きまぐれ聴低盤 2002.12
02.11.23 ・Carmina Burana、カルミナ・ブラーナといふとすぐにオルフの「勝利」三部作の第一「カルミナ・ブラーナ 」を思ひ出してしまひますが、これは本来、19世紀末に南ドイツのポイレンにあるベネディクト派修道院で発見された古写本のことです。10世紀から13世 紀頃の世俗曲を集めた写本で、教会批判や性の解放の歌が多く、それがオルフのあのやうな劇的な音楽に昇華されて有名になりました。しかし元来が中世の世俗 曲です。あんな劇的で壮大な音楽であつたはずはありません。さう感じさせてくれるのは、かなり古いトーマス・ビンクレーのルネサンス合奏団によるアルバム です。これは60年代初め頃の録音、21曲を収めて約53分、概しておとなしい。いや、真面目と言ふべきでせうか。所謂古楽が主として学問の世界にあつた 時代の演奏かもしれません。 ・これに対して「カルミナ・ブラーナ〜中世の詩と歌」(NAXOS 8.554837) と題されたアンサンブル・ユニコーンとアンサンブル・オニ・ウィタルスによる演奏は全く違ひます。こちらは97年録音、13曲を収めて1時間弱です。ビン クレー盤と4曲重なります。単純に演奏時間を比べると、ビンクレー盤が大体半分の長さになつてゐます。この時代の曲の例に漏れず、この写本にはいろいろと 問題があり、演奏譜を作るのはなかなか難しいやうです。そこで同じはずの曲でもかなり印象が違ふことになります。アンサンブル・ユニコーンを主宰するミ ヒャエル・ポッシュはリコーダー奏者なのでせうか。そのせゐか、リコーダーや笛が多用されます。打楽器とも相俟つて賑やかで派手な演奏になります。かうい ふのが中世の雰囲気かとも思ひます。もちろん楽しい演奏です。写本の持つ教会批判や性の解放、ビンクレー盤の雰囲気にかういふのはあひません。ナクソス 盤、こちらは楽しくて、さう楽しすぎて毒気がなささうです。硬いことは言ひつこなしさ、人生を楽しまうとでもいふところでせうか。どちらが中世の実際の演 奏に近いのか、これはもはや誰にも分かりません。しかしほとんど骨しかない楽譜に肉付けをするのに、やはり遊びは必要だと思ひます。その意味で、これまで のクレマンシックやピケットに比べていささか派手だと思はれるこの「カルミナ・ブラーナ」も、一つの演奏として十分納得のできるものだと思ひます。何しろ 楽しめます。オルフはこれを劇的に処理したけれど、本来これは楽しむための曲だつたはずです。もしかしたらその原点に帰つた演奏家もしれません。ナクソス の廉価版です。買っても損はないと思ひます。如何? 02.11.09 ・平凡社「音楽大事典」ワルツの項に次のやうにあります。「ウィンナ・ワルツは、踊りのステップを反映して、こころもち早 く第2拍 目に入り、3泊目との間に独特の浮きを生ずるというリズム上の特徴を持ち、テンポは概して速い。」ウィーンを売り物にしてゐる楽壇や演奏家のワルツは皆か うなつているはずです。ところがこれに対して、ジェス・ファン・イマゼールとその手兵アニマ・エテルナのメンバーは考へました。"-how long has the rhythm been played this way""-do the dancers follow the same uneven rhythm" これは言はばウィンナ・ワルツの存在理由に関はる疑問です。ともにnoと出たら、現在のウィンナ・ワルツはその根本から存在意義を問はれることになりかね ません。これを確認するためにイマゼールはワルツの歴史からたどります。ウィンナ・ワルツはランナーと父ヨハン・シュトラウスによつて完成され、それを息 子のヨハン達がより洗練されたものとしていきました。19世紀半ばから世紀末のことです。それ以前は何か。一般にワルツはドイツのレントラー舞曲に始まる と言はれますが、これもはつきりしないやうです。これを含めて、現行のワルツに至るまでの舞踊の踊り方とテンポの変遷を調べた結果出てきたのがこのOrchestre Anima Eterna"Johann Strauss Valses Polkas Ouvertures"(Zig Zag Territoires ZZT 020601)のやうです。このアルバムは全13曲を収めて約70分、息子ヨハンの作品集で す。"The second beat no longer needs special attention."リズムに関して言へば、その結論はunevenではなかつた、つまり等分の三拍子であつたといふことです。 ・指揮をしてゐるのはJos van Immerseel、この人は本来フォルテ・ピアノ奏者です。この楽器はピアノの前身楽器、古楽器です。古楽器奏者には研究家が多くゐます。この人もさう なのでせう。だからこんな疑問も出てきたのでせうか。伝統は変へられないものだと言ふ、しかしさうでなはいといふ主旨の発言もあります。だからこのアルバ ムがあります。"Is this Strauss? Is this Vienna? Perhaps."私はもともとシュトラウスのファンではありませんし、ウィンナ・ワルツをよく聞くわけでもありません。だからこのリズムに違和感はあり ませんでした。でもどうなのでせう。愛好家からすれば、これはやはりウィーンではないといふ声が出てくるものなのでせうか。如何? 02.08.24 ・Hesperion XX.Jordi Savall"A MUSICAL BANQUET"(VBD 7423 5 62028 2 5)、 久しぶりのサヴァールです、エスペリオンXXです。新譜ではありません。veritas×2のシリーズです。1枚目はシャインとシャ イトの 16世紀後半から17世紀にかけてドイツで活躍した2人の作品、2枚目は同じ頃イタリアで活躍したジョバンニ・ガブリエリ等の作品集です。アルバムタイト ルはシャインの同名曲集に拠ります。邦題はもちろん「音楽の饗宴」です。この2人、有名なシュッツの同時代人(俗に"3Sch"と言ふ)ですが、音楽史上 ではともかく、一般的にはあまり知られてゐないのではないでせうか。私も名前は知つてゐます。しかしその作品となると…& hellip;ほ とんど知りません。CDが出てゐない。ヨーロッパの古楽祭で演奏されることはあつても、それが日本ではあまり紹介されてゐない。こんな現状ではないでせう か。その意味で、これは旧譜ながら貴重です。大体がサヴァールです。スペインでなくとも、この手の曲には定評があります。実際、最初の音を聞けばそれは明 らかです。「音楽の饗宴」第16組曲イ短調、第1曲は"Padouana"、パヴァーヌです。実にきれいな響きです。これだけでこのアルバムを買つて良か つたと思つてしまひます。収められてゐる組曲は他に3つ、第2、第6、第20、いづれも短調、五声の舞曲集です。各4曲、パヴァーヌ、ガリアルド、クーラ ント、アルマンドからなります。個々の曲で楽器は変はり、ヴィオールだけでなく、管楽器やギター、オルガンも使はれてゐます。基本的にブロークン・コン ソートです。決して単調な曲集ではありません。サヴァールはそれを実に陰影深く、彩り豊かに演奏してゐます。実際にこれで踊れるかどうかは別にして、鑑賞 するのならば実に見事で、思はず聞き惚れてしまひます。これに続くシャイトやガブリエリはカンツォンが中心です。管楽器中心となり、感じもかなり変はりま す。それにもかかはらず、どこか似てゐると感じられるのは、同時代だからでせうか。あるいはサヴァールの演奏によるからか。金管だけのガブリエリとは違つ て、むしろしつとりとした趣です。これもまたガブリエリなのですね。これで2枚組の廉価盤です。お買ひ得です。更に言へば、演奏者には、現在第一線で活躍 する、トン・コープマン、パオロ・パンドルフォ、クリストフ・コアン等々がゐます。これもまたサヴァールの人脈なのでせうか。見事と言つておきませう。 02.07.13 ・大栗裕「大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン 協奏曲 他」(NAXOS 8.555321J)は 矢代秋雄に続く、NAXOSの日本作曲家選輯第3弾です。この大栗裕、私はほとんど知らないのですが、もしかしたらプラスバンドをやつてゐる人はご存じか もしれません。1918年の大阪生まれ、大阪育ち、だから浪速のバルトークだとか。要するに民族的な作風といふことです。ほぼ同世代、同傾向の、伊福部昭 や小山清茂を北海道のバルトークとか信州のバルトークとか言はないのに、この人を特にかう呼ぶのはさういふ傾向が強いのでせうか。伊福部も小山も故郷に材 を得た作品は多いし、バーバリズム、野生主義といふなら、あの「ゴジラ」の音楽に代表されるやうな伊福部の作品の方がよほどその傾向が強いはずです。難し いことは言はない、単なる愛称だよと言はれるかもしれませんが、バルトークなどと言はれると、何だかそれにこだはりたくなつてしまひます。 ・このアルバムの収録曲は表題作の他に2曲、計4曲の68分、「管弦楽のための神話-天の岩屋戸の物語による」「大阪のわらべうたによる狂詩曲」です。 「ヴァイオリン協奏曲」だけは分かりませんが、他は曲名からある程度の見当がつけられます。どの曲も素材を生の形で使つてゐます。浪速のバルトークたる所 以です。当然のことながら、かういふ曲は日本人には親しみ易い。先の矢代秋雄がヨーロッパ的なクラシックの正統であるならば、これは当然そこから外れま す。それがエキゾチックで外国人に受けるかも知れず、日本人の琴線に触れて受けるかも知れずで、シリーズ第3弾になつたのでせうか。何しろ、私には初めて まともに聴いた作曲家です。かういふ作風は戦前からの作曲家にはかなり多く、特に目新しいといふものではありません。正直に言へば、今一つインパクトがな い、これがこのアルバムの感想です。小山清茂「木挽歌」や伊福部の諸作を聴いた時の、更には少々傾向が違ふけれど、黛敏郎の「涅槃」の衝撃がありません。 これが大栗の<限界>かもしれません。あるいは作風か。そんなわけで、珍しい曲を聴かせてもらったといふことはあるものの、それ以上のものとなりうるかど うか、これは今少し時間が必要です。かういふ形のシリーズで、何人もの作曲家が紹介されれば、当たり外れは当然あります。皆さんには如何? 02.05.25 ・「日本の神楽」(King Records KICC 5750) は世界宗教音楽ライブラリーのその50です。これは膨大なシリーズです。世界中の様々な宗教曲を集めたシリーズで、仏教、キリスト教はもとより、その他の 各宗教の聖歌、声明、詠唱の類が詰まつてゐます。見事です。そんな中で、この一枚はかなり異質ではないかと思ふのですがどうなのでせう。英題を "Shinto Music and Dance ofJapan"と言ひます。私にはまづこれが解せません。このアルバムの大半は宮中の神楽歌で占められてゐます。これは御神楽に当たり、宮中や寺社に伝 はる神楽です。だから神道なのでうか。違ふやうな気がしてなりません。ところで、その神楽歌、これは他にもCD等があるはずです。ここでは宮内庁楽部の、 '95年国立劇場小劇場でのライヴが収められてゐます。最近人気の東儀秀樹の名も見えます。曲は「阿知女作法」に始まり、「榊」の元末、「お介(おけ)」 で終はります。基本は押さへてあります。神楽歌入門です。演奏はもちろん良し。何と言つても楽部ですから。歌も楽器も気持ち良い。あの雅楽の歌、上代歌謡 に見られる音の揺れが心地よくさへ感じられます。今風に癒しの音楽と言つても良いかもしれません。だから神の降臨の音楽になりうる、Shinto Musicである、かう言はれれば思はず納得してしまひます。極端な話、この神楽歌のためにだけでもこのCDを買ふ価値があります。とはいふものの、他の 里神楽5種、これはもしかしたら貴重な録音なのかもしれません。収録年不明もありますが、音源が古い。隠岐神楽'58、早池峰の岳神楽'53、ひやま番楽 '56といふ具合です。伊勢太神楽は山本源太夫社中、本家です。いづれも御神楽との差に驚かされますが、問題はあまりに短い、細切れに過ぎるといふ点で す。こんな中途半端をせずに、御神楽と里神楽を分けてほしかつたといふのが正直な感想です。逆に、だから日本の神楽を一望できるとも言へるわけで、このあ たりをどう考えるか……。音楽的にはともかく、編集方針には問題ありの一枚です。でも神楽歌はオススメで す。東儀秀樹ファン 必聴かな(^_^;)。 02.04.13 ・矢代秋雄「ピアノ協奏曲、交響曲」(NAXOS 8.555351J)はNAXOS の日本作曲家選輯第2弾です。第1弾の名曲集の次は個人の作品集です。その第1弾が矢代といふのは、やはり売れ筋である作曲家を選んだといふことでせう。 (既に第2弾も出てゐます。大栗裕、私は名前を知つてはゐますが、その作品を知りません。マイナーですね。売れるのかな。)しかも、収められてゐるのが 「ピアノ協奏曲」と「交響曲」であれば、この作曲家のことを少しでも知つてゐる人ならば、誰でもさう思ふはずです。矢代は'29年生まれ、'76年死去、 橋本国彦、池内友次郎、伊福部昭 に師事し、同門には黛敏郎がゐます。これである程度の作風を想像できると思ひます。ごく大雑把に言へばオーソドックス、この一語に尽きます。師の伊福部に は土俗的、民族的な色彩が濃く、その力強いリズム感は「ゴジラ」の音楽等でも有名です。黛はいち早く時の動きを摂取し、戦後の前衛のリーダーと言はれまし た。それに対して矢代の音楽、例へば「ピアノ協奏曲」の冒頭を聞いて下さい。かういふ言はば神秘的な響きは先の二人にはありません。所謂現代音楽の響きと は違ひます。敢へて言へばロマン的な響きです。私達からすれば、きき易い、受け入れ易い響きです。たぶんかういふのが矢代なのだと思ひます。片山杜秀氏の 解説には、プロコフィエフ、バルトーク、ジョリベ等の名が散見されます。また、曲の形式にはソナタやロンドが用ゐられてゐます。協奏曲や交響曲ならば当然 の形式です。(黛の「涅槃」を見よ。)有名な「交響曲」の第2楽章スケルツォ、これも少々変則的ではありますが、クラシックの伝統に則つたものです。この 主題は獅子文六「自由学校」の神楽の擬音語によります。形式的には、主題の執拗な繰り返しとでも言ふのでせう。それ故に、変拍子ながら、私達にはむしろ親 しみやすいものです。かういふクラシックの伝統との親近性は、「矢代がライヴァルと目していた三善晃」(片山)よりも強いものです。オーソドックス、正統 的たる所以です。そんな矢代の「ピアノ協奏曲」は優れた作品です。所謂現代音楽よりもはるかにきき易い曲です。民族的ではなく、最近の言葉で言へば、むし ろグローバル、そして普遍的なクラシックの音です。それを岡田博美、湯浅卓雄=アルスター管弦楽団が演奏してゐます。初演の中村紘子盤をほとんど知らない 私には比較できませんが、この演奏はなかなかの熱演です。岡田のピアノ、冒頭のあの旋律を、正に戦慄をもつて響かせます。ヨーロッパの楽団、楽壇にも受け 入れ易い曲だと思ひます。日本のクラシックを再認識できる一枚です。せめて万の位の売り上げ枚数を確保してほしいものです。 02.03.30 ・ミニマリスト御三家第三弾、今回のシリーズ(^_^;)はこれで終はりです。STEVE REICH"TRIPLE QUARTET"(Nonsuch 79546-2)は去年の秋頃に出たのではないでせうか。新譜 といふにはいささか躊躇するCDだと思ひます。タイトル曲"TRIPLE QUARTET"が'99年の作品、以下、"MUSIC FOR LARGE ENSEMBLE"と演奏者編曲による"ELECTRIC GUITAR PHASE"と"TOKYO/VERMONT COUNTERPOINT"の計4曲を収めます。約57分、これまたいかにもライヒらしい曲ばかりです。 ・編曲の2曲、有名な曲です。"PHASE"の原曲は'67年の"Violin Phase"です。もはやミニマル・ミュージックの古典です。ライヒ流の少しづつ変化していく音楽、ライヒの原点でせうか。ここではヴァイオリンがエレキ ギターに変更されてゐます。もちろん、4本の、ですから多重録音です。弦楽器とは言つても擦弦楽器と撥弦楽器です。こするとはじく、発音機構が違ひます。 それに伴つてでせうか、多少の変更、いや編曲か、もあります。"the sharp rhythmic attack of the guitar"もあつて、だから、かなり曲の感じが変はります。同じ音型が奏されてゐても、こちらの方がリズミカルで力強ささへ感じられます。私は単純 に、ライヒがパット・メセニーのために書いた"ELECTRIC COUNTERPOINT" を思ひ出しました。これは名曲です。エレキ版"PHASE"も名曲です。私は好きです。"TOKYO/VERMONT"の原曲はフルート、アルトフルー ト、ピッコロのための曲です。それを全く発声機構の違ふマリンバに移してあります。ライヒがライナーで書いてゐます、"this is a radically different version ,and one,clearly,with a sense of humor"と。この曲、例へばアフリカの民族音楽を思ひ出させてくれます。かういふのをユーモアと言ふのでせう。管楽器だと音を延ばすのが中心なのでせ うが、打楽器は音を延ばせません。補助的にMIDIも使つてゐます。それにしてもこの違ひは大きい。radically different versionたる所以です。もちろん、これもおもしろい曲です。ちなみに、この編曲、演奏はMika Yoshida、日本人です。だからTOKYOと冠されたのですね。このやうにライヒ以外の人の手になる編曲を収めたアルバム、やはり異色と言ふべきでは ないでせうか。オリジナル2曲と聞き比べるのもまた楽し。さう、確かに優れてライヒです。 02.03.16 ・ミニマリスト御三家第二弾です。Philip Glass"THE MUSIC OF CANDYMAN"(ORANGE MOUNTAIN MUSIC omm-0003)はサントラの新作です。私は"CANDYMAN"を知りません。この映画の プロデューサーたるドン・クリステンセンのライナーによると、"Candyman story,(written by Clive Barnes)was a tale of contemporary myth and horror that possessed a truly frightening pycological plot."ださうです。確かに"STORY BY CLIVE BARKER"とあります。「血の本」のバーカーでせうか。あの中にかういふ題名の作品があつたのでせうか。さうだとしても、これではどんな内容か分かり ません。録音は'92、'95、2000となつてをり、正続2編の映画から計13曲、約53分を収めます。冒頭には"MusicBox"と題された曲があ ります。曲名通りです。分散和音に乗つたオルゴール風の小曲です。この音型がこのサントラのライト・モティーフでせうか。あちこちで聞こえます。以下、こ れぞグラスといふ曲が続きます。とにかくグラスです。音楽総体としてグラスです。マイケル・リースマンの指揮もいつもの通り。かういふ音と語法で書ける作 曲家はグラスしかゐません。「コヤニスカッティ」、武満徹が乗り損なふともうダメだとけなした音楽です。これを彷彿とさせる音も聞こえます。あの映画は音 楽と画面が律儀にシンクロしました。それだけに、単純明快、そして純粋にグラスなのでせう。だからこそ武満のやうな、沈黙に語らせる作風の人は違和感を覚 え、あの音楽に乗れなかつたのでせう。この"Candyman"にもそれがある。と言ふより、これはグラスの音楽の特質です。敷衍して、ミニマルのと言つ ても良いのかもしれません。さう、だから私はかういふ音楽が好きなのですね。繰り返しの魔術などといふ言葉では括れなくなつてゐるミニマル・ミュージッ ク、それでも頑固に自らの語法を守り続けてゐるグラスの音楽はやはり見事です。一昔、いや二昔前はタクシードライバーで生計を立ててゐたといふグラスの、 超・売れつ子になつてもなほ変はらぬ音楽の魅力、それがこのサントラからも確認できます。乗り損なふ人にはおもしろくもないかもしれませんが、乗れれば最 高(^_^)です。フィリップ・グラスをお試しあれ。 02.02.09 ・久しぶりのエリザベス女王の時代の、いやより正確に言へば"Golden Age of English Lute Music"たる1600年前後のリュート曲集です。とは言つてもPAUL O'DETTE"ROBIN HOOD-Elizabethan Ballad Settings"(harmonia mundi HMU 907265)と いふアルバムです。ロビン・フッド関連の曲集かと思ふとさにあらず。副題にもある通り、エリザベス朝のバラードを中心としたリュート曲集です。全24曲、 77分、例の如く短い曲ばかりです。舞曲も少々入つてゐます。楽しめます。タイトル曲はロビンを歌つた有名なバラードによるMr. Ascue"Robin Hood"です。当時はかなり自由に、リュートからチェンバロへ、チェンバロからリュートへなどと編曲をして楽しみんてゐました。さういふ曲もあります。 どれもオリジナルと変はりません。ウィリアム・バードの有名な"La Volta"などといふのがあります。これなどもその一つです。私はリュートの曲をほとんど知りません。合奏や歌の伴奏のリュートは知らないわけではあり ません。さういふ人間からすると、この手のアルバム、買ふのにやはり<勇気>がいりました。楽しめるかどうかといふわけです。それでも、バードの曲があつ たりするから買つてみました。結果は……地味だと思ひます。楽器のせゐでせう。しかし楽しくきかせます。こ のオデットといふ リュート奏者、かなり活躍してゐる人です。名手、のやうです。楽器も8弦のリュートを中心に撥弦楽器3種です。その違ひを楽しむこともできます。当時の人 々もさうして楽しんだのでせう。リュートでもヴァイスのやうなのとは少々雰囲気が違ひます。これがリュート音楽の黄金時代、エリザベス女王の時代の音楽な のですね。ヴィオールとはまた違つた雰囲気を楽しみませう。 02.01.12 ・去年の夏以降、テリー・ライリーのCDを何枚か買ひました。クロノス・カルテットのは最新アルバムですが、Terry Riley"Reed Streams/L'Infonie-In C(Mantra)"(organ of Corti 2)等 は古い録音です。このTERRY RILEY ARCHIVE SERIESと銘打たれたアルバムは何枚あるのでせうか。やはり5枚でせうか。ごく初期のテープ音楽から'70年の"In C"まで、要するに'60年代のライリーの総決算とでもいふところでせう。今回のアルバムがその"In C"を含むものです。これは"a psychedelic big-band adaptation of In C(MANTRA) under the direction of Walter Boudreau"と説明されてゐるやうに、ごく大雑把に言へばビッグバンド版の"In C"です。いろいろな演奏がある中にも、かうしたビッグバンド版はなかつたはずです。しかも'70年の演奏です。この曲の注目度と影響度の高さが知れよう といふものです。私はこの演奏を所謂サイケだとは思ひません。しかし相当変はつてゐることは確かです。いや、変はつてゐるといふのは語弊があります。クラ シック音楽的ではないと言つておきませう。あのCBS版の律儀なパルスは後退しています。ジャズのリズムと雰囲気が支配的です。私には何の違和感もありま せん。あの38の音型が次々と繰り出されてきます。金管に偏つた楽器編成も気になりません。"In C"が融通無碍、実に大きな可能性を秘めた音楽であることが分かります。そしてMANTRAとわざわざ付したのもうなづけます。大体、この手の音楽には繰 り返しの魔術があります。それが呪文の如く聴く者を陶酔の境地に運んでくれます。ジャズのリズムがそれをより強力にしてゐるのかもしれません。それを見抜 いたからこそ、ビッグバンド版が生まれたのでせう。実に刺激的な"In C"でした。 ・実はアルバムタイトルの前半、Reed Streamsも曰く付きです。これは'66年の演奏のやうで、ライリーのデビューアルバムです。オルガンによる即興演奏なのでせうが、ここでは繰り返し が目立ちます。ミニマルのミニマルたる所以ですが、それだけインドへの傾倒が少ないといふことでもありませうか。それは音楽そのものから明らかです。その 意味で、"In C"から、例へば"Shri Camel Trinity"に至る道筋の一つの記念碑として興味ある作品です。こんな組み合はせのアルバム、私には実に嬉しいものでし た。ライリーも回顧される作曲家になつたといふことですね。今や大家です。
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