豊川進雄神社例祭(19.07.20) 豊川市豊川西町


綱火とともに笹踊りが始まる。

拝殿前から一の鳥居に来て、ここから始まる。

基本隊形、腰を落とす。

大太鼓が小太鼓の間を抜ける。

基本隊形、大太鼓の位置が変はつた。



  豊川進雄神社例祭、通称豊川夏祭りは綱火で有名である。土曜日の夜、手筒花火と一緒に行はれる。それが始まる前、午後5時半、笹踊りが御輿渡御先の稲田神 社、通称元宮に向けて出発する。その初めに第一発目の綱火が発される。ついで一の鳥居、ここで笹踊りは所謂ヨーカン煙火の小さな手筒の洗礼を受ける。東西 の大山車(オーヤマ)では、稚児の少女達は浴衣姿であるが、御幣を持つて一行を迎へ、送る。さうして、午後6時半頃であらうか、笹踊りは元宮を出発して進 雄神社に向か ふ。一行が東大山車を過ぎると隠れ太鼓の笛と太鼓が聞こえてくる。これが隠れ太鼓のお囃子の始めである。
 日曜日は神幸祭、御輿渡御である。午後4時に笹踊り3名が拝殿前を出発する。一の鳥居に控へる若い衆に囲まれつつ、行列は笹踊りを先頭に進 む。御輿渡御が動き出してしばらくすると隠れ太鼓が始まる。笹踊りは西の大山車から東の大山車に向けてゆつくりと進んでいく。その後を御神輿が進む。その 位置に従つて隠れ太鼓が行はれるのである。奏する曲はそれぞれで決まつてゐる。帰りも同じであるが、こちらは御神輿が東の大山車を過ぎると稚児の「合掌」 といふ曲が始まり、それが終はると大山車の片付けとなる。山役者と稚児も最後の参拝のために神社に向かふ。かうして午後6時半過ぎには大山車の片付けも終 はり、渡御に奉仕してゐた人々も追々帰つていくのである。
 笹踊りの宵祭りと本祭りの違ひは、先ず衣裳、宵祭りは銀錦と呼ばれる衣裳、本祭りは金錦と呼ばれる衣裳である。本祭りは社頭で花火の洗礼、吉田天王社の 火垢離は受けない。若い衆数人が提灯をつけた笹を持つ。
 ちなみに、笹踊りは元宮まで本来なら1時間以上かかる。が、ここ数年はそれをはしょつてゐるやうで、その間、40分くらいであらうか、笹踊りの周りを若い衆が取り巻いてゐる。豊川進雄神社の笹踊りの踊り手は神様であ る。従つて、顔を隠してゐるだけ でなく、人に見られないやうに隠されてゐる。しかも最近はガードが固い。少しでもあくと、すぐに笹踊りは隠されてしまふ。 隙をねらふしかないのだが、若い衆もひたすら隠す。そんなわけで途中で写真はほとんどあきらめたのであつた。さうして一行は元宮到着、しばしの後、帰途に つくのであつ た。
  なほ、大山車上の人形、西の赤鬼はまちがひないとして、東の楠木正成は大いに疑問に思つてゐた。東の大山車の物置(?)を見せていただいたところ、衣装 箱には源頼光とあるではないか。更に面箱を見るとここにも源頼光とある。楠木正成の面もあるといふのにである。たぶん本来、この人形は頼光であつたのであ らう。それがいつの間にか正成になつてしまつたらしい。してみると、この2両の大山車の人形、合はせて能の酒呑童子である。私は納得できたが……といふと ころで、ある方が教へてくれた、その昔は西の大山車の人形は赤鬼と頼光の2体であつた、と。年寄りからきいた話ださうである。つまり、西の大山車は酒呑童 子であり、東の大山車は楠木正成だといふことである。納得できると同時に、この2つの大きな落差に、たとへ能の「酒呑童子」と「桜井」であつたとしても、 いささかのとまどひを覚える……とまれ、この鬼は酒呑童 子である(らしい)。


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