きまぐれ聴低盤 2004.12
04.10.23 ・諸井三郎といへば私は直ちにベートーベンを思ひ出します。作曲家には違ひないのですが、諸井はやはりベートーベンのアナリーゼに尽き ると思つてゐます。実際、戦後の諸井は、「以後32年間に(中略)合計8つの作品しか生み出さなかった。」と片山杜秀氏が解説に記してゐるやうに、作曲家 としての活動をほとんどしてゐません。私がベートーベンの研究者と思つてゐるのも、ある意味では当然のことです。従つてこのNAXOSのシリーズの諸井三郎「交響曲 第3番・交響的二楽章他」(NAXOS 8.557162J)は戦前の作品集になります。いや、正確には「こどものための小交響曲」('43)、「交響的二楽章」('42)、「交 響曲 第3番」('44)の3曲所収ですから、見事に戦中の作品集です。3曲ともに世界初録音ださうです。これだけでもこのアルバムは注目されてしかるべ きだと思ふのですが……。 ・聴いて思ふのは、さすが諸井三郎といふことです。最近でも交響曲を複数書いてゐる作曲家はゐます。それはたぶん、このアルバムほど所謂交響曲らしくはな いはずです。所謂と書くのは、私達がよく知つてゐると思はれる古典派、ロマン派の交響曲といふ意味です。中でも「交響曲 第3番」はベートーベン的といふ よりはブルックナーかマーラーを思はせます。三管編成、約33分、各楽章に標題つきです。第1楽章「静かなる序曲-精神の誕生とその発展」、第2楽章「諧 謔について」、第3楽章「死についての諸観念」、これから見当がつくやうに、第1楽章はゆつくりした序奏とAllegro、第2楽章はスケルツォ、第3楽 章はAdagioの大雑把な緩急緩急の形式でできてゐます。さすがに後期ロマン派の長大さはありません。しかしかういふ標題の付け方、どことなくニーチェ か誰かを思ひ出させたりします。解説によれば、形式的には従来のソナタ形式ではないやうですが、この音と響きはむしろドイツ的と言ふべきではないでせう か。'44作曲といふのですから、この時点で日本の敗戦を予想してゐたのかもしれません。第3楽章は鎮魂歌、レクイエムでせうし、スケルツォは「戦争の熱 狂と暴力につながっている。」(片山)のださうです。かういふ諸井三郎は知りませんでした。絶対音楽とは言つても、といふより、絶対音楽だからこそ、かう いふ形で戦争の影響を受けるのでせう。これに対して「こどものための小交響曲」は「交響曲 第3番」作曲中に作られた作品です。二管編成、約15分ですか ら、交響曲の余滴とでも言へるのでせうか。これは理屈抜きでよい作品です。とても戦中の作品とは思へません。プロコフィエフやブリテンにでも比肩すべき作 品かもしれません。「こどものための小」といふ標題がなさしめたものか、あるいは逆に内容からさうした標題をつけたものか。諸井の知られざる、いや私が知 らないだけかも、一面と言つては言ひすぎでせうか。初録音が不思議なくらゐです。この2曲で、このアルバムはシリーズ注目盤となります。如何。 04.09.11 ・David Munrow"Henry VIII and his Six Wives"(TESTAMENT SBT 1250)、このアルバムタイトルを見ると、 私は直ちにリック・ウェイクマンを思ひ出します。さういふ人も多いのではと想像するのですが、こちらはデイヴィッド・マンロウです。プログレとは全く関係 ありません。所謂音楽史の範疇に属するアルバムです。リック・ウェイクマンはヘンリー8世の6人の妻の音楽を作りましたが、マンロウはヘンリー8世の時代 の音楽を集めたアンソロジーを作りました。音楽家と言つても様々、リック・ウェイクマンにこんな真似はできません。 ・このアルバム、何しろマンロウです。録音は古い。'72、'76、'77とありますから、最初の録音は30年以上前のこととなります。演奏はもちろんマ ンロウ指揮のThe Early Music Consort of London、そのメンバーにはJames BowmanやChristopher Hogwood等の、現在も現役で活躍中の人達がゐます。古楽演奏の草創期とは言はないまでも、現在に比べるとはるかにマイナーだつた時代、その中でマン ロウは若手の注目株でしたが惜しくも早世、その演奏をかうして聴いてゐるわけです。これを伝説的名演と言ふさうです。あるいは「名手たちの超絶技巧が楽し める快演」(Tower Records)ださうです。名演、快演といふ評価は別にして、これは楽しむことのできるアルバムです。さう、やはり快演でせうか。72分、全34曲、長 い曲でも4分超、半分は2分未満の小曲ばかりです。ヘンリー8世の時代ですから、それらは舞曲が多く、中にはスザートやジェルベーズの舞曲もあります。当 時の世俗歌曲もありますし、ヘンリー8世自身の有名な"Pastime with Good Company"もあります。更には「涙のパヴァーヌ」や「グリーンスリーブス」もあります。それらを管楽器や打楽器を多用して演奏してゐます。メリハリ の利いた派手な演奏と言へませうか。最近は抑へ気味の演奏が多いやうですが、ここにはそんな雰囲気はありません。快い音楽は楽しもうといふわけで快演、奏 される音楽の種類からすればそれで良いのだと思ひます。理屈は編曲以前です。楽器も多様、音色も多彩です。珍しいトロンバ・マリーナなどといふのもありま す。これを初めとして弦楽器も多様です。さすがにその楽器の特徴を押さへて使つてゐます。だから聴いてゐて楽しい。たぶんかういふ演奏、今となつては古い タイプに属するものでせう。しかし、最近のは学問的好奇心や良心が優先されてゐるやうです。その意味で、マンロウは立派です。時代のせゐでせうか。それだ けではないでせう。マンロウ個人の天性、これがなければ編曲はできません。古楽に編曲は<命>です。単旋律から多声部の音楽を作る。理屈より感性です。従 つてこれは快演です。改めて聴かるべき名演です。如何。 04.08.07 ・芥川也寸志「エローラ交響曲・交響三章他」(NAXOS 8.555975J)は日本作曲家選輯の最新盤です。帯のコピーは「21世紀にも間違いなく語り継が れる爆発系サウンド」です。21世紀はともかく、爆発系サウンドといふのは当たつてゐるでせう。芥川の音楽の特徴はそのリズムとダイナミズムにあります。 これは師伊福部昭 から引き継いだものでもありませうが、芥川個人の資質の問題でもあります。芥川は社会主義リアリズムに傾倒してをり、時のソビエト・ロシア音楽に影響され てゐます。その一方で、伊福部の語法も学んでゐます。伊福部のあの金太郎飴の音はなくとも、オスティナートが頻出します。音型の繰り返しです。伊福部には 「リトミカ・オスティナータ」といふそのものズバリの曲がありますし、芥川にも「オスティナータ・シンフォニカ」なる曲があります。師弟の偏愛のほどが知 れます。このアルバムには有名な「弦楽のためのトリプティーク」は収められてゐませんが、初期・中期の3曲、タイトル曲2曲と「オーケストラのためのラプ ソディー」計54分が収められてゐます。いづれも芥川の音楽の特徴を良く備へ、きびきびしたリズムのダイナミックな音楽です。かういふのを聴いてゐると、 この人の音楽は理屈ではなく感性だと思ひます。同門で3人の会の盟友黛敏郎がフランスで時の最先端の音楽を学んだのに対し、芥川は社会主義リアリズムの影 響を受けました。きびきびしたリズム、音の振幅の激しさ、これは伊福部の語法でもあり、同時にソビエト・ロシア音楽から学んだものでもあるはずです。誤解 を恐れずに言へば、分かり易く、理解し易く、そして聴き易い音楽です。オーケストラの醍醐味を味はふことができ、もしかしたらhappyになれる音楽で す。解説で片山杜秀氏は、それを「愛らしさと逞しさ、都会と野生、頼りなき感傷と青竹を割るような気っ風の良さ」とまとめてゐます。さう、確かにさうで す。いくつか聴かれる子守歌、伊福部仕込みの叙情です。かういふのがダイナミックな音楽にはさまれてゐます。都節、都会の感傷です。 ・演奏は湯浅卓雄指揮のニュージーランド交響楽団、NAXOSに他のアルバムもあつたはずです。比較の対象はありませんが、ここでの湯浅はそんな芥川の音 楽を手堅くまとめてゐます。奇を衒わない正攻法です。このアルバムで、もしかしたら芥川の再評価がなされるかもしれません。さうなれば、芥川は「21世紀 にも間違いなく語り継がれる」作曲家になるでせう。私個人としては、黛や同門の後輩松村禎三、そして伊福部の方が好きだし、高く評価できるとも思つてゐま す。如何。 04.06.26 ・比べるのがまちがひかもしれませんが、例へばアンドルー・ローレンスキングの"LA HARPE ROYALE"を聴きます。これはバロック・ハープで奏される、クープランを中心としたルイ14世の宮廷音楽集です。チェンバロや合奏の華やかさに比べる と、この時代の音楽とは思へないささやかな音楽です。楽器はイタリアのトリプル・ハープのコピーが使はれてゐます。この音色もむしろ地味と言へるのではな いでせうか。太陽王の宮廷でもこんな音楽が奏されてゐたのだと思つてしまひます。あんな華やかさばかりでは食傷気味になる、その反動か、などと考へたりも します。それに対すれば、西山まりえ「王の踊りとシャンソン」(ALM ALCD-1053)は明るい音色です。似たやうなアルバムタイトルですが、こちらはピエール・アテニャ ンの舞曲集「ルネサンス・ハープによる16世紀フランス音楽集」です。更に「国王の楽譜印刷・出版屋 その功績」ともあります。楽器はやはりイタリアのダ ブル・ハープのコピーです。楽器としてはこちらの方が古いタイプになります。これはスザートやホルボーンと並ぶ有名な舞曲集です。舞曲以外に世俗歌曲等も 含まれてゐます。アテニャンは作曲も少しはしたのでせうが、基本的には楽譜出版業者です。多くの楽譜を出版して「国王の楽譜印刷・出版屋」といふ名誉ある 称号を与へられてゐます。それがこのアルバムの副題にもなつてゐます。収められてゐる舞曲はハープのみで奏されてゐます。華やかとはいきませんが楽しげで す。言はばバロックの宮廷風な気取りではなく、ルネサンスの世俗性、日常性です。西山まりえは本来チェンバロ奏者ですが、ハープも弾きます。以前のアント ネッロ「笛の楽園」でハープを弾いてゐたのがこの人でした。このアルバムでは歌曲と舞曲を弾き分けてゐます。歌曲は明らかに歌ふが如くに弾いてゐます。セ ルミジの有名なシャンソンがあります。この時代の常として、一つの楽譜から多種多様な音楽が生まれました。歌曲もまた演奏されて楽しまれたのだと改めて思 ひます。舞曲は踊りの音楽ですから、パヴァーヌのやうなゆつくりした曲は別にして、当然きつちりしたリズムで奏されます。いや、自然なと言ふべきでせう。 拍節感が曖昧では踊れませんから、当然の演奏もしてゐるまでのことです。事ほど左様、自然の息づきにあふれたアルバムです。 ・このアルバムで嬉しいのは何よりアテニャンの舞曲集であるといふことです。スザートやホルボーンの舞曲集はいくつか出てゐるはずです。しかしアテニャン はあつたかどうか。私は寡聞にして知りません。そんな穴を埋めてくれるアルバムとして貴重です。しかもかうしたハープでの演奏は珍しい。全19曲、61分 超、個人的には合奏を好むとはいふものの、シャンソンは却つてかういふ演奏の方がその美しさが生きさうです。久しぶりにコジマ録音を買ひました。ここは邦 人古楽アルバムをかなり出してゐます。また買はうかなと思つた次第。 04.06.19 ・"Playing Elizabeth's Tune THE TALLIS SCHOLARS sing William Byrd"(Gimell GIMDN 902)は 邦題を「エリザベス王朝の調べ ウィリアム・バードの音楽」と言います。CDではなくDVDです。三部構成、その1はタリス・スコラーズのデュークスベ リー大聖堂でのコンサートから「四声のミサ曲」「マニフィカト」等全10曲、その2はBBCウェールズ放送局製作のドキュメンタリー「ウィリアム・バード の生涯と音楽」、その3は特典オーディオトラック、タリス・スコラーズのCDから「五声のミサ曲」「三声のミサ曲」等、単純にこれらの時間を合計すると 190分超になります。CDのほぼ3枚分、値段からすればこんなものかもしれません。このDVDでの私のお目当ては、実はドキュメンタリーでした。もちろ ん、この時代の声楽曲には定評のあるタリス・スコラーズの演奏は魅力的です。実際、大聖堂での演奏会は見事なものです。(ただしその映像はいささか陳腐、 紋切り型か。)オーディオトラックも含めて、この演奏だけでも買つた甲斐があつたといふものです。しかし私にはやはりドキュメンタリーがおもしろかったの でした。 ・私のバードは偉大なるイギリスルネサンスの作曲家です。それも鍵盤音楽のといふ限定付きです。これはもちろん正しい。あの「フィッツウィリアム・バージ ナル・ブック」を見ればそれは明らかです。これは当時の鍵盤音楽の一大集成です。この最重要作曲家がバードです。私はこのイメージから離れられません。と ころがバードの本当の偉大さはむしろ宗教音楽にあるやうです。鍵盤音楽の作曲家としてのバードしか知らなかつたがゆゑに、バードとは一体何者ぞといふ疑問 がありました。その一方で、こんな偉大な人だからといふ思ひもありました。バードほどの人です。このあたり、調べればすぐ分かります。さう思ひながらほか つておいたところで見つけたのがこのDVDでした。これは実に分かり易い内容です。ごく簡単にバードの生涯をまとめるなら、カトリック教徒であるがゆゑ に、宗教改革のただ中のイングランドは住みにくかったといふことに尽きます。それにも関はらず、バードはエリザベス女王に寵愛され、女王の死後もひどい迫 害を受けることなく一生を終へました。処世の術に長けていたといふことかもしれません。だから女王の讃歌は当然のこと、カトリックの典礼曲も作曲してゐま す。ただ、イングランドでは、当時、既にこの伝統は途切れてをり、それゆゑにバード自らカトリックの音楽を作り出さねばなりませんでした。それが大陸との 違ひをもたらし、バードの音楽を魅力的なものにしたのだとか。かういふことを、解説と関係映像、そしてタリス・スコラーズの演奏で示してくれます。かくし て、私はバードのごく一面しか知らなかつたのだと思ひ知つたことでした。バードは偉大なり、音楽家としてだけでなくその生き方も。イギリス音楽の黄金時 代、その華やかさだけが注目されますが、そんな中にもこんなドラマがあったのだ……。再び(?)言ひます、このドキュメンタリー70分だけでもこのDVD を買ふ価値があるといふものです。如何。 04.04.24 ・HOLBORNE"My Self"(harmonia mundi HMX 2907238)、演奏はthe king's noyseとポール・オデット、エリザベス一世時代のこの有名なホルボーンにふさはしい演奏者ではありませう。編成はviolin族の楽器、 violin、viola、bass violnにオデットのリュートやシターンが加はりゐます。bass violnはチェロでも良ささうです。大雑把に言つて弦楽四重奏の変形です。ただし1600年頃のイギリスです。楽器はアマティの復元ですが、後の古典派 とは違ひます。この楽器編成、この時代としてはやはり地味だと思ひます。violではありませんが、あたかもviolのやうに響いてゐます。violin 族の楽器の持つつや、張り、力強さ、かういふものとは縁がなささうです。ダウランドの合奏曲の嫋々といふ響きでもありません。このアルバムをききつつ思ふ のは、ホルボーンとはこんな曲であつたのかといふことです。ホルボーンは今でもリコーダーで合奏したりします。ブロークンコンソートでも演奏します。大体 が舞曲です。このアルバムにも、有名は"THE HONIE-SUCKLE"(「すいかずら」)を含む、計32曲、約74分の舞曲やアリアが収められてゐます。これらの曲、私には管楽器を含んだ合奏とい ふイメージが強く、同じ国の同じ時代とはいへ、ダウランドの弦楽器、特にviolを中心とした曲とはほとんど別物と考へてゐるやうなところがあります。パ ヴァーヌやアルマンドと言つても、ホルボーンは気軽に楽しく踊れるのに、ダウランドは聴くにはきれいでも踊るにはいささか堅苦しいのではと思つてゐまし た。ホルボーンは短い曲ばかり、このアルバムでは長くとも5分超、短いのは1分弱です。演奏も手軽です。しかし、これでは宮廷で紳士淑女が踊るには物足り ないのではないでせうか。さういふ言はば先入観で私はこれをきいてゐます。この弦だけの演奏、この地味な演奏、私には物足りません。打楽器や金管楽器で華 やかにとは言ひません。イタリアのカンツォンではないのですから、華やかさは不要かもしれません。しかし、明るく、軽く、楽しくはあつてほしいと思ひま す。これが基本です。もしかしたら、敢へてこれを外したのでせうか。この演奏、私は好きではありません。ホルボーンらしくない演奏、ホルボーンにふさはし くない演奏、そのやうなものに思へます。これは偏見でせう。リコーダーのホールコンソートを良しとする偏見です。しかしこの時代の音楽、私はさういふもの だと思つてゐます。古楽は演奏者とその楽器で印象が一変します。それがおもしろいところです。だから当たり外れが大きい。この"My Self"、演奏者は曲にふさはしい人達でも、私には残念ながら外れでした。皆様には如何? 04.03.27 ・Terry Riley"Atlantis Nath"(Sri Moonshine Music SMM001)、見たところ一枚のやうなれど値段が高い。税抜き 5,690円、もしかすると2枚組、いや3枚組かも、それにしても高いと思ひつつ買ひました。さうして開けてみると、何と1枚しか入つてゐません。もちろ んCDです。DVDならばこんなこともあるかもしれませんが、このご時世、CD1枚でこの値段は無茶苦茶です。10枚のセット物でもこれより安い……この アルバム、全12曲、約74分、Rileyのソロアルバムと言つて良いでせう。ではなぜこんな高いのか。よく見ると、ジャケット中央下にサインらしきもの があります。902/1000ともあります。これは限定番号? この二つ、どう見ても手書きです。つまりサイン入り、限定番号つき、なのですね、この CD。実際、Rileyの公式サイトに はかうあります。"This is a special signed and numbered edition of 1000 CDs!"つまり、このアルバムはサイン入り、限定1,000部で35ドルといふことです。本来の値段も高い。日本円に単純計算すると4,000円程度で せうか。私が名古屋のタワーレコードで5,690円で買つたのは足元を見られてゐると思へないではありませんが、それでも流通段階、あるいは通販の手数料 等からすれば、いたしかたのないところかもしれません。私はこんなことを知らずに買ひました。このアルバムがCD1枚だと知った時は本当に驚きました。か ういふの、私は初めて買ひました。こんなのが商売になる(?)のはさすがTerry Riley、ミニマリスト御三家の一人だけあります。問題はこのアルバムにそれだけの価値を見いだしうるか否か、これですね。 ・Terry Rileyの公式サイトを見ても詳しいことは分かりません。ただこんなことが書いてあります。CDケースはChris Harveyのイラストによる紙製、収録曲は"Included on the recording is the final scene of Terry's opera based on the life and works of Adolf Woelfli, "The Crucifixion of My Humble Self" as well as "Emerald Runner" "Ascencion" and "Remember this O Mind.""ださうです。私はこの歌劇を知りません。収録曲は珍しいものなのでせう。演奏はピアノ、シンセサイザー、声、更にはmidi、といふことは 打ち込み(?)もRiley自身です。冒頭、シンセかと思ふとさにあらず、声です。インド音楽風ではありません。地声でアーと歌ふのを多重録音したもので せう。これが"Crucifixion Voices"、一曲おいて”Derveshum Carnivalis”、いささかひねくれたカーニバルといふ感じです。アトランティスのカーニバルはこんな雰囲気だつたのかもしれません。更に一曲おい て”Emerald Runner”、Rileyのピアノソロはジャズの雰囲気です。これまでにもこんな曲がありました。歌も歌つてゐますが、これもジャズの雰囲気です。さう して……と書いてゐたら切りがない。要するに純正調のオルガンを使つてはゐないものの、正にTerry Rileyです。インド音楽風な曲も当然あります。このアルバムは1993から98にかけて録音、製作されたやうです。クロノス四重奏団との関係も既に深 くなつてゐたはずですが、その一方で、演奏会活動を行ひつつ、こんなRileyの様々な側面を見せてくれるアルバムも作つてゐたのですね。これを Rileyの集大成といふのは大袈裟でせうか。最近は新譜ではかういふのが出ません。このアルバム、古いけれど、その意味では嬉しいものです。"A must have for collectors and Riley fans!"ともあります。値段と言ひ、曲と言ひ、これは確かにコレクター、マニア向けでせう。昔の名前で出てゐます、そんなアルバムかもしれません。そ れだけに、どうせなら純正調のオルガンの即興を延々と続けてほしかつたと私は思ひます。レーベルもアルバムタイトルもRiley好み、何やらそんな雰囲気 ではありませんか。Riley自身はもはやさういふのに情熱を失つてゐるのかもしれませんが……。 ・で、5,690円の価値は有りや無しや。でもやはり高いなと思ひます。正直なところ、サインも番号もいらないから、普通の値段で売ってほしかった。日本 でRileyのサインに希少価値があるとは思へないのですね。曲が聴ければ良い。普通で十分です。如何。 04.01.24 ・THE DOWLAND PROJECT"Care-charming sleep"(ECM New Series 1803)は実にきれいなアルバムです。演奏グループ名から分かるやうに、これは イギリスを中心とした初期バロックの歌曲集です。voice John Potterとあります。テナーでせうか。このECMのシリーズから他のアルバムが出てゐるのかもしれません。しかし私は知りません。楽器はバロックギ ター、ソプラノサキソフォン、バロックヴァイオリン、ベース等といふアコースティックなものです。いかにもこのレーベルらしい編成でせう。純粋にバロック 音楽として聴かうとすると違和感を感じるかもしれません。時には明らかなジャズのイディオムが聞こえます。だからと言つてそれを売りにしてゐるわけではな ささうです。サックスやバスクラが心地よく響きます。ベースが通奏低音の役割でせうか。感じが違ひます。バスヴィオールに慣れてゐる身には確かに少々違和 感ありです。しかし全体にきれいな音です。美しい演奏です。叙情性の強く出たアルバムです。バロック音楽全体にさういふ傾向がありますが、このアルバムに は強くそれを感じます。冒頭の"Refrain 1"はオリジナルです。バロックギター独奏、4まであります。第2曲とも相俟つて叙情性が際だちます。しかし美しい。かういふのはこの時代の雰囲気なのだ と思ひます。同時に演奏者の個性なのでせう。更にはこのレーベルの個性、所謂癒し系、美しく実に叙情的な演奏です。ダウランドのリュートソングの嫋々たる 趣、いかにもイギリスルネサンスです。これらも含めて、みなかうしてまとめてしまふところは立派だと思ひます。サックスもかうなると立派な古楽器です。歴 史的楽器ではなくとも、古楽にふさはしい楽器といふ意味での古楽器、さういふ演奏、さういふアルバムです。奇を衒つてはゐません。バロック的な演奏だと思 ひます。聴き易い。たたし叙情性が勝つてゐます。個人的にはこの叙情性の強さが気になります。ただし、これをBGMとして聞くのならば何の差し支へもあり ますまい。癒し、さういふものでせう。ECMの個性です。
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