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独白 2019年

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2019.9.21
「存在」についてどんなに頑張って説明し、表現してもそれは認識した存在でしかない。ということで平常心を取り戻せた。

2019.9.18
「認識」が分からなくなった。あれ程明確、当たり前だったのが。自分の頭がおかしくなったのか、新しい視点が見つかる前なのか。存在と、論理の狭間で。昨日まで読んでいたのはリアム・ドリュー著「わたしは哺乳類です

2019.8.31
秩序
秩序は存在可能性
故に
認識を有効に
論理を方法と
我々を進化させ
生き永らふ。

酔っても、七十過ぎても、まだ、大丈夫かな。世迷言。戯言。

秩序を実験などで検証することはできない。認識にとって秩序は対象ではなく、解釈、理論である。法則が秩序を論理的に正しく表現しているかならば実験で検証できる。秩序は存在の原因であって、実験は結果しか対象にできない。秩序の解釈を受け入れるか、別の解釈をするかは世界の理解に関わる。

2019.08.11
夢 か
日々ではないけれど、
時の、そのまた時に
地図に新しい道を見つける。
それも、結構な視界。
それでも、妻も、息子も、娘さえも、
世間は尚更、
失せるを待つだけの世界と。
気づきの、気もかすらぬ

2019.7.18
主観と客観と区別するけれども、どちらも「観る」のであって、観るのは主体である。
主体は客体と相互対象化し、相互規定し合う。
主体は客体との相互関係にあって、客体を主観に反映し、表象として観る。
主体にとって主観は直接的であり、主体は主観を通して客体を間接的に観る。
主観として観る表象を、主体が対象にする客体と重ね合わせることで主観の客観化が成り立つ。
表象と客体との重ね合わせは、主体の繰り返し、継続する実践によって検証される。

あまりにも、当たり前のことではないか。

2019.7.1
区別されて次数が導かれる。

存在の区別は相互対象化であり、対象の区別は相互規定である。

対象は区別されて二分される。 区別は二分である。 二分は相互に規定できるが、三分では規定が定まらず三竦みになる。 例えば、ジャンケンで紙はハサミに負け、ハサミは石に負け、石は紙に負ける。 三竦みは相互に規定しあうが、相互規定関係も三つあり、関係を区別できない。 三竦みでは区別を区別できない。三竦みではいわば優劣を決められない。 三つ以上の対象間の関係は組合せである。いわば必然性がない。ただし、必然性のない組合せは意味がないのではなく、発展、創発の鍵になる。

二分された区別をさらに区別することで区別が次数化する。 区別の区別と続く区別から次数が導かれる。 二分した対象をさらに二分し次数は順序を区別する。 区別を繰り返して区別が連続する。 区別の次数は順序と連続を表す。

区別以前の対象として存在が一つ定まる。 これを区別して二つ、区別された一方を区別して二つ、さらに区別された一方を区別して二つ、・・・、と区別を繰り返す。 こうして、一つから2分の1、4分の1、8分の1、・・・、と続く。 繰り返す区別を「1(回目)、2(回目)、3(回目)、…、」と数えて次数が並ぶ。 当面の対象は二分割を繰り返す。 その他を含む全体は同じく二分割して2乗マイナス1で増加するが、その他として括れる。 次数の連続が自然数を表す。
区別される対象の数ではなく、区別の回数が肝である。
逆に、始めに区別する以前の「0回目」が一つの存在として「0」が導かれる。ただある、何の区別もない、何ものにも規定されない存在である。
それに続くのは区別されて括られる。 区別される元は一つであるが、最も単純な集合であり、空でない集合である。 区別される対象としての元ではなく、区別して括って個別性を再生した集合である。


ペアノの公理を分かりたくて、自分なりに表現したくて酔理してみた。

2019.6.13
体系
区別は再帰して、区別を区別し体系をなす。

区別の区別から遠近が区別される。
遠近の区別から順序が区別される。
順序の区別から自由度が区別される。
自由度の区別から次元が区別される。
次元の区別から空間が区別される。
空間の区別から系が区別される。
系の区別が体系を表す。

遠山啓著「無限と連続」p103に触発されて。

2019.5.25
オーストラリアでは1970年代までの先住民政策への謝罪を「喪章史観」と呼ぶ人がいたという。日本では戦争への反省を「自虐史観」と非難する人が増えているようだ。「未来志向」様々。

2019.5.12
日本語教育より英語教育? プログラミング教育? 国書、万葉集も翻訳が必要な日本で。 令和元年めでたし。

BASICのプログラミングが面白くなったのは、複雑になってステップ毎に変数がどんな値に変化するか確かめるトラップを考え出した時だな。今はそんな楽しみの機会も、気力も失せて。自分一人に自慢して。

2019.3.27
エイドリアン・オーウェン著「生存する意識」は植物状態の患者にも意識がある可能性を発見した物語。当人の著作とは知らずに読み始めて真摯な叙述に引き込まれた。意識の有り様の階調に対する科学の方法とその限界を探るドキュメント。自らの意思を健常者の方法では表現できない状況で精神病院に収容されながら生き抜いて伝説化する小説を思い出した。同じ状況で自分なら生き抜けるか?と恐ろしくなった。現実にあり得るんだ。

2019.03.26.
真理の存在証明
存在に実在と虚在あり。
実在と虚在を区別できない
我々凡人の認識は論理に頼る。

論理は完全性と無矛盾性、
完全性、無矛盾性の保証は
議論領域の平坦性。

連続し、歪まない領域は限られる。
不連続ならたちまち破綻し、
自己言及で歪めば不完全が証明済み。

相補性は連続性を引き裂き
局所性は縺れて引き延ばされ、
存在は定義をすり抜ける。

集合は集合して再帰し
元の連なりを絡め、
拠って建つ領域を失う。

論理に頼る凡人は
形式超え目指し
存在と認識に省える。

認識の実効性は
局所性と詳細性
日常存在からの連続性。

存在、論理、認識、
対象、形式、弁証、
三竦み、超えるは実践。

少し酔って、力みが取れて、
なんとか、ようやく、まとまった。

2019.03.20
集合論
元一つでも 集合を表し、
集合の一つで 集合を表し、
元一つなくても 集合を表す。
これで すべてを表す。
無限すら 無限の階層すら、
自らをも表す。

2019.2.19
意識(私)はそれ自体が身体に媒介され、感覚に媒介されている。
媒介された意識は身体の対象と、感覚の対象と直接相互作用することはできない。
媒介された意識は身体、感覚によって媒介された意識表象しか対象にできない。
故に、「物自体」を直接認識することはできない。
意識は媒介された意識表象の普遍的秩序を抽象する。
身体と、感覚と、その対象の存在秩序は、普遍的であるから媒介されても保存される。
意識は普遍的秩序によって、普遍的秩序として世界を認識できる。


「右」は「右」であって「左」ではない。「右」は「上下」でも、「前後」でもない。だから鏡に映る「右手」も右手の方にある。
ところで、鏡に映る「前」は前を向くから「前」しか見えない。「後」は「前」の向こうを向いているから、後も「後」も見えない。鏡に映る前後の向きは逆転する。

2019.1.19
当ページの年越し処理を失念していた。

ツイート:「安倍日本の暴走で自滅するのを待つのも国際戦略か?」
こんな傍観的な発言は控えるべきだろうな。でも、世界を牛耳っている人たちに世界平和や貧困撲滅など興味はない。皆が善人などではないのが世界。


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