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独白 2022年

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お勧めのトピック
観念あるいは意識の存在について( 3月24日 )
意識の存在について( 6月7日 )
世界の誤りの根源は物質一元論( 6月30日 )
存在は実現と表現の二元からなる( 9月2日 )
光の直接的表現と、媒介する表現( 9月12日 )

補題
「存在は相互作用による物質の実現と物質の表現からなる二元世界である。」
との主張をしたくてこのところ「表現」にこだわっている。
表現は存在の情報であり、表現世界の反映が意識である。

20222021202020192018
呼吸 
それでも定まる 
権力
民主主義権力
しがらみ
燈火
生き方

進む人
未知
持続可能性
相互表現
人の上に
何とかなるさ
表現
惨憺
程度問題
私の仕事
逡巡

俯瞰
帰省
断捨離
戯れ詩
自己評価
仕事
詰まって
去るべき人
抗って
正義

産む
先衛
踏み絵
剰余価値原理
人間社会
反省
抗して
化石
「なぜ勉強するの?」って? 
勉強
絶望
強い
人の価値

ゴマすり
秩序
夢 か
体系
真理の存在証明
集合論
尊厳
人間性
コミュニケーション原論 
二元論
いじめ
人権
認識・存在・論理

命(意味)
三身
秩序
区別
武器
今宵

未来
革命

「性」か

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2022.12.21
量子もつれだけが観測によって確定するのではない。
すべての存在が相互作用して確定している。

2022.12.19
「人は多面的だ」と誰もが思う。
切り分け方で誰もが少数派になる。
隠したくなる部分が愛おしい。

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誰もが思いつく当たり前の注意事項を指示したという。
偉そうに、仕事をしてますと、ニュースの時間を使って。

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「七十過ぎて言えること」の改訂が基本的に終わったみたい。ホッとして実感がわかない。後の細かい詰めで、またぞろ大きな問題が出てきたりして。

2022.12.12
前言訂正
時空間は存在する。
時空間は物理的相互作用の対象としては存在しない。
時空間を物理的に変化させることはできない。圧することも、熱することもできない。
時空間は存在する対象間の隔たり、対象の変化を表現する。
「時空間の伸び縮み」も時空間の変化ではなく、物理的存在対象間の関係表現の変化である。
存在定義は対象性だけではなく、対称性の表現へ拡張される。
対称性は区別と関係を表現する。
この拡張によって時空間の存在、数学の対象の存在も主張できる。

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前言訂正
「表現」と対をなす概念は「実在」ではなく「実態」がふさわしい。

2022.11.18
「女性は産休・育休を取るから仕事を任せられない。」
もっともな、自明な理由だと思っていた。
「ならば、男性にも産休・育休を取らせればいい。」
という自然な、自明な発想にはなかなか至らなかった。

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新自由主義の隠れたスローガンである競争至上主義は無駄をなくせとコストカットを迫る。
無駄、コストとは何か。削れるのは何か?
無駄な物、無駄な工程を削ることは必要だが、価値を生むことにはならない。
物の価値評価は可変でも、有用性は決定的に熱力学第二法則によって次第に減っていくだけ。
物は廃棄できても、その価値も廃棄してしまう。有効活用できても価値は産まれない。
結局、社会的価値の源泉である労働力の価格、労賃を削るしかない。企業競争といいながら、コスト削減は労働搾取に収れんする。
福利厚生、社会福祉の削減から始まって、賃金カット、首切りへ、殺さぬよう、生かさぬようへ行き着く。
もう皆が実感していることではないのか?
この当たり前のことを経済学は労働価値説を否定して隠す。

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私本来の仕事も日々、少しずつ進捗しています。
やはり、表現を受容し、「表現」を捉え直し、明確に表現するには時間がかかる。

2022.11.03
物質の存在は物理量を表現している。
物理量の表現を対象として表現する、表現の再帰表現は物質の存在とは切り離されて情報として存在する。
情報は存在の再帰表現である。
情報、再帰表現は物質の存在を超えた存在である。
 
物質の存在を超えた第二の存在次元を「再帰表現」で表現する。

2022.010.26.
酔っ払ってからの妄言か?
「表現は情報として存在を現す。実現する存在としてではなく、実現した存在として。右旋回して進む存在を追い越して、進行先から観測するなら左旋回に見えるのと同じに時空間を逆転する。主観と客観が相互に入れ替わる。存在の表現が存在を表現する。表現は存在である。」

2022.10.01
戦争政策、軍備増強政策は政治的に、経済的に、技術的に行き詰まっている。
核兵器禁止条約も発効した今日、ロシアの侵略への国際的反発は中国ですら同調できない。
アメリカの軍事干渉の歴史は、アメリカを傷つけている。
2001年アメリカの9月11日の前に、1973年9月11日にアメリカが裏でチリで行っている。
それだけではないからトップガン マーヴェリックも干渉(侵略と同義)を正当化、前提にしている
ネットにつながりさえすれば、誰でもが状況を発信できる。
国際的に緊密化したエネルギー、資源のサプライチェーン網から外れることはできない。
戦争準備は科学技術の進歩を加速するが、その効果よりその成果の非生産性は絶対的である。
戦闘の無人化は戦費だけでなく、武器単価を高額化する。
軍拡を主張する人ほど、他者の非生産性を非難する。
使えない核で軍拡競争が限界に達し、武器の高度化、高額化に対する非対称戦術が威力を発揮している。
核は脅しにしか使えない。使えば自らを含む人類に降りかかり取り返しがつかない。
宇宙軍拡はデブリで世界を閉じ込めてしまう。
にもかかわらず、危機を煽って軍拡を主張する者がいる。
軍事は政治の延長なのだから、軍事につながらない政治の方が現実的で世界を守る。

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限界効用逓減の法則の他に、限界価格逓増の法則があるみたい。
趣味の世界、贅沢の世界ではほんの一寸した優位性にとんでもない価格を許してしまう。
惑わされずに身の程に満足できる修養をしたい。
身の程でなく、必要なだけで満足できるのが理想かな。
必要さえ満たされない人が増えているのだから。

2022.09.30
推敲するのに読んでは駄目だ。
書き下ろす時のように集中しなくては無駄だ。

2022.09.29
録画しておいた9月22日放送の NHK コズミック フロント「相対論 vs. 量子論 事象の地平線と“異次元のダンス”」を見た。
情報が鍵で世界はホログラムで描かれているとか。
要するに実現と表現の関係だな。 数式による説明はできないけれど。ホログラム原理もよく分からないし、ひもの運動など想像もできない。でも二元であることは分かる。人は二元を認めようとしないことも分かる。

2022.09.28
分解しようが、解剖しようが、見えるのは表面だけ
表面からでも内容を理解できる力は分析と総合

2022.09.13
光の直接的表現と、媒介する表現
光は電磁波として実現し、他の物理場の波動と区別される。光は電磁波の存在を直接表現する。光という現象は電磁波の表現である。電磁波である光は状況に依存して特定の波長と振幅、位置と方向、速度を表現する。波長と振幅は相互作用した電子等からのエネルギー量を表現する。光のエネルギー量は相互作用の状況で定まる。位置と方向は他の存在との相対的空間関係を表現する。光の速度は絶対的に一定であることにより媒質の密度を相対的に表現する。波長と振幅、位置と方向、速度は電磁波に媒介される光の表現である。
こうした光の存在表現の他に光は束になって照らした物の形、位置、質も表現する。光束を媒体にした表現である。物の形、位置、質は光そのものの表現ではなく、光が物と相互作用して、物の存在表現を光束が媒介している。対象物の存在とは別に光束の存在が対象物を表現する。
さらに光はレンズで屈折して感光乳剤に化学変化を生じさせ、印画紙上に対象物の姿を表現する。対象物と光束、レンズ、印画紙等と様々に変換される表現は表現の対象物とは別の存在であり、対象物、表現媒体と表現は存在次元を異にしている。表現の存在は表現対象と表現媒体の存在を超えた次元にある。
また光束に媒介される対象物表現は網膜で神経信号に変換され、大脳で処理されて意識での表現に至る。光に照らされた物の表現は意識にまで変換され、さらには言葉による、あるいは絵や彫刻等による表現に変換される可能性もある。
表現は物質に媒介されるが、媒体物質の存在次元を超えた次元の存在である。

2022.09.11
重ね合わせでは猫の生死のように区別のある物、状態が重なる。
従って量子状態の値が、区別が定まっていなければ、「もつれ=エンタングルメント」であっても「重なり」ではない。
もつれたままの状態は保存できるし、移動を制御できるから計算にも、通信にも使える。

2022.09.08
昨年6月05日の「私の水冷パソコン」水冷皿のアルミが腐食して穴が開くところだった。
ステンレスの皿にしたら熱伝導が悪い。

2022.09.05

存在は実現と表現との二元からなる。「実現」より「現実」の方が通常の表現だ。しかし「実現」の方が動的で存在にふさわしい。「表現」との対になる。
実現と表現は一体となって、一態として存在する。
 
実現と表現の対になる諸概念
表現秩序観念 関係現象特殊個別部分形式再帰抽象要素相対静止固定形態機能性能数学論理
実現存在物質*区別本質一般普遍全体内容継起具体集合絶対運動変化具象機構構造個別科学
表現データ姿生命意識絵画映像信号所記意味目的上部構造交換価値
実現計算機身体画材画面記号能記媒体手段下部構造使用価値
* 物質は観念に関わりなくそれだけで存在するが、存在を問う対象としては観念と一態の存在になる。
検討材料としての暫定的まとめ。
これら項目すべては概念であり、表現であり、物質ではない。ただし、画面からの光、あるいは脳内の神経信号である物質として存在する。

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呼吸
日々の生活空間
目指す世界空間
日々の生活離れ
目指す世界での呼吸
溜めて
まだ目指せる

2022.09.04
一つ思いついて出力すると空っぽになって何も出てこない。というより何も入って来さえしない。

2022.09.03

それでも定まる
大局は定まっていても、
環境に、状況に揺らぎあり、
それぞれにも揺らぎあり。
それでいて現実は定まる。
もがき、あらがって揺らぐ

2022.09.02
存在は実現と表現の二元からなる
普遍的秩序が失われる過程に個別秩序として個別存在を実現する。
実現、保存される個別秩序が存在を表現する。区別と関係として存在対象を表現する。
 
超高温、超高密度の対称性が破れて場が実現する。
場の相互作用は重力場、電磁場、強弱力の場、ヒッグス場等を表現する。
 
電磁場の相互作用によって局所的な励起が実現する。
局所的な励起が電荷で区別されて電子、陽電子を表現する。
 
クォークは強い力の相互作用によって安定した結びつきを実現する。
クォークの結びつきの組み合わせにより陽子、中性子等を表現する。
 
生化学反応が代謝系として保存され、自己複製して生命を実現する。
生命代謝系の中で個別的部分代謝系が相互に区別して生物個体を表現する。
 
生物進化は物質代謝を社会化し、存在世界の表現を反映する人類を実現する。
人は社会的物質代謝を担い、反映した表現である意識を人格として再表現する。
 
人は存在とは逆に表現から実現を理解する。現象から本質を理解する。
人は感覚によって存在の表現を受け入れていて、存在の実現と表現を一体の存在として認識してしまう。実現と表現が一体化した一元論が常識になる。
そして観念の存在を世界理解に位置づけられなくなる。
人は人間が世界を理解できることを不思議がる。
人は元々物質の相互作用を超える存在表現を観念として意識に反映している。二元論が成り立つ。
 
普遍論争の元は存在の実現と存在の表現の二元にある。
 
物理化学の研究対象は存在の実現であり、数学・論理学の研究対象は存在の表現である。

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「アルベニス: スペイン組曲 第1集」は「コガネムシは金持ちだ」と聞こえてしまう。

2022.08.31
対象の秩序を明らかにするのが対象の理解である。
理解できた対象秩序を世界秩序に位置づけるのが解釈である。
理解できた対象秩序を世界秩序に位置づけることで世界理解が更新される。

2022.08.30
人の意識は表現で成り立っている。
意識は受け入れるのも、作り出すのも表現である。
ゆえに、表現を客観的存在として捉えていない。

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「実現」と「表現」の中間媒体が「信号」ではないか。
信号について模索中

2022.08.27
宇宙は真空を含め物理化学相互作用に満ち満ちている。
物理化学相互作用の系を膜で仕切り、系を自己複製する代謝系が生物として誕生した。
代謝系の信号処理により神経系が進化した。
神経信号処理系が世界の信号を反映して意識が実現した。

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読書中に何を読んでいるのか分からなくなり、目をこらしてまごつく。行を追おうにも文字がつながらない。何と縦書きであるのに、横に文字を追っていた。
世も末ではなく、我も末か。

2022.08.19
フランク・ウィルチェック著「物質のすべては光」のはじめに「『これイット存在イット』」とは何かについて、より豊かな理解をぜひつかんでいただきたい。」とある。
数学での「単位元」、圏論の「恒等射」を、話し言葉では「これ」で表現していたと気付いた。
この本3ヶ月前に読んだはずなのに覚えていない。認知症の症状かな。

2022.08.18
ギリシャの天才達の水準に私が達するわけはないか。
二千年余の科学の成果を学べたら、たどり着けるかも。
どなたか私の誤りを指摘してくださるとよいのだが。

2022.08.17
時空間
時間、空間は存在対象を測るものであって
時間、空間は存在対象ではない
時計は時間を測る物であって時間ではない。
物差し、分度器は空間を測る物であって空間ではない。
時間、空間は意識の対象にできても存在ではない。
存在するのは測られるものである。
測られるのは存在の表現である。
時空間は存在の表現である。
意識は表現を対象として反映する。

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数学、論理学は科学か
数学、論理学は他の緒科学と同じような思考方法、帰納と演繹であってもその対象は全く異なる。
諸科学は対象を普遍化することで理論を一般化して弁証法的に発展してきたが、数学、論理学の普遍化、一般化によってその定義が否定、修正されることはない。
三角形の内角の和が180度であることの検証は数学の問題ではない。物理空間の曲率の問題である。
緒科学は世界の物質の諸階層を対象にしているが、数学、論理学は世界の表現を対象にしている。
ということで、数学、論理学の対象は表現である。

2022.08.15
ロシアがウクライナを侵略して、ウクライナの抵抗が報道された時、応援したいと思ってしまった。煽られた。

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信号の媒体は物質存在そのものだ。
信号は物質である媒体に関わりなく変換され、保存される。

情報はそれぞれに閉じる世界
表現は互いに連なり、繋がる世界

2022.08.03
やはりだめだ。圏論の入門も挫折した。どうにも理解できない「関手」から。

2022.08.02

権力
思いの実現には
力の結集
力の結集には協力
但し、結ぶ力は様々
思いと協力の相反に
定める相反の均衡
依拠する力の選択

民主主義権力
「民主主義」を掲げても、依拠する力が問題だ。
「民主主義」も世襲されば利権、専制権力と同じ、
選挙だけの「民主主義」に民主はない。
「民主選挙」を前提に、選挙を否定する権力亡者がいる。

民主主義は根源的力だ。
民主主義は理想であっても
常により多くの皆で、少しでも近づく理想だ。
皆が疲れても、皆で努めて、皆で手にする力だ。

2022.08.01

しがらみ
仰ぐ人に
推す人
契る人に
諭す人

はばむ人に
たばかる人も
奪う人に
かすめる人も

如何いか程の人と

燈火
誰も ががんじがらめ
がんじがらめの隙間から
見え透ける燈火
今も誰か 掲げる

2022.07.31

生き方
生まれる前から鼓動を聴いた
生まれたときには笑顔を見た
その記憶は今は無い
生まれ、育ちは選べない
喜び、悲しみ、満ちて、失い
育って、育つところを学ぶ

生まれ、育つからには
選ばざるを得なくとも
幸運ただ受け入れるとも
省み、学び
学ばずとも生きるなら
己の生き方、己で値踏み

人の交わりに産まれ
人の交わりに育つ
人の交わりに学び
人の交わりに生きる

世間に産まれ
世間にはまり
世間を頼り
世間に奪われ

弱さを補い
強さを増すも
折れるは己
起つも己

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集合論は区別の関係、圏論は関係の区別
圏論の入門を学び初めて60ページ、行きつ戻りつ、かかった半月、使ったインク・カートリッジ1本
頭のいい人が羨ましい。

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物忘れどころか、今こなしていることを忘れる。
取りに行ったインク・カートリッジどこに置いた。
確か買い物を頼まれた気がする。いつ頼まれた?何頼まれた?クーポンがあったはず!
急がねば改訂

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進む人
道 歩む人でも
険しさに竦み
豊かさに眩み
疎遠に呆然

世間は移ろい
偽装は重ねてはびこり
大勢は増蔓
確信は揺らぐ

省みて引継ぐ人
人の歴史は絶えず
燭光照らす
世の明けるまで

2022.07.26

未知
宇宙は未知がいっぱい
地球も未知がいっぱい
街も未知がいっぱい
命も未知がいっぱい
私も未知がいっぱい
夢も未知がいっぱい
世界は未知がいっぱい

持続可能性
宇宙しぜんたいらか
勝つも負けるも
残るも散るも
状況次第

一度ひとたび勝ちて
勝ち、勝ちを呼び
撃ちてしやまん
天下平らぐ

一人ひとり破れ
ひさぎて抗すも
ひんして流され
生きるを悔やむ

宇宙しぜんは平らか
勝つも負けるも
状況貫き
育むことわりあり
2022.07.30 修正
映像の世紀バタフライエフェクト「難民 命を救う闘い」の感想

2022.07.24
存在は物理量の実現であり、表現はその値である。
   日経サイエンス 8月号2022年『量子コンピュータ最大の壁「エラー訂正」』での閃き
まるで質と量の関係だ。
ただし、検証されている事象の解釈と、解釈の論理的説明が必要だ。それができなければただの戯言だ。
「事象の解釈」が表現における存在であり、「論理的説明」が表現だ。

2022.07.19
圏論は何やら押さえておくべきと思って西郷甲矢人 著「圏論の道案内」をひもといたけれど初っぱなから歯が立たない。頭が全く受け付けない。年のせいか、能力のせいか。著者が紹介しているソーンダース・マックレーン著「数学:その形式と機能」も若い頃挑戦して挫折した。数理は二十歳前に取り組むべきかもしれない。
考えてみれば、反省するに、勉強を理解したのは四十過ぎてからだったな。学校での勉強など何のことかさっぱり分からなかった。大学での勉強も自分の疑問、不満を表現するだけだった。
学友の勉強ノウハウも知らず、期末試験でもおちゃらけていた。
勉強の仕方が分かっても自分のことばかりで、我が子には教えなかった。
勉強の意味は一つ一つの対象を他と区別し、全体での関係に位置づけて納得できる楽しさだと思い直して、もはや理解不能な対象であっても挑戦してみている。

2022.07.18
存在と表現の二元論は気まぐれの思いつきではない。
元々に唯物論と観念論の対立、心身問題、意識の存在が基底にある。
その上で量子の不確定性原理、粒子性と波動性、量子もつれが、そして情報論、数学基礎が示される。
存在の相互作用に人間の主観が介入するなどの解釈に対して普遍性、正当性を追求して至る。
今日の技術は表現される情報で存在を制御している。数学は秩序表現形式を対象にしている。

2022.07.16
存在と表現は一体として実現する。
しかし、存在は継起する相互作用として変転する。一方、表現は変転する存在を超えて伝承し、次第に消失し、次第に拡散する。
表現は存在しなくなった存在、非存在をも表現する。
存在しないものを存在させる能力
 ではなぜひとによってしか血の通った音楽をよみがえらせることはできない、といえるのか。それは人間だけに、存在しないものを存在させることができる能力が備わっているからだ。デジタル機器は在るものを在るものとしてしか処理できない。無いものはどこまでも無いものでしかない。
    大嶋義実 著「演奏家が語る音楽の哲学」p129

2022.07.15
「存在・表現二元論」は樋口恭介 編「異常論文」に分類されてしまうのかな?

2022.07.13
光の媒体としての「エーテル」の存在はマイケルソン・モーリーの実験によって否定されたとされる。
しかし、否定されたのは地球の公転運動と相互関係する存在である。その後、肯定されたのは「光の波動が媒質によらない物理量の変化表現である」ことだ。
波動の概念が更新され、“媒質”の理解が深まった。

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場が励起して粒子を生成すれば観測できる。波束としてなら観測できる。
観測できるのは物理量としての表現だから、粒子、波束と同様には場を直接観測できない。
鉄粉を撒いての磁力線の可視化も磁場の直接観察ではない?

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「区別」、「変化」、「関係」は存在ではなく、表現である。
「空間」も「時間」も存在ではなく、表現である。
数学は存在を対象にするのではなく、表現を対象にする学問となる。
「宇宙という書物は数学という言語で書かれている。    ガリレオ・ガリレイ 」

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亡くなったなら生前の悪事は無かったことにする。
それどころかテロであれば殉教者扱いにすらする。
生前の悪事を死刑によって埋め合わすのと同じ発想?

2022.07.11
波動は連続した振動ではあるけれども、再帰することで離散的になる。
孤立波=ソリトン、海嘯として。弦の振動が典型である定在波として。
ここにも「再帰」の妙味がある。

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場が励起して生成する粒子に存在の根源を認めることができる。
では「場」は存在するといえるのか。「存在」が問われる。
その先に「ひも」が「ブレーン」の存在が問われる。
 
吉田伸夫 著「光の場、電子の海」、「素粒子論はなぜわかりにくいのか」に学んで。

2022.06.30
世界の誤りの根源は物質一元論
相互作用は存在を実現するだけでなく、存在を表現している。現在のすべての存在は過去の相互作用結果の表現でもある。過去と現在の存在表現が情報である。
複雑系、非平衡系だけで生命が誕生しても、意識が実現しても、存在を媒介にした表現の再帰対象化なしにベルの不等式の破れを検証することなどできない。ヒトの中枢神経系の代謝だけでは実験計画も立てられない。
表現された存在情報を一つの視点からまとめて観念世界を描き出しているのが意識である。
存在に媒介された意識であっても情報に基づいてエントロピーの減少を制御できる。
情報表現である法則に基づいて自然界には存在しないニホニウムまで創りだすことができる。
物質一元論では誤った観念の思想支配を説明できない。
 
二元故に創造性がある。逆に観念論の誤りが生じ、物神化が生じ支配する。
理論を説明するための物神化の例は「熱素」、光の媒体である「エーテル」、「バルカン星」等
理論の正当性を検証した存在想定の例は、「中間子」、「海王星」、「アトム」等
理論が後追いした例は「宇宙の背景放射」、「重力レンズ」等
二元故に意識、観念、思想は物質世界を正しく反映せずに誤りえる。
労働価値説否定のための経済学の統計学化
平和のための抑止軍事力信仰
警察力は社会秩序維持のため必須である。軍事力は覇権支配のためであり破滅的である。
 
書き殴ってしまった。説得力が必要
正論であるならどれほどの影響力があるのか

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感覚、認識がなくても表現は存在する。
感覚、認識なくして第二性質はあり得ないが。

2022.06.25
人は世界のすべてを知って、理解して判断しているわけではない。
AIは人知を遙かに超えて世界を知っている。一方人はえこひいきし、欲得で判断する。
しかしAIに判断させてはならない。最終判断は人が行うべきだ。
人の判断が優先されるのは、自らが全知でないことを自覚した上で世界を理解し、世界の実関係の中で判断しているからだ。
人には世界観があり、人は世界の相互作用関係に生存を託している。
ただし、個人的職業経験からすれば、人による人事評価はまったく信頼に値しない。これまでの人事評価権限を持つ者が社会的責任を自覚していないから。

2022.06.18
相互表現は相互作用と存在次元を異にする。相互作用は互いの存在を互いに表現する。互いの存在表現は互いを区別する表現であり、区別の表現は互いの表現を超えている。区別の相互表現は相互作用が継起することで現れる。いわば第三者に対して表現する。相互表現は相互作用関係のネットワークに表れる。
素粒子の対生成は生成された存在が継起する相互作用に対しての表現になる。継起する相互作用へ先行する相互作用の結果を、相互作用があった痕跡を表現する。
対生成、対消滅は泡箱あるいは写真乾板等のシンチレーター分子との相互作用として表現される。
対消滅してしまえばエネルギーとして保存されても、励起して相互作用しない限り存在は表現されない。
表現は物理過程に依存するが、物理学の対象ではなく、解釈の、哲学の対象である。
一般的にすべての相互作用は連関し継起し、並起するネットワークとして実現している。一般的には相互作用は相互表現と乖離することはない。
ただ量子もつれの場合は相互表現が成り立たない。もつれた状態が表現されていない故に「もつれ」であって、観測としての相互作用でもつれが解消されて表現が表れる。もっとも観測に限らず、継起する相互作用で表現される。量子のもつれは表現を伴わない、孤立した相互作用と解釈できる。

2022.06.17
人間は存在の相互表現によって世界を認識している。
存在は相互作用であり、また相互表現でもある。
人間の認識は身体による相互表現の反映である。
この反映は身体の相互作用と連なる相互表現の関連を射影している。
人間は物の存在、物の性質、物の運動、物の関係、物の秩序としての存在表現を認識する。
人間は物の存在表現のごく一部、一面しか認識していない。
人間は認識可能なわずかな存在表現を総合して物の存在を、そして世界を理解する。
人間は表現された世界にそれぞれの存在を評価し、意味づけ、価値づける。
人間は表現される物を操作して価値を実現する。
人間も身体を用いて表現している。さらに人間は物を操作して身体とは別に表現する。
人間の表現を対象にする表現が観念であり、観念の論理的相互規定が概念である。

相互表現
人いなくとも
陽光照らし、星瞬く
花咲き、蜂集う
いし晶出し、河たゆたう
秩序失われ、秩序現れる
物生成し、物消滅す
互いに、すべて組み表す
やがて消えつつ、あまねく広がる
人気付かなくとも

2022.06.11
存在の相互作用が発展し、相互表現が再帰して認識を実現した。
宇宙のビッグバン以来の物質進化、地球生命の誕生進化、生物の認知機序として。
存在が認識を実現し、認識は逆に存在を対象にする。人は相互表現により、相互表現として存在を認識する。
人は存在の相互表現を探索することで、ようやっと相互作用によって存在が実現していることを認識し始めた。
相互作用による存在の実現を関係量子力学として理解した。
 
認識は存在の相互表現の再帰として実現しているから、人が認識できるのは存在の相互表現だけである。
認識自体も存在の相互作用によって実現しているが、相互作用は相互表現とは別次元であり、相互作用は認識の対象にはならない。
だからまだ人は量子力学を理解できない。

2022.06.08
存在が相互作用だけでなく相互表現であることは、感覚を生来備えるヒトにとって当たり前すぎて気づきにくいのかもしれない。感覚は潜在意識が表現するためその機序は潜在し、顕在意識の対象になりにくい。存在が相互作用であるとの「関係量子力学」ですら1900年代後半なのだから。
しかも二元論は非科学、戯言、妄言としての評価が圧倒的常識だから。

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存在の相互表現の形式が論理である。
数学、論理は存在表現の基礎であり、ゆえに普遍性を表す。
これで数学、論理の科学との関係、存在論的モヤモヤが晴れたのではないか。
存在の相互表現の存在への反映が認識である。
存在から存在への反映関係として認識の位置づけが定まる。
それは意識の物質的存在基礎をなす。しかもヒトへの意識進化過程を画する手がかりになる。
ここに、すでに再帰構造がある。
存在、認識、論理の三位一体生を示している。

2022.06.07
レーニンの唯物論が二元論であることは私の新知見ではない。
マッハとの論争では、レーニンの方が二元論者で、超越的な主体との関連抜きでは、現象を考えることができなかったのだ。
    カルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている』p143
「超越的な主体」である「意識」と「現象」である「物質」の二元論の関係として。

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誰も世界を正しく理解できていない。理解できているとの主張は理解できていないことの証拠である。
不確かな世界理解であっても、その理解に依拠して生きるしかない。そしてより現実的理解に改める。

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意識の存在について
対象としてある存在を対象として表現すると、それはすでに対象としての存在ではなく表現としての存在になる。
観察者が観察結果を表現するまでもなく、存在は相互作用することで互いに互いを表現している。相互作用の痕跡として互いの存在を表現している。
表現は存在を超えた存在であるから、継起する相互作用に痕跡として引き継がれ、保存される。
存在は相互作用と相互表現の二元としてある。
存在表現を一つの世界として表現するのが意識である。
ようやくまとまった。どなたか拍手を。
これなら、私の世紀の新知見だろう。

2022.06.04
双対性を“そうたいせい”と読んで意味が分からなかった。
“そうついせい”と読むと分かったような気になる。

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『物質の唯一の「性質」  哲学的唯物論は、それを承認することとむすびついている  は、客観的実在であるという性質、すなわちわれわれの意識のそとに存在するという性質だからである。』  レーニン全集14巻p314
であるから、「われわれの意識」は「意識のそとに存在」せず、物質ではない。

2022.06.03
意識は物理過程に実現している。ここまではカルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている』の一元論に同意できる。
しかし意識は世界を感じ、不完全ではあるが世界を理解している。この意識が描く世界は意識が存在する世界とは対応しておらず、異なる。不完全であるこの意識世界から意識は抜け出すことはできない。
意識の対象である世界、実在世界、物質世界と意識が描く観念世界との二つの世界がある。

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存在の状況依存性
小便器が小便器であるのは便所で人が利用するからである。
小便器も取引されるなら商品である。
美術館に展示されれば芸術作品である。
壊れればゴミである。
常識も状況設定の一つである。存在の常識を疑え。

2022.05.31
物理的関係には相互作用と相互表現とがある。
物理的相互作用はこれまでの物理学の対象であり、今日では重力、強い力、弱電磁力そして未知の暗黒エネルギーがある。
物理的相互表現とは相互作用の痕跡であり、情報である。相互作用を介して作用での情報が表現され、伝達され、保存される。
相互作用は相互に稠密に連関し、いわば剛体系である。
すべての存在確率が確定し、稠密な剛体系として実現し続ける。確定し続ける実在はもはや寸分も変わりようがない。
相互表現は相互作用に媒介されて伝播する、いわばネットワーク系である。
カルロ・ロヴェッリの“関係”である。
相互表現は相互作用の連関に媒介されて広がりつつ減衰する。
相互作用は階層化することで発展的階層では相互作用関連が絶たれる。相互作用は階層化して個別を実現し、個別間の相互作用は特殊化する。
山は裾野では連続しているが頂は孤立している。場は連続しているが励起した粒子は孤立している。
相互表現は個別間では特殊化し普遍的に相互連関しない。相互表現は断続し、場合によって完全に無関連になる。
光速を越えた膨張空間間では情報は隔絶されている。
シュレディンガーの猫の観察者と被験猫とは箱によって隔絶されていて情報は箱が開くまで伝わらない。

2022.05.25
武力は破壊であり、何も生み出さない。武力は敵も味方も抑圧する。
武力支配で平和は実現しないのに、平和のための武力否定を非現実的だと人は言う。
思い込みの「現実」に捕らわれているのはどっちだ。

2022.05.18
昔から北極星の周りをいくつもの星が回っている。
北極星から離れた星もより大きく回りながらも地平線から昇り、反対側の地平線へ沈む。
太陽も地平線から昇り、反対側の地平線へ沈む。
物は下に落ちる。大地の下はあるのか。
中心に位置する物には上も下もない。
この観察と論理からギリシャ人(アナクシマンドロス)は地球を思い描いた。
古代ギリシャでは星が見えたし、星を見つめる時間があった。今日では見る事もできない。

暗い室内に差し込む光に舞うほこりが見える。
稠密に連続していては運動できない。
この観察と論理からギリシャ人は原子論を着想した。

どちらも、カルロ・ロヴェッリに学んだこと

2022.05.17

人の上に
人が手を引いてくれる
人々のなごみ
人々が乗せてくれる
巨人の肩に
拓ける眺望
皆で見はるかす世界
NHK クラシック音楽館「終わりなき旅路を奏でる〜ピアニスト 辻井伸行〜」の録画を見て

2022.05.16

何とかなるさ
日々どうしてる?

これまだって何とかなった
何とかなると見極めずに
どれほどの人々が
どれほどの組織が
どれほどの国々が
地球の人類が
繰り返した失敗

繰り返される失敗も
乗り超えようと
挑む人
挑む組織
挑む国
超えられるか人類
担うのは人

2022.05.14
自分の身体も身体と身体の対象との相互作用関係を介してしか意識できない。自分の身体も意識の直接の対象にはならない。
自分の身体であっても身体の部分間の相互作用関係、身体と身体の対象との相互作用関係で生じる感覚によって意識可能になる。
感覚を遮断すると身体を意識できなくなる。
夢の中では身体を意識できず、身体が寝具と相互作用することで意識が覚める。
痛みは直接意識されるが、痛みの箇所は身体を介してしか確かめようがない。痛みの原因を見るなり、触れるなりして確かめる。
身体感覚さえ残っていれば、失った手足にも幻肢痛を意識する症例がある。
骨折や癌などでは医療機器を介してしか痛みの原因を確かめることはできない。

2022.05.08
NHK『クラシック音楽館』「今こそ平和の響きを〜ウクライナ侵攻 芸術家達の闘い〜
私は音楽を続けたかった、でも 音楽で戦うわけではない。「大砲が鳴るとき 芸術の女神は黙る」ということわざがあります。芸術の女神は沈黙しますが大砲の無情な音を強調したいのではありません、芸術の女神は沈黙しつつも別の“音域”に存在し続けます。音楽は“怒り”のゾーンにいながらも 戦争中は自らの怒りを抑えているのです。私は一人の人間として怒りを感じていますが 音楽でそれを表すことはしません。怒りの表現は敵をあおる可能性があるからです。怒りは味方だけでなく敵にも力を与える、だから 芸術の神は沈黙するのです。音楽は平和の価値を教えてくれます。地球上の一人ひとりの命の価値です。
    ヴァテンティン・シルヴェストルフ

でもそれでは、従来からの利権を握る人、それに隷属する人の声に負けてしまう。
もはや、戦争では恒久平和を勝ち取れず、核による滅亡の可能性を高めることが明らかなのに。
核抑止力を信奉する者を支持し、武器商人に頼る世論。

2022.05.06
思考は意識による意識表象の区別と関係の対象化である。
意識は意識表象を対象とし、意識表象の区別と関係を表現する。
意識表象の区別と関係として対象世界の秩序を辿る意識が思考である。
思考は意識表象の区別と関係によって、対象世界の秩序を再構成する。
意識表象の区別と関係を形式化する思考が論理である。
思考の論理は区別と関係により対象を概念として表現する。
思考は世界を概念間の論理として表現する。

2022.05.05
意識は存在しない輪郭線を認識し、表現する。
意識は意識表象の区別も対象化する。
区別の基礎・基本は二分割である。区別の対象は2つある。
意識は区別の分割=区分も対象にする。
区別の2つの対象に区分が対象として加わる。
対象として加わる区分は輪郭である。
区分の輪郭である境界の強調は側抑制として感覚器官が担っている。
対象の区別は二分割であるが、意識は3つの部分を対象にする。

2022.04.29
「原子は存在するか」と問われて、まともな物理学者は「原子は存在する」と答える。
「原子の存在を示せ」と詰め寄られても、まともな物理学者にはできない。
電子顕微鏡写真を見せられても、原子を操作する動画を見せられても、それは原子そのものでもない。
「存在は」物理学の問題ではなく、哲学の問題であるから。
「存在」は物質の有り様であって物質ではない。存在は認識対象の多様な有り様から一般的、普遍的有り様として定義される。
存在の解釈は人それぞれの世界関係理解への位置づけである。世界の理解は哲学の問題である。
「存在の確認」は日常経験する「物」の有り様を基準にする。しかし「物の存在」を日常経験からは捉えきれず、理解できない。
電磁場そのものは観測できず、電磁場の運動である光としてしか見えない。クオークは単離できない。粒子でも波でもある存在は観測方法によって表れが決まる。暗黒物質、暗黒エネルギーの存在効果は観測できてもそのものは不明である。物質の基礎である量子の存在は日常経験による「存在の理解」と相容れない。
また、日常経験する存在であっても、存在のすべてを理解できていない。
生命、意識、心の存在は物の存在よりも確実であるにもかかわらず、「物の存在」との関係は不明である。
「物こそが、物だけが存在である」との主張は、一つの哲学を披瀝しているに過ぎない。

2022.04.26

表現
存在 互に作用し
互いを現す
刹那の実現
互いを表す

刹那を超える表現
重なり消えつつ
重なり広がる
超えて世界を映す。

存在 表現を捉え
再帰し世界を表す
表現を存在に重ね
世界を捉える。

惨憺
人は人を請け負い
惨憺

契り、
育てて、育ち、
惨憺に惨憺
人を識る

請け負う形様々
識るも様々
惨憺様々
人になる

2022.04.19
ここしばらく独我過ぎるのではと自信喪失気味であったけれどカルロ・ロヴェッリ著「すごい物理学講義」によれば、コペンハーゲン解釈ではない私が学んできた存在論は「関係解釈」と呼ばれているのと同じらしい。

2022.04.18
月は地球を周回し、地球は太陽を周回し、太陽は銀河系を周回し、銀河系はおとめ座超銀河団を構成し、おとめ座銀河団はラニアケア超銀河団を構成している。
これらすべては重力で結びついている。一様ではなく、階層をなしている。
エントロピーも一様に増大化するのではなく、ポテンシャル障壁を乗り越えなくては平衡状態で停止するか、ポテンシャル障壁による逆流で減少さえする。

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カルロ・ロヴェッリ著「すごい物理学講義」に巡り会えてよかった。どうしてもっと早く巡り会わなかったのか。他にも何人もの先端の自然科学者達が、古代ギリシャにまで目配りしているのに驚く。

2022.04.10
映画のスクリーンやディスプレイの液晶面は物理的存在だが、映される映像世界は非物質的表象である。
意識にとらえられる、感じられる表象も非物質的であり、身体及び感覚器官の対象となる物質に投影されている。
身体及び感覚器官とスクリーンやディスプレイは同じ機能を担って存在している。
この関係にあるのは対象とその表象とであって、空間という存在はない。
操作できるのは対象と映像であって、空間は操作できない。

2022.04.09
観測における状況依存性=文脈依存性と保存則の関係について探査中。
状況依存量は状況が変化しても保存されるのか。どのように保存されるのかされないのか。
共役量は相補的であり、共存量は非相補的。

2022.04.08
独断主義、唯我論
自分の世界理解に基づき問題、課題を解釈し、判断する。
誰しもそれ以外はありえない。無批判に他者の意見に従うのであっても、その自らに対する責任は自ら負うしかない。
解釈、判断が正しいか、誤りかではない。正誤の保証なしに判断する。
結果によって世界理解の正誤が判定され、更新される。
自らだけが存在する唯我論は問題外だが、自らの判断は自らだけのものであり「唯我」は当然のことだ。

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片眼に潰瘍ができて難渋している。少し弱気。積極的に取り組む姿勢にない。

2022.04.03
相互作用は存在を実現し、表現する。
実現された存在は実態として保存され、表現は痕跡として保存される。
実態は物質であり、痕跡は表象である。
実態は相互作用の継起、並起として変転する。
実態は多様化し、構造化し、創発し、階層化し、発展し、再生し、進化する。
物質は物理化学的構造を、代謝系を、生物を生みだす。
痕跡は相互作用で次々生成されながら、それぞれ相互作用に媒介され、減衰しつつ拡散する。
表現された痕跡は保存され、保存された痕跡は過去を表現し、過去の現在表現は現在からの未来表現を可能にする。
痕跡の広がりは空間を表現し、痕跡の保存は時間を表現する。
存在は実態の実現過程に秩序を表現する。
信号は秩序を表現し、情報は存在秩序を制御できる。
表現は保存された痕跡を対象にして再帰構造を表現する。表現は表現を対象化して表現する。
進化した動物は身体と身体の対象からなる痕跡を表現する。
進化して実態は再帰表現する表現者を実現する。表現は表現者の表現を実態に重ねて世界を表現する。
動物の中枢神経系は身体と身体の対象からなる痕跡を、身体と身体の対象からなる実態に重ねて世界を表現する。
実態である物質存在世界と科学を含むすべてのあらゆる表現世界からなる二元世界がある。
別名「物質と意識世界」、あるいは「物質と観念世界」とよぶ。
超えがたく隔てられているが、重ね合わせが可能な世界。

紛う方なき二元論に至ってしまった。
存在の表現について学者が何も言及していないのはそもそも誤りであるからなのか?

2022.03.29
指数関数的人口増加、エネルギー消費増加、資源消費の増加、エントロピーの増加、軍事技術の発達と人類破滅への加速状況にあって双曲線様グラフが描かれる。
破滅を免れるには変化方向を転換するしかない。双曲線様グラフを斜傾したS字形に変化させる。兆しはある。経済発展は出生率を下げつつある。炭素排出量削減、持続可能な成長が世界的に課題とされるようになった。ウクライナは持てる武力行使を抑制するギリギリの軋轢状況に至っている。
要するに価値観の転換が問われている。人がどう考えるかではなく。社会的に承認するかの転換が問われている。
少なくとも核兵器の保持・共有が無意味であることの合意を課題として。

2022.03.28
ウクライナ支援の募金とか応じる気にならない。
ウクライナの戦争は天災ではない、明白な人災だ。責任を追及すべき者を放置し、権力を認め、利権を許して、その尻拭いはいやだ。
尻馬に乗って核武装、憲法九条改悪、敵基地攻撃の口実に利用する者たちの跋扈を許すこともいやだ。
さて、何をするかだ。どう生きるか。

2022.03.27
大相撲3月場所で高安に何が足りなかったのだろう。勝ち負けは時の運だろうか。自分の努力、準備は足下にも及ばないが、万人にも共通する大切な手がかりが何かありそうな気がする。
自らの到達点に満足してしまうことかな。

2022.03.25
時空間の存在を問題にしても意味は無い。時空間は存在する対象ではない。時空間は存在を表現する尺度である。
特に時間の過去、未来は存在に関係ない。時間の流れ、そして過去、未来は想定できるだけである。過去も未来も観測できない。過去が過去にあったことを否定などしないが、現在と過去とは相容れない。
シュレディンガーの猫の生死は確かめようがない。蓋を開ける未来には未だ到達しておらず、猫を箱に入れ忘れはしなかったかの過去は過ぎ去っている。存在するのは蓋を開ける可能性だけだ。
太陽で地球へ壊滅的な磁気嵐を起こす大爆発を生じても観測できるのは約8分後になる。
この表現自体に未来と仮定現在、仮定過去、仮定未来が同居して理解しにくくなっている。
観測できるのは過去の痕跡である。
物事すべてが相互作用関係にあり、その相互作用関係が確定していくことが存在することである。
昔、実存主義というのが流行った。
時間も相互作用による存在の実現と表現に関わる。

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「神経系は定形化した信号処理反応」の再現が記憶である。記憶は相互作用を介して保存、表現される。

2022.03.24
観念あるいは意識の存在について

実在は相互作用によって実現し存在する。
相互作用は区別される存在=個々の存在=個別を実現する。
実在の対称性は自発的に破れる。
場が励起して個々に区別される量子が現れる。
相補性、波動・粒子の二重性、もつれ等が確定する。
同時に、相互作用は区別を表現し、作用を表現する。
相互作用の区別は位置、方向、運動量等の物理量を表現する。
相互作用は存在の区別を表現し、作用の痕跡を表現する。
実在の存在と表現とは乖離する。
実在の表現は相互作用過程では存在と表現は一体であっても、相互作用になければ存在は表現されず、痕跡表現は個々の存在を媒体にして保存される。保存される表現であるから痕跡である。
量子もつれ状態は表現が失われている。
無限、極限、乱数等の概念は存在を強引に表現してしまっている。

存在は継起・並起し、表現は変転する。
映画は変転する様々な映像を表現するが、映画表現であり続ける。
表現は存在との関係を能記と所記、記号表現と記号内容、シニフィアンとシニフィエに二重化する。
この「表現」はまだ実在の表現であり、信号ではない。
この「表現」は表現を受け取る者に関わりの無い、存在を実現する相互作用そのものの有り様である。
信号も能記と所記の二重性を表すが、信号の能記は符号、印し、記号等の表現媒体であり、信号の所記は情報である。
表現は相互作用の連なりを介して伝えられる痕跡となって保存される。
相互作用の痕跡表現は、相互作用の継起を介して減衰するが、並起する相互作用へ拡散もする。
相互作用関係の連なりは世界の表現でもある。
世界の相互作用はすべて連なり、一つの全体を表現している。
だからこそ、個々の存在を対象として認識できなくても、相互作用の痕跡表現から存在を明らかにすることができる。
生痕化石は動物と地面との相互作用の痕跡を表現しているが、動物は既に死に絶え、地面は硬化してしまっている。
重力波を観測することで13億年前に太陽質量の約36倍と29倍ある2つのブラックホールの合体を知ることができた。
すべての観測、認識は直接相互作用することではなく、相互作用の痕跡表現をとらえることである。
脳は神経信号を媒体として対象を表現し、思考するのであって、認識対象と直接相互作用していない。

存在は創発し、発展し、階層化し、代謝系を実現し、神経系を実現する。
存在としての神経系は存在表現を信号として対象化し、反応する。
感覚は感覚媒体の刺激を神経信号に変換し、神経系は進化経験に応じて処理した信号を筋肉へ伝える。
神経系は定形化した信号処理反応記憶を区別し、関係づける中枢神経系を実現する。
中枢神経系は存在の信号表現を対象化し、存在関係の反映として世界を表現する。
中枢神経系での世界表現として意識が実現する。
意識は存在世界表現の反映であり、意識に反映された世界表現を再帰して自己対象化する。
中枢神経系での世界表現は存在世界とは別に実現する。
存在と表現は別次元である。世界の存在と意識の存在は別次元である。
物質と意識は二つの次元をなす。物質と意識の二元論が成り立つ。

感覚は存在表現を反映する。
感情は身体状態を反映する。
感覚、感情とその記憶が意識を実現する。
意識による存在表現、存在秩序表現が観念である。

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未だ思いつきに過ぎない。
何方(どなた)が見つけてくれるやら。

2022.03.16
ウクライナへの侵略に対抗する武力に訴えない戦いが世界に広がり始めている。経済制裁によって自分たちに降りかかる経済的負担はウクライナを支援するために受け入れると、ヨーロッパからの発言が報道された。日本国民も受け入れ、参戦できるだろうか。ウクライナ侵略を非核三原則の見直し、九条改憲に利用しようとするのとは真逆の平和国家日本の闘い。
人類が武力を用いないで平和を実現する闘いの試金石になる。ベトナム戦争でも超大国アメリカを追い込んだが、多数国家が参戦するまでには至らなかった。今回はエネルギー、原材料に関わる産業構造の再構築までいとわない長期戦が始まっている。
「空想に止まり思考停止」していては戦術核使用を阻止できず、核戦争にエスカレートする。

2022.03.14
複雑性は自由度の組合せで表現できる。自由度の掛け合わせである。
逆接的な表現になってしまうけれど、単純な複雑性の例は剛体二重振り子だ。二つの回転自由度の組合せで複雑な動きをする。
複雑な運動を生じる自由度の組合せを明らかにすることは難しい。RAS暗号なら力ずくで時間をかけて素因数分解すれば良い。しかし、物事を構成する自由度が均質であることは希だ。それこそ秩序、法則を発見することになる。

2022.03.06
相互作用は必然ではない。
ゆらぎの中で偶然に生じる。
対称性の自発的破れとして。
相互作用の実現は確定である。
全体のゆらぎがやぶれて、
存在が確定する。
多世界に分岐するのではなく、
無限の可能性が一つの現実世界として実現し続ける。

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顕在意識は感覚、感情、記憶で構成され、
潜在意識は感覚、感情、記憶を実現する。

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七十過ぎて言えること」を改訂中だけれども、完成しないかも知れない。
だから、思いついてことを記録しておく。

2022.03.05
相互作用の痕跡は相互作用の継起関連を介して信号の表現になる。
相互作用は互いの作用を痕跡として表現する。
表現された痕跡は継起する相互作用を介して伝わる。
痕跡の表現は媒介され信号の表現になる。
電子はエンルギーを失って光子を発する。電子光子相互作用である。
光子は電子が失ったエネルギーを表現している。
光子は感光物と相互作用する。
感光物の電子は励起され化学反応を継起する。
感光物は光子を発した電子のエネルギー表現を反映する。
光子は電子間に伝わる情報の信号媒体になる。
光子は単独では情報を担わず、信号ではない。継起する相互作用を媒介することで情報を担う信号になる。
光子は発光物と感光物を媒介する。発光物電子と光子の相互作用、光子と感光物電子の相互作用が継起している。

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光子は発光物と感光物を媒介するが、その間何物とも相互作用しない。どこに存在するか定まっていない。
何物とも相互作用しない光子が媒質によって速度を変える。何故?

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インターネットの商業化反対など何時の時代であったのか。
それにしても、宣伝が優先され、マスメディアの過去の記録がそれぞれのメデイアで検索できなくなっている。宣伝はするけど結果は残さない。何時放送された、どんな内容だったのか、出演者はだれ。困るのは音楽番組のデータが残されないこと。つい先日2月27日NHK放送のプログラムを参照できない。他のNHK番組では一応3ヶ月前まで等のプログラムは検索できる。NHKアーカイブスって、何を目指しているの?。データが大切だとGoogleの発想にある。
2022.03.06 訂正。公演者・出演者情報にあった。
検索項目内容を問題にしているのに、宣伝ばかりが検索に引っかかる。ただ、本日 Wikipediaとは別にQuoraを見つけた。みんな同じ思いがあるんだ。コトバンクも大いに利用させてもらっている。

2022.02.28
新居への引越完了。

2022.02.27
1991年にソ連が潰れ資本主義が勝ったと誇った時、何故NATOを解散しなかった。
タラレバではなく、産官軍複合体が支配しているから。

2022.02.25
プーチンがウクライナ侵略を開始した。
今時何でこんな野蛮なことが実際に起きるのか。
もたれ合う利権、武力弄び、平和を縛る。
これは自然災害ではない。

ウクライナのゼレンスキーの挑発を利用するなんて。
権力の蒙者が何を企んでいるか、うかがい知れないが。

2022.02.21
観察者も含めすべてと関わる普遍波動関数についてはエヴェレットが多世界解釈の中で取り上げていた。

2022.02.20
シュレディンガーの猫では、生きてる猫を知る観察者と死んでいる猫を知る観察者も重なっていないと辻褄が合わない。

2022.02.19
「シュレディンガーの猫の成仏解釈」
思考実験に思考者が観測者として没入してしまうことで生じる不確定性である。自らの鏡像に左右反転を感じてしまうのと同じだ。

2022.02.18
考えを言葉で表現するのであって、言葉で考えるのではない。言葉は考えを表徴化し、操作可能にし、整理する。
言葉を使えるようになる前に考えている。新生児も人類も。

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実在を認識する過程は「観測対象-観測手段-感覚-中枢神経(脳)」から成る。そしてこの認識する過程こそ実在である。実在過程はすべての相互作用が継起、並起する連関として実現し、存在している。
そして意識は脳の中でこの実在のありようを俯瞰し、解釈する。俯瞰するからシュレディンガーの猫は生死が重なっていると解釈する。解釈ではなく、動物愛護を配慮して実際に実験してみれば何時何時でも確定した結果を得ることができる。
粒子と波動の二重性も、量子もつれも解釈ではなく現実として、私と同じ存在のありようとして受け入れるしかない。
このような意識は世界解釈の特権者として人間原理すら主張し、あるいは不可知論に逃げ込むこともできる。

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この解釈、アイデアをツイートしてタイムスタンプを得た。
「シュレディンガーの猫の成仏解釈」とでも名づけるか。

2022.02.17
「波動関数は単なる数学的手段に過ぎない」
同じく、時空間は単なる数学的手段に過ぎない。
時間は脳内信号処理経過の記憶によって構成される連なりである。
空間は身体感覚と運動感覚とによって構成される広がりである。
だから四次元以上の空間をイメージできない。
空間は身体運動経験によって常に確認、補正され続けている。感覚信号の変化に応じて空間表現を補正している。眼鏡を買い換えたときの視界の歪みが次第に補正されるように。
それらの数学的表現が物理時空間である。
実在(するの)は相互作用であって、相互作用によって個々の存在が実現し、区別される。

2022.02.16

程度問題
楽して生きるなら 大勢に従い
意味に生きるなら 大勢に背き

2022.02.14
確率がどんなに小さくても、実現回数さえ膨大になれば滅多に起こらないことも必ず起きる。
粗視化の苦手な人間は極一部の実現しか経験できない。故、にエントロピーの増大化として時間の矢を想定する一方、生命の誕生、生命秩序の発展を奇跡のように思ってしまう。
多世界解釈が成り立つとしても、一つの世界しか経験できない。

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意識を話題にするとき、意識しない精神活動を「無意識」とよぶのは何故。意識が無いと言うこと。
歩きながら考え事をしているとき、考え事だけが「意識」だとでも言うの。考え事を言葉で表現しようとしているとき、言葉の表現のみが「意識」だとでも言うの。
伸び縮みする筋肉には意識が無くても、筋肉を意識することはできる。
意識が無いのは熟睡しているとき、脳の活動が統合されていないとき、全身麻酔が効いているとき、死んだときだ。
意識が及ぶことのない潜在意識が基礎にあって、潜在意識に連なって極小さな顕在意識がある。あの人たちの言う「無意識」は潜在意識と、「意識」は顕在意識とよぶべきである。
にもかかわらず、「動物にも意識があるのか」と論争する。

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思考は言語で担われるとの主張がある。しかし、言語には秩序が有り、文法としてとらえる努力がなされてきている。言語秩序に沿っていなくては言語は通じない。言語で思考するとき、思考しているのは言語の意味か、文法か。文法に則るのは思考ではないのか。
外国語の初級者は言語の意味と文法とを同時に思考できない。

2022.02.13
「時間は存在しない」のではなく、「時間も空間も存在ではない」のだ。
時空間は表現構造の基準である。
物事の関係を客観的に表現する基準を示している。

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「ヒト、人間に意識があることを証明せよ」という問題は成り立つのか。「ヒト、人間にとって意識は自明である」とするのは非科学的か、非論理的か。「私はヒトである」、「私は人間である」と同義ではないのか。
「意識」の定義の問題ではなく、意識はどのように対象と関わり、対象をどのようにとらえるのかなら問題としてなり立つ。

2022.02.10
目的、意味は秩序の解釈による。
存在することでなく、存在が実現し、相互作用し、組み合わさり、構造化し、階層化するが、そこで環境による選択が作用する。偶然によって組み上がった秩序が、偶然によって引き継がれ、秩序が発展する。
秩序の発展を見れば適応する目的が見え、実現する意味が見いだされる。後付けではなく、これこそ目的、意味の存在で有り、実現である。
それぞれの存在に、その過程に目的、意味があるのではなく、秩序を実現する表現として、秩序表現を引継いだ情報として目的、意味が実現し、存在する。
生物進化の前適応を逆にたどることで目的、意味が実現し、目的、意味の存在が表現されている。存在としてではなく、表現として現れる。人間が目的、意味を見いだす基準を示している。
秩序の創造こそ目的、意味である。創造し続けなくては秩序は失われる。
遠藤 秀紀 著「人体 失敗の進化史」 を読みながら思ったこと。

2022.02.09
12年乗った400ccのクルーザー・バイクを売却した。あまり長距離走ってあげられなかったけれど、時に妻と、時に娘とタンデムできた。

2022.02.07
己を知ることは、自分の世界観を明らかにすること。
自分の世界観だから、主観であり、観念である。ただし、自分の世界観でも自分の成り立ち、世界の成り立ちに関わって客観が必要であり、客観を通して実在に、実践につながる。
世界のすべての対象が自らの世界観に収まることで納得できる。
私は観念論ではないが観念的である。東洋的、仏教的?。実践による社会的報酬を求めない。社会的報酬を求めてももたらされるわけがない。でももらえたらいいな。私の脳内報酬系へは時々今のように至福がもたらされる。世界は変革の対象であっても、変革に私の力は及びもつかない。
佐々木閑 大栗博司 著「真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話」を読みながら思ったこと。

2022.02.06
シュレディンガーの猫の場合。放射性物質は原子1個でも、塊でも良い。要は放射線の放出時期が決定していない点だ。しかし、箱の蓋を閉じる時には崩壊していないことは確定している。蓋を閉じると崩壊を知ることができない。崩壊の観測結果を放射線検出器、青酸の放出器、猫の生死で表示するかに違いはない。崩壊を観察できないから崩壊した状態と崩壊していない状態とが重なっていると解釈する。原子核崩壊は重ね合わせでも、量子のもつれでもない。解釈者が猫の生死を重ね合わせているに過ぎない。放射性原子個々の崩壊を予測できないだけのこと。猫の死亡している確率は時間とともに増える。時間がたつほど猫が死亡する確率は高くなり、実験に関わりなく五十年たてば確実に死亡している。
不思議なのは放射性物質の半減期が定まっていることだ。個々の原子の崩壊時期は決まっていないのに、全体では半分が崩壊する時間が定まっていること。経験則でしかないのか。
EPRでの量子状態は眼で見るのではなく、量子と観測機器の相互作用で決まる。観測対象である量子の生成は観測の前に生じる。観測によって対生成があったこと、量子の状態を知る。観測器との相互作用で手元の試料の量子状態が確定し、他方の量子の状態も遠方であろうが手近であろうが「同時」に確定し、もつれ状態が解ける。しかし、その「同時」は特殊相対性理論で否定される。

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大栗博司 著「強い力と弱い力」は著者が表明しているように、ごまかしのない解説で丁寧に読みたくなる。特に対象性と質量の関係について。

2022.02.01
抽象と具象
抽象は全体を分類区別し、分類した関係に部分を対象としてとらえる。対称性
具象は他と区別して、身体あるいは意識の対象としてとらえる。対象性
捨象は具象の中から特定の抽象を対象化すること。対象とする特定の抽象を選び出す捨象と、他の抽象を捨て去る捨象がある。
敷衍は特定の抽象を関連する具象のうちに対象としてとらえる。
象徴=イコンは抽象を具象で表現する。
抽象的に表現してみました。

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「愛」の対義語・反対語は「憎」である。
「愛憎」は互いに関心があって対義であり、反対である。しかも、関心が強い程に逆転しえる。
他方「愛」と「無関心」は互いに逆転しえない。「無関心」は「関心」の否定で有り、「関心」は「愛」ではない。関心の強弱が「愛憎」の強弱を表す。

2022.01.30
EPR実験で彼方に行ってしまった量子とシュレデディンガーの猫とは同じ状況(状態の意味)ではないか。

いつ波が収束したか、確定したかはEPR実験の量子の分離とシュレディンガー猫の放射性崩壊とが対応する。
摩訶不思議感は「観察すること」と「理解すること」の違いによる認識の問題だ。
物理過程はすべて「観測」に関わりなく、この例でも量子の分離と放射性物質の崩壊は相互作用の実現である。物理的存在は相互作用によって実現する。

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二元論の根拠
物理的相互作用は互いを区別して存在を実現する。
互いの区別は作用痕跡の表現である。互いの実現は存在することである。相互の痕跡は区別を表し、作用は存在を現す。
作用の痕跡は相互作用の連関を経て伝わる。存在の連関が媒体となり、痕跡が信号になる。信号が表現する痕跡は情報である。媒体と情報とが存在と表現の二元をなす。
情報は再帰し、認識されることで媒体世界を対象として反映世界である意識を実現する。物質世界とは別に観念世界が実現する。

2022.01.29
シュレディンガーの猫の代わりに観察者を箱の中に入れてみる。観察者は「自分が生きているか」を観察している内は生きている。死んだときには観察できない。客観的には観察者は生き、そして放射線が出れば死ぬ。主観的には観察者も死を観察できない。外の人は猫であろうが観察者でああろうが、その生死を当然問えない。
例を生死という二律背反での思考実験に問題があるのか。直接放射性物質の崩壊を観察するなら確率でしか観察者は観察できない。外の人は猫の生死と同様箱を開けるまでは結果を知り得ない。
私より頭のいい人はいっぱいいるのに、回答が出ていないというのはどういうこと。

2022.01.28
カルロ・ロヴェッリ著「時間は存在しない」は我田引水したくなる勉強になる本だ。

このところ忙しない

2022.01.24
私が「私」であると感じ、確信できるのは身体と意識が整合しているからだ。
身体の感覚は形や機能だけではない。身体を動かすことでもたらされるであろう感覚を経験に基づいて潜在的に予測している。イメージトレーニングでは意識的に予測する。実際に動かして得られる感覚との一致を確認し、誤差を調整できることで私が「私」であることを確認している。
だから道具を使いこなせば身体の一部として操作でき、身体と同じに対象を感じることができる。道具を使って身体を拡張し、道具を手放せば感覚は身体に回収される。
身体は常に代謝して更新されている。人生において生長し、老化する。病を得て、怪我をする。そこに生じる違和感を身体に感じ、受け入れる経験をとおして私は「私」を確信している。
デイヴィッド・J・リンデン 編著「40人の神経科学者に脳のいちばん面白いところを聞いてみた」を読んで

このサイトを引っ越さなくてはならなくなる。プロバイダーが事業を廃止する から。

2022.01.15
作用には相互作用と媒介される作用がある。
相互作用は作用と反作用であり、近接作用であり、作用方向は双方向等しく方向性はない。
媒介される作用は相互作用が継起する複数の作用過程である。媒介過程を担うのは直接する相互作用であるが媒介されることで、媒介される作用は遠隔作用であり、作用には一方向、方向性がある。
媒介される作用は継起し連なることで再帰がありえる。再帰して、媒介し継起する過程を経て、元である作用に作用する。

作用は表現し、表現される。
作用の表現も直接表現と媒介表現がある。
相互作用での互いの反作用が表現である。
相互作用が継起し、媒介されることで表現は表現媒体と表現に乖離する。
表現するもの(表現媒体、記号表現、能記=シニフィアン)と表現されるもの(記号内容、所記=シニフィエ)が乖離し、表現されるものは存在と表現表象に二重化される。

2022.01.14
意識は感覚、感情、記憶である。意識は感覚、感情、記憶のみであり、感覚、感情、記憶でない何物も含まない。意識には物質など入り込みようもない。
このことは実験、観察によって確かめることはできない。感覚、感情、記憶として表現される対象は意識されることでのみの対象である。
意識は存在する。意識は存在を確かめる。意識は存在を認める。意識は意識の存在を認めるのと同じに、物質の存在を認める。
意識が認識するから物質が存在するのではない。物質を意識するから存在が問題になる。

2022.01.12
七十過ぎて言えること」について、話が飛んでわかりにくいとのご批判がある。書いた当初はうまく表現できたと思っていたけれど、言われて反省。どうしてこの程度でよしとしたのか。初っぱなから流れがまずく、整え直す必要がある。改訂の中心テーマは「表現」だが、人に読んでもらえるよう表現しなくては。


世界 《 改訂案 》

「世界」と言っても日々暮らす「世間」も、広大な「宇宙」もあります。政治の世界、経済の世界、芸術の世界、コミュニケーションの世界等、多様な面から世界をとらえることができます。また、内面世界、客観世界、実在世界、曼荼羅世界等もあります。様々にとらえられる世界ですが、それらすべてを包み込んで実際の世界はあります。存在するすべてからなる世界があり、有るものはすべて世界に存在し、無いものは世界に存在しません。

世界理解をめざします。
そんな世界のすべてを理解しなくても生活できています。しかし、全体が見えないのでは、夜の山中を懐中電灯頼りに歩き回るようです。安全、安心のためにより広い視野が必要です。
また、安全、安心だけでなく、理解することに価値があります。世界を理解できれば物事の成り立ちが明らかになり、物事の評価基準が定まります。物事が明らかになり、評価できれば、自ら進んで困難に立ち向かうこともできます。
理解を広め、深めることで自分の世界が豊かになります。
さらに、理解そのものが喜びになります。なかなかの難問がついに解けたとき、新しい世界が拓けるような達成感がえられます。山の頂に到達したときの眺望、持て余していたジグゾーパズルのピースがはまったときの爽快感と同じです。達成感も様々な欲求が満たされての快感と同じ脳の働きです。中毒になっても実害のない快楽です。
世界の理解にも、知っておくべき多くの基本的事柄があります。基礎的知識だけでも膨大で、基礎的であるほど正確な理解が必要です。それぞれの分野の専門家が適切な解説をしてくれていますので参照してください。
この下げた段落では世界理解を進めていく上での例を紹介します。検索、確認できるよう公然の事もあえて記します。「そうなんだよ」と相づちを打っていただけるなら幸いです。
公然の事も共通理解を確認するためあえて記します。本文で主張するには根拠薄弱な解釈も含みます。その他本文の筋からは外れた蛇足でもあります。
私の世界理解が及んだ内容について興味のある方は拙著「哲学の一般教養 二元世界」を参照してください。
世界の理解は個人的なことです。先人に学ぶことは必要ですが、理解するのは自分自身です。理解、納得は人に強制されるものでなく、本人だけのものです。どんなに素晴らしい忠告も、科学的で正しくても、言葉として理解できても納得できなければ意味がありません。自分の世界理解によって、自分の選択に納得します。
これからここに示すのは世界理解の基本的枠組みです。世界理解の内容ではなく、形式を扱います。数学が公理を前提にして組み立てられ、公理の検証は数学の問題ではないのと同じです。いわば骨格の組み上がりを示し、肉づけ、身体の動きはそれぞれにお任せします。内容と形式は相互に結びつきますが、まずは私が理解した世界理解の形式を紹介します。




世界 《 改訂前 》

「世界」と言っても日々暮らす「世間」も、広大な「宇宙」もあります。政治の世界、経済の世界、芸術の世界、コミュニケーションの世界等、多様な面から世界をとらえることができます。また、内面世界、客観世界、実在世界、曼荼羅世界等もあります。様々にとらえられる世界ですが、それらすべてを包み込んで実際の世界はあります。存在するすべてからなる世界があり、有るものはすべて世界に存在し、無いものは世界に存在しません。

世界理解をめざします。
そんな世界のすべてを理解しなくても生活できています。しかし全体が見えないのでは、夜の山中を懐中電灯頼りに歩き回るようです。安全、安心のためにより広い視野が必要です。
また、安全、安心だけでなく、理解することに価値があります。世界を理解できれば物事の成り立ちが明らかになり、物事の評価基準が定まります。物事が明らかになり、評価できれば、自ら進んで困難に立ち向かうこともできます。
理解を広め、深めることで自分の世界が豊かになります。
さらに、理解そのものが喜びになります。なかなかの難問がついに解けたとき、新しい世界が拓けるような達成感がえられます。山の頂に到達したときの眺望、持て余していたジグゾーパズルのピースがはまったときの爽快感と同じです。    
世界を理解していることで、自分の選択に納得できます。理解、納得は人に強制されるものでなく、極めて個人的なことです。どんなに素晴らしい忠告も、科学的で正しくても、言葉として理解できても納得できなければ意味がありません。理解も、納得も人から与えられるものでなく、自分一人で得るものです。

世界を理解するにも、知っておくべき多くの基本的事柄があります。基礎的知識だけでも膨大で、基礎的であるほど正確な理解が必要です。しかし、ここでそれらを紹介できません。それぞれの分野の専門家が適切な解説をしてくれています。   
これからここに示すのは世界理解の基本的枠組みです。世界理解の内容ではなく、形式を扱います。数学が公理を前提にして組み立てられ、公理の検証は数学の問題ではないのと同じです。いわば骨格の組み上がりを示し、肉づけ、身体の動きはそれぞれにお任せします。内容と形式は相互に結びつきますが、まずは私が理解した世界理解の形式を紹介します。
この下げた段落では世界理解を進めていく上での例を紹介します。新発見の紹介はできません。「そうなんだよ」と相づちを打っていただけるなら幸いです。世界知の蓄積は膨大ですが、今やインターネットで簡単に検索できます。ただ、そのインターネット情報の真贋を見極めるには、やはり自分の世界理解が基準になります。
また、公然の事も共通理解を確認するためあえて記します。本文で主張するには根拠薄弱な解釈も含みます。その他本文の筋からは外れた蛇足でもあります。
私の世界理解が及んだ内容について興味のある方は拙著「哲学の一般教養 二元世界」を参照してください。

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