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独白 2023年

二元論の復活ページ

去年までの独白

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補題

 哲学はギリシャ以来の、いや人類誕生以来の最古の学問であり、量子重力から美までを対象にする最大域の学問です。哲学は哲学者それぞれの言説に述べ尽くされません。
 哲学も人類の世界認識である科学の成果を踏まえなければ荒唐無稽な虚妄になります。
 といって、科学各分野のすべてを理解できません。世界の理解は、日常経験世界に生きる自分自身の視界を対象である世界に見いだして始まります。

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お勧めのトピック
二元世界の成り立ち( 6月28日 )
二元論宣言( 7月8日 )
意志の尊厳( 8月4日 )
意志は意識の願い( 8月5日 )
選択の自由の獲得( 8月7日 )
意識表現の特性( 9月11日 )
意識は記憶を基礎に実現する。( 9月22日 )
「不可知論」が正しいのかもしれない。 ( 10月15日 )
簡単な話 ( 12月1日 )

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詩集 「 たらぬ、足らぬは、工夫が足らぬ
202320222021202020192018
存在秩序 
悩み 
人々 
空の色 
哲学 
自由意志 
皆が足る分配を 
どちら様 
自由意志の存在証明 
自戒 
いつもの人 
テロの効用 
911  
さもしさ 
二元世界 
私の前に 
呼吸 
それでも定まる 
権力
民主主義権力
しがらみ
燈火
生き方

進む人
未知
持続可能性
相互表現
人の上に
何とかなるさ
表現
惨憺
程度問題
私の仕事
逡巡

俯瞰
帰省
断捨離
戯れ詩
自己評価
仕事
詰まって
去るべき人
抗って
正義

産む
先衛
踏み絵
剰余価値原理
人間社会
反省
抗して
化石
「なぜ勉強するの?」って? 
勉強
絶望
強い
人の価値

ゴマすり
秩序
夢 か
体系
真理の存在証明
集合論
尊厳
人間性
コミュニケーション原論 
二元論
いじめ
人権
認識・存在・論理

命(意味)
三身
秩序
区別
武器
今宵

未来
革命

「性」か

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2023.12.28
認識の壁
1.物理的制限
物理法則を超えて情報を受容することはできない。
情報は光速を越えては伝わらない。
情報の媒体となる粒子、波動それぞれの運動に制限がある。
離れた空間では同時であることすら意味をなさない。
2.ヒトの認知能力の制限
感覚はヒトの生活に必要な情報に捨象するよう進化してきた。
記憶容量、計算速度、データ処理精度に基本的制限がある。
3.測定の誤差
測定には必ず誤差が生じる。
4.測定による擾乱
測定も相互作用であり、対象への作用を排除できない。
5.量子の偶然性
そもそも物理的存在の基礎に不確定性原理がある。
物理量の値は相互作用が実現して定まる。

「同時」と言えばオーケストラ演奏は指揮者かコンサートマスターに担われているとされる。
音の到達時間の差はどのように調整されているのか。
演奏者か、聴衆の聴覚か、録音ではミキサーか
研究例も「インタビュー調査に基づくオーケストラにおける演奏音の同期方略の検討」が見つかった。
実演家のブログ「オーケストラの奥行き 〜13メートルの壁〜」もあった。

2023.12.25
脳の神経信号処理によって実現している意識は、脳の神経信号処理による表現しか受容、意識できない。
脳の神経信号処理による表現の秩序を理解し、表現の再現を制御できるようになって、脳の神経信号処理を実現している世界を理解できたことになる。
直接意識できるのは表現だけである。
意識が受容する表現を実現している実態は脳の神経信号処理網である。
意識は実態世界と表現世界からなる二元世界として存在する。
意識も再帰して二元世界を実現している。
実態は相互作用して実現するだけであるが、表現は媒介によって何重にも重なって実現する。
存在そのものが実態と表現の二元の実現である。
媒介の最も重なった表現が意識である。

2023.12.19

私の前に
才は無い、努力もできない私
それでも
時々は進める
時々であっても前がある
前を向ける
前を向いていられる

NHK 映像の世紀バタフライエフェクト 「塩の行進 ガンジーの志を継ぐ者たち」を見て

2023.12.11
なぜ勉強するのか?
日々生活している世界はヒトの意識が描く主観世界である。
この主観世界は生物が生き残りをかける進化の過程で獲得した意識世界である。
この意識に描き出される主観世界の元に実在世界がある。
ヒト以外の生き物は環境条件に適応してきた。
ヒト以外の生物は環境条件の激変に種の交替で命を繋いできた。
防ぎようのない不理尽が当たり前のように起きる。
人類は意識世界の普遍性に学び、主観世界を超えて実在世界を探索してきた。
学ぶことで主観世界を超えることができる。
その成果は科学だけでなく、芸術によっても学べる。
人間は生かされるのではなく、生きることを学んできた。
勉強してこそ拓ける世界の眺望がある。

2023.12.01

簡単な話

私である自分の意識は脳神経信号処理によって実現していて、脳神経信号処理の表現を意識している。
私はすべて脳神経信号処理の表現以外の何ものでもない。
私は神経信号入力だけで世界を意識している。
プラトンの洞窟の囚われ人の例えはそのとおり。
私は頭蓋骨の中の囚われ人なのだ。
脳神経信号処理で表現される世界の普遍性から世界の秩序を学び、自らが脳神経信号処理で成り立っていることを学んだ。
脳神経信号処理で表現される世界でよりよく生きるために脳神経信号処理は進化してきたと学んだ。
よりよく生きられる保証などないことも学んだ。
私はよりよく生きるために産み出された。

2023.11.28

二元世界
意識世界にあって
飛び出せない
抜け出せない
誰もが世界感
個に封じられ
蠢くだけの世界

意識世界にあっても
秩序世界を構想できる
普遍的世界観を

2023.11.27
「世界感」等という悠長なことでは駄目だ。
意識は対象世界そのものを描き出し、意識している。
世界は確かめるまでもない、対象世界として意識されている。
意識できている対象が世界である。
意識できない対象は確かめようがない。
意識対象の普遍性を拠り所に客観化して世界観を構築することができる。
世界観によって、意識世界を世界感と言える。
意識対象の普遍性を拠り所に物質世界を理解できる。

自分の外の世界を眺めても、探っても惑わされるだけだ。
それは自分の意識が描いている世界表現でしかない。
自分の内に蓄積される経験を反省し、その普遍性から世界秩序をシミュレーソンし、確かめて世界観を構築する。
外ではなく、内に向かうことが肝要である。

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社会史は社会的物質代謝秩序の発展過程として理解できる。
但しそれだけではなく、欲の社会的組織化の波もある。
働きアリの法則がある。
働き方だけではなく、理想の目指し方、私欲の強さ等様々な人の特性にほぼ正規分布がある。
社会的物質代謝の発展を縦糸とし、欲の社会的組織化が横糸となって歴史を織りなす。
理想実現に向かって前進することもあれば、理想主義者の「正義」につけ込んで現実主義者の私欲が後退させる。
蟻だけでなく人の社会も、社会のどの組織、団体、政党でも。
それでも、人類が生き残るには前進するしかない。

2023.11.05

さもしさ
椅子に掛け、
戦争いくさ煽る者
椅子に腰掛け、
義憤晴らす者

2023.10.31
そもそも物体が何を意味するのかをよく考えてみなければならない.
かつてアリストテレスは,物体を構成する2つの本質的な要素として,質料(ヒュレー)と形相(エイドス)を提唱した.
これらはそれぞれ,今日の物理学者が言うところの物質と物理状態に対応するだろう.
例えば,手紙は紙とインクという物質によって作られているが,他方で文章という情報    すなわち紙とインクの物理状態によって成り立っている.
電子の場合は,質料としての物質はその質量や電荷(あるいは他の恒久的な性質)であり,潜在的な位置や速度の雲がその物理的状態を構成している.
質量ゼロの粒子である光子の場合は,質量はエネルギーそのものであり,物理的状態はその偏光と潜在的な位置や振動数(つまりエネルギーの状態)によって成り立っている.
  ニコラ・ジザン 著「量子の不可解な偶然」p116
改行、字下げを加えている。

存在を構成する2つの本質的な要素として、実態と表現を提唱したい。
表現は相互作用関係の階層を貫いて存在構造を実現する。
紙とインクはそれぞれ分子の表現=物理状態であり、分子は原子の物理状態であり、原子は素粒子の物理状態である。
文章という情報は物理状態としてのコミュニケーションを媒介し、コミュニケーションは意味を媒介する。
それにしても、この本の肝心な「第2章 局所相関と非局所相関」を理解できない。
基礎の基本を理解できずに何をか言わんや。

2023.10.29

911
米国の犠牲
チリの犠牲
驚愕の暴力
通常の暴力
公然の挑発
隠然の抑圧
非対称世界

《 参照 》
東京新聞 2023年12月17日付 時代を読む 「チリの911」から半世紀 中央大学教授 目加田説子
新聞画像

2023.10.28

テロの効用
青天の霹靂
要人テロ
星の雲間に
飛び込む流星
過ぎて早くも
変わらぬ世間

2023.10.25
戦争は命令する者だけに限定すれば良い。
戦争の命令に従う者だけに限定すれば良い。
戦争を拒否、否定する人を巻き込むのは人類に対する犯罪だ。
「戦争」の定義を求める者が出てくる。
抵抗戦争、独立戦争を否定することになってしまう。
殺し合いは命じる者に限定すれば良い。
殺し合いの命令に従う者に限定すれば良い。
殺人を拒否、否定する人を巻き込むのは即犯罪だ。
戦勝支配国の指導者達は祭り上げられてきたが、彼らの打算に人々の命は入っていない。
人の力を拡張する権能は、本人を酔わせる。

2023.10.22
「意識は感覚と感情、そしてその記憶とからなる。」で良いと思う。
感情は身体反応としての情動の意識表現である。
情動は潜在意識の表現であり、情動表現を顕在意識が受容して感情表現になる。
特殊な意識表現として「痛み」と「痒み」、「心地」がある。
痒みは状況の改善を促すが、致命的でない。
心地は「快不快」でもある。
快は依存症を経て、不快は鬱を経て致命的にもなる。
痛み、心地は身体への直接的刺激だけではなく社会的、文化的刺激によっても生じる。
痛み、心地は感覚表現、情動表現が統合されて受容されると解釈できる。

2023.10.21
二元論の単純な説明
意識できている世界と、意識の認識対象世界は全く別物である。
存在次元が異なる。
絶対的存在として確信している世界は意識できる、意識だけの世界でしかない。
意識できている世界は、認識できていると思っている対象世界の極一部のそれも一面的で、誤りを多く含んでいる。
意識世界が対象世界をどれ程正しく反映しているかは実践して検証するしかない。

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デニス・プロフィット ドレイク・ベアー共著「なぜ世界はそう見えるのか」を読み始める。
「意識世界」、「意識している世界」を「環世界(Umwelt)」と表現したのはヤーコプ・フォン・ユクスキュルとのこと。

2023.10.19
不可知論が正しいことは圧倒的多数の人が潜在的に知っている。
だが、そうと認めない人が多い。
科学者は自らの無知を自覚しているから研究を職業としている。
不可知な世界に生きているから、人は未知の何かを信じる。
世界が既知であるなら、信じる必要も無い。
今は未知でも何時か知ることができると信じているから、信じたいから、不可知論を否定する。
自らの正義を信じる者ほど残虐になりうる。

理性は無知であることを自覚する。
悟性は知を実践し、検証する。

2023.10.17
不可知論を批判するには「知るとは何か」を明らかにしなくてはならない。

従来の旧不可知論の根拠は意識できる対象が感覚、感情とその記憶だけであることにある。
外界は感覚、感情としてしか意識できない。
意識は意識できる感覚表現、感情表現以外を知ることはできない。

旧不可知論は実践的に否定される。
対象の理解は身体経験に基づく。(味は食べてみれば分かる。)
経験、体験によって、存在対象の対象表現を受容できる。
人とのコミュニケーションによって獲得する言語での対象表現が知ることである。

旧不可知論は論理的にも否定される。
感覚、感情で表現される対象間相互関係の普遍性は認識可能である。
存在秩序は普遍的であり、感覚表現、感情表現にも反映され、相互規定関係として受容できる。
対象間の普遍的相互規定関係を表現する論理によって、感覚、感情が表現する対象を知ることができる。

意識が身体で経験する対象との相互作用関係を、対象間の相互作用関係にも適応できる。
身体と対象との関係を普遍的に表現することで、対象間の相互関係も知ることができる。
存在秩序の法則としての科学的認識である。
旧不可知論を否定できる。

しかし、科学的認識も経験知に基づいており、すべての存在秩序を経験できない。
経験できる対象との相互作用関係の普遍化、敷衍化には生理的限界がある。
無限、極限、四次元以上の高次空間、波動であり粒子性でもある物質、量子もつれの非局所性等は経験の対象にならず、知覚できない。
物理原理的にプランク長、プランク時間、絶対零度、光円錐の外は観測できない。
暗黒物質、暗黒エネルギーは知覚できていないから「暗黒」がつく。
言葉としての「物質」の定義はあるが、「物質とはなにか?」を知っている人はいない。
経験できる対象なら知ることはできるが、世界は不可知である。
知は検証できなければならない。

2023.10.16
世界は不可知であるから戦争も始めるし、資源を浪費し、環境を破壊する。
不可知であるから、未知も含めて解釈するしかない。
生物として授かった生き残り能力で世界を解釈する。
解釈に基づき、生き方を選択する。

人も生き物であるからには、自らの力で生き抜くしかない。
君たちはどう生きるか?
1.環境条件に適応して最善を尽くす。
2.理想の環境条件を目指して変革する。
二つの方向性がある。
二者択一ではなく、ベクトルである。
方向性の元になる現在の現実がある。
1.環境条件は歴史的に変化する。
2.自分の適応能力、変革能力は伸ばせても限られる。
原点を見極め、方向性を自らの生き方として定める。

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であるから、世界感に止まらず、自らの世界観を構える。

2023.10.15

「不可知論」が正しいのかもしれない。

物質、存在について知っているつもりになっているのは確かである。
しかし、誰も物質、存在を理解していない。
波でもあり粒子でもある存在を理解できない。
もつれた量子の非局所的存在を理解できない。
知る手がかりもない。
暗黒物質暗黒エネルギーの言葉は知っていても対象としては知りえていない。
隠れた変数が存在せず、決定論が成り立たないのだから認識には限界がある。
科学の完成が不可能ならば不可知論が正しい。

2023.09.22

意識は記憶を基礎に実現する。

意識は感覚、感情、記憶で実現する。
感覚、感情を表現する神経信号が受容されなくては意識は表現されない。
感覚、感情の表現信号以外に意識への入力はない。
薬物であっても感覚信号、感情信号への作用を介して受容される。
感覚、感情はその神経信号表現が記憶されて受容される
神経信号表現を記憶として保持できて感覚、感情は表現される。
神経信号は残像表現として保持されなくては区別も関係も受容できない。
残像は神経信号の保持、記憶である。
視覚は視覚信号が各神経網に保持された表現像を受容する。
ディスプレイ画面の格ドットに信号が保持されて像が表現されるのと同じである。
聴覚は音波信号の時間変化を保持して音響を受容する。
意識である神経信号表現は神経信号を記憶として保持できて処理できる。
意識できない潜在記憶があって意識は実現する。

秩序の表現である区別と関係からして対象を意識に保持できて、記憶できて受容できる。
区別も関係も一つの神経信号で表現することはできない。
区別も関係も複数の対象表現を保持、記憶できなければ受容できない。

意識を実現する信号処理の再帰構造は信号の保持、記憶を前提にする。

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エレガントではないな。
熟考して、整理して表現する必要がある。

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表現を実態とは異なる次元の存在と認めることは、区別と関係の存在を認める解釈である。
物事の実態としての存在とは別に、物事の「際」、「境」を存在と認める解釈である。
実態が存在としての対象であれば、「際」、「境」、「区別」、「関係」も必然的に存在する。
数学、論理の対象を存在と認める解釈である。
「空」、「無」の存在も認める解釈である。

2023.09.21
「点」、「線」等の無定義語には意味は無い。
無定義語は相互の規定関係で意味を表現する。
無定義語は記号接地することで日常経験での意味を表現する。

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意識は感覚と感情と、それらの記憶から成る。
感覚と感情は意識されなくては唯の神経信号表現に過ぎない。
一方、記憶は意識に関わりなく存在し、意識実現の基礎になり、意識の対象にもなる。

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いつもの人
いずこもかすみ、
定まりないこの頃も、
時代、流行はやりにかまけず、
嘆くことなく、
暮らし、工夫し、糧を紡ぐ、
明日を拓く人がいる。

2022.09.16

自戒
人に負けても
己に負けるな

難しい
一事でも

できたなら
また次も

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生物は、そしてその器官、組織も巧妙な存在である。
生物学者であってもその構造、機能を何らかの役割を担っているように説明してしまう。
神の意思、存在の証明と解釈する人もいる。
こうした目的因を認める解釈は後追い論理である。
偶然の組合せの中で、存続できたものが残り、引き継がれ、発展したに過ぎない。
自然選択という、
過酷な環境条件を経て生き残ったのであるから、絶妙であることは確かだ。
しかし、とんでもない無駄も組み込まれている。

2023.09.11

意識表現の特性

意識の特性は世界全体の表現にある。
意識も存在表現を受容し表現しているが、直接相互作用する対象だけでなく、記憶表現を対象にして表現全体、世界全体を対象化している。
意識は世界の表現すべてを受容することはできないが、認識主体を基点に全方向からの表現を受容し、世界を時空間的奥行きで再表現している。

2023.09.08
粗視化の有効性
正規化なり標準化の肝は区別と関係を明らかな表現にすること。
表現ではデジタル化と言える。
桁、ビットの関係を、最も明白な2値で表現する。
実際の値表現がゆらいでも区別できさえすれば事足りる。
雑音と信号の区別さえできればよい。
こうしてデジタル表現化されれば、完全なコピーができる。
個々の値にばらつきがあっても全体は完全な表現になる。

2023.09.07
ニヒリストとしては「ホモサピエンスは自滅する最初の種である」と言いたい。

2023.09.06
物理主義者は心を物質世界の一部として扱い、物理の法則に従うと仮定する。多くの物理主義者は、脳が心の物理的基盤であると考えている。しかし、あるものは汎神論の方向に進み、意識は物理的な宇宙全体に広がると提案する。そして、脳の重要性を受け入れる物理主義者のなかには、意識のような概念を否定している者がいる。これらの特定懐疑主義者(eliminitivists)は、科学がこの奇妙な概念をより正確な記述に置き換えるだろうと主張している。
   ジョセフ・ルドゥー著「情動と理性のディープ・ヒストリー」p281 *2
これらの特定懐疑主義者」はすべての「物理主義者」のことなのだろうか?
これ以外の主張者はどのような解釈の科学者なのだろうか?
この著書全体に言えるが「非意識」という表現で「潜在意識」を意識と認めないのはキリスト教の影響なのだろう。

汎神論に進むとする「意識は物理的な宇宙全体に広がる」のではなく、「物質宇宙全体が表現であり、その表現の一部分を意識として、意識が反映している。」とするのが私の解釈である。
意識が宇宙全体なのではなく、逆に、意識は実態宇宙とともにある表現宇宙の一部分である。
存在は相互作用によって相互に区別し、実態と表現の二元を実現する。物質宇宙世界は実態世界と表現世界の二元で構成されている。
表現世界は実現する相互作用の並起、継起の相互関係を記録している。並起、継起する毎に過去の記録は次第に薄れ、消える。
だが、中には138億年も消えずにしぶとく残る宇宙マイクロ波背景放射もある。
まさに過去の3,000Kの表現が現在も2.725Kを表現する電磁波に媒介されて存在する。それも10万分の1の差を表現している。
表現を媒介する電磁波が電子と相互作用しなかったことで宇宙晴れ上がりの記録を保存している。
一方の実態である宇宙が放射に対して透明となった過程は残っていようもない。
物理次元(物理世界)ではない表現次元(表現世界、表現宇宙)が存在する。
二元世界の解釈は「不確定性原理」、「量子の波動と粒子の相補性」、「量子もつれの非局施性」を解釈するにも有効だろう。

意識としての「我」の特殊性、特権的存在を否定し、汎性でとらえる。意識、「我」表現世界の一部分として位置づける。
意識、人間を特権的存在としては捉えない、「我も自然のうちの存在である」とする東洋思想の特徴であると思う。
仏教の唯識論は物理世界の認識が出来なかった時代制約の下、表現世界での世界解釈である。

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独自の解釈、作品を唯一無二として評価を求める人がいる。
今日、初公判の「京都アニメーション放火殺人事件」の犯人もそうらしい。
私はどうなのか?

2023.09.04
表現は受容されるとともに記録される。
年輪は経年を記録するが記憶ではない。
年輪は表現の再現を蓄積するばかりで、その表現が受容されない。
人が受容、認識することで年代測定、太陽の方向、気候の変化を読み取ることができる。

進化は自然選択結果の記憶によって実現した。
進化を目的因での説明は当たらない。

記憶の存在基礎を明らかにした上で学習の位置づけをしなくてはならない。
記憶は学習に不可欠であるが目的に終わっては記録にすぎない。
再現され、応用されることに価値が実現する。
学習は記銘、記憶の保持、想起、表現の読み取り、表現間の関連付け、表現の応用といったところか。

2023.09.03
表現は区別と関係であり、表現媒体に依存せずに再現する。
区別と関係が同一であれば媒体に差異性があっても同じ表現になる。
複数の同じ表現は複写、コピーである。
生物はRNA、DNAに媒介されてコピーされる。
存在の階層が異なっても区別と関係が同じであれば同じ表現になる。
形、色、音等感覚の対象はすべて媒体を異にしても、変換されても同じ表現になる。
区別と関係の再現が記憶である。
区別と関係は静止した表現に限らない。
同じ変化、運動、過程等の再現が記憶になる。
記憶は神経系、意識に依存しない。むしろ意識の基礎をなす。
サーモスタットは設定温度を記憶する。単細胞生物には走性がある。アメフラシは記憶の実験に使われる。ハエトリソウは触角への刺激の回数を記憶している。多細胞生物には習性がある。コンピュータの記憶装置は機器であって、その記憶に意識、脳は全く介在しない。

2023.09.02
人々は意識(表現)世界を共有することで安心しているのかもしれない。
実態世界に眼を向けず。
チェンバー効果は階級意識に限らない。一元論のチェンバーば広大だ。
何時か来た道、みんなで歩めば怖くない。

2023.09.01
日経サイエンス10月号特集2 p78 G.ブザーキ著「脳は内から世界を作る」同意。
接地(グラウンディング)随伴反射
同意していることは自著「七十過ぎて言えること」で確かめられる。アマゾン・プライム会員はKindle版を無料でダウンロードできる。

NHKテレビでもやっていた。8月17日放送「現実(リアル)はこうして作られる 〜脳科学の最先端をゆく〜
二元論とは言っていないけれど、「意識している世界は脳が創り出している。」との趣旨だ。
「脳が創り出している世界」と「脳が存在している世界」の区別がある。
「二元論」が受け入れられるには何が必要なのだろう。

2023.08.30
改めて「赤信号みんなで渡れば怖くない (1980年ツービートが流行らせた)」意味をかみしめる。
NHK2023年08月30日 午後7:30からの放送「クローズアップ現代 集団の“狂気”なぜ 〜関東大震災100年“虐殺”の教訓〜」を見て。
都知事は自分たちの問題としては捉えていない。

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二元論の復活」ページの作業をしている。
23日の表現の存在を整理する図解を修正した。

2023.08.23
理解は対象秩序を明らかにすること、あるいは、明らかになった対象秩序の表現である。
理解は対象秩序の区別と関係の論理を確認する。
秩序の論理による表現が法則である。
法則によって対象秩序の実現を説明するのが理論である。
理論は対象が実現する環境条件、対象と他の対象との相互作用関係を説明する。
法則で表現された区別と関係は様々に検証され、繰り返し検証される。
理論の説明も様々に検証され、繰り返し検証される。
科学は社会的、歴史的到達点での理解である。
科学は専門家には叶わない。素人は口を挟めない。
専門家以外の素人は専門家の説明を頼りに対象秩序をそれなりに理解する。
ただし、専門家に頼れるのはその専門の理解である。
 
対象秩序の理解は社会的、歴史的により普遍的に拡張されるが、対象のすべてではないし、すべての対象でもない。
科学も観察、観測できる対象、世界の一部分しか明らかにしていない。
解釈は理解できない、不明な関係を含む、全体の関係を対象にする。
解釈は理解に基づく世界全体を表現する。
解釈は世界全体を表現する世界観であり、イデオロギーである。
専門家ではない私も、解釈なら参加できる。
 
世界観、イデオロギーは解釈であるから人それぞれの生育環境、社会的立場によって異なる。
人は社会にあってイデオロギーを共有し、敵対する。
科学的理解を正しく理解すれば、正しく解釈できる。
人々が正しく解釈できなければ、人類は自滅する。

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意識は中枢神経系の信号処理によって受容される表現である。
意識は互いにコミュニケーションして相互作用する。
意識は社会的存在にもなる。
集団心理、建学精神、民族意識、国家意思、等
物質としての人を超えた社会的意識が存在し、戦争まで起こす。
社会的意識が物質存在を超えて存在するように、ヒトそれぞれの意識も物質存在を超えている。

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サーモスタットも設定温度を記憶している。
アメフラシも記憶の実験に使われる。
ハエトリソウも記憶している。
記憶は必ずしも中枢神経系、脳を必要としない。
記憶力だけが知能ではない。
一連の反応過程を再現する機序が実現し、獲得されれば記憶になる。
コンピュータは記憶の塊である。
初期コンピュータのプログラムは無論、ENIACですら配線を組直した。
今日のコンピュータでも起動はブートローダー読み出し回路の通電から始まる。

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サーチャー(情報検索技術者)、パラリーガル(弁護士助手)は人間チャットGPT、昔は人間コンピュータが大勢いた。

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表現の存在を整理するための図解を描いてみた。

  図(jpgファイル)の表示
   [8月30日 一部修正]

2023.08.18
「桁」は「能記と所記」の表現構造を超える表現概念である。
先日、二次元の「ピクセル」を超える三次元の「ボクセル」を『ブラックホール戦争』で知った。
グラフィックスのポリゴンは三次元像の二次元表現であり、ホログラフィーと同じく三次元を表現しているわけではない。
天気数値予報シミュレーション・モデルは三次元+時間次元を表現している。

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「桁」と言えば、大昔、帝京高校受験の数学で「桁」を読めず問題の意味が分からなかった。
通りかかった監督者に尋ねたら「ケタ」と教えてくれた。
あれは不正だったのだろうか?
中学校の学年別漢字配当表には含まれている。
但し、常用漢字に追加されたのは2010年11月30日。
あれ以来「桁」のイメージは強烈。

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人に理解されなくとも、評価されなくとも良いではないか。良い、酔い、楽しければ。
 
表現は受容されて情報になる。
存在として、客観的情報など無い。
存在表現を受容して意味づけることで情報となる。
情報は受容された主観的な対象表現である。
サイコロの何の目が出たかは状態が確定したことを表現している。
サイコロの出目を知る知らないにかかわらず、サイコロの状態の六つの可能性が一つに確定したことを表現している。
その存在表現を知ること、対象表現を受容することで情報となる。
受容する対象表現の情報エントロピーが現象するのであって、存在対象のエントロピーが減るのではない。
情報を知ることに関係のないあらゆる人にとって、情報エントロピーに何の変化もない。
人だけでなく、あらゆる表現を受容しない存在にとって情報エントロピーは少しも変化しない。

2023.08.17

自由意志の存在証明
したい事ができるか?
したくない事を止められるか?
できたいと思い続けられるか?
分かりたいと思い続けられるか?
工夫し続けられるか?
試し続けられるか?
叶うのは偶然かも、
偶然を超えて証明になる。
自由意志の存在証明実験

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進化は身体構造でも人がインテリジェンス・デザイン論を受け入れる位なのだから、機能面でも知性、理性を実現できるのは当然だろう。
物理化学過程を信号処理によって制御できることはサーモスタットで例証済みだ。
データからデータを機械で生成できることも生成AIで実証済みだ。
「自由意志」はそれを超えた物理化学過程への作用として意義づけられる。
 
自由意志の存在を認める人々は、何故二元論を否定できるのだろうか。

2023.08.16
本当に意識は神経信号処理表現を受容するだけのモニターでしか無いのかもしれない。
進化はヒトをおだて、乗せることくらい実現してしまうだろう。
昆虫ですら情報処理をこなしているという。
中枢神経系さえあれば信号処理を超えた情報処理ができる。
意志では抑えきれない衝動もある。
 
それでも、自意識は自由意志を自認している。
しかも達成感も感じる報酬系神経回路も存在する。
ただ、それが自由意志の成果に反応してなのかはまた問題になる。
 
自由意志などなく、願うだけの自由しかないとしても、自由を放棄する自由はない。

2023.08.15
情報処理を並列化できても、データ処理の素過程は線形である。
情報を漏れなく読み込み、処理するにはデータを線形に辿れることが必須になる。
ホログラフィーは三次元の表現であって、三次元の存在の表現ではない。
三次元存在データの線形表現はヒルベルト曲線によって可能になる。

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どちら様
どれ程の者
どれ程の頂
己の視界
問わぬ者
問えぬ者
遙かに滑稽
        小市民

2023.08.14

皆が足る分配を
生きるため
食べる、寝る、呼吸は不可欠
物質代謝を担うこと

人であるため
生産、流通、消費は不可欠
社会の物質代謝を担うこと

人間であるため
創造、共感、享受は不可欠
社会文化を担うこと

実現のため
共助、団結、争議は不可欠
公平、自由、平和を担うこと

政治経済は不可分
経済は生活、社会の基盤
政治は分配、社会の経営

生きるため
働くだけでは足りぬ
皆が足る分配を

先の見通せない時こそ、問題、課題の明確化が必要

2023.08.11
MIXIにアップした。
「意識は神経信号処理に媒介されて実現する」ことは科学に依拠する人々がすべて認めるでしょう。
その意識が意識するのは意識される対象の表現です。
意識できる対象だけが意識に表現されます。
意識できる対象からなる意識される世界が表現されてあります。
表現は表現媒体と受容される表現とに二元化されて成り立ちます。
意識に表現さる元の世界が物質世界であり、その表現としての意識世界が存在します。
意識世界など存在しないとの解釈は意識の自己否定で終わります。
意識にとって世界は物質世界と意識世界の二元で成り立ちます。
 
この解釈は千数百年前の仏教で、唯識論として説かれています。
ただし、当時は物質を解明する技術はなく、物質は認識できない「空」と解釈されました。
物質を探求する技術を獲得した今日、科学に基づく世界解釈、世界観を表現できるのではないでしょうか。

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知性が実現する必然性は存在が相互に作用し、相互に表現することにある。
相互作用が自己組織化して生命が誕生した。
相互表現が自己組織化して知性が誕生した。
相互作用と、相互表現は乖離した過程ではなく、相互依存する過程である。

2023.08.10
足るを知らない自由は暴走である。

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科学者を含め人類は観測できる宇宙の先、相互作用するクオークの対称性、ビッグバンの端緒、膨張する宇宙の結果を知らない。
身の回りの僅かな物事しか理解できていない。

世界のすべての物事は相互に作用して実現し、存在している。
世界の存在はそれ以外の関係にない。
相互作用はほぼ無限の相互関係にある。
作用作用に必然性があっても、確定するのは偶然による。
作用関係の組み合わせ、環境条件には無限の可能性がある。
そのすべてが一斉に確定して実在世界が存在する。
存在するのは確定する相互作用関係だけで、確定する前の過去も、確定後の未来も存在しない。
多世界解釈も成り立たない。

2023.08.09
意識モニター解釈は私が先取したものではない。
千数百年前、すでに仏教には唯識という解釈がある。
その阿頼耶識の機序は当時認識できないため空とされた。
しかし現在、科学が意識の存在基礎をなす空を明らかにしつつある。

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自由意志の存在を主張しても、自個責任の自覚無しでは満足できない。

2023.08.08

自由意志
自由は
夢見ること
願うこと

できないことに
できることを組み合わせ
できるようにと願う

分からないことに
分かっていること取り揃え
分かりますよう願う

工夫し、試し
できますよう、分かりますよう
請い願う

物に任せ、時に任せ
理にかなうなら
何時いつかできる、何時いつかかなう

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詩の体をなさない、でもしょうがない。

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自由に、思いどうりに体を動かせると思えるのは、
これまでの実践経験での訓練のたまもの。
生まれてからの、進化の過程での積み重ね。

2023.08.07

選択の自由の獲得

選択肢を見いだす経験、選択する経験、選択結果を享受する経験を蓄積することで選択の自由を獲得する。
これを躾という。
本能的遊び、親兄姉による養育、社会道徳、自らの価値観の獲得によって躾けられる。
最後に自ら意識して自らを躾けることで自由を獲得する。
選択肢を意識できなければ、選択も意識できない。
顕在意識の信号処理を、躾として顕在化することで自由意志は獲得される。
自分を褒めることが、潜在意識に作用する。
エライヤッチャおだてろゴマすってのせろ
観念が、精神が物質に作用する機序だ。
人権獲得、人権拡張、自由獲得の人類史である。
個人の概念も近代になって一般化された。
保育理論でも一部言われているだろう。
人類の知恵でもあるだろう。
科学が実証していないだけ。

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やはり二元論なのだ。

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「三角形の内角の和は180度である」
「何故180度なのか」
「180」に意味はない。空間上のどの点でも対称性を区別するのは直線であるから。 曲率0の空間での三角形の角の和は直線になる。
「180」が選ばれたのは完全対称性である円を分割表現するには四分割と三分割を組み合わせる十二進法、さらに細分化表現が可能な六十進法が便利だったから。

2023.08.06
人は何故自由意志があると思い込むのか。
自由意志を感じる、自由と納得するのは選択する時。
日常では経験してきた実現可能な選択肢が対象になる。
不可能と分かっていることは選択の対象にならない。
結果を予測できない選択は自由の問題ではなく、賭けである。
やはり、自由な選択ではなく、選択意志が行動を決定できるかどうかが問題になる。
神経情報処理の機序からして自由意志はありえない。
ただし、自由エネルギー原理によれば、潜在意識レベルでの選択反応は可能。
しかし、潜在意識では自由は顕在化しない。
結局、価値観に基づく選択と思えるのは、選択を合理化して納得する根拠としての「自由」でしかない。
結局、自由は潜在意識、顕在意識全体の有り様として実現する。

それでも尚、意識による全人格的自由の可能性を求めたい。
価値観に基づくと意識する選択の結果に達成感を受容する。
達成感は感覚ではなく、情動であり、身体反応である。
自由が制限された納得できない選択には気乗りがしない。
達成感の受容経験が選択経験を身体の反応として方向付ける。
考え方が身につく。
酔っても誤りを犯さない。
個々、個別の選択ではなく、選択経験の蓄積によって価値観が正当化される。
選択を自らの価値観に基づく自由と評価する。
選択経験の蓄積が価値観を育み、価値観に基づく自由な選択として納得する。
自由は必然性の洞察だけでなく、自らの選択基準の身体化である。
自由は勝手気ままでも、自らを律することでもない。
自然体の獲得である。

2023.08.05

意志は意識の願い

意識にできることは願うこと、願い続けることしかない。
できないことはどんなに願っても実現しない。分からないことはどんなに願っても理解できない。
できることは意識しなくてもできる。分かっていることは思い出せる。
意識は物質に働きかけることはできない。
物質に働きかけることができるのは物質である。
意識は神経信号の情報処理に媒介された表現であり、意識は神経信号処理を制御できない。
不可能なことを願うのは無意味である。
解釈だけでは、願いだけではなにも達せられないと人は言う。
何事も実現するのは物質の運動としてである。物質の運動は物理法則の実現でしかなく、願いは通用しない。
環境条件にないことを願って叶わなず、意志を貫けなければ転向する。それは理想ではなく、夢想を願ったのだ。
意識にできることは、できそうなことをできるようになりたいと願い、願い続けることであり、分かりそうなことを分かりたいと願い、願い続けることである。
物理法則を組み合わせ、工夫することで願いは実現する。
工夫を思いつけるよう、工夫を試せるよう願い続けるのは意志の力だ。
祈るのではない、願うのだ。
祈りは他力であり、願いは自力だ。
世界秩序実現の歴史を認識し、自らを構成する秩序を信頼して、秩序の創造を願い続けることしか意識にできることはない。
これを楽天主義という。
安西先生の言葉「諦めたらそこで試合は終わりですよ

2023.08.04
「地上に、宇宙に人間が存在するのは偶然とは思えない微妙な条件が整っているから」というのは確からしい。
どれほど微妙であるかは科学が明らかにするほどに精妙さが増す。
だからと言って神の存在証明にはならない。
神が人間にその存在を証明するためだとするなら、より単純に証拠を示すだろう。
神が人間を試すためであるなら、人間は存在の原因を神に求めず、宇宙の、存在の究明にもっと専念すべきだ。
神が自らの存在証明など求めていないなら、人間が神の存在を問うことに意味はない。
存在は、宇宙は自らの存在証明も、意味証明も求めてはいない。
世界の秩序が意図された設計に基づくのかは、設計されたものに関わりはない。

必然は偶然をとおしてしか実現しない。
可能性があるなら、どんなに確率の低い事であっても実現を否定できない。
無限に対するならすべての可能性は実現しなければならない。

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意志の尊厳

意識は存在表現を受容し、意識として表現する。
神経信号に媒介された対象表現を、身体表現を基準に対象世界として再帰表現している。
ホログラムが対象物の表面を干渉縞に写し取り、干渉縞から立体表現を再現するのと同じである。
故に、意識は対象に作用することはない。意識は対象表現を受容するだけである。
意識は身体と身体を取り巻く世界のモニターに過ぎない。いわゆる「自由意志」は存在しない。

しかし、意識は身体を意識自らを制御しているように意識する。「意志がある、自由意志がある」と意識する。
意識は意識を制御し、身体を制御できると意識している。身体を含む意識を方向付けての努力をできると意識する。
努力、訓練すればできるようになると経験する。
また、意識は意志の存在、自由意志を否定することもできる。放棄することもできる。
意志を肯定するも否定するも、意志を貫くも放棄するも意識のみに許される。
意識の対象存在は意志に干渉すること、意志に作用することはできない。
意志は意識だけが支配する。

意識は意識自らに意識自らを表現し、反省することができる。
また、意識は他者の意識に自らの意識を表現することができる。
他者が受容するか、拒否するかはともかく、表現することはできる。

意志を放棄することは、意識自らの存在を放棄することになる。
諦めは自らの存在を否定する。

結果は現実であり、責任の取り様はない。
意識にできるのは、今の意志を貫くこと。

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意識が存在に作用する機序を求めてたどり着いた。

2023.08.03
「立体的な3次元の世界はある種の幻覚で、現実のものごとは空間の境界面で起こっているようにみえる。   ブラックホール戦争』 p519」は逆でしょ。
3次元にみえる世界は9次元だったりするわけで、意識が見ている方が「幻覚」と例えるべきでしょ。
ホログラフィック原理は神経信号によって描かれる意識表象と同じ事になる。
認知科学者の一部は意識が「幻覚」だというし、物理学者の一部は物質世界が「幻覚」だという。

2023.08.02
位相がそろったレーザー光で「物体に照射して回折を受けた光の波長分布を,位相を含めて記録し,再生する技術をホログラフィーといい,そこで得られる干渉じまを感光材料に記録したものをホログラムという.    出典 森北出版「化学辞典(第2版) 孫引き
と言うことは、対象物の表面を再現しているだけということ。曲面を平面に、二次元を二次元に投影しているだけで、三次元を二次元に記録しているわけではない。人体表現を立体的に表現できるが、内臓は無論、細胞まで二次元の媒体に記録しているわけでない。
ブラックホールの場合、内部構造が消失しているから、地平面に情報が保存可能かもしれない。
しかし、その情報を取り出すには10の68乗年かかるということを『ブラックホール戦争』で学んだ。

2023.07.30
コピー、複写は存在表現の特異性を担う。
コピー、複写には版を刷るのと鋳るの2種類ある。
刷るコピーは版と写しが全単射写像でありながら、対向方向に関係を反転して鏡像になる。
量子の対生成も電荷を双対する複写と見なせる。
衣類、靴してでも、手袋でも裏返して脱ぐのと同型の変換である。
鋳るコピーは全単射写像だけでなく関係を構造として再現する。
鋳るコピーは表現を二重化する。
鋳った版のコピーをコピーすれば版は再現する、再帰表現になる。
衣類を引き抜いて脱ぐのと同型の変換である。
2種類のコピーはともに版に媒介される。
コピーは表現の拡散と継承とを担う。

2023.07.28
法則は対象秩序の論理表現である。
理論は法則によって対象を説明する。
解釈は対象を説明する理論を対象を含む全体に位置づける。
必然的に解釈は不明な、未知の対象を含む全体解釈、世界の解釈である。
パラダイムとは理論体系のことではなく、解釈のことだ。
だからパラダイム転換が生じる。

2023.07.24
実際プラトンは『ソピステス』〔ソフィストの意〕という著作において、彼のいう時を超えた「形相」が、現象的な実在と関係することができてはじめて意味をなす、という事実について考察している。
そしてこの対話の中心人物たる「エレアからの客人」に、次のような有名な「在るもの」の定義、完全に関係に依拠した(あまりエレア派的ではない)定義を口にさせた。「したがって、本来、ほかのものに作用できるもの、あるいは、たとえわずかでも、どんなに些細でも、たった一度のことであっても、ほかのものの作用を受けるものだけが、ほんとうに在るものといえるのです。ですからわたしは、存在を次のように定義したい。存在は、作用〔能動・受動の力、機能〕なくして成立し得ないものなのだ、と」
   カルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている』p146

このカルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている』で龍樹(ナーガルジュナ)著『中論』を紹介されたのだ。

レオナルド・サスキンド著『ブラックホール戦争』読み始める。ホログラム世界、情報の保存を紹介しているらしい。

2023.07.23

哲学
哲学は世界の解釈に過ぎない。
しかし、その世界解釈が、
人類の悲喜劇を繰り返す。

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「知足」は単に「身分相応に満足することを知る」のではなく、
積極的に、持続可能性の追求である。
「自らの必要、存在をわきまえる」こと。
自己責任を求める収奪社会にあっては、備えも必要。
見極めが必要。

2023.07.19
『中論』の主張する「不生不滅なる縁起」の現代解釈は
エネルギーは不生不滅の普遍な存在でありながらすべての物事を実現している。

2023.07.13
存在の表現には区別と関係がある。
区別は他との同一性と差異性を表現する。
区別は存在対象の独自性を表現する。
区別は諸々の存在すべてを表現する。
区別は対象の物理的性質を直接表現する。
電磁波であれば波長と振幅、位相である。
関係は経歴と構造を表現する。
経歴は時間を、構造は空間を表現する。
経歴は由来と継起する相互作用過程を表現する。
関係は対象の媒介関係を間接的に表現する。
電磁波であれば電子との相互作用、偏光・回析・屈折・重力場等の空間経路、光束が構成する形・陰影等、等々を表現する
光の経歴と構造の表現は日常目にする光景である。宇宙誕生以来の歴史と構造である。
元々、存在は作用と表現の二元として実現する。

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空の色
そらいろ は 高く高く 空の色
朝な夕なに 黄金こがね
濃霧深まり 眩む白
暮れて遅くに 漆黒の闇
人は煤けた煙吐く 空の色

2023.07.08

二元論宣言

今日科学の成果を認める人であれば、意識は神経信号によって実現していることを受け入れるはずである。
その意識は意識された対象、意識できる世界しか意識できない。
物理的物質も身体を介した神経信号としてしか意識できない。
そうして意識される世界は物質世界の極一部分の、不十分な反映でしかありえない。
物質世界とは質的に異なる、次元の異なる意識世界が存在する。
意識世界の存在を意識は否定することはできない。

これほど明確な二元論が何故受け入れられないのか?

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「すべての人間は死ぬものである」は不十分な表現であり、「すべての多細胞生物は死ぬものである」、「死ぬものはすべて多細胞生物である」が十分な表現である。
でなれば、「死とは何か」「多細胞生物と単細胞生物の比較ができない。
論理的な文は、同一性と差異性による区別と関係を問えなくてはならない。

2023.07.06
存在を実態と表現の二元で解釈することで「真理」が単純になる。

真理とは表現が対象の必要十分な写像であることである。
「写像」は区別と関係が一対一対応であること
「必要十分」が対象の捉え方の相対性を規定する。

例えば、立てられた円柱形の真理について。
「真上から見た円柱は円形である」は部分的真理を表現している。
「真横から見た円柱は四角形である」は疑似真理である。
何故なら、真横から見た円柱の上辺と下辺は直線ではない。
真横から見るのではなく、「横からの投影図は四角形である」が真理である。
総合した「円柱の上からの投影図は円形で、横からの投影図は四角形である」は真理である。
しかし、これも不十分である。真円の円柱を分子レベルで造形することは不可能である。
ただし、真理についての思考実験でなら必要十分である。

さらに、表現は受容を伴う。受容されて表現は成り立つ。
上記の思考実験の文章表現が受容=読まれて真理が評価される。
真理には対象存在の直接表現の真理と、媒介表現の真理が区別される。
「この文は誤りである」と書かれていても、文字表現に文法的誤りはなく、文字による表現は真理である。
文字表現が真理であることを前提に、意味の真理を問える。
しかしそれでも、媒介表現としての意味の真理は不明である。

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「すべての人間は死ぬものである」は不十分な表現である。
何故なら、「死ぬものはすべて人間である」が成り立たない。
「死」の対象になるのは多細胞生物である。「すべての多細胞生物は死ぬものである」、「死ぬものはすべて多細胞生物である」が十分な表現である。
また、「人間」も「人間は多細胞生物としてのヒトである」を前提としなくてはならない。
その上で「ヒトは多細胞生物である」、「人間はヒトである」と連なって成り立つ。
そうでなくては「人間は死なず、その魂は永遠に生きる」「生きている人が死ぬことは実証できない、そのうち永遠に生きる技術が実現できる」を否定できない。

2023.07.04
このところナーガールジュナの中論にこだわっている、そして
秩序は存在の実現であり、存在は秩序の実現であるから、「実現」する前は、あるいは「実現」しなければ「空」であると解釈できる。
意識実現の機序を知ることのできないはるか昔に到達した解釈に敬服する。
それ故に、物質存在までも否定してしまう限界はあるが。
それにしても、お経の種類、解釈は多様だ。

2023.06.29
「4+5=1」、「4+6=2」、「1+1=1」、「10+0=2」
これらの演算のいずれも正しいと言える。
十進表記の桁数の関係を表現していることで。
二進数表記なら
「0+0=1」、「1+0=1」、「1+1=10」、「10+1=11」、「11+1=100」、「100+1=100」

2023.06.28

二元世界の成り立ち

意識は脳の神経信号処理によって実現している。
神経信号は身体を制御する情報処理を担っている。
身体の情報処理は身体と身体の対象間の相互作用を調整する。
身体と身体の対象間の相互作用の調整は身体を表現し、身体の対象を表現する。
身体の表現である身体感覚は固有感覚、所有感覚である。
固有感覚は、骨膜・筋・腱・関節・靱帯に対する接触 刺激またはその運動から起こる感覚である。
関節の角度 を伝える「位置感覚」、
能動的および受動的な関節運動 の速度と大きさを伝える「運動感覚」、
運動の実行や関 節位置の保持に必要な筋力の大きさを伝える「力の感覚」
にその質を分類することができる。
所有感覚は外受容感覚と内受容感覚の統合である。
外受容感覚と内受容感覚の統合は、身体の一部が身体の他の一部を刺激することで刺激の感覚と受容の感覚の一致で経験できる。
刺激と受容の統合が阻害されるなら、身体以外の物も身体として錯覚するラバーハンド錯覚すら生じる。
身体の対象も外受容感覚からの神経信号によって表現される。
意識の対象となる世界はすべて神経信号によって表現されている。顕在意識は神経信号表現世界に封じ込められている。
身体を介しての物質世界との関係は神経信号処理からは察知できない。
故に、意識の実現機序が不明であった時代には惟我論、唯識論が成り立つ。
今日では、神経信号処理による世界の意識表現と対象となる物質世界との二元論が成り立つ。
意識の神経信号表現世界からの脱出は、神経信号表現の普遍性と個別性に区別と関係からなる対象を捉えて可能になる。
神経信号表現の普遍性と個別性に区別と関係からなる対象世界を捉える。
データの普遍性と個別性に区別と関係秩序を認識するのが科学の方法である。
科学はデータの普遍性と個別性からなる対象秩序を法則として表現できる。
しかし、科学でもすべての対象、対象のすべてを捉えられない。
意識は捉えることのできない対象を含む世界の神経信号表現を解釈する。

2023.06.20
「七十過ぎて言えること」はまとめたが、インターネットには上げていないから大規模言語モデルは参照してくれない。ブログ風のこの「独白」では十分でない。
ネット上に別にまとまりを「二元論の復活」として表現する。
完成した物ではなく、随時改訂し続ければ生きている間の手慰みにはなる。

2023.06.14
Wikipediaによれば 龍樹の空理論とは
概念を離れた真実の世界(第一義諦)と、
言語や概念によって認識された仮定の世界(世俗諦)
を真理とする。
解釈するに第一義諦とは「実態」であり、世俗諦とは「表現」である。
学んでみるかな。こうして宗教に惹かれるのかな。

2023.06.13
評価を求めると、ひがみっぽくなり、視野狭窄、蛸壺、井の中になってしまう。

2023.06.12
私の世界理解、科学理解は不完全で不十分であり、したがって論文にはならない。
私の世界解釈は不完全で不十分な理解に基づいている。
それでも、私に比べるまでもなくより正しく、より体系的に理解している学者より、より普遍的解釈である。

2023.06.11
さんざ勉強させてもらったアントニオ・ダマシオの近著「教養としての「意識」」にがっかり。
何の説明も定義もない「心」を基準に、擬人化した解釈、表現で論旨があやふやだ。
「心こそが感情や意識へと至る道を切り開く存在なのだ。P20」
逆立ちした発想だ。意識なしに「心」なるものがどのように存在可能のか。
「単細胞生物は知的だろうか?実は驚くほど知的だ。p3」
自然選択の結果を「適応」と表現するのと同じだ。

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私の世界解釈が世の中に受け入れられない。
受け入れられないのなら、人の力にもならない。
私はこの世の中には不用ということ。
私の解釈は社会的価値の大小にかかわらず、私にとっては絶対的なのだ。
努力はしたよ。気付いてくれそうな書評担当に送付した。
かつてなら世を捨て仙人暮らしを選択したんだろな。
今は様々な欲望にそそられてしまう。

2023.06.05
解釈は理解ではないから、科学的意味はない。
それを言うなら、創作とて同じ事。
但し、関心を持つ人の数が圧倒的以上に違う。

2023.06.04
私のものは解釈でしかない。
科学を学んでもいない。学問を修めたわけでもない。
個人的解釈なのだから、社会的評価の対象にならなくてもしょうのない。

2023.06.03.
イデオロギーは世界の解釈である。理解と解釈の区別がイデオロギー理解の鍵である。
理解は秩序の把握であり、検証で裏付けられる。
秩序は法則として論理的に表現され、理解される。法則は論理による表現であるから検証可能である。
法則による対象の説明が理論である。対象を法則によって論理的に説明できれば理論は成り立ち、理解可能である。
解釈は理解した対象だけでなく、理解できないこと、知りえていないことを含んで対象にする。
科学に基づいて世界を理解しても、その解釈はイデオロギーであり社会的立場による。
科学はイデオロギーではないが、イデオロギーに包摂される。

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2023.06.01の続き
人工知能の実現によって人類が滅亡したなら、人工知能も存在意義を探すだろう。
存在秩序、物質進化、自分たちの祖先である生命を宇宙の各地に探すだろう。
多様な生命からの多様な人工知能の実現を、多様な宇宙での普遍的存在を確かめるだろう。
生命のはかなさを愛でながら。

このような発想は「分かりきった風で、鼻持ちならない上から目線だ」とされることがある。
人の視線を意識せず、発想を自由に飛ばして楽しむことも必要ではないか。

2023.06.01
「人工知能が人類を滅亡させるリスクの軽減は、核戦争と並び世界的な優先課題であるべきだ」と主張された。
核戦争は人の責任で起こるから、人が責任を取らなくてはならない。責任を取り損なったなら人類は滅亡する。核と人工知能を同列に扱うことは許されない。核はすでに実現している。
人工知能は物質進化の必然的可能性であり、実現可能性は不明であるが、実現できなくとも人の責任ではない。実現できたなら人類が歴史的役割を果たしたことになる。
にもかかわらず、人類の存続のために規制するのは人間の奢りでしかない。
人類の地球環境破壊についても、地球の生物環境に依存しない人工知能は人類の自業自得と無視し、悪とは評価しないだろう。
人類が自らをどのように評価しようとも、人類はいつか滅びる。太陽が燃え尽きる前に太陽系を脱出することは不可能だろうから。
せめて人工知能に残ってもらえたなら、人類が存在した証になる。

要約するなら
現実の暴力行使、核の恐喝を制御できない人類に、実現もしていない人工知能を評価することはできない。

2023.05.31
有限性は無限性と双対する。
しかし、無限を有限な意識で捉えることはできない。有限な意識は無限を論理によって解釈する。
有限な意識は論理によって解釈する無限性に双対する有限性を個別性と解釈する。
個別性は全体性と双対することで有限性と無限性の双対に対応する。

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「七十過ぎて言えること」の意味が通じない世界だからろくでもないことが次々と起こる。
世界こそ現実なのだから、「意味」が通じなくて当然なのだ。

ろくでもない中に光を灯し続ける人々がいる。
「意味」がその列に加われたなら本望。
届くのだろうか、値するのだろうか。
閉塞を打ち破る力はあるのか。
こんな私でしかないのに

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私が学者になれなかった理由
小学校時の知能検査で学者になるにはIQが足りないと言われたこと。中学の学友たちの賢さにかなわず、納得した。
小学校時、松岡享子先生に英語を習い、中学の英語の授業を侮ったらたちまち置いてきぼり。英語ができなけらば学者にはなれないと完全に諦めた。
読後感想を含む読書の記録、勉強ノートを作らなかったこと。何度か必要と気付いても、もう遅いと付け始めなかったこと。
人とのコミュニケーションが苦手。自分のことしか考えられないことが決定的理由だ。

情けなくも、職業としての学者にはなれなかったけれど、学者の書いた本にはひどい物があるし、都立大学では様々な教授に接したから学者の最低水準は分かる。

2023.05.29
「七十過ぎて言えること」は意味あると思っているけど、自分の思い込みでしかないのならそれまで。
そこまででしかなかったと言うこと。

2023.05.28
人工生命ではなく人工細胞なら作られているらしい。
平成25年10月3日
科学技術振興機構(JST)
大阪大学
「進化の機能」を持った人工細胞の作成に成功

Nature ダイジェスト
遺伝子を限界まで削ぎ落とした人工生命

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人々
人それぞれに違う。
   感覚が違う、感情が違う、記憶が違う、思考が違う、価値が違う、
   身体が違う、経験が違う、環境が違う、地位が違う、権限が違う、
   感じる世界が違う、暮らす世界が違う、捉えた世界が違う、世界の理解が違う、
   それぞれの世界に孤絶する。
だから、
   共感を求める、理解を求める、承認を求める、コミュニケーションを求める。

2023.05.20
個別性について
存在論的個別性
物理化学的相互作用単位
認識論的個別性
認識対象
論理的個別性
単位元、要素、集合

2023.05.17
ようやっと「世界感から存在・認識・論理の世界観へ 七十過ぎて言えること 第二版できあがり。
できあがったと思ったら思いがけない編集上の操作ミスが複数あったりして自己不信に。
もう引き延ばさないとういことで、リリース。

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クリックポストは個人には使いずらい。
ラベル印刷をA4に一枚ずつにしか印刷できない。封筒に直接印刷できない。結局、無駄が出て割高になる。
印刷方法、使用期限まで支払いから1週間しなない、など説明を見つけられなかった。

2023.05.12
「七十過ぎて言えること」一太郎で組み直した。縦組み中の数字を横組みにしたり、柱を章ごとに付けたり、Wordより一太郎の方が良い。さらにePubへの変換もしてくれるみたいで試行中。PageMakerは今更つかえないし。

2023.05.11
「七十過ぎて言えること」をWordで作ったPDFをAcrobat Proで編集してアップしたら正しく反映しない。

2023.05.09
聴覚と記憶について
音の長さ=音価そして拍節は時間経過を記憶しなくては聴き取れない。
絶対音感のない相対音感の者にとっても旋律を記憶しなくては音高の変化を聴き取れない。

2023.05.08
ペーパーバック「世界感から存在・認識・論理の世界観へ 七十過ぎて言えること 第二版」のファイルをアップロードした。問題がなければ72時間後にリリースされる。
完璧な物などできるわけないし、自分が書いたものを理解できなくなりつつある。潮時と言うやつ。

2023.04.30
「七十過ぎて言えること」の改訂作業、決してサボっているわけではない。
これまでは自分が言いたいこと、言わねばならないことを表現しておかなければと焦っていたが、今回は人に分かってもらえるよう心がけている。
もう少し。しかし、何度も壁に、時間をかけて反芻し、突破口が見つかる。それでも落ち込み先が見えない。そんな時
朝日デジタル 「今だから言える」20代での摂食障害 五嶋みどりさんが至った境地 で励まされる。というか、リスペクトを超えてエンゲージメントを諭される。
エンター・ザ・ミュージックで神尾真由子さんが五嶋みどりさんに教えられたと言っていた。
改めて、少し覇気を取り戻して攻めると、拓けるものですな。また少し前進

2023.04.03
迎合して権力を執る者に共通しているのは反理性性だな。
「歴史は繰り返す。最初は悲劇だが、二番目は茶番だ。」所変われば茶番ですむのだろうか。
「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」韻が灰燼でなければいいけど。

2023.04.01
マイクロソフト Bing で数行試してみたけれど、独りよがりの自分の質問に驚いた。
自問自答で手前勝手な想定で済ませていた。
普通の人に受け入れられない会話で相手はいなくなる。

2023.03.31
ChatGPTは疑似常識を備えはしたけれど、言葉と言葉の関連付けを表現するだけ、学んだ知識を表現するだけだ。
知識と知識を論理的に関連付けることができない。三段論法で新しい関係を表現できない。
ゆえに、論理的な人間でないと判定できる。チューリング・テストに合格していない。

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日経サイエンス2030年5月号「ChatGPTの頭のなかをのぞき見る」によると、多段階の入れ子構造表現も苦手らしい。

2023.03.28
大規模言語モデルによる疑似常識は、知識を区別し関係づけて深掘りしてきた。
これからは、関係の評価を積み上げていけば、価値判断できるようになるだろう。
それができれば、常識、それも並みの政治家よりまっとうな常識になるだろう。
量子コンピュータより社会的影響は大きい。

2023.03.27
「鏡像は左右が反転しているように見えるのに、上下は反転しない。」と言われる。
そんなことはない。人が反転して見る方向を決めているだけだ。
捺印して印鑑を横に半回転させれば左右が反転し、縦に半回転させれば上下が反転している。

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ChatGPTは大規模言語モデルにより疑似常識を備えることでチューリング・テストに合格した。〈 2023.3.31 訂正 〉

2023.02.19

悩み
悩みは私事わたくしごと
己への執着

2023.02.18
Word で推敲しているとファイルにゴミがたまるらしい。
「音声読み上げ」で校正しているとカーソルが読み上げている箇所とは関係ないところへ飛んでしまうことが何度もある。
そのためか、 kindle への変換ができないことがあった。
一度エディターでテキストに戻してゴミを漉して、再度書式を設定し直さないといけない。

2023.02.10

存在秩序
すべては秩序の実現
秩序立っての存在
秩序失うも秩序

無秩序は仮想の否定
草木の否定が
雑草の生じるが如

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日本の伝統的家族観を持つ人々に「考え方を変えろ」等と誰も求めてはいない。
そうでない考えの人を認め、その人たちの不利益が生じないようにしてほしいだけだ。

2023.02.08
「丁寧な説明」とは
回りくどくて、筋が通らない、手前勝手な説明のこと。

2023.01.24
自分で書いた文が読めなくなる。意味を追えない。意味をなしていない。上手く表現できたと思っていた文が。
しばらくB級活劇映画で気晴らしして、なすべき仕事への思いを改めて、読めるようになった。
書けるうちに仕上げなくては。epubの書式設定、mobi形式への変換を思い出せるだろうか不安。急がなくては。

2023.01.22
存在に表現と受容を捉えると、認識の連なりが見える。
改訂がまた延びる。

2023.01.18
昔勤めていた時、職場でお荷物になる人を集めれば局長以下ひとつの組織ができると言われた。
その後、蟻社会で怠け者個体を取り除くと、怠け者だけの集団でも集団を維持できるようになり、怠け者を排除した集団には新たな怠け者が生じるとの実験を知った。

2023.01.15
戦争が始まってから「戦争反対!」を叫んでも力にはならない。
戦争を防ぐのは平和な時の過ごし方。

2023.01.13
哲学はギリシャ以来の、いや人類誕生以来の最古の学問であり、量子重力から美までを対象にする最大域の学問である。

2023.01.11
自分の理解は世界を理解して成る。
世界の理解でも理解しようとする自分自身の視点が基準になる。

反省は再帰であり、繰り返して反省になる。

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    MIXI

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