2016.01.14

レルカーロ枢機卿 3

私は、レルカーロ枢機卿という高位の神父様のことを見るという仕事を、今回のこの記事に担わせようとは思いません。その仕事のためには、前回前々回の記事のみ提出します。

もう一度言いますが──彼が作ったこの教会のこのシルエットを見るだけでも、彼が “しっかりした人” などではなかったことが──ものを “わかって” などいなかった人であることが──公会議の “古い新展望” にワクワクして、悪気はなくとも “調子に乗っちゃった” 人であることが──“気のいい浅慮” の人であったことが──ほとんど《証明》されたも同然だと私などは思うのですが、あなたはどう思うでしょう。

さて、前々回も触れたボローニャのカテドラルにあるというレルカーロ枢機卿の墓石に刻まれた銘文を、今度は全部書き出してみます。

(「亡くなった人のお墓まで材料にしてまだ批判を加え続けるなんて、ひどい」と、あなたは思うかもしれません。しかし今回はレルカーロ枢機卿に関する検討ではなく、彼を「顕彰した」であろう一団の者たちについての推察です)

QUI RIPOSA IN CRISTO

IL CARDINALE

GIACOMO LERCARO

ARCIVESCOVO DI BOLOGNA DAL 1952 AL 1968

GIA ARCIVESCOVO DI RAVENNA DAL 1947 AL 1952

MODERATORE DEL CONCILIO VATICANO II

第二バチカン公会議のモデラトーレ

GUIDA SAPIENTE DEL RINNOVAMENTO LITURGICO

典礼刷新の賢明な案内人

PROMOTORE DELL ASCESA DEI PICCOLI E DEI POVERI

小さな人々と貧しい人々の上昇の推進者

28・10・1891  18・10・1976

Wikipedia

えらい称えようです。

さて、これは軽く触れるにとどめますが・・・墓石の上の彼の紋章がちょっと変ですね。

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記事

find a grave

変だと云うのは、彼の紋章はこれだからです。参照1  参照2
参照2には古いバージョン(?)のものもありますが、いずれにせよ、上の牛みたいな紋章には似てませんよね。

もう言っちゃいましたね。つまり、私はふと、ここにこんな画像を持って来たくなるのです。

レルカーロ枢機卿の墓石は NWO の冠を被らされる光栄に浴したのかも知れませんね。

はい、私の “オカルト陰謀論頭” から出た妄想でした。

しかし、彼はもう一つのものによっても顕彰されています。
レッロ・スコルツェッリの作品によって。

メダル

参照元 Giacomo Lercaro 1976 | CATALOGO di NUMISMATICA

彼に特徴的なふにゃふにゃ文字ですね。以前見た彼のメダル

参照元   

Medaglione Artistico Carlo Giacomo Lercaro Mater Mea Fiducia Mea L Scorzelli | eBay

頭像

Cardinal Lercaro 1964

参照元   

SCORZELLI | Two Galleries of Figure Sculpture

フリーメイソンは「典礼刷新の賢明な案内人」であるレルカーロ枢機卿に敬意を表したのでしょう。

ちなみに、彼は1968年1月にコンシリウムの議長を降りたので、手による聖体拝領や立ったままの聖体拝領には直接の責任はないかも知れません(その後のそれらの実践の自教区への受け入れの責任は別として)。けれども、インテル・エクメニチ(1964年発布)やトレス・アビンク・アンノス(1967年発布)の頃は、彼はまだ議長でした。それらに於ける拝礼と祈りの各種省略、そして御ミサを対面式にしたことなどは、彼にも責任があるでしょう。

レッロ・スコルツェッリについて疑問を持たないで下さい。彼が悪しき芸術家であることは “確か” です。
この三点を作りましたから。

参照: サタンの煙: 悪魔的芸術家たち

そして、彼の雇い主はフリーメイソンです。

フリーメイソンはわりと律儀に(?)彼らの目的のために功績あった者たちを表彰することはあなたもご存知でしょう。
ハンス・キュンクジョセフ・バーナーディンヨハネ・パウロ2世ブラジルの司教

好戦的な補足:
流出したとされる不確かなリストを基に誰彼のことをフリーメイソンと決めつけるのは如何なものか」ですって? では、あなたに質問します。あなたは少なくとも上の三点のゲージツ作品が “悪いもの” だと確信しますか? その確信もない? ならば、そもそもあなたにどんな「判断力」があるでしょう。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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