きまぐれ聴低盤 2003.12

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"LUX OBSCURA A MEDIEVAL ELECTORONIC PROJECT"
アムステルダム・ルッキ・スターダスト・クヮルテット「フーガ・アラウンド・ザ・ク ロック」
アントネッロ「ヤコブ・ファン・エイク《笛の楽園》」
"AFRICAN RHYTHMS"
"SANGAM Micheal Nyman meets Indian Masters"
"Terry Riley・Keyboard Studies"
Philip Glass"NAQOYQATSI"
tangerine dream"INFERNO"
 

03.12.27
"LUX OBSCURA A MEDIEVAL ELECTORONIC PROJECT"(EMI 7243 5 45634 2 3)のポイントは ELECTORONIC PROJECtです。その前に MEDIEVAL とあります。中世です。ヨーロッパ中世の音楽をアコースティックではなくELECTORONICに演奏しようといふわけです。このミスマッチ、これが意外 におもしろい。私はいかにも古楽といふ演奏も好きですが、たまにはこんなのも良いものです。第7曲はサルタレロ、中世イタリアの舞曲です。この舞曲、誰が 演奏しても楽しく、そしてリズミカルになります。曲の性質からさうせざるを得ません。"which featured energetic slapping of the feet while leaping up"だから生き生きと跳ね回ります。この演奏ももちろんさうです。楽器はリコーダー、ハーディー・ガーディー、(ブルガリアの)バグパイプを中心に、こ こでは更にパーカッションが加はります。打ち込みでせうね。シンセサイザーらしき音のうねりが聞こえますし、ジャケットには"programmed by"ともあります。この組み合はせがミスマッチではないのですね。編曲のうまさと言つてしまへばそれまでですが、中世の音楽も視点を変へれば"ロック" だとも言へるのではないでせうか。舞曲の命はリズムです。ロックの命もリズムです。だからうまくいくはずです。ところが第9曲のヘンリー8世の宮廷で奏で られたカノン、これはリコーダー中心のアコースティックな演奏です。時間的にも30秒足らず。タイトル曲"LUX OBSCURA"、これはambient、かつenigmatic canonなのださうです。このカノン、一種の謎解きをしないと演奏ができないもので、古来、広く行はれてきました。先の第9曲も、更に第12曲のジョ ン・ダンスタブルのそのものズバリの題名の小曲、これらも同様のカノンです。雰囲気は全く違います。ソロはリコーダーですが、こちらは確かにアンビエント 風です。イーノ風、ではないと思ひますが、中世の音楽といふ趣ではありません。このアルバム、ペロティヌス、マショーを初めとして、かういふ ELECTORONICかつアコースティックな演奏が並んでゐます。全13曲、約59分、異色のアルバムです。ゲテ物と言へば確かにその通り、しかし中世 と現代の感覚が意外に近いと教へてくれるアルバムでもあります。皆様は如何?

03.08.16
アムステルダム・ルッキ・スターダスト・クヮ ルテット「フーガ・アラウンド・ザ・クロック」(CHANNEL CLASSICS CCS 19498)は シャイトの「4声のカンツォン・コルネット」で始まります。これは以前ご紹介した、サヴァールのエスペリオンXX"A MUSICAL BANQUET"にも収められてゐました。こちらはブロークンコンソートでしたが、それ故に、種々の楽器の彩なす音色が魅力的な演奏でしたし、何よりも シャイトの伸びやかなメロディーが私は好きでした。さうして今回のルッキです。一聴、直ちにこちらの方が良いと思ひました。理由は簡単です。やはり私はリ コーダーのホールコンソートの方が好きだ、単純にこれだけです。このリコーダー四重奏の音色の美しさはブロークンではとても味はへません。violでもさ うですが、低音から高音まで、同種の楽器でまかなふホールコンソートの魅力はその濁りのない音色にあります。リコーダーはソロのアルトやソプラノがよく聴 かれますが、バスやグレートバスの深い音色はそれ以上に豊かな響きを持つてゐます。低音楽器の宿命、これらは常に縁の下の力持ち的存在です。しかし、ホー ルコンソートで高音を支へる役割になると、その音色の深さが際だち、総体として楽器同士が実に豊かに響きます。これは何物にも代へ難いものです。ここの シャイトは正にその典型、アルバム第一曲に持つてきたのもその自信の現れでせう。うなづけます。大体がルッキです。このアンサンブルののうまさは定評のあ るところ、その超絶技巧と音楽性、現在のリコーダーのアンサンブルでは彼らがトップなのではないでせうか。それがシャイトに凝縮されてゐます。もちろん他 の曲も見事です。アルバムタイトルは"Fugue Around The Clock"、コピーは「いわば《続・フーガの技法》」、様々なフーガの集成、遁走曲集です。14世紀スペインからショスタコーヴィッチまで、ここには バッハの謹厳さはありません。しかしフーガの楽しさがあります。フーガと言つてもとても一言では言へないといふことです。どの曲もリコーダーの音色が伸び やかです。シューマンやメンデルスゾーンなどといふロマン派の作曲家も意外にバロックなのだと思ひます。かういふ発見も楽しいものです。これはルッキとリ コーダーを楽しむためのアルバムです。全21曲、70分弱、買つて損はない!?

03.07.12
・van Eyckと言へば、美術史では有名なフランドルの画家ですが、音楽史では"Der Fluyten Lust-hof"です。個人的にはこれを「楽しき笛の園」と訳したいところですが、最近では「笛の楽園」と訳すことが多いやうです。フランス・ブリュッ ヘンで有名です。「天使のナイチンゲール」「涙のパヴァーヌ」等々、彼の奏でるリコーダーは見事としか言ひやうのないものです。リコーダーといふ楽器の持 つ可能性とブリュッヘンの腕の冴えを教へてくれた演奏でした。それに対して、濱田芳通率ゐるアントネッロ「ヤコブ・ファン・エイク《笛の楽園》」(Alquimista Records ALQ-0001)は リコーダー独奏ではなく、アンサンブルによる演奏です。このグループはリコーダー奏者濱田を中心に、ハープとヴィオラ・ダ・ガンバの3人からなり、このア ルバムは独奏リコーダーの曲をそれに合はせて編曲したものです。全18曲中の大半はリコーダーを中心とした演奏ですが、コルネット(Zink、ツィンクと も言ふ)やハープを独奏楽器とした曲もあります。いづれもリコーダーでは得られない趣があります。「笛の楽園」は当時の流行の旋律に基づくディミニュー ション集です。ディミニューションとは即興(変奏、修飾)のテクニックです。「更に器楽的で集団即興的なパフォーマンスには、『オスティナート』という一 定のコード進行(或いは定型バス)が土台として使われ」(濱田「ディミニューションについてのファン・エンク氏との対話」)たといふことがあります。そこ でこのやうな演奏も可能となります。これまでにかうしたか試みが行はれてゐたのでせうか。私は初めて知りました。言はば目から鱗、あんな楽譜からこんな音 楽が導き出されるとはです。有名な「イギリスのナイチンゲール」は鳥の鳴き声の模倣的な奏法も加へて快活に奏されます。楽譜が既にディミニューションです が、そこに更に濱田による改変と即興が加はります。「涙のパヴァーヌ」も同様、violのホール・コンソートのやうに嫋々たる演奏とはなりません。音の質 の違ひでせうか。いや、それ以上に演奏そのものの違ひだらうと思ひます。端的に自由、楽譜に縛られることなく、あらゆる点で濱田の考へが前面に出てゐま す。もちろん、きちんとした当時の理論と演奏習慣を踏まへてのことです。先の「ナイチンゲール」もこの流れの中にあります。だからこそ目から鱗が落ちま す。あちこちで聞こえるエコーの扱ひも見事です。正に「楽しき笛の園」アンサンブル版です。誰もが知つてゐるコード進行上の旋律ならば、その旋律の楽譜が あれば事足ります。お互ひ、気のあつた仲間同士、集まればすぐにアンサンブルが楽しめます。このアルバムはそんな雰囲気なのでせう。それがこの時代の音 楽、正に音の楽しみ方です。ブリュッヘンは名人芸の面目躍如たるアルバムでした。それとは趣の異なるはこのvan Eyck、私は好きです。如何?

03.05.10
"AFRICAN RHYTHMS"(Teldek Classics 8573 86584-2)に は4人の名前があります。作曲者のジョルジュ・リゲティとスティーブ・ライヒ、演奏者はピエール・ローラン・エマール、そしてピグミーのアカ族Aka Pygmiesの人達です。エマールはピエール・ブレーズからも信頼されてゐるピアニストだとか。現代音楽で活躍してゐる人なのでせう。このアルバムはリ ゲティがエマールにアカ族の音楽を紹介したことに始まります。'99年にパリで行はれたワークショップでリゲティとアカ族の音楽が採り上げられました。そ れを機に、これがそのまま録音されることになつたやうです。その時、ここにライヒの作品を入れることにし、さうしてできたのがこのアルバムです。 エマールが書いてゐます。"This record is a mosaic of polyrhythms.……It is, above all,a celeblation of rhythm and pulse." リズムとパルスの祭典、こんな中にリゲティがと思はないわけではないけれど、それ以上に、この言葉を聞くだけで何かワクワクしてきます。
・このアルバムは2つに分かれます。エマールとアカ族です。それがほぼ交互に並んでをり、そのリゲティをはさんで、といふことは、その間にもアカ族が置か れてゐるわけで、ライヒの2曲が置かれてゐます。エマールはリゲティの「エチュード」から6曲、ライヒの"Clapping Music"と"Music for piece of wood" を<弾いて>ゐます。ただし、前者は「拍手のための音楽」です。言はば己が手のみで演奏する打楽器奏者です。後者は「木片のための音楽」、これを何とピア ノで弾いてゐます。ライヒ初期の代表作、声部のズレによつて少しづつ変化してゆく音楽です。リズムだけでも、その微妙な変化の綾が見事です。拍手はもちろ ん、ピアノで弾いても何の違和感もありません。かくもシンプルな原初ミニマル、複雑になる以前のかういふ曲、私は好きです。リゲティはライヒやテリー・ラ イリーのこんな音楽に影響を受けた("ON MEETING STEVE REICH")さうです。もともとハンガリー生まれ、シェーンベルクよりもバルトーク好きと自ら言ひます。リズムが前面に出る初期のミニマルはリゲティの 体質に合つてゐるのでせう。これも2人が並ぶ大きな理由です。ここでの「エチュード」を私は知りません。リゲティは第二次大戦後の所謂前衛音楽を主導して 来ました。特にトーン・クラスターで有名です。しかしこの「エチュード」にそんな響きはありません。旋律的で聞き易い音楽です。と言つても、最近のロマン 主義的な音楽とは違ひます。バルトークに近いのでせうか。ただし、このアルバムの中では、私は少々の違和感を覚えます。ピアノの旋律と響きだけが浮き上が つてゐるかのやうです。エマールはその辺りも計算して演奏してゐるのだと思ひますが……。そしてアカ・ピグ ミーの音楽、私は アフリカの音楽をほとんど知りません。この種の音楽は既にCDになつてゐるはずです。よく知られたものかもしれません。しかし私は知りません。声と打楽器 を織り交ぜて精緻な音楽が作られてゐます。どこかの現代作曲家が作つてゐさうな音楽です。私は声の方をおもしろく聞きました。確かにAFRICAN RHYTHMSです。これは優れた企画のアルバムです。以上、ミニマリスト御三家第3弾、といふのはいささかこじつけめきますが… …。

03.03.29
・「ピアノレッスン」のマイケル・ナイマンです。ナイマンには「ライヴ・ベスト」と題されたアルバムがあります。これは '94の5 月のスペインでのライブを収めたアルバムです。「ピアノ・レッスン」組曲を含む全17曲、極めて乗りの良いアルバムです。彼が現代音楽の作曲家であること を忘れさせてくれます。ここに「ひっくり返ったヴァイオリン」といふ曲があります。3楽章からなる約15分の曲です。彼がセルビアのEXPO'92のため に作つた曲で、モロッコの音楽家達と共演した作品です。宇野祥子氏のライナーによれば、「ナイマン・バンドと民族オーケストラの最初の接点となった」曲だ さうです。ゆつくりした1はきれいな曲です。速い2と3は打楽器に支へられてゐます。全曲通して、所謂エキゾチックな雰囲気にあふれた乗りの良い曲です。 「ピアノ・レッスン」やポスト・ミニマルの作曲家としてのナイマンしか知らない人間には、これはなかなか刺激的な作品です。
"SANGAM Micheal Nyman meets Indian Masters"(Warner Classics 0927 49551-2)は この流れにあるアルバムです。タイトル通り、こちらはインドの音楽家との共演です。その音楽家とは声(voice)のRajan&Sajan MisraとタブラのSanju Sahai、そしてマンドリンのU. Shrinivasです。Misra兄弟は声楽の名家の出、ナイマンは兄弟を冗談めかして'the Indian Soul Brother'と呼んだとか。曲はナイマンとの共作の"Three Ways of Describing Rain"30分近い3楽章からなる曲です。ナイマンのピアノとバンドに支へられた兄弟の歌声の実にきれいな曲です。歌の内容は分かりません。しかしそん なことは気にせずに音楽として楽しめます。私はインドの声楽をほとんど知らないのですが、こんなのを聞くと、インドの声楽も捨てたものではないと思へてき ます。ただし、それにもかかはらず私には、U. Shrinivasのマンドリンの方が更におもしろく思はれました。初めて聞いた時、最初の音がマンドリンの音とは思へませんでした。シタールか何か、何 だらうと思つたものです。しかしあれはマンドリンなのですね。ヴィヴァルディ程度の曲しか知らない人間にはほとんど信じ難い音世界です。マンドリンの<概 念>が揺らぎます。こんなマンドリンもあつたのですね。これが30分続きます。実に心地よい世界です。ナイマンがインド音楽に初めて惹かれたのも、 Shrinivasがジョン・マクラフリンのアンサンブルに参加してゐるのを聞いた時のことだとか。シタールやヴィーナではないところがナイマンらしいの かもしれません。ライナーにはこのアルバムはフュージョンに分類されるだらうとあります。さうかもしれません、この乗りですから。しかし更にかうありま す、"original and perfectly-balanced musical marriages between East and West yet archieved"、錬金術の月と太陽の結婚ならぬ、音楽に於ける東と西の完璧なる結婚、よく聞く内容の言葉です。日本の多くの作曲家も東西の融合を主 題とした曲を書いてゐます。さういふのと比べるとどうなのでせうか。確かに極めて聞き易く心地よい曲です。その意味でperfectly- balancedかもしれません。さう、これも「ピアノ・レッスン」のナイマンなのですね。そして、更に重要なことはこれもまたhappyになれる曲で す。楽しみませう。

03.02.15
・happyになりたかつたらかういふ曲をと言ひたくなるのが"Terry Riley・Keyboard Studies"(MDG 613 1135-2)で す。作曲年記載なし、演奏はSteffen Schleiermacher、この Schleiermacherは'60年東独のハレ生まれ、ピアノ、作曲、指揮を学んでゐます。アロイス・コンタルスキーにも学んでゐますから、現代音楽 のエキスパートでせうか。彼がライリーを知つたのは'76にブダペストで見つけた中古のLP"Persian Surgery Dervishes"だつたとか。これ以来、彼の世界に魅せられ続けてゐるやうです。この気持ちは分かります。"Persian"は例の純正調のオルガン によるライブパフォーマンスです。現在はかういふのをやつてゐないのかもしれませんが、70年代から80年代にかけて、ライリーはかういふ演奏会を度々行 つてゐます。いかにも導師(グル)然としたライリーが延々と続ける演奏には筆舌に尽くし難いものがあります。もちろん、私はその生の演奏会を 知りません。しかし、LPでさへ、その印象は圧倒的です。ミニマルといふ語ではくくりきれない世界です。この頃のライリーはインド音階を用ゐ、タブラとの 即興演奏を行つたりしてゐます。かうなるとほとんどインド人です。 Schleiermacherはそんなライリーの世界にカルチャーショックを受けたやうです。
・このアルバムは2曲の"Keyboard Study"と Schleiermacher自身のミニマル御三家へのオマージュの3曲を収めて約64分、やはりライリーが見事ですが、これは純正調オルガンのための曲 ではありません。"Persian"とはかなり趣を異にします。敢へて言へば、"In C"のキーボード版とでも言ふところでせうか。パルスを背景に、いくつかの音型が順次移り変はつて行く音楽、基本ミニマルです。一聴、"In C"との相似を感じます。それも、ライリー自身の加はつたCBS盤です。#1は二声体で、ライナーによれば、中世のホケトゥスと中央アフリカの木琴音楽の 影響下の作品のやうです。これに演奏者自身のcomputer programmingが加はります。"I employed a special tone color to emphasize the motifs that seemed interesting to me"といふのですから、これは演奏者の好みの反映です。CBS盤が頭にあつたのでせうか。これに対して#2は五声体、こちらは音の響きへの関心からでき たやうです。しかし、リズムも音型も"In C"を思はせます。CBS盤はかなり大きなアンサンブルでしたから、必然的に響きの移り変はりも楽しめました。その意味で、ライリーのかういふ関心は当然 のことかもしれません。さうして更に思ふことは、スティーブ・ライヒとの相似です。ライヒの音楽は少しづつ変化していく音楽です。初期のごく小さな曲から その後のアンサンブルまで、いかにもミニマル的に変化していきます。ライリーの"Keyboard Study"の作曲年は分かりません。初期の曲なのでせうか。ライリーにこんなピアノ曲があつたのを初めて知りました。個人的には純正調オルガンの即興を 待望するのですが、かういふ曲もおもしろいものです。瞑想には向きませんが、きいてゐるとhappyになれます。この偉大なる一本調子、やはり元祖ミニマ ルです。理屈抜きです。楽しい曲です。如何?

03.02.08
Philip Glass"NAQOYQATSI"(SONY CLASSICAL SK87709)は サントラ盤です。ゴドフリード・レジオ監督のQatsi trilogyの最終作です。第1作"KOYAANISQATSI"が'82の作と言ひますから、完結までに20年を要したことになります。グラス自身に よれば、第1作は"instrumental style typical of the ensemble of keyboards,winds,and voices"で書かれ、第2作"POWAQQATSI"では、彼の"world music"のスコアの中に"one hears echoes of India,Africa,and Suoth America"だとか。私は映画としての第2作を知りませんし、音楽的にも第1作の方が好きでした。この音楽、武満徹だつたかが、一度乗り損なふともう ダメだ、私は乗り損ねたみたいなことを言つてゐました。あの画面にシンクロした音楽は確かにそんな類の音楽かもしれません。この頃のグラスのオペラ等にも 聞かれる語法があちこちにあつて、その意味でもおもしろいものでした。これに対して第2作、確かに民族音楽の香り豊か、打楽器が多用されてゐました。た だ、私にはそれがあまりグラスの音楽に合つてゐるとは思はれず、今一つ好きになれませんでした。映画を見てゐないことがマイナスの印象になつてゐるのかも しれません。そして第3作、この"NAQOYQATSI"です。LIFE AS WAR とあります。現代米国社会、南北問題の南、そして今回は"cvilized violence - a global technological order"が主題です。音楽も第1作に近く、"a large (acoustic) symphonic ensemble featureing a solo cello"のために書かれてゐます。そのソロをヨー・ヨー・マが弾いてゐます。この音楽のポイントはこれのやうです。例へば第1曲では繰り返しの音型を 弾いてゐます。ミニマルです。グラスですから当然のこと、他でもこの音型は繰り返されます。これだけでは、私にはレジオのやうな、"Yo-Yo Ma have created an acoustic plateau akin to a force of nature"などと評価することはできません。ただ、この音楽はグラスらしいものだと言へます。第1作はどちらかといふと一本調子といふ感じがありまし た。それが乗り損ねるとといふ評価にもなつたのだらうと思ひます。これは緩急、強弱、ソロとオーケストラといふ対立、いやメリハリがあります。その意味で は三部作で一番の出来かもしれません。クラシック以外の語法も使はれてゐたりします。おもしろくきけます。ヨー・ヨー・マファンも必聴です、たぶん (^_^;)。

03.01.25
tangerine dream"INFERNO"(TDI CD032)は 簡単に言へばTD版ダンテ「神曲」地獄編です。公式サイトのディスコグラフィーにかうありました。

"Inferno" is the long awaited first part of the "La Divina Commedia" Triology by Dante Alighieri. Over 78 minutes of new music!! A project TD worked on for about five years.

5年をかけた「神曲」プロジェクト第1弾といふことなのでせう。昨年2002年5月発売ですが、現時点ではこれが彼らの最新アルバムのやうです。しかもラ イブです。フローゼ父子に打楽器のIris Kulterer、更に7人の女声が加はります。つまり、「神曲」をテーマとしたコンセプトアルバムと見るか、ライブアルバムと見るかで評価が違つてきさ うです。コンセプトアルバムと見るならば、三部作の第1部のみ故未完、評価尚早とでもなるかもしれません。音楽は見事にTDです。第1曲"Before the closing of the day"から明らかです。それも、地獄編といふイメージからするとあまりにきれいな音楽です。所謂地獄の悲惨、凄惨、残虐とでもいふのとはほど遠い雰囲気 です。地獄をおどろおどろしい音楽にするばかりが能ぢやないといふことでせうか。かういふきれいな地獄もまた一興なのですが、ただしライブといふ点からす ると、これは問題ありかもしれません。"three phase"といふビデオがありました。93年発売です。息子のジェロームが参加してゐます。これ見て驚きました。何だ、このぶよぶよとした音は。それ以 前のTDのライブとは様変はりしてゐました。以前の引き締まつた音の代はりに、サックスとギターがやけに目立つアルバムでした。その後のアルバムではかう いふ雰囲気は徐々に後退していき、以前からエドガーの志向していた音に戻つていきました。では、この"INFERNO" はと言ふと、私には中途半端としか思へません。コンセプトに関係あるのだとは思ふものの、あまりに音がメロメロです。ぶよぶよではありません。力強さより も叙情性が前面に出てゐます。確かに一つ一つの音はTDです。しかし、その組み合はせが問題なのでせう。そして女声も関係あるのでせう。私には歌詞の意味 が分かりません。何語でも良い。単純にTDのアルバム、音としてきくと、女声も含めて物足りなさを感じます。これも息子ジェロームの影響なのでせうか。 TDにはもともと叙情的な指向がありました。しかしかういふのはありませんでした。最近の傾向なのでせうか。それともプロジェクト故でせうか。やはり評価 尚早か。それを確かめる意味でも「煉獄」を待つべきかもしれません。

 

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