きまぐれ聴低盤 2006.12
06.10.07 ・TANGERINE DREAM"Jeanne d'Arc"(TDI CD043)は 最新アルバムであるらしい。昨年'05のアルバムである。毎度のことながら、輸入盤では曲名とメンバー、それに録音データぐらいしか分からない。"La Vision"以下全9曲、約80分である。アルバムは例のジャンヌ・ダルクにちなむ。公式サイトにはこんなことが書いてあつた。"On the occasion of the 300's anniversary of the French Cathedral in Berlin TANGERINE DREAM performed twice their new studio composition - JEANNE d' ARC - La Revolte Eternelle - for the very first time in July 2005. "ジャンヌ・ダルク記念ではなく、教会の300年記念といふところであらうか。" This studio album was shortly recorded before the live performance including Linda Spa's saxophone and flute parts."この時の演奏曲をライブ前にスタジオ録音したのが本作といふことである。しかも、そのメンバーにはサックスとフルートのLinda Spaが加はつて、であつた。このサックスの件、通販サイトには記してなかつた。現物を店で見ることもできなかつた。だから、私は知らなかつた。私には大 きな問題である。サックスが嫌ひなのである。より正確に言へば、タンジェリン・ドリームにサックスは似合はないと思ふからである。 ・かつて"three phase"といふビデオがあつた。'92のライブである。ここでもLindaのサックスが使はれてゐた。これが実に不似合ひ、これを見た時に驚いたなど といふものではない。TANGERINE DREAMはこんなバンドではなかつたはずだ。サックスだけではない。エドガー・フローゼや息子のジェロームの弾くエレキギターもまたサックスに劣らぬ音 を出してゐた。不似合ひである。およそTANGERINE DREAMらしくない。あのたゆたふやうな音の流れはどこに行つてしまつたのか。これはもうTANGERINE DREAMではない。似て非なるバンドである。本当にさう思った。それから10年以上、息子はメンバーとして定着した。音楽は以前より格段にポップになつ た。たゆたふ音の波は後退した。しかし、その後、"three phase"のサックスやエレキはないと言へる。幸ひにしてTANGERINE DREAMの音が、エドガーの音が聞こえる。聞き易い音である。さうしてこのアルバムである。"a musical hommage to the brave of this world and the principle of revolutionary thoughts and acts"、ジャンヌ・ダルクと彼女が生きた時代への頌歌である。ここにサックスが似合ふかどうか。ところが、幸ひなことに、それほどサックスは聞こえな い。フルートはほとんど気にならない。音色である。豊かと称せられるサックスのあの音色は、ここではそれほど前面に出てこない。控へ目である。例へば3曲 目の"La Force du Courage"、シンセサイザーにあの音を溶け込ませることはどだい無理な話だから、エドガーもそんなことは考へもしないだらう。ただ、できるだけ浮き 上がらないといふ配慮がなされてゐるかのやうである。"three phase"のやうに、何だこの音はとは思はないですむ。それでも気になる。8曲目"Le Combat des Epees"も同じ。言はば脇役である。先の記述からすると、Lindaはライブには参加してゐないのであらうか。ならば脇であるのもうなづける。両方出 てゐれば脇ではすまないはずである。ライブでシンセサイザーか何かで代替させられるだけの役割がLindaにはあつた。これがアルバムに反映しているのか もしれない。だから、Lindaがゐると知つた時の思ひはほぼ杞憂であつた。Lindaがゐない方が良い。しかしこの程度ならば許さうかといふことであ る。そんなわけで、このアルバムも最近のTANGERINE DREAMの傾向を表してゐると言へる。以前に比べればかなり変はつた。人は変はる。だからそれはしかたないと思ふ。いつまでも昔のままとはいくまい。エ ドガーにはエドガーの、私には私の思ひがある。そのズレがどの程度であるのか。それが"three phase"と"Jeanne d'Arc"の差になつたやうである。最近はその差が少ない。以前は息子に引かれてか、その差がかなりあつた。親父が息子を制御する術を覚えたのか、息子 が親父のグループの指向、嗜好を理解したのか。ポイントはここであらう。このアルバム、さうであるがゆゑにTANGERINE DREAMらしい。聞こえてくる音はポップではあつてもTANGERINE DREAMである。フローゼ一家の音と言へようか。これは何物にも代へ難い。これを楽しみたいと思ふ。今は、これが私のTANGERINE DREAMの聞き方、楽しみ方である。 06.06.24 ・一世を風靡したフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルのスザートの舞曲集、さすが金管合奏です。名手ぞろひでも あり ました。華やかです。今聴いても見事です。あれを超える金管の舞曲集は出ないのではとさへ思へます。録音は他にも多くあるのですが、私にはこのスザートの 印象が強烈で、他のは覚えてゐません。名演多けれど、やはりこれがPJBEのベストではないかと思つてゐます。 ・そこでマンローです。The Early Music Consort of London.David Munrow"RENAISSANCE DANCE"(Virgin 0646 3 50003 2 0)で す。2枚組廉価版、スザート、トマス・モーリー、プレトリウス等の舞曲を35曲収めて約103分、さすがマンローと思はせます。スザートはPJBEと重な ります。冒頭は"La Mourisque"、打楽器が使はれてゐます。楽器は管楽器中心、かうなれば、いやでも印象は派手になります。これもブロークンコンソートですから、金 管合奏のやうな均一の響きはありません。だからこそ、この様々な音色が魅力です。楽器はリコーダー、クルムホルン、コルネット、サックバット等の管楽器、 viol族とviolin、リュート等の弦楽器、チェンバロ、打楽器です。この管楽器の厚さ、金管だけでも6人はゐます。マンローの好みも反映しているの でせうが、やはりこれは舞曲を意識した編成でせう。私はリコーダー好きゆゑ、音を聞く以前に、かういふ管楽器中心の編成を知るだけで嬉しくなつてしまひま す。正に様々な音色です。曲に合はせた管楽器の音色の変化を楽しむ、かういふことです。12"Ronde"はクルムホルンと金管の掛け合ひとでもいふので せうか。7のバスダンスもクルムホルンです。8の"Danse du Roy"はリコーダー中心です。13のパヴァーヌもPJBEでお馴染みです。従つてでせうか、大合奏です。この録音は'71年、さすが古い。PJBE来日 は何年のことでせうか。結成は'51年、マンローよりは古いのでせうから、マンローが影響を受けたのでせうか。スザートの舞曲と聴くと、私にはまづ PJBEが思ひ出されます。大合奏の曲では、極めてよく似た印象です。それほど似てゐます。どちらが先であれ、かういふ派手なスザート、実際にこれで踊れ るかどうかは別にして、演奏を楽しむのであれば、いづれも十分満足できます。かういふ雰囲気、最近の演奏では味はへません。ただし、マンローがいつもかう いふ曲ばかり演奏してゐたかといふとさにあらず。このCD、スザートに続くのはモーリー編曲の舞曲集です。リコーダーを中心としたブロークンコンソート、 viol、リュート、シターンが加はります。6人ですから少ない編成ではありません。シターンの金属質の音が目立ち、bass violも表に出てゐます。編成のわりに印象は派手です。ダウランドの有名な「涙のパヴァーヌ」もあります。violのホールコンソートのやうな雰囲気は ありません。派手ではないけれど、個人的には違和感を持ちます。これは楽器編成によるところ大です。これがマンローや時代の個性かもしれません。さういふ ことも含めて、ルネサンスの有名な舞曲を楽しむのがこのCDです。二枚目の中心は有名なプレトリウスです。'73年の録音です。そこにモンテヴェルディと 同時代の作曲家の舞曲が並びます。これはマンローの最晩年の録音、'75年です。実はこちらはまだ聴いていません。これを聞く楽しみはしばらく後に残して おきませう。それまではスザートです。 06.05.27 ・世 界的に活躍するギター奏者は多 いのだと思ひますが、同じ撥弦楽器でもリュート奏者となるとほとんどゐないのではないでせうか。その稀にして偉大なる例外が佐藤豊彦です。70年代初めに バロックリュートのソロアルバムでデビューして以来、現在に至るまで古楽界の第一線で活躍してゐます。ソロが主体のやうですが、アンサンブルでも活躍して ゐます。古くはアムステルダム・シンタグマ・ムジクムやリトル・コンソートのメンバーでした。手元に“Alba Musica Kyo-Music of Shakespeare(Elizabethern music around 1600)”(CHANNEL CLASSICS CCS 11497)と いふアルバムがあります。演奏はアルバ・ムジカ・きょうといふグループです。結成は83年、主宰は佐藤豊彦、このアルバムは97年録音です。結成から既に 20年が経つてをり、活動は今も続いてゐるさうです。アルバムもかなり出してゐます。私は撥弦楽器をあまり聞かないので、佐藤がこんなグループを結成して ゐることを知りませんでした。 ・シェークスピアを知つてゐる人なら、タイトルでこのアルバムの内容も想像できるのではないでせうか。1600年頃のシェークスピア(劇)の音楽です。収 められる曲は自然に決まります。「柳の歌」「グリーン・スリーヴス」等々、実際この収録曲はその通りです。全17曲、約58分、「グリーン・スリーヴス」 は4種の演奏を収め、“O Misitress mine”“Walshingham”はそれぞれ2種の演奏を収めます。実質12曲です。 しかし、この複数の演奏を 収めるのが古楽の古楽たる所以です。バロックでも楽器を必ずしも指定しないソナタがあります。それ以前には、同じ曲が歌はれるだけでなく、ソロでもアンサ ンブルでも奏されるのはごく当然のことでした。人気曲ともなれば4種ぐらゐの演奏はあつたでせう。かういふ選曲、私はむしろ歓迎します。「グリーン・ス リーヴス」に関して言へば、どれも良い雰囲気です。いや、アルバム自体がさうです。シェークスピアの時代にどのやうな舞台でどのやうな音楽が流れてゐたの か、私には知る由もありません。歌の楽譜は、例へば有村祐輔・吉田正俊編著「シェイクスピアの音楽」(大修館書店)などで見られます。解説と歌詞からある 程度の雰囲気も知れます。私も適当に想像してゐました。シェークスピアならこんな雰囲気だらう……そんな想 像を満足させてく れる演奏は、実は、なかなかありません。音楽的にはおもしろくても、シェークスピア劇だとどうなのだらうと思つてしまひます。ところがこのアルバムは違ひ ます。第1曲“O Misitress mine”からして良い。これは道化の歌です。本当は男声なのでせう。このアルバムはすべてソプラノの山田千代美の歌です。それが違 和感を感 じさせません。編曲の妙でせうか。リュートやリコーダーが活躍してゐますが、決して自己主張しません。派手ではありません。打楽器不使用、これは大きい。 この有無で印象がかなり変はります。劇中歌であるからにはこんなたしなみがほしい。その舞台を壊してはいけません。この演奏にはさういふ心配がありませ ん。安心して聞いてゐられます。リュート奏者たる佐藤が主宰するグループだからでせうか。この時代の音楽、いろいろな演奏ができます。実際にあります。そ れぞれおもしろい。しかし、かういふたしなみのある演奏は少ないやうに思ひます。佐藤のことは知らずに買つたアルバムです。嬉しい誤算です。こんな音楽の 流れるシェークスピアを観てみたいものです。 06.02.25 ・"MUSIC FROM THE TIME OF THE CRUSADES"(Virgin Classics 0946 3 41325 2 7)を 見た時、私は直ちに十字軍の音楽だと思ひました。さうして、このアルバムにはベルナール・ド・バンタドルン、オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン、 ワルター・フォン・デル・フォーゲルバイデ等の作品が収められてゐるのであらうと想像しました。ところが、いざ聴いてみると少々趣が違ひます。バンタドル ン等の歌を含むものの、2枚組のアルバムの内容は多岐にわたり、聖から俗まで、歌曲、舞曲を取り混ぜての(たぶん)27曲、かなり変化に富んだものでし た。ただし、選曲がドイツよりはフランスに傾いてをり、それ故にパリのノートルダム楽派やギョーム・ド・マショーの作品も含まれてゐます。例の如く、タイ トルしか、それも大きな文字で書かれたCRUSADESしか目に入つてゐなかつたために、 THE TIME OFの部分を見落としてゐました。さう、これは確かに十字軍の時代の音楽集です。 ・12世紀から14世紀頃のヨーロッパでどのやうな音楽が奏され、聴かれ、楽しまれてゐたか、これがこのアルバムのポイントです。解説にこんなことが書い てあります。"The music in this collection dose not sound anything like what we hear on the radio today--it's sung in Latin,French,Italian,Spanish."あまりに当然すぎて驚いてしまふほどです。十字軍の時代の音楽が今風にラジオで聴けるはず がありません。更にかうもあります。"It's played on unamplified instruments"、要するにunpluggseといふことでせうか。十字軍の時代に電気はありませんから、これも当然のことです。なぜこんなこと が書いてあるのかは分かりません。内容的にも、この時代には"two distinct kinds of music developed: the sacred and the secular"であつた、つまり聖と俗の音楽が発達したとあります。宗教音楽と非宗教音楽、古今東西、異なるところはありません。わざわざこんなことを 書く解説は丁寧と言へば丁寧です。もしかしたらこれは入門用のアルバムなのでせうか。演奏は古いものが中心です。トマス・ビンクレー、デビッド・マン ロー、ミシェル・ピゲとなると1970年代です。サヴァールのHesperion XXもここでは'70年代の録音です。新しいものはヒリアード・アンサンブルやアンサンブル・ジル・バンショアで、こちらは'90年代の録音になります。 Virginから出てはゐても、これは音源提供EMIの企画アルバムです。古い録音からアルバムタイトルにふさはしい曲を選んでまとめてあります。マン ローに「十字軍の音楽」があるからには、同じタイトル、内容でアルバムを作れないわけで、そこでより幅広い内容の、解説も丁寧にした本盤がまとめられたの でせうか。舞曲はどれも楽しいものです。最近の演奏よりやはり派手でせうか。アンサンブル・ジル・バンショアの11世紀のミサは美しく、このグループの面 目躍如です。私はCRUSADESの文字に惹かれて買ひました。しかし、本当はそんなことを気にする必要はなささうです。ヨーロッパ中世の音楽を聴く、か ういふことです。これで十分です。逆に、CRUSADESにこだはるのならば買はないことです。如何。 05.11.19 ・ロジャー・ウォーターズはピンクフロイドである。これに異論はないでせう。ロジャーはロックミュージシャンである。これ に異論の出ようはずがありません。私はその叙情性にもかかはらず、ロジャーはクラシックとは無縁だと思つてきました。ところが、そのロジャーが17年間に わたつてオペラの構想を練つたといひます。ROGER WATERS"Ça Ira"(SONY CLASSICAL/COLUMBIA S2H 60867)、これがそのアルバム、いやオペ ラ、歌劇です。フランス革命に取材して愛と自由を謳つたオペラ、もしかしたらこれはロジャー版ベルばらかもしれません。実際これは歌劇です。台詞はありま せん。すべて歌はれてゐます。ただし、所謂レシタティーボとアリアの区別はできません。全曲アリア、に近いのですが、これもイタリアオペラやワグナーの楽 劇のハイテンションに延々と続くアリアとは違ひます。曲は概して短め、コロラトゥーラは望むべくもなく、ベルカントの声の美しさを味はふには少々物足りな い。最近のオペラは皆こんなものかもしれません。それでも、ここに普通のオペラを期待すると、この不徹底なアリアに驚き、かつがつかりすることになりま す。それでもやはりこれはオペラです。ロックではありません。ピンクフロイド風のプログレなどといふものとは全く別次元の作品です。この一点は、ピンクフ ロイドファン、あるいはロジャーファンがこれを聴こうとする時にまづ確認すべきことです。さうしなければ、何だこれはといふことになりかねません。私も聴 く前はロック的な要素が少しぐらゐはあるのだらうと思つてゐたのですが、実際にはこれは全くありませんでした。確かにオペラ、すべてが歌で進行する歌劇で した。ならばオペラとしての出来はどうか。私はオペラ好きではありません。全曲聴いたことのあるオペラはあまりありません。さういふ人間だからでせうか、 これを聴き終へて思つたのは何か違ふといふことでした。曲が短めで、アリアらしいアリアがない。しかしそれだけではありません。オーケストラを含めた全体 の雰囲気が違ひます。編曲の問題かもしれません。オーケストレーションはロジャーとRick Wentworth、指揮もこの人です。映画に詳しい人ならば知つてゐるのではないでせうか。有名な人のやうです。二人がこの作業を具体的にどう行つたの か知りません。それでも聴いてゐると、この音楽は映画音楽なんだと思ひます。決してオペラの音楽ではありません。派手で劇的、分かり易いと言へば分かり易 い。児童を含むコーラスも多用されてをり、時にはそれが"the Wall"のやうに響きます。リズムも前面に出てゐます。映画音楽といふよりミュージカルの音楽でせうか。さもなければカール・オルフ、さう考えれば、ア リアの件も納得できるのかもしれません。 ・一般に、このオペラに対する評価は高いものです。ロジャーの作品として優れてゐる、こんな評価です。しかし私は、これは鵺みたい なものだと思ひます。確かに物語からしてロジャーらしいかもしれません。しかし音楽はどこか中途半端、積極的に肯定しようといふ気にはなれません。オペラ としてみても同様です。テキスト、つまりは物語そのものの良し悪しは別にして、音楽的にはやはり鵺と言ふのが適当です。構想17年、しかしロジャーはオペ ラ作曲家ではなかつた。当然でせう。あるいは従来のオペラを拒否してこれを作曲したけれど、やはりうまくいかなかつたのでせうか。オペラにはオペラの、プ ログレにはプログレの方法論がある。さうかもしれません。だとしても、これこそつまらないものだと思ひはするものの、現実にかういふ音楽があるからには、 これを認めた方が良ささうです。もしかしたらこれは映画になるのでせうか。ならば分かる。目的が違ふ……。 05.11.05 ・"glass cuts[philip glass:remixed]"(OMM 0023)の ライナーによれば、グラスは "the Godfather of Trance" 、トランス界の首領(ドン)ださうである。私はトランスといふ範疇の音楽を知らない。これは最近はやりのダンスミュージックであるらしい。tranceと は恍惚状態である。人類学や宗教学でよく見る用語である。この音楽もまた恍惚境に浸れることから名付けられたらしい。ならばと思ふ。それならばテリー・ラ イリーの方がよほどそれらしいのではないか。あの延々と続くオルガンの即興演奏は、弾いている本人も聴いてゐる私達も容易に恍惚境に入れさうである。 tranceにこだはれば、Tranceの首領はグラスではないと思ふ。同時に、ライリーの音楽はダンスには適してゐないだらうとも思ふ。プロの舞踊家が 踊るための音楽にはなりうる。何でも踊れるのがプロといふものである。しかし、それではダンスミュージックである必要はない。言はば舞踊音楽である。だか ら、本当のところ、ライリーの音楽は最近はやりの癒しの音楽か、昔ながらの瞑想の音楽かであらう。極論であるが、"in C"でもそれは変はらない。ではグラスはどうか。ライリーよりはダンス向きである。しかもtrance、恍惚境に合はなくもない。ライリーよりは踊り易か らう。そして、スティーブ・ライヒよりも踊り易からう。さう、ミニマル3大人の中では、やはりグラスがTranceの首領に最もふさはしさうである。 ・このアルバムのポイントはremixedである。"We have wanted to do remixes of some of Philip's works for many years."ただし、ソニーやノンサッチのアルバムではそれがしにくい。そこでOrange Mountain Music がこの企画を採り上げることになり、このレーベルのグラスのアルバムを素材とすることになつた。さう、簡単に言へば、OMMグラスを素材としたリミックス アルバム、それが"glass cuts"である。Robert Bell"Another Look at Harmony"、Luciano Supervielle"Etude No.2"を初めとして計13曲、約70分、曲名はともかく、参加アーテイストは私が知らない人ばかりである。これらを知つてゐる人ならより一層このアル バムを楽しめるかもしれない。私はごく単純にグラスを素材とした音楽として聞いた。それでも違ふものだと思ふ。例へば"Another Look at Harmony"などはごく自然にグラスの世界からBellの世界に移る。違和感なし。この曲がアルバム第1曲なのは、曲名がリミックスにふさはしいだけ でなく、かういふ音楽がグラスとTranceとの、敢へて言へば、クラシックとポピュラーの垣根を取り払ふにもまたふさはしいからではないか。中庸であ る。他にも中庸はある。しかしさうでない方が多い。私はかういふ類のリミックスを知らない。その原曲との激変に驚く。その一方で、かうなつてもグラスを引 きずつてゐるとも思ふ。いや、思ひたくなる。さうは思へないやうな曲もあるからである。そこをおもしろいと感じるかどうか。これが、聞く者の立場の違ひと 評価のポイントであらう。それとも、これはTranceだと思つてしまへば何の問題もないか、あるいはそれでも鵺か…& amp; amp; hellip;「と んでもない音の世界が拡がっていく!!」とは国内販売元のコピーであつた。如何。 05.10.08 ・またNAXOSです。"DAS GAENSEBUCH:German Medieval Chant"(NAXOS 8.557412)の 邦題は「がちょうの本〜中世ドイツの聖歌」です。このアルバムタイトル、私などは世俗歌曲ではと思つてしまつて副題の方にいささか違和感ありなのですが、 これは写本の表紙に鵞鳥の聖歌隊が描かれてゐることからつけられたものです。実際、これがアルバムをも飾つてをり、そこには確かに狼の指揮で歌ふ七羽の鵞 鳥が歌つてゐます。では、これはどのやうな本なのか。"The Geese Book with a total of 1120 pages is the only complete extent source for the pre-Reformations liturgy of the Mass in Nuremberg and preserves the music of one of the most prominent city parish chusches of the empire."(解説3頁)つまり、宗教改革以前のニュルンベルク(の聖ローレンツ教会)に於けるミサの典礼の記録です。このアルバムは、その中から7 つ のミサ及びミサ断片、それと交互にゼンフルやイザーク等の、当時の作曲家のオルガン曲9曲を収めたものです。これは"Many sources document the use of the organ in the liturgy of St Lorenz."(同前)といふ理由によるものです。その最後に聖ローレンツ教会の鐘の音が入つて計70分強、ミサの5曲は世界初録音、これだけでも資料 的価値があります。しかもオルガンは聖ローレンツ教会のオルガニストたるMatthias Ankがそのオルガンで弾いてゐます。これが当時の音かどうかは分かりません。私達はこのアルバムで15世紀から16世紀のオルガンの音を聞いてゐるのか もしれません。 ・ではミサはどうか。この時代ならば当然多声になつてゐさうですが、これが不思議に単旋律、無伴奏です。歌ふは男声合唱と児童合唱、多くは別々に歌つてゐ ます。交互に歌つてゐるところもあります。単旋律ゆゑ、同時に歌つても決してハモりません。グレゴリオ聖歌のやうなものでせうか。手元にある似たやうなア ルバム、例へばクレマンシックの「トゥルネイのミサ」(OEHMS OC 361)、 ここ でもミサとオルガン、器楽が交互に奏されてゐます。やはり当時の演奏習慣によります。これはミサ通常文を持つ14世紀初めのミサ曲です。単声ではありませ ん。マショーの「ノートルダムミサ曲」(ARTE NOVA 74321 85289 2)も 同じ。これらと比べると、このニュルンベルクのミサはやはり地味です。歌ひ方も地味、必要以上に表情をつけません。抑制されてゐる。聖人のための、聖人の 威徳を讃へるミサです。劇的に感極まる如くといふ〈演出〉もありでせう。しかしこれは違ひます。時代でせうか。地域でせうか。ここではその単旋律故の美し い響きが味はへます。個人的には、それでもクレマンシックの方が好きです。あの洗練された響き、あれは中世フランスの響きかもしれません。クレマンシック は単旋律をいかに料理して演奏するのか、これは興味あるところ、是非、聴きたいと思ひます。このアルバムの演奏団体、スコラ・フンガリカは元来地味な団体 なのでせう。クレマンシックとは質が違ひます。単旋律を淡々と歌つても聴かせる。これは資料的価値以上のものです。案外、得難い資質です。お試しあれ。 05.09.24 ・"PENNY MERRIMENT Street Songs of 17th Century England"(NAXOS 8.557672)を 見て直ちに思ひだしたのが、ヘンリー8世のバラッド"Passe tyme with good cumpanye"でした。「良い仲間との気晴らし」などと訳されるこの曲、この王様の超有名作です。実に楽しい歌で、決して一般庶民の歌ではなからうと 思ひはするものの、やはり酒宴の席等で、皆でわいわい騒ぎながら歌つたのだらうなと思ひます。ヘンリー8世は15世紀末から16世紀半ばの人で、ルネサン ス文化の洗礼を受けた最初のイングランド国王です。その娘エリザベス一世の時代はイギリス・ルネサンスの最盛期、16世紀半ばから17世紀初めのことで す。このアルバム、邦題は原題の直訳、とも言へないやうなものです。「ペニー・メリメント〜17世紀英国のストリート・ソング」、演奏はThe City Waites、世俗歌曲(?)を18曲収めて70分超、リュート、リコーダー等の伴奏つきです。もしかしたらエリザベス女王時代の歌もここに収められてゐ るのかもしれません。しかしいづれも作者不明、解説からはそれ以後の歌のやうに思はれます。時代はいつであれ、短い曲ばかりです。5分以上の曲は2曲、後 は3、4分といふところ、理屈抜きに楽しめます。何と言つてもこれは"pop music of their day"(Lucie Skeapingによる解説)ですから。 ・解説は更にかう続けます。"Churned out by anonymous hacks,often working from digny rooms at the back of London's print shops, they were printed in their thousands on crude penny broadsheets and known as Broadside ballads. Sung, whisled and hummed in all walks of life they were as likely to be bought for domestic entertainment or heard on the London stage as pasted up on the wall of a country tavern."引用が長くなりました。しかしこれで説明は尽くされてゐます。これらの歌はBroadside balladsと呼ばれて、家族の集まりや場末の酒場等で楽しまれた。ならば、エリザベス女王の時代のリュートソング等とさう違はないのかと思ひます。実 際、さうかもしれません。享受層は重なるでせう、たぶん。ただ、印象として、これは編曲が大いに関係しますから全く当てにならないかもしれませんが、この アルバムの歌の方が親しみ易い。比較的単純な旋律と繰り返し、ダウランドの嫋々といふ雰囲気にはなりません。すましてゐないといふことでせうか。あくまで ヘンリー8世のあの雰囲気、皆で楽しく声を合はせて歌はうといふ感じです。曲名は日本語ですが、歌詞は書かれてゐません。その内容は分かりません。それで も、いかにも一般庶民の楽しみの歌だと想像できます。原題はPENNY MERRIMENTS、一銭の浮かれ騒ぎとでも訳すのでせう。penny broadsheetsから来てゐます。安物の楽譜による庶民の楽しみです。ただし、これはそんなことを考へずに楽しめば良いのです。そんなアルバムで す。 05.08.13 ・エドガー・フローゼはほとんどTangerine Dreamです。しかし、ピーター・バウマンやクリス・フランケと組んでゐた時には、紛れもなきフローゼの音が聞こえる一方で、同じく紛れもなきバウマン やフランケの音が聞こえてゐました。これは息子ジェロームと組んでも同じ。一時は息子の音がTDを支配するのではないかと心配したものです。幸ひこれは杞 憂に終はつたやうで、今も息子の音が混ぢつてはゐるものの、息子はまだ父を越えるには至つてゐません。蓋し、父親が偉大なのでせう。そんな流れの中でフ ローゼのソロアルバムを見ると、やはり時のTDのメンバーの影響を受けてゐるのではと思はれます。初期の"aqua"、このたゆたふシンセの音の流れの何 と心地良いことか。"zeit"や"atem"より叙情性が勝つてゐるのがフローゼの資質でせう。これがなければTDに変はりません。80年代、音がタイ トでリズムが強調され、極めてポップに感じられるのはフランケあたりの影響でせうか。そこにフローゼの音が聞こえ、メロディーが流れてゐました。 ・EDGAR W. FROESE"DALINETOPIA"(Tdi Music TDP007CD)は 彼の最新作です。このアルバムタイトル、造語だと分かります。Dali+net+utopia=Dalinetopiaといふわけです。最初のDaliは ス ペインのシュールレアリストの画家サルバドール・ダリです。フローゼは、amazonによれば、"one of the few musicians to have met with and actually worked with Dali."といふことで、ここにダリを素材にする正当な理由があります。このアルバムは "DALEROSHIMA""DALOZAPATA""DALAMUERTE"等のDaliとの造語からなる曲名を持つ10曲からなる70分弱、やはり最 近のTDの音に近いと言へさうです。amazonにはかうもあります、 " "Dalinetopia" is Froese's Vision of Dali's Work Translated Into Musical Form. "端的です。フローゼ自身のライナーは今少し違ふ言葉で書かれていますが、結局、画家は意識化の見えないものを見えるものに変換し、作曲家は聞こえない音 を聞こえる音に変換する、かういふことになります。フローゼはこのアルバムで、ダリの絵に触発されてその変換を行つたわけです。ソロアルバムです。夾雑物 はありません。いや、ないはずです。エレキギターが聞こえるのは最近の傾向でせうか。しかし、ここにポップな印象はありません。むしろ叙情的ですらありま す。これがフローゼの本質です。リズムが前面に出ても、裏では必ずフローゼの音が流れてゐます。これは何物にも代へ難い。クラウス・シュルツやバウマン、 息子のジェローム等には真似のできぬ芸当です。さう、ここまで続いてくれば、これはほとんど伝統の域です。技です。あのダリを素材にしてさへかうなつてし まふのですから。技の為せる業、技のすばらしさと不自由さです。これを無条件で認めてしまふのがファンといふものでせう。ここにも音の流れがあります。こ れに身を任せて堪能する。これがこの手のドイツ・ロックの<鑑賞>作法だと私は思つてゐます。一種の思考停止状態です。かういふことのできる音楽はさうざ らにあるわけではありません。名前負けしたアルバムかもしれないが、それでもなほかつフローゼである。この二律背反を楽しみたいものです。如何。 05.06.18 ・Terry Rileyで検索して見つけたDVDを買ひました。"Two films by BRUCE CONNER:CROSSROADS & LOOKING FOR MUSHROOMS"といふのがタイトルなのでせう。Rileyは"Music by PATRICK GLEESON and TERRY RILEY"とあるやうに、この音楽を担当した人でした。しかも2人の内の1人、後に書かれた方が<真打ち>なのかと考へたことでした。何か騙されたやう な 気がしないでもないこの買ひ物、そもそもBRUCE CONNERなる人物を知らぬままに、Terry Rileyだけに惹かれた結果でした。インターネットでの買ひ物、実物を見て買ふわけではありません。かういふこともあります。 ・ここに収められた作品は二作、三本です。つまり、後者のMUSHROOMSに音付きの(普通の)短編映画と、音無しの無限ループの二種があるからです。 この短編で使はれてゐるのがRiley"Poppy Nogood and the Phantom Band"です。これは"It was recorded at about 3:00 AM at a concert held on March 22,1968,at a States University of New York,Buffalo,N.Y."とあることから、彼のライブを使つてゐるやうです。映像は実験的といふのでせう。メキシコ等で撮られた映像がフラッ シュバックのように脈絡なく次から次へと繰り出されていきます。その間約15分、Rileyがずつと流れてゐます。例の純正調のオルガンやソプラノサック スの即興です。いかにもこの人らしい音楽です。BGVになりさうです。映像を忘れて音楽に聴き惚れても良い。しかし短い。CROSSROADSはビキニ環 礁に於ける最初の核実験のキノコ雲の映像各種を35分程度にまとめたものです。いくつもの視点から捉へられたモノクロのキノコ雲が続きます。最初の15分 くらゐは音楽無し。音はありますが何か雑音のやうな……実はこれがGLEESON担当の部分、音のコラー ジュかミュージックコンクレートのやうなものでせ うか。シンセサイザーも使つてゐるやうなので、あれでもやはり音楽なのでせう。それが一転してRileyになります。オルガンです。これもいかにもこの人 らしい音楽です。突如音は変はるけれど映像は変はらない。この三者のミスマッチがおもしろいのかもしれません。ここでふと思ひだしたのがRileyのアル バム"YOU'RE NOGOOD"(organ of corti 5)で した。2枚組 の2枚目は"Poppy Nogood"です。これは1967のフィラデルフィアでの録音のやうです。1時間強、Rileyのオルガンが即興を繰り広げられます。かういふのは好き で す。しかし、思ひ出した理由は別にあります。ここで使はれてゐる写真がビキニ環礁のキノコ雲だつたのです。私は何も知らずにこのCDを買ひました。解説の 類はほとんどなく、録音データさへまともではありません。まして使用写真などは問題外、一切言及されてゐません。だからビキニ環礁だなどとは思ひもしませ んでした。無知です。それがこのDVDで分かつたのでした。買つてみるものだと思ふと同時に、かういふ形でアルバムが関係してゐるのだと思ひ知りました。 騙されたやうな気がしないでもないDVDでしたが、こんなことがあつたし、Rileyの音楽も確かに聴けたしで、何とか元は取れたかなと思つた次第。いさ さかケチ(^_^;)だつたでせうか。如何。 05.05.14 ・数年前、ラビ・シャンカールの古典のCDを久しぶりに買ひ、改めてこの人の演奏のすごさを思つたものでした。"SHANKAR:SITAR CONCERTOS etc"(EMI 7243 5 86555 2 0)は再発2枚組です。再編集なのでせうか。かういふ曲があつ たのは知つてゐましたが、 そのアルバムを知らない私にはこの点は分かりません。ただ、2枚で143分超といふ時間は、とてもLPに収まるものではありません。録音も、1966、 1968、1976、1982ですから、もしかしたら3枚か4枚のLPを2枚にまとめたものなのでせう。演奏はラビ・シャンカールのシタールにタブラ、タ ンプーラが加はるインド古典のお決まりの形態に、更に数曲でメニューインとランパルといふ、ヴァイオリンとフルートの大御所が加はります。協奏曲 は第1番がプレヴィンとロンドン交響楽団、第2番がメータとロンドン・フィルです。これだけでこのアルバムが東西の融合か衝突だと知れます。解説にも eastやwestが散見されます。ラビ・シャンカールは子供の頃から欧州住まひ、西洋音楽の衝撃をもろに受けたはずです。逆に、西洋からのアプローチも 多くあつたはずで、それがメニューインやランパルだつたのでした。かういふアルバムは作られるべくして作られたと言ふべきでせう。 ・1枚目は"Morning Love"で始まります。ランパルとの競演です。ランパルのフルートは華やかできらきらした、正に玲瓏と玉を鳴らすが如くといふものだと思つてゐました。 ところがこの曲、さういふ感じではありません。地味な音色です。クラシックの雰囲気ではありません。インド的なのでせうか。メニューインも同じです。こち らの方がそれらしい雰囲気が強いやうです。3曲目にはメニューインのソロがあるくらゐです。この人の方が良くインドを知つてゐるのでせう。ここでふと思ふ のですが、宮城道雄「春の海」、これも東西の融合です。決して衝突ではない、融合です。ほとんど東西の違和感なしに曲は流れます。その見事さがあの曲を有 名でポピュラーなものにしたのでせう。宮城道雄の曲は西に傾いてゐるやうに聞こえます。「春の海」はその代表でせうか。ラビ・シャンカールの場合、アンサ ンブルでは自己を主張し、インド古典の語法に則つて演奏してゐるやうです。宮城には日本住まいゆゑに西洋への憧憬があつたのでせうか。日本の琴の方が西洋 になじみ易かつたのでせうか。音階からすればさうかもしれません。しかしさういふ問題であるかどうか。ラビ・シャンカールも「シタール協奏曲」となると感 じがかなり変はります。1番ではタブラに似た音が聞こえます。ボンゴです。似て非なるもの、決してインドではない。シタールはインドを主張してゐます。し かし西洋の管弦楽は管弦楽です。その印象は圧倒的です。宮城は西洋に接近して行きました。ラビ・シャンカールは自己を主張して西洋への接近を避けよう としてゐるかの如くですが、私にはそれが決してうまくいつてゐるとは思へません。曖昧、いや中途半端な印象です。ソロでのあの圧倒的な存在感はありませ ん。ランパルやメニューインと渡り合ふ強さもありません。ラビ・シャンカールは古典だなと思ひます。協奏曲ではその基本が守れないのです、たぶん。「シ タール協奏曲」といふもの、これ以外にもあるのでせうか。西洋に傾かない、西洋と融合しない、さういふ、言はば二物衝撃的な曲は30年、40年前では無理 だつたのでせうか。このCD、私はおもしろさよりそんなラビ・シャンカールにもどかしさを覚えながらきいてゐました。如何。 05.03.05 ・The Musicians of Swanne Alley"IN THE STREETS AND THEATERS OF LONDON"(Virgin 7243 4 82079 0 2)、このジャケットを見た時、これは買ひだと思ひました。中身は分からないけれど、有名なグローブ座の木版 画で飾られて ゐるからには、イギリスルネサンスの、それもシェークスピアか演劇に関係のあるアルバムではないかと考へたからです。アルバムタイトルはロンドンの街角と 劇場でとでも訳すのでせう。私の予想にまちがひはなささうです。収録曲を見ると、Green Sleeves、Care charminge Sleepeなどと並んでロビン・フッド関連と思しき曲もあり、パヴァーヌやガリアルド等の舞曲ももちろん含まれてゐます。このCD、実はveritas ×2シリーズの2枚組廉価版で、一枚目が"Elizabethan Ballads and Theater Music"と題され、二枚目は"Music of Thomas Morley"となつてゐます。一枚目はロバート・ジョンソン中心、二枚目はタイトル通りトマス・モーリー中心ですが、内容的には似たやうなものです。エ リザベス朝の流行歌と舞曲が計53曲も収められたアルバムです。この中には演劇関連の曲もあるといふことです。演奏はThe Musicians of Swanne Alleyといふグループです。私は初めてききました。リーダーはPaul O'Detteでせうか、Lyle Nordstormでせうか。この二人は編曲もやつてゐます。ポール・オデットはリュート奏者として有名です。アルバムもかなりあります。しかしLyle Nordstormを私は知りません。やはりリュート奏者のやうですが、リコーダーも吹いてゐます。中世ルネサンスの音楽で、歌を歌ひ、多種の楽器を演奏 するのは当然のこと、気にすることはないのでせう。 ・Care charminge Sleepe(綴りが違ふ!)はECM盤のタイトル曲でした。あのアルバムには2種の演奏が収められてをり、その短い方はリュートソングとしてのシンプル な演奏でした。男声でほとんど装飾はつけず、ストレートに情感を込めて歌つてゐました。こちらは女声、ソプラノによるリュートソング、古楽のプロによる演 奏です。装飾をつけてゐます。この時代の装飾音、標準的なものはあるのでせうが、かうあらねばならぬといふものはありません。従つてECM盤の演奏も一つ の解釈です。しかし古楽としてはこちらの方が一般的でせう。ほとんど別の曲のやうに聞こえます。それがこの時代の音楽のおもしろさでもあります。演奏者の 個性や考へがはつきり出ます。このオデットを中心とした演奏は全体的にシンプルです。リュートソングの類が多く、合奏も派手ではありません。例へば Green Sleeves、リコーダーが活躍するかと思へばさにあらず。打楽器無しで撥弦楽器中心といふ、ある意味では珍しいものですが、演奏は生き生きとした楽し さにあふれてゐます。Green Sleevesとはこんな曲だつたのかと思ひます。もともとこの時代の音楽に打楽器のパートなどといふものは存在しないのですから、打楽器無しの演奏でも 何の不都合もありません。しかし、大体の演奏家、グループは打楽器を使ひます。イタリアのカンツォンやイギリスのマーチ、舞曲ではこれが必須でせう。とこ ろがリュートソングには絶対不要です。このグループはこの延長上で合奏をしてゐるのでせうか。オデットの個性かもしれません。この打楽器無しに気づいた時 には驚いたものです。街頭や劇場で演奏すると言つても、その音楽の種類は様々でせう。こんな演奏もありなのだと思ひます。そんなわけで、このアルバムの演 奏は奇を衒わない、無理しないといふものだと思ひます。中庸を行くといふ感じでせうか。15年ほど前の録音です。古楽演奏界も既に様々な演奏家で活況を呈 してゐたはずです。そんな中でこの選曲、地味です。埋もれてしまつたのでせうか。それがかうして廉価版になつて出るのは嬉しいことです。純粋なリュートソ ング集は私には辛い(^_^;)。やはり管楽器の入った合奏が好きです。そんな合奏も収めてあるのは嬉しいことです。楽しんで聞きたいものです。 05.02.05 ・伊福部昭は実に様々な曲を書いてゐます。歌曲から管弦楽曲、更には邦楽器を使つた作品まで、そして所謂純音学から映画音 楽まで、さす が作曲界の最長老と思はせるものがあります。器用な人ならばその多様性を、<用途>に従つて様々なスタイルで書き分けるのでせうが、伊福部は器用ではなか つたのでせうか。ほとんどさういふことをしません。初期から現在に至るまで、正に首尾一貫してゐます。よく思ふのですが、例へば「ゴジラ」のあの音、「ゴ ジラ・タイトル」、ゴジラ、ゴジラ、ゴジゴジゴジゴジラ……と私は聞いてゐますが、あの音が伊福部作品の至 るところで聞こえます。失礼ながら、私が伊福部 を金太郎飴作曲家と思ふのはこれ故なのですが、実際、あれがないと画竜点睛を欠く、あるいは何かのないコーヒーのやうなもので、あれが伊福部を伊福部たら しめる所以のものに違ひないと思ひます。武満徹には武満トーンと言はれる音がありますが、伊福部ほど徹底した音ではありません。NAXOSの日本作曲家選 輯、これで何人目になるのでせうか。御大です。伊福部昭 「シンフォニア・タプカーラ、SF交響ファンタジー 第1番他」(NAXOS 8.557587J)で ももちろんこれが鳴り響いてゐます。収録曲は表題作と「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」の3曲、約60分です。 ・「リトミカ・オスティナータ」のコピーはかうです、「突進に宿る生命力は魔法の如し。」なるほど、「突進に宿る生命力」とはよく言つたものです。伊福部 の曲の持つ生命力、これはそのリズムと繰り返し、オスティナートの為せる業で、あの躍動感は誰にも負けません。弟子の芥川もリズムの躍動を売り物にしてゐ ました。しかし時に技巧に走つたりして、伊福部ほど直線的に、そして全面に出すことはできませんでした。この<ピアノ協奏曲>、短い序奏からほんのしばら くはおとなしく過ごしますが、その後は疾走します。ピアノは鍵盤打楽器、西洋古典音楽の語法からはかなり外れます。曲はABABAのロンド形式、Aでピア ノは5拍子、7拍子の音型をほぼ一貫して繰り返します。愚直なまでに、あるいはひたすらストイックに繰り返す。これが伊福部の強さです。それ故に、この躍 動は測り知れません。そしてBは緩徐の部分、木管とピアノで奏される主題はむしろ優美なものです。この部分、解説で片山杜秀氏は「雅楽との結びつき」を指 摘してゐます。確かに音の重なり具合は笙の合竹を思はせます。この優美さ、これも伊福部の一面です。疾走するばかりではないといふことです。この曲、伊福 部としてはむしろ知られてゐない方でせうか。しかし、私は「リトミカ・オスティナータ」は伊福部の上質のエッセンスを集めた曲だと思つてゐます。シリーズ にアルバム一枚といふのならば、そこにこれを入れるのは当然の選択です。このアルバムを聴きながらふと思つたのですが、伊福部といふ作曲家、もしかしたら 音色にはあまり関心がないのでせうか。伊福部は管弦楽法の大著を著してゐたりして、派手で華やかなオーケストレーションの曲が多いのですが、よく聴くとほ とんど同じやうな楽器が鳴つてゐます。弦がユニゾンで奏せられ、木管が歌ひ、金管が鳴ります。先の金太郎飴にも通じることです。己が存在理由たる書法を放 さないといふことでせうか。聴く方にも、これぞ伊福部といふ<安心感>がありますから。それ故に理屈で聴く必要はありません。その躍動するリズムを体で楽 しめます。やはり御大伊福部昭です。「リトミカ・オスティナータ」の演奏、私はFontec盤「協奏三題」の藤井一興、井上道義、東響のメリハリのある疾 走感の方が好きですが……。
アンケート に答 へる。
トップページ / 目次 / 歌謡文学関係資料 / 豊川水系のまつり / 愛知県方言談話資料 /
短 歌 /短歌2/短 歌3 / 短歌4 / 腎移植後月録 / 私の好きな音楽 / 電網怪怪 / 雑感
ご意見、ご感想等 は こ ちらへ。