Japanese only


独白

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2017.12.11
「核兵器廃絶は非現実的!」 核戦争は自然災害ではない。核戦争は人がボタンを押して始まる人災だ。人の意思を留めることが非現実的だと言うのか。結局、核で脅して支配するためではないか。
「支配が揺らげば平和は、繁栄は実現しない。支配は必要悪だ。」 資源の浪費、環境破壊、格差拡大の言い訳にすぎない。

2017.11.15
「意識は感覚、感情、記憶から成り立つ。」との主張は不十分だ。意志、思考も位置づけなくては。
感覚、感情、記憶は意識を構成すると同時に、意識の対象でもある。これと関わり、意志、思考は意識の働き、機能である。感覚、感情、記憶として区別される対象に対する意識の働きかけが意志であり、思考である。感覚、感情、記憶に区別、変化をみいだし、とらえることとして意志、思考は意識される。感覚、感情、記憶、意志、思考は単純な相互関係ではなく、再帰する相互関係にある。

2017.011.12
読んで分かる本に価値はない。分からなくても読ませる本にこそ学べる。そのわずかでも。

ピエール・ブーレーズ ジャン=ピエール・シャンジュー フィリップ・マヌリ「魅了されたニューロン」と、吉田秀和著「ソロモンの歌・一本の木」。かつて、よく格闘したな。不相応な巨人たちと。

2017.10.16
すべてを説明することは、それはそれで難しいが、全部を説明したのでは、味も素っ気もなくおもしろくない。説明がなくとも分かり合えるからおもしろい。説明の加減がおもしろい。

ありのままを見るには難しさがある。一つのリンゴであっても、腹を空かした子供、八百屋のオヤジ、芸術家、哲学者でそれぞれに違って見える。味は食べてみなくては分からないが、食べてしまってはリンゴはもうない。神をありのままに見るのはなおのこと難しいが、信じている人が圧倒的に多い。神が違えば悪魔の手先にもなり、殺し合う。ありのままの見方を検証する必要がある。

自分こそ頭が良いと誇る人が、最大の権力を振るう怖ろしさ。

あんな男が何時迄も大統領でいられる訳はないと、あなどる怖ろしさ。

2017.08.26
「中学生にも分かるように語れ」と、
大人達に伝えられないのに、
そんな余裕、私にはない。

2017.07.28
区別
区別は論理の礎
自他の区別は存在
他間の区別は認識

2017.05.09
武器
武器はなくても人を殺せる
武器を使えば人類も滅せる
武器に人は殺人すらゆだねる

2017.05.6
PrimeSeat」のハイレゾを聴いてみた。ショックだったのは我が家のスピーカー左右の接続が違っていたこと。再生周波数帯など関係なく、音の定位から違って聞こえることに驚いた。
金払って聴きに行くコンサートでは眠くなるのに、家でリラックスして酒飲んで聴いても眠らないのは何故?

2017.04.27
今宵
酔いても
眠むらぬこの頭
抱えてみても
中身無し

2017.04.23
届けられた「ことば」は、
「自殺の願いは、生きる人々への冒涜である。」
凡庸に生きる私には、重すぎる。
権勢揮う者には、届かぬ怒り。

2017.04.21
マイケル・S・ガザニガ著「右脳と左脳を見つけた男」でも、脳についての説明はあっても、「心」については何の説明もない。他の学者も同じ。なんで「心」の存在を当然のように脳に対比して問えるのか?「心」はまさに物質からは説明できない存在であろうに。モジュール、階層、創発で暗示しても「心」は導けない。
「ホムンクルス」はいないと科学者は言うけれど、現に私がいるではないか。この眼で見、耳で聞いているかのように、世界と自分の存在を構成し、感じている私が。
「心」も世界も自分自身も無意識が描き出す観念表象である。ただし、唯我論、不可知論ではない。観念表象である自分自身であっても、表象世界に表れる普遍性をとおして実在世界秩序の理解が可能である。だからこそ、生命は生き残ってきた。だからこそ、普遍性を探って、世界秩序を学ぶ。だからこそ、こんなバカげた世相でも生きてゆける。

2017.04.08
1988年1月7日に購入し、何度かトライしたJ.S.トレフィル著「宇宙創生のとき」を何とか読めるようになっていた。科学者は宇宙創生のときに向かって探求していく。哲学者は宇宙創生のときから現在、そして未来へ解釈を押し広げる。

2017.04.07
未来
これまで虐げられた人々の
生きる(すべ)こそ
人類 生残る未知()

2017.04.02
今こそ日本が独立するチャンスだと思う。脱欧入亜。しかし、主体的条件はほとんどなし。この環境を生かせずに、後何年失われ続けるのか。

先月末のように後ろ向きの思考にとらわれると、虐げられている人々を切り捨てる方向に向かってしまう。誰に支えられているかを、一時でも忘れてはならない。

今読んでるのがブルース・シュナイアー著「超監視社会」。煽り加減ではあるけど、基礎、基本として知っておくべきだと思う。

分かるんだよな。科学者が懐く、我々素人の我田引水的解釈への苛立ち。そして無視。それでも、科学者といえども量子論は使えても、理解はできていない。物質、エネルギーについても「暗黒」と形容するしかない。それでも世界は存在するし、我々は生きている。そして我々は世界を解釈し、生き方を定める。

「存在」とは他との相互作用を通して、全体での位置を占めること。宇宙原理の「一様性」は他との関係、「等方性」は全体との関係。

2017.03.31
本日1年間のアルバイトが終わった。淋しいのは何も共有できなかったこと。現役の時もだが、情報、知識の共有への関心のなさが悲しい。
データベースを使えば、個々の取引を記録し、検証できて、省力化もできるのに。利用せず、不心得者の監視のために余計な事務手続きを増やし、善良な労働者をさいなむ。表計算のマクロを組むだけでも、新人も仕事ができるようになるし、コメントを付ければ判断基準を学ぶこともできるのに。
だれも関心を示さず、蛸壺で、井の中の蛙が底を掘るようなむなしさだけ。

2017.03.28
「世界感」は人の本質かもしれない。その人の実在感そのものなのだから。固執することもあれば、たまに、超克することもある。

2017.03.25
日本に原理主義者が少ないのは幸いだ。しかし、自己陶酔する者たちに国家権力をゆだねるのは危険だ。

2017.03.22
「ディクタトゥーラ」は社会運動主体としては必要な条件だと思う。ただ、社会全体としては有害だ。働き者だけを集めても、必ず怠け者が生じるように、善人だけを集めても、必ず寄生者が生じる。寄生者は強いし、賢い。それが個性だ。寄生者は宿主の存続を保証しない。だから、民主主義が必要なのだ。
ただし、個性とは与えられた条件ではない。与えられた条件で何をなすかだ。私は怠ったが、条件を獲得することも個性だ。

2017.03.21
振り返って、かなり気に入っている。手前味噌。
テーゼ
到達点
矛盾
展望

2017.03.18
革命
社会主義革命進行中

経済とっくに国境越え
排ガス氷河を溶かす
難民、出稼ぎ大量輸送
通信手段は世界をめぐる

徴税権 タックスヘイブンに踏みにじられ
公証・認証 ブロックチェーンに脅かされ
役所の仕事は民営化
格差は極みを目指す
ポピュリズム、国家主義は断末魔の叫び

ディクタトゥーラでなく
主動するのは民主主義
社会の隅々にまで
人類全体の民主主義

2017.03.16
一昨日、昼頃からインターネットへの接続ができなくなった。昨日朝、プロバイダーへ電話連絡し、回線は接続状態との回答を受け、NTTへ問い合わせるようにとの指示を受けた。
NTTへ電話したところ、回線終端装置のランプ表示も正常、フレッツ回線での接続・スピード測定も可能だった。有料(7500円*1.08税)覚悟で現地調査を依頼した。
早速2人で来宅、回線終端装置の設定パスワード忘失、接続ユーザーIDが変わっていたことなどあったが、結局回線終端装置を交換することで解決し、レンタルだったので無料で解決した。
振り返ると、最近「らじる・らじる」で聴いている時に途切れることが度々あった。バッファが不足かと思っていたが。

2017.03.08
先日、相次いで2人の方から問いかけられた。問いかけに答えようと理解に努め、久しぶりにかなり刺激的な経験。このところ「義務は果たした。評価もされないし、歳だし、後はどうでもいいか。」とダレ気味のところへの刺激が効く。
1人は芸術の手法追究と内容追究との狭間の問題。もう1人は、公開フォーラムのテーマ「18歳選挙権と民主主義」から端を発して、「民主主義」を建前として認めながら、ないがしろにする輩が力をふるう今日をどうするかの問題。その他たくさんの問題提起があった。「項目毎に問題にするには優先順位をつけて、少し時間を下さい。『民主主義』が最重要ですかね。」ということで


民主的かどうかで評価が違っている現実を前に、原理原則の確認が必要になる。
  1. 大前提として「意見交換」が保証されなくてはならない。この「保証」は建前だけでなく、構成員が意見を持てる環境整備まで含む。
  2. 意見を交換するだけでなく、当面の問題は決定されなくてはならず、全員が決定に責任をとるには多数決がふさわしい。多数が納得する決定、実行でなければならない。
  3. 意見交換、採決手続きの運用は公明、公正でなければならない。
  4. ただし、多数決では原理的に公正性を保証できない「アローの不可能性定理」の問題がある。ジャンケンのような三竦み以上の構成員による推移する決定では、採決の順序によって各決定が公正でも結論は異なりえる。「不可能性定理」がある以上、決定は暫定的であり、少数意見も留保される。
  5. 一時の多数が、一地域の多数が決定しても、人類の存続を損なってはならない。人々の決定は人類の未来を左右するほどの影響力を持つに至っている。
結局民主主義は運用に依存する。社会の意思形成とその公定化の問題になる。意思形成と公定化は相互依存の関係にある。形成された意思が公定化され、公定化された意思によって形成が引きずられる。

ここまで来ると社会のあり方、そして人々のあり方の問題になります。話を深めようにもポピュリズム、内部告発、コミュニケーション・ツールへととめどなく拡散してしまいそうです。ここまででどうでしょうか。
ところで、手紙のやりとりではまどろっこしいのでメールでやりとりしませんか。それも私のこの「独白」ページでの公開で。メール本文それぞれの文頭に[非公開:][匿名:][筆名:][本名:]と表示して下されば尊重します。第3者の参加も歓迎ですが、私の責任ですので「炎上」も防げます。

2017.02.12
(まこと)
人皆が認めて真
今ここが
今ここであるように

2017.02.05
代謝系の再生産とは、それぞれが生きての処し方を次に伝えることでもあるんだな。今日は録画した映画「あん」をみた。
最近、「評価」にこだわるのは、歳のせいもあるのか、総括に迷いが出てきてる。このところ人類史上の逆転が現実となってしまって。

2017.01.30
どうしたらいいか工夫していると、どうしたって日々の繰り返しの中で行動はパターン化してくる。それを人は柳沢教授と冷やかす。パターン繰り返しの日々に、ちょっとした異様に出会うと楽しいんでしょ。柳沢教授。

2017.01.28
世界はそれ自身の内に、それ自身によって、それ自身を記述する者たちを産み出した。

世界は存在、認識、論理として、存在、認識、論理によって記述される。

存在
存在の根源は物質である。

物質
物質の根源は誰にも理解できていない。根源はともかく、物質はエントロピーを増大させながら無秩序化の過程に秩序を実現している。
秩序の論理による表現が法則である。法則によって対象を解釈するのが理論である。
ただし、存在は物質だけではなく、物質を超えて生命を超出し、生命を超えて意識を超出してきた。生命は物質存在ではなく、意識は生命存在ではない。

生命
生命の根源は代謝系の再生産である。
代謝系は生命秩序であり、生命秩序を物質秩序の変化に適応することで進化してきた。
生命は代謝系を維持できなくなると物質に還元される。

意識
意識の根源は世界感である。
生命の進化で獲得してきた感覚、感情、記憶によって、潜在意識が世界感を表現し、それを顕在意識が意識する。意識は物質秩序、生命秩序を世界感として表現し、生命活動を方向付ける。意識は意識自体も世界感の内に意識する。
意識は世界感を維持できなくなると生命に還元される。

認識
認識の根源は世界感である。
世界感は直接的で、実在感でもある。世界感は進化とそれぞれの成長の過程で適当に形成される、個別的で特殊な観念主観世界である。認識は世界感を客観化し、世界感に表現される物質世界、生命世界、そして意識世界に表れる秩序を論理によって理解し、表現することで普遍的、一般的世界観を獲得する。
人類は認識そのものを社会化し、共有することで科学的世界観を形成してきた。

論理
論理の根源は有無の区別である。
有無の区別は、存在しない存在である空集合によって、情報の単位であるビットによっても表現される。論理は空集合の集合をとって区別し、集合間の関係形式を表現する。論理は秩序を区別と関係として表現することで、秩序の区別と関係を明らかにもする。
論理を無視して存在秩序を認識できない。論理は認識の手段であっても、秩序実現をとらえきることはできない。誰も物質の根源を認識できていない。

特殊な才能、努力があれば希少価値を産む。一般の才能はつまらないが、全体を健全にとらえることはできる。一般人は誰でもが手にすることのできる価値なき価値、健全な価値を産むことができる。
俗の中でも健全な変革者達と違い、プチブルは超俗することで健全でいられる。しかし、超俗の支えが失われれば何の力もない。健全さも失われ、俗に押し流される。

俗に浸って、俗に評価されてこそ歴史に評価されるのかな。古典は古典だから評価されるのであって、再現に価値はない。自らを変革できない者には価値を創造できないということか。

2017.01.18
赤ん坊でも使いこなしているというベイズ統計を、四苦八苦して学んでいる。結果から原因を推量する方法なのに、教えてくれる機会はまずなかった。帰納論理といってよいと思うのだが。

2017.01.11
誰でも個別、特殊から体験を積み上げて、やっと全体をとらえ、個別、特殊を評価できるようになる。
普遍と個別、一般と特殊を評価することで、全体をより広く、より大きく理解できるようになる。
世界全体を提示することで、より早く理解を深めることができる。
世の中のプロは、私よりより良く世界を提示できるだろうに。

2017.01.6
自然に価値問題などない。価値は社会の問題だ。互いの役に立つ、それが皆の役に立つ。それが価値だ。
何故、こんな自明のことが認められないのか?


「性」か
あんな奴より
俺のが()しと
()()(くら)べて
努めもせずに
評価求める
プチブルの(さが)

「下衆」とはあなたのことではない。権力をもつ者のこと。


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