしなければならない。お前達はそれをしていない。特に、ナザレ人の生き方に倣わなければならない。バーバラ・ワイガントは、このことをしばしば多く説いた。彼女にしても、それを喜んでしたわけではない。しかし、とにかく彼女はそれをした。自分を修正し、良くなろうとする意志がなければならない。常に。
1975年10月27日
しかし、誰もその契約に入らない。
ユダ
1975年11月9日
シパッハから出た者 [3] は刷新のための正しい者だ。
1976年1月23日
ルシファーはこの者(アンネリーゼ)が気に入らない。何故なら、この者はワイガントの文章を書き写したからだ。俺もまた気に入らない。確かに暗黒の力はこれからますます強大になるだろう。それがその本の中に書かれている。そしてそれは本当だ。そしてまた、上(天国)で空席のままになっている(天使の失墜によって)場所を人間どもが占めるようになるだろう、というのも本当だ。俺達がその者らを苦しめることができるということも。
今世紀にはかつてないほど多くの聖人が出るだろう。しかしまた、俺達と一緒に下に来る者達も多いだろう。人々は信じない。彼らは皆、自分にとって全ては上々だと思い、自分自身に対してあらゆる慰めを言う。彼らは皆、実に馬鹿だ。もし彼らが知っていたなら! しかしその時は〔彼らがそれに気づいた時には〕時既に遅しなのだ。その時には誰一人引き返せはしない!
編者による説明
バーバラ・ワイガントは多くの恵みを受けた農婦でした。彼女は1845年12月10日に生まれ、1943年3月20日に聖者の香りと共に帰天しました。彼女は聖母と大天使ミカエルから、概して信仰生活を刷新することを目的とした──そして特に司祭の生活を刷新することを目的とした──啓示を受けました。このために彼女は「聖体の愛の契約」を設立しました。
彼女の天国の父、キリストの言葉に従えば、創造に先立って、全人類中、その全ての美徳の完全において、マリアに匹敵する女性はないものと定められました。この理由によってマリアは、ある日神の御母となるべく、また天使を支配する者となるべく、神によって選ばれたのでした。ルシファーは神のこの計画を反乱の口実にしました。そしてその反乱は彼と彼の追随者達を失墜させました。それから神は人類をお創りになりました。そしてそれを天使達の失墜によって空席のままになっている場所を占めるべきものとなさいました。
バーバラ・ワイガントは1896年、受けた啓示を書きとめました。それはこの単純な農婦によって発明されるようなものでは全くなかったけれども、教会はそれを真面目に受け取りませんでした。しかしアンネリーゼ・ミシェルはこの啓示に惹き付けられるものを感じ、自分のために注釈を付けるほどでした。彼女の内面生活はそれらの啓示と書き物によって非常に豊かにされました。
バーバラ・ワイガントは自分の貯金でシパッハの教会を建てました [4] 。教会建設の承認を求めてブルツブルグへ行った時、一度などは、彼女は狂人として追い払われました。しかし、その頃はちょうど戦争末期で、ブルツブルグでも他の都市でも多くの教会が破壊されていたので、多くの教会が再建されなければなりませんでした。
管理人注
[1] 聖体の愛の契約(誓約、約束、同盟、協会)
(原文)Der Eucharistische Liebesbund
(英訳版)The Eucharistic covenant of love
[2] 出版された。ドイツ語で。PDF集
[3] バーバラ・ワイガントのこと。シパッハ(Schippach)はドイツのミルテンベルクの集落で、バーバラ・ワイガントが生きた場所らしい。彼女はそこに私財を投じて教会を建てたらしい。
[4] 教会の名は Sakramentskirche(Sacrament Church)というらしいのだが、しかしどういうわけか、検索してもほとんど何も出て来ない。古い写真はあるのだが。
何らかの理由で、今は存在しないのかも知れない。
参照: 私は読む努力をしていないが、何か有志達がこの教会のことで運動している気配がある。
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