新本町素盞嗚神社輪くぐり神事(19.07.31) 豊橋市新本町
本年度の日程、茅萱は豊川放水路のいづれかより調達とのこと。7/18撮影。 |
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掛け行燈に「わくぐり」「天王社」とある。 |
同左 |
拝殿内、左右におみよし様、その左側。 |
輪くぐり。 |
特別ゲストである。このお宮、ご存知かと思ふが、吉田神社祇園祭の御旅所である。江戸時代の通称はそれゆゑに御輿休天王社であつた。同時に、吉田
天王社が城内の天王様であつたのに対して、こちらは横町の天王様であつた。山本貞晨「三河国吉田名蹤綜録」(豊橋市史史料叢書四所収)からは、この御輿休
天王社が今とは違つてかなり広い敷地のお宮であつたらしいことが分かる。現在地もまた表通りより一本南の細い通りにある。ここは、江戸時代から輪くぐり
のお宮として有名であつた。この輪くぐり神事では、以前は茅萱に五色の人形(ひとかた)をつけたおみよし様を深夜に豊川に流したといふ。それが流れ着いた
地区ではそれをお祀りしたといふ。現在はもちろん流すことはできない。
祗園祭は夏病み除けの祭りである。花火の音や光、笹踊りの太鼓の音、これらはもちろんさういふ文脈の中で捉へられる。饅頭配りのあの小さな饅頭は当然厄
除
け、夏病み除けである。鼻高面をかぶせてもらふのも夏病み除けである。さうしてそれを完結させるのがこのお宮の輪くぐりであつたと思ふ。祗園祭での夏病み
除けがこの輪くぐりで完結されるのである。ここで半年分
の祓へをして後半の半年に望むのである。だから、現在は新暦六月末に行ふところが多い輪くぐり神事も、ここでは祇園祭以前に動かすことができない。七月末
に行ふ、祗
園祭と不可分の輪くぐり神事である。ちなみに、このおまつりの正式名称を私は知らない。納涼祭、あるいは輪くぐり祭であらうか。