きまぐれ聴低盤 2001.12
01.12.29 ・"Guillaume de Machaut:La Messa de Nostre Dame"(ARTR NOVA CLASSICS 74321 85289 2)は 有名なギョーム・ド・マショーの「ノートルダム・ミサ」です。何と、ルネ・クレマンシックを芸術監督に迎へて、そのアンサンブルを中心とした人達の演奏で す。これだけで嬉しくなります。期待に胸が弾みます。この曲は往年の名盤、デラー・コンソートのアルバムがありました。考へてみれば、私はあれ以外の 「ノートルダム・ミサ」を知らないやうです。こんな有名な曲がと何か不思議な感じさへします。いや、もしかしたら、あまりに有名なので却つてやりにくいの でせうか。正攻法でいくにしろ、いかないにしろ、です。で、このクレマンシック、演奏時間は70分近くあります。長い。ミサだけでこれだけかかるはずがあ りません。さう、実は「ノートルダム・ミサ」本体の他に、例へば最初の部分には"Minstrels and beggars play at the entrance of the church"とあり、第2の部分には"Entry into the church"とあるやうな内容の曲が集められてゐます。マショー自身のヴィルレー等です。これはクレマンシックの"We have tried,in this recording,to make this mass comprehensible within the term of its own world. Between the individual sections of the Mass sequence we have placed a colourful array of sacred and secular pieces. "といふ考へによります。ミサそのものだけでなく、ミサを取り巻く世界をも再現しようといふ試みでせうか。だから教会にミサを聴きに入る前に聴かれるであ らう音楽までもが収められるわけです。最後はもちろん"Ite missa est"です。"Agnus Dei"からこの曲までの間にいくつかの宗教的小品が挟み込まれます。ミサ単体で考へると余分ですが、総体的に考へるとどうなのでせうか。個人的には「キ リエ」「グロリア」に続いて「クレド」が聞こえてこないの等に違和感を覚えます。演奏もデラーコンソートほど流麗に流れません。世俗曲を含む、アルバム全 体のバランスの中で考へられたものだと思ひます。さう考へてもなほ、このアルバムには好き嫌ひが分かれさうです。これはクレマンシックの意図をどう評価す るかによるのでせう。私は、例の如く、さういふことは気にせずに音楽を楽しんでしまひます。「ミサ」以外にも結構楽しい曲がありますから。そんな中で、先 の違和感もいづれ解消するものと思つてゐます。クレマンシックだからと言つて手放しでは喜べないものの、貴重なアルバムではあります。如何? ・ちなみに、私はこのCDをタワーで590円で買ひました。廉価版のARTR NOVA CLASSICSにしても安い。確かに特売ではありました。それにしてもかういふ値段、どうなつてゐるのでせうか。安いのに文句を言ふつもりはないのですが、いささか気になるところではあります。 01.12.15 ・あの廉価版のナクソスから日本の現代音楽のシリーズが出ます。膨大なシリーズになるやうです。その第一弾は名曲集です。それも極めつけの<日本>の管弦楽作品集と言へませうか。題して沼尻竜典/東京都交響楽団「日本管弦楽名曲集」(NAXOS 8.555071J)、 この名に偽りはありません。外山雄三「ラプソディー」、近衛秀麿編曲「越天楽」、伊福部昭 「日本狂詩曲」、芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」、小山清茂「木挽き歌」、吉松隆「朱鷺に寄せる哀歌」、以上8曲です。<日本>といふ意味が分かり ます。敢へて言ふなら、吉松のが少々違ふものの、日本の国民楽派の音楽とでも言ふべき曲集です。さう、ここには日本のムンムンした熱気があります。音楽的 には、日本の昔からの音階を生の形で使ひ、素材は民謡等に得るといふ特徴を持ちます。芥川と吉松以外はさうしてゐます。ラストの盛り上げ方も見事です。外 山、小山、伊福部、かういふのは、それこそブラボーと言ふしかありません。生得のものでせう。だからこそ日本人の琴線に触れるものがあるはずです。芥川は そのダイナミズム、この人の持ち味です。これでぐいぐいと押していきます。伊福部のダイナミズムと違ひ、かなりスマートです。しかしどこか日本的な雰囲気 を感じさせます。吉松はこれらの人にくらべるとずつと若い。現在40代後半でせうか。所謂新ロマン主義の日本における代表と言はれる人です。海外でも紹介 されてゐます。人気があります。ポスト武満の一番手だとか。傾向は、だから、上の人達とは少々違ひます。逆に、共通するのはメロディーと音の美しさを大切 にする点でせうか。所謂現代音楽の<頭でつかち>によりにより失はれたメロディーと和声の復権、これが吉松の目標、信条ではなかつたかと思ひます。その意 味で、ここにこの人とこの曲が入るのは至極当然の選曲であるのかもしれません。聴かなくても分かると言はれさうです。このCDにはさういふ面もあります。 しかし、もしかしたら伊福部の「ゴジラ」の音楽しか知らない人も、これを聴いて、日本の民族主義的傾向の音楽に触れることにより蒙を啓かれるかもしれませ ん。日本にもこんな管弦楽曲があつたのだ、と。このCDはさういふものだと思ひます。当然これを毛嫌ひする人もいるはずです。日本的でありすぎる ……さう、日本人だから却つて受け入れ難いものがあるかもしれません。でも一度聴いてみて下さい。そんなアレルギーも吹き飛 ぶ(?)かもしれません。演奏はダイナミックです。理屈抜きです。楽しめます。英語のアルバムタイトルは"JAPANESE ORCHESTRAL FAVOURITES"です。げに、さもありなん。納得です。実は私もかういふ管弦楽曲が好きだつたのですね。その意味で嬉しいアルバムです。如何。 01.11.24 ・ロジャー、シドと来たシリーズ、の予定などはしてゐなかつたのに、なぜかかうなりました。それも勢ひで、いよいよ真打ち登場です。と言つても、残念ながらやはり新譜ではありません。ピンク・フロイド「エコーズ〜啓示」(EMI TOCP-65910-11)、 150分に及ばんとするベスト盤、ロジャーを含めた四人とジェイムズ・ガスリーのプロデュースです。何となく「ウマグマ」風のジャケットがピンク・フロイ ド復活を思はせます。収録曲は「夜明けの口笛吹き」から始まり「対」や「鬱」を含みます。文字通りのベストです。その中に初CD化の「ホエン・ザ・タイ ガーズ・ブローク・フリー」があり、もしかしたらこれが目玉かと思ひます。いや、しかし「エコーズ」の縮約版もある、「太陽讃歌」もある、「吹けよ風、飛 べよ嵐」もある、「あなたがここにいてほしい」もある。つまりは名曲揃ひです。そんな中では、初CD化などといふのも吹き飛んでしまふかもしれません。そ れほどのベスト盤です。ライナーで立川直樹 が、「立派な新作であり、ピンク・フロイドの底知れない魅力を心ゆくまで堪能できる傑作」と述べてゐます。新作云々はともかく、魅力堪能は確かです。それ もロジャーがゐてもゐなくても同じ音になつてゐるのが見事、改めてさう思ひます。そして感動してしまひます。これでは堪能するしかありません。プログレ ファン必聴……などと私ごときが書く必要はないですね。皆さんよくご存じです。 01.11.10 ・NHK交響楽団創立75周年記念の特別企画、N響伝説のライヴが出ました。第一期です。お馴染みの指揮者が並んでゐます。この中に尾高賞受賞作品集が3枚あります。その第1弾岩城宏之、外山雄三/NHK交響楽団「尾高賞受賞作品1」(KING KICC 3023)に は3曲が収められてゐます。黛敏郎「涅槃交響曲」、三善晃「管弦楽のための協奏曲」、間宮芳生「オーケストラのための2つのタブロー'65」です。それぞ れ、昭和33年、昭和39年、昭和40年の受賞です。この中でも「涅槃」は名曲です。20世紀日本の管弦楽作品のベスト3に入る、いやベスト1でも良いと さへ私は思ひます。だから最初のシュヒター盤も含めて、既に何種類かの録音があります。岩城と都響のもあります。それでもやはり買つてしまひました。 '72年の録音です。30年近く前です。若き岩城と外山の写真があります。最近の岩城の「涅槃」(などといふものがあるのかどうか)を聴いたことはありま せんが、この顔に刻まれた皺なりに<老成>した「涅槃」になつてゐるのでせうか。そして三善と間宮の2作品、いづれも有名ですが、CDになつたのは初めて でせうか。私には三善がおもしろかつた。「チェロ協奏曲」あたりから三善の音はかなり変はつてゐます。これは初期のフランス仕込みの音といふのでせう。さ うでありながらどこかから日本的なものがふいと顔を出すといふ感じ、これは私の偏見でせうか。残りの2枚、特に2枚目がおもしろさうです。楽しみです。 01.10.13 ・MISICA ANTIQUA KOELN"BACHIANA・Music by the Bach Family"(ARCHIV 471 150-2)は 副題通りのアルバム、バッハ一族の作品集です。大バッハとその息子達のアルバムは(よく)あります。しかしバッハ一族となるとあまりありません。これまで にもかういふ類のアルバムはあつたはずです。どんなバッハの作品が収められてゐたのか、私は知りません。ここには大バッハを含めて6人の8曲、約75分が 収められてゐます。大バッハの妻の父や祖父の作品等があります。最初はヨハン・ルードヴィッヒ・バッハの「序曲(組曲)ト長調」、この人は大バッハとの直 接的関係はなささうですが、マイニンゲンのバッハ一族に属する人で、この曲が知られてゐるやうです。序曲と舞曲合はせて6曲といふ構成、この時代の音楽の 典型でせうか。テレマンあたりにもありさうです。3曲目の「協奏曲ニ長調」もこの人の作品です。次に、大バッハの最初の妻の祖父に当たるハインリッヒ・ バッハの「ソナタ」が2曲、2つのヴァイオリン、2つのヴィオラ、通奏低音のための曲です。この人は没年からすると大バッハに会つてゐるのかもしれませ ん。曲はビーバー風とでも言ひませうか。編成からさう感じられるのかもしれません。次がヨハン・クリストフ・バッハ、ハインリッヒの息子のやうです。大 バッハ以前の一族最大の作曲家ださうです。曲はチェンバロソロのための変奏曲です。私には無名の作曲家ですが、当時は有名だつただけあつて、結構きかせま す。以下省略、これだけでもかなり変化に富んだアルバムだと分かります。バッハの一族の人材がそれだけ豊富だつたといふことです。演奏はゲーベルのムジ カ・アンティカ・ケルンです。ここはどこの国の音楽も達者に演奏をします。かういふドイツものは特に安心して聴けます。私は好きです。如何? 01.08.25 ・新野高原盆踊りの会「新野高原盆踊り歌」、これはCDではありませ ん。もちろんLPでもありません。カセットテープです。しかも番号なし。題名から分かるやうに、有名な長野県下伊那郡阿南町新野の盆踊りの盆歌集です。つ まり、その保存会たる新野高原盆踊りの会の言はば自主制作テープです。平成7年4月録音とあります。盆踊り本番ではありません。このやうな別に席を設ける 形でないと、あのやうな歌ひ方をきちんと録音できないかもしれません。A面、B面各4曲、約33分づつで計8曲、約66分です。新野に現在残る盆歌は「す くいさ」「高い山」「音頭」「十六」「おさま甚句」「おやま」「能登」の7種、これに神送りの最後の最後、切り子灯籠を焼いて帰宅する時に歌ふ「秋歌」が 加はります。盆歌の固定的な詞章は曲名のもとになる詞章のみ、他は適宜、歌ひ手の趣味によるのか、感興の赴くままに歌ひます。従つて時間は伸縮自在です。 このテープではいづれも10分以内になつてゐます。実際には延々と一つの歌が続いてゐますから、本番を知つてゐる人には少々物足りないかもしれません。し かし部外者には貴重なテープ、いや資料です。CD付きで出たNHKの「日本民謡大観」にも新野の盆歌が収録されてゐます。昭和37年の録音、時間はそれぞ れ数分程度です。これはもちろん貴重なのですが、あまりに高価すぎて一般的ではありません。その意味でこのテープはありがたいものです、何しろ1,500 円ですから。 ・新野の盆踊りを世に知らしめたのは柳田国男でした。大正15年の夏に『朝日新聞』に寄せた文章でした。平成10年には、やつと、国指定無形民俗文化財に なりました。三遠南信地方には、一切の伴奏楽器なしで、音頭取りとその他の掛け合ひで歌ふ盆踊り歌がいくつもあります。これもさうです。踊る人達もそれに 合はせて口ずさんでゐます。徹夜とはいへ、老若男女、多くの人が踊つてゐます。さすがに丑三つ時ともなるとその輪は小さくなりますが、明け方からまた輪が 大きくなつていきます。確かに素朴、それでも「おやま」にはそこはかとない哀調が漂つてゐます。「能登」には新野の人々の、むしろ和気藹々とした雰囲気が 感じられます。かういふのはテープからはうかがへません。しかたないですね。それでもこのテープ、一つの資料として是非とも持つてゐたいものです。皆様も 如何? 問ひ合はせ先は新野高原盆踊りの会(Tel.0260-24-2001)です。よろしければどうぞ。 01.08.11 ・手元にEnsemble Gilles Binchoisのアルバムが新旧1枚づつあります。新が"Guillaume de Machaut Le vray remede d'amour"(cantus c 9625)、旧が"AMOUR,AMOUR Florilege des chansons francaises de la Renaissance" です。前者はタイトル通りマショーの作品集、後者は副題通りフランスルネサンス期のシャンソン集です。この2枚のアルバムで特筆すべきは、その声の美しさ でせう。特にマショーは見事です。最初に<朗読>があります。それに続いて"Dame,vostre doulz viaire"(「愛する人よ、あなたのやさしい姿」)が始まります。これを聞いただけでその美しさが分かります。大体、中世ルネサンスの声楽曲の響きに は独特の美しさがあります。これは単声の曲です。このアンサンブルのリーダーDominique Vellardがこのレアリゼーションをしたのでせうが、それと相俟つてこのグループの声の美しさが際だちます。もちろん、この曲だけではありません。ど の曲も澄んだ響きです。女声も使はれてゐます。だから濁らないのでせうか。かういふのをきくと、「ノートルダム・ミサ曲」もききたくなります。デラー・コ ンソートでなじみ深いあの曲がどのやうに響くのか。これは興味あると同時に、大きな楽しみでもあります。この2枚のアルバムからEnsemble Gilles Binchoisの声の美しさを堪能できます。のみならず、器楽の美しさもまた出色です。リコーダーや打楽器中心の小さなものですが、これまた美しい響き です。中世ルネサンス音楽の美しさにこだはつたアルバムです。アンサンブルです。これは結果論に違ひありません。しかし、極めて優れた特色ではあります。 言ふべきことはこれだけです(^_^;)、と言つては失礼ですが……。 01.07.28 ・これが新譜だつたらすごいのですが、残念ながらベスト盤です、「 ザ・ベスト・オブ・シド・バレット 僕がいなくてさみしくないの?」(東芝EMI TOCP-65765)。 シド・パレットはもちろん最初期のピンク・フロイドの伝説的メンバーです。いくつかの<伝説>(文字通り<伝説>ですね、あるいは神話と言ふべきか)を残 してギルモアと交替しました。その後の消息が伝へられたこともあつたらしいのですが、それが<真実>であつたかどうか。神のみぞ知るでせう。パレットのベ ストはこれまでにも出てゐます。今回のは、"Octopus"(「タコに捧ぐ詩」)に始まり、"Golden Hair"(「金色の髪」)に終はる全22曲、約73分といふものです。この第21曲"Bob Dylan Blues"が未発表テイク、しかもパレット17歳の時の曲で、これにギター伴奏をつけて70年に録音されたものです。これが目玉でせうか。しかし、個人 的にはこれに食指を動かされることはありませんでした。ところで、このアルバムタイトル、誰がつけたのでせうか。"Wish You Were Here"がこれに応へて作られたのかもしれませんが、それにしても大胆なと思ひます。ピンクフロイドの、そしてロジャーの創作の源泉となつた人物なのだ から、かういふパレットの語りかけも当然かもしれません。何を今頃、あるいはなぜ今頃といふ気がしないでもないこのベスト盤、やはり伝説は繰り返します。 何度も出て新作の出ない渇きを癒してくれます。パレットの叙情的な世界とあのかすれた(?)声を堪能しました。やはりcragy diamondでせうか、パレットは。 01.07.14 ・Hesperion・・・"BATTAGLIE & LAMENTI 1600-1660 Monteverdi,Peri,Fontei,Storozzi"(ALIAVOX AV 9815)は サヴァールです。エスペリオン・・ですと言ひたいところなのですが、この・・は20世紀の・・だつたのですね。21世紀の今、グループ名は・・・となりま した。これがその最初のアルバムかどうか。しかし、私の買つた21はこれが初めてです。ただし、録音には少々幅があります。古い方は'81、新しい方は '99とあり、この間に何回かに分けて行はれてゐます。計12曲、76分超です。じつくり聴けます。 ・タイトル通り、このアルバムは17世紀の戦ひの(描写)音楽とラメント(哀歌)を集めたものです。副題に四人の作曲家が示されてゐます。ラメントの作曲 者です。モンテベルディとペリは手元の音楽事典に出てゐるのですが、後の二人は見つかりません。イタリアの作曲家でせうか。このアルバム、確かにイタリア 中心です。ジョバンニ・ガブリエリもゐます。"Canzon・a6"、当然のことながら金管の活躍する曲です。9人で演奏してゐます。冒頭の2曲はシャイ トのパヴァーヌとガリアルドです。これも10人以上の金管で奏されてゐます。いつものこのグループに比べると編成が大きいですね。私はサヴァールのグルー プは数人の(弦中心の)アンサンブルのためにあると思つてゐました。意外です。こんな編成もありだつたのですね。その一方で、モンテベルディ「アリアンナ の嘆き」はソプラノとチェンバロを中心としたアンサンブルです。ペリの"Lamento di Iole" の伴奏はチェンバロだけです。このチェンバロ、実はトン・コープマンです。特別ゲストなのでせう。4曲に参加してゐます。ここにサヴァールが加はつたのが Fonteiの"Pianto d'Erinna"です。いづれもラメントです。タイトル通りの曲と編成です。戦ひの曲は金管と打楽器が活躍し、ラメントは声とチェンバロが活躍します。 戦ひと言つても派手なものではありません。楽器はコルネットやサックバットです。曲もフィリップ・ジョーンズ好みではありません。華やかさからは離れま す。その意味では物足りなさを感じるかもしれません。しかし私はかういふ感じのが好きです。一見対照的な二種の音楽をそつなくまとめたサヴァールに感謝で す。もしかしたらコープマンの加はつたラメントがこのアルバムの<売り>かもしれません。しかし私には戦ひの方が嬉しいものでした。如何? 01.06.16 ・私が初めて「音霊(おとだま)」なる語を知つたのは作曲家佐藤聡明の文章からで あつたと思ひます。佐藤が自作の解説で使つてゐました。では、佐藤はどこからこれを持つてきたのか。これはそこに書いてありませんでした。あるいは佐藤自 身の「言霊」から連想された造語とでもあつたのかもしれません。(本ブックの鎌田の考へは友清歓真「霊学筌蹄」の第六章「音霊法」によるやうです。さうす ると、これは友清の造語なのでせうか。)いづれにせよ、私はこれ以来この語をよく使ひます。それだけの魅力を秘めた語だと私には思へるからです。今回、 CDブックとして出た鎌田東二「元始音霊 縄文の響き」(春秋社 SHUNJU-97010)も、もしかしたら最初に「音霊」なる語があつたのではないかとさへ想像してしまふほどです。 ・CD収録曲は全9曲、38分弱、石笛(いはぶえ)と土笛を中心とした演奏です。この石笛は文字 通り石製の笛で、ここでは「ピュアー・ナチュラル・インストゥルメントである」「アイルランドのアラン諸島のイニシュア島の海岸で拾った石の笛」が使はれ てゐます。吹くのは筆者鎌田氏です。土笛は奏者佐々木雅之氏自身の製作ですが、これは複製、復元楽器ではなく「現代の『縄文楽器』」ださうです。土鈴と縄 文太鼓もまた演奏者自身の製作です。つまり、「元始音霊 縄文の響き」といふのは、実際に縄文の楽器、あるいはそのコピーを使つた響きの意味ではなく、縄 文をイメージした楽器を使つて奏でられた響き、音楽とでも言ふべきものです。羊頭狗肉の感なきにしもあらず、しかしここに収められた9曲、もしかしたらや はり「縄文の響き」らしいのかもししれないと思ひます。かつて石笛や弥生の土笛を使つて広瀬量平(だつたか?)が曲を作つたことがあります。この石笛の音 とその使ひ方、これが非常によく似た印象を受けます。高音で硬質の澄んだ響き、いや、鎌田氏に言はせれば、「尾てい(漢字がない! 塚田注)骨 から延髄を通って脳髄を駆け抜ける。」響き、それが旋律ではなく長く延ばした音を奏でます。広瀬の笛もやはりかういふものであつたと記憶してゐます。石笛 といふもの、たとへ人工のものであれ、指穴がいくつもあるわけではありません。旋律を吹けたとしてもごく単純なものしか吹けないでせう。そしてそれ以上に タイトルが「元始音霊」です。かういふ、このCDにも聴かれる音になるのも自然のことかもしれません。(あるいはさういふ奏法が以前からあつたのか。)と もあれ、それでもこれは眉に唾をつけて聴くべき音楽です。本当の縄文の響きを聴いたことのある人間などこの世に存在しないのですから、鎌田グループによる 響きを良しとするか否か、これはすべて聴く人間にかかつてゐます。私にはいささか紋切り型に聞こえました。いや、これは私の嗜好の方が紋切り型なのでせう か。それでもそこはそれ、物珍しさも手伝つておもしろく感じられたこともまた確かです。皆さんはどのやうに聴くのでせうか。 01.06.09 ・望月太意之助構成・演出・解説「歌舞伎下座音楽集成」(財団法人ビクター伝統文化振興財団 VZCG 8055〜6)は 新譜ではありません。98年に出たものです。ずつと買へずにゐたのですが、先日やつと買ふことができました。かういふの、興味のない人からは一体どうする のだと言はれさうです。しかし、私のやうな芝居好きには是非とも<所有>してゐたいものです。正直な話、聞かなくても良いのですね。だから買はずにきても 特に問題はなかつたのですが、やはりほしかつた……といふわけでこのCD、監修が河竹繁俊といふからこれは古い。いつ頃の録 音でせうか。解説(ライナー)の最後に「本CDの解説は、昭和36年発売のレコード集成『歌舞伎下座音楽』の望月太意之助氏の解説に基づき要約したもの」 とあります。演奏者は当然黒御簾の中の人達でせう。裏方さんですから、私はほとんど名前も知りませんし、その年齢を判断することができません。ただし解説 の太意之助師、このCDと密接な関係にある「歌舞伎下座音楽」(演劇出版社)を出版された昭和50年時点で既に齢八十を超えてゐました。それからすれば、この録音、音源も先にレコードに拠るのかもしれません。マニア垂涎、私の貴重盤です。 ・この「下座音楽集成」、2枚で計130曲以上の下座が収められてゐます。時代狂言、世話狂言と大きく二分し、最後に御目見得だんまりがつきます。どれも どこかで聞いたことがあるやうなといふ気がします。当然です。歌舞伎の劇伴として流れてゐるものです。意識するとしないとに関はらず、歌舞伎を観てゐれば 耳に入るものです。しかしとても<特定>できません。解説にはどの芝居のどの場面で使ふとあつたりします。台本を読んでいたりすると在郷歌で幕が開くなど あります。しかし在郷歌と言つてもいくつかあります。具体的には分かりません。ただし、このCDをきくと雰囲気は十分につかめます。そこで、ある場面を思 ひ浮かべたりすると……やはり実際の舞台を観たくなります。この意味では欲求不満の元かもしれません。それでも、たまにはか ういふの聞くのも楽しいものです。決して愛聴盤とはなり得ないけれど、垂涎の貴重盤ではあります。歌舞伎好きの方いかがなどと言はずとも、疾うにご存じで すね。 01.05.12 ・私はアルバムタイトルに弱いのですね。ヒレ・パール「甘き思い出〜1600年頃の歌による器楽変奏曲」(BMGファンハウス BVCD 34012)な どといふのを見ると、すぐに買ひたくなつてしまひます。出たのは今年1月でせうか、最近やつと見つけました。「美しきヴィオラ・ダ・ガンバの麗人パールに よる美しき音楽」とコピーにありますが、ジャケットもそれらしくセピアでまとめてあります。しかし、聞いて思つたのは、そんなことに惑はされてはいけない といふことです。(いやいや、惑はされて買つてもらつた方が良いのかな。)これは副題通りの曲集です。例へば「甘き思い出」はピエール・サンドランの4声 のシャンソンです。作詞はフランス国王フランソワ一世ださうです。これに基づく曲が3曲、この中にあります。ディエゴ・オルティスが2曲、この人は16世 紀に活躍した人です。最初の変奏論を書いてゐます。その中にこの曲もあります。いかにもbass violの曲です。イギリスほどではないにしろ、嫋々とした趣があります。明らかにドイツやフランスのバロックとは違ひます。美しき音楽といふコピーはま ちがひではありません。これはやはりこの時代の要求した音楽なのでせうね。バッハより100年以上も前の音楽です。パールによれば、このアルバムの変奏曲 は「17世紀のビ・バップ」ださうです。ン? ビ・バップとは「猛烈なテンポと断片的旋律を持」つ(U・ミヒャエルス編「カラー図解音楽事典」)もので す。確かにそんな趣、無きにしもあらず。嫋々たる音楽なのか、あるいは過激なる音楽か。如何? でも私には楽しめるアルバムです。アンドルー・ローレンス =キングのハープも美しく冴えてゐます。 01.04.14 ・STUDIO DER FRUHEN MUSIK"ESTAMPIE"(EMI 7243 8 26491 2 0)は 1974年の録音です。REFLEXEのシリーズの一枚、これがセットになって出ました。好評につき再びの限定再発盤のやうです。"ESTAMPIE"は その第4集に収められ、6枚組の中の1枚です。タワー価格税抜き3,690円。他に、バードのvirginal曲集やヘンリー8世の世俗歌曲を中心とした アルバム等があります。古いとはいへ、いづれも貴重な録音です。この安さはありがたい。他のシリーズにも食指が動きましたが、この3枚でまづこれからとい ふ気になりました。 ・このアルバム、中世の世俗舞曲ESTAMPIEを集めたものです。エスタンピーは「13-14世紀のヨーロッパ、特にフランスとイタリアで流行した」 (平凡社版「音楽大事典」)器楽曲です。このアルバムはサルタレロに始まり、7曲のエスタンピーが続きます。計48分、楽しいひとときです。演奏はトマ ス・ビンクレーのSTUDIO DER FRUHEN MUSIK(これはミュンヘン古楽スタジオと訳してゐたやうな気がする)とバーゼル・スコラカントールムのメンバーです。リコーダーとリュート、レベッ ク、そしてプサルテリウムが大活躍です。いかにも楽しげ、派手です。そして長い。中世のかうした舞曲となると、このあたりは演奏者次第でどうにでもなりま す。これはエスタンピーです。誰でもこんな感じになるのかもしれません。ただし、私はもう少し音が薄い方が好きです。いくつかの楽器で音が分厚くなつてゐ ます。これが少々気になります。もう少しスリムでシンプルな方が中世的ではと思ふのですが、これは偏見でせうか。実際にはどのやうに演奏されてゐたのでせ う。こんなことを考へながらも、十分に楽しめるアルバムです。 01.03.31 ・隠れキリシタンといふと私はすぐに遠藤周作「沈黙」を思ひ出します。キチジローが悲しげにオラショを歌ふなどといふことを想像す ると、オラショとはいかにも悲劇的なイメージを持つた音楽だと信じてしまひさうです。さう、私はまともにオラショを聴いたことがありません。これほど有名 な音楽です。捜せばLP、CD、録音テープなどどこにでもありさうなものですが、それを見つけられずにゐました。そこへこのCDです。「生月壱部かくれきりしたんのゴショウ(おらしょ)」(fontec FOCD3457)、 長崎県生月島壱部のオラショを収録したものです。この壱部集落ではオラショのことをゴショウと言ひます。そこで「ゴショウ(おらしょ)」となつてゐるわけ です。収録されてゐるのは最初の「申し上げ」から最後の「申し上げ」までの計37種、約38分、その大半は早口で呪文を唱へてゐるといふ感じのものです。 最後の方の「オラッシャ、ラオダテ」、「オラッシャ、ナジョウ」等がグレゴリオ聖歌の名残りで、これは確かに音楽です。悲しげ、と言へるかもしれません。 しかし「沈黙」の重苦しさはここからは感じられません。つまり、私がオラショや隠れキリシタンといふ語から連想する「沈黙」的雰囲気は正しくないといふこ とです。オラショに比べるとお経の方がはるかに音楽的です。つぶやきの正体の呪文は天草本「どちりなきりしたん」の如きもの、つまりは文語文です。キチジ ローもキリシタンであつたからには、かういふのを唱へたのでせう。むしろ違和感を感じてしまひさうです。それほど「沈黙」のイメージは強烈であったといふ ことです。「沈黙」の評価は別にして、私にはこのCD、そんなことが分かつて大変おもしろいものでした。皆さんはどのやうに聴かれるのでせうか。 01.03.17 ・Jacques Paisibleといふ作曲家をご存じですか。ペジブルと読みます。1656年フランス生まれ、バッハの一世代上といふ辺りでせうか。活躍したのはイギリ ス(またまたイギリス・バロック!)、ロンドンに40年以上住んで精力的な活動を続けたさうです。つまりは1659年頃に生まれたヘンリー・パーセルの同 業者、もしかしたら好敵手であつたのかもしれません。ただし、手元のいくつかの音楽事典等を見ても、このペジブルといふ名はみつかりません。私の頼りは「ペジブル・6つの組曲」(NAXOS 8.555045)といふCDの解説だけです。それも英語ですから、どれだけ理解してゐるのか、怪しいことこの上ありません。いづれにせに、これだけでパーセルとの勝負はついたわけで、当時いかにペジブルがロンドンで活躍してゐたとしても、現在は完全に忘れられた作曲家でしかないわけです。 ・このナクソスのCD、ペジブルのニ短調、ニ長調等の6つの組曲を収めます。計39曲の舞曲等からなります。編成はリコーダー二本と通奏低音、演奏は Musica Baroccaといふ2人の女性リコーダー奏者を中心としたグループです。感じるのは演奏も中庸なら、曲そのものも中庸であるといふことです。口の悪い人 ならば曲は凡庸と評するかもしれません。確かにきれいです。響きも端正で整つてゐます。良くも悪しくもイギリスのバロックです。私の好みではあります。し かしそれ以上ではありません。はつとするやうな瞬間がありません。心躍る気分が今一つです。かういふのはBGMには最適かもしれません。邪魔になりませ ん。気持ちよく音の流れを楽しんでゐられます。もしかしたらさういふ聞き方をされた人なのでせうか。あるいは、楽譜を見てゐないので本当のところは分かり ませんが、これはホーム・ミュージック用の音楽なのでせうか。家族や友人と楽しんで音楽する。かういふのにも向いてゐるのかもしれません。仮面劇(マス ク)の音楽もかなり多く書いてゐるやうです。それらはどんな音楽なのでせうか。興味あるところです。このCDをききながら、ペジブルがパーセルに<負け た>理由が分かつたやうな気がします。これは偏見でせうか。忘れられた作曲家の再発掘、言ふは易く、行ふは難し、です。 01.02.03 ・ルネ・クレマンシックは'28年生まれだから、今年73になるはずです。演奏家としてそんなに年とも思へないのに、いつの頃から か、ほとんどその名前を聞かなくなつてゐました。ところが最近になつて、カルダーラのミサをNAXOSから出しました。活動再開なのでせうか、今度はRENE CLEMANCIC"APOKALYPSIS"(ARTE NOVA CLASSICS 74321 72115 2)と いふ3枚組全190分の大曲を出しました。副題として"THE REVELATION OF ST. JHON/ORATORIO IN ANCIENT GREEK"とあります。新約聖書の「ヨハネの黙示録」による(かな? after THE REVELATION〜とある。)古代ギリシャ語のオラトリオとでもいふのでせうか。5人の男声と女声合唱、トランペット、トロンボーン、ホルン、チュー バ、コントラバスに打楽器といふ編成です。楽器だけで22人を要します。演奏者にクレマンシック・コンソートも出てゐます。するとこの楽器は古楽器で、こ のメンバーは声や器楽の方に紛れ込んでゐるといふことでせうか。このあたり、よく分かりません。世界初録音、'96年のウィーン・モデルンでのライヴで す。現代音楽扱ひ、ですね。(ちなみにこのCD 、税抜き1,490円、タワーで買ひました。安い。) ・曲は、特に声は少し聴いただけで古いものだと分かります。 第1曲"APOKALYPSIS IESU CHIRSTU"("St. Jhon greets the seven churches") 冒頭、器楽の後に声が出てきます。かなりドラマティックな唱法となつてゐますが、ここに流れてゐるのは古い音楽です。叙唱、レシタティーボ風の部分がかな りあります。これもグレゴリオ聖歌のやうに聞こえたりします。テキストはクレマンシック自身がまとめてゐます。英訳された曲名からすると、どうやら「ヨハ ネの黙示録」をそのまま使つてゐるやうです。七つの教会への手紙に始まり、最後の審判、千年王国、ニュー・エルサレム等の全22曲からなります。打楽器が 活躍します。金管が派手です。音楽が古い割にはドラマチックにな印象です。オルフの「勝利」三部作あたりに似てゐます。クレマンシックは「ヨハネの黙示 録」を希望のメッセージと考へてゐます。音楽に力強さが失はれないのはそのせゐでせうか。 ・クレマンシックといふと、私はすぐ中世、ルネサンス音楽を考へてしまひます。先のカルダーラも、この「黙示録」もその延長でせう。ただ、もしかしたら、 私が消息をきかなかった間、クレマンシックは新たな発展を期して<英気>を養つてゐたのかもしれません。その大きな成果がこの大曲かもしれません。なら ば、彼本来の、クレマンシック・コンソートによる中世、ルネサンスの音楽をまた聴きたいと思ふのは私だけではないでせう。次作を期待してゐます。 01.01.13 ・またもPINK FLOYD! といふ感じのロジャー・ウォーターズ「イン・ザ・フレッシュ」(SME RECORDS SRCS 2393-4)で す。20世紀最後にこんなアルバムを出すのだからロジャーもニクイ。本当に嬉しくなります。これは「イン・ザ・フレッシュ」に始まつて新曲"EACH SMALL CANDLE"に終はる全24曲を収める2枚組のライヴアルバムです。ロジャーのソロアルバムからも何曲か演奏されてをり、それらも含めて、さながらピン ク・フロイド名曲集といつた趣です。ここにはもちろん、ギルモア、メイソン、ライトはゐません。しかし紛れもなくピンク・フロイドの音楽です。ロジャー= ピンク・フロイド、このことを如実に示してゐます。一枚目の最後辺りに「炎」からの曲があります。「あなたがここにいてほしい」や「狂ったダイヤモンド」 の切なさは、ロジャーのシド・パレットへの思ひの深さを示してゐます。二枚目の「狂気」や「アニマルズ」からの数曲、そしてそれらすべてをはさむやうにあ る「ザ・ウォール」はロジャーの思ひが社会に向けられたものでせう。これもまた切実なものです。ただし、これはロックアルバム、要するに音楽です。さうい ふ歌詞の内容、ロジャー=ピンク・フロイドの思想に捕らはれることはありません。純粋に音楽として楽しめば良いのです。さうしてなほかつ、これはやはり見 事なアルバムです。伊藤政則氏が「20世紀最後に登場した本物のロック・アルバムと断言しておきたい。」("FM Fan"2001 NO.1)と言ふのは、自らがライナーで立川直樹と対談してゐるので少々割り引いて考へねばならぬにしても、かなりまでは当たつてゐます。さう、イエスや キング・クリムゾンも良いけれど、ロックをロックたらしめるのはかういふ<志の高さ>なのだといふことです。その意味で"EACH SMALL CANDLE"の美しさと力強さが21世紀をも照らしてゐるのだと思ひます。今年中にはロジャーの新しいアルバムが出るとか。楽しみにしてゐます。
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